Archive for 12月, 2015

Date: 12月 31st, 2015
Cate: デザイン, 書く

2015年の最後に

これが6000本目になる。
予定では、早ければ11月中に、遅くても12月上旬には6000本目を書いているはずだったが、
ここまでずれ込んでしまった。

四年後の2020年の暮れには10000本目を書き終えて、
このブログにも大きな区切りが来る。

あと4000本。
どれだけのことを書いていけるだろうか……、
そんなことは実は考えていない。

考えているのは、デザインとデコレーションの違いと文章との関係について、である。
音について語る際に、気をつけなければならないのは、
ややもするとデコレーションな文章に傾くことだ。

これまでにデザインとデコレーションの違いについて、私なりに書いてきた。
これからも書いていく。

書きながら、デザインとデコレーションの違いについて考えている。
そして、それについて書く文集が、デコレーションなものになっていては……、と思う。

オーディオ雑誌を開けば、安っぽいデコレーションな文章がそこかしこにある。
デザインとデコレーションの違い・区別がわかっていない文章が溢れている。

デコレーションの技だけに長けた文章を、高く評価する人も少なくない。
そういう書く技だけを磨いてきた人を、私はどうしてもオーディオ評論家とは呼べない。

評論とは何か、論とは何か。
文章そのものがデザインともっともっと結びつかなくて、どうしてオーディオ評論といえるだろうか。

2016年から2020年までの四年間の4000本のうち、
何本、デザインといえるものを書けるだろうか。

Date: 12月 31st, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その33)

つきあいの長い音との関係において、心の痛みを感じなかった、ということはないはずだ。

Date: 12月 31st, 2015
Cate: 価値か意味か

価値か意味か(その3)

今年のはじめに、《オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう》と書いた。
一年経ち、やはりそうおもう。つよくそうおもう。

同時に価値か意味かについて考えていると、
相対的なのか絶対的なのかが、圧倒的であれ、に関係してくるように感じている。

Date: 12月 30th, 2015
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ(アンプを愉しむ)

2016年1月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

以前、瀬川先生がいわれたことがある。
定期的に来られていた熊本のオーディオ店での、アンプの試聴のときだった。

わかりやすくいえば、スピーカーの音の違いは人に例えれば外面であり、
アンプの音の違いは人の内面に関係することだから、
スピーカーによる音の違いと較べると、わかりにくい、把握しにくい──、
そんな趣旨のことを話された。

もちろん、ここでの話されたことがアンプによる音の違いのすべてではないわけだが、
たしかにそういう面があることはいえよう。

実際にスピーカーの違いはすぐにわかるけれど、
アンプの違いはわかりにくい、という人もいるのは、そういうこととの関係でもあるはずだ。

ステレオサウンド 36号で、黒田先生がアンプの音について書かれている。
     *
 かつてぼくは、アンプを食物にたとえたことがあった。たとえはついにたとえでしかなく、本質をいうことはできないにしても、食物が人間の身体に与える、じわじわとした、決してきわだちはしないが、確実な影響は、アンプがききてに与える影響と似ているところがあると思う。そのたとえにならっていえば、スピーカーは、部屋の窓にさげるカーテンということになるかもしれない。
     *
瀬川先生の喩えも黒田先生の喩えも、首肯ける。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 30th, 2015
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(黒田恭一氏の文章より)

どうもオーディオマニアの中には、
試聴というものを簡単なこと、楽なことと捉えている人がいるように感じることがある。

ステレオサウンド 36号の特集は「スピーカーシステムのすべて」だ。
このころのステレオサウンドには試聴後記があった。
36号にも「スピーカーシステムの試聴を終えて」がある。

井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の六氏が試聴後記を書かれている。
36号には、この他に黒田先生の「約70──尋常ならざる数のスピーカーをきくということ」がある。
     *
 一週間の間、来る日も来る日も、他の仕事や勉強を全部ストップして、ほぼ70機種のスピーカーを、きいた。正直なところ、つかれた。一日の試聴が終った後は、タクシーにのって、行先をいうのがせいいっぱいだった。家にかえっても、口をきく気力さえないようなありさまだった。
 その試聴だけが原因ではないだろうが、最終日の試聴が終った後、ひどい悪寒がして、ついに医者のせわになるはめになり、しばらくねこんでしまった。しかしだからといってむろん、スピーカーの試聴をしたことを後悔しているわけではない。そんなに沢山のスピーカーを、そかもさまざまな面で条件のそろった状態できけるチャンスなんて、ぼくにはほとんどないことだから、試聴の間はつかれも忘れて、むきになってきいた。
     *
36号は1975年のステレオサウンドだらか、1938年生れの黒田先生は37歳。
働き盛りの年齢であっても、試聴はそれだけたいへんな作業である。

だから、試聴を安易に考えないでもらいたいし、
いまオーディオ評論家と呼ばれている人たち全員が、こういう聴き方をしているわけではない。

Date: 12月 30th, 2015
Cate:

オーディオと青の関係(その2)

オーディオと青の関係でいえば、私の世代ではJBLのスタジオモニターである。
サテングレー仕様ではバッフルは黒だったが、ウォールナット仕様のバッフルはブルーだった。

4343のカラー写真を見ながら、「ブルーなんだ」とつぶやいていた。
他にブルーのバッフルのスピーカーシステムがあったかどうかは当時は知らなかった。
だけに、よけいに4343のブルーバッフルが印象に残っている。

4343だけではない、
同時代の4350のブルーのバッフルは面積が4343よりも大きいだけに、もっと強く印象に残る。

そして次に登場したのが、UREIのModel 813だ。
アルテックの同軸型ユニット604-8Gを搭載しながらも、
マルチセルラホーンのUREI独自のホーンに換装している。

このホーンの色が青だった。
このホーンが他の色だったら……、
特にアルテックのホーンと同じ黒だったら、Model 813のインパクトの強さは少し変ってきたかもしれない。

オーディオ機器の評価は音である。
けれど、単純に音だけではない要素が確実にある。

UREIのModel 813の成功の理由は、ホーンの青にあった、とさえいいたくなる。
そのくらいModel 813のホーンの青は際立っていた。

けれどModel 813Aになり、ホーンの外周部にスポンジ状のものが取りつけられるようになった。
音響的には813Aのホーンのほうが優れているのだろうが、
813の、あの薄いホーンと相俟っての青の印象が強く残っている私には、
あのスポンジをむしり取りたくなる衝動にかられる。

そんなことは措いとくとして、このころの私(高校生)にとって、
新しい時代のモニタースピーカーの象徴としての「青」があった。

Date: 12月 30th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その11)

瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれている組合せ。
KEFのスピーカーModel 303に、アンプはサンスイのAU-D607、
パイオニアのアナログプレーヤーにデンオンのカートリッジ。

バランスのとれた組合せであり、いい組合せである。
けれど、この良さが、オーディオのオーディオの入門用として最適の組合せかと思うか、
と問われれば、少し考え込む。

その10)にも書いたように、
なまじグレードアップをはかるよりも、この組合せのまま聴き続けたほうがいいようにも思う。
このことが、オーディオの入門用として最適といえるのか、となる。

オーディオの入門用とは、そこが開始点であり、
そこから先が延々と続くわけである。

オーディオの入門用として最適の組合せは、
その先にある道を歩んでいくための開始点であり、そこで満足してしまい、
先に行くことを思い直させるものであっては、最適な組合せとはいえない。

だからこそ瀬川先生は書かれている。
《こういう音にいつまでも安住することができないというのが、私の悲しいところだ》と。

オーディオ入門用の組合せは、使い手を、聴き手をそこに安住させてはいけないのではないか。

もちろん音楽を聴くのが苦痛になるようなひどい組合せは論外だ。
こんなのはオーディオの入門用とは呼べない。

かといってうまくまとまりすぎていても……、と思う。

こんなことを考えながら、
やはり瀬川先生のステレオサウンド 56号の組合せはオーディオの入門用として最適の組合せなのかも、と思う。

つまり56号の組合せで安住できる人は、音楽をいい音で聴きたいという気持をもっていても、
決してオーディオマニアではないと思うからだ。

オーディオマニアは安住することができずに、そこを離れていく。

安住できるか、できないのか。
この大事なことを使い手に教えてくれるという意味で、オーディオの入門用として最適の組合せといえる。

Date: 12月 30th, 2015
Cate:

オーディオと青の関係(その1)

別項「日本のオーディオ、これまで」で、
オーディオと黒というサブタイトルをつけて何本か書いた。

書きながら、オーディオと青について書きたいと思っていた。

意外と気にしていない人がいるようだが、
ステレオサウンド(Stereo Sound)のロゴは何色がご存知だろうか。

ステレオサウンドの表紙には、毎号”Stereo Sound”の文字がある。
色はその号その号の表紙につかわれている写真によって変る。

1982年1月、ステレオサウンドを初めて訪れたとき、
鉄製の扉の色が青色だったのは、非常に印象的だった。

私がいたころのステレオサウンドの封筒には、青字で”Stereo Sound”とある。
ステレオサウンド(Stereo Sound)のロゴは、青色であることを、働くようになって知った。

“Stereo Sound”のロゴは田中一光氏のデザインである。
この色もそうなのだろうか。

オーディオと青。
“Stereo Sound”のロゴも含めて、私にとっては青は特別な色といえる。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その32)

つきあいの長い音は、何かを欲しているのだろうか。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: 欲する

何を欲しているのか(続・兵士の物語)

ストラヴィンスキーの「兵士の物語」に出てくる──、
 一つ幸せなことがあればぜんぶ幸せ
 二つの幸せは無かったのと同じ
──だと。

一つの幸せ、二つの幸せということは、
つまりは幸せを欲している、ということではないのか。

幸せになりたい、と思う(願う)。
そして、ある幸せを手に入れる。
そこで感謝する。

けれどしばらくすると、もうちょっとだけ幸せになれたら、と思う(願う)のが、
欲するということなのだろうか。

ここで、本当に欲しているのはなんなのだろうか。

ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルとしたといわれている「ジャン・クリストフ」、
その中でもっとも有名なのに、
《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》がある。

ロマン・ロランらしい、とも思えるし、ベートーヴェンらしいとも思える。
ここには一つの幸せも二つの幸せもない(のか)。
ここでは、何ものも欲していないのか。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(ステレオサウンド 38号・その2)

私の手元にある二冊のステレオサウンド 38号のことを書いている。
一冊は岩崎先生が読まれていたもので、かなりボロボロの38号であり、
もう一冊はある方から譲ってもらったもので、キレイな38号である。

38号は1976年3月に出ているから、約40年前のステレオサウンドである。
これだけ経てば、雑誌は資料としての価値が出てきて古書店での買い取りも高くなる。

友人が10年程前だったか、大量にファッション雑誌を処分した。
買い取りに来ていた古書店のスタッフの話によれば、
雑誌はほとんど値がつかない、ということだった。

けれど20年以上前の雑誌となると、値が付いてくる。
もっと古くなるとさらに値がつく、ということだった。

雑誌は古くなればなるほど資料としての価値が出てくるために、そういうことになる、ということだった。
それは記事だけでなく、広告も資料としての価値が出てくる、ともつけ加えられた。

そうなると、ここでの資料としての価値は、
雑誌にとっては時代が経ったことによって生じた付加価値ということになるのだろうか。

その付加価値によって買い取り価格が高くなる。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その3)

私がステレオサウンドで働きはじめた1982年1月末、
編集部でウォークマンを愛用している人はいた。
IさんとSさんがそうだった。そのころは私も含めて編集部員は六人だった。
隣のサウンドボーイの編集部にもウォークマン愛用の人は何人かいた。

いまのiPhoneの普及率からすれば低いように思われるかもしれないが、
当時の私は、こんなにもウォークマンを愛用している人がいるんだ、と驚いていた。

もちろんウォークマンで音楽を聴いていても、
自宅にはみなそれぞれのシステムをもっていた。

Iさんはタンノイを鳴らしていた(クラシック好き)、
SさんはJBLを鳴らしていた(ジャズ好き)。

ステレオサウンド、サウンドボーイ編集部でウォークマンを持っている人たちは、
まず自宅にオーディオのシステムがあったうえで、ウォークマンを購入している。
購入の順番として、ウォークマンが後である。

Iさん、Sさんは私よりも上の世代だから、
ラジオ、ラジカセという段階をへてオーディオ、
もしくはラジカセがなくてラジオからオーディオへと移っていったのだと思う。
そしてウォークマンを購入しているわけだ。

つまりラジオ、ラジカセ、オーディオといった流れとは別のところでのウォークマンの存在である。

私もウォークマンを使っていた。
Sさんから貰ったモノだった。

第二世代のウォークマンだった。
初代機よりも小さくなったモデルだった。

お古とはいえ、嬉しかった。
最初は嬉しくて、よく聴いていた(使っていた)。
けれど、わりと早い時期に使わなくなっていった。

理由はいくつかあった。
録音済みのカセットテープを自分でつくらなければならない。
最初は楽しくてやっていても、面倒になってきた。
かといって録音済みのミュージックテープを買うのであれば、
LPで買いたいものが山のようにあったので、そちらを優先したい。

テープの充実がなければ、聴く時間も減ってくる。
でもそれだけが理由ではない。

いまiPhoneにMacでリッピングしたデータをコピーするのは簡単である。
ウォークマンのころとは比較にならないほど多くの曲を、iPhoneにコピーできるけれど、
毎日持ち歩いているiPhoneには一曲も入れていない。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その31)

つきあいの長い音は、絶対的にlow thinkingではない。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その30)

つきあいの長い音も、“plain sounding, high thinking”なのだろう。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: よもやま

2015年をふりかえって(その9)

そもそも較べること自体がおかしいのはわかっていても、
やはりKK塾での講師の方々の講演をきくと、
インターナショナルオーディオショウで、講演と称されているものは、いったい何だろうか、と考える。

聞いていて楽しい話がまったくないとは、私だって言わない。
けれど、その楽しい話は楽しいけれど、講演とは呼べない。

例えば映画。
映画を観終って映画館を出る。
「あー、楽しかった」といいながら映画館を後にした瞬間に、
ついさっき観たばかりの映画の内容をほとんど憶えていない、ということもある。

そういう映画をくだらない、とは思わない。
二千円近い入場料を払い、一時間半から二時間ほどの映画を観る。
その時間が楽しければ、映画の内容をほとんどおぼえていなくとも、
それは映画として楽しめたわけで、「あー、楽しかった」と口にしているくらいだから、
入場料をもったいない、とは感じていないわけでもある。

そういう映画もあれば、オープニングのシーンからこまかなところまで憶えてしまう映画もある。
どちらも同じ入場料で観れる映画であり、私はどちらの映画も好きである。

このふたつの映画を比較して、前者の映画をみたのはもったいなかった、とは思わない。
映画にはさまざまな作品、ジャンルがあるのを映画を観にくる人はあらかじめわかっているからだ。

この理屈でいけば、KK塾での講演だけでなく、
インターナショナルオーディオショウの講演と称されているものも講演なのではないか、
そうなるわけだが、それでも私には、やはり講演とはどうしても思えない。

講演とは思えないから、
インターナショナルオーディオショウで講演と称するものをやっている人たちを、
どうしてもオーディオ評論家とは思えないのだ。

オーディオ評論家ではなく、オーディオ随筆家、オーディオ漫筆家であれば納得するのかもしれないが……。
オーディオの講演と呼べるものが、来年は聞けるだろうか。