Archive for category スピーカーとのつきあい

Date: 1月 23rd, 2015
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その21)

私は早い時期からスピーカーを擬人化してとらえていた。
ステレオサウンドで働くようになってからのある一時期、あえて擬人化しない捉え方を意識的にするようにしていた。
そして、いまは、というと擬人化して捉えるようになっている。

とはいえ、その擬人化に変化がある。
役者として捉えるようになってきた。

役者には主役もいれば、いわば脇役とよばれる人もいる。
主役ばかりでは映画もドラマも成りたたない。
アカデミー賞には、主演男優賞、主演女優賞もあれば、助演男優賞、助演女優賞もある。

主役だけが映画・ドラマの中で光っているわけではない。
光っていても、主役の力だけではない。

スピーカーも同じだと最近思うようになってきた。
部屋にひとつのスピーカーシステム。
それが理想的な鳴らし方のように、昔は思っていた。
かなり長いこと、そう思ってきた。

けれど菅野先生のリスニングルームに行き、その音をきいたことのある人ならば、
あの空間に、都合三つのシステムがある。
どれも見事に鳴っている。

菅野先生の音を聴いていて、あのスピーカーがあそこになければ……、といったことは一度も思ったことがない。
私がスピーカーを擬人化の延長として役者として捉えるようになったのは、
菅野先生の音を聴いたからである。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: スピーカーとのつきあい

emotion

感情はemotion。
emotionは、外(ex)と持ち出す(motion)から成っている。

いまの時代、メール(mail)にeがついてe-mail、EMAILとなり、電子メールのことである。
電子ブックがePubであったりする。

この場合のeは電子のことであり、emotionのe(ex)とは違うのはわかっている。
わかったうえで、オーディオのこと、
スピーカーの鳴らし方について考えると、
ここでのemotionのeは、外(ex)だけでなく、電子でもあるような気がしてくる。
もちろんこじつけである。

別項「理由」の(その20)に、こう書いた。

音楽は「感性的」なもの。オーディオを通して、その「感性的な」音楽を聴くときに、
スピーカーには「感情」を、私は、いまは求めようとしています。

スピーカーは電気・電子によって動くもの。
ゆえにemotionだと思えるし、まさにemotionでもあるといえる。

Date: 10月 13th, 2014
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その20)

たとえば100畳のスペースが与えられたとしよう。
オーディオ機器も好きなモノ、使いたいモノを選び放題、という夢の話があったとして、
100畳のスペースをどう使うか。

100畳の床面積の部屋をつくるのか、
それとも100畳をいくつかに分割して、50畳の部屋をふたつつくるか、
それとも50畳の部屋と25畳の部屋をふたつ、計三つの部屋にするのか、
もっと分割して大中小、さまざまな大きさの部屋をつくるのか。

そしてそこにスピーカーシステムをどう配置するのか。

100畳の部屋に一組のスピーカーシステムだけ、もある。
100畳の部屋に複数のスピーカーシステムというのもある。
分割した部屋にそれぞれ一組のスピーカーシステム、
分割した部屋にそれぞれ複数のスピーカーシステム、ということだって考えられる。

同じ空間に複数のスピーカーシステムを入れれば、
鳴らしていないスピーカーシステムが、鳴っている音に影響する。
これはどうやっても抑えられない。
だからひとつの部屋には一組のスピーカーシステム、という人がいる。

20代のころの私は、そうだった。
一組のスピーカーシステムだけを置く。
複数のスピーカーシステムを使いたければ、スピーカーの数だけの部屋を用意するか、
そんなことはほんとうに大変だから、
あくまでもサブスピーカー(セカンドスピーカー)としてメインスピーカーの邪魔にならないような、
そんなサイズの小さなスピーカーにする──、そういう考え方だった。

けれど、いまは変ってきた。
スピーカーシステムを役者としてとらえるようになってきたからだ。

Date: 9月 21st, 2014
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その19)

O君はダイヤトーンのDS9Zに惚れ込んでいた。
「愛い奴だ」という、DS9Zに対する彼の言葉をきいたことがある。

O君は決してオーディオにのめり込んでいた男ではなかった。
スピーカーを擬人化するなんてことは、彼はまったく知らなかったはず。
その彼が、自然と「愛い奴だ」と口にするということは、DS9Zを擬人化している、とみていいと思う。

その意味でいえば、(その18)でふれたSL600を購入して、
「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」と平気で口にしてしまう知人よりも、
ずっとスピーカーというモノの本質を見ていたのではないだろうか。

「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」の知人は、オーディオ歴はO君よりもずっと長い。
オーディオに投じてきた金額もO君とは比較にならないほどである。

一般的には「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」の知人は、
すごいオーディオマニアということになる。

けれど、彼はスピーカーというモノの本質を見ていたとは思えないところもある。
はっきりとしたことは、私は彼ではないからいえないけれど、
長いつきあいで、そんなふうに感じることが何度かあった。
言葉ではなんとでも語れる……、と。

そんな知人のことはどうでもいいわけで、ここで語りたいのは、私は擬人化して捉えているし、
ここ10年近く、スピーカーシステムは役者だ、と考えるようになってきたことである。

Date: 9月 15th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その18)

友人だったり、知人だったり、仕事関係の人だったり、
とにかく身近の人が、欲しいと思っていたスピーカーシステムを先に買ったとする。

そういう場合、その人よりも、そのスピーカーシステムに惚れ込んでいると自信をもっていえるのであれば、
同じスピーカーシステムを購入して鳴らすことに、とやかくいうことはない。

けれど惚れ込んで購入した、身近な人がいて、
同じスピーカーシステムを、惚れ込んでいない者が買う行為はやるべきではない。

だから、私はダイヤトーンのDS9Zの購入は、やめにした。

このことを書いていて思い出したことがある。
私がセレッションのSL600を鳴らしていたころの話だ。

オーディオのことで頻繁に会うことの多かった、ある人がSL600を購入した。
彼がSL600に惚れ込んでいないことはわかっていたけれど、
私自身は、身近な人がそういうことをしても気にするタイプではない。

あっ、そうなんだ、ぐらいの気持でしかない。

その彼がしばらくして、「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」という。
確かに彼が組み合わせていたアンプは、非常に高価なモノで、
ほんとうに日本でいちばんかどうかは断言できないものの、
日本でいちばん高価なアンプで鳴らしている、という意味ではそういえなくもなかった。

それにしても……、と思った。
こんなことを真顔でいう人なんだ、と。
このおもいは、消え去ることはなく、
それから後の、その人の言動によってますます確固たるものになっていった。

私以外にSL600を鳴らしている人がいたら、
きっとその人にも、同じことをいうのだろう。
私はこういう性格だからいいものの、私と違う性格の人ならば、
「うちのSL600は日本でいちばんいい音で鳴っている」といわれたら……、とおもう。

このことがDS9Zのことよりも先にあって、よかった。

Date: 9月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その17)

この時点で、O君がダイヤトーンのDS9Zに惚れ込んでいることには、
なぜか気がつかなかった。
結局、その後、O君の部屋でDS9Zを見つけて、やっと、そうだったんだ、と思った次第。

私はDS9Zに惚れ込んで、欲しい、と思っていたわけではなかった。
DS1000がスペースに的に無理、メインスピーカーとして迎えるのではなく、
あくまでもサブのスピーカーとして、であったからこそ、
部屋の空きスペースとの関係は何にもまして重要だった。

DS1000と同じ流れの設計方針で、小型の2ウェイを、だから望んでいた。
このころにはスピーカーエンクロージュアの横幅は、
できれば人間の耳の間隔と同じか、できればそれよりも狭くすることで、音場感の再現に有利である、
と、いわれはじめていた。きっかけはセレッションの小型スピーカーシステム、SL6(およびSL600)からだった。

それが本当だとすれば、フロントバッフルの形状は、トゥイーターはウーファーよりも小口径なのだから、
上にいくにしたがって狭まっていく、つまり正面からみて台形型、そして両サイドのエッジは丸く仕上げる。
いわゆるラウンドバッフルとすることで、理屈では一層音場感の再現には有利になるはず。

そんなことを考えながら、こういう小型2ウェイ・スピーカーシステムが出ないものか、
と勝手にあれこれ考えていたところにDS9Zが出たから、それで欲しい、と思っただけだった。

DS9ZをO君とふたりで鳴らしたときの音は、たしかに良かった。
でも、その音に惚れ込んだわけでもなかった。
DS9Zそのものに、惚れ込んでいたわけではなかった。

ただ、そのころ考えていたスピーカーシステムに近いモノが出てきたから、と理由だった。
O君がDS9Zに惚れ込んでいるのを見て、買わなくてよかった、と思った。

Date: 9月 13th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その16)

O君は遅刻はしないものの、いつもぎりぎりに出勤していた。
ダイヤトーンの取材の日は休日出勤だから、早く来ることはないな、と思っていた。

けれど、彼はずいぶんと早く出社した。

なぜなのかはすぐにわかった。
彼は少しでも早くて来て、試聴が始まるまでの時間、
彼の好きなCDをDS9ZとマッキントッシュのMC2500の組合せで聴くためであった。
彼の手には、彼の好きなCDが数枚あった。

いそいそと試聴室のある三階に降りていくO君。
CDプレーヤーとアンプの電源を入れる。
それで、昨夜の音とまったく同じ音が出てくれれば、
オーディオは、ある意味、楽なのだが、
多くの人が体験しているように、一度電源を落し、聴き手が寝てしまった翌朝の音は、
どこもいじっていないにも関わらず、昨夜の音は、たいていの場合出てこない。

それがオーディオであり、
もう一度、あの夜の音を、ということでふたたび調整していく……。
そして、あの夜の音とまったく同じとはいかないものの、
また違った良さの音が出てくる。
けれど、その音も一夜明けてしまえば、どこかに行ってしまう。

そういうことをオーディオマニアはくり返して、一年、二年……十年、
それ以上の月日を経ていく。

O君は、音楽好きではあっても、いわゆるオーディオマニアではなかった。
だから、この日、彼ははじめて、多くのオーディオマニアが体験していることを味わったわけであり、
オーディオマニアへの道を歩みはじめた、ともいえる。

Date: 9月 13th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その15)

O君の部屋にダイヤトーンのDS9Zが鳴っていたのをみて、思い出したことがある。

ステレオサウンドの取材でDS9Zを鳴らす日があった。
前述の試聴が早く終ったため、
それに翌日は休日出勤ということもあったので、
その日のうちにO君とふたりでDS9Zをセットして翌日の準備をした。

準備が終り、DS9Zから音を出す。
意外に、いい音が鳴ってきた。
そこで、O君が、試聴室隣の倉庫にあったマッキントッシュのMC2500で鳴らしてもいいですか、という。

そのころ、彼はMC2500(ブラックパネル)をすでに購入していた。

私の好みからすればDS9ZにMC2500の組合せは、あまりピンとくるものがないけれど、
試しに、と鳴らしてみた。
せっかく鳴らしたので、細かなところをチューニングしてみた。
その時、鳴らしていたのはピーター・ガブリエルの「So」の三曲目、
ケイト・ブッシュも参加している”Don’t Give Up” だった。

ほとんど、この曲ばかり聴いて、チューニングを追い込んでいった。
何かをする、そしてまた聴く。
うまくいったら、ふたりで、おーっとと喜び、さらに、と別のところに手を加える。

MC2500も充分暖まってきたし、DS9Zも鳴らし続けてきたことで鳴りもあきらかに変ってきた。
こうなると、こちらものってくる。

この日の音が、どれだけ良くなったかは、O君の翌日の出勤時刻が表している。

Date: 8月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その14)

ダイヤトーンのDS1000は面白いスピーカーシステムであったし、
きわめて冷静なスピーカーシステムでもあった。

ステレオサウンドで働いていたから、井上先生の鳴らすDS1000の音が聴けた、
聴けたからDS1000の面白さを知ることができたわけだから、
こんなことを書くのは矛盾がなきにしもあらずなのはわかっているが、
ステレオサウンドで働いていなければDS1000を買っていたかもしれない。

ステレオサウンドでDS1000は聴ける──、
それがあったから買わなかったわけで、つまりDS1000に愛着、思い入れ的な感情はもてなかった。

もっともステレオサウンドにいなければ井上先生が鳴らすDS1000の音は聴けなかったわけだから、
結局買わなかった……、のかもしれない。

当時住んでいた部屋が、それでも倍くらいの広さがあれば買っていたと思う。
物理的にDS1000をサブスピーカーとして置けるだけの余裕がなかったことも、理由として大きい。
DS1000の、ずっと小型版がでないものか、と思っていた。

DS9Zが出た。
小型の2ウェイで、正面からみれば台形のエンクロージュアである。
これならばサイズ的にも置ける。
買おうかな、と考えていたら、先に編集部のO君に買われてしまった。

O君は、私が買おうとしていたのを知っていたから、こっそり買っていた。
彼が購入後、しばらくして編集部のS君とふたりでO君の部屋に押しかけたときに、知った。

彼はマッキントッシュのMC2500(ブラックパネル)で、鳴らしていた。
愛着を持って鳴らしていたのを聴いて、私はDS9Zの購入をやめた。

先を越されたということも多少はあったけれど、
私はDS9Zを愛着をもって鳴らそうとはしていなかったことに気づかされたからである。

Date: 8月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その13)

ダイヤトーンのDS1000に関しては、擬人化で語ろうという気はなかったことに、
しばらくして気がついた。

DS1000の一般的な評価は、
私がステレオサウンドの試聴室で井上先生によって鳴らされた音で高く評価していたのとは少し様相が違っていた。
井上先生によって鳴らされるDS1000の音に驚いていたけれど、
オーディオ店での決していいとはいえない環境ではどう鳴るのかは容易に想像できたし、
DS1000を最低限鳴らせるだけの使いこなしのテクニックを持っている人も、そう多くはなかったのだから、
当然とはいえ、DS1000の真価を伝えられないもどかしれも感じていた。

どんなスピーカーであっても、それを鳴らすという行為は、
鳴らす人間が試されていることであるわけだが、その点において、DS1000は特にシビアだった。
その意味では、若いスピーカーシステムといえる。

スピーカーシステムが、鳴らし手よりも年上であれば、
鳴らし手の未熟さも、まあ大目にみてやろう的なふところの深さみたいなものに助けられる、
そういった面も確かにあるけれど、
DS1000には、それがまったくなかった。
だから、よけいに鳴らし方がシビアだった。

でも、そのシビアさは人によっては、快感につながっていく。
これだけやれば、それが間違っていない方向であれば、音は確実にいい方向へと向っていく。

いろいろなもの・ことを吸収していく年齢のころに、DS1000が登場した。
だからこそ、DS1000は、よりつよく面白いスピーカーシステムだと感じていた。

自分のレベルを容赦なく見せつけるDS1000に対しては、擬人化で捉えようという意識はまったくなかった。
こういうスピーカーシステムが、若いときにあったことを幸運だと思っている。

Date: 7月 15th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その12)

ヤマハのNS1000Mも、ダイヤトーンのDS1000も、
どちらも国産のブックシェルフ型スピーカーシステムとして、高性能の実現を目指したものといえる。
けれどNS1000MとDS1000のあいだには約10年が経過している。

あえていえばNS1000Mの高性能は静特性であり、
DS10000の高性能は動特性ということになる。
これは、あくまでも誇張した言い方ではある。

でも、このふたつの価格もサイズも構成もよく似たブックシェルフ型スピーカーシステムを、
私はステレオサウンドの試聴室で何度も聴く機会があった。

NS1000Mは、このスピーカーが世に登場した時は先端の音だったのかもしれないが、
私が1980年代に聴いた時には、こなれた、実にいい音だった。
尖ったところが、うまくぐあいに丸くなってはきているけれど、
それでももともとは尖った性格のスピーカーだっただけに、
最初から柔らかな音を特徴とするスピーカーとは、また違った趣のあるこなれた音だった。

NS1000Mは、こんなにいいスピーカーだったのか、と認識を新たにした。

その点、DS1000は違っていた。
尖っている、といえばそういえなくもないが、NS1000Mの尖っている、とは少し違う意味をもつ。
非常に優秀なスピーカーシステムではあるものの、
その優秀さには、懐の深さがいくぶん足りない、とでもいおうか、
すくなくともスピーカーシステム以前のシステムの不備を、ここまではっきり出さなくても……、
と感じる性格が、DS1000にはあった。

そのくらい大目にみるよ、的な大らかさは欠けていた。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その11)

ダイヤトーンのDS1000に、「高性能」ということを感じたのか。
それは、まず音にある。
それは、井上先生によって鳴らされたダイヤトーンのDS1000の音にあった。

その音を聴いた後で、DS1000に関する技術資料を読めば、
高性能の追求が、変ってきたことがわかる。

アンプにおいては、AGIの511の登場によりスルーレイトという、
それまであまり耳にしたり目にしたりすることのなかった測定項目が注目を浴びるようになった。
そしてマッティ・オタラ博士によるTIM歪の発見と発生メカニズムについての発表があったりして、
アンプの性能の追求は、それまでの静特性の追求から動特性の追求へと移行していった、といっていいだろう。

AGI・511はハイスピードアンプの代名詞のようでもあった。
とはいえ、AGIの登場の数年前からOTTO(三洋電機のオーディオ・ブランド)は、
広告でスルーレイトという技術用語がこれから注目されるだろう、といったことを謳っていた。

アンプにおいては、NFBの功罪を含めて、
動特性が静特性よりも重要視されることになっていったわけだ。

この動きは当然スピーカー、スピーカーシステムの開発にも波及していく。
けれどアンプとほぼ同時期とはならず、数年の遅れが必要であった。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その10)

ヤマハのNS1000Mは、私がオーディオに興味を持ち始めた時にはすでに定評のあるスピーカーシステムであった。
スウェーデンの国営放送局に正式モニターとして納入された、ということは広告で知っていた。

NS1000Mの登場は1974年だから、
おそらくこのときはスコーカー、トゥイーターにベリリウムを振動板として採用した、
高性能なブックシェルフ型というイメージがあったと思う。

けれど私がNS1000Mを実際に聴いた時には、
ロングセラーの、いいスピーカーシステムであっても、
高性能というイメージを、私は受けることはなかった。

その点、ダイヤトーンのDS1000の登場は、
はっきりと高性能スピーカーが登場した、という印象がとにかく強かった。
しかもフロアー型ではなく、ブックシェルフ型で、価格も109000円(1本)だった。

ダイヤトーンのスピーカーシステムは、DS505から、それまでのスピーカーシステムとは変った。
DS505の次にDS503が出て、フロアー型のDS5000が登場した。
DS5000が登場した時には、ステレオサウンドにいた。
このDS50000がステレオサウンドに搬入されたときのことは割と憶えている。
それだけ、搬入前から話題になっていた。

DS5000を、井上先生が鳴らしたときの音は格別なものを感じた。
とはいえ、DS5000には感じなかった「高性能」ということを、
その後に登場したDS1000には強く感じとっていた。

Date: 7月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その9)

10代、20代のときは、私もスピーカーの擬人化をよくやっていた。
とくに20(ハタチ)前後の時は、そうだった。

そういうときはおもしろいもので、
擬人化がうまくできないスピーカーシステムには対してはあまり、というか、ほとんど関心がなかった。
それに擬人化も、女性に譬えられるスピーカーシステムに関心があったし、
惚れ込むスピーカーシステムも、そうだった。

それがいつしか薄れていった。
擬人化という捉え方をしなくなっていった。
当時は、擬人化をしなくなっていた自分に気づいていなかった。

この時期は、ふり返ってみると、
スピーカーシステムにできるだけ忠実な変換器としての性能を、
それまでよりも強く求めるようになっていたことに気づく。

それはちょうどダイヤトーンのDS1000が出たころ、
井上先生の使いこなしによる音の変化・整えられ方に強く影響を受けていたころと重なっていく。

ダイヤトーンのDS1000は型番からもわかるように、
ヤマハのロングセラー・モデルであるNS1000Mをターゲットにしている。
どちらも3ウェイのブックシェルフ型、しかし開発年代は違う。

DS1000はダイヤトーンがダイヤトーンなりにスピーカーの動作を解析していった結果の、
あの時期の集大成ともいえる面ももっていた。

それだけにDS1000は、鳴らし方の難しいスピーカーシステムでもあった。

Date: 5月 21st, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その8)

スピーカーは変換器であって、できるだけ忠実な変換器であることを目指さなければならない──。
それは確かにそうなのだが、現実のスピーカーシステムというのは、
最新のスピーカーシステムであっても、どこまで忠実な変換器かという尺度に立てば、
私は、ここで考え込んでしまう。

つまり忠実な変換器にはまだまだ遠いレベルに、いまのスピーカーシステムでも、そのところにいる。

忠実な変換器は、スピーカーのあるべき姿である。
だから、それを追い求める行為は間違っているわけではないのだけれど、
冷静に現時点でのスピーカーシステムを眺めている(聴いてみる)と、
あるべき姿よりも、現時点でのスピーカーシステムのありのままの姿を受け入れるのも、
スピーカーシステムのつきあい方であり、鳴らし方でもあるはずだと思う。

あくまでもあるべき姿(忠実な変換器)でなくては……、という人には、
スピーカーの擬人化はとうてい受け入れられないことになろう。
でも、ありのままのスピーカーの姿を受け入れようと思えば、
スピーカーの擬人化も、ひとつの考え方としてあり、のはずだ。

そう思えば、ステレオサウンド 65号掲載の上杉先生のウェストミンスター導入記が、
すくなくとも「気持悪いものを感じる」ということにはならないのではなかろうか。