Archive for 7月, 2015

Date: 7月 31st, 2015
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(その1)

同時代に同じことを考えている人は三人いると思え──、ということがある。
これは最低でも三人はいるということだと思っている。

その三人にまったく接点はなくとも、同じことを考えている。
今回の、2020年東京オリンピックのロゴに関しても、そうなのかもしれない。
盗用・パクリなのか、まったく偶然なのか、
はっきりとわかっているのはデザインした当人だけである。

今回の件ではfacebookでは擁護する意見も少なくない。
デザインを仕事している人たち(デザイナーとはあまり書きたくない)のそういった意見、
デザインした人と近しい関係にある人たちの擁護、
それらを読んで思ったのは、複雑な幼稚性であった。

これらに共通して出てきたのは「シンプルなデザインだから……」というものだった。
果して、あれはシンプルなのか、とも思うし、
この人たちのいう「シンプル」とは、どういうことなのかが、はっりきとしない。
シンプルであれば、そういうことは許されるのか……、とも思う。

今回改めて1964年東京オリンピックの、亀倉雄策氏によるロゴを見た。
なんと簡潔なのか、と強く感じた。

シンプル(単純)とは感じなかった。
くり返すが、簡潔だ、と感じた。

大辞林には、(表現が)簡単で、しかも要領を得ているさま、とだけある。
けれど簡潔には、もうひとつ、
《潔白で、つつましいこと》の意味ももつ。

私は2020年東京オリンピックのロゴを、簡潔《潔白で、つつましいこと》とは感じなかった。

Date: 7月 31st, 2015
Cate: ナロウレンジ

ナロウレンジ考(その15)

昨夜書いた(その14)に、facebookにコメントをいただいた。

そこにこうあった。
美空ひばりがアルテックのA7を指して、
「このスピーカーから私の声がしている」という記事を何かで読んだことがある、というものだった。

「このスピーカーから私の声がしている」が、その記事からの正確な引用なのかははっきりとしない。
美空ひばりがいった「私の声」は「私の歌」という意味も含まれているような気もする。

自分の声は、まわりの人が聞いて認識している声とその声を発している本人が認識している声とでは、
少なからぬ違いがあることは、一度でも自分の声を録音再生したことのある人ならばわかっている。

美空ひばりが「私の声がしている」といったのは、
美空ひばり自身が聞いている本人の声と同じ声がしてきた、という意味ではないはずだ。

アナウンサーは自分の声を録音して、話し方を訓練する、ときいたことがある。
そうやって自分の声を聞くことで、まわりの人が聞いている自分の声というものを確認している。

アナウンサーがそうならば、歌手もまたそうだ。
美空ひばりほどの歌手であるならば、
自分自身で聞いている自分の声とまわりの人が聞いている美空ひばりの声の印象の差は、
はっきりと認識していても不思議ではない。

そういう美空ひばりがA7から「このスピーカーから私の声がしている」は、
「このスピーカーから私の歌がしている」と受け取っていいのではないか。

私はコメントを読んで、そう思った。

Date: 7月 30th, 2015
Cate: ナロウレンジ

ナロウレンジ考(その14)

アルテックのA5、A7は劇場用のスピーカーシステムとして開発されたモノだ。
劇場といっても数千人規模の大劇場ではなく数百人規模の中規模(小規模か)の劇場用としてである。
     *
 会議室や中程度のホール、またはそれ以上の広い会場で、できるだけ無理せずに楽しめる音を鳴らしたいというような条件があれば、アルテックを必ずしも好きでない私でも、A5あたりを第一にあげる。以前これを使ってコンサートツアーを組んで大成功を収めたことがある。私自身は家庭用とは考えていない。
     *
ステレオサウンド 43号で、アルテックのA5のことを瀬川先生がこう書かれていた。
いまではどのメーカーもやらなくなったけれど、
昔はレコードコンサートがよく行われていた。
メーカーの広告にもレコードコンサートの告知があったりした。
有名なところではグレースとLo-Dの共同コンサートが定期的に行われていた。

当時のレコードコンサートではA5(もしくはA7)がよく使われていた、という話をきいたことがある。
“Voice of the Theater”の面目躍如たる活躍であったと思う。

人の声をうまく伝えてくれるスピーカー(ラッパ)であることは、
今も昔も多くの人が認めるところだ。

そういえば……、とまた瀬川先生の書かれたものを思い出す。
ステレオサウンド 56号の「いま、私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」。
     *
 日本の、ということになると、歌謡曲や演歌・艶歌を、よく聴かせるスピーカーを探しておかなくてはならない。ここではやはりアルテック系が第一に浮かんでくる。620Bモニター。もう少しこってりした音のA7X……。タンノイのスーパーレッド・モニターは、三つのレベルコントロールをうまく合わせこむと、案外、艶歌をよく鳴らしてくれる。
     *
A5、A7はアメリカのスピーカーだからといって英語でうたわれる歌(声)だけをうまく鳴らすのではない。
日本語の歌もよく鳴らしてくれるのは、
人の声を再生するに最も大切な中音域がしっかりしていることの理由のひとつである。

どういうことかといえば、音楽における中音域のこまかいところまで表現してくれるし、
この帯域における音の変化に対しても、ことさら強調するような鳴り方ではないが敏感である。

このことが音楽を楽しんで聴くうえでどれだけ大事なことであるかは、
ずっと以前からいわれていたことだし、長島先生がよくいわれていたことを思い出す。

Date: 7月 30th, 2015
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(続・賞について)

オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。
彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、
オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、
文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
     *
長島先生がサプリームNo.144に書かれたものだ。
「彼」とは瀬川先生のことである。

瀬川先生が始められたオーディオ評論が成立していくことができたのは、
ステレオサウンドが創刊されたからといえる。
それまでの技術色の強い雑誌では、その成立は困難であったろう。

そのステレオサウンドは来秋、創刊50年迎える。
ステレオサウンドの50年は、オーディオ評論が成立しての50年ともいえる。

前回、人を対象とした賞があってもいいではないか、と書いた。
このとき、ほんとうに書きたかったのは、
人を対象とした賞というよりも、オーディオ評論を対象とした賞ということだった。

つい先日、芥川賞、直木賞が発表になった。
文学の世界には、いくつかの賞がある。
評論の世界にも、小林秀雄賞がある。

オーディオ評論の世界に、瀬川冬樹賞があってもいいではないか。
いや、あるべきではないか、と思っている。

これを書きたかったのだ。

Date: 7月 29th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その2)

ピュアオーディオが使われるようになってきたのは、オーディオ・ヴィジュアルの抬頭だけではない。

ピュア(pure)は、純粋ということである。
純ということである。

文学の世界では、純文学という。大衆文学・通俗文学への対義語でもある。
ピュアオーディオにも、そういった意味合いがある。
それはヴィジュアルが加わったことに対してだけではなく、
いわゆるゼネラルオーディオと呼ばれるものに対しても、である。

私もそうだが、オーディオマニアはラジオから始まり、ラジカセがあって、
オーディオへと進んでいった世代がある。
私の場合、ラジオもラジカセもモノーラルだった。

私より上の世代であれば、ラジカセがなく、ラジオからオーディオへと進んでいっている。
つまりオーディオのスタートとしてのラジオがあった。

ラジオはたいていの家庭に、以前はあった。
いまはラジオのない家庭も珍しくないのかもしれない。

そのころはピュアオーディオとは呼んでいなかったし、
ラジカセをゼネラルオーディオと区別することもなかった。

なのにいつのころからか、
ピュアオーディオ、ゼネラルオーディオ、オーディオ・ヴィジュアルという区別が行われるようになった。

思うには、1979年に登場したソニーのウォークマン(TPS-L2)が、
ゼネラルオーディオという言葉を生み出していったのではないだろうか。

Date: 7月 29th, 2015
Cate: 公開対談/例会

第55回audio sharing例会のお知らせ(組合せのこと)

8月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。

瀬川先生がステレオサウンド 56号で提示された予算30万円の組合せ。
KEFのModel 303、サンスイのAU-D607、パイオニアのPL30LにデンオンのDL103D。
これらのなかで、56号を読んだ時に聴いたことがあったのはDL103Dだけだった。

KEFの他のモデルは聴いていた。
サンスイのアンプも同じだった。
それでも瀬川先生の組合せの意図は充分伝わってきたし、
そこで鳴るであろう音も想像できた。

だからこそ、この組合せが印象に残っている。

一方、同じ予算30万円の組合せでも、ステレオサウンド 99号での別の人の組合せは、
読み返しても、そこで鳴ってくるであろう音がほとんど想像できなかった。

56号、99号、そこでの組合せについて費やされている文字の量は99号の方が多い。
99号の組合せで登場する機種のいくつかは聴いていた。
にも関わらず、伝わってくるものが、少なくとも私には稀薄だった。

56号の組合せと99号の組合せを比較して、どちらがいい音なのかについて語りたいわけではない。
組合せの記事として違いについて、あれこれ考えてしまう。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 28th, 2015
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その12)

山中先生が《ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです》と語られているドビュッシー。
ステレオサウンド 88号の特集「最新コンポーネントにおけるサウンドデザイン24」、
この中に「山中敬三のサウンドデザイン論 そのバックグラウンドをさぐる」がある。
そこで語られていることを思い出していた。
     *
──好きな音楽は?
 わりと広いほうです。若いときから、その時期ごとに、一つのものに傾倒して、それがシフトしていって、結果的にかなり広いジャンルを聴くようになった。
 自分自身でレコードを買うようになったのはジャズ……スイングの後半からモダン・ジャズまでです。ベニー・グッドマンにはじまり、コルトレーンでストップ。
 兄がクレデンザの一番いいやつを持ってて、それでジャズを聴いてしょちゅう怒られました。でもあの音は素晴らしかった。
 クラシックで最初に好きになったのは、フォーレとかドビュッシーとかのフランス音楽だったんです……。
──S/Nをとるのがむずかしい……!
 苦労しましたね。低音を出そうと思ってもS/Nがとれない。フォーレのレクイエムを聴くために壁バッフル作ったり……。
 フランス音楽のあの積み重なりが好きになったんでしょう。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのESL63の組合せでは、
《こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、
音が空間に漂うように再生するということだろうと思います》といわれている。

フランス音楽の積み重なり、これが漂うように再生されるかどうか。
「漂い」に関しては、88号の特集で菅野先生も語られている。
     *
──鳴らし方のコツのコツは……?
 オーディオマニアは「漂い」という言葉を使わない。「定位」という言葉がガンと存在しているからだ。「漂い」の美しさは生のコンサートで得られるもの……。それを、もうちょっとオーディオマニアにも知ってほしい。これこそ、一番オーディオ機器に欠けている部分ですね。
 最新の機械を「漂い」の方向で鳴らすと、極端にいうと、みんなよく鳴るように思います。最新の機械で「定位」という方向にいくと「漂い」がなくなって、オーディオサウンドになります。
     *
山中先生が自宅のシステムとしてAPM6ではなくESL63を選ばれた大きな理由のひとつが、
この「漂い」だと思う。

Date: 7月 27th, 2015
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その19)

ヤマハのAST方式が実現した低音は、なかなかのものだった。
AST方式はその後YST方式と改称され、
現在ではA-YST(Advanced Yamaha Active Servo Technology)方式というようだ。

ヤマハは、GTラックをエンクロージュアにしたYST-SW1000を1990年に出した。
優れたサブウーファーだった。

現在ヤマハのサブウーファーにはNS-SW1000がトップモデルとしてラインナップされている。
YST-SW1000と同じ30cm口径のウーファーを採用し、立方体に近いエンクロージュアとなっている。
これが現在の、YST-SW1000に代るモデルといえる。

聴けば、印象は変るのかもしれないが、
YST-SW1000の後継機とはどうにも思えないところを感じてしまう。

YST-SW1000に代る製品を開発してほしいと思う。
つまり、オーディオ専用サブウーファーということである。
NS-SW1000には、ホームシアターと兼用のサブウーファーとしてのイメージがはっきりと出ている。

もし叶うのならば、ヤマハが1991年に発表した大型モデルGF1のウーファーセクションを、
アンプ部、フィルター部をリファインしたかたちで出してほしい。

GF1は4ウェイのシステムで、
ミッドバスより上の帯域を受け持つ三つのユニットをおさめたエンクロージュアと、
ウーファー(サブウーファーといったほうがいいかもしれない)のエンクロージュアは独立している。

YST-SW1000はGTラックをそのまま採用しているため重量は48kgあった。
GF1のウーファー部は、ユニット口径はYST-SW1000と同じ30cmだが、重量は80kg。
GF1のウーファー部のエンクロージュアの内容積は145ℓ。

ヤマハがAST1でAST方式を発表したためか、
AST方式は小型であっても低音を出せる技術のように受けとめられているところもある。

しかもヤマハAST方式を採用したスピーカー・デザインを公募したこともあった。
大々的に広告を出していたので記憶されている方も多いだろう。
プロ、アマ問わずで、優秀作は製品化されたこともあって、
本格的な低音再生のための技術であるにも関わらず、少しそれてしまった。

もちろんAST方式が小型であっても低音が出せるのは事実であり、
そのことを活かした製品開発を行うのはメーカーとして間違っているわけではないのだが、
それだけではないのに……、と思ってしまう。

結局YST-SW1000、GF1のウーファーをピークに、
AST(YST)方式のウーファーは、オーディオマニアがほんとうに望んでいるカタチからそれていった。
少なくとも私が望むカタチからはそれてしまった。

それでもまだわずかの期待を込めながらAST(YST)方式のウーファーについて書くのは、
平面バッフルのシステムにもってこれるウーファーは、
家庭におさまる現実的なサイズとしてはAST(YST)方式が最良であると思っているからだ。

AST(YST)方式のウーファーが受け持つ低音域は、
どんなにサイズを大きくしても平面バッフルでの再生は無理なのだから。

Date: 7月 26th, 2015
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代(その3)

アンプでいえばSAEに関して、同じような印象を抱いた。
SAEのパワーアンプmark2500は、マークレビンソンのML2を導入されるまでは、
瀬川先生にとってメインとなるパワーアンプだった。

Mark2500は欲しいと思っていた。
けれど改良型(というよりもパワーアップ版)のMark2600は、
Mark2500と比較すると改良されているとは言い難かった。

SAEのその後、輸入元がRFエンタープライゼスから三洋電機貿易に変った。
パワーアンプのラインナップも一新された。
Xシリーズ、その後のAシリーズ、
価格的にも性能的にもMark2500と同じクラスのモデルもあった。
けれど、欲しいと思うようなところが感じられなかった。

スレッショルドにもそんな感じを持っていた。
800Aというデビュー作、STASISシリーズと、
私にとってスレッショルドは注目のメーカーだった。

けれどSTASISシリーズに続いて登場したSシリーズ(STASIS回路を採用)を見た時、
STASISシリーズにあった色がなくなり、音もそれほどの魅力を感じさせなくなっていた。

スレッショルドは800Aの印象が強く、
第二弾にあたる400A、4000 Customは優秀なアンプという印象に留まるところもあった。
そしてSTASISシリーズ。
つまり私の印象ではSシリーズの次のモデルには期待できるはず、という期待があった。
けれど……、である。

SAEもスレッショルドもどうしたんだろう、と思った。

こういう例は他にもいくつもある。
瀬川先生ということでマークレビンソンについて書き始めたから、
アンプメーカーのことばかり続けてしまっただけで、スピーカー、アナログプレーヤー関係など、
いくつかのメーカーが、それまでの輝きを失っていったように感じていた。

メーカーにも好調な時と不調な時があるのはわかっている。
たまたま不調と感じられる時期が重なっただけのことなのだろうと思うようにした。
だから、このことはしばらく誰にも話したことがなかった。

それから10年ぐらい経ってだった、
よくオーディオについて語っていた知人に、このことを話した。
彼は「そんなの偶然ですよ」だった。

そうだろうと思っていた答が彼の口から出ただけで、がっかりしたわけではなかった。
たぶん多くの人が(というよりほとんどの人が)、彼と同じように答えたであろう。

Date: 7月 25th, 2015
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その11)

自分がいま鳴らしている音を冷静に捉えている人であれば、
自分のシステムがうまく鳴らしてくれないレコード(音楽)を、
いともたやすく鳴らしてくれるスピーカーがあったならば、やはり惹かれてしまう。

いま鳴らしている音の延長線上にある音に惹かれることもあるし、
自分のスピーカーに不満に思い続けているところがよく鳴っているからこそ惹かれることもある。

前者の場合、グレードアップにつながっていく。
後者の場合はどうだろう。新たなスピーカーを導入するきっかけとなることだってある。

山中先生にとって、1981年の時点で、
QUADのESL63とエスプリのAPM6は、後者の場合にあたるスピーカーだったといえよう。

山中先生はESL63を導入されている。
QUADのアンプを含めての導入で、
リスニングルームではなくリビングルームにQUADのシステム一式は置かれていた。

APM6はリビングルームに置くスピーカーという雰囲気ではない。
やはりリスニングルームに置くスピーカーであるし、
型番にMonitorとつくぐらいであるからスタジオでの使用を前提としているともいえる。

そういえば、山中先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」のAPM6の記事の最後にこういわれている。
     *
 最後に、このAPM6というのは家庭に持ち込みますと意外と大きいんです。ショールームとか、どこかの展示会の会場で見ている場合には、角のない楕円形のカタチのせいか、そう大きく見えないのですが、実際に部屋に置くとたいへん大きいスピーカーで、狭い部屋ですとセッティングに苦労することがあるかもしれません。
     *
確かにAPM6はカタチのお陰で、写真でみるとそう大きくは感じられない。
けれど外形寸法はW54.4×H82.0×D37.3cmある。わりと大きめのサイズであることは確かだ。

だがESL63はどうだろう。
W66.0×H92.5×D27.0cmある。奥行き以外はESL63の方が大きい。
にもかかわらずESL63の記事では、APM6のように実際には大きいとは語られていない。

Date: 7月 24th, 2015
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代(その2)

瀬川先生は1981年11月7日に亡くなられた。
私は1982年1月からステレオサウンドで働くようになった。
だからというべきなのかもしれない、
瀬川先生がいない時代を直接肌で感じることができていた、と思っている。

何を感じていたのかというと、
いくつかのオーディオメーカーの勢い、輝きが失われていったこと、
さらには劣化していったと思えるメーカーがあったことである。

こんなことを書くと、瀬川先生に否定的な人たちは、
そんなことがありえるわけはないだろう、単なる偶然だ、というに決っている。

それでもあえて書く。
オーディオ界ははっきりと瀬川先生の死によって変ってしまった。

例えばマークレビンソン。
LNP2、JC2による成功、そしてML2で確固たる世界を実現・提示して、
ML7、ML6Aまでは順調に成長していったといえる。
けれど瀬川先生の死と前後するようにローコストアンプを出してきた。
ML9とML10、ML11とML12。

これらのセパレートアンプを見て、がっかりした。
こんなアンプしかつくられないのか、と。

マークレビンソン・ブランドのローコストアンプが市場から望まれていたことはわかる。
私自身も望んでいた。

けれど、それは例えばジェームズ・ボンジョルノがGASでやっていたのと同じレベル、
もしくはそれをこえたレベルでの話である。

ボンジョルノはアンプづくりの奇才と呼ばれていた。
それはなにも最高級のアンプをつくれるだけではない。
パワーアンプではAmpzillaに続いて、Son of Ampzilla、Grandsonを出してきた。

どれをとってもボンジョルノのアンプであることがわかる。
外観も音も、はっきりとボンジョルノがつくったアンプである。

Ampzillaが欲しくても予算の都合で、いまは購入できない。
そういう人がGrandsonを選んだとしても後悔はしない。

Grandsonで楽しみ、お金を貯めてAmpzillaを買う。
Ampzillaを手にしたからといってGrandsonの魅力が薄れるということはない。

むしろトップモデルのAmpzillaを手にして聴き較べてみることで、
Grandsonの魅力を新たに感じることもできよう。

マークレビンソンのアンプはどうだろうか。
LNP2+ML2を買えない人がML11+ML12を買ったとしよう。
マークレビンソン・ブランドのローコストアンプに、GASのアンプのような魅力があっただろうか。

Date: 7月 24th, 2015
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その9)

アナログディスク再生でカートリッジを交換すれば、音の表情が変る。
ひとつひとつにそれぞれの音の表情があり、ひとつとして同じ音(表情)で音楽を鳴らすモノはない。
だからオーディオマニアはカートリッジをひとつでは満足できずに、いくつも持ち、
レコードによってカートリッジをつけ替え調整して聴く、ということも苦とすることなくやっている。

特に人の声の表情は、よくわかる。
もちろんどんな楽器の音(表情)であろうとカートリッジを替えれば変るわけだが、
人の声、それも気に入っている歌手の声であるならば、その変りようは、より敏感に聴き分けられる。

音の表情は大事なことである。
けれど、そこばかりに気をとらえすぎてはいないだろうか。
音には音の構図がある。

まず音の構図がある程度きちんと再現されているべきだと私は考える。
そのための音のデッサン力の確かさを、
私はガラード301+オルトフォンSPUよりもEMT930stにはっきりと感じた。

なにもガラード+オルトフォンと比較して気づいたことではない。
EMTのアナログプレーヤーの音の良さは、この音のデッサン力の確かさにあることは、
初めてEMTのプレーヤー(930st)を聴いたときから感じていた。

EMTのプレーヤーがもつ音のデッサン力の確かさは、
演奏者ひとりひとりのデッサンが確かなのもそうだが、
それ以上に全体の音の構図、そしてその構図の中でのそれぞれの演奏者の提示の仕方も含めて、
音のデッサン力が確かだといえる。

その3)で書いている、それぞれの演奏者が適切な位置関係で鳴っている、
という感じとは、この音のデッサン力の確かさによるものである。

Date: 7月 24th, 2015
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その3)

1990年ごろのヘッドフォンでAKGのK1000というモデルがあった。
AKGはK1000のことをヘッドフォンとは呼ばず、イヤースピーカーと呼んでいた。

ヘッドフォンは密閉型にしろ開放型にしろサウンドチェンバーと呼ばれる空間が存在する。
密閉型はその名の通り、サウンドチェンバーは密閉されているから、外界の音とは遮断されることになる。

開放型はサウンドチェンバー内の空気とヘッドフォンの外側の空気とは流通性がある。
そのため密閉型よりも音もれが発生することになる。

密閉型か開放型かと装着感にも関係しているため、
密閉型はどうしてもだめという人もいるし、密閉型の音の方がいいという人もいる。

K1000は開放型のひとつなのだが、
ヘッドフォン特有のサウンドチェンバーはK1000にはない。

通常のヘッドフォンではパッドが耳の周囲に直接ふれるわけだが、
K1000ではこめかみ周辺にパッドがふれ、耳の周囲を覆うものは存在しない。
いわば完全な開放型ともいえる構造をもつ。

K1000が出た時に、さっそく聴いたという人がまわりにいた。
どうだった? ときいた。
返ってきたのは、あんなのは欠陥品、という強い口調の完全な否定だった。
こめかみで支える構造ゆえ、音を聴く以前に非常に不愉快で頭が痛くなる──、
ということだった。何度聞き返しても、音について彼の口から語られることはなく、
あんな欠陥品は買うべきではないし、あんなものを製品として出したことが理解できない……、
彼の口から出るK1000の否定はいきおいを増すばかりだった。

きいていていやになってきた。
彼はK1000のことを評価するに値しないモノと断言していたけれど、
彼の顔の幅ははきりいって広いほうだった。
こめかみにパッドがあたるから、顔の幅が広ければそこにかかる圧も増してくる。
だから彼は我慢できなかったはず、と思いながら彼の口から出るK1000の悪口をきいていた。

装着感は人それぞれなのだから、彼にとって最悪であっても、多くの人にとってそうとはかぎらない。
事実、K1000の装着感についてそういう指摘を読んだ記憶はない。

記憶に残っているのはK1000の音のよさに語られたものばかりだ。

Date: 7月 23rd, 2015
Cate: 公開対談/例会

第55回audio sharing例会のお知らせ(組合せのこと)

8月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。

組合せについて書くのは面白い。
ステレオサウンドに、それらの組合せが載った時にも面白いと感じていた。
いま読み返しても、やはり面白いと感じている。

もちろん同じように感じている面白さもあれば、当時は気づいていなかったか面白さもある。

そして、いまのオーディオ雑誌の組合せに面白さを感じなくなっている。

別項「オーディオ入門・考」の(その10)で、
瀬川先生による、予算約30万円の組合せのことについて書いた。
そういえばと、同じテーマで同じ予算の組合せが、ステレオサウンド 99号に載っている。

第二特集の「評論家10人が答える音のグレードアップ法40」の中で、
いろいろな音楽を楽しむためのオーディオシステムを予算30万円で、という質問があった。

この質問にふたつの組合せが答えられていた。
99号は1991年、56号は1980年。10年ほどの開きがあるわけで、物価も変動している。
いろいろな変化があったことはわかっている。
それでも……、と感じてしまう。
まったく印象に残らない組合せが、そこに提示されていた。

この記事を憶えていたのは、印象に残らないからであった。
つい最近もステレオサウンドの特集で「黄金の組合せ」とつけられていた。

昔の組合せといまの組合せが違うのは、
組合せをつくる人、編集者も組合せを楽しんでいるのか、というふうに思えてくる。

「楽しんでつくっている」と、いまの組合せをつくっている人、編集者からいわれるかもしれない。
そうだとしても、その楽しさが誌面から伝わってこない。

それはお前が読みとれていないだけだ、といわれればそうなのかもしれない。
けれど昔の組合せからは、いまも読みとれるものがある。
少なくとも「組合せ」として提示されるいろいろなものが変ってきている。

組合せとオーディオの想像力。
このあたりをテーマにして話していこうと考えている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 23rd, 2015
Cate: 組合せ

4350の組合せ(その11)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」でM200(B200)のことを書かれているが、
このときのコントロールアンプについては何も書かれていない。

M200は自宅で試聴されているから、
瀬川先生が自宅で使われていたコントロールアンプとなると、
マークレビンソンのLNP2とML6、それにアキュフェーズのC240である。

このころのステレオサウンドを読まれていた方ならば、
TVA1とC240のペアを、《近ごろちょっと類のない素敵な味わい》と評価されているから、
C240の可能性が高い。

けれどTVA1とM200は出力管の種類も数も違うから、
もしかするとマークレビンソンだったかもしれない可能性は捨てきれないが、
4350Aで、オール・レビンソンによる世界と対極にある音の世界を求めてということになれば、
C240をコントロールアンプにされるだろう。

マルチアンプドライヴで要となるエレクトロニッククロスオーバーネットワークはどうされるか。
オール・レビンソンではLNC2を、片チャンネルを遊ばせたモノーラル使いだった。

ここではコントロールアンプがアキュフェーズだから、
同じアキュフェーズのF5だろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」で瀬川先生は4343のバイアンプドライヴをやられている。
ここでは予算100万円の組合せから、200万円、400万円とステップアップするもので、
最終的に4343を、コントロールアンプはML6、パワーアンプはアキュフェーズのP400、
エレクトロニッククロスオーバーネットワークは、同じアキュフェーズということでF5を選ばれている。

ただしヤマハのEC1も候補にあげられていた。
そして、どちらにしようか、いまも迷っている、と発言されている。

F5はクロスオーバー周波数を別売のクロスオーバーボードを差し替えて行なう。
EC1はクロスオーバ周波数を細かく、ツマミでいじれるようになっている。
F5の減衰特性は-12dB/octと-18dB/octに対し、EC1は-6dB/octの選択できる。
それに-12dB/oct時のQ特性も05〜1.0のあいだで連続可変となっている。

だから瀬川先生は、
《ぼくはこういったところをいじるのが好きですから、こちらの方を気に入っている》といわれている。
だからEC1を選択された可能性もある。ただしEC1には250Hzという、4350にぴったりの値はない。
4350の場合、EC1だとクロスオーバー周波数が200Hzになってしまう。

アキュフェーズからは、F5の上級機にあたるF15が、M200から遅れて登場している。
組合せをつくる時期によっては、F15、それからエスプリのTA-D900も候補にはいってくる。

4343をTVA1二台でバイアンプというのであればF5でもいいと思うけれど、
4350を、それも低域にはM200をもってくるバイアンプでは、正直F5ではなくF15にしたいところだ。