Archive for category 香・薫・馨

Date: 4月 24th, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その6)

ステレオサウンド 36号に瀬川先生の「実感的スピーカー論 現代スピーカーを展望する」が載っている。
     *
 日本のスピーカーの音には、いままで述べてきたような特色がない、と言われてきた。そこが日本のスピーカーの良さだ、という人もある。たしかに、少なくとも西欧の音楽に対してはまだ伝統というほどのものさえ持たない日本人の耳では、ただひたすら正確に音を再現するスピーカーを作ることが最も確かな道であるのかもしれない。
 けれどほんとうに、日本のスピーカーが最も無色であるのか。そして、西欧各国のスピーカーは、それぞれに特色を出そうとして、音を作っているのか……? わたくしは、そうではない、と思う。
 自分の体臭は自分には判らない。自分の家に独特の匂いがあるとは日常あまり意識していないが、他人の家を訪問すると、その家独特の匂いがそれぞれあることに気づく。だとすると、日本のスピーカーにもしも日本独特の音色があったとしても、そのことに最も気づかないのが日本人自身ではないのか?
 その通りであることを証明するためには、西欧のスピーカーを私たち日本人が聴いて特色を感じると同じように、日本のスピーカーを西欧の人間に聴かせてみるとよい。が、幸いにもわたくし自身が、三人の西欧人の意見をご紹介することができる。
 まず、ニューヨークに所在するオーディオ業界誌、〝ハイファイ・トレイド・ニュウズ〟の副社長ネルソンの話から始めよう。彼は日本にもたびたび来ているし、オーディオや音楽にも詳しい。その彼がニューヨークの事務所で次のような話をしてくれた。
「私が初めて日本の音楽(伝統音楽)を耳にしたとき、何とカン高い音色だろうかと思った。ところがその後日本のスピーカーを聴くと、どれもみな、日本の音楽と同じようにカン高く私には聴こえる。こういう音は、日本の音楽を鳴らすにはよいかもしれないが、西欧の音楽を鳴らそうとするのなら、もっと検討することが必要だと思う。」
 私たち日本人は、歌舞伎の下座の音楽や、清元、常盤津、長唄あるいは歌謡曲・艶歌の類を、別段カン高いなどとは感じないで日常耳にしているはずだ。するとネルソンの言うカン高いという感覚は、たとえば我々が支那の音楽を聴くとき感じるあのカン高い鼻にかかったような感じを指すのではないかと、わたくしには思える。
 しかし、わたくしは先にアメリカ東海岸の人間の感覚を説明した。ハイの延びた音を〝ノーマル〟と感じない彼らの耳がそう聴いたからといっても、それは日本のスピーカーを説明したことにならないのではないか──。
 そう。わたくしも、次に紹介するイギリスKEFの社長、レイモンド・クックの意見を聞くまでは、そう思いかけていた。クックもしかし、同じようなことを言うのである。
「日本のスピーカーの音をひと言でいうと、アグレッシヴ(攻撃的)だと思います。それに音のバランスから言っても、日本のスピーカー・エンジニアは、日本の伝統音楽を聴く耳でスピーカーの音を仕上げているのではないでしょうか。彼らはもっと西欧の音楽に接しないといけませんね。」
 もう一人のイギリス人、タンノイの重役であるリヴィングストンもクックと殆ど同じことを言った。
 彼らが口を揃えて同じことを言うのだから、結局これが、西欧人の耳に聴こえる日本のスピーカーの独特の音色だと認めざるをえなくなる。ご参考までにつけ加えるなら、世界各国、どこ国のどのメーカーのエンジニアとディスカッションしてみても、彼らの誰もがみな、『スピーカーが勝手な音色を作るべきではない。スピーカーの音は、できるかぎりプログラムソースに忠実であり、ナマの音をほうふつとさせる音で鳴るべきであり、我社の製品はその理想に近づきつつある……』という意味のことを言う。実際の製品の音色の多彩さを耳にすれば、まるで冗談をいっているとしか思えないほどだ。しかし、日本のスピーカーが最も無色に近いと思っているのは我々日本人だけで、西欧人の耳にはやっぱり個性の強い音色に聴こえているという事実を知れば、そして自分の匂いは自分には判らないという先の例えを思い出して頂ければ、わたくしの説明がわかって頂けるだろう。
     *
ステレオサウンドが出しているムック「良い音とは 良いスピーカーとは?」にも収められている。

ここではスピーカーがつくられた国による音の違いなのだが、
同じことが時代による音の違いについてもあてはまるように、
最近思うようになってきた。

つまり、過去の時代の音の香り(匂い)については感じることがあっても、
同時代の香り(匂い)に関しては、自分の体臭がわからないのと同じように、
わからないのかもしれない、ということだ。

ウラッハは、遠い時代のクラリネット奏者である。
フレストは、まさに、いまの時代の同時代のクラリネット奏者である。

Date: 4月 24th, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その5)

ハタチになるかならないかのころ、
クラリネット奏者といえば、
ベニー・グッドマンをまず思い浮べるだけのころ、
レオポルト・ウラッハを、サウンドボーイの編集長だったOさんからすすめられて、
はじめて聴いた。

そころウラッハのレコードは国内盤しかなかった。
音の艶に欠けがちな、という印象のある国内盤であっても、
ウラッハの音色は、ベニー・グッドマンをはじめて、
他のクラリネット奏者とは大きく違って、私の耳には聴こえた。

佳き時代のウィーンの香りが漂う──、
そんな陳腐な表現しか、その時は思い浮ばなかったけれど、
でもまさにそういう響きが、ウラッハのクラリネットの音からは感じられた。

そして、これが国内盤ではなく、いわゆるオリジナル盤だったら──、
その香りにむせたりするのだろうか──、そんなこともおもっていた。

マルティン・フレストのクラリネットを聴いていて感じたのは、
ウラッハの音に感じた香りが稀薄なのかもしれない、ということだ。

同じ香りがでなければならないなんて、いう気はもちろんない。
けれど、香りが稀薄と感じてしまうのはなぜなのか。

フレストの音に、もともとそういう香りがないのだろうか。
それとも私が感じていないだけなのか。

自分の体臭は気づかないものである。
同じことが時代の香り(匂い)についてもいえるのではないのか。

それゆえに、いまはフレストから感じていないだけなのかもしれない。

Date: 4月 23rd, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その4)

さっきTIDALで、マルティン・フレストの“Night Passages”を聴いていた。
“Night Passages”は昨日発売になったばかりのソニー・クラシカルからの新譜。

TIDALでは96kHzのMQA Studioで聴くことができる。
e-onkyoでは、96kHzのflacである。

マルティン・フレストは、クラリネットの魔術師と呼ばれている、らしい。
そのことは、聴けばわかる。

クラリネット奏者にそう詳しくない私だけど、
フレストのクラリネットの演奏技術の高さは、
一曲目の頭を少し聴いただけでも、すぐにわかる。

それに録音もいい。
MQAで聴いていると、よけいにそう感じる。
MQAによる音の良さに関しては、別項で書くつもりなのでここでは省略するが、
フレストの演奏を聴いていて、
なにもここでのテーマである「陰翳なき音色」だと感じたわけではないことは、
さきに書いておく。

なのに、ここでフレストの“Night Passages”を取り上げているのは、
ふとウラッハのことを思い出したからである。

ウラッハとは、レオポルト・ウラッハのことであり、
ウラッハは1902年生れのクラリネットの名手である。

Date: 11月 14th, 2019
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その3)

「明瞭さとは明暗の適当な配置である。」ハーマン。傾聴!
(ハーマンは「北方の魔術師」と言われた思想家。)

ゲーテ格言集に、こう書いてある。
これが真理であるならば、
暗のない明瞭さは存在しないわけで、
いまハイエンドオーディオと呼ばれるスピーカーのなかには、
暗のない世界を進んでいるモノがあるように感じる。

それらのスピーカーは、精度の高い音とか精確な音という評価を得ているようだが、
明瞭な音と、ほんとうに評価できる音なのだろうか。

そして、もうひとつ思うことは、暗のところにこそ、
香り立つ何かがひそんでいるような、ということだ。

(その1)と(その2)で、
カルロ・マリア・ジュリーニの「展覧会の絵」とブラームスの第二交響曲について触れた。
どちらの曲も、アメリカのオーケストラとヨーロッパのオーケストラを指揮した録音がある。

昨晩、別項「素朴な音、素朴な組合せ(その26)」で、
アルカイックスマイルと四六時中口角をあげた表情の意識的につくっている人のことを書いた。

このことも、ここで書いたことに関係してくるように感じてもいる。

口角をつねに上げっ放しの表情こそ、陰翳なき音色といえる。

Date: 5月 10th, 2016
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(ゲーテ格言集より)

ゲーテ格言集に、こう書いてある。

「明瞭さとは明暗の適当な配置である。」ハーマン。傾聴!
(ハーマンは「北方の魔術師」と言われた思想家。)

暗なき音色は、明瞭ではないわけだ。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その2)

カルロ・マリア・ジュリーニの「展覧会の絵」は、
シカゴ交響楽団といれたドイツ・グラモフォン盤と、
ベルリン・フィルハーモニーとのソニー・クラシカル盤とがある。

ソニー・クラシカル盤は1990年の新譜である。
岡先生がステレオサウンドに連載されていたクラシック・ベストレコードに書かれていたことを思い出す。
     *
 映画館の看板みたいな「展覧会の絵」ばかりきかされる昨今、ジュリーニがBPOから「古城」のようなノスタルジックな抒情をひきだしたのはさすがとおもった。
     *
ブラームスの第二交響曲は、
ロスアンジェルス・フィルハーモニーとの演奏もウィーン・フィルハーモニーとの演奏も聴いている。
「展覧会の絵」はベルリン・フィルハーモニーとの演奏しか聴いていない。
シカゴ交響楽団との演奏はどうだったのだろうか。

ブラームスの第二交響曲における違いと同じ違いを感じるのだろうか。
ロスアンジェルス・フィルハーモニーとシカゴ交響楽団、どちらもアメリカのオーケストラとはいえ、
同じには括れない違いがあるから、ブラームスの第二交響曲のような違い、
というかロスアンジェルス・フィルハーモニーとの演奏に感じた「ウィーン・フィルハーモニーだったら……」、
そんなおもいはないか少ないことだろう。

それでも「古城」のようなノスタルジックな抒情は、
シカゴ交響楽団との「展覧会の絵」には感じられただろうか。
聴いてもいない演奏についてこれ以上語ることはやめておくが、
「ウィーン・フィルハーモニーだったら……」とか「ベルリン・フィルハーモニーだったから」というのは、
ウィーン・フィルハーモニーもベルリン・フィルハーモニーも、
アメリカのオーケストラではなくヨーロッパのオーケストラであることに関係している。

Date: 9月 7th, 2015
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その1)

カルロ・マリア・ジュリーニのブラームスの交響曲第二番は、
EMIからフィルハーモニア管弦楽団との録音が1960年、
ドイツ・グラモフォンからロスアンジェルスフィルハーモニーとのデジタル録音が1980年、
1991年にウィーン・フィルハーモニーとの録音が、ドイツ・グラモフォンからでている。

最初の録音から二度目の録音までは20年、
二度目の録音から三度目の録音までは11年と、約半分の短さである。

ウィーン・フィルハーモニーとの録音もいうまでもなくデジタル録音である。
ロスアンジェルスフィルハーモニーとの録音がアナログ録音であったのなら、
ジュリーニとしては短いといえる11年での再録音もわからないではない。

いまもレコード芸術では恒例の企画となっている名曲・名盤300選(500選)は、
私がレコード芸術を読みはじめた1980年代のはじめのころ始まった、と記憶している。

数号にわたりこの企画が特集記事として掲載され、
一冊のムックとして出版もされていた。

この企画で黒田先生がブラームスの第二番で、
ジュリーニのロスアンジェルス・フィルハーモニーとの盤を選ばれている、ときいた。

私が読んで記憶にあるのは、トスカニーニ、バルビローリ、フルトヴェングラーを選ばれているものだった。
だから私が熱心に読んで記憶しているのとは、違う年の企画での話なのだろう。

そこには、ロスアンジェルス・フィルハーモニーではなくウィーン・フィルハーモニーだったら……、
と思わなくもない、そんなことが書かれていた、とのこと。

黒田先生以外で、ジュリーニ/ロスアンジェルス・フィルハーモニーを選んでいる人たちは、
そんなことは書かれていなかった、つまりロスアンジェルス・フィルハーモニーへの不満はないことになる。

この話をしてくれた人は、黒田先生と同じ意見ではなく、他の人たちと同じで、
ロスアンジェルス・フィルハーモニーの演奏に、
黒田先生が感じられているであろう不満(もの足りなさか)はない、とのことだった。

私はジュリーニ/ロスアンジェルス・フィルハーモニーとのブラームスの二番に関しては、
黒田先生と同じ側である。

Date: 5月 1st, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その11)

グラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いて、まず驚いたのは情景が浮んでくる、ということだった。
グラシェラ・スサーナの歌う、すべての日本語の歌がそうとはいえないけれど、
かなりの数の歌で、歌詞が描いている情景が浮んでくる。

グラシェラ・スサーナが歌って情景が浮んできた日本語の歌を、
もともと歌っていた人の歌唱で聴いても、必ずしも浮んでくるわけではなかった。
これは歌唱力の巧拙だけではないことはわかる。

では、情景が浮ぶのか(または浮ばないのか)。

言葉という具象的なものの中で、日本人にとってもっとも具象的な日本語で歌われるわけだから、
歌詞を含めて、その曲そのものが描こうとしている情景が、他の言語の歌よりも浮びやすいというところはある。
ならば、より正確できれいな日本語の発音による日本語の歌の方が、
歌唱力がほぼ同等であれば、情景は浮びやすくなる──、といえるのか。

少なくとも私の場合、そうとはいえない。
何が情景を浮び上らせるのか。私の中で情景が浮んでくるのか。

結局は、薫り立つものが、そこでの歌に感じられるかどうか。
私の場合はどうもそのようである。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その10)

ホセ・カレーラスは”AROUND THE WORLD”に収録されている各国の歌を、その国の言葉で歌っている。
「川の流れのように」も英語やスペイン語に置き換えることなく歌っている。

ただホセ・カレーラスにとって日本語は難しかったのか、
一番の歌詞のみを歌っていて、あとはいわゆるサビの部分をくり返している。
その意味では、他の収録曲からすればやや不完全な、ともいえなくもないが、
それでもホセ・カレーラスの歌う「川の流れのように」を聴いての感動をいささかも損なうわけではない。

美空ひばりの歌唱ではそんなことはないのだから、
なにもホセ・カレーラスを聴かずとも……、ということになるから、
「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」ということにつながるのかもしれない。

それとも歌も、あくでもオリジナルで、ということなのかもしれない。

ホセ・カレーラスの日本語は完璧とはいえない。
それはグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いていても、ある。
日本語を母国語としていない人だから、ともいえるし、
そういう人が歌う日本語の歌に、日本人が歌う日本語の歌よりも感動している私がいる。

歌がうまいから、ホセ・カレーラス、グラシェラ・スサーナの日本語の歌に感動しているか。
グラシェラ・スサーナによる日本語の歌に夢中になったときから、このことは問いつづけてきていた。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その9)

グラシェラ・スサーナはアルゼンチン生れ。
そのグラシェラ・スサーナが歌う日本語の歌を聴いて、夢中になった。

「黒い瞳はお好き?」も日本語の歌だった。
日本語の歌ならば日本の歌手で聴くのがいいのではないか、というのはわかる。

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”は、
私にとってホセ・カレーラスのベストアルバムである。これから先もずっとそうであるだろう。

ここでのホセ・カレーラスは、クラシックの歌を歌っているわけではない。
各国の、いわゆるポピュラーな曲を歌っている。
日本語の歌も一曲ある。

「川の流れのように」を歌っている。

“AROUND THE WORLD”というアルバムについて、
そして「川の流れのように」について語ると、
きまって「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」といわれる。
もっともな意見だと思う。

美空ひばりに対してアレルギーのようなものを持っている人がいるのは知っている。
私には、そういうアレルギーのようなものはない。
美空ひばりの歌う「川の流れのように」も、もちろん聴いたことがある。

そのうえでホセ・カレーラスの「川の流れのように」は素晴らしい、と思う。
美空ひばりの「川の流れのように」とホセ・カレーラスの「川の流れのように」、
どちらが上とか、そういう話ではない。

Date: 4月 26th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その8)

「ゆれる、まなざし」に対抗してカネボウは「黒い瞳はお好き?」だった。

「ゆれる、まなざし」は憶えていても「黒い瞳はお好き?」はどんなコマーシャルだっけ? という人は多いだろう。
YouTubeでも「黒い瞳はお好き?」のコマーシャルは見ることができない。
誰もアップロードしていないからだ。

コマーシャルについて語られるとき「ゆれる、まなざし」は話題になることがこれからもきっとあるだろうが、
「黒い瞳はお好き?」が話題になることは、ほとんどないだろう。

それでも私にとっては「黒い瞳はお好き?」ははっきりと憶えているコマーシャルである。
このコマーシャルで、グラシェラ・スサーナという歌手を知ることができたからだ。

コマーシャルのどこかにグラシェラ・スサーナの名前が出ていたのかどうかは憶えていない。
近所のレコード店に「黒い瞳はお好き?」のシングル盤を買いにいった時も、
グラシェラ・スサーナの「黒い瞳はお好き?」としてではなく、
カネボウのコマーシャル・ソングの「黒い瞳はお好き1」を買いにいった。

コマーシャルではサビの部分しか流れてこない。
シングル盤で初めて頭から最後まで聴いた。

一度聴いて、すぐさままた聴いた。
立て続けてに四回ほど聴いたことをいまでも憶えている。
それからは毎日必ず聴いていた。

Date: 4月 26th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その7)

1976年秋、資生堂のコマーシャル。
テレビをみていて、これほどどきっとしたことは、初めてだった。

それまではテレビ・コマーシャルはどちらかといえばジャマなものだと感じていた。
たまには面白く感じるものもあったけれど、できればなければないほうがいい、などと思っていたのに、
1976年秋の資生堂のコマーシャルは、また見たい、と思い、チャンネルを切り替えていた。

1976年秋の資生堂のコマーシャルは、もうこれだけでどのコマーシャルなのか、
すぐに思い出せる人はいる。私だけではないはず。

コマーシャルに登場していたのは真行寺君枝、
バックに流れていた歌は小椋佳の「揺れるまなざし」、
広告のキャッチコピーは「ゆれる、まなざし」だった。

YouTubeで検索すればすぐに見つかる。
真行寺君枝のバックにスピーカーがうつっている。
JBLの4325と思われるスピーカーである。

1976年当時は家庭用ビデオレコーダーはまだまだ普及していなかった。
だから録画してくり返し見ることはできない。
とにかくテレビで流れるのを見るしかなかった。

「ゆれる、まなざし」のコマーシャルが最高のコマーシャルかどうかは私には判断できないけれど、
いまでも印象に残っていることは確かである。

Date: 4月 20th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その6)

内田光子の最初のモーツァルトのレコードが出たころに私が鳴らしていたのは、
シーメンスのコアキシャルを平面バッフルに取り付けたモノだった。
アナログプレーヤーはトーレンスの101 Limited。

そこで鳴ってきた音に、不遜な聴き手であった私は驚く。
こんなにも薫り立つモーツァルトを、日本人のピアニストが弾けるのか、とも思ってしまった。

そのころの不遜な聴き手であった私は、
日本人のピアニスト(なにもピアニストだけとは限らない、クラシックの演奏家すべて)には、
薫り立つような音が出せない、と薄々感じはじめていた。

だからといってヨーロッパやアメリカの演奏家すべてが薫り立つような音を出しているかというと、
決してそうではないのだが、それでも巨匠と呼ばれているピアニスト(演奏家)、
旧い録音しかないにもかかわらず、
デジタル録音が主流となってきていた1980年代にはいっても聴き続けられている演奏家の多くは、
その演奏家ならではの薫り立つ音を持っているようにも感じている。

内田光子のモーツァルトを聴いて、日本人にもこういうピアニストがあらわれてくれた、
そう素直に思えて夢中になって聴いていた。

いまになって思っているのは、そのときのスピーカーがコアキシャルで良かった、ということである。
必ずしもすべての高能率のスピーカーがそうだとはいわないけれど、
スピーカーにも薫り立つような音をもつモノと脱臭されたような音のモノとがある。
私が聴いてきた範囲では、高能率型のスピーカーに、薫り立つような音を持つモノが多いと感じている。

もし別の、たとえば低能率の、そういう音とは無縁のスピーカーだったら、
内田光子にこれほど夢中になることも、いまにいたるまで聴きつづけるということもなかったかもしれない。

Date: 4月 15th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その5)

旧い時代の演奏家よりも新しい時代の演奏家のほうが、いわゆる演奏テクニックは優れている、といえる。
それに当然のことながら旧い時代の演奏家の録音はふるい、
新しい演奏家の録音は新しい。

録音の年代による違いも、ここに加わることになるから、
それならば旧い時代の演奏家のレコードを、なぜ聴くのか、ということになる。

演奏テクニックも優れていて、録音もいいわけなのだから、
新しい演奏家のレコードばかりを、なぜ聴かないのか。

理由はいくつかある。
そのひとつが、私にとっては演奏の薫りである。
この薫りにおいては、新しい演奏家からはあまり感じることができなくなりつつある。

スピーカーから出てくる音に匂いがついているわけはない。
その意味では音に香りはないわけだが、薫ってくるものは確実にある。

すべてのスピーカーからの音に、すべてのレコード(演奏)にそれがあるとはいえないけれど、
薫ってくるものをもつスピーカー、レコードがある。

1983年に内田光子のモーツァルトのピアノソナタのレコードを見つけた。
まだまだ粋がっていた青二才の私は、日本人のピアニストなんか、というところを持っていた。

それでもジャケットの写真を見ていると、少しは期待できるかも、などと、不遜な気持で買って帰った。

Date: 4月 14th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その4)

匂いといえば、思い出すことがある。
田舎にいたころは輸入盤を扱っているレコード店は身近になかった。

東京に少しでも早く出て来たかったのは、輸入レコードを専門に扱う店がいくつもあったことも理由のひとつである。
どの店に最初に行ったのかはもう忘れてしまっている。
けれど、銀座コリドー街にあったハルモニアには、かなり早い時期に行っていた。
ハルモニアが最初だったかもしれない。

ハルモニアはそれほど大きな店舗ではない。
広さだけでいえばハルモニアよりも大きな店は、1980年代の東京にはいくつもあった。
それでもここでハルモニアを取り上げるのは、
ハルモニアにはじめて入ったときの匂いのことを、やはり憶えていて、それを思い出したからである。

ハルモニアは輸入盤ばかりを扱っているから、
そこでの匂いは輸入盤による匂いといっていいはず。

輸入盤一枚でも鼻を近づければ匂いは嗅げる。
けれどハルモニアぐらいの規模の店で、あれだけの枚数の輸入盤がそこにあれば、
その匂いの濃厚さは、田舎の国内盤ばかりを扱っていたレコード店しか知らなかった私には、
衝撃に近かったのかもしれない。
だからこうして思い出して、ここに書いているのだから。