audio wednesday (next decade) 終了のお知らせ
11月に、ヴァイタヴォックスのCN191が鳴らせると楽しみにしていましたが、詳細を書きたくない事情により、前回(10月)で終了となりました。
いい場所が見つかれば、いつの日か再開するつもりでいます。
11月に、ヴァイタヴォックスのCN191が鳴らせると楽しみにしていましたが、詳細を書きたくない事情により、前回(10月)で終了となりました。
いい場所が見つかれば、いつの日か再開するつもりでいます。
いまどきのスピーカーの出力音圧レベルがあたりまえになっている人は、
スピーカーの変換効率はどのくらいなのか、わかっているのだろうか。
スピーカーの変換効率は、相当に低い。
93dB/W/mで1%の変換効率でしかない。
いまでは90dB以上のスピーカーは高能率と言われたりするが、93dBといえば、JBLの4343がそうだった。
15インチ口径のウーファー、10インチ口径のミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーターという構成で、
フロアー型だった4343は、ブックシェルフ型並の出力音圧レベルと言われたりした。
四十年ほど前は93dB/W/mは高能率ではなかった。
変換効率が1%ということは、アンプからの信号の99%は音に変換されず熱になっている。
その熱が音に影響しないのであれば、こんなことを書いてはいない。
アコースティックエナジーのAE2のエキスパンドされたかのような音を思い出すと、4343でも音の伸びをあるレベルから抑えられていたのだろう。
熱対策を十分に行っているスピーカー、つまりAE2の音の伸びこそ、本来の鳴り方なのかもしれない。
スピーカーのボイスコイルは、数Ωという直流抵抗を持つ。
この直流抵抗によって、ボイスコイルは熱を持つことになる。
熱を持てば、金属の性質上、直流抵抗の値は高くなる。
高くなれば、その分さらにパワーのロスが生じる。
ということは、そこでまた熱が発生する。
そうやってボイスコイルの温度がさらに上れば、直流抵抗はさらに高くなる……。
悪循環を招き、リニアリティの低下となる。
JBLの4343から4344へのモデルチェンジにおいて、
ウーファーが2231から2235へと変更されている。
JBLの発表によれば、
約30Hzの低音での1W入力時と100W入力時の出力音圧レベルは、
ボイスコイルの温度上昇とそれによる直流抵抗の増加、
それ以外にもダンパーなどのサスペンションの影響により、
2231では100Wの入力に対してリニアに音圧レベルが上昇するわけでなく、
3〜4dB程度の低下が見られる。
2235での低下分は約1dB程度に抑えられている。
2235は確かボイスコイルボビンがアルミ製になっている。
ボビンの強度が増すとともに、放熱効果もある程度は良くなっているはずだ。
このことが、100W入力時の音圧の低下を抑えている、といえよう。
1970年代後半に登場したガウスのユニットは、
磁気回路のカバーがヒートシンク状になっていた。
これは放熱効果を高めるためであるが、ボイスコイルを直接冷やしているわけではない。
あくまでも間接的放熱である。
ボイスコイルの温度上昇を抑えるには、効率的な放熱対策が必要となる。
ボイスコイルが巻かれているボビンを熱伝導率の高いモノにする。
ボイスコイルからボイスコイルボビンに伝わった熱を、どう放熱するのが効率的かといえば、
振動板を熱伝導率の高い素材にすることだ。
アコースティックエナジーのAE1、AE2のウーファーはアルミの振動板を採用。さらにボイスコイルボビンから伝わってくる熱を、
アルミの振動板に伝えるために接着剤も熱伝導率を重視している。
とにかくボイスコイルが発する熱を、できるだけ振動板に伝え、放熱させる設計であり、だからこそのエキスパンドされたのような鳴り方を実現している、と見ている。
一週間ほど前に知ったのだが、アコースティックエナジーから、AE1 40th Anniversary Editionが出ている。
型番からわかるようにAE1の40周年記念モデルだが、だからといって限定モデルでもなさそう。
アコースティックエナジーのスピーカーを聴いたのは、別項でも触れているように早瀬文雄(舘 一男)さんのリスニングルームだった。
とにかく広い空間だった。床面積も天井高も、一般的なサイズではなかった。
そういう空間にポツンと置かれていたAE2。AE1と同じスピーカーユニット使用だが、
型番からもわかるようにダブルウーファー仕様。
小型スピーカーとはいえ、それまでの小型スピーカーとは顔つきが明らかに違っていた。
ロジャースのLS3/5Aとは時代がかなり離れているから当然としても、
セレッションのSL600、SL700といった近い時代の小型スピーカーとも、ずいぶん違う。
出てきた音もそうだった。欲しいとは思わなかったが、凄いスピーカーが登場してきたものだ、という驚きは強かった。
とにかく音がのびる。バスレフポートからの風圧が顔に感じられるほど音量を上げても、余裕があるどころか、エキスパンドされたかのようにすら聴こえた。
同じことを井上先生が、ステレオサウンド 95号に書かれている。
《音量が上がるに従って、加速度的に音のエッジがクリアーになり、一種のダイナミックエキスパンダーのような力強い音に変るのが、このシステムの音のキャラクターである。》
ダブルウーファーとはいえ、ユニット口径は9cm。
にも関わらず、まさしくそういう音がAE2から鳴ってくる。
dCSのVarèseは、どうだったのかというと、ありきたりになるが凄かった。
CDトランスポートを加えると全体で六筐体。縦型のラックに収められているのを見て、
壮観だな、と思うか、なんと大袈裟な、と思うか。音を聴くまでは、人それぞれだっただろうが、
その音を聴いてしまうと、この規模があっての音なのか、と納得するはず。
土方久明氏の選曲は、ケルテス指揮ウィーンフィルハーモニーによる「新世界より」。
古い録音なのだが、見事だった。
聴いていて、五味先生のことを思い出していた。
ステレオサウンド 47号から始まった「続・五味オーディオ巡礼」での南口重治氏の4350Aの音について書かれていたことを思い出していた。
*
プリはテクニクスA2、パワーアンプの高域はSAEからテクニクスA1にかえられていたが、それだけでこうも音は変わるのか? 信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
小編成のチャンバー・オーケストラなら、あらためて聴きなおしたゴールド・タンノイのオートグラフでも遜色ないホール感とアンサンブルの美はきかせてくれる。だが大編成のそれもフォルテッシモでは、オートグラフの音など混変調をもったオモチャの合奏である。それほど、迫力がちがう。
*
さらに五味先生は《仮りに私が指揮を勉強する人間なら、何を措いてもこの再生装置を入手する必要がある、と本気で考えていたことを告白する。》
とまで書かれている。
五味先生が南口氏の音を聴いての衝撃は、これと同じか、きわめて近いのでは──、
そんなふうに思いながらも、では昂奮していたのかというと、割と冷静だった。
昨年あたりからハイエンドオーディオ機器の価格は、跳ね上った。
今年、さらに跳ね上った。
来年は、どうなるのか。
数千万円を超え、一億円も超えるようになってきた、それらのオーディオ機器のことを否定する気はない。
ただ言いたいことは、価格ではなく、その規模に節度はあるのか、そのことだけである。
規模が大きくなることに、マニアならば昂奮もする。よくぞ、ここまでやった、と思うこともある。
けれど……、である。
別項でも触れているが、山中先生ステレオサウンド 50号の特集で、クラシックスタンダードという言葉を使われている。
マランツのModel 7は、まさしく、そのクラシックスタンダードなオーディオ機器である。
スタンダード(standard)の意味を調べると、節度ともあった。
スタンダードにはいくつかの意味がある。節度は、その中の一つなのだが、
いまの時代のハイエンドオーディオ機器を見ていると、これらが二十年後、三十年後、さらにもっと年月が経ってふり返ったときに、
クラシックスタンダードとは、呼ばれないだろう。
クラシックスタンダードと呼ばれることが、何らかの絶対条件であるとは言わないが、
それでも節度を全く感じさせないオーディオ機器は、将来、どういう評価を得るのか。
ジャクリーヌ・デュ=プレとカスリーン・フェリアーを生涯の「友」として聴いてきたのであれば、その人の人生は幸福だったはず。
人生にはいろんなことが起こる。苦労ばかりだった──、そんなことをつぶやきたくなる人生でも、
デュ=プレとフェリアーの音楽とともに歩んでこれたのならば、やはり幸せなはずだ。
もっとも、どんな音で聴いてきたか。
このことを無視して、生涯の「友」として聴いてきたとは語れない。
11月5日のaudio wednesdayで、ヴァイタヴォックスのCN191を鳴らすわけだが、
うまく鳴ってくれれば、二人の演奏をかける。
11月5日のaudio wednesdayでヴァイタヴォックスのCN191を鳴らすと決めてから、
先日のインターナショナルオーディオショウで聴くことができたし、
ヴァイタヴォックスからは新製品が登場するなど、不思議とヴァイタヴォックスとの縁(のようなもの)を感じている。
今回CN191を鳴らす器材は、いつもと同じである。
D/Aコンバーターは、メリディアンのUltra DACだ。
ここには日本製、アメリカ製ではなくヨーロッパ製を持ってきたいし、できればヴァイタヴォックスと同じイギリス製を、というのは、私のこだわりでしかない。
以前から感じていることなのだが、100dB/W/mほどの高能率スピーカーほど、MQAとの相性がいい。
野口晴哉氏のリスニングルームのスピーカーは、
シーメンスにしてもウェストレックス・ロンドンにしても高能率であるが、
その中でヴァイタヴォックスは低域もホーン型という存在。
それ故の難しさもあろうが、
オールホーン型という、いまでは稀少な存在となったスピーカーシステムを鳴らせるのは、楽しみでしかない。
ハイエンドオーディオという言葉が、昔から嫌いだった。
こんなことを書くと、 ハイエンドオーディオ機器を買えないことからの僻みだろう、と言われようが、
ハイエンドオーディオと呼ばれているオーディオ機器が嫌いとか認めないとかではなく、
ハイエンドオーディオという言葉そのものが嫌いなのだ。
ハイエンドオーディオって、高域まで伸びているオーディオのことですね──、そんなふうに言ったりしていたことも二十代のころはあった。
ハイエンドオーディオという言葉を、たぶんこれから先も好意的に使うことはない、すらいえる。
もちろん他人がハイエンドオーディオという言葉を、有り難かったり、
自分自身を大きく見せるために使うのは、ご自由に、と思う。
少し前からディープエンドオーディオと書くようになった。
もうひとつ言葉としての響きがよくないと自分でも感じているが、
深みを目指していくのだから、いまのところ、かわりのいい感じの言葉が思いつかない限りは、
ディープエンドオーディオを使っていくことになるが、
ディープエンドオーディオには高能率のスピーカーが絶対的に欠かせない存在である。
数年前にヴァイタヴォックスのウェブサイトに、CN191でもBitoneMajorでもないエンクロージュアの写真が公開されていたことがある。
その写真も全体が写っていたわけではなく、詳細は全く不明だった。何か新しいスピーカーシステムを開発しているんだろうな、とうかがわせるだけだった。
そのスピーカーシステムがようやく登場した。しかも三システム同時にであり、さらにトゥイーターも一緒にである。
T3 Systemという。
TriStar、Triple5、Tritoneの三システムだ。
型番がTriから始まることからもわかるように、おそらくヴァイタヴォックス初の3ウェイシステムである。
それぞれのモデルについては私が書くよりもヴァイタヴォックスのウェブサイトを見たほうが早いし、
それにエンクロージュアの詳細がわかっていない。
それでも書いておきたいのは、トゥイーターの形状だ。JBLの2405のヴァイタヴォックス版といえる。
ヴァイタヴォックスのCN191は、1977年の時点では一本796,000円だった。ペアで1,592,000円。
復刻されたCN191の価格は、ずっとわからなかった。エンクロージュアの手のかかる造りからして、かなり高価になっていることわかるし、
なんとなくだが、最低でもペアで800万円、もしかしたら1,000万円前後か、と思っていた。
今回のインターナショナルオーディオショウで価格がわかった。ペアで1,500万円ほどである。
約五十年ほどで十倍になったわけだが、復刻のCN191のホーンは、ずっしりと重たそうなウッドホーンになっている。
是枝重治氏の話では、ドライバーのS2も精度が高くなり、昔のS2よりもいい、ということだった。
ということはウーファーもエンクロージュアの造りも、昔よりも一段と良くなっているのかもしれない。
まだ日本では誰も復刻CN191の音を聴いていないのだろう。
そんな復刻CN191の音を想像しながら、11月のaudio wednesdayでは、昔のCN191を鳴らす。
結局、今年のインターナショナルオーディオショウは17日しか行けなかった。
18日も予定していたのだが、膝の調子が芳しくなくて休養を優先した。
今日(19日)は用事があったので無理。
初日の午後だけ。しかも今井商事のブースに二時間ほどいたので、すべてのブースどころか、わずかなブースのみしか回れなかった。
それでも是枝重治氏と話す機会があったし、私にとってはけっこう有意義なショウだった。
タクトシュトックのブースで、15時からのジャーマン・フィジックスを聴きたかったけれど、
是枝重治氏の講演が終ったのが、15時15分くらいだったため、諦めた。
今井商事のブースに行く前にタクトシュトックのブースに寄ったのだが満員だったのを見ていたから、
15時過ぎに行ってもダメだろう、と思い、太陽インターナショナルのブースで並んだ。
16時から土方久明氏の回。列はすぐに長くなり、席はすぐに埋まってしまう。立っている人も多い。
太陽インターナショナルといえば、今年はdCSのVarèseが、
なんといっても大きな注目を集めている。
買える買えない、そんなことは関係なく一度は聴いてみたい。そう思わない人は、いるのだろうか。
けれどVarèseの試聴は、dCSからのお達しで、人数制限ありで整理券が必要となる。
朝10時から配布される整理券は、行く前から諦めていた。とはいえ実物を見ることはできる──、そう思っていたら、
土方久明氏の回の最後で、一曲だけではあったがVarèseの音を聴くことができた。
昨晩の(その13)では恥らいという言葉を使ったが、だからといってヴァイタヴォックスのCN191の音を、恥らいの音と表現するのには躊躇いがある。
恥らいと書いてしまうと、どこか、そして少しばかりネガティヴにも受け止めれかねない。
大きく外れていないけれど、微妙に誤解を招くとも感じる。
含羞。
辞書には、はにかみ、はじらい、とある。
それでも恥らいと含羞とでは、同じだろうか。
同じだろう、と言われれば、そうですね、と言ってしまうけれど、
CN191の音を聴いた人ならば、わかってくれるかもしれない、とも思っている。
含蓄のある音と、CN191の音をたとえることもできる。
でもそれだけではない、といまの時代のスピーカーを聴いた後だと、よけいに思う。
含羞のある音。
いまの私はそう感じている。
昨日のインターナショナルオーディオショウ、今井商事での是枝重治氏の講演で、
ヴァイタヴォックスのCN191のネットワークがらみで、JBLのハーツフィールドについても、少し話された。
ハーツフィールドがうまく鳴らないのであれば、ヴァイタヴォックスのネットワーク、NW500を試してみるといい、ということだった。
ハーツフィールドのネットワークはN500で、NW500と同じくクロスオーバー周波数は500Hz。
使用ユニットのインピーダンスもほぼ同じなので確かに使える。
N500は一般的な並列型、 NW500はくり返しになるが直列型。
使用部品の違いもあるが、この並列型か直列型かの違いの方が、そこで鳴ってくる音への影響は大きいと私は考えている。
どういう結果になるのかはなんともいえないが、NW500の中古を探して試してみる価値はある。
四谷三丁目の喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっていた時、
アルテックのスピーカーユニットによるスピーカーシステムのネットワークは、
途中から私が作った直列型になった。
コーン型ウーファーとホーン型トゥイーターといった、上と下で構造の違うユニットを組み合わせるとき、
直列型ネットワークの方がうまくまとまるような感じを持つようになった。
コーン型ウーファー、コーン型トゥイーターもしくはドーム型トゥイーターといった、どちらもダイレクトラジエーター型ならば、
ネットワークはどちらがいいのかは、その結果は変ってくるかもしれないが、
コーン型とホーン型の組合せにおいては、直列型ネットワークが優位性が高いような気さえする。
今日、インターナショナルオーディオショウに行き、今井商事のブースで是枝重治氏の話を聞いて、
ヴァイタヴォックスのネットワークNW500も、直列型であったことを知る。