Archive for 2月, 2017

Date: 2月 28th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その5)

ハーマンインターナショナル傘下時代のABCシリーズの成功があればこその、
現在のタンノイがあるという見方をすれば、
その意味でのLegacy Seriesなのかも、と思いながらも、
こうやって書いていると、Ardenの横幅を広くとったプロポーションを見ていると、
広いフロントバッフルだからこそ得られる音の魅力を、
あえていまの時代に聴き手に問う意味でのLegacyなのかもと思えてくる。

オーディオとは、結局のところ、スピーカーの音の魅力といえる。
そればかりではないのはわかっていても、
最近の「スピーカーの存在感がなくなる」というフレーズを、
頻繁に目にするようになると、あぁ、この人たちは、スピーカーの音が嫌いなんだな、とさえ思う。

スピーカーというメカニズムが発する音の魅力。
これは項を改めて書いていくが、
スピーカーの音の「虚」と「実」についても、もう一度考え直す必要はある。

実際にLegacy SeriesのArdenの音を聴いてみないことには、
言えないことは山ほどあるが、それでも写真を見ているだけでも、
Legacy Seriesとタンノイが呼ぶ意味に関しても、あれこれ考えることがある。

ただArdenは、そう安くはないようだ。
日本での販売価格がどのくらいになるのかはわからないが、
以前のABCシリーズのような、ベストバイといえる価格ではないことは確かだ。

価格ということでは、Eatonが日本ではどの価格帯に属することになるのか。
これはArdenよりも、個人的に気になっている。

Date: 2月 28th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その4)

同じ内容積のエンクロージュアであっても、
フロントバッフルの面積を広くとり、奥行きの浅いプロポーションと、
フロントバッフルの幅をユニットぎりぎりにまで狭めて、その分奥行きの深いプロポーションとでは、
音の傾向はかなり違ってくることは、ずいぶん以前からいわれていること。

BBCモニター系列のスピーカーシステム、
スペンドール、ロジャース、KEFなどのスピーカーの音に惹かれてきた私としては、
奥行きの深いプロポーションのエンクロージュアを好むが、
それでもタンノイの同軸型、それも15インチ口径のモノがついていて、
エンクロージュアのプロポーションとしては、やはり堂々としていてほしい。

その意味でもArdenである。
もういまの人は実験をしてみることもしないのだろう。
以前はエンクロージュアの左右にサブバッフル(ウイング)をとりつける手法も一般的だった。

ビクターからはEN-KD5というエンクロージュアキットが出ていた。
20cm口径のフルレンジ用のエンクロージュアで、30cm口径のパッシヴラジエーターがついていた。
このキットの特徴は、左右のサブバッフルだった。

アルテックのA7にもウイングを取り付けたモデルがあったし、
A2、A4といったモデルは210エンクロージュアにウイングを取り付けたモノである。

ウイングによる音の変化は、何も本格的なバッフルを用意しなくとも、
ダンボールがあれば確認できる。
できれば硬いダンボールがいいが、エンクロージュアの高さに合わせてカットして、
エンクロージュアの左右に立ててみればいい。

やる気があればさほど時間はかからない。
これで手応えのある感触を得たならば、次は材質に凝ってみればいい。

そんなことをやれば音場感が……、とすぐに口にする人がいるのはわかっている。
でもほんとうにそうだろうか。
そんなことを口にして、自らオーディオの自由度を狭めているだけではないだろうか。

オーディオを窮屈にしているのは、意外にそんなところにもある。

Date: 2月 27th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その3)

Ardenを筆頭とするABCシリーズは1979年にユニットのフェライト化にともないMKIIとなり、
1981年10月、Arundel、Balmoralの二機種だけになってしまった。

型番からいえば、Ardenの後継機がArundel、
Berkeleyの後継機がBalmoralと思いがちだが、
Balmoral搭載のユニット口径は12インチで、Cheviotの後継機である。

BalmoralとCheviotは、一見したところ、
エンクロージュアのプロポーションは近いように思える。

ArundelとArdenは、この点が大きく違う。
Ardenはフロントバッフルの面積を大きくとったプロポーションに対し、
Arundelはずっとスリムになっている。

Ardenの外形寸法はW66.0×H99.0×D37.0cm、
ArundelはW49.8×H100.0×D48.9cmである。
フロントバッフルの横幅を縮めた分、奥行きを伸ばしている。

BBCモニター系のプロポーションに近くなっている。
Arundelの音は聴いているはずなのに、記憶がほとんどない。
Ardenの堂々とした音は、Arundelからは感じられなかったからなのかもしれない。

今時のスピーカーのトレンドばかりを王ことに汲々としている人は、
新Ardenのプロポーションを見て、音場感なんて再現できない、といいそうである。

確かにフロントバッフルの幅の狭さは有利に働きがちではあるが、
それだけでスピーカーの音・性能が決るわけではない。

瀬川先生はステレオサウンド 45号のスピーカー特集で書かれている。
     *
たとえばKEFの105のあとでこれを鳴らすと、全域での音の自然さで105に一歩譲る反面、中低域の腰の強い、音像のしっかりした表現は、タンノイの音を「実」とすればkEFは「虚」とでも口走りたくなるような味の濃さで満足させる。いわゆる誇張のない自然さでなく、作られた自然さ、とでもいうべきなのだろうが、その完成度の高さゆえに音に説得力が生じる。
     *
Ardenの試聴記である。
Legacy SeriesのArdenの味の濃さは、元のArdenよりは薄らいでいるかもしれない。
おそらくそうだろう。
それでも、あのプロポーションを見ていると、
「実」と口走りたくなる味の濃さは失っていないように思いたくなる。

Date: 2月 27th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その2)

タンノイの輸入元であるエソテリックのサイトには、
まだLegacy Seriesについては何も公開されていない。

TANNOY Legacy Seriesで検索すれば、海外のいくつかのサイトがヒットする。
写真ももちろんある。

Ardenは、元のArdenと同じでバスレフポートが三つある。
Cheviotは一つで、元のCheviotと同じだが、位置は中央に移動している。
元のEatonは一つだったのに対し、Eatonは二つに増えている。
位置は元のEatonと同じでユニットの上側にある。
ポートの開口部は、この時代のスピーカーらしくアールがつけられている。

ArdemとCheviotは、元のモデルと同じように袴(台座)付きである。
フロントバッフルには同軸ユニットの構造図がついているのも元のモデルと同じである。

写真を見ていると、すぐにでも聴きたい、と思う。
おそらくArdenは、
ふくらみがちな低音(口の悪い人はボンつく低音といっていた)はそうではなくなっているであろう。
かといって引き締まっているわけでもないだろう。

いまのところ写真はサランネットなしの一枚だけである。
サランネットはどうなっているのだろうか。
Ardenは三分割になっていた。Berkeleyが二分割だった。

新Ardenのサランネットも三分割なのだろうか。
そうあってほしい。

タンノイは1981年にGRF Memoryを出す。
ABCシリーズとは一線を画したモデルだった。
日本では高い評価を得ていた。
ハーマンインターナショナル傘下時代を暗黒時代と呼んでいた人は、
タンノイ復活といっていた。

その後、Edinburgh、Stirling、そしてWestminsterを出していく。
確かにハーマンインターナショナル傘下時代とは大きく変っていった。

けっこうなことだと思っていたが、
タンノイのスピーカーの外観はデコレーションの方向に傾きつつあるのを見ていると、
何か方向性がズレてきているのではないか、と思うようになってきた。

10インチ同軸ユニットを搭載のStirlingは、IIILZの現代版を謳っていた。
けれど現在のStirling/GRに、IIILZの面影はない。

そこに今回のLegacy Seriesであるから、よけいに聴いてみたい気持が強い。
Eatonを特に聴いてみたい。

Arden、Cheviot、Eatonの三機種なのは、頭文字をならべるとACEになる。
エースである。
それにLegacyの中に、aとcとeはあるが、bとdはない。
そのこともBerkeleyとDevonがない理由かも、と勝手に思っている。

Date: 2月 27th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その1)

私がオーディオの世界に入った1976年は、
タンノイからArden、Berkeley、Cheviot、Devon、Eatonが登場した。
いわゆるABCシリーズ、アルファベットシリーズと呼ばれるスピーカー五機種である。

すべてイギリスの地名からとられている。
Arden、Berkeleyが15インチのHPD385A、
Cheviot、Devonが12インチのHPD315A、
Eatonが10インチのHPD295Aを搭載していた。

当時の価格はArdenが220,000円、Berkeleyが180,000円、Cheviotが140,000円、
Devonが120,000円、Eatonが80,000円(いずれも一本の価格)。

タンノイのスピーカーとしては求めやすくなっていたこともあり、
けっこう数が売れたときいている。
売れたからこそ、中古市場にもモノがあるわけだ。

この時代のタンノイはハーマンインターナショナル傘下だった。
口の悪い人は、タンノイの暗黒時代ともいう。
けれど、ハーマンインターナショナル傘下に入っていなければ、
1974年に工場の火災という危機を迎えていたのだから、どうなっていたのかはわからない。

瀬川先生は、このシリーズはよく出来ている、といわれていた。
ステレオサウンド 41号では、次のように書かれている。
     *
 新シリーズはニックネームの頭文字をAからEまで揃えたことに現れるように、明確なひとつの個性で統一されて、旧作のような出来不出来が少ない。そのことは結局、このシリーズを企画しプロデュースした人間の耳と腕の確かさを思わせる。媚のないすっきりした、しかし手応えのある味わいは、本ものの辛口の酒の口あたりに似ている。
     *
私が聴いたのはArdenとEatonだけである。
あとの三機種も揃えて聴いてみたかった、と思うけれど、その機会はなかった。
瀬川先生は、このシリーズのネーミングもうまい、といわれていた。

アーデン、バークレイ、チェビオット、デボン、イートン、
それぞれの語感から受ける印象と音の印象は近い、そうだ。

確かにアーデンは、悠揚たる味わいがあった。

このABCシリーズを、タンノイがもう一度やる。
五機種ではなく、Arden、Cheviot、Eatonの三機種で、Legacy Seriesと名づけられている。

すでにタンノイはハーマンインターナショナル傘下から離れているけれど、
その時代を代表するスピーカーを、Legacyと呼ぶのか、と感慨深いものがないわけではない。

Date: 2月 26th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その19)

ある人が思い切ってスピーカーを買い換えた。
かなり大型で高価なスピーカーシステムである。

買ってすぐに、彼は海外赴任が決った。
彼は、新品のそのスピーカーシステムを、友人に預けた。

ふたりともオーディオマニアで、
スピーカーを買った彼は、友人のオーディオへの取り組みに一目置いていた。
その友人のことを信頼していた。

だから新品のスピーカーの「鳴らし込み」を友人にまかせることにした。
その友人は私の知人であり、
この話を知人からも、スピーカーを買った本人からも何度か聞いている。

ふたりは友情の証しとして、ふたりの信頼関係のひとつの例として話してくれるわけだ。
それでも、私はこの話を、どこか気持悪さを感じながら聞いていた。

他の人はどうかは知らない。
いい話だな、と思いながら聞くのだろうか。

私は、この話を聞く数年前に、(その17)で引用した瀬川先生の文章を読んでいる。
もう一度、このことに関係するところを引用しておく。
     *
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
 下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
 ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
 男、これを聞き早速、わが妻を吉原(トルコ)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
 教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     *
スピーカーを買った本人であっても、
わざわざ「鳴らし込み」をしようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ、
と書かれている。

それなのに、いくら仲がよくて信頼できる友人であっても、
「鳴らし込み」をまかせてしまうというのは、下世話な例え話では、そういうことになる。

彼は海外赴任から戻ってきた。
友人による「鳴らし込み」に満足していた、と聞いている。
その友人も、自分の「鳴らし込み」に満足していた。

私には、どうしても気持悪いこととして感じられる行為に、
当人たちはうっとりしていた。

Date: 2月 26th, 2017
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その4)

喫茶茶会記は、2007年5月26日にオープンしている。
あと三ヵ月で開店十年を迎える。

喫茶茶会記のある場所は、以前、音の隠れ家というオーディオ店があった。
店主の福地さんが、そのスペースを引き継ぐ形での喫茶茶会記の開店であった。

最初の頃は、喫茶スペースだけだった。
毎月第一水曜日にaudio wednesdayを行っているイベントスペースは、まだだった。

福地さんと私のつきあいは、喫茶茶会記の開店よりも少し長い。
2003年春から、audio sharingのメーリングリストを開始した。
福地さんはすぐに参加してくれた一人である。

福地さんからジャズ喫茶を開店するという話を聞いた時は、
開店までも大変だろうけど、続けていくのはもっと大変だろうな、と思っていた。

喫茶茶会記は、四ツ谷駅ではなく四谷三丁目駅の近くである。
しかも大通りから路地に入り、さらにもう一本奥まったところにあるから、
一見の人はあまり入ってこないロケーションともいえる。

それゆえの苦労はあっただろうし、いまもあるのだろうが、
それゆえの良さが、喫茶茶会記の雰囲気を生み出しているともいえる。

喫茶茶会記の雰囲気を気に入る人もいればそうでない人もいよう。
万人向けの雰囲気とは違う。

そんな喫茶茶会記が十年続いている。
たいしたものだ、と思う。

十周年イベントを行う予定だときいている。
audio wednesdayも少しは役に立てれば、と思っている。

Date: 2月 25th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その3)

その2)で反知性と書いた。
書きながら、KK適塾での川崎先生が話されたことを思い出していた。

反・半・範(はん)について語られた。
ならば反知性、半知性、範知性となる。

本来、オーディオ雑誌の編集長は範知性であるべき。
なのに半知性であったりすれば、
その雑誌は範知性であることは絶対にない。

せいぜいが半知性、うっかりすれば反知性へと転ぶ。

反・半・範の他にも、「はん」の漢字はいくつもある。
販、汎、判、煩、犯などがある。
他にもまだまだある。

それらの漢字を知性の前につけていく。
販知性、汎知性……。

販知性。なるほど雑誌は知性で商売をすることといえよう。
「はん」の漢字を知性につけていくことで、気づくことがあった。

Date: 2月 25th, 2017
Cate: 新製品

新製品(新性能のCDトランスポート・その2)

友人のAさんはPSオーディオのD/Aコンバーターを、非常に高く評価している。
音を聴いているわけではないので、私自身の評価はできないが、
少なくとも優秀なD/Aコンバーターなのだろう、と思っている。

そのPSオーディオから、CDトランスポートの新製品が登場したばかりだ。
DirectStream Momory Playerである。

1月末に発表になったCHORDのBlu MkIIも興味深いCDトランスポートだと思い、
新性能のCDトランスポートの登場とも書いた。

DirectStream Momory Playerも同じと受けとめている。
新性能のCDトランスポートが、PSオーディオからも、同時期に登場である。

セパレート型CDプレーヤーの登場から30年以上が経ち、
昂奮できるCDトランスポートが立て続けに登場してきた。

これまでにも意欲的なCDトランスポートは、確かにいくつかあった。
具体的な製品名は挙げないが、
いま私が感じている昂奮は、そこには感じなかった。

だからといってCDトランスポートとしての「性能」に不足があった、ということではない。
CDトランスポートとしての新性能を感じられなかったからなのかもしれないと、
Blu MkII、DirectStream Momory Playerの登場によって、いまごろ思い返している。

Date: 2月 24th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その2)

オーディオ雑誌における技術用語の乱れ、
それも基本的な技術用語の乱れは、オーディオが反知性主義へと向いつつあるのか──、
そんなことを感じてしまう。

そんな大袈裟な、と思われるかもしれないが、
技術用語の乱れは、ここ数年のことではない。
十年以上前から続いていることであり、
乱れが少なくなるのではなく、より多くなりつつある。

昨年暮のキュレーションサイトの問題では、
キュレーションサイトには編集長のいないから的なこともいわれていた。

ほんとうにそうだろうか。
オーディオ雑誌には、どの雑誌にも編集長はいる。
編集長のいないオーディオ雑誌はないにも関わらず、技術用語は乱れていく。

別項で「オーディオは科学だ」と声高に主張し、
ケーブルで音は変らない、と言い張る人たちのことを書いている。
以前は「オーディオの科学」というサイトについても書いた。

だからといって「オーディオは科学ではない」とはまったく考えていない。
オーディオは科学であり、科学がベースになっている。

オーディオには感性が重要だ、と多くの人がいう。
たしかにそうだが、オーディオと科学の関係を否定することは、誰にもできない。
感性を重視するあまり、反知性主義へと傾いていいわけがない。

それがどういう結果を招くことになるのか、
技術用語にいいかげんな編集者たちは想像すらしていないのだろう。

昨秋からKK適塾が開かれている。
川崎先生がコンシリエンスデザイン(Consilience Design)について、語られる。

以前もこのことは書いた。
コンシリエンスデザインについては、川崎先生のブログを読んでいただきたい。

コンシリエンスデザインについて説明される図こそ、
オーディオそのものである。

Date: 2月 23rd, 2017
Cate: audio wednesday

第74回audio wednesdayのお知らせ(雑談をするかのような……)

2017年のaudio wednesdayでやりたいことはいくつかはっきりとある。
準備が必要となり、その準備が私ひとりでできるものもあればできないものもあるので、
すべてが2017年中にやれるわけではない。

3月1日のaudio wednesdayも、ひとつやりたいテーマがあったけれど、
ちょっと準備不足なので、4月以降にやる予定でいる。

なので今回はあえてテーマを決めずに、雑談をするかのような音出しにしようと考えている。
CDでの音出しの予定でいる。
CDに限らず、これを鳴らしてみたいというモノがあったら、持ち込み歓迎。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 2月 23rd, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(OTOTEN)

いくつものテーマで書いている、このブログだが、
すごく書きたいと思っているテーマのひとつが、「日本のオーディオ、これから」である。

「日本のオーディオ、これまで」も書いている。
書きたいのは「これから」である。

とはいえそれほど書いていない。

今年、音展がOTOTENになった。
会場がインターナショナルオーディオショウと同じ国際フォーラムで開催される。
5月13日(土)、14日(日)の二日間である。

OTOTENの前身はオーディオフェアである。
私にとってオーディオフェアは晴海の見本市会場で行われているものであって、
その後、会場をいくつか変って、名称も変ってきた。
そして足が遠のいた。

オーディオフェアでは、満足のいく音を聴かせられない、ということで、
輸入オーディオショウが開催されるようになって、
輸入オーディオショウがインターナショナルオーディオショウへとなっていった。

前身が輸入オーディオショウということもあって、
日本のメーカーが出展するまでには時間がかかった。
いまではヤマハやテクニクスも出展するようになったが、
晴海でのオーディオフェアを知る者にとっては、
「日本のオーディオ、これから」を書いていきたい者としても、
どこか寂しさのような感じてしまっていた。

音展がそこを満たしていたかというと、そうとはいえなかった。
台場での音展は、うらぶれてしまった感があった。

今年のOTOTENがどういう内容になるのか、詳細はまだはっきりしていないが、
少なくともこれまでよりも期待できるのでは……、と思っている。

Date: 2月 22nd, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(体調不良になって・その6)

これも十年前だったか、菅野先生が
「自分が惚けてしまったら、どういう音を出すのか、それを聴いてみたい」といわれたことがあった。

認知症と「音は人なり」。
その時、オーディオマニアはどういう音を鳴らすのか。

もちろん認知症になってしまっているのだから、
冷静にその時の音を聴くことはできないわけだが、
それでも知的好奇心として、その音を聴いてみたいといわれる菅野先生、
いわれてみれば聴けるのであれば、私も自分が惚けてしまった音を聴いてみたい、と思った。

バイアスを取り除いて聴く、ということを考えていて、
このことを思い出した。
バイアスを完全に取り除くとは、惚けてしまった状態なのかもしれない。

バイアスを取り除いて聴く。
身も蓋もない話だが、無理なことなのかもしれない。

オーディオでいくつもの体験をしていく。
それらが経験値として、その人の中でバイアスを形成していく、ともいえる。

オーディオに関する知識を身につける。
これもまたバイアスといえよう。

オーディオマニア、人それぞれ使いこなしのノウハウ的なことを持っているだろう。
それもまたバイアスではないだろうか。

オーディオのシステムは複雑で多岐にわたる。
だからこそバイアスもさまざまな種類がたまっていくのではないか。

オーディオ歴が長いほど、バイアスは溜っていくのだとしたら、
惚けてしまわない限り、バイアスを完全に取り除くことは無理なのかもしれない。

Date: 2月 21st, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その13)

森本雅樹氏の記事のタイトルは、
「中高音6V6-S 低音カソ・ホロ・ドライブ6BQ5-PPの定電圧電源つき2チャンネル・アンプ」。
     *
 グッドマンのAXIOM 80というのはおそるべきスピーカです。エッジもセンタもベークの板で上手にとめてあって、f0が非常に低くなっています。ボイス・コイルが長いので、コーンの振幅はかなり大きくとれるでしょう。まん中に高音用のコーンがついています。ところが、エッジはベーク板でとめてあるだけなので、まったくダンプされていませんから、中音以上での特性のアバレが当然予想されます。さらにまたエッジをとめるベークをとりつけるフレームがスピーカの前面にあるのですが、それがカーンカーンとよくひびいた音を出して共鳴します。一本で全音域をと考えたスピーカでしょうが、どうしても高域はまったくお話になりません。ただクロスオーバを低くとれば、ウーファーとしては優秀です。
     *
1958年の記事ということもあって、森本雅樹氏のシステムはモノーラルである。
このころ日本でステレオ再生に取り組まれていた人はいたのだろうか。

森本雅樹氏のスピーカーシステムは、
ウーファーがAXIOM 80とナショナルの10PW1(ダブルコーンを外されている)のパラレルで300Hzまで、
スコーカーはパイオニアのPIM6(二発)を300Hzから2500Hzまで、
トゥイーターはスタックスのCS6-1で1500Hz以上を受け持たせるという3ウェイ。

森本雅樹氏はAXIOM 80を300Hz以下だけに、
しかもナショナルののユニットといっしょに鳴らされている。

高域はお話になりません、と書かれているくらいだし、
ウーファーとしては優秀とも書かれているわけだから、
こういう使い方をされるのかもしれないが、
瀬川先生にとっては、認め難い、というより認められないことだったはず。

一昨晩のOさんのやりとりの中でも出たことだが、
森本雅樹氏も、室蘭工大の三浦助教授も、学者もしくは学者肌の人であり、
エンジニア(それもオーディオエンジニア)とは思えない。

AXIOM 80の実測データについては(その4)で書いている。
高域はあばれているといえる特性である。
それにAXIOM 80の独特な構造上、一般的なスピーカーよりも共振物がコーンの前面にあるのも確かだ。

その意味でAXIOM 80を毒をもつユニットともいえる。
その毒の要素を、どう鳴らすか、鳴らさないようにするか。

森本雅樹氏は鳴らさないようにする手法を選択されている。
瀬川先生とは反対の手法である。

Date: 2月 20th, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(体調不良になって・その5)

バイアスを取り除いて聴く、ということは、
虚心坦懐に聴く、ということでもあろう。

ではどうすればバイアスを取り除けるのか。
「頭で聴くな、耳で聴け」はたやすいことではない。

わかりやすそうに思えても、そうでもない。
すぐにそういう聴き方ができる人もいるだろうが、
「頭で聴くな、耳で聴け」を間違った解釈で受けとめたとしか思えない人を知っている。

その結果の音も知っている(聴いている)。