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Date: 7月 31st, 2018
Cate: audio wednesday

第91回audio wednesdayのお知らせ(涼しげな音を出せれば、と)

明日(8月1日)の8月のaudio wednesdayのテーマは、というか、やりたいことは、
いつもより涼しげな音が出せれば、と思ってのセッティングのわずかな変更である。

しげしげ見なければ、どこがいつものと違っているのかはわからないくらいの変更で、
音がそれによってどの程度変化するのか、予測していても、
音は実際に出してみてわかるところが必ずある。

暑いからといって気合いの入っていない鳴らし方はしない。
7月はアルテックのスピーカーをまったく鳴らしていない。
二ヵ月、自分で鳴らしていないわけで、
8月もそんな調子だと、9月のaudio wednesdayでの音出しがたいへんなことになるからだ。

スピーカーに気合いを入れるための8月のaudio wednesdayである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 7月 31st, 2018
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その5)

大人のオーディオマニアが大人として、
オーディオのプロフェッショナルがプロフェッショナルとして、
若い世代の手本になっていないと感じるのも、時代の軽量化といえよう。

Date: 7月 31st, 2018
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(余談)

ステレオサウンド 207号のスピーカーの試聴記を見ていて、
異和感をおぼえたのは能率に関することである。

いまでは90dB/W/mを超えるスピーカーの方が少数である。
その中にあって90数dBのスピーカーシステムは、相対的に能率が高い、ということになる。

まあ、でも傅信幸氏、三浦孝仁氏が、
90数dB/W/m程度のスピーカーを、能率が高い、というふうに書かれているのをみると、
異和感をおぼえる。

傅信幸氏は私よりひとまわり上、
三浦孝仁氏はひとつくらい上のはずで、いわば同世代。

93dB/W/m程度でも、最近のスピーカーは能率が低くなった、といわれていた時代を過している。
100dB/W/mの高能率のスピーカーの音も聴いている。

93dB/W/mは変換効率でいえば、1%である。
93dB/W/mより低い値のスピーカーは、いつの時代であっても能率が低いわけで、
たかだか1%の変換効率のスピーカーを、高能率だというのは、
周りの音圧レベルが低くなっているとはいえ、それでいいのか、と思う。

傅信幸氏、三浦孝仁氏が20代、30代というのなら、わかる。
90dBを切るスピーカーが多数になっていた時代にオーディオに興味をもっているのだから。

なぜ、そこに合せるのか、という疑問が、異和感につながっていく。
50代も60代もいい大人なんだから──、と思う次第だ。

Date: 7月 31st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その16)

この二人が主宰するメーカーは、どちらも規模は小さい。
社員が大勢いる大企業ではなく、それぞれの人のいうことが、
そのメーカーの主張するところである。

この二人のメーカーの人は、オーディオ評論家を、
自分たちの代弁者であってほしい、と思っているのではないか。
だから、あれほど喜んだとしか思えない。

その意味で、そのオーディオ評論家はオーディオ評論家(商売屋)としてプロであった、ともいえる。
けれど読者が求めているオーディオ評論家は、
オーディオ評論家(職能家)ではないのか。
少なくとも私はオーディオ評論家(職能家)がいてほしい、と常々思っている。

けれど、オーディオ評論家(商売屋)のほうかわかりやすいと思っている読み手もいるようだし、
メーカー側の人たちが、少なくともこの二人はそうである。

メーカーにとってオーディオ評論家(商売屋)はそれでいいが、
オーディオ評論家(職能家)は、
メーカーの人たちが気づいていないところを指摘するのも仕事である。

それは欠点でもあるし、製品がメーカーの試聴室から市場に出た時に生じる魅力、
メーカーの人が気づいていない価値を指摘するのも仕事だ、と私は考えている。
そこに気づいたメーカーの製品だけが商品となっていくのではないのか。

二人のメーカーの人は、自分の賛同者、代弁者が欲しかった。
それはオーディオ評論家(商売屋)こそが得意とするところでもある。

今回のモニター機に関するいざこざは、個人ブロガー(オーディオマニア)に、
そんなオーディオ評論家(商売屋)と同じことをメーカー側が求めていたことも、
原因のひとつなのではないか。

メーカーと個人ブロガー、どちらか一方にだけ非があるようには思えない。
自分にとって都合のいいことしか求めなくなっている──、
そんな空気が、いまのオーディオ界の現状のような気もする。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その1)

「タンノイはいぶし銀か」を書き始めたところ。
タンノイの同軸ユニットにはフロントショートホーンが不可欠だ、と、
以前から書いていることをくり返している。

もうひとつ不可欠(フロントショートホーンほどではないが)といえるのが、
KT88のプッシュプルアンプである。

世の中に出ているすべてのKT88プッシュプルアンプを聴いて書いているのではない。
タンノイに接いで聴いているのは、マッキントッシュのMC275、
マイケルソン&オースチンのTVA1、ウエスギ・アンプのU·BROS3、
それからジャディスのJA80(これはパラレルプッシュプル)だけである。

けれど、このどれでタンノイを聴いても、よく鳴ってくれる。
真空管アンプの音が出力管だけで決るわけでないことは重々承知しているが、
それでもタンノイにはKT88プッシュプルだ、と口走りたくなるほど、
それぞれに魅力的、ときには魅惑的な音をタンノイから抽き出してくれる。

JA80で鳴らしたGRFメモリーの音は、フロントショートホーンがついていないけれど、
もうこれでいいのかもしれない……、
そんなふうなある種の諦観に近いところに誘われている感じさえした。

やや白痴美的な音でもあった。
CDで聴いていたのに、以前一度だけ聴いたことのあるカートリッジの音を思い出してもいた。
グラドのSignature IIである。

1979年に199,000円もしていたカートリッジで、
瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られた時に持参されていた。

このカートリッジのことは、「ラフマニノフの〝声〟VocaliseとグラドのSignature II」で書いている。

甘美な音がしていたカートリッジだった。
私も、欲しい、と思った。
高校生にはとても手が出せない価格だったけれど。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その55)

ステレオサウンドの記事は、どういう読み方であっても、
すべての読者に対してまったく同じ記事である。

今回の207号にしても、私が買った207号と別の人が買った207号とで、
記事の一部が、書いてあることが微妙に違っているということは絶対にない。

同じ内容の記事を読んでいても、読む人によって受けとめ方は違ってくるということは、
今回の染谷一編集長の謝罪の件については、
人によって読んでいるものが違っているのだから、受けとめ方はさらに違っているのではないか。

私以外にも、今回の謝罪の件を取り上げている人はいる、と聞いている。
twitterでツイートしている人もいるようだし、
自身のブログで書いている人もいる。

私はある人から教えてもらったブログをひとつだけ読んでいる。
そこにリンクしようかと思ったけれど、そのブログを書かれている人は、
あえて固有名詞を出さずの書き方なので、リンクはしない。

でもステレオサウンド 207号の写真は載っているから、
わかる人には、今回の謝罪の件だとわかる。

おそらく、この人以外に書いている人はいるだろう。
ということは、人によって、今回の染谷一編集長の謝罪の件は、
読んでいることに違いが生じている。

すべての人がavcat氏のツイートを遡って読んでいるとはかぎらない。

雑誌掲載の同じ記事を読んでもそうなのに、
読んでいるものが微妙に違ってきては、受けとめ方は記事以上に違ってきても不思議ではない。

読み手がどれを信じ信じないのか、どれに共感するのかしないのか、
そういったことが微妙に違ってきていることの怖さを、編集者ならば想像してみてほしい。

今回の件に沈黙してしまうということは、そういうことなのだ。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その15)

モニター機の評価に関するいざこざは、メーカー側の求めることにもあったのではないだろうか。
今回のメーカーが、どういうことを個人ブロガーに求めていたのかははっきりしないが、
個人ブロガーをふくめてオーディオマニアを、
自社の広報マンの代理として考えていた可能性はあるように感じている。

もう十年近く前になるが、
あるメーカーのある製品が、オーディオ雑誌に取り上げられた。
あまりこのメーカーの製品は雑誌で扱われることはない。
高い評価を得ていた。

その後で、そのメーカーの人と話す機会があった。
彼はすごく喜んでいた。
そうだろう、と思ったけれど、そのあとに彼の口から出た言葉を聞いて、
少し考えさせられた。

これと同じことがfacebookでもあった。
別のメーカーの、ある製品を、とあるオーディオ評論家が評価していた。
そのことをこのメーカーの人も喜んでいた。
二人の喜び方は、同じに見えた。

つまり彼らが伝えたいことを、すべてオーディオ評論家が伝えてくれたからである。
だから、彼らは、○○さんはいい評論家だ、といっていた。
最初のメーカーを評した人(二人)とあとのメーカーを評した人(一人)は、
一人だけが同じ人である。

二人のメーカーの人が喜んでいるのは、そういうこと(レベル)なのか、と思った。
そのぐらいのこと、オーディオ業界で飯を食っている人にとっては、
さほど難しいことではない。

そういう評論家は、メーカーにとってはありがたい人であろうが、
読者にとっては、いい評論家といえるだろうか。
もっといえばメーカーにとっても、いい評論家とはいえないはずだ。

そこに、二人のメーカーの人は気づいていないようだった。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドの定価

私が初めて買ったステレオサウンドの定価は1,600円だった。
いまは2,000円で、これに消費税がついて2,160円。

ステレオサウンドが1,600円だったころ、新聞の購読料は同じくらいだった。
いまはステレオサウンドよりも、けっこう高くなっている。

他のオーディオ雑誌も、昔は数百円だったけれど、千円を超えている。
読みたい記事がなければ、もっと安くても高いと思うものだが、
ステレオサウンドの定価は、よくやっているのではないか、
と今回久しぶりに買って思っているところ。

それに一冊買えば、ブログに書きたいことがそこかしこにある。
207号にしても、最初からじっくりひとつひとつについて細かく書いていくことだってできる。
特に特集のあとに続く記事については、そうとうに書きたいことがあるが、
そこまで触れるつもりはない。

私にとって読み応えはないが、書き応えはあるから、
ステレオサウンドの定価は安い、といえる。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(あえて書いておく)

(その8)で引用した黒田先生の表現。
25号に載っていることを見つけ、書き写してみれば、
ほぼ正確に記憶していたことも確認できた。

ならば25号を見つけ出さなくとも書けたのではないか。
書けた。

書けたけれど、黒田先生の書かれたものという記憶がこちらにある以上、
それに手元にステレオサウンドのバックナンバーがある以上、
やっぱり正確に引用しておきたい。

それに黒田先生の文章ということを黙ったまま、
さも自分で考えたかのように、少しだけ変えて書くのは絶対にやりたくない。

オーディオ雑誌には、そういう例がけっこうある。
書いている本人は、自分で思いついたと思っているだけなのだろうが、
パクリといわれてもしかたない、という表現もある。

ほんとうに知らないのか、それとも過去に読んだことを忘れてしまっているのか、
そのへんは定かではない。本人にしてもそうなのかもしれない。

こんなことをあえて書いているのは、ステレオサウンド 207号でも、
気になるところがあったからだ。

傅信幸氏のタンノイのKensington/GRの試聴記に、タンノイ劇場、とある。
これが、菅野先生が以前よく使われていたウェストミンスターホールと、
私の中では、どうしてもかぶってくる。

念のため書いておくが、ウェストミンスター劇場のウェストミンスターとは、
タンノイのスピーカーのことである。

ウェストミンスターホールを、菅野先生が使われていたのは、それほど昔のことではない。
傅信幸氏が読んでいないわけがないし、読んだことを忘れていないはずだ。
忘れていた可能性をまったく否定するわけではない。

仮に忘れてしまっていての、今回のタンノイ劇場なのかもしれない。
だとしても、ステレオサウンド編集部の人たちは、何も思わなかったのか、
何も感じなかったのか、何も思い出さなかったのか。

菅野先生のウェストミンスターホールと傅信幸氏のタンノイ劇場。
何の問題もないとする人がいるのはわかっている。
そんなこと、わざわざ書くことか、と言われるであろうこともわかっている。

それでも、何かひっかかるものを感じている。
私だけなのか。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その8)

その黒田先生が書かれていた表現を、正確に思い出せずにいた。
その黒田先生の表現は、別項「スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ」にも関係してくる。

気合いいれて一冊一冊、一ページ一ページ開いていけば必ず見つかるのだが、
そうそういつも気合いがみなぎっているわけではない。

結局、自分で見つけるしかないわけで、重い腰をあげる。
ステレオサウンド 25号(1972年12月発売)に、それはあった。

音楽欄のところにあった。
グレン・グールドのモーツァルトピアノソナタ集についての文章だった。
     *
 今は、ちがう。誰よりも正しくこの演奏をうけとめているなどとはいわぬが、ぼくは今、この演奏に夢中だ。たとえばイ短調のアレグロは、どうにでもなれとでもいいたげなスピードでひきながら、いいたいことをすべていいつくし、しなければならないことはなにひとつしのこしていない。狂気をよそおった尋常ならざる冷静さというべきか──いや、そのいい方、少し悪意がある、こういいなおそう──狂気と見まごうばかりの尋常ならざる冷静さ、と。
     *
《狂気と見まごうばかりの尋常ならざる冷静さ》
これを思い出そうとしていた。

だからこそ、あの時代の音は、あれほどスリリングだったのか。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その7)

BBCモニターの音が、10代のころ好きだった。
ハタチをすぎても好きだった。
けれど、そのころからBBCモニターはLS5/9以降登場しなくなった。

そこから少し離れてしまって、ずいぶん経った。
いまでもBBCモニターの音を求めているところがあるのを自覚している。

けれど10代のころ、BBCモニターの音だけではなかった。
JBLの4343、さらには4350A、マークレビンソンのLNP2、ML6、ML2、
これらの組合せが聴かせる音も好きな音だった。

以前、別項で少し触れたが、この時代の音は、狂気を感じさせていた、
古くからの友人(私よりも少し年上で10代のころからのオーディオマニア)も、
同じことを感じていた、といっている。

狂気といえば狂気なのだが、
たとえば同時代の録音で思い浮ぶアバドとポリーニのバルトークのピアノ協奏曲。
この演奏がぬるく感じられたら、その再生装置はどこかおかしい、とまで言い切れる。

絶対にぬるい演奏ではないけれど、
聴き手に対してどうだ、といわんばかりの熱演とも感じない。
尋常ならざる演奏である。

だから狂気ということばをつい使いたくなる。
けれど、狂気のひとことだけではないものも感じる。

アバドとポリーニのバルトークだけに、そういうことを感じるのではなく、
1970年代後半、私にとって聴くものすべてが新しかった時代の音も、
狂気のひとことだけでは、決定的になにかが足りないのだ。

4343はスタジオモニターである。
モニタースピーカーとしての性格上、そこには冷静さがある、ともいえる。
BBCモニターの、そういえばモニタースピーカーである。

LNP2が登場したころ、冷たい音という評価もあった、ときいている。

そう狂気と冷静。このふたつで語る必要があるのではないか。
そのことに気づいてから、ステレオサウンドのバックナンバーを開いていた。

黒田先生が、そんなふうなことを書かれていた、という記憶があったからだ。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その14)

モニター器の評価を巡る個人ブロガーとメーカーのあいだでの意見の対立は、
それほど大事にならずに収束したようだが、
場合によってはメーカー側が、もっと強気にでることだって十分考えられる。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(試聴における再現性の重要性)』と同じになるかもしれない。

メーカー側の人たちが、
個人のリスニングルームに来る可能性がまったくない、と言い切れるだろうか。
よほどのことがないかぎり、そんなことはありえないだろう。

それでもモニターしたオーディオマニアの言動が、
モニター機を貸し出したメーカー側からすれば、限度を超えていれば、
そういう可能性だって、これからは出てこよう。

そこで問題になるというか、オーディオマニアに絶対的に求められるのが、
再現性である。
くり返しになるから、簡単に書いておくが、実験の再現性である。

モニター機を聴いたときと同じ状況を再現できなければ、
メーカー側の人たちを納得させられるわけがない。

前回、聴いた時はこんな音ではなかった、
ほんとうにブログに書いた通りの音がしていた、と口で説明したところで、
そこには説得力はまったくない。

そういう評価に至った音をきちんと再現して、メーカー側の人に聴いてもらう。
そんなこと簡単だよ、と思っているような人は、やらないようが賢明だ。

この再現性の難しさをわかっている人ならば、モニター機の評価をやるのもいいだろう。
そして、どの程度の再現性なのか、それがその人のその時点での実力であり、
その実力の範囲内での評価に留めておくべきだ。

モニター機を借りて、試聴してその感想をメーカー側だけに伝えるのと、
インターネットで不特定多数の人に向けて公開するのとでは、
まるで違うということをわかっておく必要がある。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 欲する

iPhoneの十年とJBLの十年(追補)

2016年のJBL創立70周年記念モデルを予想して、かすりもしなかったことを以前書いている。
70周年記念モデルは4312SEだった。

オーディオマニアほど、どうして4312なのか? と思っただろう。
けれど、2000年の終りにステレオサウンド別冊「音の世紀」が出た。
このムックの表四の広告はハーマンインターナショナル、JBLである。

この広告をいま見て気づいたというか、納得したというか、
その広告が暗示していた。

「音の世紀」というタイトルからわかるように、
20世紀のオーディオをふり返る内容のムックに、
ハーマンインターナショナルはJBLの、それも4312の広告を出している。

キャッチコピーは、こうだった。
「21世紀を鳴らすのはこれだ。」

単なる広告ではないか、とも思いながらも、
70周年記念モデルとしての4312SEは、この時すでに決っていたのか、と想像もできる。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(SM−SX300のこと)

オプトニカというブランドが以前あった。
シャープのオーディオ用のブランドだった。
たしか光電型カートリッジから始まったから、このブランド名になった、と聞いている。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半、
オプトニカの製品といえば普及クラスのスピーカーシステムとプリメインアンプくらいだった。
型番もすぐには思い出せないほど、印象は薄い。

オプトニカがのブランドを意識するようになるのは、ガウスを扱いはじめてからだ。
オプトニカ・ガウス、
ガウスのユニットに、オプトニカ製のエンクロージュアの組合せ。
JBLの牙城を崩すにはいたらなかった。

いつしかシャープはオーディオから徹底していた。
けれど1999年、SM-SX100というプリメインアンプで、
今度はシャープ・ブランドで、オーディオに復活した。

SX-SM100のフロントパネルには、「ΔΣ」のロゴがあり、
その下に、1BIT AMPLIFIER SM-SX100とある。

SACDと同じ2.8MHzのスイッチング周波数のDクラスのアンプである。
価格は100万円だった。
オプトニカ時代とは違っている、と感じさせるものがあった。

SM-SX100はスイッチ周波数を5.6MHzにアップしたSM-SX200、
さらに11.2MHzまでアップしたSM-SX300にまで発展した。

SM-SX100には1BITのDSD信号用の端子が用意されていた。
もちろんアナログ入力もあったが、SM-SX100の本領を発揮するのは、
DSD信号を入力しての増幅器、つまりPower DACとして、である。

DSD Power DACとしてみた場合、SM-SX300はいまこそ魅力的に映る。
入力端子にUSBがあれば──、とオーディオマニアなら、思うはずだ。

その後シャープという会社がどうなったのかは、ご存知の通り。
SM-SX300をいまの技術で復活させてくれる可能性は低い、というより、ないに等しい。

それに技術は残されているのか、とも思ってしまう。
残されているのなら、シャープがやる予定がないのなら、
どこかが引き継いでくれないのだろうか。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: スピーカーとのつきあい

ホーン今昔物語(その16)

エレクトロボイスのSentry Vのトゥイーターについて、
岩崎先生が「コンポーネントステレオの世界 ’77」で語られている。
     *
岩崎 そのエレクトロボイスのシステムは、じつはここ何年か、日本では積極的に受け入れられなかったわけで、若干かすんでいたんですが、最近やっと、このセントリーVが入ってきました。これは25センチのバスレフ型の低音と、中高域ユニットにつけられたラジアルホーンをもっています。エレクトロボイスのラジアルホーンというのは、他のメーカーのものとは違っていて、ひじょうに指向特性がいいのです。あまり深いホーンではありませんが、ホーン・ロードがたいへんによくかかっているということで、これはJBLともアルテックともまったく違った新しい理論だと思います。たいへん変った、上下が極端にまるみをもって開いた、あまり大きくないホーンですが、けっこう馬力があって、負荷がひじょうにかかっている感じで鳴ります。
     *
1976年の時点で、定指向性ホーン(Constant-Directivity Horn)という言葉は使われていなかった。
エレクトロボイスの当時の輸入元はテクニカ販売だったが、
Sentry Vの資料に、ホーンについての技術的なことは載っていたんだろうか。

載っていないような気がする。
Sentry Vはステレオサウンド 41号新製品紹介、
44号の特集、スピーカーシステムの総テストでも取り上げられているが、
ホーンについて、その新しさが述べられてはいないからだ。

それでも、Sentry Vのホーンが、新しい理論による設計だと気づく人は必ずいる。
おそらく日本では岩崎先生が、もっとも早く気づかれている。