Archive for category 朦朧体

Date: 12月 7th, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その77)

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニット、
同じくドイツのマンガーの独自のユニット、
これらの他にもベンディングウェーヴ方式のスピーカーは、数少ないながらもある(あった)。

ほんとうに数は少ない。
世の中の九割以上のスピーカーは、ピストニックモーションによるモノだ。
ピストニックモーションを追求していくことは間違っているわけではない。
それでもピストニックモーションの追求だけでいいのだろうか、と考える。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットの音を、
2002年のインターナショナルオーディオショウでのタイムロードのブースで始めて聴いて以来、
オーディオマニアはピストニックモーションの音に慣れすぎてしまっているのではないか──、
そんなふうに考えるようになっていった。

けれどそうでない赤ん坊はどうなのだろうか。
ピストニックモーションの再生音と、生身の人間が発している声、
実際の楽器が響かせている音とをはっきりと区別しているのかもしれない。

しかもこのことは、ピストニックモーションが追求され、
ピストニックモーションの領域が拡大されるにしたがって、より顕著になっていくのではないのか。

Date: 11月 15th, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(そしてMQAのこと)

その1)を書いたのは、2010年4月25日である。
十二年ほど前だから、まだMQAは登場していなかった。

MQAの音、つまりメリディアンのULTRA DACを初めて聴いたのは2018年9月だった。
2010年から2018年までの八年間、
ここでのテーマである朦朧体、音の朦朧体について考えていくうえで、
プログラムソースはどうするのか、それを再生するプレーヤーは? という問いが常にあった。

ULTRA DACの音は、MQAの音は、必要なコマがすべて揃った、
私にそうおもわせた。

とはいえ、2018年の時点で、
朦朧体の再生を実現するに必要なオーディオ機器は、私の元には何ひとつなかった。

2019年9月にメリディアンの218を導入。
これでMQA再生が日常的になった。

ここからが、私にとっての朦朧体の実現の第一歩になった。
だからこそ218には少しずつ手を加えていった。

ジェームズ・ボンジョルノの最高傑作は、SUMOのTHE GOLDである。
これはもう確信である。

とはいえ、コンディションのいいTHE GOLDはほとんど残っていない、といっていい。
いま手元にあるアンプは、GASのTHAEDRAとSAEのMark 2500。
どちらもボンジョルノの設計であり、基本設計である。

そしてジャーマン・フィジックスのTroubadour 40がやって来る。
本気で、THAEDRAとMark 2500のブラッシュアップを行う。

THAEDRAとMark 2500が最終的な答ではないだろうが、
だからといって、何があるのか、と考え込むことになる。

クォリティの高いアンプ、ついでに価格も高いアンプは、いまやいくらでもある。
それでも音の朦朧体に近いアンプは、いったいどれだけあるのだろうか。

朦朧体と書いてしまうと、朦朧ということで、
私がイメージしている音の朦朧体と正反対の音をイメージする人もいるだろう。
そういう音では決してないのだ、と力説しても、私が朦朧体だと感じる音を、
聴く機会はほとんどない、といっていいだろう。

それでもULTRA DACでMQAの音を聴く機会はあるはず。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットの音を聴く機会もあるはず。

どちらか片方でも聴く機会があれば、そしてその音に良さを感じることがあれば、
私がこれまで書いてきている朦朧体という音についての手がかりにはなることだろう。

Date: 6月 9th, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その76)

ここで考えたいのは、(その72)へのtadanoさんのコメントである。

《ここで単純に、生身の人間が発声した声と再生音とを、赤ん坊が聞き分けていると考えてみるのも面白いのではないかと考えました》
とある。

これは、私もそうだろう、と思っている。
しかも、このことはピストニックモーションで音を発していることを、
赤ん坊は無意識のうちに違いがわかっているのではないのか。

だから、スピーカーから流れてくるコンテンツの音声では、
赤ん坊の知能は向上しないのかもしれない。

これに関連してくるのかどうかはなんともいえないが、
まだスマートフォンが普及する前のことだから、もう十年以上は経っている。

電車に乗っていた。
向い側の座席に赤ん坊をつれたお母さんが座っていた。
赤ん坊はぐずっていた。

携帯電話を触りたがっていたようだ。
お母さんはおもちゃの携帯電話を赤ん坊に渡す。
すると持った瞬間に放り投げていた。

しかたなく本物の携帯電話を持たせると、赤ん坊は喜ぶ。
でも、弄ってしまうので、お母さんはまたおもちゃの携帯電話をもたせる。
すると、またすぐに放り投げる。

そんなやりとりが数回、目の前であった。

Date: 6月 8th, 2022
Cate: 朦朧体

ジャーマン・フィジックスのこと

ジャーマン・フィジックスは、最初タイムロードが取り扱っていた。
それがいきなり2006年ゼファン取り扱いになった。

それまでインターナショナルオーディオショウに行けば、
タイムロードのブースで、ジャーマン・フィジックスのUnicornを聴くことができた。

ゼファンが取り扱うようになってからは、
取り扱いブランドの多さもあって、
一度もインターナショナルオーディオショウでは聴くことがかなわなかった。

そして、あっさりとゼファンはジャーマン・フィジックスの取り扱いをやめた。
タイムロードがそのまま取り扱っていれば……、と思った。

それからどこもジャーマン・フィジックスを取り扱うところはなかった。
十年以上がすぎた。

Unicornのオリジナルモデルに関しては、
熱心な人が直接ジャーマン・フィジックスと交渉して輸入されている、と聞いている。
とはいえ、ジャーマン・フィジックス不在の時期は続いた。

やっとタクトシュトックが、ジャーマン・フィジックスを取り扱う。
取り扱うラインナップは、いまのところHRS130だけのようで、発売は7月10日。

とにかくジャーマン・フィジックスが、また日本に入ってくる。

Date: 6月 8th, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その75)

アクースティックの楽器のなかで、
ピストニックモーションで音を発しているのがあるだろうか。
なにひとつない。

昔のアクースティックの蓄音器の、いわゆる変換機としての性能は低い。
けれど、当時の人は、その音を聴いて驚いたり、満足していた。

アクースティックの蓄音器の音は、何度か聴く機会があった。
ヴィクトローラかクレデンザは、
置ける場所とそれだけの経済的余裕があれば、欲しい。

アクースティックの蓄音器を聴いている時に、
ふとこれがもしピストニックモーションで音を発する構造だとしたら、
ここまでいい音がする、と感じただろうか。
そんなことを考えたことがある。

ライス&ケロッグによる世界初のコーン型フルレンジユニットは、
もちろん基本的にはピストニックモーションなのだが、
当時の振動板の剛性を考えれば、中高域における分割振動は決して少なくなかったはず。

この6インチ口径のフルレンジユニットの再生周波数帯域は、
100Hzから5kHzほどであったらしいが、
完全なピストニックモーション領域は、どれだけだっただろうか。

人の声もアクースティックの楽器も、
ピストニックモーションで音を発しているわけではないが、
だからといってスピーカーがピストニックモーションであってはいけない──、
とは考えていない。

生の楽器と同じ発音構造でなければならない、とは思っていない。
それでもピストニックモーションこそ唯一とするのは改めるべきだろう、
とは考えている。

Date: 6月 2nd, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その74)

オーディオに興味をもち、スピーカーの原理を知ったばかりのころ、
いまから四十数年前のことになるが、
正直なところ、振動板のピストニックモーション(前後運動)だけで、
音楽が再現できるとは、すぐには信じられなかった、というか理解もできていなかった。

たとえば1kHzのサインウェーヴであれば、
確かにピストニックモーションでも再生(再現)できるのはすぐに理解できる。
サインウェーヴが二波になったら、どうなるのか。

たとえば1kHzと100Hzである。
再生するスピーカーシステムが2ウェイで、
100Hzはウーファーが受け持ち、1kHzはトゥイーターが受け持つというのならば、
これも理解できる。

けれどフルレンジだったら、どうなるのか。
もちろん理屈としてはわかっていても、直観的に理解できていたわけではなかった。

ましてスピーカーから聴く(鳴らす)のは、音楽である。
一つの楽器のこともあれば、複数の楽器の音が、そこ(スピーカー)から鳴ってくる。

それをスピーカーは、基本的には振動板の前後運動だけで再現しようとしている。
しかもスピーカーの振動板は紙や絹であったり、アルミニュウムやチタンだったりする。

楽器に使われている素材とはそうとうに違う素材が使われていて、
しかも一つのユニットから、複数の楽器の音が出てくる。

なのに、それらの楽器の音が聴きわけられる。
理屈としてはわかっていても、考えれば考えるほど不思議な感じは、
いまも残っている。

と同時に考えるのは、アクースティックの蓄音器のことである。
ここにはピストニックモーションは、一つもないからだ。

Date: 5月 31st, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その73)

まったくの仮説である。
科学的根拠が少しでもある、というわけでもない。

ただそれでも、これまでいろんなスピーカーを聴いてきて感じているのは、
ピストニックモーションを追求していけばいくほど、
血の通った音と感じられる音からは遠くなっていく──、
そういう仮説である。

分割共振を完全に排除して、
完全なピストニックモーションの実現を目指す。
そして同時にピストニックモーションしている振動板以外からの輻射も一切排除する。

科学技術の産物としてスピーカーシステムを捉えるのならば、
この方向が間違っているとは思わない。

けれど、そうやって開発されたスピーカーの音を、
血の通った、というふうに感じられない。
まったくないとはいわないけれど、
そういうスピーカーの理想により近づいていると思われるスピーカーの音は、
私の耳には、血の通った、という感じが稀薄になってきているように聴こえる。

これはもしかすると不気味の谷と呼ばれることなのだろうか。
もっともっと完全なピストニックモーションの実現、
それが可能になれば、不気味の谷をこえて、血の通った音と感じられるのかもしれない。

そう思うところはあるももの、ピストニックモーションの追求と実現では、
音に血が通うことはない──、
このことのほうが私の中では大きいままである。

Date: 5月 29th, 2022
Cate: 朦朧体
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ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その72)

その71)で、
輪郭線に頼らない音像の描写。
そこに肉体の復活を感じられるかどうかは、その骨格にあると感じているからだ、
と書いたが、それだけでなく、
血が通っているか、と感じられるかどうかも、とても大事なことである。

音像は、どこまでいっても虚像でしかない。
その虚像に肉体の復活を感じるのは、ようするに錯覚でしかない。

骨格うんぬんも錯覚でしかない、といえるし、
血が通っているも、同じことである。

わかっている。
それでも、やはりそう感じられる音とそうでない音とがある。

Date: 5月 1st, 2021
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その71)

別項で、骨格のある音、骨格のしっかりした音について書いている。
書きながら、音の骨格を意識するようになったのは、いつごろからだろうか──。

あのころからかな、とか、いや、もっと遡ってのあの時かも、
いやいや、結局は、「五味オーディオ教室」を読んだ時からなのでは──、
そんなふうに、はっきりとなんともいえない。

それでもいえるのは、ここでのテーマである朦朧体を意識するようになってからは、
特に骨格のある音を強く意識するようになったことだけは、はっきりしている。

ここでのタイトルは、「ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと」だから、
ボンジョルノがつくってきたアンプ、
ジャーマン・フィジックスのスピーカーのことがメインテーマのように思われかもしれないが、
もちろんこれらもテーマではあっても、メインテーマは朦朧体である。

輪郭線に頼らない音像の描写。
そこに肉体の復活を感じられるかどうかは、その骨格にあると感じているからだ。

Date: 11月 6th, 2017
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その70)

SUMOのThe Goldには、アンバランス入力とバランス入力がついていた。
SUMOのアンプの回路構成からいえばバランス入力のほうが本筋であるし、
アンバランス入力ではOPアンプによるアンバランス/バランス変換回路を通る。

The Goldのバランス入力の音も聴いていた。
アンバランス入力の音も聴いている。
コントロールアンプもいくつか試している。

マークレビンソンのJC2(初期のツマミの長いタイプ)、
それもジョン・カール監修のモディファイ版でも聴いている。
ここでも書いているように、GASのThaedraを、もちろん聴いている。
これ以外にも聴いている。

私がThe Goldとの組合せを聴いてみたかったのはコントロールアンプは、他にもある。
ひとつはビバリッジのRM1/RM2である。

山中先生がステレオサウンド 56号での組合せでは、
JBLの4343とアルテックの6041を鳴らすアンプとして、
RM1/RM2とThe Goldの組合せだった。

新世代の真空管式コントロールアンプとしてRM1/RM2の音はとても興味があったが、
いったい日本に何台輸入されたのか、一度も見たことがない。

もうひとつがマークレビンソンのML6(シルバーパネルの方)である。
ML6は一度買おうとしたことかある。
もちろん中古である。

めったに出ないML6の中古が、その店にはあった。
当時の最高回数である36回の分割払いならば、なんとか買えそうだった。
でも23歳の私は、分割払いの審査が通らなかった。

Thaedraを、山中先生から譲っていただいたのは、その後である。
Thaedraでの圧倒的な音を聴いて、無理してML6を買わなくてよかった、とも思った。

それでもML6のことを、ここであえて書いているのは、
ここでのテーマである朦朧体に関していえば、
ML6とThe Goldの組合せは悪くないどころか、
意外にも魅力的な音を聴かせてくれたかもしれない──、そう思えるからだ。

Date: 10月 24th, 2016
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その69)

「オーディオあとらんだむ」に登場するM氏は、
ステレオサウンド 67号「素晴らしき仲間たち」にも登場されている。

四回目となる「素晴らしき仲間たち」はエレクトロボイスの30Wユーザーである。
この記事の終りに、30Wを搭載しているパトリシアン800のユーザーが四人登場されている。
その中のひとりがM氏、前橋武氏である。

顔写真も載っている。
この人だったのだ、と気づいた。

瀬川先生が熊本のオーディオ店で定期的にやられていたオーディオ・ティーチ・イン。
私も毎回通っていたが、M氏もほぼ毎回来られていた。
ひとり和服姿だったし、髪形も独特だったから、よく憶えている。

67号にThe GoldとSG520のことを書かれている。
もちろんパトリシアン800とトーレンスのリファレンスのことも書かれているが、
瀬川先生の「オーディオあとらんだむ」を補完することが、ここにはある。
     *
「76cmウーファーで棚の人形が揺れて落ちます」と言う青木周三さんの言葉に魅せられてテクニカの限定販売の時にとびついた。だが足かけ2年に及ぶ苦汁を味わうことになる。始め嘗ての銘器Mアンプで鳴らした。出て来た音の貧弱なることまるで昔の電蓄である。ウーファーが全く動かないのである。以来現在入手可能な国産海外の著名な製品のほとんどを次から次へと試聴していった。マーク・レビンソンを始めとして新しい所ではMC2500、サイテーションXX、クレルなどがある。結局メインはスモのザ・ゴールドに落着いた。ウーファーをグンと駆動するバイタリティは文字通りのスモー(相撲)だ。然しプリが中々無いのである。最早K店の片隅の埃かぶりの下取りSG520しかなかった。だが突然目も覚める様な鮮かな音が出て来た。欣喜雀躍! テラーク版サンサーンス3番のオルガンの重低音が素晴らしい。鬼太鼓座の六尺太鼓が眼前に彷彿である。坐っている椅子が揺れた。
     *
トーレンスのリファレンスとエレクトロボイスのパトリシアン800だけで、
瀬川先生の「永いオーディオ体験の中の1ページに書き加える価値のあるほどの」音が出たわけではない。
The Goldがあって、SG520があってこその「すごさ」であることが読みとれる。

もちろん前橋氏の感覚があってのことはいうまでもない。

それでもThe Goldがなかったら……、
そんなことを思っていた。

Date: 10月 23rd, 2016
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その68)

「オーディオあとらんだむ」では、
トーレンスのすごさと、スピーカーのパトリシアン800のすごさについて書かれているけれど、
The Goldのすごさについては書かれていない。

コリン・デイヴィスの「春の祭典」でのすごさについて書かれている。
瀬川先生が熊本のオーディオ店でかけられたのは、
コリン・デイヴィスのストラヴィンスキーではあったが、
記憶違いでなければ「春の祭典」ではなく、こちらは「火の鳥」だった。

当時、コリン・デイヴィスのストラヴィンスキーのバレエ三部作の録音で、
「春の祭典」と「火の鳥」は非常に優秀な録音という評価が与えられていた。

ほんとうにそうだと思っている。
あの時聴いた「火の鳥」のすごさは、
瀬川先生がM氏のリスニングルームでの「春の祭典」には及ばないところがあるだろうが、
それでもそれまで聴いた音の中で、圧倒的にすごかった。

瀬川先生は《まさに「体験」としか言いようのないすごさ》と表現されている。
私も、その時、そう感じていた。
4343から鳴ってくる音を聴いている、というよりも、
体験している、としか表現しようのないすごさの音だった。

当時、高校生だった私は、放心していた。
ここまでオーディオはすごいのだ、と実感できたこともあった。
いまの耳で聴けば、こまかな欠点も気づくはずだろうが、
そんなことを関係ない、といえるだけの圧倒的なすごさがあったし、
それに打ちのめされた。

ただこの時は、トーレンスのリファレンスのすごさゆえだ、と思っていた。
だから、家までの帰り途(バスで約一時間ほどかかる)、
パワーアンプがマークレビンソンのML2だったら、もっとすごい音だったかも……、
そんなことも考えないわけではなかった。

まだ若かった、というか、青二才だった。

Date: 10月 23rd, 2016
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その67)

いまでこそ、であるのだが、10代のころの私にとっては、
ボンジョルノよりもマーク・レヴィンソンがつくるアンプの方に憧れていた。

それには瀬川先生の影響が強い。
何度も書いているように、そのころのマークレビンソンの音とGASの音は、
女性的と男性的というふうに、アメリカの最先端のアンプでありながらも性格は対照的であった。

そんな私が、ある日突然、SUMOのThe Goldを買うに至ったのも、
瀬川先生の影響があってなのだ。

そのころ瀬川先生はFMfanに「オーディオあとらんだむ」という連載を書かれていた。
私はこの連載が楽しみで、当時あったFM誌の中からFMfanを選んでいた。

その「オーディオあとらんだむ」で書かれていることが、
読んだ時からずっと頭の中に残っていた。
     *
 トーレンスは、スイスおよび西ドイツにまたがる著名なターンテーブルのメーカー。プロ用のEMTと同じ工場で製品を作っている。社歴もあと2年で100年を迎えるという老舗。
 このメーカーは、一貫してベルトドライブ式のターンテーブルを作り続けてきた。いわゆる業務用でない一般向けのターンテーブルとしては、世界で最も優秀な製品のひとつ、と高く評価されていた。しかしここ数年前は、日本の生んだDD(ダイレクトドライブ)式に押されて、世界的に伸び悩んでいたようだ。
 そのトーレンスが、昨年のこと、突然、「リファレンス」と名づけて、ものすごいターンテーブルを発表した。最初は市販することを考えずに、社内での研究用として作られたために、もし売るとしたらどんなに高価になるか見当もつかない、ということだったが、ことしの9月にようやく日本にほんの数台が入荷して、その価格はなんと358万円! たいていの人はびっくりする。
 トーレンス社の研究用としてはおもに2つの目的を持っていて、ひとつは、ベルトドライブシステムの性能の限界を究めるため。もうひとつは、世界各国のアームとカートリッジを交換しながら、プレイヤーシステム全体を研究するため。
 しかしこの2点が、私たちオーディオ愛好家にとっても、きわめて興味深いテーマであったために、発売を希望する声が世界中からトーレンス社に寄せられて、ついに市販化に踏み切ったのだという。
 現在、ここまで性能の向上したDDターンテーブルがあるのに、350万円も投じて、いったい、ターンテーブルを交換してどういう効果があるのか──。たいていの人がそう思うのは当然だ。
 だが、市販されている相当に高級なプレイヤーシステムと、この「リファレンス」とで、同じレコードを載せかえ、同一のカートリッジをつけかえて聴き比べてみると、ターンテーブルシステムの違いが、音質をこんなにまで変えてしまうのか、と、びっくりさせられる。第一に音の安定感が違う。ビニールのレコードのあの細い音溝を、1~2グラムという軽い針先がトレースしているという、どこか頼りない印象は、ローコストのプレイヤーでしばしば体験する。ところが「リファレンス」ときたら、どんなフォルティシモでも、音が少しも崩れたりせず、1本の針が音溝に接しているといった不安定な感覚を聴き手に全く抱かせない。それどころか、消え入るようなピアニシモでも、音の余韻がほんとうに美しく、かすれたりせずにしっとりとどこまでも消えてゆく。大型スピーカーの直前に置いて、耳がしびれるほどの、聴き手が冷汗をかくほどの音量で鳴らしても、ハウリングを生じない。またそれだからいっそう音が安定して、いわゆる腰の座りのいい音がするのだろう。
 詳しいことは既に、ステレオサウンド誌56号に紹介した通り、一愛好家としては恵まれすぎているほどの時間と機会を与えられて試聴したが、なにしろこの音は、すごい、としかいいようがない。いや、すごいといっても、決して聴き手を驚かせるようなドキュメンタルな音が鳴るばかりでなく、むしろ上述のような、ピアニシモの美しさのほうをこそ特筆すべきではないかとさえ思う。
 そういう次第で、この音を十分よく聴き知っているつもりの私が、つい先日、大変な体験をした。
 スピーカーがエレクトロボイスの、「パトリシアン800」。アンプはJBLのSG520(旧製品のプリアンプ)とSUMO社の「ザ・ゴールド」。こういう組み合せで聴いておられる一愛好家のお宅で、プレイヤーをこの「リファレンス」に替えて試聴したときのことだ。たいていの音には驚かなくなっている私が、この夜の音だけは、永いオーディオ体験の中の1ページに書き加える価値のあるほどの、まさに冷汗をかく思いのすごい音、を体験した。聴いた、のではない。まさに「体験」としか言いようのないすごさ。
 例えば、1976年録音のコリン・デイヴィスの「春の祭典」(フィリップス)。第2部終章の、ティンパニーとグラン・カッサの変拍子の強打音の連続の部分──。何度もテストに使って、結構「聴き知っていた」つもりのレコードに、あんな音が入っていようとは……。
 グラン・カッサ(大太鼓)が強く叩かれる。その直後にダンプして音を止める部分が、これまではよくわからなかった。当然、ダンプしないで超低音の振動がブルルルン……と長く尾を引いているところへ、ティンパニーが叩き込んだ音が重なってくる。そうした、低音域での恐ろしく強大な音が重なり、離れ、互い違いにかけあう音たちが、まるでそのスピーカーのところで実際のティンパニーやグラン・カッサが叩かれているかのような、部屋全体がガタガタ鳴り出すような音量で、聴き手を圧倒してくる。
 居合わせた数人の愛好家たちは、終わってしばらくのあいだ、口もきけないほどのショックを受けたらしい。次の日、私はすぐに、日本フォノグラム(フィリップス)の新部長に電話をかけた。私たちは、まだフィリップスの音をほんの一部しか聴いていないらしいですよ……と。
 スピーカーもすごかったし、そのスピーカーをここまで鳴らし込むことに成功されたM氏の感覚もたいへんなものだ。
 そしてしかも、そういうシステムであったからこそ、トーレンス「リファレンス」が、もうひとつ深いところで、いままで聴くことのできなかった新しい衝撃を与えてくれたのだろう。
 いくら音がいいといっても、本当に350万円の価値があるのだろうか、と、誰もが疑問を抱く。
 しかし、あの音をもし聴いてみれば、たしかに、「リファレンス」以外のプレイヤーでは、あの音が聴けないことも、また、誰の耳でもはっきり聴きとれる。
 この夜の試聴は、「リファレンス」の非売品のサンプルであったため、プレイヤーは翌朝、M氏のお宅から引き上げられた。
 M氏はもう気抜けしてしまって、本当に「リファレンス」を購入するまでは、もうレコードを聴く気が起きないといわれる。
 良い音を一旦聴いてしまうと、後に戻れなくなるものだ。
     *
ここに登場するM氏は、熊本在住の医師である。
瀬川先生の手術を担当された方でもある。

瀬川先生がM氏のリスニングルームで、冷汗をかく思いのすごい音、を体験される前に、
これに近いシステムで、熊本のオーディオ店で、私はトーレンスのリファレンスの音を聴いた。

鳴らされたのは瀬川先生。
スピーカーはJBLの4343、パワーアンプはThe Gold、
コントロールアンプはLNP2で、プレーヤーがリファレンスだった。

この時が、瀬川先生に会えた最後の日となった。

Date: 10月 12th, 2016
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その66)

クレルのデビュー作といえるPAM2とKSA100のペアが奏でる音は、
私にとっても格別魅力的だった。

試聴でクレルの、このペアが借りられることになると嬉しかった。
またクレルの音が聴ける──、ただそれだけで嬉しくなっていた。

そのくらい初期のPAM2とKSA100の音はよかった。
よかったけれど、この初期というのは、ふつう考えられているよりも短い、とだけいっておこう。

よくオークションに、初期のクレルということをアピールしているのを見かけるが、
オークションでは誰もが高く売りたいわけで、そのための煽り文句ぐらいに思っていた方が賢明だ。

それにごく初期のクレルのペアの音を聴いている人がどれだけいるのだろうか。
シリアルナンバーで確認しているわけでもないし、
本人はごく初期だと思い込んでいても、それはもうごく初期ではなく初期であったりする。

少なくともブログなどで、自分が持っているのは初期タイプだから、音がいい──、
そんなことを自慢している人のいうことを、私は信じていない。

クレルは、コントロールアンプはPAM2だけだったが、
パワーアンプはKMA200(モノーラルA級200W)、KSA50(ステレオA級50W)、
KMA100(モノーラルA級100W)と、ラインナップを充実させていった。

KMA200の凄みには、驚いた。
KSA50のKSA100よりも高い透明感のある音もよかった。
けれど、PAM2とKSA100の音が、私の耳(というよりも耳の底)には焼きついていた。

このクレルの音を、GAS、SUMOのアンプを男性的とすれば、
女性的であり、対照的でもあった、と書いた。
確かにそうなのだが、女性的という言葉からイメージするような、華奢な感じではない。
非力なわけでもない。
そういう次元での男性的、女性的といったことではない。

瀬川先生は、JC2、LNP2時代のマークレビンソンの音を女性的、
GASの音を男性的と表現されていたが、ここでの男性的、女性的とも、
GAS、SUMOの男性的、クレルの女性的は違う面を持つ。

でも、そういうことに気づくのは、
朦朧体といえる音の描き方を求めていることを意識するようになってからである。

Date: 1月 25th, 2014
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その65)

ごく初期のクレルのペア(コントロールアンプのPAM2とパワーアンプのKSA100)の音は、
マークレビンソンのアンプとは、ある意味対照的な音像の描き方をもっていた。

この場合のマークレビンソンとは、同時代のML7、ML6Aといった、
新しい世代のマークレビンソンのアンプのことではなく、
その前の、LNP2、JC2、ML2までのアンプのことであることをことわっておく。

クレルのペアが聴かせた、あの質感は、いま思い出せば朦朧体ともいえる描き方だったといえる。
音の輪郭線を際立たせたり強調したりすることなく、音像を形作るような音だった。

どんなモノにも、輪郭線は存在しない、といえる。
けれど絵を描くとき、輪郭線に頼ってしまうし、
音だけのオーディオの世界においても音の輪郭線は、重要な要素である。

マークレビンソンのアンプは、輪郭線の描き方に特徴があった。
その特徴ある輪郭線に魅了される人は多かったし、私もそのひとりだった。

だからクレルのごく初期のペアは、マークレビンソンのアンプと対照的だといえるし、
また別の意味で、GASのペア(コントロールアンプのThaedraとパワーアンプのAmpzilla)とも対照的である。

GASのアンプも、朦朧体の音のアンプとして、もっとも早い時期に登場したといえる。
その意味ではクレルも同じことになるわけだが、
GASが男性的であるのに対し、
あの時期のクレルのペアは、あきらかに女性的といえる音の魅力があったからだ。