Archive for category テーマ

Date: 1月 23rd, 2019
Cate: 夢物語

20代のころ夢もしくは妄想

20代のころ、こんなことをおもっていた。
70過ぎになったら、小さい名画座を経営したい、と。

スクリーン裏のスピーカーは、トーキー時代の高能率スピーカーシステムにしたい。
シーメンスのオイロダイン、ウェスターン・エレクトリックのシステム。

アンプはもちろん真空管。
往年の名画を、その時代の音で上映する。
100名程度の映画館をもてたらなぁ〜、と、かなり無理なことを夢見ていた。

それで入場券のもぎりをやって一日を過ごす。
たまにレコードコンサートをやる。

そのころとは映画館の経営もずいぶん変ってきてしまった。
デジタル上映が一般的になってきて、名画座の経営も大変だと聞いている。

私が30年ほど前に夢見ていたことは資金があるだけでは実現困難になりつつあるのかもしれない。

それでも、今日ヤフオク!に,JBL/AMPEXのmodel 6000が出ているのを、
友人が教えてくれた。

巨大なシステムだ。
ウーファーはJBLの150-4Cが片側四発、ドライバーは375で、ホーンは業務用の蜂の巣。
ドライバーとホーンは片チャンネルあたり二組。

これがフロントホーン、バッフル付きのエンクロージュアに収められている。
Model 6000の存在は知っていたけれど、この時代に入手できるとはまったく思ってなかった。
価格はかなりの金額である。

程度は良さそうだし、問題はなさそうである。
その価格が、このシステムの適正価格といえるののかどうかは判断が難しい。
それにアメリカからの出品だから、輸送費もかなりかかるはず。

私には到底無理だが、こういうシステムをポンと買える人はいる。
そういう人の中に、このシステムで映画を上映してみようという人がいてほしい──、
と勝手なことをおもっている。

Model 6000がヤフオク!に出ているのを知って、
30年前の夢(妄想)をおもいだしていた。

Date: 1月 22nd, 2019
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その5)

AliExpressはブラウザーでも見られるけれど、
スマートフォンからだと専用アプリの方が見やすいし使いやすい。

電車に乗っているときなど、ちょっとした空き時間のときに、
AliExpressのアプリを開いている。

いまのところ週に一回ほどはAliExpressで、様々なオーディオ機器を検索している。
とにかく、ある。

ある、としか書きようがないくらいに、いろいろなオーディオ機器が、
AliExpressで売られている。

管球式でしかもバリコン式のチューナーの基板まであるのは、
ちょっと驚いている。
ステレオデコーダーは半導体が試用されているが、
いま日本で、例えキットとはいえ存在しているだろうか。

もう20年くらい前だったか、
秋葉原のオーディオ店にいたら、ある客(50代くらい)が店員に食い下がっていた。
バリコン式のチューナー、それも新品が欲しい、ということだった。

20年くらい前、つまり2000年前後のことだ。
すでにバリコン式のチューナーを、国産メーカーが製造しなくなってけっこう経っていた。
そのことも店員は説明していた。

そういう製品を新品で手に入れるのは無理だ、と。
それでも客は、欲しい、どうにかしてくれ、という。
無理なことをいっているという認識が客側にないように感じられた。

バリコン式のチューナーは、そのころすでに骨董品的でもあった。
管球式ともなれば、さらに遺物的とでもいおうか。

そういうチューナーが、中国のAliExpressでは、
電源トランス、シャーシーを用意しなければならないとはいえ、新品で入手できる。

中国のチューナーなので、そのまま日本のバンドに適合しているわけではない。

それでも、なんだかすごいなぁ〜、と思ってしまう。
こういうモノが見つかるから、AliExpressをたまに覗いてしまう。

Date: 1月 22nd, 2019
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その2)

音楽の理解(オーディオマニアとして・その4)」を書いていて、ふと思った。

マリア・カラスのホログラムコンサートでの、
ステージ上のマリア・カラスは、どちらなのだろうか、と。

再現されたマリア・カラスなのか、
出現するマリア・カラスなのか。

そのステージを観て、どう感じるのだろうか。

Date: 1月 22nd, 2019
Cate: 中点

中心点と堂々巡り

別項「オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その7)」で、
堂々巡りは悪い面ばかりではない──、と書いた。

同じところを何度も廻っているうちに、その「中心」がはっきりとしてくるからだ。

9年前に書いてる。
いまも基本的にはそう思っているが、
9年も経てば、少しは変ってくる。

堂々巡りには、大きな環と小さな環のふたつが同時に存在する場合がある。
そう考えるようになった。

地球の公転と自転のようなものだ。
もっとも私が描いている堂々巡りの大きな環は、公転といってもいいが、
小さい環は地球の自転というよりも、地球の周りを廻っている月の軌道のように考えている。

もしかすると環は一つでせなく、二つでもなく、場合によってはもっと多いのかもしれない。
そこを見極めないと、ほんとうにいつまでも堂々巡りのままだ。

Date: 1月 20th, 2019
Cate: オーディオの「美」

音楽の理解(オーディオマニアとして・その4)

再生音、という。
だからなのだろう、再現する、ともいうことがある。

けれど、この再現には心象は必要としないのかもしれない──、
最近そうおもいつつある。

再生音の精度が高くなるにつれて、心象を求めなくなりつつあるのかもしれない。
そんなことも考えながら、心象を必要とするのは、再現ではなく出現なのだろう──、
そう思うようになってきている。

Date: 1月 20th, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(シェルリード線試聴会・その3)

オーディオはコンポーネント(組合せ)である。
LPを再生するためには、アナログプレーヤー、アンプ、スピーカーが必要になる。

細かくいえば、アナログプレーヤーだけでも、カートリッジ、ヘッドシェル、
シェルリード線、出力ケーブルが要素として加わってくる。
さらにはターンテーブルシート、スタビライザーなども加わる。

アナログプレーヤーシステムそのものも組合せから成り立っている。

なので、それぞれのパーツ(ケーブル、ヘッドシェルなどのアクセサリー)を吟味したくなる。
事実、何をかえても音は変化するから、シェルリード線の試聴会というのも成り立つ。

それでも組合せだけでは解決しない領域がある。
使いこなしでしか補えない領域がある。

かといって使いこなしだけでどうにかできるわけでもない。
使いこなしだけでは無理な領域がある。
組合せでしか埋められない領域がある。

アナログプレーヤーシステムを構成する個々のパーツの組合せ、
そして使いこなし。
どちらの比重が大きいのかは、ケース・バイ・ケースだろう。
同じくらい大きい、と思っていて問題はない。

だからこそ、アナログプレーヤー関連のパーツの試聴は、
試聴条件を同じにするだけでは、はっきりといえない領域が残る。

16本撚りのリード線で、針圧を1.9gにしてもらったのは、そういう理由もあってのことだ。
1.9gでいい感触が得られたので、
それ以上のこまかな針圧、インサイドフォースキャンセル量の調整は求めなかった。

それにアナログプレーヤーの使いこなしにおける聴感上のS/N比に関して、
いくつか気になるところがあったので、それをなんとかしたかった。

Date: 1月 19th, 2019
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その6)

昨晩は、仲良しチーム(今年からディープオーディオ三騎士)で飲んでいた。

メリディアンのULTRA DACの話題から、D/AコンバーターのFPGAへと、
それからartificial intelligence(人工知能)へと移っていった。

そう遠くない将来にFPGAのプログラミングをAIがやる時代がくる──、
Aさんは、そういう。

圧倒的な計算能力で最適解を導き出してくる。
オーディオの信号処理(FPGAのプログラミング)においても、そうであろう。

最初のころは人間にかなわなくても、短期間で追いこしていくであろう。
そうやって開発されたD/Aコンバーターが、そう遠くない将来登場するかもしれないし、
人間による開発は、太刀打ちできなくなる。

おおむねそんな趣旨だった。

ここでは「人工知能が聴く音とは……」というテーマだが、
Aさんが語っていたのは「人工知能が聴かせる音とは……」となる。

いわれてみると、そんなD/Aコンバーターが登場しても不思議ではない。
人工知能が聴かせる音を、われわれは聴く時代を迎えることになるわけだが、
ここで見落してならないのは、Aさんのいうとおりの開発手法だと、
そこでのAiは、音を聴いていない、ということである。

純粋に数学的に最適解を求めた結果としての音であって、
その最適解をはじきだしたAIは、音を聴いているわけではない。

これはなかなかに興味深いことになるはずだ。
そしてAIも、次のステップとして音を聴くようになっていくのだろうか。

Date: 1月 18th, 2019
Cate: 音楽の理解

音楽の理解(オーディオマニアとして・その3)

音楽に対する「想像と解釈」、
これこそが聴き手の心象である。

わずかでもいい音をもとめ、音に一喜一憂して過ごす、オーディオマニアとしての永い時間は、
自分だけの心象を創造・構築していくことである。

Date: 1月 17th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その44)

オーディオの想像力の欠如した耳は、無機的な音だけを喜ぶ。

Date: 1月 17th, 2019
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その6)

上原晋氏のリスニングルームに庭に面している一辺はアルミサッシである。
おそらく、ではあるが、リスニングルームの設計段階、
それに完成した当初は、このサッシを背にしてスピーカーを置かれていたはずだ。

庭の景色をながめての音楽鑑賞を描かれていたように思う。
そのことはリスニングルームのカベに飾られていた写真からもうかがえる。

花の写真があったが、長男の嵩史氏によると、庭に咲いている花であろう、とのこと。
ならば庭をながめながら、だったはずだ。

けれど意に反して、満足のえられる音が出なかったのか。
それでラックスの冊子、それに現在のように、
作業室へと通じる引き戸側にスピーカーを移動された、と推測できる。

そういえば、瀬川先生がステレオサウンド 54号に書かれていることを思い出す。
     *
 部屋の基本的な音、響きについては十分に満足をし、成功したものの、実は当初予測し切れなかった小さな誤算がひとつあった。
 以前から私は、部屋の中でのスピーカーの置き方として、長方形の部屋の場合、長手方向の壁面をスピーカーの背面として使ってきた。つまり部屋を長手方向に使うのではなく、短手方向に、左右のスピーカーのさらに外側を広くあけて使う、という置き方をしてきた。それはかつて、6畳ないし8畳という、決して広くない空間で、できるかぎり音の広がりと奥行き、定位といったステレオエフェクターを最大限に活かすために、体験的にあみ出した方法だった。
 スピーカーの二つの間隔がせますぎ、なおかつスピーカーの左右両わきに十分な空間がとれないと、どうしても音の広がりが得られない。いったんスピーカーを十分に広げて音の広がりを体験してしまった耳には、ひどくもどかしく感じられる。それを6畳ないし8畳、あるいはせいぜい本誌試聴室の15畳の広さで実験してみた場合、部屋を短手方向に使う以外にないようだ。ここ数年来の本誌のテストでも御承知のように他のリポーターが部屋を長手方向に使う場合でも、私だけは頑固に短手方向に使うということを一貫して行なってきたというのも、その主張のあらわれに他ならない。
 にもかかわらず、自分のリスニングルームを計画した時、部屋の短辺の壁面が内寸(実効寸法)で4・5メートル以上とれれば、部屋を長手方向に使っても2つのスピーカーの間隔はほぼ十分にとれ、従来のように部屋を短手方向に使う必要がないと、この部屋に関しては最初から決めてかかり、当然、視覚的な窓の配置等を含めたインテリアもその方向で仕上げてしまった。
 ところが、スピーカー運び込み、初めて鳴らしてみた時に、予測しないトラブルが生じた。十分聴き慣れていたはずのJBL♯4343が、部屋の短辺に置いたのではひどくこもった、まるで魅力のない音でしか鳴らない。魅力がないどころか、その音はむしろ、欠点だらけといいたいほどひどいバランスで、一時は♯4343を手離すことさえ考えた時期もあった。転居してしばらくの間は、♯4343はそうして部屋のすみに放り出されていた。ある日フト思いついて、部屋の長辺のほうに左右の両はしを十分にあけた形で、♯4343を置いてみた。するとどうしたことだろう、長手方向でまったくサマにならなかった♯4343が、これまた一変して予測もしなかった、たいへん見事な音で鳴り始めたではないか。
 この♯4343の置き方がヒントになって、各種のスピーカーを部屋の長手方向、短手方向に置き変えてみた結果、少なくとも音の響きの美しさを活かしながら、細かな音をよく聴き分けるには、やはりこの部屋でも短手方向に使う方がすぐれていることが確認できた。前述のようにこの形で聴くかぎり、視覚的にはやや落着きのない結果になってしまった。リスニングルームを計画するにあたっての小さな、しかし重大な誤算であったと反省している。
 この体験を通して確認できたことは、従来さまざまな部屋で体験していたことだが、同じ部屋の中で、同じスピーカーが、置かれる場所(面)によってまるで別物といいたいほど性格を変えるということだ。そのことからも、リスニングルームを計画するにあたって、スピーカーの位置をあらかじめ決めて、つくり付けにしてしまうというようなことは、とうてい私にはできないと再確認した次第である。
     *
瀬川先生は
《リスニングルームを計画するにあたっての小さな、しかし重大な誤算であったと反省している》
と書かれている。

上原晋氏も同じように思われていたのだろうか。

Date: 1月 16th, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(シェルリード線試聴会・その2)

EADレコードに撞いたとき、すでに銀線のシェルリード線の音が鳴っていた。
初めての店だし、当然初めて聴くシステム。

その音を聴いて、銀線の音がどうだったとは、あたりまえのことだがいえるわけがない。
銀線から、OFC線0.08mm/16本のシェルリード線に交換。

いわば、私にとって、ここからシェルリード線の試聴が始まった、といえる。

audio wednesdayでは、自分でセッティングして、ディスクをかけて、セッティングも変えたりする。
でも、ここでは私は聴くだけの側である。
店主の方が、リード線を交換して、レコードをかけかえて、プレーヤーを操作して、である。
楽でもあるし、店主がどうされるのかも興味の対象となる。

シェルリード線とはいえ重さがある。
芯線の数が増えれば、わずかといえ重量の違いが生じる。
このことに意外と無頓着な人もいる。

EADレコードの店主は、オルトフォンの針圧計でシェルリード線の交換後、
針圧をチェックされている。
1.7gに合わせられている。

16本のモノを聴き、24本、56本と、
レコードはそのままで聴いた。

16本と24本では重量の違いは0.1g程度だったそうだが、
56本ともなると0.2g程度違っている、とのこと。

16本、24本、56本の、
どのシェルリード線の音がよかったのか、
どういう違いがあったのか、その詳細についてここで細かく書いたところで、
システムが変り、カートリッジも違ってきて、使いこなしの腕も違えば、参考にあまりならない。

24本から56本になったときの音の変化量は大きかった。
それでも自分で使うのならば、ということで、16本をもう一回聴かせてほしい、とリクエスト。

56本の時に二枚目のレコードにかけかえられていたので、同じレコード16本を聴く。
聴いて確認したいこともあった。

だから16本の音をふたたび聴き終って、針圧を0.2g増えやしてほしい、と。
16本/1.9g針圧で聴く。

この音ならば、アナログプレーヤーのこまかなセッティングの詰めをやってみようという気になる。

Date: 1月 16th, 2019
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その3)

私が考えている月刊ステレオサウンドは、文字だけのステレオサウンドだ。
図や写真などが一切なく、文章だけのステレオサウンドである。

なので判型もステレオサウンドのB5ではなく、その半分でいい。
片手でも持てて、じっくりと読む。

こんなことを考えたのは、連載がキーワードだった。
マンガ雑誌では、それぞれのマンガ家が連載を目指している。
連載を勝ち取ったとしても、人気がなければ打ち切りになる。
それまでの実績は関係なしに打ち切られる。

打ち切りになったら、次の連載を勝ち取られなければならない。
どんな雑誌でもページ数という物理的制約がある以上、
何かが打ち切りになれば、別のマンガ家の作品が連載となりページは埋まっていく。

マンガ雑誌とオーディオ雑誌が違うのはわかっている。
そのうえで、オーディオ評論家も、オーディオ雑誌に連載をもつべきではないか、と思う。

そうするには季刊誌ステレオサウンドではページが足りなさすぎる。
それに三ヵ月に一度の連載なんて、ぬるい。
週刊誌とはいわないが、月刊誌での連載である。

ならば月刊ステレオサウンドだ。

端折っているところもあるが、こんなふうに考えての、月刊ステレオサウンドである。

オーディオ評論家に担当編集者が必ず一人つく。
連載のテーマを決め、タイトルを決める。

編集者は一人で、二人か三人のオーディオ評論家を担当することになるだろうが、
取材や試聴は、連載のために原則としてしない。

それからなんらかの評価システムを設ける。
だらだらと連載を続けさせないためにである。

月刊ステレオサウンドの編集長は、
季刊誌ステレオサウンドの編集長とは別にする。別の人がやったほうがいい。

編集者・編集部を分けることは必要ないはずだ。
文章だけの月刊誌だから、最初にフォーマットをきちんと作り上げておけば、
原稿があがってきてからの作業は、さほど手間ではないはず。

Date: 1月 15th, 2019
Cate:

いい音、よい音(いい音響、よい音響)

2018年4月、「いい音、よい音(きこえてきた会話)」で、
隣のテーブルからきこえてくる数人の女性の会話のなかに出てきた「いい音響」、
そのことにふれた。

オーディオマニアでもなんでもない人たち(そうみえた)が、
映画の話であっても、そこに「いい音響で観るとほんといい」と頷きあっていた。
「いい音で……」という人は珍しくないけれど、
「いい音響」とみなが言っていたのが興味深かった。

川崎先生が「コーラルはオークションで手に入るから、教えたい」を公開されている。
そこでも、いい音響が出てくる。

以前から音響ということばについて書こう、と考えていた。
とはいえ、少し斜めからの解釈による音響について書く、ということだ。

音響とは、音と響き、と書く。
これを少し違う言葉でおきかえると、質感と量感ではないか、と、
ここ数年思うようになってきたからだ。

質感はともかく、量感は、どうも誤解されているような気もする。
私にしてみれば、それは量感とは捉えない鳴り方を、量感と一般的にはいっているような気もしている。

それだけでなく、量感のよさというのが、最近のスピーカーシステムからは失われつつあると感じている。

Date: 1月 14th, 2019
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その2)

月刊のオーディオ雑誌といえば、
音楽之友社のステレオがある。
技術系のオーディオ雑誌としては、誠文堂新光社の無線と実験がある。
書店売りはしなくなったが、ラジオ技術もある。

月刊ステレオサウンドと書いてしまうと、
ステレオのようなイメージを思い浮べる人もいるかもしれない。
私がイメージしている月刊ステレオサウンドは、
季刊誌ステレオサウンドの弟分的な存在とか、
劣化版としての月刊誌ということでは、まったくない。

株式会社ステレオサウンドは、以前サウンドボーイという月刊誌を出していた。
このサウンドボーイも、私が考えている月刊ステレオサウンドとはまったく違う。

私がマンガを積極的に読むことは、これまでにも書いている。
マンガ雑誌は、メインとして週刊誌である。
少年ジャンプとか、少年マガジン、少年サンデー、少年チャンピオンなどがある。

これらには週刊誌のほかに、月刊誌も存在する。
月刊マガジン、月刊ジャンプなどがそうだ。

だからといって、
これらマンガ雑誌のような意味での月刊ステレオサウンドでもない。

私がいいたいのは、
マンガ雑誌におけるマンガ家と編集者との関係の深さというか強さ的なことを考えてのことだ。

マンガ雑誌では、マンガ家一人に担当編集者が必ずつく。
マンガ家と編集者との関係については、
インターネットにはいくつかの記事がある。
興味のある人は検索して読んでみてほしいし、
以前、別項で紹介した「バクマン。」というマンガも、
そのあたりのことが興味深く描かれている。

私は前々から、マンガ雑誌のような編集者のありかたが、
オーディオ雑誌ではやれないのか、と思っていた。

季刊誌ステレオサウンドのように、特集記事があって、
新製品紹介の記事があって、その他にいくつかの記事があるという状況では、
まず無理といえる。

ならばどうすればそういうことができるのか、といえば、
その答が月刊ステレオサウンドである。

Date: 1月 14th, 2019
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その1)

ステレオサウンドは、3月、6月、9月、12月に出る季刊誌。
ステレオサウンドを初めて手にした中学生だったころは、三ヵ月かかって読み切っていた。

くり返し読むということもあったし、
初めて目にする単語や固有名詞もあったりして、
それに内容も、いまよりも濃かったこともあって、
オーディオの世界に足を突っ込んだばかりの中学生には、
いまのステレオサウンドのように、すぐに読み終えてしまうなんてことはなかった。

読み終えてしばらくしたら、もう次のステレオサウンドが書店に並ぶ。
そんな感じがしていた。
なので季刊誌でよかった、と思っていた。

小遣いのこともあった。
ステレオサウンドが毎月出ていたら、小遣いが不足してしまう。
当時1,600円の雑誌は安くはなかった。

一ヵ月に換算すれば500円ちょっということになるが、
他に買いたいものがいろいろある中学生に、
ステレオサウンドが毎月発売されたら、何かを犠牲にすることになったはず。

私がいたころも、編集会議という場ではなく、
雑談として、季刊誌から隔月刊へ、という話題は何度かあった。

いつの時代も、「これからはスピードの時代」的なことがいわれてきた。
あのころも、いわれていた。
だから、季刊誌ではなく隔月刊に──、
そんなことを雑談ではあっても、けっこう真面目に話していた。

ステレオサウンドが隔月刊になったら、
2月、4月、6月、8月、10月、12月に出る。

私がいたころは写植の時代だった。
いまはDTPき時代である。

一冊のステレオサウンドが仕上がるまでに必要な時間は、
試聴や取材の時間を除けば、短くなっている。
今ならば隔月刊化も無茶なことではなくなっている、と私は思う。

けれど、ここで書こうとしているのは、
隔月刊化ではなく、月刊ステレオサウンドについて、である。

隔月刊をとびこえての月刊、ということではない。
季刊誌ステレオサウンドは、もういまのままでいいと思う。
というよりも、もう変らない(良くならない)のだから、現状維持ができるのならば、
それでいいのではないか。

私が提案したいのは、ステレオサウンドと名のつく雑誌を、せうひとつ増やすことである。
季刊誌ステレオサウンドとともに、月刊ステレオサウンドを出す、ということである。