Archive for category テーマ

Date: 1月 22nd, 2025
Cate: 異相の木

「異相の木」(好きな音と正しい音・その4)

「オーディオは趣味だから、好きなようにやればいい」、
「オーディオは趣味だから、好きな音を出したらいい」、
他にもいくつもあるけれど、ソーシャルメディアでよく目にするのは、
「オーディオは趣味だから」で始まることだ。

共通しているのは、好きにしていい、ということのようだ。

けれど、本当にそれでいいのか。
そんなふうに疑問を持つことすらしないのか──。

美は結論である。
己の結論に節制をもつことが、オーディオマニアとしての「美」である、
と何度も書いている。

「オーディオは趣味だから」で始まることには、
どうにも節制がないように感じる。

昨年も、そんな音を聴いた。
そんな節制のない音を聴きながら、以前聴いた音を思い出していた。

別の人が鳴らしている音だったが、低音の鳴り方が共通していた。
相当に似ていたというより、本質的なところが同じだったのだろう。

Date: 1月 21st, 2025
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その24)

兵庫県で、ここ一年ほどのあいだに起こっている事象は、
悪意をベースにしたSES(Social Experiment System)のように思えてしかたない。

SNS(Social Networking Service)を中心とした実験場で、
何かが浮き彫りになるのだろうか。

Date: 1月 20th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その3)

シルヴィア・シャシュのLPは、あのころ、
いくつかのシステム(けっこういろんな音)で聴いているが、
いまも強く印象に残っているのは、
ステレオサウンドの試聴室で、
サウンドコニサーの取材でのアクースタットのコンデンサー型スピーカー、
Model 3で聴いたのが、まず挙げられる。

この時のこと、音は別項で書いているし、
別冊サウンドコニサーを読んでもらえればわかる。

もうひとつは、スーパーマニアの取材で、
先輩編集者のNさんに連れて行ってもらったオーディオマニアのお宅での音。

その方は、ウェストレックス・ロンドンのスピーカーユニットを、
国産エンクロージュアに収められていた。

その時も、いま思い出しても、そのウェストレックス・ロンドンが十全に鳴っていたとは思っていない。
それでもシルヴィア・シャシュのLPをかけられた時、
シャシュの声(歌)が鳴ってきた時、その実体感に驚かされた。

Model 3でのシャシュとウェストレックス・ロンドンでのシャシュ。
どちらがいい音とか、そういうことではなく、
左右のスピーカーの中央に定位するシャシュのボディが、厚い。

音像が肥大しているのではなく、シャシュのボディが前後に厚いのだ。
厚みのあるボディから声が発せられている感じが、見事だった。

日本人とは骨格からして違うのか、と思わせるほどの胸の厚み。
この厚みを、鳴ってくる音から感じとることができるかどうか。
他の人にとっては、どうでもいいことなのかもしれないが、
私はそうではない。

Date: 1月 19th, 2025
Cate: アナログディスク再生

Wilson Benesch Circle(その3)

もう数年以上前のことになる。
あるレコード店にいた。個人経営の店で、アナログディスクだけでなく、
カートリッジやシェルリード線など、周辺アクセサリーも取り扱っていたので、
こだわりのレコード店ということなのだろう。

ここでシェルリード線の比較試聴が行われたのだが、
ひとつ気になったことがあった。

オーディオ機器はラックに収められていて、
上段にプレーヤー、その下の段にプリメインアンプ。

一般的な設置なのだが、アンプやプレーヤーの電源コードが、
プレーヤーからの出力ケーブルとくっつくように結線されていた。

こういうケーブルの取り回しの理由を聞いてみると、
プレーヤーからのケーブルはシールドされていて、スピーカーケーブルはシールドされていないから、
電源コードはスピーカーケーブルから遠ざけて、
プレーヤーからのケーブルにくっつくようにした、とのことだった。

人によって考え方は違うことはわかっていても、
こうも違うのか、と少し驚いたものだった。

Date: 1月 18th, 2025
Cate: アナログディスク再生

Wilson Benesch Circle(その2)

ウィルソン・ベネッシュのCircleを、最高のアナログプレーヤーとは思っていないけど、
気に入っているプレーヤーの一つだ。

オーディオ雑誌に載っていたモノクロ写真では、
石臼にしか見えなくて、カッコいいプレーヤーとは、まったく思わなかった。

実物を目にすると、石臼のイメージが払拭されるわけではないが、
これはこれでいいな、と思えてきた。
音を聴くと、これでいい、に変ってくる。

登場した頃は、それほど高価なプレーヤーではなかった。
いまは、どのくらいの価格になっているのだろうか。

自分のモノとして眺めていると、なかなかよく考えられていると感心もするが、
一つだけ首を傾げたくなるのは、電源コードの位置である。

トーンアームにいちばん近いところから出ている。
なぜ、ここなの? と思わざるをえない。

石臼的のところを優先するとなると、
信号ケーブルを含めて、こかにまとめるしかないのはわからなくはないが、
それにしても微小信号の出力のすぐ近くにAC 100Vのラインがあるのは、
納得がいかない。

このことに関連したことで思い出すことがある。

Date: 1月 18th, 2025
Cate: 素朴

素材考(ガラス振動板・その2)

1月発売のステレオ 2月号の第二特集は、「DIYスピーカーで冬ごもり」。

マークオーディオから発売になるガラス振動板のフルレンジユニットが取り上げられている。

このフルレンジユニットがうまくいってくれれば、
ガラス振動板のウーファーも出てくる可能性もある。

フルレンジユニットだけでなく、ウーファーでどんな音が聴けるのか。
現実としては、ウーファーよりもトゥイーターの採用が先だろうけど。

Date: 1月 17th, 2025
Cate: 異相の木

「異相の木」(好きな音と正しい音・その3)

十年ほど前に別項で、
美は結論である。
己の結論に節制をもつことが、オーディオマニアとしての「美」である、
と書いた。

いまでもそうだと強く思っているとともに、これまでに何度も引用している孔子の論語。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

《七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。》、
ここである。

己の結論に節制を持たない人は七十を超えても、
矩を踰えず、とはならない。

Date: 1月 16th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Sylvia Sass sings Dramatic Arias(その2)

シルヴィア・シャシュのLPは、新品と言っていいほどのコンディションだった。
というよりも一度も針を通していないようにも感じられる。

手元にある、このディスクを眺めていると、
audio wednesdayで、一度かけてみたいと思う。

2024年のaudio wednesdayは、すべてデジタルだった。
TIDAL、Qobuz、Apple Musicといったストリーミング、
それからアキュフェーズのDP100+DC330によるCD、SACDだった。

四谷三丁目の喫茶茶会記でもアナログを音源としたのは二回だけ。
LPとカセットテープの回だけと少ない。

今年のaudio wednesdayでLPの再生をやろうかな、
ぐらいには思っていたのが、シルヴィア・シャシュのLPが届いてからは、
絶対やろう、に変った。

アナログプレーヤーには、ウィルソン・ベネッシュのCircleを持ち込もうか、と考えている。
カートリッジは、シルヴィア・シャシュのLPがきっかけとなったわけだから、
デッカのMark Vにする。

LPもデッカ、カートリッジもデッカ、
デッカもウィルソン・ベネッシュ、どちらもイギリス。

シルヴィア・シャシュのLPは、ステレオサウンド試聴室で、
けっこうな数のカートリッジで聴いているけど、
デッカのカートリッジでは聴いていない。

Date: 1月 15th, 2025
Cate: スピーカーとのつきあい

FRANCO SERBLIN Ktêma(その3)

フランコ・セルブリンは、ソナス・ファベール時代に、
「スピーカーは楽器だ」と語ったことは、よく知られている。

フランコ・セルブリン以前も「スピーカーは楽器だ」という人はいた。

フランコ・セルブリンが最初に言った人ではない。
それでもスピーカー・エンジニアとして、こう語った人は少ない。
フランコ・セルブリン以前にも、スピーカー・エンジニアでそう語っていた人はきっといただろう。

それでもスピーカー・エンジニアとしての世界的な知名度の高さもあって、
フランコ・セルブリンの「スピーカーは楽器だ」は広く知られている。

フランコ・セルブリンはイタリア人だから、イタリア語で語っているわけで、
“I diffusori sono strumenti.”と語ったのかは知らない。

ここで考えたいのは、その真意だ。
フランコ・セルブリンはスピーカーの開発にあたって測定も相当に重視していたことも知られている。

ならばフランコ・セルブリンの「スピーカーは楽器だ」は、
「スピーカーは楽器のように鳴らせ」ではないか。

私はずっとそう思っている。

Date: 1月 14th, 2025
Cate: スピーカーとのつきあい

FRANCO SERBLIN Ktêma(その2)

ソナス・ファベールは、1988年、Electa Amatorで日本に初めて輸入された。

Electa Amatorを初めてみた時は、期待した。
いい音がしそう、である。
多くのオーディオマニアが、Electa Amatorに初めて接した時は、そう思うだろう。

出てきた音は、期待に反した音だった。
悪い音だったから、期待に反したわけではなく、
乾いた音だったからだ。

この「乾いた音」も、決して悪い意味ではない。
いい意味での乾いた音なのだが、私が勝手に期待していたのは、
もう少し潤いのある表情だったからだ。

そんな出合いだったものだから、その後のソナス・ファベールの新作を聴く機会があっても、
心底、いい音だなぁ、と思うことは訪れなかった。

とはいえ、そんなふうに感じていたのは、少数だったのかもしれない。
ソナス・ファベールの評価は高いままだった。

別項で書いているが、私が心底いい音だなぁ、と感じたソナス・ファベールのスピーカーは、
CremonaとCremona auditorだった。

インターナショナルオーディオショウで、ノアのブースで、
VTLのアンプに接がれていたCremonaは、本当にいい音だったし、
私が勝手に求めていた潤いが、その音にはあった。

ソナス・ファベールのスピーカーで良かったのは? と訊かれれば、
Cremonaだ、といまでもそう答える。

例えばStradivari Homage。
立派な音とは私だって思うけれど、
その音はCremonaの延長線上にあるとは感じられなかった。

そんな私は、フランコ・セルブリンのKtêmaを、
まずは真空管アンプで鳴らしたい。

Date: 1月 13th, 2025
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その53)

JBLの4343は、瀬川先生が鳴らされていた。
黒田先生も鳴らされていた。
ステレオサウンド試聴室のリファレンススピーカーでもあった。

だからこそ、と言えるところがある。

スピーカーの多様性について語っていく上で、
現在のステレオサウンド試聴室のリファレンススピーカーであるB&Wのスピーカーが、
当時の4343と代わりとなるだろうか。

JBLがリファレンススピーカーだった時代よりも、
B&Wの方がいまでは長くなっている。

だから十分代わりを果たしている、はずなのだが、私にはそうとは感じられない。
他の人はどうなのだろうか。

4343を知らない世代の人は、そんなふうには思っていないかもしれないが、
4343を知る世代は、どうだろうか。
私と同じなのかもしれない。

だとしたら、どうしてなのだろうか。

何もB&Wのスピーカーの力不足とは言わない。
なぜなのか、結局、ステレオサウンドで書いている人の誰一人として、
自宅で鳴らしていないからだろう。

Date: 1月 13th, 2025
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その5)

この項を書き始めたのは2017年12月。
四谷三丁目の喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっていたころだ。

2020年12月での喫茶茶会記の閉店とともに、
しばらくは誰かと一緒に音楽を聴く機会はかなり減った。
定期的に聴くことはなくなった。

昨年1月から狛江でaudio wednesdayを再開。
一年間、音を鳴らしてきて、音楽をかけての一年を過ごし、あらためて、ここでのテーマについて考えるようになった。

Date: 1月 12th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Barbara Lea

バーバラ・リーの名前を聞いたのは、昨年の12月だった。
Googleで「バーバラ・リー」を検索すると、
アメリカの政治家ばかりヒットする。

「バーバラ・リー ジャズ」で検索すると目的の情報が表示されるが、それほど多いわけではない。

ジャズを体系的に聴いてこなかった私が知らなくても不思議ではないのかもしれない。
日本ではそれほど名が知られているわけではないようだ。

昨年末からやっていたトーレンスのTD124の整備は、
バーバラ・リーのSP盤を再生、デジタル録音するためだった。

今日は、その本番の日。
バーバラ・リーがリバーサイドからデビューするより前の録音、
直後の録音をおさめたSP盤。

時代はすでにLPになっていたし、テープ録音も普及していた。
なのにSP盤で、これらのディスクは一度も復刻されていない、とのこと。

11時ごろから始まって、途中昼食をはさんで終了は17時ごろ。
ずっとバーバラ・リーばかりを聴いていた。

それも録音順に聴いていった。
面白いもので、リバーサイド・デビュー以前の方が音がいい。
後半になると、盤質も悪くなっていっているように感じたし、
スクラッチノイズの量も増えてきて、質も悪くなっていく。

思うに、最初のころの盤は、まだSP盤に必要な技術が、世の中に残っていたのだろう。
それが数年のうちに失われていったのかもしれない。

このあたりのSP盤の事情については、ほとんど知らないといっていい。
本当のところがどうなのか。

楽しい一日だったし、興味深い時間でもあった。

Date: 1月 11th, 2025
Cate: 4343, audio wednesday, JBL

JBL 4343、ふたたび(その1)

1月8日のaudio wednesdayでは、11月に続いて4343を鳴らすことができた。

今回は、ライヴ録音のみをかけた。
スタジオモニター用としてつくられた4343で、ライヴ録音のみを鳴らす。

1982年に一冊の本が出た。
「WHY? JBL」という本が、オーディオとはまったく関係のない出版社から、
しかも女性の筆者だったこともあり、
オーディオマニアの間だけでなく、オーディオ業界でも、
けっこう話題になっていた。

ステレオサウンド編集部にも一冊あったが、
この時の編集者は、ほぼみんな買って読んでいた。
私も買って読んだ。

その本に、こんなことが書かれていた。
アメリカのコンサートで、終了後、
会場から出てくる女性の頬が紅潮している、とのことだった。
JBLのスピーカーが使われているコンサートにおいて、である、と。

この記述を読んで、JBLの音はセクシーなのかもしれない──、
そんなふうに思っていた。

音楽は、人の肉体運動から生まれてくる。
そのことを音だけの世界だと、忘れてしまいがちになるが、JBLのスピーカーは、そのことを聴き手にはっきり思い出させる。

いまのJBLのスピーカーが、全てそうだと言わないが、
あのころのJBLの音は、そうといえたし、
だからこそセクシーと感じる人がいるのだろう、頬を紅潮させるのだろう。

それでもJBLをひどく鳴らしてしまうと、無機的な音になってしまう。

そんなことを昔、思っていた。
だから、ライヴ録音のみに絞った。

Date: 1月 9th, 2025
Cate: よもやま

年が明けて

12月31日の投稿で書いているように、2024年は膝の具合が悪くなったし、
声もほぼ出なくなっていた(多少よくなっているものの、まだまだ)。

去年は不調だったな、と1月6日の夜、思っていた。
ふと、もしかして厄年だったのか、と気づいた。

2024年は後厄だった。本厄の2023年は四十数年ぶりの喘息の発作があった。

前回の厄年も、後厄の年、かなりひどい眩暈に、数ヵ月悩まされたことを思い出した。

ふりかえって厄年だったのか、と気づく。
そんなの迷信と信じないのもいい。
私もそうだった。
けれど、現実は違っていた。

もう厄年は回ってこない。
よし、と思っていたところに、Ktêmaの話。
厄年は明けた。

皆さんも厄年には、気をつけてください。