Archive for 9月, 2017

Date: 9月 30th, 2017
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その43)

今年(2017年)のインターナショナルオーディオショウでも、
ヤマハのNS5000を聴いてきた。

2015年のインターナショナルオーディオショウでの試作機の音に驚き、
2016年のインターナショナルオーディオショウでの音に期待していた。
けれど、私の勝手な期待は裏切られた。

2016年のショウ雑感にも書いたように、
優秀なスピーカーがひとつ増えただけ、というふうにしか感じなかった。

2015年の試作機に感じた「欲しい」という気持はきれいに消えてしまった。
それにも関らず、2017年の今年もまた聴いたのは、
たまたまヤマハのブースを前を通りかかったら、17時30分からのプレゼンテーションが始まる直前だった。

ブースに入ったら、最前列には誰も坐っていなかった。
最前列の中央の席が空いているにも関らず、誰もいない。
なので、そこに坐って聴いてきた。

45分間のプレゼンテーションは、いつものとおり製品説明はない。
ソツの無い進行で、さまざまなディスクがかけられていく。
他の出展社も手本にしてほしい、と毎回思う。

一曲目は日本人の女性ヴォーカルだった。
2016年のインターナショナルオーディオショウで感じたことにかわりはなかった。
それでも席をたたずに最後まで聴いたのは、
アンプの横に置かれてあった試作機のアナログプレーヤーの音を聴きたかったからである。

CD、LP、SACD、アンプとCDプレーヤーも途中からアキュフェーズにしての音出し。
45分間のプレゼンテーションを最後まで聴いて確信したのは、
試作機よりも聴感上のS/N比は向上している、ということと、
そのことによって失われたものがはっきりある、ということだった。

インターナショナルオーディオショウでのブースでの試聴、
しかも一年前の音、二年前の音との比較で、そんなにはっきりといえるのか、
そんな疑問をもたれるだろうが、
ヤマハが鳴らしたディスクのなかには、古い録音のクラシックが二枚あった。

ストコフスキーとライナーで、どちらもRCAビクター交響楽団を振ってのものだから、
50年ほど前の録音である。

この二枚のディスクの鳴り方は、
2015年の音を思い出させてくれる鳴り方だった。

Date: 9月 30th, 2017
Cate: ショウ雑感

2017年ショウ雑感(会場で見かけた輩)

三年前だったと記憶している、
ヤマト運輸の家財便で、オーディオ機器が取り扱われなくなった。

なんでも、あるオーディオ店が非常に高価なスピーカーの発送に家財便を利用。
高価なスピーカーなので、ヤマト運輸側がことわったそうだが、
オーディオ店がごり押しで依頼。

結局、こわれていて、オーディオ店はヤマト運輸に損害賠償。
具体的な金額も聞いているが、驚く金額である。

どうも最初からこわれていたスピーカーの発送を依頼して、
損害賠償を請求する、ほんとうにひどい話である。

昨日(9月29日)、
インターナショナルオーディオショウの会場を歩いていたら、
この話をしている人たちがいた。

どの業界にも、こういう輩はいるんだと思うが、
特にオーディオ業界は多い、とも聞いている。

昔、ある会社が輸入しているスピーカースタンドを購入したら、
カタログに記載されている重量よりも重かった、
たったこれだけの理由で裁判を起こした人がいる。

この時は、
裁判長が「オーディオの世界では重量は重い方がいい、といわれているんでしょう」ということで、
相手にされなかった、とも聞いている。

とにかく難癖をつけて……、という輩がいるわけだ。

こんなことを書いているのは、
ヤマト運輸の家財便のクレーマーの話を聞いたからではなく、
会場に立っている警備員に、高圧的な態度で一方的な文句を言っている人がいた。

違うフロアーで、二人いた。
年齢は60前後か、一人は、あるブース(おそらくテクニクスだと思う)がわからなくて、
警備員に穢い口調で、脅し文句を言っていた。

その警備員は無線で問合せをしていて、
その態度に問題があると思えなかった。

別のフロアーでは、警備員に説教するようなことをねちねちといっている人がいた。
警備員の二人に同情したくなる。
彼らは案内係ではないはずだ。

彼らは、オーディオマニアって、こんな人たちなんだ、と思ったかもしれない。
仕事が終った後、互いに、こんな人がいた、と話していたかもしれない。

コンビニエンスストアで、店員に横柄な態度をとるのは、
スーツ姿の中高年だ、という話もある。
昨日のショウでの二人の輩もそうだった。

昨日の入場者が何人だったのかは知らないし、
その中のたった二人だろう、という見方もできるが、
いままで、こんな輩は見かけたことがなかった。

Date: 9月 29th, 2017
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(Kii THREE・その2)

ハイエンドのブースで鳴っているスピーカーといえば、
プラズマ(イオン)トゥイーターを搭載したランシェオーディオである。

ブースに入って時も、ランシェオーディオのスピーカーが鳴っている、と思ってしまった。
そして、いままでのランシェオーディオとは少し違って、いい感じだな、と思って聴いていたら、
完全に私の勘違いで、鳴っていたのは隣に置いてあった小型スピーカーだった。

ドイツのKii AudioのKii THREEというアクティヴ型スピーカーが鳴っていた。

少し驚いていたら、Kii Aiduoの人による解説がはじまった。
小型2ウェイのように一見思えるが、
6ウェイということだった。

フロントバッフルにメインといえるウーファーとトゥイーターがあり、
両サイドにウーファーが一発ずつ、リアバッフルにウーファーが二発あり、
それぞれのユニットに専用アンプをもち、DSPによる信号処理を行っている、とのこと。

つまりウーファーユニットは計五発ついているわけだが、
いわゆるダブルウーファー的発想の延長でのウーファーの数ではなく、
ウーファーの指向特性をコントロールするためのユニットの数であり、
DSPによる信号処理であり、200Hz以下の周波数では単一指向性を実現している、という。

それによるメリットは、部屋の影響を受けない、ということだった。
そして見た目はこんなに小型であっても、2m×2mの大きさのスピーカーに匹敵する、とも話していた。

Kii Audioの人が話していたは英語であり、ハイエンドのスタッフの人による翻訳だった。
私の勝手な解釈なのだが、この2m×2mというのは、平面バッフルのサイズのことではないか、と思っている。

Kii THREEの搭載されている技術が具体的にはどういうものなのか、詳細はわからないが、
平面バッフルのコンパクト化のヒントが、ここにある、そう確信できた日だった。

Date: 9月 29th, 2017
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(Kii THREE・その1)

20代のはじめのころ、
シーメンスのコアキシャルユニットを1.9m×1mの平面バッフルに取り付け、
5.5畳ほどのスペースに押し込んで聴いていた。

そのころから2m×2mの平面バッフルは、憧れであり、目標であった。
いやもう少し前から、そうだった。
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIESのフルレンジユニットの号で、
2m×2mの平面バッフルでの試聴記事を読んでからだった。

2m×2mの平面バッフルを、ステレオだから二枚というのは、
私のいまの住環境では到底無理である。
昔もそうだった。

だから2m×2mの平面バッフルを、いかにコンパクトにするかを考えてきた。
ただ小型にするだけでは、低音再生能力を考えると、ほとんど意味がない。

2m×2mのサイズと同じだけの能力を維持したまま、
いかに小さくできるか、という意味でのコンパクト化である。

平面バッフルの働きを少し違う視点から捉えれば、
スピーカーユニットの指向特性を単一指向性にするというふうにも考えられる。
そうスピーカーユニットの背面からの音を、なんらかの方法で打ち消せば、
平面バッフルのコンパクトは可能である。

ここまでは考えていた。
けれど実際にどうやって、背面の音だけを打ち消すのかは考えつかなかった。

今日からインターナショナルオーディオショウである。
夕方二時間ちょっとだけ会場にいた。

できるだけ多くのブースを、と思って駆け足でまわっていたら、
あるブースで足が止ってしまった。
ハイエンドのブースだった。

Date: 9月 28th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その8)

知人がスピーカーを買い換え、
そのことを自身のウェブサイトに書いたところ、
ある掲示板で叩かれたことを、別項で書いている。

私が読んでも、友人が読んでも、
知人が書いた文章は、誰かを不愉快にさせるようなものとは思えなかった。

けれど、ある掲示板では、不愉快だ、
そういう自慢話は、そのスピーカーを欲しくとも買えない人を傷つける、
無神経な行為だ、
そんなことが、掲示板の常連たちによって、ずらずらと書かれていた。

友人も私も、そんなことをいわれようと気にしないい。

知人の文章を偉ぶったように(上から目線と)思うのは、
そう思う方が弱くイジケているのだろうと、一笑に付すだけだ。
けれど知人は、その掲示板に謝罪を書き込んだ。

友人にも私にも理解できない行為だった。
なぜ、知人は謝罪したのか。

彼は、知らない人とはいえ、不愉快にしたのだから、と言った。
つまり知人は謝罪の時点で、
「毒にも薬にもならない文章」を書くことを、意識してなのか、無意識なのかはわからないが、
その道を選択したわけだ。

Date: 9月 28th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その7)

「フツーにいい音」。

私の周りには、こんな表現を使うオーディオ仲間はいないが、
私の知らないところでは、意外にも使われているのかもしれない。

「フツーにいい音」とは、
菅野先生がいわれた「いい音だけど、毒にも薬にもならない音」だと思う。

菅野先生が、そう表現されたことは(その5)に書いている。

「毒にも薬にもならない音」。

なにも、その録音エンジニアの録音だけにいえることではない。
いま優秀な、といわれるオーディオ機器が聴かせる音も、
「毒にも薬にもならない音」になりつつある、
「毒にも薬にもならない音」が増えつつある、そんな気もしている。

だから「毒にも薬にもならない音」という菅野先生の言葉が、
あの時からずっと心にひっかかり続けている。

「毒にも薬にもなる音」。

それはラッパと呼ばれていたころの大型スピーカーが聴かせる音ともいえる。
それだけにうまく鳴らすのが難しい、ともいわれたし、
スピーカーと格闘する、という表現が生れてきたのも、
そういう音のスピーカーだから、ともいえる。

そういう音(スピーカー)に辟易してきた人もいる、と思う。
「毒にも薬にもならない音」は、
「毒にも薬にもある音」のアンチテーゼでもあったとも考えることはできる。

Date: 9月 28th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(Mark Levinson ML10)

こうやってKEFのModel 107、それから105のことを書いていると、
頭の片隅にだんだんと浮んでくるのが、マークレビンソンのML10のことだ。

ML10といっても実際に発売されたコントロールアンプのことではなく、
試作品として発表されたスピーカーシステムのことである。

ステレオサウンド 50号に、それは載っている。
アンプと違い、ゼロからの開発ではなく、市販品をベースにしたもの。
ベースとなっているのが、KEFのModel 105である。
記事を読んでも、このML10というスピーカーシステムのことは、ほとんどわからない。

ネットワーク、内部配線を中心にモディファイされている、ということだけである。
ユニットはそのまま同じモノが使われている。

この時にML6とML3も発表されている。
ということはML10の内部配線は銀線の可能性が非常に高い。

同時にML4という、
電源内蔵のローコスト(あくまでもマークレビンソンとしては)のコントロールアンプも、
試作品として発表されている。

ML4もML10も製品化されることはなく終ってしまった。
おそらくだが、ML4とペアとなるパワーアンプも計画されていたはずだ。

マークレビンソンは、すでにHQDシステムを完成させていた。
3ウェイのマルチアンプシステムで、アンプを含めたトータルは二千万円ほどだったはずだ。

ML4と、ローコストのパワーアンプ、それにML10というシステムが、
HQDシステムは無理でも、
マークレビンソンのトータルシステムを求めたい人に向けての構成だったのだろう。

どんな音がしていたのか、も、そうだが、
なぜ製品化されなかったのか、その理由を含めてあれこれ勝手に想像しているところ。

Date: 9月 27th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その17)

Model 105には、レベルコントロールはついていなかった。
この時代のKEFのスピーカーにはどれもついてなかった。

Model 107にも、いわゆるレベルコントロールはついてないが、
KUBEと呼ばれるアクティヴイコライザーが付属していて、
低域のコントロールができるようになっている。

KUBEとは、KEF Universal Bass Equaliserであり、
フロントパネルにツマミは三つ、
左からEXTENSION、Q-FACTOR、CONTOURとなっている。

EXTENSIONはローカットフィルターの周波数の切り替えで、
50Hz、35Hz、25Hz、18Hzの4ポジション。

Q-FACTORは、0.3から0.7まで連続可変となっていて、
0.5がcritically damped、0.3はover damped、0.7はmaximally flat(butterworth)。

CONTOURはレベル調整用で、160Hz以下全体のレベルを±3dBで可変できる。

さらにModel 107のネットワークとスピーカーユニットのあいだには、
Conjugate Load Matching(CLM)と呼ばれる回路が挿入されている。

このCLMにより、Model 107のインピーダンス特性は、
20Hzから20kHzにわたって、4Ωフラットといえる。

通常のスピーカーシステムであれば、f0でインピーダンスはもっとも高くなり、
中高域にも山がいくつか生じ、およそフラットとはいえないカーヴを描く。

CLMが具体的にどういうことをやっているのかカタログからは不明だが、
電流波形の比較がカタログには載っていて、そのとおりであれば、かなりユニークな方式といえる。

具体的なことはネットワークの実物を取り出して、回路図をおこしてみようと考えている。

KEFでは、KUBE、デヴァイディングネットワーク、CLMを含めて、
ハイブリッドクロスオーバーと呼んでいる。

Date: 9月 27th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その16)

KEFのModel 107のことを知れば知るほど、
レイモンド・クックに訊ねたいことがあり、それは強くなってくる。

Model 107は1986年、
その二年後にヤマハからAST方式のシステムが登場した。
バスレフ型の動作を、より理論通りに動作させるために、
ウーファーユニットのボイスコイルがもつ直流抵抗を、
アンプの出力インピータンスをマイナスにして打ち消すというものだ。

小型スピーカーとアンプからなるAST1のシステムは、
高級なシステムというわけではなかった。
けれど、AST方式(他社の登録商標だったためYST方式と改称)の実力はすごかった。

能書き通りのすごさが、その音にはあった。

このAST方式を、レイモンド・クックは知っていたのか、
知っていたとすれば、どう思っていたのか、をぜひとも訊きたいところだが、
クックは1995年に亡くなっている。

ヤマハが採用した負性インピーダンス駆動は、そのままModel 107にも採用できる技術である。
ウーファーセクションには、専用アンプを搭載して、負性インピーダンス駆動をする。
中高域は、別のアンプで鳴らすというバイアンプ方式こそが、
Model 107の行き着く姿のように思えてならない。

レイモンド・クックがいたころのKEFのスピーカーシステムにも、
アンプを内蔵(付属)しているシステムはあった。

LS5/1Aがそうであり、その後継機ともいえるModel 5/1ACがあり、
KM1というスタジオモニターは、3ウェイマルチアンプ駆動である。

Professionalシリーズではアンプ搭載はあっても、
コンシューマー用のReferenceシリーズには、アンプはつけない方針だったような気もする。

それでもAST方式について、クックに訊ねたい気持は変らない。

Date: 9月 27th, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(GHOST IN THE SHELLとあるスピーカーの音)

古くからの友人でありオーディオ仲間のKさんから、
SNSでのメッセージが来た。

そこには、いま聴いているスピーカーのことが書いてあった。
短いけれど、彼が昂奮しているのが伝わってくるものだった。

どのスピーカーなのかは、いまは書かない。
私はまだ聴いていないスピーカーのことだから。

Kさんのメッセージのなかに、テクスチュアという単語があった。
そうだろうな、やっぱりな、と思いつつ、
Kさんが昂奮しているのは、私が春に「GHOST IN THE SHELL」を、
IMAXで観ての昂奮と、実のところ同じなのかもしれない、とも考えていた。

Kさんは、それを耳で聴き、私は目で観た。
ふたりとも、(おそらく)同じ昂奮を味わった(のだろう)。

Date: 9月 27th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

あえて無題

 ラックスのオーディオ・サルーンという催しが、一部の愛好家のあいだで知られている。毎土曜日の午後と、それに毎月一回夜間に開催されるこのサルーンのメーカー色が全然無く、ラックスの悪口を平気で言え、またその悪口を平気で聞き入れてもらえる気安さがあるのでわたくしも楽しくつきあっているが、ここ二年あまり、ほとんど毎月一回ずつ担当している集まりで、いままで、自分のほんとうに気に入った音を鳴らした記憶が無い。催しのほとんどはアルテックのA5で鳴らすのだが、そしてわたくしの担当のときはスピーカーのバランスをいじり配置を変えトーンコントロールを大幅に調整して、係のT氏に言わせればふだんのA5とは似ても似つかない音に変えてしまうのだそうだが、そこまで調整してみても所詮アルテックはアルテック、わたしの出したい音とは別の音でしか、鳴ってくれない。しかもここで鳴らすことのできる音は、ほかの多くの、おもに地方で開催されるオーディオの集いで聴いて頂くことのできる音よりは、それでもまだ別格といいたいくらい良い方、なのである。しかし本質的に自分の鳴らしたい音とは違う音を、せっかく集まってくださる愛好家に聴いて頂くというのは、なんともつらく、もどかしく、歯がゆいものなのだ。
 で、ついに意を決して、9月のある夜の集いに、自宅のJBL375と、パワーアンプ二台(SE400S、460)と、特注マルチアンプ用チャンネル・フィルターを持ち出して、オールJBLによるマルチ・ドライブを試みることにした。ちょうどその日、ラックスの試聴室に、知友I氏のJBL520と460、それにオリムパスがあったためでもある。つまりオリムパスのウーファーだけ流用して、その上に375(537-500ホーン)と075を乗せ、JBLの三台のパワーアンプで3チャンネルのマルチ・アンプを構成しようという意図だ。自宅でもこれに似た試みはほぼ一年前からやっているものの、トゥイーターだけはほかのアンプだから、オールJBLというのはこれが最初で、また、ふだんの自宅でのクロスオーバーやレベルセットに対して、広いリスニングルームではどう対処したらよいか、それを実験したいし、音はどういうふうに変るのか、それを知りたいという興味もあった。
(中略)
 そこで白状すれば、わが家の375(537-500ホーン)は、ほぼ一年あまり前から、マルチ・アンプ・ドライブでのヒアリングの結果からクロスオーバーを700Hzに上げて、いちおう満足していた。500Hzではどうしてもホーン臭さを除ききれず、しかし700Hzより上げたのではウーファーの方が追従しきれないという、まあ妥協の結果ではあったが。
 ところでラックスのサルーンでの話に戻る。ふだん鳴らしている8畳にくらべると、広い試聴室だけにパワーも大きく入る。すると375が700Hz(12dBオクターブ)ではまだ苦しいことがわかり、クロスオーバーを1kHzまで上げた。しかしこうすると、ウーファー(LE15A)の中音域がどうしても物足りない。といってクロスオーバーを下げてホーン臭い音を少しでも感じるよりはまあましだ。075とのクロスオーバーは8kHz。これでどうやら、ホーン臭さの無い、耳を圧迫しない、やわらかくさわやかで繊細な、しかし底力のある迫力で鳴らすことに、一応は成功したと思う。まあ70点ぐらいは行ったつもりである。
 むろんこれは自宅で鳴っている音ともまた違う。けれど、わたくしがJBLの鳴らし方と指定とした音には近い鳴り方だし、言うまでもなくこれまでアルテックA5をなだめすかして鳴らした音とはバランスのとりかたから全然ちがう。ここ2年あまりのこの集まりの中で、いちばん楽しい夜だった。
 と、ここからやっと、ほんとうに言いたいことに話題を移すことができそうだ。
 このサルーンは人数も制限していて、ほとんどが常連。まあ気ごころしれた仲間うちのような人たちばかりが集まってきて、「例のあれ」で話が通じるような雰囲気ができ上っている。そうした人たちと二年顔を合わせていれば、わたくしの好みの音も、意図している音も、話の上で理解して頂いているつもりで、少なくともそう信じていた。ところが当夜JBLを鳴らした後で、常連のひとりの愛好家に、なるほどこの音を聴いてはじめてあなたの言いたいこと、出したい音がほんとうにわかった、と言われて、そこで改めて、その音を鳴らさないかぎり、いくら言葉を費やしても、結局話は通じないのだという事実に内心愕然としたのである。説明するときの言葉の足りなさ、口下手はこの際言ってもはじまらない。たとえばトゥイーター・レベルの3dBの変化、それにともなうトーン・コントロールの微調整、そして音量の設定、それらを、そのときのレコード、その場の雰囲気に合わせて微細に調整してゆくプロセスは、結局、その場で自分がコントロールし、その結果を聴いて頂けないかぎり、絶対に理解されない性質のものなのではないかという疑問が、それからあと、ずっと尾を引いて、しかもその後全国の各地で、その場で用意された装置で持参したレコードを鳴らしてみたときの、自分の解説と実際にその場で鳴る音との違和感との差は、ますます大きく感じられるのである。自分の部屋のいつも坐る場所でさえ、まだ理想の半分の音も出ていないのに、公開の場で鳴る音では、毎日自宅で聴くその音に似た音さえ出せないといういら立たしさ、いったいどうしたらいいのだろうか。音は結局聴かなくてはわからないし、しかしまた、どんな音でも聴かないよりはましなどとはとうてい思えない。むしろ鳴らない方がましだと思う音の方が多すぎる。
     *
瀬川先生が、ステレオサウンド 25号に書かれた「良い音とは、良いスピーカーとは?」からの引用だ。
今回、タイトルをあえてつけなかったのは、
この瀬川先生の文章は、「音を表現するということ(間違っている音)」に関係してくるだけでなく、
「ショウ雑感」にも私のなかではむすびついていく。
それにaudio wednesdayで、音を鳴らすようになったから、私自身にも関係してくるからだ。

Date: 9月 26th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

文行一致(その3)

(その1)と(その2)でいいたいことは書いた。
これ以上書くのは蛇足だと、私は思っている。

けれど、(その1)と(その2)だけでは、
説明不足なのかはわかっている。

わかっているけれど、
あれだけでわかってくれる人もいるはずだ、と思っている。

それでも(その3)、(その4)と書いていかなければならないのが、
現在(いま)の世の中なのも、わかっているつもりだ。

Date: 9月 26th, 2017
Cate: 表現する

音を表現するということ(間違っている音・その8)

間違っている音を出していた男は、はっきりとナルシシストである。

本人にその自覚があるように感じるときもあれば、
そうでないように感じるときもあったから、
本人が自覚していたのかどうかははっきりしないが、
少なくとも私だけでなく、間違っている音を出していた男とつきあいのあった人の多くが、
ナルシシストだといっているから、
私だけのひとりよがりではないのだろう。

別にナルシシストであってもいい。
けれど、それがことオーディオ、音に関係してくると、
どうしても何か言いたくなるのが、私の性格だ。

間違っている音を出していた男は、
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出ているから、来ませんか」と私を誘った。
七年前のことだ。

その6)でも書いているように、
彼は瀬川先生に会ったことはない。
あったことがないのだから、瀬川先生の音を聴いてもいない。

にも関らずナルシシストの彼は、
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出ているから、来ませんか」と恥ずかしげもなくいう。
そのとき、たいしたナルシシストだ、と思っていた。

もちろん彼の音が、瀬川先生の音を彷彿とさせるなんて、
まったく期待していなかった。
それでも、彼なりの、ナルシシストとしての美意識が反映された音であるならば、
聴いてみたいという好奇心はあった。

けれど、そこで鳴っていたのは、
残念なことに美的ナルシシズムではなく、醜的ナルシシズムとしかいいようのない音だった。

美少年も歳をとる。
皺が増え、皮膚も弛んでくる、
体形も変ってくる、腰まわりには脂肪がついてくるし、
髪の毛だって白髪になったり、抜け毛も増えてこよう。

ナルキッソスはそうなっても、己の姿を水に映してうっとりするのだろうか。
もっともナルキッソスは、その前に死んでいるのだが。

だが現実のナルシシストは、みな老いていく。

Date: 9月 26th, 2017
Cate: きく

感覚の逸脱のブレーキ(その6)

逸脱気味,逸脱しているといえるヘッドフォン・イヤフォンが増えている──、
そう仮定したとして、その理由にはどんなことが考えられるか。

それはひとつだ、と思う。
スピーカーで音楽を聴く人が減ってきて、
ヘッドフォン・イヤフォンのみで音楽を聴く人が増えてきたからではないのか。

昔もヘッドフォンのみ、という人はいた。
オーディオ雑誌に執筆されていた人でも、名前ははっきりと思い出せないが、
ひとりおられた。
たしかフォンテックリサーチのコンデンサー型ヘッドフォンを愛用されていた。

オーディオマニアのなかにも、ヘッドフォンでしか音楽を聴かない、という人はいたと思う。
けれど、割合としては、いまよりはずっと少なかったはずだ。

だからこそスピーカーにはスピーカーの役割、
ヘッドフォンにはヘッドフォンとしての役割が、
共通認識として、ひとつあった、と思っている。

けれど、いまはスピーカーを持たない人がいる。
増えているようだ。
そうなってくると、
ヘッドフォンのヘッドフォンとしての役割にも変化が生じてきて当然である。

Date: 9月 26th, 2017
Cate: きく

感覚の逸脱のブレーキ(その5)

たしかにいまはヘッドフォン・イヤフォンはブームである。
定着している、とさえ思うほどに、
ヘッドフォン・イヤフォンのムックは出版されるし、専門店もある。

ブランドの数もかなた増えている。
製品数も増えたし、価格のレンジも広がっている。

まさに百花繚乱、といいたいけれど、そこはためらう。
ためらうとともに、
優れたヘッドフォンは、感覚の逸脱のブレーキ、と表現されたのは菅野先生。

そのとおりだと思っているから、この項を書いているわけだが、
どうも最近のヘッドフォン・イヤフォンのなかには、
逸脱気味の製品が増えはじめているのではないか、と思えてきた。

過去にもそういう製品はあったであろうが、
最近のほうが目立ってきているように感じることがある。

具体的にどの製品が、とは書かない。
ヘッドフォン・イヤフォンを同条件で比較試聴しているわけではないし、
私が聴いてるのは全体の製品数の一部にすぎない。

私が思っている以上に、
逸脱気味、さらには逸脱しているヘッドフォン・イヤフォンがある可能性も考えられる。
だから、いまのところ私が逸脱気味、逸脱していると感じている製品について、
具体的なことは書かないが、そういう製品であっても、
意外に(そう感じるのは私だけなのか)高評価であったりする。

そういう製品を全否定はしないけれど、
この項を書き続けるにあたっては、優れた製品、
つまり感覚の逸脱のブレーキ役にもなってくれるヘッドフォン、イヤフォンを、
自分の耳で探していかなければならないし、
そういう製品に関しては具体的に書いていく必要も出てきた。

それにしても、製品数のなんと多いことか。