Archive for category スピーカーとのつきあい

Date: 12月 6th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(余談)

スペンドールのBCIIは、菅野先生も購入されていた。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」でも、
1978年度版と1979年度版で組合せをつくられているくらいである。

けれどBCIIIの評価は……、というと、すぐには思い出せなかった。
ステレオサウンドには載っていない、と思う。

レコード芸術・ステレオ別冊の「ステレオのすべて」の1977年度版に、
「海外スピーカーをシリーズで聴く」という企画がある。
菅野先生と瀬川先生による記事だ。
     *
菅野 色っぽいですよ。まあこれでもうひとつ、僕はだいたい大音量だから、ガンと鳴らせるものがほしいとこう思ってBC−IIIを聴いたわけ。そしたらねえ、いやぁ残念ながらその印象がねえ、このBC−IIがそのままスケールが大きくなったということじゃなくて、これはっぱり重要なものだと思ったのは、同じ形のものも大きくすれば異なった形に見えるというのがあるでしょう。
瀬川 だったらさっきの言い方の方がいいよ。
菅野 ああそうですか。つまり自分の女房にね、もうちょっとグラマーだったらなっていうその要求をね、するのはやはり無理なんだと。
     *
《同じ形のものも大きくすると異なった形に見える》、
たしかにそうなのだろう。
BCIIとBCIIIは少なくとも、そうであろう。

むしろBCIIのスケールを大きくした、といえるスピーカーは、
ロジャースのPM510といえよう。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生は書かれている。
     *
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。
     *
私は、これだけでPM510をとにかく聴きたい、と思った。
BCIIの品位とスケールを増した音──、
実際に音を聴いて、そのとおりだった。

だからBCIIIへの関心を失っていった、ともいえる。

結局違った形で大きくすることで、同じ形(音)に見えたわけだ。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その20)

スペンドールのBCIIIは、聴いていない。
聴いていないが、岡先生、瀬川先生の文章をくり返し読むことでイメージとしては、
生真面目なスピーカーであることは間違いない、といえる。

その生真面目なBCIIIから、条件がきわめて限定されるとはいえ、
「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音が鳴ってくるのか。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、
瀬川先生がBCIIとBCIIIについて語られている。
     *
瀬川 ぼくはこのふたつのスピーカーは、兄弟でもずいぶん性格がちがっていると思っているんですよ。たとえていえば、BCIIIは長男で、BCIIは次男なんだな(笑い)。BCIIは、次男坊だけにどちらかというとヤンチャで悪戯っ子だけれど、ただいい家庭の子だからチャーミングな音をそなえている。
 一方、BCIIIのほうは、いかにも長男らしくきちんとしていて、真面目で、ただやや神経質なところがある。つまり生真面目な音なんですよ(笑い)。
 ですから、BCIIIの場合、それをどれだけときほぐして鳴らすか、というのが鳴らし方のひとつのコツだろうと思うわけです。ただし、それを十全にやろうとすると、この予算ではムリなのです。つまり、もっと豊かな音が鳴らせる高価なアンプが必要になります。BCIIIは、このスピーカーがもっている能力をはるかに上まわるアンプで鳴らしてやったほうが、その真価がより一層はっきりとでてくるんですね。
     *
ここにも「生真面目」が出てくる。
これがBCIIIの本質なのだろう。

その生真面目な性格を、瀬川先生はときほぐして鳴らす方向が、ひとつのコツだとされている。
たしかにそうなのだろう。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」では予算100万円の組合せで、
BCIIIを選ばれ、アンプはQUADの44+405である。

音の肉づきということでは、44+405は線の細さを強調する方向にいくため、
カートリッジにエラックのSTS455Eを選ばれている。
その上で、肉づきのいい方向にもっていくため、BCIIIの置き方と、
44に付属するティルトコントロールをうまく組み合わせながらの調整をされている。

中野英男氏のトリオのKA7300DとEMTの927Dstによる組合せは、
ときほぐす方向とはベクトルが違うはずであり、それゆえにBCIIIから別の魅力、
他では聴けない特質を抽き出した、とはいえるのかもしれない。

Date: 11月 12th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その19)

「狂気の如く」、「狂気の再現」と、
中野英男氏の文章にある。

1970年代のオーディオのキーワードは、
実のところ、「狂気」だと私はずっと感じてきている。
私だけではない、30年以上のつきあいのあるKさん。

私より少し年上で、10代のころJBLを鳴らしてきたKさんも、
同じように感じている。

JBLの4343、4350には、確かに狂気がある。
4344、4355になって、その狂気は薄れたように感じる。

マークレビンソンのアンプ、
JC2、LNP2、ML2、ML6あたりまでは、マーク・レヴィンソンの狂気があるし、
GAS、そしてSUMOのアンプには、ジェームズ・ボンジョルノの、
レヴィンソンとは違う狂気があって、それは音として顕れていた。

これだけではない、他にもいくつも挙げていくことができる。
けれどスペンドールのBCIIIは、私の頭の中では狂気と結びつくことはなかった。
音を聴いていないということもそうだが、BCIIの音からしても、
当時のイギリスのBBCモニターの流れを汲むスピーカーの音からしても、
そこに狂気がひそんでいる、とは考えにくかった。

けれど中野英男氏は、非常に限られた条件下とはいえるが、
「狂気の如く」「狂気の再現」とまで書かれている。

BCIIIも1970年代のオーディオである。
BCIIのまとめ方のうまさからすると、
BCIIIはやや気難しさをもつようにも感じるまとめ方のようにも感じるが、
それゆえに狂気につながっていくのだろうか。

Date: 11月 10th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(書いていて気づいたこと)

(その19)を書こうとしていて、気づいたことがある。
岡先生と瀬川先生のBCIIIの評価というか、
使いこなし(おもにスタンドに関すること)に関係することで、思い出したことがある。

岡先生は長身だ、ということだ。
ステレオサウンドで働くようになって、
岡先生と初めて会った時に、背が高い、と少し驚いた。

瀬川先生と岡先生の身長差はどのぐらいなのだろうか。
ふたりが立って並んでいる写真は、ステレオサウンド 60号に、
小さいけれど載っているとはいえ、身長差を正確に測れるわけではない。

瀬川先生は、熊本のオーディオ店に何度も来られていた。
背が高い、という印象はなかった。

身長差があまりなかったとしても、
椅子に坐る姿勢でも、耳の高さは変ってくる。
前のめりになって聴くのであれば、耳の位置は低くなる。

スピーカーの高さは、床との関係もあるが、
耳との関係も大きい。

昔のオーディオ雑誌には、
マルチウェイのスピーカーシステムであれば、
トゥイーターの位置と耳の位置を合わせた方がいい、と書かれていた。

これがウソだとまではいわないが、
あまり信じない方がいい。
ユニット構成とクロスオーバー周波数との関係で、
バランスのいいポジションは変ってくるし、
たとえば598の3ウェイシステムであれば、
30cmコーン型ウーファーで、スコーカー、トゥイーターがドーム型、
しかもクロスオーバー周波数も各社ともそう大きくは違っていなかった。

専用スタンドがある場合に、それを使い、
用意されていなければ、そのころはいくつかのメーカーからスタンドが発売されていて、
それを使って聴く。
スタンドの高さもそう大きく違うわけではない。

あるレベルまで調整を追い込んだうえで、頭を上下させて音を聴く。
バランスがもっともいいのは、トゥイーターの高さではなく、もっと下にある。
すべての3ウェイ・ブックシェルフ型がそうだというわけではないが、
たいていはウーファーとスコーカーのあいだあたりに耳をもってきたほうがいい。

スピーカーユニットの数が多くなり、縦に配置されていれば、
垂直方向の指向特性は水平方向に比べて、問題が生じやすい。
それもあって耳の高さを変えていくだけで、音のバランスの変化の大きさは、
ユニットの数に比例傾向にある、ともいえる。

スペンドールのBCIIIは4ウェイである。
垂直方向の指向特性はステレオサウンド 44号と46号に載っている。
BCIIの垂直方向の指向特性は45号に載っている。
ふたつのグラフを比較すると、BCIIIは多少問題がある、といえる。

なにしろBCIIIを聴いていないのではっきりいえないが、
耳の高さが変るだけで、音のバランスは変りやすい、はずだ。

瀬川先生は「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
専用スタンドよりも10cmぐらい下げた状態のほうがよかった、といわれている。

岡先生と瀬川先生の身長差、
特に聴いているときの耳の高さの違いは、10cmぐらいだったのかもしれない。
だとすれば、スタンドに関する疑問が解消する。

Date: 11月 9th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その18)

中野英男氏は、927Dstのイコライザーアンプについても書かれている。
     *
 ところで、これまでの話は未だ前座に過ぎない。たまたま瀬川、松見の両先生が来られたのを機会に、我が家のEMTのトーン・アームを新型の997型に替えようということになった。アームを交換した結果、再生音の質が一段と向上したことは言うまでもない。そのあと、瀬川さんが「中野さん、このプレーヤーにはイクォライザーが内蔵されているでしょう。それを通してアンブのAUXから再生するととてもいいんですよ」と言い出したのである。
 私のEMTは前にも書いた通り十年も前に買ったものだ。その頃のアンプ、特にトランジスター・アンプの技術水準を考えて私は慄然とした。いかに瀬川さんのお言葉とは申せ、これだけは従えない、と思った。ところが同席した役員のひとりと、トーン・アームの交換を手伝ってくれた技術開発部の中村課長が「やってみましょうや、会長。ものは試しということがあります」としきりに言う。実はEMTのイクォライザーは購入した当時、半年余り使用したが、どうも性能が思わしくないので取り除き、アームから他のプリアンプに直結していたという経緯がある。当時のライン・アップはマランツのモデル7と9B、或いはマッキントッシュのC22とMC275、スピーカーにはJBLのパラゴンとボザークのB410を使っていたような気がする。ソリッドステート・アンプ黎明期における名器ソニーのTA1120の出現する前後の話である。その時は、我が社の技術担当重役や若手のエンジニア、その他うるさがたの諸氏が立ち会って下した結論に基づいてイクォライザーをカット・アウトしたのであり、勿論私もその結果に納得していた。
 永いこと使わなかったイクォライザーをカムバックさせるのは大仕事であった。瀬川さんと中村君は汗を拭きながらラグ板の銹落しまでしなけれぱならなかった。十年間ターン・テーブルの下にほっておかれたにも拘わらずEMTのイクォライザーは生きていた。そして、そこから出た音を聴いた瞬間、その場に居あわせた人々の間に深い沈黙が支配したのである。
 小林秀雄の言葉に「その芸術から受ける、なんともいいようのない、どう表現していいかわからないものを感じ、感動する。そして沈黙する」という一節がある。本当の美しさ、本物の感動は人を沈黙させる。沈黙せずに済まされるような、それが言葉で表現できるようなものであれぱ、美と呼ぶに値しないであろう。あの瞬間、私の居間を支配した静けさはまさしく本当の美しさに対する沈黙であった。音楽だけが流れている。そして、それを取り巻く異様なまでの静寂。
(「さらにまたEMTについて」より)
     *
なのでBCIIIとKA7300Dとの組合せでも、間違いなく内蔵のイコライザーアンプの出力を、
KA7300DのAUX入力に接続されているはずだ。

「音楽、オーディオ、人びと」を読めば、中野英男氏が、
スピーカーにしてもアンプにしても、一組ではなく、いくつもあることがわかる。
KA7300Dの何倍、それ以上の価格のアンプもいくつもあるなかでKA7300Dを試されていて、
しかも他の、どんなに高級なアンプでも聴かせることのなかったアルゲリッチの「狂気」を、
その音に感じられている。

「音楽、オーディオ、人びと」は1982年に買って読んでいる。
もう35年前になる。

アルゲリッチは、そのあいだにさまざまなディスクを聴いてきている。
システムもいくつもの音で聴いてきている。

それでもまだアルゲリッチの「狂気」を、私はまだ聴けずにいる。

Date: 11月 9th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その17)

その3)にトリオの創業者の中野英男氏の文章を引用した。

「音楽、オーディオ、人びと」で、アルゲリッチについてかかれた文章がある。
『「狂気」の音楽とその再現』である。
     *
 アルヘリッチのリサイタルは、今回の旅の収穫のひとつであった。しかし、彼女の音楽の個々なるものに、私はこれ以上立ち入ろうとは思わない。素人の演奏評など、彼女にとって、或いは読者にとって、どれだけの意味があろう。
 私が書きたいことはふたつある。その一は、彼女の演奏する「音楽」そのものに対する疑問、第二は、その音楽を再現するオーディオ機器に関しての感想である。私はアルヘリッチの演奏に驚倒はしたが感動はしなかった。バルトーク、ラヴェル、ショパン、シューマン、モーツァルト──全ての演奏に共通して欠落している高貴さ──。かつて、五味康祐氏が『芸術新潮』誌上に於て、彼女の演奏に気品が欠けている点を指摘されたことがあった。レコードで聴く限り、私は五味先生の意見に一〇〇%賛成ではなかったし、今でも、彼女のショパン・コンクール優勝記念演奏会に於けるライヴ・レコーディング──ショパンの〝ピアノ協奏曲第一番〟の演奏などは例外と称して差支えないのではないか、と思っている。だが、彼女の実演は残念ながら一刀斎先生の鋭い魂の感度を証明する結果に終った。あれだけのブームの中で、冷静に彼女の本質を見据え、臆すことなく正論を吐かれた五味先生の心眼の確かさに兜を脱がざるをえない心境である。
 問題はレコードと、再生装置にもある。私の経験する限り、彼女の演奏、特にそのショパンほど装置の如何によって異なる音楽を聴かせるレコードも少ない。
 一例をあげよう。プレリュード作品二十八の第一六曲、この変ロ短調プレスト・コン・フォコ、僅か五十九秒の音楽を彼女は狂気の如く、おそらくは誰よりも速く弾き去る。この部分に関する限り、私はアルヘリッチの演奏を誰よりも、コルトーよりも、ポリーニのそれよりも、好む。
 私は「狂気の如く」と書いた。だが、彼女の狂気を表現するスピーカーは、私の知る限りにおいて、スペンドールのBCIII以外にない。このスピーカーを、EMT、KA−7300Dの組合せで駆動したときにだけアルヘリッチの「狂気」は再現される。BCIIでも、KEFでも、セレッションでも、全く違う。甘さを帯びた、角のとれた音楽になってしまうのである。このレコード(ドイツ・グラモフォン輸入盤)を手にして以来、私は永い間、いずれが真実のアルヘリッチであろうか、と迷い続けて来た。BCIIIの彼女に問題ありとすれば、その演奏にやや高貴の色彩が加わりすぎる、という点であろう。しかし、放心のうちに人生を送り、白い鍵盤に指を触れた瞬間だけ我に返るという若い女性の心を痛切なまでに表現できないままで、再生装置の品質を云々することは愚かである。
     *
BCIIIに、プリメインアンプのKA7300D。
KA7300Dは、1977年に登場、価格は78,000円である。
当時としては中級クラスのプリメインアンプである。

アナログプレーヤーのEMTはカートリッジのTSD15のことではないし、
930stのことでもない。
927Dstのことである。

1977年ごろまでは927Dstは250万円だったが、
約一年後には350万円になっていた。
価格的にそうとうにアンバランスな組合せだが、
アルゲリッチの「狂気」が再現される、とある。

Date: 11月 9th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その16)

岡先生と瀬川先生の組合せの記事を読むかぎりでは、
BCIIIは、それほどアンプを選ぶようには思えない。

瀬川先生は予算の都合でサンスイのB2000にされているが、
予算があれば、もう少し上のクラス、
具体的にはラックスの5M20シリーズ、トリオのL07MII、オンキョーのIntegra M507を挙げられている。

おそらくコントロールアンプにC240を選ばれているから、
予算の制約がなければ同じアキュフェーズのP400にされたかもしれない。

とはいえ記事中では、
スタンドのこと、BCIIIのセッティングに関することに気をつけるようにくり返されている。

岡先生も、アンプ選びが難しいとは語られていない。
ヤマハのC2aとB3の組合せ以外に、
ラックスのLX38、パイオニアのExclusive M4は、
パワーが小さいこともあってか、
《レコードの音が完全に鳴りきっていないような》もどかしさを感じるとあるが、
100Wクラスのアンプであれば、十分というふうにも読める。

実際のところはどうなのだろうか。

facebookには、アンプ選びが重要なのかも……、とあったし、
中低域あたりにくぐもった印象があった、と聴いたことのある人のコメントがあった。

くぐもったという点に関しては、
元がBBCモニターということからしても、
使いこなし、セッティングの未熟さからくるものと思う。

アンプに関しては……、どうなのだろうか。

Date: 11月 9th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その15)

岡先生はBCIIIの組合せについて、
《第一級のレストランへ行って、そこのシェフのおすすめ料理を食べいている、といったところがある》
といわれ、
UREIの813の組合せは、
《たとえばリード線をかえるとこんなふうに音が変わるぞとか、そういったことの好きなファン向き》、
パイオニアのCS955の組合せは、
《自分の部屋で毎日いじってみたいなという意欲をそそられる》とされている。

瀬川先生は、違う。
     *
このBCIIIは、なかなか難しいところのあるスピーカーなんてす。イギリスのスピーカーのなかでも、KEF105に似た、真面目型とか謹厳型といいたいところがあって、響きを豊かに鳴らすというよりも、音を引き締めるタイプのスピーカーなんです。
 そして、やや神経質な面があって、置き方などでも高さが5センチ上下するだけで、もうバランスがかわってくる、といったデリケートなところがあります。そのへんをよく知ったうえで、使いこなしをきちんとやらないと十分に生きてきません。
     *
だから岡先生はBCIIIのスタンドをそのまま使われて、
スタンドの価格も組合せ合計に含まれている。

瀬川先生はステレオサウンド 44号の試聴記でも書かれているように、
専用スタンドを使われていない。組合せ合計にもスタンドの価格は含まれていない。

高さが5cm上下するだけでバランスが変ってくるし、
専用スタンドの高さより10cmぐらい下げた状態のほうが、
ステレオサウンドの試聴室ではよかった、ともいわれている。

いうまでもなく岡先生も瀬川先生せステレオサウンドの試聴室で聴かれている。
試聴中の写真をみると、ふたりとも部屋の長辺の壁側にスピーカーを設置されている。

それでもスタンドのことひとつにしても、岡先生と瀬川先生は反対のことをいわれている。
BCIIIの音は聴いていないだけに、
BCIIIの岡先生と瀬川先生の組合せの違いだけでなく、
そこでの鳴らせ方の違い、ここのところをもっと知りたいと思っても、
「コンポーネントステレオの世界 ’79」には、それ以上のことは載っていない。

Date: 11月 8th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その14)

瀬川先生の予算120万円の他の組合せは、
エレクトロボイスのInterface:Dの組合せ、
チャートウェルのLS3/5A(もしくはヤマハのNS10M)の組合せ、
JBLのL300の組合せがある。

LS3/5Aは、予算60万円から120万円へのグレードアップでも使われている。

瀬川先生の組合せは、
Interface:Dの組合せは価格的バランスがとれている、といえるが、
他の組合せは、
アナログプレーヤー重視、
コントロールアンプ重視、
スピーカーシステム重視となっている。

この中で瀬川先生が気に入られているのは、アナログプレーヤー重視の組合せ、
スピーカーにLS3/5A(もしくはNS10M)を使った組合せである。

アナログプレーヤーにEMTの928を選択。
これだけで70万円だから、予算の半分以上を占めている。
928にはフォノイコライザーアンプが内蔵されているから、コントロールアンプはなし。
パワーアンプはルボックスのA740、538,000円で、
928とA740で予算を使い切っている。

スピーカーを買う予算がなくなってしまったので、
あと五万円を追加してのNS10Mという組合せである。
これで組合せ合計は1,288,000円。
できればLS3/5Aということで、こうなると組合せ合計は1,388,000円となってしまう。

記事では、この、価格的に相当にアンバランスな組合せについて、
多くを語られている。
「たいへん密度が高い音で、いかにも音楽を聴いているんだという喜びが感じられる」と。

岡先生はBCIIIの組合せをベストワンだ、といわれている。

Date: 11月 7th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その13)

岡先生はBCIIIの組合せについて、語られている。
     *
 じつは120万円の組合せで、ぼくがまっさきに頭に浮かべたスピーカーが、スペンドールのBCIIIだったのです。このスピーカーは、本誌のスピーカー・テストなどでいつも書いているように、ぼくがもんとも気に入っているスピーカーのひとつなんですね。そして価格が、ペアで専用スタンドを含めて45万円ちょっとですから、アンプその他にかなり予算をまわせられることにもなります。
 クラシックのプログラムソースを再生するという場合、この価格帯では抜群の安定感をもった、そして表現力のデリカシーのをもった、スピーカーである──というのが、このBCIIIに対するぼくの固定観念みたいなものなんですよ。だから、今回もためらわずに選んだわけです。
     *
岡先生の120万円の組合せは、他にもあって、
JBLのL220の組合せ、UREIのModel 813の組合せの他に、
予算60万円から120万円へとグレードアップする組合せでは、パイオニアのCS955を選ばれている。

瀬川先生のBCIIIの組合せは、アンプを重視した組合せである。
     *
瀬川 ええ、そういうことになります。ただ、アンプ重視といっても、これはなんとなく奥歯にものがはさまったようないいかたですが、プリメインではいくら最高級でも重視ということにはなりませんから、やはりセパレートアンプにしたいわけだけれど、その場合にコントロールアンプとパワーアンプの両方にぜいたくをするわけにはいかないんです。
 120万円の予算では、どこかひとつに充填をかけるといっても、50万円か、せいぜい70万円ということになるでしょう。そうすると、セパレートアンプの最高級機は、ちょっと手がとどきません。
(中略)
 これまでの組合せでは、価格の点でやや中途半端で使いにくかったスペンドールBCIIIを、ここにもってきたわけですね。これがペアで43万円、となると、アンプに7万円は仕えないことになります。
 そこでコントロールアンプとしては、アキュフェーズの新製品であるC240を選びました。価格が約40万円ですから、予算の枠の中に収まることと、最近のコントロールアンプの中では、ぼくのお気に入りのひとつということで、最初から120万円の組合せで使おうと思っていたわけです。
     *
同じ120万円の予算で、同じBCIIIの組合せであっても、
岡先生は積極的に、最初からBCIIIを使うことを考えての結果(組合せ)であり、
瀬川先生はコントロールアンプ重視で、C240を最初から使うことを考えての結果(組合せ)である。

Date: 11月 7th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その12)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」での、
岡先生と瀬川先生によるBCIIIの組合せのつぎのとおり。

岡先生は120万円の予算で、組合せ合計1,110,000円。
 スピーカーシステム:スペンドール BCIII(458,000円・スタンド込み)
 コントロールアンプ:ヤマハ C2a(170,000円)
 パワーアンプ:ヤマハ B3(200,000円)
 ターンテーブル・ラックス PD441(125,000円)
 トーンアーム:フィデリティ・リサーチ FR64S(69,000円)
 カートリッジ:フィデリティ・リサーチ FR7(55,000円)
 昇圧トランス:フィデリティ・リサーチ FRT5(33,000円)

瀬川先生は120万円の予算で、組合せ合計1,147,900円。
 スピーカーシステム:スペンドール BCIII(430,000円)
 コントロールアンプ:アキュフェーズ C240(395,000円)
 パワーアンプ:サンスイ B2000(120,000円)
 ターンテーブル・ラックス PD121(135,000円)
 トーンアーム:フィデリティ・リサーチ FR14(38,000円)
 カートリッジ:エラック STS455E(29,900円)

スピーカーシステムは同じ、
ターンテーブルはどちらもラックスの同クラスのモノ、
トーンアームもどちらもフィデリティ・リサーチ。
瀬川先生はステンレス製のFR64SやFR66Sよりも、アルミパイプの方を評価されていた。

ほぼ同じところも見受けられるBCIIIの組合せで、組合せ合計もほぼ同じであっても、
組合せの意図は違うし、そこで 鳴ってくる音(聴くことはできないが)、
ずいぶんと違っていた、と思う。

Date: 10月 31st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その11)

「コンポーネントの世界」からはあとひとつだけ、
岡先生の発言を引用しておく。
     *
 いやそうではなく、ぼくの場合は欲が深いというか、なんでも聴いてやれという主義でずっときたからですよ。そういう考え方は、いい音楽なんてレコード以外では聴けなかったころからレコードを聴いていたために、ひとりでに身についてしまったんでしょうね。だからこのレコードに他のレコードと違うところがあるとすれば、それはなんだろう。そのよさはどこにあるんだろう。どんなレコードからだって、ぼくはそういうものを発見したいのです。いいかえると、自分が一歩退いたかたちで、受け身のかたちで、レコードを聴いているんです。瀬川さんはそうてはなく、ずっとアクティヴなレコードに対する考え方をもっていると思いますね。
     *
レコードの聴き手として、岡先生と瀬川先生は、その姿勢に違いがある。
瀬川先生は、菅野先生がレコード演奏、レコード演奏家という表現を使われる以前から、
レコードを演奏する、という表現を使われていた。

「コンポーネントの世界」でも、
菅野先生のレコード演奏家論に通じる発言もされている。

一歩退いて受け身のかたちでレコードを聴かれる岡先生、
ずっとアクティヴなレコードに対する考え方をもって、レコードを聴かれる瀬川先生。

スペンドールのBCIIIの、岡先生と瀬川先生の評価は、
そのことを抜きにしてしまっては、オーディオ評論のおもしろさがわかってこないし、
BCIIIという、一度も聴いたことのないスピーカーのことを、
こうやって書いている理由も、そこである。

Date: 10月 31st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その10)

「コンポーネントの世界」の座談会での試聴には、下記のスピーカーが登場している。

ボザーク B410 Moorish
アルテック A7-500
タンノイ Rectangular GRF
JBL 4320
ダイヤトーン 2S305
QUAD ESL
タンノイ IIILZ
アコースティックリサーチ AR3a
ビクター SX7
ヤマハ NS690
ダイヤトーン DS303
KEF Model 104
ブラウン L810
JBL L26
フェログラフ S1

「コンポーネントの世界」から引用したいところはいくつもあるが、
すべてを引用していると、脱線しかねないし、
瀬川先生の著作集「良い音とは、良いスピーカーとは?」といまも入手可能だし、
そこで全文読めるので、最少限にしておきたい。
     *
瀬川 ぼくのさっきの居直りといういいかたを、岡さんにそう受けとられたのだったら、こんどはほんとうに居直っちゃう。つまりぼくは、こまかく分析してみると岡さんと同じなのですよ。岡さんがぼくと何年も付き合ってくださっているのに、ぼくをいちばん誤解している面だと思うのは、たとえばスピーカーで意見が対立したときに、岡さんはいつも、いちばんこれが自然に再生できる、というような言葉で反論なさるでしょう。ぼくだって、ぼくの好きなスピーカーがいちばん自然だと思っているんです。すごく挑発的ないいかたをすると、ARの音なんて、レコード制作者の意図した音とまったく違うとさえ思っているわけ。
 そこの違いを、ぼくのほうからいいますと、ぼくはまったく瀬川さんと反対のことを考えているわけなのですね。つまりあなたがKEFで鳴っている音をいい音だという、KEFで鳴っている音をいい音だという、ぼくはそれは間違いだと思っている。
瀬川 そうでしょう。ぼくだってやはり同じことを思っているわけ。だからそこうずっとつきつめてゆくと、さっきの頭の中のイコライザー論になってしまう……。
(中略)
瀬川 そこでいまいい議論になったと思うのですが、じつはぼくも岡さんが思っていらっしゃるほど、そういう聴き方をしているのではないのです。いろいろなスピーカーで、チェンバロの音やファゴットの音の出方を聴いていて、ぼくはARのときにすごくいらいらしました。もちろんフェログラフはよくなかったけれど、他のわるいスピーカーはもちろん、ARのときになにかいらいらしたんです。それがKEFにかえたときに、ああ、ぼくにはこれがちょうどいいバランスで出ているなと思ったんですね。だからぼくだって、けっしてうわずみだけを聴いているわけではない。ぼくにとっては、ARのバランスだとどうもだめなのです。
 ぼくはARの場合、同じピッチで鳴っているファゴットとチェロとコントラバスのセパレーションが、とにかくわかるのですね。
瀬川 だから、岡さんの耳のイコライザーAR向きにできているのですよ。ところがぼくのイコライザーはARではぜんぜん動かなくなるのです。ARだと、もやもやもやっと聴こえてしまうわけ。
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これはほんの一例であって、
岡先生と瀬川先生のオーディオ機器の評価、
特にスピーカーシステムにおいては、こうなることは珍しいわけではない。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その9)

岡先生が、ステレオサウンド 61号に書かれている。
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 とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなにおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
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1975年の「コンポーネントの世界」の座談会は読みたかった。
といってもバックナンバーは手に入らず、
読むことができたのはステレオサウンドで働くようになってからだ。
といっても二ヵ月ほどしか経ってない。
(岡先生は「コンポーネントステレオの世界」と書かれているが、
1975年版は「コンポーネントの世界」で、’76年以降「コンポーネントステレオの世界」となる)

おもしろかった。
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の座談会は、
「コンポーネントステレオの世界」’76年度版でも行われている。

「コンポーネントの世界」でのタイトルも、
’76年の「コンポーネントステレオの世界」でのタイトルも、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」である。

この座談会で、「頭の中のイコライザー」という表現が出てくる。
瀬川先生の発言の中に、出てくる。
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たとえばこの試聴のようにいろんなスピーカーを聴いてみると、それぞれ違った音の鳴り方をします。その音が、われわれ三人の耳もとまでは、客観的に違った音色でとどいているんだけれど、それぞれの頭の中に入ってしまうと、岡さんがARで聴かれた音と、ぼくがKEFで聴いた音とが、じつは同じような音になっているのではないのか、という気がしてならないわけです。極論すれば、ひとりひとりの頭の中にイコライザーがあって、それが人によってAR向きにできていたり、JBL向きにできていたりしているんではないのか。したがって耳もとまできた音と、それぞれの人の頭の中に入った音とは、じつは全然違ったものになっているのではないのかという気がするんです。しかも、頭で聴きとった音をつぎに口でいい表わしてみると、たとえばどんな音がいいのかといったことをいうとき、いい音というのがいいにくいとしたら、少なくともどんな音は避けたいということを言葉でいってみると、三人ともあまり違わないのではないか。そんな気がしてなりませんね。
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この座談会は、「良い音とは、良いスピーカーとは?」で読むことができる。

Date: 10月 28th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その8)

ステレオサウンド 44号の試聴以来、
瀬川先生もBCIIIを高く評価されている。

43号のベストバイではBCIIIに票は入れられてなかった。
47号のベストバイでは、星二つに、
《媚びのない潔癖な品位の高さ。ただし鳴らしこみに多少の熟練を要す。》
と書かれている。

瀬川先生はBCIIには星三つ、
岡先生は反対で、BCIIIが星三つに、BCIIが星二つ。

岡先生も瀬川先生も高く評価されているが、
だからといってまったく同じに評価されているわけではない。

ステレオサウンドがおもしろかったころからの読み手ならば、
岡先生と瀬川先生の音の好みはまったく違っている。
音楽の好みも全く違っている、といってもいい。

岡先生も瀬川先生もそれを承知しながら、互いに理解し合っていた、といえる。
そのことはしばしば、特にスピーカーの評価に、はっきりとあらわれる。

たとえばアコースティックリサーチ(AR)のスピーカーシステム。
岡先生はAR3が日本に入ってきたとき、その第一号を購入されている。
AR3は、その後AR3aになり、LSTへとなっている。

ステレオサウンド 38号に、こんなことを書かれている。
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 おかげでおいつはAR屋だと見られているわけだけれど、ぼくはAR−LSTがベストのスピーカーだと思っているわけではない。リスニングルームのスペースやシステムをおける条件その他いろいろなことう睨みあわせ、またいろいろなレコードをきいていて、ぼくのうちではいまのところこのシステムが一ばん安定して鳴っているように自分では思っているだけのことで、充分に満足しているわけではない。
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瀬川先生は、AR嫌い、といってもいい。