Archive for category Kathleen Ferrier

Date: 10月 8th, 2014
Cate: Kathleen Ferrier

Kathleen Ferrier (22 April 1912 – 8 October 1953)

いつごろからなのか、Kathleen Ferrierをキャスリーン・フェリアと表記するようになったようだ。
私がKathleen Ferrierを聴きはじめたころは、カスリーン・フェリアーだった。

だからいまでもカスリーン・フェリアーと言っている。

初めて聴いたのは、バッハ/ヘンデルのアリア集のCDだった。
入荷したばかりの輸入盤。1985年に買った。

このときのスピーカーはセレッションのSL600だった。
イギリスのスピーカーでよかった、と思っている。

フェリアーの声は柔らかくあたたかく、しっとりしている。
どこにも刺々しさはない。
とりすました表情はどこにもない。

そういう声・表情で歌われたバッハとヘンデルは、心に沁みた。
それまで聴いたどんな音楽よりも、そうだった。

フェリアーの歌が心に沁みてこなくなったら、もう終りだとおもっている。

Date: 1月 7th, 2010
Cate: Kathleen Ferrier, 音楽性

AAとGGに通底するもの(その1)

東京で暮らすようになって、大晦日に除夜の鐘が聞こえるところに住んだことはない。

大晦日、階下の人がいなかったので、除夜の鐘の代わりというわけでもないが、
エネスコのヴァイオリンによるバッハを、午前0時をまたぐように聴いていた。

エアコンはとめて、聴いていた。
聴いていくうちに部屋の温度は低くなっていくなかで、しんみりと聴いていた。

翌日の朝、今年初めにかけた曲も、エネスコのバッハの2枚目。
つまりパルティータ第2番、ソナタ第3番、パルティータ第3番を聴いた。

なんとなく「正月はバッハだよなぁ」という気分になり、カラヤンのロ短調ミサをかけた。
EMIから出ているモノーラル盤で、フェリアーが歌うリハーサルも含まれている。

時間はあるから、マタイ受難曲を聴くことにした。ヨッフム指揮のフィリップス盤。
これで1日は、ほぼ終っていた。

2日も、やはりバッハで、グールドのデビュー盤のゴールドベルグ変奏曲から、
アルバムの発売順に聴いていこうと思い、次にベートーヴェンの第30、31、32番、
バッハの協奏曲第1番とベートーヴェンの協奏曲第2番、
バッハのパルティータ第5盤と6番、というふうに聴き続けていた。

グールドが、もうすこし生きていて、ベートーヴェンの後期のピアノソナタと、
バッハの「フーガの技法」を再録音してくれていたら……、と過去何度思ったか数えきれないくらいことを、
またくり返し思っていた。

Date: 12月 30th, 2009
Cate: Kathleen Ferrier, 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(余談)

月曜日の忘年会で話題になったことで知ったのだが、資生堂のCMをおさめたDVDが発売されている。
テレビなしの生活のほうが、「あり」の生活よりも長くなってしまっているから、この手の情報には、疎い。
サントリーのCMものが最初に出て、好評だったこともあり、資生堂版が出たとのこと。

Vol.1とVol.2が出ている。
収録CMのなかに、見たいものはなかった。
INOUI(インウイ)のCMである。「美術館からブラウンが盗まれました」と最後に出てくる。

このCMを制作された方が誰なのかは知らない。
それでも、音楽好きな方であることは伝わってくる。

YouTubeで見ることができる。
ここで流れているのは、カスリーン・フェリアーの歌である。

Date: 10月 14th, 2009
Cate: Kathleen Ferrier, 挑発

挑発するディスク(その16)

「誠実」ということでは、カスリーン・フェリアーの歌こそが、私にとって、
ある意味、もっとも、そして静かに挑発的であるといえよう。

Date: 1月 1st, 2009
Cate: Kathleen Ferrier, 快感か幸福か

快感か幸福か(その5)

カスリーン・フェリアーのバッハ/ヘンデル集が録音されたのは、1952年。
モノーラル録音で、使われている器材はすべて真空管式である。

モノーラル録音ということに、いちども不満を感じたことはない。
デッカは、のちにオーケストラ・パートだけをステレオで録りなおして、
モノーラルのフェリアーの歌唱とミキシングしたディスクも出している。
指揮者は同じ、サー・エイドリアン・ボールトだ。

人は、生れる時代も性別も選べない。
だが、かりに選べたとして、選べることができるのだろうか。どうやって選ぶというのだろうか。

フェリアーの歌声と真空管器材による録音は、うまくいっている、合っている。
これが、もしトランジスター初期の、冷たく硬い音で録られていたら、どうなる。

時代の音というのが、儼然たる事実として、人にも器材にもある。
もうこの先、フェリアーのような歌手は登場しないだろう。

Date: 12月 31st, 2008
Cate: Kathleen Ferrier, 快感か幸福か

快感か幸福か(その4)

1年の最後に聴くディスクは、決めている。
カスリーン・フェリアーのバッハ/ヘンデル集である。
1985年に復刻されたCDを、いまでもずっと持ちつづけて聴いている。

このディスクだけは手放さなかった。
オーディオ機器も処分して、アナログディスクもCDも処分したときでも、
このディスクだけは手もとに残しておいた。

持っていたからどうなるものでもなかった。
聴くための装置もないし、ただもっているだけにすぎないのはわかっていても、
このディスクを手放したら、終わりだ、そんな気持ちがどこかにあったのかもしれない。

人の声に、神々しい、という表現は使わないものだろう。
でも、このディスクで聴けるフェリアーの声は、どこか神々しい。
いつ聴いても神々しく感じる。

厳かな時間がゆっくりと流れていく、とは、このことをいうのかと聴いていて思う。

23年間所有しているディスクだけに、ケースはキズがつきすこし曇っている。
けれど、ディスクにキズはひとつもない。

フェリアーのバッハとヘンデルを聴く時は、これから先もこのディスクで聴いていく。
いくら音が格段によくなろうと、PCオーディオにリッピングして聴くことは、
フェリアーの、この歌に関しては、ない。

愛聴盤を聴き続けていく行為とは、そういうものである。
だからこそ、愛聴盤になっていく。

いろいろあったし、これからもいろいろあるだろう。
でも、1年の終わりに、フェリアーをじっくり聴けるだけで、幸福というしかない。