Archive for category テーマ

Date: 5月 14th, 2025
Cate: スピーカーとのつきあい

BOSE 901というスピーカーのこと(その7)

ステレオサウンド 82号に、菅野先生の「ボーズ訪問記」が載っている。
この項の(その3)で、
《いわばシグナル・トランスデューサーの概念に対してアコースティック・トランスデューサーの概念で作られたものなのだ。》

スイングジャーナル 1977年7月号のSJ選定新製品で、
菅野先生が901 Series IIIについて書かれたことを引用している。

アコースティック・トランスデューサーを、どう考えるか。
ここにつながることが、「ボーズ訪問記」にある。
     *
 私は良い音にとって三つの要素が重要だと考えています。まずバランス。各周波数帯のエネルギーバランスが重要です。次にコンサートホールの空間的アスペクト。各方向からどれだけのエネルギーがやってくるかということですね。コンサートホールではほぼ全方向から音が飛んできますから。それに時間差です。たとえばオーケストラを聴いているとすると、いろんな方向に反射して200ミリから500ミリ秒の遅れが出ます。今いるこの小さな部屋なら20〜50ミリ秒ぐらいでしょう。これらをスペクトラム(Spectrum)、スペーシャル(Spacial)及びテンポラル(Temporal)と呼んでいます。こういったことはホールの重要な要素ですが家庭では実感できません。規模が小さすぎるからです。けれども我々はどれだけナマの音楽に近づけるかということはできます。たとえばスピーカーのバランスや指向性をよくすることはできますが、時間差を与えることはできません。この三要素を家庭でどこまで再現できるかが、ナマの音にどれだけ近づけるかということです。周波数のエネルギーバランス、音のリスナーに届く方向という二点はかなり現代の技術です可能なことですが、テンポラル、つまり時間差の面ではいかんとも難しい問題があります。ディジタルを使った遅延装置等が開発されていますが、これとて所詮スピーカーを通した部屋の特性に限定されてしまうのです。物理的に不可能な点がここにあります。したがってもしここに絶対のナマの音というものがあれば、我々は限りなく、自その点に近づいてもそこには到達出来ないという事です。
 もし絶対のナマの音がと言いましたが、これも確たるものとは限定できない。人間の感性は動きますからね。
     *
ボーズ博士の発言だ。
ステレオサウンド 82号は、1987年春に出ている。
この時は、まだ編集部にいたけれど、この記事への反応は薄かったように思っていた。
どれだけの読者が、この「ボーズ訪問記」を熱心に読んでくれたかは、なんとも言えない。

だから、引用したところを読んでなんらかの関心を持ったならば、ぜひ全文を読んでほしい。

Date: 5月 13th, 2025
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その21)

フランコ・セルブリンのKtêmaで、“THE DIALOGUE”の見事な鳴り方を聴いて、
そのパワーリニアリティの優秀さに驚き、感心するとともに、
ホーン型スピーカーのローレベルにおけるリアリティということも考えていた。

リアリティであって、ローレベルにおけるリニアリティではない。
ホーン型スピーカーならばなんでもいいというわけではなく、
優れたコンプレッションドライバーによるホーン型スピーカーということになるが、
ホーン型ならではのローレベルでのリアリティは、
現代のダイレクトラジエーター型のスピーカーからは、まだまだ得られないではないのか。

そしてもうひとつ思うことがある。
ここで書いているローレベルのリアリティとは、
スピーカーによる演出に近いのではないか、ということであり、
このローレベルのリアリティは、ホーン型スピーカーのそれとは違う、もうひとつがある、ということ。

伝統的なBBCモニタースピーカーにも、ホーン型とは違うローレベルのリアリティがある。

そこに私は惹かれているように、今回Ktêmaでの“THE DIALOGUE”を聴いての気づいた。

Date: 5月 13th, 2025
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その28)

この項を書いていると、カッコいいアンプについて考えようになってきている。

音がいいアンプとか優秀なアンプとか、完璧なアンプ、りそのアンプ、
そういったことではなく、
パッと見て、カッコいいと思えるアンプのことである。

だからといって、出てくる音がとんでもなくひどかったら、
カッコいいとは思わないわけで、音も大事なのだけど、
それよりもカッコいいかどうか、それにはメーターの存在が、
けっこう大きく関係しているように感じている。

SAEのMark 2500。
ここ数年、毎日、その顔(フロントパネル)を見ていると、
Mark 2500は、私にとってカッコいいアンプの、かなり上位に来るな、と思う。

SAEにはMark 2400というモデルもあった。
ほとんどMark 2500と同じ顔つきといえる。
違いは、メーターの感度切替用のプッシュスイッチがないだけなのだが、
たったこれだけでも印象はずいぶん違ってくる。

Mark 2500はカッコいいと思うのに、Mark 2400をそう思ったことは一度もない。

写真を見る度に、残念だな、わずかな違いなのに、全体の印象はこれほど変るのか──、
そんなことを思ってしまう。

ということはカッコいいアンプとメーターは、あまり関係がないんではないか、
そういうことになるわけだが、それでもカッコいいアンプとメーターは、そう単純なことではないとも思う。

Date: 5月 12th, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その18)

 今の世の中、全てはビジネスが支配的である。音楽の現場も、それを包含する文化のあらゆるアクティヴィティは商業主義に支配されざるを得ないといってよい状況だ。ましてや、一つ一つが、利益追求の企業が生産する商品であるものを使わなければならないオーディオについては、その中で文化的、芸術的息吹を呼吸することは困難なことであろう。今のオーディオが物中心に流されるのも、むべなるかな……である。僕の願いは、この環境の中で、無理は承知で、あえてメーカー各位に、この点の反省を、そして、ユーザー諸兄には物をこえた心の世界の認識を求め、自ら、ハングリー精神を養っていただきたい……ことにある。人間らしさを保ち、幸せの価値観をもつための、そして、文化を守り築くための、現代社会からのサバイバルである。
     *
この文章を読まれて、どう思われるか。
菅野先生の「オーディオ羅針盤」のあとがきからの引用だ。

「オーディオ羅針盤」は1985年に出版されている。四十年前だ。

Date: 5月 12th, 2025
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その20)

フランコ・セルブリンのKtêmaで聴いた“THE DIALOGUE”のベースは、良かった、と前回書いた。
私はとてもいいと感じていたし、この日、来られた方もいいと感じられた。

でも、この日のベースの音を締りが悪い、とか、緩いとか言う人はきっといるだろうな、とも思っていた。

適度にふくらんで、気持よく弾んでくれるのだから、
アクースティクベースの鳴り方としては、良いと感じるわけだが、
昔から、そうアナログディスク全盛の時代から、
低音は締っていなければ、いい低音ではない、と主張する人が、
けっこう多いどころか、時には(場合によっては)多かったりすることだってあった。

締った低音、クリアーな低音は、確かにオーディオ的快感がある。
贅肉を一切感じさせない低音は、でもどこまでいってツクリモノの低音でしかない。

“THE DIALOGUE”でのベースは、アクースティクベース(ウッドベース)である。
それがオーディオ的快感といえる低音で鳴っても心地良くはない。

Date: 5月 11th, 2025
Cate: スピーカーとのつきあい

FRANCO SERBLIN Ktêma(その8)

2月のaudio wednesdayからフランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らしている。
2月はアナログディスクで、
3月はメリディアンのUltra DACとの組合せでMQA-CD、
4月も3月と同じくUltra DACでMQA-CDに、エラックのリボン型トゥイーター、4PI PLUS.2を足した。
5月は、4月とほぼ同じだが、エラックへの配線を変え、位置も変えている。

それだけでなくKtêmaの位置も変えてみた。
2月から4月の三回は、少しばかり位置を変えていたものの、それは設置している者にしかわからないほどの違い。

今回はいつもよりも左右の間隔を、約1mほど広げてみた。
なので4mほど左右のスピーカーは離れての設置になり、それに伴い、いつもよりも内振りにした。

音を鳴らし始めたのは16時過ぎで、
このまま音を聴きながらアンプやD/Aコンバーターがあたたまるのを待っていた。

18時過ぎたころに、スピーカーの振りを変えてみる。さらに内振りにする。

部屋を縦長で使っていてはとうていできない置き方であり、
前々から、ここまで広げてみたいとは思っていた。

結果は、というと、もう少し詰めていく必要はあるけれど、
これからも基本、この位置を定位置としていく。

Date: 5月 10th, 2025
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その19)

先日のaudio wednesdayでは、“THE DIALOGUE”もかけた。
2024年4月のaudio wednesdsyでも、アパジーのDuetta Signatureを鳴らした時にかけている。

この時の鳴り方もなかなか良くて印象に残っているけれど、
今回のフランコ・セルブリンのKtêmaでの鳴り方は、予想を超えていた。

私の中での“THE DIALOGUE”の鳴り方のイメージは、
アナログディスクでの、JBLの4343と4350で聴いた音が核になっている。

そういうこともあって、四谷三丁目の喫茶茶会記で、アルテックのユニットを中心としたシステムでは、
少しばかり恐怖を感じるくらいの音量で鳴らしていた。

JBLやアルテックでは、そこまでの冒険(無理)は可能でも、
フランコ・セルブリンでは、それは無茶ということであり、試みることもせずに、
やや控え目な音量で、audio wednesday開始前の時間、鳴らしていた。

Ktêmaを貸してくださっているOさんの、もっと音量を上げても大丈夫です、と言葉を信じて、ボリュウムを思い切ってあげる。

ここまでパワーリニアリティが高いのか、と、自分の認識不足を感じていた。

あの時代のJBL、アルテックの暴力的な鳴り方ではないが、Ktêmaの“THE DIALOGUE”は見事だった。
もう少し音量も上げられるな、という感触もあったし、
セッティングを詰めていけば、相当なところまでいけるはず。

とにかくKtêmaでのベースの鳴り方は、いい。

Date: 5月 9th, 2025
Cate: ディスク/ブック

One Girl Best(その2)

「ムーミンのテーマ」を聴いたことがある人で、
テレビの音声以外で聴いたことがあるという人は、どのくらいいるのだろうか。

私は、子供の頃、テレビから流れてくる「ムーミンのテーマ」しか記憶にない。

今回聴いて感じたのは、丁寧に録音されている、ということ。
ムーミンはテレビアニメで、子供向けの作品だから──、といった甘えが感じられない。
むしろ子供たちが耳にして、口ずさむであろうから、きちんと作らなければ、というふうにも受け止めることができるほど、
そこには手抜きが一切感じられなかったからこそ、
きちんと再生することで、驚くことになったのかもしれない。

メリディアンのUltra DACの三種のフィルターで聴いていて、最も良かったLongフィルターの音は、
MQAです、と言われれば素直に信じてしまうほどの良さと好ましさだった。

Shortの音がひどかったのではない。
Shortの音だけ聴いても、きちんとした仕事による録音と感じることはできる。

それがMedium、そしてLongへと変えることで良くなり、
声の生々しさが増していき、同時に歌の表現の幅が広くなり、深みを増す。

あえてくり返すが、Longフィルターの音はMQAといってもいいほどだった。

テレビを通じてではあったものの、幼い頃に、
「ムーミンのテーマ」を毎週聴いていたことは、ふり返ると、
贅沢なことだったと思う。

Date: 5月 8th, 2025
Cate: ディスク/ブック

One Girl Best(その1)

昨晩のaudio wednesdayは、リクエストの会だった。

四谷三丁目の喫茶茶会記でやっていた時、何度か来られた大阪のMさん。
今年になって毎月来られている。

Mさんが待ってこられたCDの一枚が、“One Girl Best”だった。
堀江美都子のベスト盤。

堀江美都子の名を見て、反応する人もいれば、無反応な人もいるけれど、
この二枚組のCDに収録されている曲のいくつかは、
私と同世代か近い世代の人であれば、どこかで、いつの時代かに耳にしているはず。

昨晩はメリディアンの、Ultra DACを使っていたので、
リクエストされたすべてのCDで、
Ultra DACならではの三種のフィルターを切り替えて聴いてもらった。

Mさんリクエストの曲の後に、個人的聴きたい曲があったので、かけた。
昨晩は、Short、Medium、Longの順で、冒頭一分弱を聴いてもらい、
どのフィルターにするかを決めてもらうようにしていた。

“One Girl Best”でも、私が聴きたい曲でもこの順番で聴く。

「ムーミンのテーマ」、私が聴きたい、この曲では、
音の変化がはっきりとしていた。
Short、Medium、Longの順に音が良くなる。
変化すると書いた方が誤解は少ないとはわかっているが、
昨晩の音の変化は、誰の耳にもはっきりと良くなっていった。

ディスクによっては、フィルターによる音の違いがわかりにくかったり、
違いは聴き取れても、どのフィルターにしようか、迷うこともないわけではない。

「ムーミンのテーマ」は、Ultra DACのフィルターの試聴にぴったりの曲でもあったし、
「ムーミンのテーマ」は、子供のころ、毎週テレビから流れてくるのを聴いていたわけだが、
こんなにもいい曲、魅力ある歌唱だったことを、今回初めて知った。

Date: 5月 7th, 2025
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(エルカセットのこと)

来年で、「五味オーディオ教室」と出逢って五十年になる。
だから、けっこうな数のオーディオ機器の音を聴いているわけだが、
それでもタイミングというか、聴く機会がなかったもこもけっこうある。

1976年に登場したエルカセットが、その一つだ。
オープンリールテープと同じ1/4インチ幅のテープを、
カセットテープと同じようなハウジングに収めたもの。

オープンリールテープ並みの音と性能を、カセットテープの扱いやすさで、ということが謳い文句だった。
かなり期待された規格だったはずだ。にも関わらず短命だった。

実機を見たことはあるが、聴いたことはない。
エルカセットテープを手にしたこともない。
何の実感も持たずに、エルカセットは消えていった。

でも、ふと思うことがある。
エルカセット登場の三年後にソニーからウォークマンが出た。
ウォークマンが世に出なかったら、エルカセットはもう少し生き延びたのか、と。

Date: 5月 7th, 2025
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その19)

オーディオ評論家もオーディオマニアのはずだ。
少なくともオーディオ評論を仕事とする前はオーディオマニアだったはず。

だから、この項を書いていて、オーディオ評論家としての「純度」とは? を考える。

Date: 5月 6th, 2025
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その18)

同軸スピーカーケーブルの逆接続による音の変化を、何度か経験するうちに、
なぜ、こんなふうに音は変化するのかについての、
自分なりの仮説が、二、三浮かんでくる。

その時の仮説とは別に、それから三十年以上経ち、
インターネットが普及し、さまざまな知見が得られるようになってから、
また一つの、新たな仮説が浮かんできた。

ポインティングベクトルである。
ポインティングベクトルについて解説することは、私には無理。

検索してみればわかるが、数式や図式が表示される。
それらを眺めたところで無理。

それでもいくつか眺めている(読んでいるとは言えないレベル)と、
「電流のエネルギーは導体の外側を流れる」という記述が目に入る。

ここで重要なのは、
電流は、ではなく電流のエネルギーは、のところなのだが、
これにしても理論的に理解できているわけではない。

それなのに、ここでポインティングベクトルについて書いているのは、
同軸スピーカーケーブルの逆接続の音は、このことに関係しているように感じているからだ。

もしそうだとしたら、また新たな仮説が浮かんでくるのだが、
実際のところ、どうなのだろうか。

Date: 5月 6th, 2025
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十六夜(三度目のFRANCO SERBLIN KtêmaとMeridian Ultra DAC・いよいよ明日)

今年、フランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らすのは四度目となる。
一度目の2月の会では、アナログディスクのみで鳴らした。
3月、4月の会は、MQA-CDのみで鳴らした。

明日のaudio Wednesdayでは、KtêmaとメリディアンのUltra DAC、三度目の組合せとなる。
今回はMQA-CDにこだわらず、来られた方が持参されたCDを鳴らすリクエストの会となる。

すでに告知しているように、Ultra DACならではのフィルター三種の音を聴いてもらって、フィルターの決定とする。

どのフィルターにするのかは、リクエストされた方の判断に任せる。
私は一切、何も言わない。

一緒に聴いている人の中には、自分だったら、こっちのフィルターを選ぶと思われるかもしれない。
それも黙っていてほしい。

リクエストされた方の好きなように聴いてもらう会にしたいからだ。

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2,500円いただく。ワンドリンク付き。
大学生以下は無料。

Date: 5月 4th, 2025
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その17)

ここで同軸スピーカーケーブルについて書いていることも、
別項「パッシヴ型フェーダーについて」で書いていることきも、同じことが含まれている。

同軸スピーカーケーブルを使って、ただ単に音がいいとか悪いとか、
音が良くなったとか悪くなったとか、
パッシヴ型フェーダーにした方がコントロールアンプを使うよりもいいとか、
やはりコントロールアンプの方が良いとか、
そういうことではなく、
その使い方を思いつく限り試してみることで見えてくる事柄がある。

このことを言いたいだけである。

Date: 5月 3rd, 2025
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その7)

(その6)は2016年8月に公開しているので、ずいぶん経ってしまったわけだが、
何も考えていなかったわけではない。

タイトルにコピー技術、コピー芸術を使っている。
2016年からの約七年間、コピーだけでいいのだろうか、と思うことが何度かあった。

コピー(copy)で日本語だと複写、複写に近い言葉として転写がある。
英語だとtranscription(トランスクリプション)。

何が言いたいのかというと、コピー技術、コピー芸術の中に、
トランスクリプション技術、トランスクリプション芸術という意味合いを込めていたのかだ。