Archive for category 「オーディオ」考

Date: 10月 26th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

オーディオがオーディオでなくなるとき(その6)

SACDは、Super Audio Compact Discの略称であるのは、いうまでもない。
なぜSuperとCompactのあいだにAudioを加えたのだろうか。

Super Compact Discでもよかったはずだ。
そうすれば略称はSCDとなる。

SACDは名称は、ソニーが決めたのだろうか。
ソニーとフィリップスが話し合って決めたことなのか。

SACDが登場した頃は思いもしなかったが、
いまはAudioが入っていてよかった、と思う。

Date: 10月 19th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その3)

「五味オーディオ教室」がオーディオのスタートだった私にとって、
「五味オーディオ教室」は、五味先生の耳の記憶が綴られていた、とつくづくおもうとともに、
それ以外のスタートでなくてよかった、ともつくづくおもう。

「五味オーディオ教室」をくり返しくり返し読んできたのは、
「五味オーディオ教室」という五味先生の耳の記憶を継承しようとしていた──、
ここにきて、やっとそういえる。

Date: 10月 17th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その2)

自分の耳に自信があれば、人の意見、
特にオーディオ評論など必要ではない──、という意見が以前からある。

耳の記憶の集積こそが、オーディオである、と考える私にとって、
真にオーディオ評論といえるものを読むことは、耳の記憶の集積につながる行為である。

Date: 10月 15th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その1)

耳の記憶の集積こそが、オーディオである、といまいおう。

Date: 10月 12th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(その9)

トロフィーワイフという言葉を、数ヵ月前に知った。
数年前からあったらしい。

トロフィーワイフ。
すぐには意味がわからなかった。
そこにはトロフィーワイフについての説明もあった。

すごい世の中になっているのだ、と思ってしまった。
これが資本主義というものなのか、とも思ってしまう。

トロフィーワイフ。
ならばトロフィースピーカー、トロフィーアンプ……、
といったモノも存在しても不思議ではない。

いまオソロシイ価格のオーディオ機器が存在している。
そういったモノは、トロフィースピーカーであったり、トロフィーアンプであったりするのか。

確かにそういう買い方をする人たちがいる、という話は、
十数年前ぐらいから、ぽちぽちあった。

ずっとオーディオをやってきた人たちが買うわけではない、と聞いている。
ポンと即金で、システム一式(そうとうな価格である)を買っていく人たちが、
日本にもいる(いても不思議ではない)。

トロフィーオーディオ。
豊かさの象徴といえるのか。

Date: 10月 8th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの罠

約7700本ほど書いているなかで、
「オーディオの罠」と書いたのは三本。
2009年12月、2010年3月、2011年8月に書いている。

ここに来て、結局、オーディオの罠は存在しない、と思うように変った。
オーディオの罠と思ってしまうだけで、
それは自分自身の未熟さゆえに、そう思ってしまうだけであろう,と。

また数年したら、やっぱりオーディオの罠はある、と言い出すかもしれない。

Date: 8月 13th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

コンポーネントの経済考(その1)

瀬川先生の「コンポーネントステレオのすすめ」には、
「コンポーネントステレオの経済学」という文章がある。

そこには「標準的な価格をしらべる」という見出しがあり、
ブックシェルフ型に限定したスピーカーシステムの標準的な価格、
フロアー型まで含めた標準的な価格、プリメインアンプ、チューナー、レコードプレーヤー、
セパレートアンプについての標準的な価格が挙げられている。

この標準的な価格とは、
たとえばスピーカーなら市場にある最低価格と最高価格の籍の平方根(√)である。

これを、瀬川先生は瀬川平方根理論といわれていた。
もっとも瀬川先生自身、《多分に遊びと冗談がまじっている》と書かれているが、
《意外にこれが役に立つ》ともいわれている。

この瀬川平方根理論は、
熊本のオーディオ店の招きが定期的に来られていた時にも話されていた。
そしてそれぞれのジャンルの標準的な価格あたりが、製品が揃っている価格帯でもある、と。

当時(1970年代後半からの数年)は、瀬川平方根理論は当てはまっていた、といえる。
でも、いまはどうだろうか。
価格差のダイナミックレンジは、当時よりもいまのほうが大きくなっている。

この価格で、よく作れるな、とへんな感心のしかたができる低価格帯のモノが増えている。
一方で、一千万円を超えるモノも珍しくなくなってきている。

それに当時は各価格帯に製品がうまいこと揃っていた、ともいえる。
でも、いまはどうだろうか。
歯抜けのような印象を受ける。

それがいいとか悪いとかではなく、価格というレンジにおける製品の分布のありように、
小さからぬ変化が見られる、ということだ。

Date: 8月 11th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(音楽に在る死)

《神をもたぬものに、死が問われるわけがない。その音楽には〝死〟がない》

その音楽には〝死〟がない──、
ということは、その音楽には〝美〟がない、ということだ、と、
いま改めて「音楽に在る死」を読み終って、そうおもう。

美という漢字は、羊+大である。
形のよい大きな羊を表している、といわれても、
最初は、なかなか実感はわかなかった。
まず、なぜ羊なのか、と多くの人が思うだろう、私も思った。

大きな羊は、人間が食べるものとしてではなく、
神に捧げられる生贄を意味している──。

神饌としての無欠の状態を「美」としている、ときけば、
美という字が羊+大であることへの疑問は消えていく。

以前書いたことを、またくり返し書いている。
くり返し書くことで思い出すこともある。

バブル期に多くの企業が美術品を世界中から買いあさっていた、と報じられていたことをおもいだす。

Date: 8月 11th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(Jörg Demus)

五味先生のコレクションをみていて、
イェルク・デムス(Jörg Demus)のレコードの意外と多いことが、
「音楽に在る死」の最後に書かれていたことと結びつく。
     *
 神をもたぬものに、死が問われるわけがない。その音楽には〝死〟がない。シューマンは畢にそれだけの作曲家だ、と私は思っている。もちろんシューマンの育った十九世紀前半の世相——全体としてはロマン主義の時代に属するが、民主思想と自由主義の擡頭にともない、すべての階層が歴史の担当者として登場し、自己の権利を主張できた。又、イギリスに始まった産業革命は、当然、それまでの経済態勢をくつがえすと同時に、産業革命の基底にある自然科学の発達と、唯物的傾向、実証主義思想ともいうべきものをいちじるしく伸張させた。
 神はいなくて当然であり、そういう時代背景を抜きにしてシューマンの音楽は語れないと、諸井三郎氏などは指摘されるが、まったくその通りだろう。それは分る。だが、時代背景なんぞでぼくらは音楽を聴くのではない、少なくとも私は御免だ。私が聴きたいのはいい音楽である。そしていい音楽とは、倫理を貫いて来るものだ、こちらの胸まで。シューマンにはそれがない、死がない。それがデムスの弾いたシューマンであっても、だ。
     *
私はこれまでデムスの熱心な聴き手ではなかった、というより、あまり聴いてこなかった。
これから集中して聴いていこう、遅くはないとおもう。

Date: 8月 7th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その11)

五味先生のレコードコレクションの詳細を知りたい、と思っていた。
「五味オーディオ教室」を読んだ時から思い続けてきた。

「五味オーディオ教室」、「西方の音」、「天の聲」、「オーディオ巡礼」、「いい音いい音楽」、
これらの本に出てくるレコードのことを一覧表にしたこともある。

それをやっても全貌が見えたわけではなかった。

五味先生のコレクション、
オーディオ、レコードだけでなく、その他のコレクションも、
練馬区で保管されている。

練馬区石神井公園 ふるさと文化館のウェブサイトで、
五味先生のコレクションが公開されている。
けれどここには、レコードコレクションの詳細はない。

ないものだと思っていた。
昨夜、友人のKさんが教えてくれた。
五味先生のレコードコレクションの詳細をPDFにしたものが公開されている、と。
Kさんはオレフスキー(ヴァイオリニスト)について調べていたら、見つけた、とのことだった。

このPDFには、別のページからリンクされている。
五味康祐資料展示室等 情報というページがあり、
ここの下のほうに、交響曲管弦楽曲協奏曲室内楽器楽曲オペラ声楽
音楽史現代曲追加分と十のPDFへリンクがはられている。

表にまとめられている。
演奏者の表記など、統一されていないところもある。
もうすこし作りようがあった、と思うが、だからといって不満があるわけではない。
よくぞ公開してくれた、と喜んでいる。
上に書いたことはささいなことである。

五味先生のレコードコレクションをみていくと、気づくことがいくつもあるが、
それについて書くことはしない。
それぞれが気づけばいいことだからだ。

Date: 7月 28th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その10)

S氏(新潮社の齋藤十一氏)のやり方を、五味先生は模倣されている。
けれどS氏のように放逐されたわけではないことは、「五味オーディオ教室」を読んでわかる。
     *
 レコードは、聴くこちらのコンディションでよし悪しが左右されることがある。私など、S氏のこの方法を模倣して排除した分も、そのまま残しておき、後日、聴きなおした。結局そうして未練ののこった盤はまたのこしておいた。二年ほど経って、あらためてこの方法で聴いてゆくと、やっぱり前に追放しようとした分は保存に値しないのを思い知るのがほとんどだったから、演奏への鑑賞能力、また曲への好みといったものは、聴くこちらのコンディションでそう左右されはしないこと、いいものは結局いつ聴いてもいいのをあらためて痛感したしだいだが、いずれにせよ、こうしてS氏は厳選のすえ残ったものを愛聴されている。その数はおどろくほど少ないのである。
     *
結局、五味先生は放逐されたのだろうか。
二年ほど経って、あたらめてこの方法で聴いてゆくと──、とある。
少なくとも二年間程度は手元に残されていた。

二年後に聴いても《前に追放しようとした分は保存に値にしないのを思い知ることがほとんどだった》、
ということはそのときに放逐されたのだろうか。
それとも聴かずとも、手元に残されたのだろうか。

「五味オーディオ教室」には、
《S氏に比べれば、私などまだ怠け者で聴き込みが足りない。それでも九十曲に減ったのだ》
ともある。

この九十曲以外の盤を、どうされたのかはわからない。
放逐されていたとしよう。
それでも二年間手元に置いていた点が、S氏のやり方の模倣とはいえ、違う。

この違い、いわば未練は、どこから来るのか、といえば、
デッカ・デコラとタンノイ・オートグラフから来るもの、とおもう。

音の違いというよりも、かたちの違いから来るものだろう。
もっといえばレコード収納スペースをもつデコラと、
もともとそういうスペースはない、オートグラフを中心とした五味先生のシステム。

そこだと思うのだけれど、
やはりデコラの音も深く関係してのことだとおもうのは、
五味先生はテレフンケンのS8を所有されていたからだ。

Date: 7月 27th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その9)

デッカ・デコラにはレコードの収納スペースがある。
どれだけの横幅なのか、計ったことはないし、
ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurの写真には、寸法までは記載されていない。

百枚くらいだろうか、デコラのレコードの収納スペースにおさまるのは。
このスペースと、この枚数をどう受け取るか。

デコラが登場したころのLPは高価だった。
いまのように何千枚も一枚枚をこえるようなコレクションの人は、
まずいなかった(はずだ)。

デコラもひじょうに高価だった。
デッカ・スペシャル・プロダクト部門というのが当時あって、
作られたのは百台だけ、とのこと。

当時デコラを購入できた人は、裕福な人であろう。
それでもデコラのレコードの収納スペースは、百枚くらいのLPしか入らない。

そこにこだわることはナンセンスかもしれない。
デコラのサイズが決っていて、
両側にスピーカーを、中央上部にレコードプレーヤー……、
そんなふうに配置していって、あまったスペースがレコード収納に割り当てられただけ、
そう考えるのは自然だろう。

百枚ほどの収納スペースがあることに、なんらかの意味を見いだそうとするのは、
こじつけ、それとも頭のおかしい人間の考えることかもしれない。
そんなことは他人からいわれなくともわかっている。
それでも百という数字が、デコラについてくる。

その1)で五味先生の文章を引用している。
そこに登場するS氏のレコードの選別のやり方。
そうやんて残しているのは《驚くほど枚数は少なかった。百曲に満たなかった》とある。

クラシックだから百曲に満たなくとも、枚数としては百枚くらいになる。
デコラにうまくおさまる枚数が残っている、
デコラにうまくおさまる枚数を残されている、
──どうしてもそうおもえるのだ。

勝手な想像でしかないのはわかっている、
それでもS氏はデコラでなかったら、残されるレコードの枚数は変ってきたかもしれない。
それ以前に、そういうやり方をされなかったかもしれない。

私は、きっとされなかった、と信じている。
デコラだから、されたのだ、と信じている。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

JBL 537-500は理外の理なのか

別項「ホーン今昔物語」を書こうと思ったのは、
JBLの蜂の巣ホーン537-500(後のHL88)について考えていたからである。

537-500について考えていたのは、オーディオにおける理外の理について考えていたからだ。

537-500、それにLE175DLHは、
ホーンの開口部にパーフォレイテッドプレート型音響レンズがついている。
537-500の音響レンズは、たしか14枚のドーナツ状のパンチングメタルからなる。

いくら小さな穴がびっしりとあるといっても、
これだけのものがホーンの開口部を、いわばふさいでいる、ともいえるシロモノだ。

現在のJBLならば、
この種のホーンは、理論から外れているといって絶対につくらないであろう。
でも、このホーンをJBLはウェストレックスに納入していた。
ウェストレックスのT550Aという型番のホーンが、そうである。

私は537-500の実測データをみたことはないが、
このホーンを使ったことのある友人のKさんによれば、
5kHz以上はダラ下りの特性になっているそうだ。

そうだろうな、と思う。
それが道理というものだろう。

それでも、このホーンの魅力にとりつかれた人がいるのもまた事実である。
菅野先生が、そのひとりである。

私は、まだこのホーンを自分で鳴らしたことはない。
LE175DLHは、いま鳴らしている。

その開口部を長めながら、理外の理について考えている。

Date: 3月 18th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(その8)

40年以上前の富士フイルムの広告。
モノクロであり、洗練されているとはいえなかったが、
いま改めてみると、考えさせられるヒントとなることがあったりする。

ステレオサウンド 16号の富士フイルムの広告もそうだ。
モノクロ見開き二ページ。

左上に、
オーディオ評論家リスニングルーム深訪シリーズ(2)
瀬川冬樹氏
とある。

右側には、広告のコピーがある。
     *
音楽とは、ずっと
蓄音機時代から……。
うーん……〈太公トリオ〉が
ぼくの初恋。
あまりの感激に
床にしゃがみこんじゃったな。
衝撃的なフィーリング
だったんですよ……。
     *
瀬川先生(というよりも大村少年)の音楽の初恋は、
ベートーヴェンの大公トリオなのは、すこし意外な気がした。

大公トリオについては「虚構世界の狩人」でもふれられている。
     *
 オーディオとは、しかしいったい何なのだろう。音を良くする努力は、自分の音楽体験に何をもたらしたのだろうと、ときどき考え込むことがある。ずっと以前、いまからみればよほど貧弱な装置で、モノーラルをこつこつと集め、聴いていたころからくらべて、自分の中の「音楽」は果して豊かになっているのだろうか。むかしの方が、よほど音楽は自分にとって身近にあり、もっと切実だったように思われる。むかし小さなラジオで聴いたカザルス・トリオの「大公」や、ヤマハのコンサートで聴いたフルトヴェングラーの「エロイカ」や、M氏のお宅で聴いたカペエの「131」や、そしてブリヂストンの土曜コンサートで聴いた——こればかりは演奏者をどうしても思い出せないシベリウスのヴァイオリン協奏曲の、めくるめくような衝撃が、どこへ逃げて行ってしまったのか——。自分自身の環境や感受性の違いなのかあるいは年齢がそうさせるのか。もしかしたら装置そのもののせいなのか——。
     *
ここにも《果して豊かになっているのだろうか》とある。

Date: 3月 13th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(贅沢な環境)

三日前の「会って話すと云うこと(その12)」で書いた
「若い才能は育ってきているけれど、贅沢な環境は失われつつある」。

昨晩「瀬川冬樹という変奏曲(その6)を書いていて、気づいたことがある。
瀬川先生はマランツのModel 7を買ったときのことを書かれている。
JBLのSA600を輸入元の山水電気から借りて、初めてその音を聴かれたことを書かれている。
JBLの175DLH、375と蜂の巣ホーンのことを書かれている。

そこには瀬川先生の驚きがある。
     *
 何度も書いたように、アンプの回路設計はふつうにできた。デザインや仕上げにも人一倍うるさいことを自認していた。そういう面から選択を重ねて、最後に、マランツの回路にも仕上げにも、まあ一応の納得をして購入した。さんざん自作をくりかえしてきて、およそ考えうるかぎりパーツにぜいたくし、製作や調整に手を尽くしたプリアンプの鳴らす音というものは、ほとんどわかっていたつもりであった。
 マランツ7が最初に鳴らした音質は、そういうわたくしの予想を大幅に上廻る、というよりそれまで全く知らなかったアンプの世界のもうひとつ別の次元の音を、聴かせ、わたくしは一瞬、気が遠くなるほどの驚きを味わった。いったい、いままでの十何年間、心血そそいで作り、改造してきた俺のプリアンプは、一体何だったのだろう。いや、わたくしのプリアンプばかりではない。自作のプリアンプを、先輩や友人たちの作ったアンプと鳴きくらべもしてみて、まあまあの水準だと思ってきた。だがマランツ7の音は、その過去のあらゆる体験から想像もつかないように、緻密で、音の輪郭がしっかりしていると同時にその音の中味には十二分にコクがあった。何という上質の、何というバランスのよい音質だったか。だとすると、わたくしひとりではない、いままで我々日本のアマチュアたちが、何の疑いもなく自信を持って製作し、聴いてきたアンプというのは、あれは一体、何だったのか……。日本のアマチュアの中でも、おそらく最高水準の人たち、そのままメーカーのチーフクラスで通る人たちの作ったアンプが、そう思わせたということは、結局のところ、我々全体が井の中の蛙だったということなのか──。
(ステレオサウンド 52号より)
     *
ここには、きっと驚きだけでなく悔しいという感情もあったのではないだろうか。
井の中の蛙だったということなのか──、と書かれている。

当時の、どんな日本のアンプもModel 7には遠く及ばなかったのだから。
そこに悔しいという感情がないはずがない。

そして悔しいというおもいが、
その後の、いま私が贅沢な環境だったと感じている時代につながっていっているはずだ。