Archive for category テーマ

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その3)

テレメールについて知りたい方は、
Googleで「テレメール NEC」で検索してみてほしい。
「テレメール」だけで検束すると、違う分野のテレメールが結果として表示される。

金子一夫氏発表の測定方法は、テレメールの端末で、なんらかの図形を描く。
その図形を送信状態にする。図形を読みとって電気信号に変換し、
カッティングする、というものだ。

音楽信号をカッティングするのではなく、図形を電気信号にしたものをカッティングするわけだ。
それをアナログプレーヤーで再生する。
カートリッジがピックアップした信号を、テレメールの端末を受信状態にして、
電気信号から図形へと変換する。

元の図形と再生した図形とが、まったく同じならば、
そのアナログプレーヤーはきわめて優秀な性能をもっていることになる。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、
テスト原図と再生図形例が載っている。

原図は格子状のマス目と、円形とバッテンマークを組み合わせたもので、
これが再生図形では直線が波打ち、円も歪む。
円は三つ描かれているが、歪み方は同じではない。

金子一夫氏によれば、
線のゆらぎ、円の変形でワウ・フラッターの量が比較判別でき、
線の大きな曲りや円の再現位置で、回転数、サーボ周波数のドリフトが判定できる、そうだ。

ターンテーブルは同じままで、トーンアーム、カートリッジを交換した測定の場合、
線や円のゆらぎから、カートリッジ、トーンアームの低域共振の度合も判断できる、とのこと。

つまりターンテーブルはの回転精度だけでなく、
アナログプレーヤー・トータルの測定も可能になるわけだ。

それも数値ではなく、図形という、
いままでの測定方法にはなかった形で提示される。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その2)

ステレオサウンド 48号は1978年の秋号だ。
その二年前に、オーディオピープル(1976年3月号)に、ユニークな測定方法が、
ソニーの金子一夫氏によって発表されている。

そのころはいまよりもオーディオ雑誌がいくつもあった。
サウンドメイトもあったし、オーディオピープルもあった。

オーディオピープルも買っていた。
けれど1976年春は、まだオーディオに関心をもっていなかったころで、
そのオーディオピープルを読んでいるわけではない。

なのに知っているのは、1977年に無線と実験/初歩のラジオ別冊として、
誠文堂新光社から「プレーヤー・システムとその活きた使い方」に載っているからだ。

第10章・最近の新しい測定法として、
パルスを応用した測定、テレメールを応用したワウ・フラッターの測定、
レコードを使わないワウ・フラッターの測定について書かれている。

ソニーの金子一夫氏によって発表された測定法は、
テレメールを応用したワウ・フラッターの測定である。

テレメール? という人が大半だろう。
私も「プレーヤー・システムとその活きた使い方」を読むまでは知らなかった。

テレメールを応用したワウ・フラッターの測定とは、
ワウ・フラッターを数値、グラフで表わすのではなく、図形で表示・判別する。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、
《電話線で結ばれた加入者相互が、ダイヤルで相手を選び出し、通話確認後、図形や文書を電送するシステムの中に、テレメールというのがあります》
となっている。

一種のファクシミリなのだろう。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その1)

テクニクスのSP10Rが登場した。
ダイレクトドライヴの雄であるテクニクスらしい、優秀な回転精度を誇っている。
ワウ・フラッターのカタログ発表値は0.015%以下である。

低い数値である。
ベルトドライヴでは実現困難な数値である。

ダイレクトドライヴのワウ・フラッターは、低い。
ダイレクトドライヴ全盛時代だった40年ほど前は、
カッティングレーサーもダイレクトドライヴ化し、それをう謳っていたレコード会社もあった。

ダイレクトドライヴにはサーボ技術が採り入れられ、
クォーツロックも導入された。
そうやってワウ・フラッターの値は低くなっていったものの、
一部では音が冴えない(悪い)という評価もあった。

ステレオサウンドでの測定では、無負荷状態での速度偏差、
レコードトレーシング字の速度偏差/ダイナミック・ワウを、
グラフで掲載していた。

48号で行われたこれらの測定データを見ると、
テクニクスのSP10MK2は、確かに優秀だった。

カタログ数値では低い値を誇るプレーヤーの中には、
測定グラフをみると、数値では表わせない特徴が、やや悪い意味で現れている機種もあった。

けれど直感的に、回転精度の優秀さが伝わってくるわけではなかった。
メーカーのエンジニアには、これでも十分すぎるデータであっても、
ステレオサウンドの読者にとって、すべての人にとってわかりやすい、とまではいえない。

それは仕方ないことなのか。

Date: 7月 8th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その34)

まだ書くのか、と思われようが、まだまだ書くことはある。
どこまで書くのかははっきりと決めているわけではない。

どのテーマでもそうなのだが、書いているうちに気づくことがある。
書くほどに出てくる。

気づくこと、思い出すことが出てくる。
書く、といっても、昔のように原稿用紙に筆記用具で書いているわけでなく、
キーボードを叩いているだけである。

その指の動きは、目の前の小さな何かを耕しているようにも思えることもある。
耕すことによって、気づくこと、思い出すことを発見しているのかもしれない。

書きは、ときどき誤変換として掻き、と出る。
書くも、掻く、と出る。

掻くには、犁などで田畑をすき返す、という意味もある。
他の意味もある。

長くなる。
書いていると、長くなってしまう。
その6)から、この件について書き始めて、
まだ書き続けている。

そうしながら思い出していた人がいる。
私がステレオサウンドで働くようになったのは、
この人のおかげ、といえるNさんのことを思い出していた。

いまも株式会社ステレオサウンドには、同姓のNさんがいるが違う人だ。
そのNさんよりも若く、私よりも七つ年上のNさんである。

当時、Nさんが二人いたため、若い方のNさんはジュニアと呼ばれていた。
私も、ジュニアさんと呼んでいた。その人のことである。

Date: 7月 8th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(Aleph 3の場合)

7月のaudio wednesdayでは、
別項で書いているようにパワーアンプはPASSのAleph 3。

このアンプを使われている方ならば、
リアパネルを見たことのある人ならば、スピーカーケーブルの接続が、
難しい、やっかいとまではいかないものの、
少し面倒なことは確かなのはわかっているはず。

ヒートシンクで囲まれている筐体のどこに、
入出力端子、電源スイッチ、ACインレットがあるかというと、
ヒートシンクとヒートシンクの、わずかな隙間に垂直方向に配置されている。

この隙間の幅が広ければ何の問題もないのだが、狭い。
しかもスピーカー端子の取り付け方向から、ケーブルは上下から差し込むのではなく、
左右から差し込まなければならない。

スピーカー端子とヒートシンクの間は、それこそほんのわずかであり、
被覆を剥いたスピーカーケーブルの先端は直角に曲げなければ、
スピーカー端子の穴に入れることはできない。

つまり太いスピーカーケーブルは物理的に無理な端子の配置である。
末端処理をYラグでやったとしても、そのYラグを直角に曲げなければならないし、
それでも太いケーブルはかなり難儀するはずだ。

もちろんバナナプラグを使えば、ある程度の太いケーブルまでは楽に接続できる。
でも、私はバナナプラグ、
それも太いケーブルに対応した見た目が立派すぎるバナナプラグを、
決していいとは思っていない。

往々にしてキャラクターの強い音が、それらのバナナプラグを使うと乗ってしまうからだ。
それを、音が鮮明になった、と喜べる人はそれでいいと思う。

とにかく太いスピーカーケーブルだと面倒なことはわかっていたので、
最初から細いスピーカーケーブルを買ってきた。

オーディオテクニカのAT365Sという、細いスピーカーケーブルだ。
ここまで細くなくともいいが、細いケーブルでいいと思う。

Aleph 3の出力は8Ω負荷で30Wである。
このくらいの出力なのだから、このくらいの細さのスピーカーケーブルで十分だよ、
設計者のネルソン・パスがそういいたげなAleph 3の入出力端子の配置である。

Date: 7月 7th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その11)

BeymaSICAからも、
30cm口径のダブルコーンフルレンジユニットは、いまも発売されている。

Beymaはスペイン、SICAはイタリアのメーカーである。
両社から出ていたのは以前から知っていた。
けれど特に関心はなかった。
AXIOM 402を聴く以前だったからだ。

いまは積極的に聴いてみたい、と思っているし、
ヨーロッパのスピーカーユニットのメーカーのラインナップに、
大口径のダブルコーンのフルレンジユニットがいまも残っている理由も掴めた、と思っている。

Beyma、SICAのダブルコーンのフルレンジユニットは、そう高いモノではない。
普及クラスのスピーカーユニットである。
数百万円もするハイエンドオーディオのスピーカーシステムに搭載されるユニットとは、
お世辞にもいえない。

そういう世界とは別のところで、家庭で音楽を聴くことを目的として、
いまも製造されているスピーカーユニットではないのか──、
私はAXIOM 402を聴いて、そう考えるようになった。

多くを求める人には向かない。
多くの情報量を求める人には向かない。

けれど”Less is more”という。
そういう聴き方があることを、AXIOM 402の音は提示している。

Date: 7月 7th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その10)

アンプがなんであれ、シングルボイスコイルのフルレンジユニットのよさ、
ここではロクハン(16cm)以上の口径のフルレンジとしておくが、
中低域の魅力にあると感じている。

あくまでも優れたフルレンジということに限るのだが、
この中低域の良さ、魅力は、口径が16cmから20cm、20cmから30cmと、
口径が大きくなるとともに、豊かになってくるように、
今回AXIOM 402を聴いていて感じていた。

そこに(その5)で書いた量感の豊かさを感じるし、
そこにこそ大口径フルレンジの音の美がある、ともいえる。

量感と書いてしまうと、誤解されてしまうようなところがある。
クラシック音楽を長く聴いてきた聴き手と、
そうでない聴き手とでは、この量感に対するイメージは、そうとうに違っているように感じる。

量より質。
そんなことがいわれる。

オーディオの世界では、昔から音量で音質をごまかしている、
そんなこともいわれている。

そんなことが関係してなのか、量感という言葉に対して、
いい印象を抱いていない人が少なからずいる。

けれど量感も音を表現する言葉であり、
音の美に関係してくる音の要素である。

なのに、いつのころからか忘れられつつある。
特に、今回のように中低域の豊かな量感ともいおうものなら、
私が、そこでイメージしている音と、まるで真逆の音をイメージする人がいるのは、
昔から知っているし、いまもけっこういるようだ。

そういう人が、AXIOM 402の音を聴いたら、ひどい評価を下すだろう。
そこまででなくとも、ゆるい音とか、いうかもしれない。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その9)

グッドマンのAXIOM 402を鳴らすパワーアンプとして、
まっさきに考えたのがPASSのAleph 3だった。

audio wednesdayの常連のKさんのラインナップに、このアンプがあるのは知っていた。
他にもいくつかのアンプがあるのは知っていたけれど、
ここではAleph 3以外の選択肢は、私の頭のなかにはなかった。

Alephシリーズのパワーアンプは、
設計者のネルソン・パス独自の考えによる回路だということは知られている。

ここで、そのことを詳しく説明するつもりはない。
それに、その理論がほんとうなのかどうかも、なかなか判断しにくい。
それでも信念をもって設計されたアンプである。

通常のプッシュプル回路が上下対称なのに、
Alephシリーズの回路は上下非対称で、
プラス方向の出力がマイナス側よりもわずかに高い、という。

そのことがどう音に影響するのか、正確にわかるものではない。
ただコーン型スピーカーを真横からみればわかるように、前後対称に、
均等の力がかかっている(必要)とは考えにくい。

特にダブルコーンは、シングルコーンのユニットよりも、
振動板が前に動くときと後に動くときのエネルギーの差は大きいのではないか。

ならばダブルコーンのフルレンジに、Alephのような出力傾向をもつアンプは、
理屈としても合うのではないか──、
実をいうと、最初はそんなことまったく考えてなかった。
すべて後付けである。

ただなんとなくAleph 3がよさそうだ、と思っただけであり、
結果としてうまくいったから、そんなことを考えて書いたみた。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その6)

その5)の日付は、2014年7月。四年も開けてしまった。

その四年のあいだに、セブン・イレブンのコーヒーマシンも、
最初から日本語表記が加わるようになった。
それでも店舗によってはシールが貼られていたりする。

四年前と比べれば、シールの数、大きさも減って小さくなっているけれど、
それでもゼロになっているわけではない。

昨年からだったか、セブン・イレブンではカフェラテもラインナップに加わる。
それにともない、これまでのコーヒーマシンの幅をかなり広くして、
カフェラテにも対応できるマシンが設置されている。

このマシンの扱いが、また面白いというかおかしなことになっている。
そのまま設置してある店舗もある。
けれど、このマシンは、紙コップを置くところが二つある。

これまでのコーヒー用とカフェラテ用である。
注ぎ口を共通にしなかったのは、味とアレルギーにこだわってことだろう。

そういう造りだから、
二杯(コーヒーとカフェラテを一杯ずつ)同時に淹れることもできる。
けれど、実際にはどちらか一杯ずつである。

さほど大きくない店舗で、コーヒーマシンが一台のみだったら、まだいい。
客が多く訪れドリップコーヒーの売行きが多いところでは、複数台設置してある。

そんな店舗の中には、カフェラテ/コーヒーマシンに、べったりと貼紙がしてある。
いくつかの店舗でそうだった。

カフェラテ/コーヒーマシンなのに、カフェラテ専用マシンにしている。
貼紙にもそう書いてある。
コーヒーを淹れたい人は、これまでのコーヒーマシンでどうぞ、ということだ。

注意書きの貼紙だけでなく、
コーヒーを淹れるためのボタンの上にも貼紙がしてあり、
紙コップを置くところのアクリルのカバーにも、べったり貼紙がしてある。

ほぼ二台分の横幅をもつカフェラテ/コーヒーマシンなのに、
こういう扱いになっている。
ならば最初からカフェラテ専用マシンで、横幅を従来のコーヒーマシンと同じにした方が、
占有面積も減って、もう一台設置できそうである。

そんな扱われ方をしているのを実際に見てしまうと、
有名デザイナーによるデザインに、セブン・イレブンの人たちは、
何も疑問を感じなかったのか、と思う。

セブン・イレブンのドリップコーヒーは、売行きをみても成功している。
けれど、そのマシンに関してはそうはいえない。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その8)

なぜヨーロッパのフルレンジユニットは、こんなにも大口径なのか。
この疑問に拍車をかけた(といっては少し大袈裟なのだが)、
グッドマン、フィリップス、リチャードアレンの当時のウーファーの口径である。

グッドマンのAUDUIM 200は25cm口径、
フィリップスのAD8060/W8は20cm口径、
リチャードアレンだけが、25cm、30cm、38cm口径があった。

これはあくまでも当時日本に輸入されていたユニットということであって、
もしかすると輸入されていなかったウーファーがあったのかもしれないし、
それらには大口径のユニットもあったかもしれない。

そのころステレオサウンドが出していたHI-FI STEREO GUIDEが、当時の情報源だった。
ここにあげたユニットは、HI-FI STEREO GUIDE掲載のものである。

ウーファーよりもフルレンジユニットのほうが大きい。
その理由もよくわからなかった。

聴く機会がなかったことに、こういうことも加わって、
なんとなく大口径のシングルボイスコイルのフルレンジへの関心は、遠のいていった。

今回、喫茶茶会記にAXIOM 402が来なかったなら、
このままずっとそうだったであろう。
今回聴けたことは、私にとって小さくない収穫があった。

アンプに、あえて真空管を選ばなかったのも功を奏したかもしれない。
たとえばラックスのSQ38FD/IIが用意できたとして、
そこでの音にどう反応しただろうか。

音は確かに鳴らしてみないとわからない。
今回の30cmという口径の大きさに、少々のバイアスがかかっていた。
それでも鳴ってきた音を聴いて、それはなくなった。

そういうことがあるのはわかっていても、
今回のアンプの選択は、われながらよかった、と自画自賛している。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その7)

フルレンジユニットというのは、バランスである。
一発のユニットで、低音域も高音域も十全にカバーすることはまず無理である。

低音を出そうとして口径を大きくすれば、高域に無理を生じるし、
反対に口径を小さくしていけば、低域に無理が生じる。

ほどほどよい口径(バランス)というのは、
いわゆるロクハン(6インチ半、16cm口径)か20cm口径ということになる。

そういう感覚が当時は強かったから、
30cm口径のフルレンジ、たとえそれがダブルコーンであっても、
ヨーロッパのスピーカーらしい高域の繊細さは、なんだか望めないのではないか、
そんな気がしていた。

あのころ、これらのフルレンジユニットを聴く機会はまったくなかった。
実際に聴く機会があれば、その印象は変ってきただろうが、
ダイヤトーンのP610、フォステクスのFE103は聴く機会はあったのに対し、
ヨーロッパのフルレンジユニットは、実物を見る機会すらなかった。

その1)にfacebookにコメントがあった。
その方が中高時代に通っていた学校の音楽室には、
グッドマンのAXIOM 301をおさめたスピーカーシステムがあった、とのこと。

AXIOM 301も、30cm口径のダブルコーンのフルレンジユニットである。
なんともうらやましくなる音楽室があったんだな、と思う。

AXIOM 301でクラシック音楽を、中高時代に触れた世代と、
たとえば、1980年代の598のスピーカーが据えつけられていた学校もあったであろう、
そういう音楽室でクラシック音楽にふれた世代とでは、
音楽に対する感性、音に関する感性、響きに関する感性、そして量感に関する感性、
そういったところにずいぶんな違いが生じるのではないのか。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その6)

オーディオに興味を持ち始めたころ(1976年)、
市販されているフルレンジユニットの口径に関して、
なぜ30cmクラスの、フルレンジとしては大口径といえるユニットが、
ヨーロッパに多いのか──、その理由がいまひとつわからなかった。

国産のフルレンジユニット(ここではシングルボイスコイルのユニットを指す)、
アイデン、アシダボックス、コーラル、ダイヤトーン、フォステクス、オンキョー、
パイオニア、テクニクスなどから出ていたが、
最大口径はコーラルのBETA10とフォステクスのFP253、どちらも25cm口径である。

30cm口径の、シングルボイスコイルのフルレンジユニットはなかった。

ヨーロッパではグッドマン、フィリップス、リチャードアレンから、
30cm口径のフルレンジユニットが出ていた。

たった三ブランド?
少ないじゃないか、と思われるかもしれないが、
当時輸入されていたヨーロッパのフルレンジユニットのブランドは、
他にはセレッション、イソフォン、ジョーダンワッツ、ラウザー(ローサー)、
シーメンス、タンノイであり、
このうちセレッションは楽器用であり、
イソフォン、シーメンス、タンノイは同軸型2ウェイ。

シングルボイスコイルのフルレンジユニットを出していた五社中三社が、
30cm口径ユニットを出していた。
いずれもダブルコーンである。

このころの私にとって、ヨーロッパのスピーカーの音というのは、
BBCモニター系列のスピーカーの音によってつくられていた。
ゆえに、ヨーロッパの音イコール繊細な音、
そう思っていた私にとって、30cm口径のダブルコーンのフルレンジユニットは、
そのイメージから逸脱していたように感じていた。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その5)

カンターテ・ドミノに関しては、ステレオサウンドにいたころから、
かなりの回数聴いている。

その後も、いろいろな機会に、いろいろな場所で聴いている。
これまでに何回聴いただろうか。

ステレオサウンドにいたときに、同じくらい聴いたのが、
インバルのマーラーの交響曲の四番と五番だった。
でもインバルのマーラーは、その後、聴く機会はまったくなかった。

カンターテ・ドミノはSACDも、CDも、アナログディスクでも聴いている。
これからも聴く機会はあるであろう。

それだけ聴いているのだから、
聴き馴染んだディスクを聴いたあとにカンターテ・ドミノをかければ、
どういう鳴り方をしてくれるのか、ある程度の予測はできる。

なのに今回は、その予測が、いい方向に外れてしまった。
こんなによく鳴るの? と思うほど、いい雰囲気で鳴ってくれた。
SACDでの再生である。

カンターテ・ドミノのディスクにおさめられている情報すべてが音になっている──、
そんな印象ではないものの、必要にして充分の情報が提示されている。

十分ではないのか、といわれそうだが、7月4日に鳴ったカンターテ・ドミノの音は、
充分の方を使いたくなる、そういう鳴り方だった。

いろいろなディスクを聴いて感じる良さは、量感の豊かさにある。
こう書くと、誤解する人がけっこういると思うけれど、
そう表現するしかないよさがある。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その18)

10日ほど前、「黒田恭一氏のこと(「黒恭の感動道場」より)」を書いた。

最後、こう書かれている。
     *
自己の全人格を賭けてなどと、大袈裟なことをいうつもりはないが、少なくとも、これはと思った情報を伝える時には親しい友だちに伝えるときの真剣さを忘れべきではないと思う。
     *
いまから11年前に書かれている。
iPhone登場前であり、
SNSもmixiがあったくらいである。

黒田先生は、この文章を書かれた後の世の中の変化を、もうご存知ない。
いまなら、なんと書かれるだろうか、とおもうことがある。

《親しい友だちに伝えるときの真剣さ》とある。
けれど、いまはどうだろうか。

iPhoneに代表されるスマートフォンが、一人一台といえるくらいに普及していると、
そのディスプレイに表示されている情報を、
それこそコピペ(こうした略語は極力使わないようにしているが、ここではコピペがふさわしい)して、
親しい友だちに送信する。

手軽である。それだけにスピーディでもある。
わざわざ会って話して伝えるのにくらべて、ずっと楽である。

でも、そこで口コミは、もう口コミではなくなっていることが多いのではないか。
真剣さは、ここでも稀薄になりつつある。