Archive for 4月, 2011

Date: 4月 30th, 2011
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その13)

ラインケーブル、スピーカーケーブル、それに電源ケーブルも、
使い手が自由に選べる方が、使いこなしの自由度が広くなり、より自分の求める音に近づけることができる、
そういうふうにとらえられがちである。

そういう一面は、たしかにある。ケーブルを交換することを否定はしない。
でもまずは一度ケーブルが付属してくるのであれば、それで接いだ音をきちんと聴いてみるべきである。

コントロールアンプで、ラインケーブルが付属していたとすると、
そのコントロールアンプを送り出したメーカーは、コントロールアンプの領域として、
そのケーブルを含めて考えていることになる。
スピーカーシステムも、スピーカーケーブルが付属してくるものもある。
やはり、これも、そのメーカーのリファレンスということで、たとえそのケーブルが、
いま使っているケーブルと比較して、価格的に安かったり、貧弱そうにみえても、一度そのケーブルで聴いてみる。
電源ケーブルにしても同じことである。

電源ケーブルが着脱式になっているのはだめだとは言わない。
交換できるのであれば、それを積極的に利用するのはいい。ただむやみにやるのはすすめない。
でも、交換できないからと文句をいうのは、考え方・捉え方として、おかしい。

製品を手を加えることに否定的ではない私がいれば、その一方に手を加えることに否定的な人もいる。
でも、その人たちに問いたいのは、あるコントロールアンプを購入したとする。
ケーブルが付属してきた。長さもちょうどいい。
なのにいま使っている他社製のケーブルで使って、そのコントロールアンプをシステムに導入する。
このことは、完成品に手を加えていることにならないのか、と。

これも、私にいわせれば、付属の純正ケーブルをほかのケーブルに交換した時点で、
完成品に手を加えていることになる。
長さが足りなければ、付属してきたケーブルの長いものを購入すればいい。

アンプの天板をとって、中をいじることだけが、完成品に手を加えることではない。
それぞれのオーディオ機器の領域を考えるならば、完成品には絶対手をつけないという人は、
付属ケーブルがあればそれをそのまま使うべきである。
ケーブルがいっさい付属してこないものだったら、自由にケーブルを選ぶのはいい。

だが、くり返すが、付属ケーブルをほかのケーブルに変えることは、完成品に手を加えることになる。
そういう意味では、多くの人が意識せぬうちに完成品に手を加えていることになる。

Date: 4月 29th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(その21)

少し話がずれてしまったが、無色透明であることがモニタースピーカーの条件ではない、ことはいえる。

1960年から70年にかけてスタジオモニターとして
各国のスタジオで使われることの多かったアルテックの604を収めたスピーカーシステムは、
誰が聴いても無色透明とは遠いところにいる音である。
イギリスの録音の現場で使われることの多かったタンノイにしても、その点は同じである。
音色としての個性は、どのスタジオモニターであれ、はっきりともっていた、といえる。

そういうスピーカーでモニタリングされながら、名盤と呼ばれるレコードはつくられてきた。

いまここでスタジオモニター、といっているスピーカーシステムは、
レコード会社の録音スタジオで使われるスピーカーのことである。

この項は「BBCモニター考」である。「スタジオモニター考」でも、「モニタースピーカー考」でもない。
これは日本だけのことなのかもしれないが、BBCモニター、とこう呼ばれている。

BBCはいうまでもなくイギリスの国営放送局で、BBCモニターはその現場で使われるスピーカーシステムのことで、
型番の頭には、LS、とつく。

ステレオサウンド 46号は、モニタースピーカーの特集号である。
この中で、岡先生が、当時の世界中のスタジオで使われているモニタースピーカーのブランドを数えあげられている。
資料として使われたのは、ビルボード誌が毎年発行している(いた?)
インターナショナル・ダイレクトリー・オブ・レコーディング・ステュディオスで、
この本は世界中の大多数の録音スタジオの規模、設備がかわるもの。

それによると、1975年当時、962のスタジオの使われていたスピーカーのブランドは次の通り。
 アルテック:324
 JBL:299
 タンノイ:91(うちロックウッドと明示してあるのが40)
 エレクトロボイス:60
 ウェストレーク:21
 KLH:17
 K+H:14
 カダック:13
 AR:12
これを国別でみると、イギリスとフランスで圧倒的に多く使われていたのはタンノイで、
イギリスではタンノイ:20/ロックウッド:18、フランスではタンノイ:1/ロックウッド:12。
西ドイツではK+Hとアルテックがともに同数(9)でトップ。

気づくのは、BBCモニターを作っているブランドがない、ということ。
もっとも岡先生があげられたブランドの合計は851だから、
のこり100ちょっとスピーカーシステムの中にはBBCモニターのブランドがはいっている可能性はあるが、
少なくともARの12よりも少ない数字であることは間違いない。

Date: 4月 28th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その55)

菅野先生が、ウェストミンスターは60Hz以下の低音は諦めている設計だと言われた理由も、
菅野先生に「なぜウェストミンスターは、あんなに大きいの低音が出ないのか」と相談された方がそう感じた理由も、
ウェストミンスターのバックロードホーンが受け持つ、この構造ならではの量感の独特の豊かさが、
実のところ、それほど低い帯域まで延びていないためだと思っている。

ウェストミンスターが、もしオートグラフと同じコーナーホーン型であったら、
あの豊かで風格を築く土台ともなっている低音は、もう少し下まで延びていく、と考える。
でもウェストミンスターはエンクロージュアの裏側をフラットにして、コーナーに置くことをやめている。
コーナー・エフェクトによる低音の増強・補強を嫌った、ともいえる。

その結果として、ウェストミンスターはオートグラフよりも、使いやすくなったスピーカーシステムといえる。
堅固なコーナー、しかも5m前後の壁の長さを用意しなくてもすむ。
設置の自由度もはるかに増している。

ステレオサウンドの試聴室ではじめてウェストミンスターを聴いたときも、
五味先生のオートグラフとの格闘の歴史を、何度もくり返し読んでいただけに、
拍子抜けするほどあっさりと鳴ってくれたのには、驚いた。
これがスピーカーの進歩かもしれないけど、反面、物足りなさも感じていた。

オートグラフでは、まず設置の難しさがある。
それだけに理想的なコーナーと壁を用意できれば、
あの当時のスピーカーシステムとしては低域に関してもワイドレンジだといえる(はずだ)。

ウェストミンスターは、そんな設置の難しさはない。
それだけに低域に関しては、ワイドレンジとはいえないところがある。

このことは、私にとって、以前「タンノイ・オートグラフ」で書いたこと、
オートグラフはベートーヴェンで、ウェストミンスターはブラームス、ということにつながっていく。

Date: 4月 28th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その54)

エソテリックのサイトではなくタンノイのサイトで、ウェストミンスターのスペックを見ていて気づくのは、
CROSSOVER Frequency(クロスオーバー周波数)のところに、
200Hz acoustical, 1kHz electrical とあるところだ。

1kHzに関しては説明は必要ないだろう。内蔵のネットワークによる。
200Hzは、ウェストミンスターのエンクロージュアの構造によるもので、
200Hz以下はバックロードホーンが受け持つ帯域となる。
オートグラフは、350Hz以下をバックロードホーンが受け持つ、とカタログにあったと記憶している。

ウェストミンスターにしてもオートグラフにしても、
このバックロードホーンの開口部はエンクロージュアの左右に設けられており、面積にするとかなり広い。
スピーカーユニットに同軸型を採用し、音源の凝縮化をはかっているのに、
200Hz(もしくは350Hz)以下の低音に関しては反対の方向をとっているといえる。

これが、ほかのスピーカーシステムでは得られない
オートグラフ(ウェストミンスター)ならではの音の世界をつくっている要素になっているわけで、
オートグラフでは20Hzまでバックロードホーンによるホーンロードがかかっているように、
カタログからは読みとれる。

ただいかなる条件下において20Hzまでホーンロードがかかっているのかというと、はっきりしない。
おそらく実際に堅固なコーナーにきちんと設置して、
しかも壁の一辺が十分な長さを持っているときに限るのではないか、と思う。

正直、この辺になると実際にコーナー型(それもコーナーホーン型)のスピーカーシステムを、
自分の手で、しかも部屋の環境を変えて鳴らした経験がないため、推測でしかいえないもどかしさがあるが、
コーナーホーン型が理屈通りに壁をホーンの延長として使っているのであれば、間違いはないはずだ。

結局、このところがオートグラフとウェストミンスターの、(少なくとも私にとっては)決定的な違いである。

ウェストミンスターの低域が-6dBではあるものの18Hzまでレスポンスがあるのは、
タンノイがスペックとして発表している以上、疑うことではない。
ただそれはレスポンスと測定できることであって、果してウェストミンスターのバックロードホーンが、
18Hzまでホーンロードがかかっていることの証明にはなっていない。

Date: 4月 27th, 2011
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その17)

カラヤンが、もしデッカの「オテロ」を不満に思っているとしたら、
その理由は、やはりカルショウのしかけた録音にある、と思う。

ほんものの大砲の音を使ったことに代表されるように、
デッカの「オテロ」には、カルショウがしかけた録音のおもしろさがある。
これは、ショルティとの「ラインの黄金」からはじまったカルショウの録音テクニックの開発が、
さらに花開いた、という印象で、本来、「録音」というものは演奏者を裏から支える技術であるはずなのに、
カルショウの手にかかった「オテロ」では、
ショルティの「ニーベルングの指環」がときに「カルショウの指環」が言われるのと同じようなところがある。
当時のショルティよりも、「オテロ」のカラヤンは前面に出てきている、とはいうものの、
ときにカルショウの録音のしかけ──ソニック・ステージといいかえてもいいだろう──が、
カラヤンの演奏よりも印象が強くなるところがある。

ここのところが、カラヤンのもっとも不満に感じていたところではないのだろうか。

視覚情報のない録音において、それがステレオになったときにカルショウは、
モノーラル録音ではなし得なかった大きな可能性を見出している。

カルショウは自署「ニーベルングの指環──録音プロデューサーの手記」(黒田恭一氏訳)で、
このことをはっきりと書いている。
できれば全文引用したいところだが、この章だけでもかなりの長さなので、ごく一部だけ。
     *
そういう次第で、ステレオは、使われるべき手段のひとつなのである。結局は、あなたがステレオをどう考えるかである。そのもっともすばらしい例として、二十年前には考えることもできなかったような方法で、家庭生活にオペラを持ち込むことが、ステレオは出来るのである。いくつかの理由により、オペラハウスでのような効果はえられない。家庭でレコードを聴いている人は、集合体の一員ではないのである。その人が認めようが認めまいが、個室におけるその人の反応は、公の中での反応と同じものではないのだ。私は、あるひとつの環境が他の環境より良いと主張しているのではなく、ただたんにそのふたつが違っていて、だからまた、人びとの反応も違うといっているのである。良い条件のもとでの演奏の好ましいステレオ・レコードの音は、家庭においても、聴き手の心をとらえるであろうし、劇場で聴いている時よりもはるかにそのオペラの登場人物たちに、心理的に近づいているかもしれない。自分がそのドラマの中にいるという感じは、目に見えるものがないためにかえって、強められるのである。聴き手は、言葉と音楽とを聴くことができ、主人公たちが立っている場所を聴きわけることができ、彼らが動く時には、彼らの動きに従うことができるのである。だが、その登場人物たちが、どのような格好をしているかとか、どんな舞台装置の中を歩きまわっているかといったことについては、その聴き手なりに、頭の中で想像図を描かねばならない。そうなると、その聴き手は、他人の演出したものを鑑賞するかわりに、無意識に自分自身のものをつくり出すことになるのである。(アンドリュー・ポーターは、「ラインの黄金」を批評して、「グラモフォン」誌に、次のように書いている。「このレコードを聴くのと、舞台に目をむけずにオペラハウスに身をおいているのとは、違う。これは、ある神秘的な方法で、演じている人たちの中ではなく、作品の中に、より親密に私をとらえるのである」。)
     *
ここで見落してはならないのは、
「自分がドラマの中にいるという感じは、目に見えるものがないためにかえって、強められるのである」。
これこそが、ソニック・ステージの根幹、カルショウの録音の基盤になっている、といっていいはずだ。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(その13)

グラフィックイコライザーはスライド式のツマミが横にいくつも並ぶ、というのが通常のスタイルだ。
ある周波数のツマミを上げたり下げたりして、複数のツマミがカーヴを描く。
そこから、グラフィックイコライザーという名前がきているわけだが、
ここまで述べてきたように、ツマミを動かすことで変化するのは、振幅特性と位相特性であって、
ツマミが表わしているのは、振幅特性のみ、となる。

これでは片手落ちの「グラフィック」である。
その12)に書いたように、
周波数特性は振幅項と位相項をそれぞれ自乗して加算した値の平方根であるからだ。

そしてもうひとつ。再生側でグラフィックイコライザーを使用する際は、
おもにスピーカーシステムの特性をふくめて、リスニングルームの音響特性を補整する。
たとえば中域を抑えたいと思い、グラフィックイコライザーでそのへんの帯域のツマミのいくつかをまとめてさげる。

グラフィックイコライザーのツマミの並びは、中域のレベルを下がった状態を示している。
けれど目指している音は、基本的にはフラットな音であって、そのために中域を下げたわけである。

つまりスピーカーシステムの特性、部屋の特性を補整するために使い、
ツマミの並び方は、その補整カーヴであって、
いま出ている音のおおまかな傾向を表しているわけではない、ということだ。
ようするに補正後の特性(つまりスピーカーシステムから出てくる音の特性)を表示しているわけではない。

このふたつの理由から、私は、グラフィックイコライザーのデザインは、
再検討されるべきものだと考える。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その11)

丸いコーン型ウーファーの開口部を四角にすることのメリット・デメリットは、
音量によって、そのバランスが変化してくる。

このごろはどうなのか知らないが、1970年代ではイギリスから来日したオーディオ関係者が、
日本で耳にした音量の大きさに「われわれの耳を試しているのか」と驚いたという話があったし、
ヨーロッパでのレコーディング時のモニターの音量は、アメリカ、日本の感覚すると、
こんどはアメリカ人、日本人が驚くほど小さい、といわれていた。

事実、ヨーロッパでは、QUADのESLがモニタースピーカーとして使われていた、という話もある。

そういうひっそりとした音量では、開口部を四角にして、ウーファーの一部を隠すようなかたちになっても、
このことによるデメリットよりも、メリットのほうに傾くだろう。
反対に音量レベルをあげていくにしたがって、徐々にデメリットのほうに傾いていくだろうし、
あるレベルの音量を超えたら、メリットよりもデメリットのほうが大きくなることだろう。

だから、四角の開口部は、いかなる場合にでもすすめられる手法ではないけれど、
それほど音量をあげないのであれば、しかもあまり帯域分割をしないマルチウェイのスピーカーにおいては、
いまでも有効な手法だと、捉えている。

そして、このことは、瀬川先生がなぜ4ウェイ構成を考えられていたのか、
KEFのLS5/1Aを高く評価されていることとも関係してくる。

瀬川先生の音量は、ひっそりしたものだった。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その16)

カラヤンは、1973年に「オテロ」を再録音している。
再録音に積極的だったカラヤンにしても、12年での再録音は早い。
しかも交響曲ではなく、演奏者の数も多く予算もそれだけ多くを必要とするオペラの再録音で、
12年というのは、最短記録かもしれない。

ほかのオペラでは、EMIに録音したモーツァルトの「フィガロの結婚」と「魔笛」はどちらも1950年。
「フィガロの結婚」はデッカで、「魔笛」はドイツ・グラモフォンで、
前者は28年、後者は30年後の再録音である。
いうまでもないことだが、EMI録音はモノーラルである。
なのに30年ものあいだ、再録音してこなかったのにくらべ、
「オテロ」は旧録音もステレオであるのに、再録音までは12年である。

1961年の「オテロ」は、デッカでの録音で、オーケストラはウィーン・フィル、
1973年の「オテロ」は、EMI録音で、オーケストラはベルリン・フィル。

デッカの「オテロ」に使われた録音器材は、すべて真空管だったはず。
EMIの「オテロ」に使われたのは、すべてか、ほとんどの器材はトランジスターに移り変っていたはず。

これは黒田先生が指摘されていることだが、カラヤンがこんなに早く「オテロ」を録り直したのは、
デッカの「オテロ」の出来に満足していなかったためではなかろうか。

カラヤンが満足していなかったと仮定して、何に満足できなかったのは、勝手に推測していくしかない。
まず考えられるのは、歌手がある。
デッカの「オテロ」では、オテロをマリオ・デル・モナコ、イヤーゴをアルド・プロッティが歌っている。
ドイツ・グラモフォン盤では、オテロはジョン・ヴィッカース、イヤーゴはピーター・グロソップになっている。

デッカの「オテロ」とほぼ同時期に出たセラフィン指揮でも、ヴィッカースはオテロを歌っている。

デル・モナコとヴィッカースは、声の明るさにおいて正反対なところがある。
デル・モナコの明るいテノール似対して、ヴィッカースの暗い声のテノール。
プロッティとグロソップも、やはり違う。プロッティは暗い声のバリトンで、グロソップは明るい声のバリトン。

ヴェルディは、オテロは暗い声のテノール、イヤーゴは暗い声のバリトン、という指示をしている、ときく。
つまりデッカの「オテロ」では、歌手の扱いに対して失敗といえるところがあったようにもいえる。

だからといって、このことだけが理由で、再録音までの期間が12年と短かったわけではないと思う。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その53)

18Hz〜22kHzとあっても、それがどのレベル差の範囲でおさまっているのかは、
エソテリックが出しているカタログには載っていない。

タンノイのサイトで調べると、18Hz – 22kHz -6dB、とある。
同じく15インチの同軸型をバスレフ・エンクロージュアに収めたカンタベリー/SEの周波数特性は、
28Hz – 22kHz -6dBとなっている。
カンタベリーのエンクロージュア・サイズはW680×H1100×D480mm、内容積は235ℓ。
容積的にはウェストミンスターの、ほぼ半分程度だ。

どちらも同じ-6dBということだから、
カタログ上ではウェストミンスター・ロイヤル/SEのほうが低域が下まで延びていることになる。

ウェストミンスターは1982年に登場した。
ステレオサウンドの試聴室で何度となく聴く機会があった。
翌日の取材の準備を終えた後、夕方、試聴室でひとりで聴いたこともあった。

そのときの印象から言えば、ウェストミンスターの低域は、カタログ・スペックほど延びてはいない。
もっと高い周波数までという感じがする。
菅野先生は、(たしか)60Hz以下の低音は諦めている設計だと言われていたのを思い出す。

中低域から、この周波数あたりまでは、独特のプレゼンスをもつ量感の豊かさがあって、
低音「感」に不足を感じるどころか、
堂々たる風格で響いてきたアバド/ブレンデルによるブラームスのピアノ協奏曲は、いまも思い出せるほどだ。

その響きに不足は感じない。
けれど、カタログ・スペック通り18Hzという非常に低いところまで十分なレスポンスが感じられたかというと、
決して、そうとはいえない。

でも、だからといってよく出来たブックシェルフ型スピーカーシステムのほうが、
レスポンス的にはウェストミンスターよりも、もう少し下の帯域まで延びている印象はあるが、
そのことが音の風格につながっているか、となると、また別問題だ。

Date: 4月 25th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その52)

言葉のうえでは、オートグラフとウェストミンスターは、
どちらも15インチの同軸型ユニットを使用、
エンクロージュアはフロントショートホーンとバックロードホーンの複合型、と同じだ。

ウェストミンスターを最初にみたとき、ランカスター、ヨークにコーナー型とレクタンギュラー型が、
バックロードホーン型のGRFにもレクタンギュラー型があったように、
ついにオートグラフにもレクタンギュラー型が登場した、というふうに受けとられたかもしれない。

オートグラフを手に入れたくても、理想的なコーナーをそのために用意することがかなわない。
それであきらめていた人にとっては、
レクタンギュラー・オートグラフは、待ちに待ったスピーカーシステムだったもかもしれない。

しかし、ウェストミンスターは、レクタンギュラー・オートグラフではない。
ウェストミンスターは、あくまてもウェストミンスターであって、オートグラフではない。

オートグラフはコーナー型ゆえに、エンクロージュア後部は90°の角をもつ。
ウェストミンスターの後部は、通常のエンクロージュア同様、フラットになっている。
コーナー・エフェクトによる低音の増強を嫌ってのことである。

ウェストミンスターは、その後、ウェストミンスター/R、ウェストミンスター・ロイヤル、
ウェストミンスター・ロイヤル/HEと改良されていくときに、
エンクロージュアの寸法も多少変更されている。
カタログ上では初代ウェストミンスターはW1030×H1300×D631mmだったのが、
ロイヤルからW982×H1400×D561mm、ロイヤル/HEはW980×H1395×D560mmとなっている。
内容積もそれにともない521ℓから545ℓ、530ℓとなっている。

細かい差はあるけれど、ウェストミンスターとほぼ同じ500ℓをこえるエンクロージュアを、
バスレフ型、もしくは密閉型で作れば、かなり自然に低域を伸ばすことができる。

そのためか、ウェストミンスターの大きさだけから判断して、
うまく鳴らせばかなり低いところまで再生できる思われる方がおられるようだ。

菅野先生は、ウェストミンスターよりも、
よくできたブックシェルフ型のほうが周波数特性的には低域が延びている、と言ったり書かれたりされているし、
実際に何人かのオーディオマニアの方から、あんなに大きいの、なぜ低音が出ないんですか」
と相談を受けたことがあると話されていた。

エソテリックによるタンノイのカタログには、現在のウェストミンスター・ロイヤル/SEの周波数特性は、
18Hz〜22kHzとなっている。

Date: 4月 25th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その51)

とはいうものの、五味先生がオートグラフを存在を知り、
その高価さに、半信半疑で新潮社のS氏にされ、そこで返ってきた
「英国でミスプリントは考えられない。百六十五ポンドに間違いないと思う。そんなに効果ならよほどいいものに違いない。取ってみたらどうだ。かんぺきなタンノイの音を日本でまだ誰も聴いた者はないんじゃないか」
という言葉に、「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかも」と思い、
オートグラフを取り寄せるきっかけとなったHiFi year bookは、1963年度版だから、当然ステレオになっている。
その時代に、オートグラフは、スタジオ・モニター用として、と明記されていたわけだ。

正直、オートグラフがモニター用スピーカーシステムとして使われた実例があるのか、
なぜHiFi year bookはスタジオ・モニターとしたのか、
はっきりとしたことは──以前からずっと疑問に思ってきたことだが──、あいからわずなにひとつない。

ひとついえることは、オートグラフが登場した1953年においても、
五味先生のもとにオートグラフが届いた1964年においても、
ワイドレンジを志向したスピーカーシステムであることだ。

五味先生が書かれている。
     *
S氏にすすめられ、半信半疑でとったこのタンノイの Guy R. Fountain Autograph ではじめて、英国的教養とアメリカ式レンジの広さの結婚──その調和のまったきステレオ音響というものをわたくしは聴いたと思う。
     *
オートグラフのコーナー・エフェクトを利用したバックロードホーン形式をどう捉えるかは、
人によって多少異なる面があるけれど、私は、ウェストミンスターとのはっきりとした違いがここにあり、
開発当時で、できるかぎりのワイドレンジを狙ったものだと私は思っている。

Date: 4月 24th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その50)

HiFi year bookにスタジオ・モニター用と明記されていても、
それはタンノイがいっていることをそのまま載せたのか、それとも編集者がそう判断したのか、
それとも実際に使用例があるのかを確認してなのか、そのへんのことははっきりしない。

それにタンノイ・オートグラフが、
実際にスタジオでモニタースピーカーとして使われた例があるのかどうかはわからない。

ただ一部の人が、コーナー型スピーカーををスタジオモニターとして使うわけはない、ということはない。
いまの感覚からすれば、たしかにスタジオモニター用としてコーナー型スピーカーシステムを採用することは、
ないと断言してもいい。

けれどオートグラフは1953年に登場したスピーカーシステムである。
この時代、スタジオではどんなふうにスピーカーを設置していたかというと、
BBCモニターのLSU/10(LS5/1以前のスピーカー)がおかれている写真をみたことがあるが、
ミキシングコンソール(というよりも調整卓といったほうがぴったりくる)の横、
部屋のコーナー近辺に1台設置してある。

モノーラル用だからモニタースピーカーは1台。その1台をミキサーにとって真正面におくと、
録音ブースとのあいだをしきるガラス面をふさぐかっこうになり、まずい。
だからというわけでもないだろうが、比較的に邪魔になりにくいコーナー近辺に置かれたのだろうか。

この時代のスタジオの写真が他にもあれば、当時のスピーカーの設置状況がもうすこしはっきりとしてくるのだが、
少なくともミキサーの正面に置かれることはなかったといえよう。

そしてこの時代は調整卓の幅も狭い。スタジオのコーナーは自由に使えたのかもしれない。
となると、コーナー型のモニタースピーカーというのが、実際にあっても不思議ではない。

スタジオモニターにコーナー型はありえない、というのは、あくまでもいまの感覚にすぎない。

Date: 4月 24th, 2011
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その15)

テラークは、1978年にチャイコフスキーの「1812年」を出している。
前年ダイレクトカッティングのレーベルとして誕生したテラークにとって、
「1812年」ははじめてのデジタル録音であり、実際に大砲の音を録音し、しかもハイレベルでカッティングした。
テラークがダイレクトカッティング専門にこだわっていたら、おそらく本物の大砲を使うことはなかっただろう。
一発勝負のダイレクトカッティングにおいて、大砲の音はカッティングレベルの調整が非常に困難なはずだし、
なによりオーケストラはホールで演奏しているわけだから、まさか大砲をホールに持ち込むわけにはいかない。
大砲は、どこか野外の広い場所でなければならない。
同時録音は無理なわけだから、デジタル録音に移行するにあたって、
じつにぴったりの曲をテラークを選択したといえる。

事実、この録音(レコード)で、少なくともオーディオマニアのあいだではテラークの名は一躍知れ渡る。
しかも大砲の音の部分は、オルトフォンによるとオーバーカッティングだったそうで、
問題なくトレースできるカートリッジはごく少数だった。
カートリッジのトラッキング・アビリティのチェックには、これ以上のレコードはない、ともいえる。

このころから、トラッカビリティという言葉も広まっていったが、
これはシュアーの造語で、トラッキング・アビリティを短縮したものだ。

大砲を使った録音は、じつはテラークの「1812年」が最初ではない。
私の知る限りでは、デッカが1961年に録音したカラヤン指揮のヴェルディの「オテロ」がある。

通常は、大太鼓かティンパニーを使うところを、この「オテロ」のプロデューサーだったカルショウは、
実際の大砲の音を使っている。

Date: 4月 23rd, 2011
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その14)

ワンポイント録音といえば、デッカから出ているエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」も、たしかそうだ。

1955年のステレオ録音である、この「フィガロの結婚」は、その3年後の録音、
カルショウによるショルティの「ラインの黄金」と比較すれば、
「フィガロの結婚」に感じられる素朴な良さは、「ラインの黄金」では、ほとんど感じられない、といっていい。

この3年間に、デッカは──というよりもカルショウというべきだろうが──、
ソニック・ステージという考え方をうち出している。

当時、驚きをもって評価された、このソニック・ステージは、
きわどいところも内包しており、音だけの世界であるレコード、それもオペラには、ときに効果的でもあるし、
ここまでやる必要があるのだろうか、と感じさせるところもある。
このところが、カルショウが携わった録音を、いまの時代、くり返し聴くと、
部分的にも全体的にも、古い録音と思わせるところと関係している。
もちろん録音として非常に興味深いものではあるし、
聴くことの面白さとはなにかについて考えさせられるものではある。

「フィガロの結婚」のほうはというと、こちらはQUADのESLのように、まわりがよくなっていくことによって、
真価が徐々に発揮されてきて、つねに新鮮なスピーカーシステムとして評価されてきたことと似ているところがあり、
再生側のクォリティの向上によって、新鮮さを失わない、ではなくて、いま聴く方が、むしろ新鮮といえるだろう。

「フィガロの結婚」と「ラインの黄金」、
2011年のいまからみれば、どちらもデッカの同じ時代の録音とみなされるにもかかわらず、
このふたつの録音の違いこそ、素朴な音とはいったいどういうものなのかについて考えていくうえで、
恰好の材料だと思う。

Date: 4月 23rd, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その10)

実測グラフは、水平方向の周波数特性、つまり0°、30°、60°の出力音圧レベルを表示している。

LS5/5のグラフは、ほぼ全帯域にわたり0°と30°の線は一致している。
10kHz以上で2つのカーブは差を生じるが、そこまでは見事である。
これほどの帯域の広さで0°と30°の特性が一致しているのは、
「スピーカシステム」に掲載されている5機種のなかにはない。

比較的良好なのが、アルテックのA7-500で、数kHz以上から30°の高域特性がかなり下降ぎみで、
0°との特性のあいだに差がでてくる。
ただ0°の周波数特性のフラットさも考慮すると、LS5/5の特性は見事である。

さすがに60°の特性は30°の特性ほどではないけれど、
それでも大きな乱れもなく、やはり良好といえる。

LS5/5の20cm口径のスコーカーの開口部の横幅は10cmである。
写真をみるかぎり、ウーファーの開口部も、同じ寸法のようだ。

コーン型ユニットの開口部を四角にして、横幅を狭くすることによる指向特性の改善は、
LS5/5の実測データからはっきりと確認できる。

ただ指向特性は改善できるけれど、
スピーカーユニットの前にバッフル板が部分的に張り出しているわけだ。
この部分とコーン紙とのあいだには空間が生じる。密閉された空間ではないものの、
通常のスピーカーシステムでは生じない空間であることにはかわりない。

とうぜん、この部分でのデメリットも生じているわけで、これは誰しも考えることだ。
そう、誰しも考えることだから、BBCの技術者の当然そのことには気づいていたはず。
得られるものもあれば、失われるものもある。
それでも、彼らは、メリットとデメリットを天秤にかけて、四角い開口部を採用してきた。
1978年に登場したLS5/8まで、この手法は採用されてきた。