Archive for category スピーカーとのつきあい

Date: 9月 28th, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

BOSE 901というスピーカーのこと(その3)

《いわばシグナル・トランスデューサーの概念に対してアコースティック・トランスデューサーの概念で作られたものなのだ。》

スイングジャーナル 1977年7月号のSJ選定新製品で、
菅野先生が901 Series IIIについて、そう書かれている。

シグナル・トランスデューサーの概念、
アコースティック・トランスデューサーの概念、
いまでは、というよりも、いまもなのだが、
世の中の大半のスピーカーシステムは、シグナル・トランスデューサーの概念によるモノであり、
アコースティック・トランスデューサーの概念によるモノは、
どれだけあるだろうか。

BOSEの901は、その型番が示すように9基のユニットからなるスピーカーシステム。
101MMは、フルレンジ型ユニットが1基のみだから、型番は101である。

901と101の共通点は使用ユニットだ。
どちらも口径11.5cmのフルレンジ型で、基本的には同じといえる。

101MMではインピーダンスは8Ω、
901のユニットは9基すべて直列接続の状態で、一般的な8Ωにするため、
個々のユニットのインピーダンスは0.9Ωとなっている。

901では9基のユニットを、前面に1基、後面に8期と、
比率的に1:8になるように配置されている。

901は間接音重視のため、間接放射型のスピーカーとして受け止めている人もけっこういる。
本当にそうだろうか。

間接放射型のスピーカーシステムは、以前から数はそれほど多くはないものの、
いくつかあったし、いまも製品としてある。

だからといって、それら間接放射型スピーカーすべてを、
アコースティック・トランスデューサーの概念によるモノとして括っていいのか。
901と同じと捉えていいのか。

ここのところが曖昧のまま、901は市場から姿を消してしまった。

Date: 9月 27th, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

BOSE 901というスピーカーのこと(その2)

昨日の昼に入った飲食店でも、BOSEの101MMが鳴っていた。
101MMは2010年ごろに製造中止になっている。
発売は1982年ごろだから、かなりのロングラン《ロングセラー》でもある。
BOSEの定番モデルであったわけだ。

昨日、久しぶりに耳にした101MMの音は良かった。
飲食店のスピーカーが何なのか、常に気にしているわけではない。
いい感じで鳴っているな、と感じた時は、どのスピーカーなのかを確認する程度なのだが、
昨日の音は、そんな感じだった。

たぶん店主の好きな音楽をかけているんだろう、と思ったのは、
少しBGMとしては音量が大きめだったから。

一昨日に901 Series Vを運んで、昨日101MMが鳴っていた飲食店にたまたま入った。
それだけのことだけど、早く901 Series Vの音を聴きたくなっている。

101MMの音は、どこかで耳にしているはず。
そのくらい売れていたスピーカーであり、
BOSEの名を広めたモデルでもある。

けれどBOSEのフラッグシップモデルは、901である。
なのに901がどんなスピーカーなのかは知っているけど、
聴いたことはないし、関心もない──、
なんともったいないことか、と私は思っているし、
そのおもいは少しずつ大きくなってきてもいる。

Date: 9月 26th, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

BOSE 901というスピーカーのこと(その1)

BOSEの901は、ずっとロングランを続けていたモデルだった。
最初の901は1968年に登場している。
その後、何度も改良が加えられてきた。

私がオーディオに興味を持ち始めたころは、Series IIIになっていた。
ステレオサウンドで働くようになって初めて901の音を聴いた。
すでにSeries IVになっていた。

最初の901、その次の901、これらを聴いている人はどのくらいいるのだろうか。
おそらくごくわずかな気がする。

そのころのBOSEの輸入元はラックスだった。
当時のBOSEの日本での広告を見ると、
901という独特なスピーカーを、いかに理解してもらうか、
そのことが伝わってくる。

輸入元がかわってからも、そのことは同じだったと言える。
手法は違っていても、901は決してキワモノのスピーカーではないことを訴えようとしていた。

それでもSeries IIIになってからの901を聴いている人もまた少ないように感じている。

1980年代中頃からだったか、
カフェバーとスタイルの店が数多くできてきた。
このカフェバーでよく使われていたのが、BOSEの101MMだった。
型番末尾のMMは、Music Monitorの頭文字。

この店もあの店も、スピーカーは101MMという時代が確かにあった。

Date: 9月 2nd, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

Acoustic Research LST(その4)

マーク・レヴィンソンは、Amatiの出来にどの程度満足していたのか。
あの時点ですでに製造中止になってけっこう経っているLSTを、
あえて復刻したのだから、オリジナルのLSTになんらかの思い入れがあったと思われる。

マーク・レヴィンソンが手がけたスピーカーシステムは、
マークレビンソン時代にHQDシステムがある。

QUADのESLのダブルスタックを中心として、
ハートレーのウーファーとデッカのリボン型トゥイーターを組み合わせた、
かなり大がかりなシステムである。

ESLは横から見ると弓状に配置されていた。
HQDシステム登場の少し前に、
スイングジャーナルで長島先生がトリプルスタックをやられていた。

この時の音は、本当に凄かった、と、長島先生だけでなく、山中先生からも聞いている。
相当に凄かったのだろう。

このトリプルスタックとHQDシステムのダブルスタックは、
その配置からもわかるように狙いの違いがある。

長島先生のトリプルスタックは集中、
HQDシステムのダブルスタックは拡散といっていい。

どちらが優れているかは、どういう音を再現したいかによってわかれる。

おそらくだがマーク・レヴィンソンがトリプルスタックをやったとしても、
長島先生のトリプルスタックとは、その配置は違ったはずだ。

Date: 9月 1st, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

Acoustic Research LST(その3)

いまではシミュレーションソフトを使うことで、
自作スピーカーでの失敗は、かなり減っていることだろう。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半とは、
自作スピーカーのレベルはかなり違ってきている。
なのに、私が作ろうとしているやり方は、
ずっと以前のやり方に近いもので、うまくいくかもしれないし、
全くひどいシロモノにしかならないかもしれない。

メインのスピーカーシステムはすでにある。
その上でのスピーカー作りである。
スピーカーというからくりを楽しみたいがためのモノといえる。

ARのLSTの同じ形状のエンクロージュア。
そこにフィリップスのとエレクトロボイスのユニットを、
縦一列にフロントバッフルに、
そしてトゥイーターを斜めの角度をつけた側面に、
しかもトゥイーターは一つではなく、
複数使用、さらにはソフトドーム型とAMT型とを一緒に、
そんなバカなことを考えている。

なので全体の音色の統一感は得られないだろう。
そういうことは求めていない。
結果としてうまくまとまらないスピーカーとなっても、
そこまでの過程が楽しければそれでいいし、
私一人が楽しめれば、それでいい。

Date: 8月 31st, 2024
Cate: スピーカーとのつきあい

Acoustic Research LST(その2)

一年前に書いたものにコメントがあったので、この(その2)を書いている。

ARのLSTに関心を持つようになったのは、手元にあるスピーカーユニットを眺めていたからだった。
フィリップスの8インチ口径のフルレンジユニット、AD3800SM、
エレクトロボイスの1828Cドライバーと
823ホーンをながめながら、
この二つのユニットでスピーカーを自作するとしたら──、そんなことを妄想していた。

1828Cは中域用だから、なんらかのトゥイーターを足すつもりだから、
3ウェイの、さほど大きくないシステムとしてまとめたい。

誰かに聴かせるわけでもないし、使わずに保管しているだけのユニットを、
なんとかうまく使って、どんなスピーカーとしてまとめられるか。

フィリップス、エレクトロボイス、なんらかのトゥイーターを縦一列インライン配置をまず考えた。

これが一番無難にまとまりそうではあるが、
フィリップスのフルレンジにエレクトロボイスは、
本当に必要なのか。
少し大きめの口径のドーム型トゥイーターを選択すれば、
2ウェイでいけるし、こちらの方がうまくまとまりそうでもある。

なのにフィリップスとエレクトロボイスを組み合わせることが、
ここで構想しているスピーカーの条件である。

フィリップスとエレクトロボイスは縦一列に配置、
トゥイーターをどうするかを考えた時に、
頭に浮かんだのがLSTだった。

Date: 10月 29th, 2023
Cate: スピーカーとのつきあい
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Acoustic Research LST(その1)

別項「終のスピーカー」で書いているように、
私にとってのジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、まさに終のスピーカーである。

ジャーマン・フィジックスをよりよく鳴らすこと、
もうそれだけともいえる──、
けれど、やはりオーディオマニアとして、鳴らしてみたいスピーカーはいくつかある。

JBLのパラゴンは、どうしても外せない。
ヴァイタヴォックスも、その陰翳濃い音を自分の音としたい。
シーメンスのオイロダインも、フルトヴェングラーを聴くためだけに欲しい。

そんなふうにいくつかのスピーカーのことが頭に浮ぶ。

こういうスピーカーとは少し違う意味で、気になるスピーカーもやはりある。
そのうちの一つが、ARのLSTである。

LSTには、さほど興味がなかった。
LSTを聴く機会はなかった。

けれどマーク・レヴィンソンがCelloを興し、
スピーカーシステムの第一弾として発表したAmati(アマティ)は、
まさにLSTをマーク・レヴィンソンが復刻したといえるモノだった。

Amatiは、オールCelloのシステムで聴いている。
Celloのアンプには、登場ごとに感心し、驚かされたが、
Amatiに関しては、心が動くことは一度もなかった。

Amatiを含めLSTは、私にとっては、そういう存在でしかなかった。
けれど、なぜかここ一年くらい、少し気になってきている。

LSTのユニット配置は、あれでいいとは考えにくい。
なのに、LSTというよりもLST的なスピーカーはおもしろいのではないのか、
そう考えるようになってきている。

高忠実度再生を目指して、というスピーカーとしてではなく、
もっと大らかな気持でスピーカーというからくりをとらえるならば、
LSTはなかなか興味深い存在といえる。

Date: 3月 2nd, 2023
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その21)

その20)は、2017年11月に書いているから、ずいぶんあいだがあいてしまったが、
書きたいことが変ってしまったということはない。

スペンドールのBCIIIは、生真面目なスピーカーである。
このことは何度も書いてきている。

その生真面目なBCIIIから、どうやって中野英男氏のいわれるところの、
「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音が鳴ってくるのか──、といえば、
それはとことん、その生真面目を追求していった先にある。

それは別項「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていること、
別冊FM fanに瀬川先生が、マーク・レヴィンソンは、このまま、どこまでも音の純度を追求していくと、
狂ってしまうのではないか──、性質的に同じことのように捉えている。

生真面目ゆえの狂気。
生真面目さの行き着いたさきの狂気。
それが中野英男氏が聴かれた「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音なのだろう。

蛇足だとわかっているが、
生真面目なだけでは、どんなにそのことを突き詰めたところで狂気は鳴ってこないだろう。
スピーカーシステムとしての確とした実力があってこそだ。

Date: 6月 26th, 2022
Cate: スピーカーとのつきあい

ホーン今昔物語(その17)

この項の続きを書いていく上で、
もう一度聴いておきたい、自分の手で鳴らしてみたいと思っているスピーカーがある。
JBLのDD55000である。

1985年に登場している。
ステレオサウンドの試聴室で、何度も聴いている。

当時もユニークなコンセプトのスピーカーだと感じていたけれど、
いまこうやってふり返ってみると、
DD55000はそうとうにユニークなスピーカーシステムであるし、
JBLが四年後のS9500に注ぎ込んだのと同じくらいの意欲を、
DD55000にも投入して改良モデルを出してくれていたら──、
そんなこともつい想像したくなるほど、
いまの私の視点からみて、いま鳴らしてみたいスピーカーの筆頭である。

そのDD55000は、ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」で選ばれているのだろうか。

Date: 9月 12th, 2020
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その24)

「七色いんこ」の主人公、七色いんこは、代役専門である。
著名な役者(しかも老若男女関係なく)の代役も完璧にこなすほどで、
天才的代役専門の役者という設定。

「七色いんこ」の連載期間は、一年ちょっとだった。
それほど人気を集めていたわけでもなかったのだろう。

それでも「七色いんこ」の三十年後を描いた作品が、
別の作者によって描かれているし、二回舞台にもなっていることが、
検索してみるとわかることから、評価は低くなかったようにも思う。

「七色いんこ」が連載されているころ、
すでにオーディオにどっぷりはまっていた。

それに、そのころはスピーカーを擬人化して捉えることを頻繁にやっていた。
でも、当時は、スピーカーを役者として捉えることはしていなかった。

もしそうしていたら、「七色いんこ」の捉え方も、ずいぶん違ったものになってきただろう。

代役専門の役者という設定が、
いかにも、ある種のスピーカーシステム的だと思うからだ。

あらゆる色づけを排し、高忠実度をめざして開発されていったスピーカーは、
ある意味、代役専門の役者的ではないだろうか。

七色いんこは、代役を、ほぼ完璧にこなす。
それは誰かの演技を、ほぼ完璧にコピーしているから、ともいえる。

Date: 9月 10th, 2020
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その23)

スタニスフラフスキー・システムのことを書こう、とは、五年以上前から思っていた。
けれど、スタニスフラフスキー・システムという言葉を正確に思い出せなかった。

「七色いんこ」で、スタニスフラフスキー・システムが登場したエピソードでは、
主人公の七色いんこという代役専門の役者が、自分の演技の限界について悩む、という内容だった。

そこでスタニスフラフスキー・システムのことが語られていた。
当時、そういうのがあるのか、ぐらいの関心だった。

それにそれ以上調べるには、演技関係の書籍に頼るしかない。
インターネットで調べるなんてなかった時代である。

結局、そんなシステムがあるんだ、ぐらいのままで、終っていた。
なので、この項を書いていて、そういえば、と思い出しても、
スタニスフラフスキー・システムの名称が正確に思い出せないままだった。

スタニスフラフスキー・システムにからめて続きを書いていこう、と考えていても、
肝心のスタニスフラフスキー・システムが正確に思い出せないまま数年が経ってしまった。

つい最近、まったく違うことからの偶然で、
スタニスフラフスキー・システムに、ふたたび出合った。

そうだそうだ、スタニスフラフスキー・システムだ、と、
30数年ぶりに、スタニスフラフスキー・システムについて調べることもできた。

調べるといっても、インターネットで検索するぐらいで、
演技の専門書をひもといて、というわけではない。

それでもスタニスフラフスキー・システムについて、概略程度を知るだけでも、
スピーカーという存在は、役者と捉えてもいいという考えは、
案外的を射ているのではないか、と思ったし、
スピーカーシステムには、スピーカーシステムの鳴らし方には、
スタニスフラフスキー・システム的といえるものと、そうでないものがある──、
そう感じるようにもなってきている。

同時に、そのスピーカーの鳴らし手であるオーディオマニアは、
演出家なのか、という考えもできる。

Date: 9月 10th, 2020
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その22)

スピーカーシステムを役者として捉える考え、
これが正しいかどうかではなく、そういう考えからスピーカーが鳴る、ということを捉えれば、
スピーカーは、その時にかける音楽に応じて演じている、という見方ができる。

スピーカーは演じている。
そんなふうに考えることもできな、と、ここ十年くらい、思うようになってきた。

好きな演奏家のレコード(録音)をかける。
スピーカーから、その演奏家の演奏が流れてくる。

それはスクリーンに映し出された俳優の演技を観ているような感覚が、
まったくない、といえるだろうか。

たとえばグレン・グールドのレコード(録音)をかける。
グールドを演じている、としたら、
グールドを演奏を、単なる模倣で終ってしまっている、としか感じられない程度で、
グールドを演じる役者(つまりはスピーカー)がいる。

映画やドラマをみていると、演技はうまいんだけれども、
感情移入ができない、という役者がいる。

私が感情移入できる役者に、ほかの人も感情移入できるのかどうかは知らない。
私が、ここで考えたいのは、なぜそんなふうに感じ方の違いが生じるのか、である。

映画を観るのは好きだが、
観るのが好き、というところで留めている。
それ以上、深く映画について勉強していこう、とは思っていない。

つまり演技のことについては、まったくの素人であり、
知識らしい知識は持っていない、という逃げ道をまずつくっているのだが、
スタニスフラフスキー・システムというのがあるのを知ったのは、
もう30年以上の前のことだ。

手塚治虫の「七色いんこ」のなかで、スタニスフラフスキー・システムのことが出ていた。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: スピーカーとのつきあい

ホーン今昔物語(その16)

エレクトロボイスのSentry Vのトゥイーターについて、
岩崎先生が「コンポーネントステレオの世界 ’77」で語られている。
     *
岩崎 そのエレクトロボイスのシステムは、じつはここ何年か、日本では積極的に受け入れられなかったわけで、若干かすんでいたんですが、最近やっと、このセントリーVが入ってきました。これは25センチのバスレフ型の低音と、中高域ユニットにつけられたラジアルホーンをもっています。エレクトロボイスのラジアルホーンというのは、他のメーカーのものとは違っていて、ひじょうに指向特性がいいのです。あまり深いホーンではありませんが、ホーン・ロードがたいへんによくかかっているということで、これはJBLともアルテックともまったく違った新しい理論だと思います。たいへん変った、上下が極端にまるみをもって開いた、あまり大きくないホーンですが、けっこう馬力があって、負荷がひじょうにかかっている感じで鳴ります。
     *
1976年の時点で、定指向性ホーン(Constant-Directivity Horn)という言葉は使われていなかった。
エレクトロボイスの当時の輸入元はテクニカ販売だったが、
Sentry Vの資料に、ホーンについての技術的なことは載っていたんだろうか。

載っていないような気がする。
Sentry Vはステレオサウンド 41号新製品紹介、
44号の特集、スピーカーシステムの総テストでも取り上げられているが、
ホーンについて、その新しさが述べられてはいないからだ。

それでも、Sentry Vのホーンが、新しい理論による設計だと気づく人は必ずいる。
おそらく日本では岩崎先生が、もっとも早く気づかれている。

Date: 12月 6th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(余談)

スペンドールのBCIIは、菅野先生も購入されていた。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」でも、
1978年度版と1979年度版で組合せをつくられているくらいである。

けれどBCIIIの評価は……、というと、すぐには思い出せなかった。
ステレオサウンドには載っていない、と思う。

レコード芸術・ステレオ別冊の「ステレオのすべて」の1977年度版に、
「海外スピーカーをシリーズで聴く」という企画がある。
菅野先生と瀬川先生による記事だ。
     *
菅野 色っぽいですよ。まあこれでもうひとつ、僕はだいたい大音量だから、ガンと鳴らせるものがほしいとこう思ってBC−IIIを聴いたわけ。そしたらねえ、いやぁ残念ながらその印象がねえ、このBC−IIがそのままスケールが大きくなったということじゃなくて、これはやっぱり重要なものだと思ったのは、同じ形のものも大きくすれば異なった形に見えるというのがあるでしょう。
瀬川 だったらさっきの言い方の方がいいよ。
菅野 ああそうですか。つまり自分の女房にね、もうちょっとグラマーだったらなっていうその要求をね、するのはやはり無理なんだと。
     *
《同じ形のものも大きくすると異なった形に見える》、
たしかにそうなのだろう。
BCIIとBCIIIは少なくとも、そうであろう。

むしろBCIIのスケールを大きくした、といえるスピーカーは、
ロジャースのPM510といえよう。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生は書かれている。
     *
 全体の印象を大掴みにいうと、音の傾向はスペンドールBCIIのようなタイプ。それをグンと格上げして品位とスケールを増した音、と感じられる。BCIIというたとえでまず想像がつくように、このスピーカーは、音をあまり引緊めない。
     *
私は、これだけでPM510をとにかく聴きたい、と思った。
BCIIの品位とスケールを増した音──、
実際に音を聴いて、そのとおりだった。

だからBCIIIへの関心を失っていった、ともいえる。

結局違った形で大きくすることで、同じ形(音)に見えたわけだ。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その20)

スペンドールのBCIIIは、聴いていない。
聴いていないが、岡先生、瀬川先生の文章をくり返し読むことでイメージとしては、
生真面目なスピーカーであることは間違いない、といえる。

その生真面目なBCIIIから、条件がきわめて限定されるとはいえ、
「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音が鳴ってくるのか。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、
瀬川先生がBCIIとBCIIIについて語られている。
     *
瀬川 ぼくはこのふたつのスピーカーは、兄弟でもずいぶん性格がちがっていると思っているんですよ。たとえていえば、BCIIIは長男で、BCIIは次男なんだな(笑い)。BCIIは、次男坊だけにどちらかというとヤンチャで悪戯っ子だけれど、ただいい家庭の子だからチャーミングな音をそなえている。
 一方、BCIIIのほうは、いかにも長男らしくきちんとしていて、真面目で、ただやや神経質なところがある。つまり生真面目な音なんですよ(笑い)。
 ですから、BCIIIの場合、それをどれだけときほぐして鳴らすか、というのが鳴らし方のひとつのコツだろうと思うわけです。ただし、それを十全にやろうとすると、この予算ではムリなのです。つまり、もっと豊かな音が鳴らせる高価なアンプが必要になります。BCIIIは、このスピーカーがもっている能力をはるかに上まわるアンプで鳴らしてやったほうが、その真価がより一層はっきりとでてくるんですね。
     *
ここにも「生真面目」が出てくる。
これがBCIIIの本質なのだろう。

その生真面目な性格を、瀬川先生はときほぐして鳴らす方向が、ひとつのコツだとされている。
たしかにそうなのだろう。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」では予算100万円の組合せで、
BCIIIを選ばれ、アンプはQUADの44+405である。

音の肉づきということでは、44+405は線の細さを強調する方向にいくため、
カートリッジにエラックのSTS455Eを選ばれている。
その上で、肉づきのいい方向にもっていくため、BCIIIの置き方と、
44に付属するティルトコントロールをうまく組み合わせながらの調整をされている。

中野英男氏のトリオのKA7300DとEMTの927Dstによる組合せは、
ときほぐす方向とはベクトルが違うはずであり、それゆえにBCIIIから別の魅力、
他では聴けない特質を抽き出した、とはいえるのかもしれない。