Archive for category 提言

Date: 1月 29th, 2015
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その10)

水俣病は熊本県水俣市で発生した公害病である。
私も熊本生れである。
水俣市と私記故郷である山鹿市は同じ熊本でも南と北でかなりの距離がある。
山鹿市は海に面していない。

それでも私が小学校のころ、テレビではひんぱんに水俣病のことがとりあげられていた。
小学生であった私には、身近な恐怖にも感じられた。

1971年にはゴジラ対ヘドラという映画が公開された。
公害が問題になっていた時代だった。

大都会から離れている田舎町では公害なんて……、と思えないことを、
水俣病はわからせてくれていた。

水俣の問題は熊本で生れ育ち、
あの時代、頻繁に報道される水俣病のことを見聞きしてきた者には忘れるわけにはいかない。

それでも熊本から離れ東京で暮すようになると、
時代もずいぶん経ったこともあり、それにテレビのない生活をおくってきたことも重なって、
水俣病・水俣に関することを目にすることが極端に減っていた。

そこにNHKのニュース番組での、坂本しのぶさんであった。

六床部屋のベッドの上で、イヤフォンをつけてテレビを見ていた。
消灯時間は夜九時。いわば黙認のかたちで、みな十時くらいまではカーテンを閉めテレビを見ていた。
私もそのひとりだった。

涙はこんなに出てくるものなのか、と思うほどだった。
個室だったら声を出していたであろう。

偽善者にもなれない私はテレビを見つめるだけである。
私には何もできない。涙を流すことだけである。

けれど、オーディオは何かができるのではないか、
オーディオにできることはあるはずだと思っていた。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その9)

夜九時からのNHKのニュース番組だった。
番組の冒頭ではなく、その日のニュースあとに、特集としての映像だった。

どのくらいの長さだったのだろうか。
長いようで短かったのかもしれない。
20分はなかったのではないか、もしかすると10分くらいの映像だったのかもしれない。

長さを憶えていないのは、長さはここではどうでもいいことでしかなかったからだ。

映像が終り、画面はスタジオに切り替る。
ニュースキャスターが、涙をこらえているのがわかる。

彼も、映像が放送されていた時、涙を流していたのだろう、と思っていた。
彼はプロである。
だから映像が終って、自分にカメラが向けられれば、涙を視聴者にみせるわけにはいかない。

胸を打つ映像だった──、とはいいたくない。
映像は、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんだった。

Date: 1月 26th, 2015
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その8)

このブログが書き始めたのは2008年9月。
六年半ほど前。私は45だった。

いま、このタイトルのブログを読みなおしていて、
六年半前のことなのに、「青かったなぁ……」と思ってしまった。

タイトルもそうだし、カテゴリー分けにしてもそうだ。
ひとつ前の(その7)を書いたのが、2008年11月。
そのころは、このタイトルでいこう、と思っていた。

いま「青かったなぁ……」と思い、タイトルもカテゴリー変えようかとも考えた。
でも、変えずにこのまま書いていこうと思う。

(その7)で、交通事故にあわれたオーディオファイルの方のことを書いている。
私が、ここで書きたいのは、オーディオの効能性である。
なぜ効能性なのかについては、(その2)でふれている。

菅野先生のベストオーディオファイルには多くの人が登場された。
私にとっても、もっとも印象深かったのは、交通事故にあわれた人だった。

このとき菅野先生と、このオーディオファイルの方が話されているカセットテープを聞きながら、
ワープロで文字入力していた。まとめも私がやっている。

テープに録音された会話をきいていた。
そのころから、オーディオの効能性を考えはじめていたのかもしれない。
この数年後、私は左膝を骨折して入院した。手術を受けた。
そのときのプレートを抜くために八ヵ月後にまた入院した。

このときNHKのニュース番組をみていた。
このNHKのニュースを見るための骨折・入院・手術だったのかもしれない──、
真面目にそう感じていた。

テレビには、水俣病の女性が映し出されていた。

Date: 11月 14th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その7)

ステレオサウンドで連載されている菅野先生の「レコード演奏家訪問」、
この企画の前身にあたる「ベストオーディオファイル」の対談のまとめを担当していたときがある。
どの号に載っているのかは忘れてしまったが、交通事故に遭われた方との菅野先生の対談は、
いまオーディオの効能性を考えるにあたって、私の中では継がっている。

その方はひどい交通事故に遭われて、医者からも「そんなに長くない」と言われ、
実際、後遺症がひどくて、風で髪の毛がなびいただけでも、全身に強い痛みが走り、
ものすごい強い痛み止めの薬を(医者からは一日の量が決められていたにもかかわらず)、
家中、それこそトイレの中にまで痛み止めの薬を置いて、
制限量などまったく無視して服用しなければ、がまんできないほどの痛みに悩まされていた。

そういう日々をおくっていたら、ある日、
ある医者に「最近はCDという便利なものが出ていて、比較的簡単にいい音がきけるから」と
オーディオをすすめられて、毎日毎日モーツァルトのオペラを中心に、
CDプレーヤーのリピート機能を使って、一日中聴く生活をはじめられた。

モーツァルトを聴き続けているうちに、知らず知らずのうちに薬を飲む量が減ってきて、
菅野先生が訪問されたときには、ほとんど服用しなくてもいいくらいに回復されていた。

ステレオサウンドの80号前後に載っているはず。
手元にその号をお持ちなら、ぜひ読みなおしていただきたい。

オーディオの持つ効能性だと、私は思っている。

Date: 11月 14th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その6)

2000年ごろの資生堂発行の「花椿」に、
資生堂の研究所が、肌に心地よい刺戟を与えると、免疫力が活発になることを発見した、
という短い記事が載っていたのをしっかりと憶えている。

肌に心地よい刺戟……。
いろいろあると思う。
肌の触れ合いやマッサージもそうだろうし、それこそ男女の営みもそう。
もちろん、いい音楽をいい音で聴くという行為(ヘッドフォンではなく、スピーカーで)も、
肌への心地よい刺戟となっているはずだ。

菅野先生が、ジャーマン・フィジックスのトロヴァドールを導入されたときの音、
何度も菅野先生の音を聴かせてもらっているが、それまでの音といちばん異っていたのは、
皮膚感覚に訴えてかけてくる感触だった。音を浴びているといってもいいかもしれない。

その日は、5月にしてはかなり暑い日で、たまたま半袖姿だったので、
肌が露出している両腕、顔が受けている刺激は、いままで体験したことのない心地よいものだった。

菅野先生の肌艶がいいのもうなずける。

音楽療養師という仕事がある。
実際に見たことがあるが、その仕事は、患者が歌をうたったり、楽器を演奏することでリハビリを行なうもの。

脳血管障碍の合併症としての、
失語症(自分の考えている言葉がスムーズに出てこない、もしくは思っている言葉と違う言葉が出てしまう)でも、
話す言葉の中枢と歌うときの中枢は異るようで、
流暢にカラオケで歌うことができ、その表情は生き生きとし、
話せないことによるストレスが、歌うことで解消されると聞いている。

またリハビリの時、痛さを少しでも紛らわせるために、BGMとして、
クラシックに関心のない人でも、耳にしたことのある曲を流しているところもある。

ただ、どちらも積極的に音楽を聴くことによる療養ではない。
病院というシステムの中で、音楽を聴かせるためだけのスペースを確保し、
そのための装置を用意して、しかも調整して……、ということは、まだまだ望めないことだろう。

けれど、いつかそういう日が来てほしいし、そうあってほしい。
そう思うのには理由がある。

Date: 11月 14th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その5)

個々のオーディオ機器が持つ効能性、オーディオそのものが持つ効能性がある。

オーディオ機器の効能性といっても、なかなか定義し難い。
ひとつ言えるのは、効能性を語るには、機能性、性能性について語っておくべきだということ。
機能性、性能性を把握したうえで、何ができるようになったのか、ではないだろうか。

どれだけよくなったとか、これだけ素晴らしい音がするといったことから一歩踏み込んでところでの、
どんなことが可能になり、どんなことをもたらしてくれるのか。

これから先、ハードウェア、ソフトウェアとも、
デジタル技術がますます導入されるのは間違いないこと。
プログラムソースの形態も変りつつある。
コントロールアンプの形態も、必然的に変っていく。

これから機能性を語ることが重要視されるだろうし、
効能性への言及も求められると思っていいだろう。
というよりも、求められなくとも、自ら語っていくべきだと思っている。

ただ、すべてのオーディオ機器について、効能性を語れるかというと、そうでないものもある。

Date: 11月 14th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その4)

機能性・性能性・効能性を語ることは、
オーディオそのものについてだけでなく、個々のオーディオ機器に関しても、そうしていきたい。

新しく登場したオーディオ機器が、どういう音を聴かせてくれるか、
もちろんそれがいちばん知りたいことであるが、やはりそれは性能性について語っているだけであり、
その機械のもつ特質を語るには、機能性についてもきちんと語っていく必要があると思う。

Date: 11月 9th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その3)

グレン・グールドが語っている。
     *
地理的ギャップというものもある。東へ行くほど、レコードは録音によるコンサート効果をねらっていることがわかる。もちろんさらに遠く日本にでも行けば、西欧化されたコンサート・ホールの伝統による禁忌などはとりたててないから、レコーディングはレコーディング独特の音楽経験として理解されている
     *
グールドは日本に来たことはないはずなのに、
なぜ、日本でのレコードの聴かれ方について、こう認識しているのだろうか。
少なくとも、この言葉は、レコードをコンサート代用品とか、
カンヅメ音楽といって軽視している人たちのことではなく、
オーディオにつよい関心をもっている人たち、
菅野先生が提唱される、レコード演奏家そのものであろう、というより、であると断言していいだろう。

「日本のオーディオはアメリカのハイエンドに比べると10年くらい遅れている」
という発言をしている人を、ときおりネットでみかけると、かなしくなる。

グールドの全CDやDVDが手に入り、多くの関連書籍が読めるその日本から、
グレン・グールド的リスナー(インタラクティブで創造的な聴き手)が出てきても不思議ではないのに、
と思っているからだ。

グールド的リスナーからの視点による、オーディオの機能性を語れれば……と思う。
1993年に「ぼくはグレン・グールド的リスナーになりたい」という拙文を書いた。

Date: 11月 9th, 2008
Cate: 川崎和男, 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その2)

2002年夏、TEPCO銀座館プラスマイナスギャラリーで開催された
「ヒューマン・センター・デザインの視展(ユニバーサルデザインを超えて)」の会場で、
設置されていたモニターでは、デザインの「機能性、性能性、効能性」について、川崎先生が語られていた。

オーディオの「機能性、性能性、効能性」──。
オーディオマニアが音について語るのも、
オーディオ雑誌が、オーディオ機器の評価をするのも、
オーディオの「性能性」のところであろう。
音がどんなふうによいのか、どれだけよいのか、という性能性についてである。

80年代からオーディオは斜陽産業と言われてきた。
なぜそうなったのかは、いろんなことが絡みあってのことだろうが、
そのひとつの理由が、オーディオに関心のある人たち、プロもアマチュアも、
オーディオの性能性ばかりについて語ってきたためだと思う。

オーディオ好きな人に対しては、それで十分だろうが、
音楽が好きだけど、オーディオにはさほど、もしくはまったく関心のない人たちに対して、
オーディオの性能性ばかりを伝えても、大半のひとは振り向いてくれない、と思っていい。

いい音を聴くためだけに、少なくとも数十万円、できれば百万円以上、
さらに上には一千万円以上必要なんて、と思われてしまってもむべなる哉。

エジソンが蝋管によるアコースティック蓄音器を発明したのをオーディオの始点としても、
オーディオの機能性は発展は多岐にわたり、素晴らしいものだと思う。

蝋管が円盤になり、複製が容易になり、取り扱いも楽になったことも、機能性に関することである。
そして蓄音器がアコースティック式から電気式になり、音量の調整が可能になり、モノーラルからステレオになり、
低音、高音だけの増減だけのトーンコントロールから、
パラメトリックイコライザー、グラフィックイコライザーなども登場し、
デジタル技術が、さらなる機能性をもたらしている。

オーディオの機能性の魅力を把握してこそ、
個人個人のオーディオの世界は広がりを増すだろうし、
これまで、音楽は好きだけど、なぜかオーディオに関心をもってくれなかった人たちに、
オーディオの機能性を、正しく伝えること、説明することは重要なことである。

Date: 11月 9th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その1)

金曜の夜、「瀬川冬樹氏のこと」その17と18を公開して、
ほぼ1時間後に傅さんから電話をいただいた。

「読んでいたら、ほろっとくるものがあって、それを伝えたくて」ということだった。
つづけて、「ぼくらが大事にしてきたことは、こういうことなんだよなぁ」とも言われた。
約1時間、あれこれ、オーディオについて話していた。

いまインターネットの普及で、誰でも簡単にいつでも、言いたいことを発信できる。
そこにプロとアマチュアの境界線はなくなりつつある、曖昧になりつつある。
本とは異り、編集者不在の発言。そして匿名でも発言できる。

そして、その発言への評価はアクセス数によって決っていく、とも言えよう。
時価総額で企業を判断するのに似ているような気もする。

傅さんとの話が終った後、
いまの時代、ひとりのオーディオマニアとして語るべきことは、なんだろうと考えてしまった。

言葉を尽くして語っていくことだけは、忘れてはならない。

Date: 9月 22nd, 2008
Cate: 提言

いま、オーディオファイルとして語るべきこと

いま、オーディオファイルとして語るべきこと──
これだけはつねに忘れず、書いていこうと思っている。