Archive for category 使いこなし

Date: 8月 12th, 2017
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(誰かに調整してもらうこととインプロヴィゼーション・その2)

ジャズのレコード(録音物)をオーディオによって再生する。
そのことをジャズオーディオというのであれば、
誰かに調整してもらって、そこでいい音になってくれれば、
自分で調整することなく、その音でジャズのレコードを聴く(楽しむ)。

運転手付きの車のことをシェーファードリブンカーという。
さしずめシェーファードリブンオーディオである。

それでもジャズがうまいこと鳴ってくれれば、ジャズオーディオといえよう。
けれどジャズスピリットオーディオかといえば、そうではない。

ジャズオーディオとジャズスピリットオーディオ。
わざわざ区別しなくとも……、という人もいようが、
私にとって、ジャズとオーディオのあいだにスピリットという単語がはいるかはいらないかは、
はい、そうですか、と引き下がるわけにはいかない。

ジャズスピリットオーディオを標榜するのであれば、
なにがなんでも己で調整しなければならない。

その1)で書いているが、
最初は誰かに調整してもらうのはいい。
そのことで自分のシステムの可能性を、自分の耳で確認できるからだ。

でもそのまま聴いていてはだめだし、
そこをスタート点にして、自分で調整していっても、
ジャズスピリットオーディオとはいえない。

その場合は、一度システムをバラして、自分でセッティングし直すところから始めなければならない。

ジャズにおけるインプロヴィゼーション、とことわらなくとも、
インプロヴィゼーションとは、本来不特定多数の人間を相手にしてのものではなく、
あくまでも特定少数を相手にしたときにこそ、
なんら規制を受けることなく発揮されるのではないのか。

こここそがジャズスピリットオーディオのはずだ。

Date: 7月 26th, 2017
Cate: 使いこなし

丁寧な使いこなし(その2)

丁寧であるということが、
なにか間違っている方向に行きつつあるように感じることが増えている、
そんな気がしているから、(その1)でJR東日本のことを書いた。

同じように、オーディオにおいても、丁寧であることが、
どこか間違っている方向に行きつつあるのではないか、と思うことがある。
だから「丁寧な使いこなし」というタイトルにした。

「丁寧な」とつけられることは、使いこなしの他にもある。
それでもここでは使いこなしに絞って考えていきたい。

五年前に「使いこなしのこと(なぜ迷うのか)」を書いている。
オーディオには、あれこれ迷うことがある──、というより多い。
迷うことばかりといってもいいかもしれない。

どのオーディオ機器を購入するかでも迷う。
システムのグレードアップをはかるときにも、
まずどこをグレードアップすべきか、と迷う。

試聴しても迷う。
迷った末に手に入れたオーディオを、いざ自分の部屋で鳴らしてからも、
迷うことから解放されるわけではなく、違う「迷う」が生じてくる。

オーディオには迷うことが求められているようにも感じる。
だからこそ、丁寧であることが使いこなしにおいても必要となるし、
丁寧な使いこなしとは、冷静に迷うことから始まる、とおもう。

Date: 7月 13th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その6)

一枚のディスクだけを使って、
何度も何度も同じ曲を聴いて、セッティング・チューニングしていく。

今回は十回くらいだから、回数としては少ないほうだ。
多ければ、二十回、三十回と同じ曲をくり返し聴いていく。

こういう聴き方に向いていない人が案外少ないないように感じている。
向いていない人は、同じ曲をくり返し聴いているにも関わらず、
その人の中にあるであろう音の判断の軸が、聴くたびに変動している人である。

こういう人が相手のときは、セッティングを変えたふりをして、
どこも変えずに音を聴いてもらうと、「変りました?」ではなく、
さっきのほうが良かった、とか、こっちの方がいい、という。

聴き方には向き不向きがあるから、こういう人は短時間のくり返しではなく、
時間をかけてゆっくり自分の音をつくっていけばいいだけの話だ。

Hさんは、そういうことがなかった。
マリーザ・モンチが、こうあってほしいと、というイメージがしっかりあるからだと思う。

今回のセッティング・チューニングは短い時間ではあったが、
私にとっては、聴き方の範囲をひろげることができた。

ブラジル音楽をほとんど聴かない私は、
Hさんが不満とする「リズムが流れてしまう」ということが、つかめなかったけれど、
今回のセッティング・チューニングで、すこしはつかむことができた。

誰かのためのセッティング・チューニングであっても、
そこから得られることは必ずある。

オーディオにおける聴き方は、ひとりよがりになりがちだ。
それを自分の世界だから……、ということでそこにとどまってしまうことも、
その人さえよければありかもしれないが、私はそうありたくない。

私自身の聴き方の範囲をひろげていくためにも、
誰かのためのセッティング・チューニングは、
結局は自身のためのセッティング・チューニングである。

Date: 7月 13th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その5)

マリーザ・モンチのディスク”UNIVERSO AO MEU REDOR”の一曲目だけをかけていた。
こういうときは一曲最後まで聴くことはせずに、
曲半ばでセッティングを変え、また同じところを聴くことをくり返す。

7月のaudio wednesdayでは十回ほど、一曲目を聴いた。
一分半ほどの十回で、セッティングの変更の時間が加わる。
なのでトータルでかかった時間は20分弱か。

CDプレーヤー、アンプ、スピーカー、ケーブル、
すべて最初から同じままである。

Hさんは、その過程の音を聴きながら、
「自宅で聴いている音のイメージに近づいてきた」といわれた。
まだまだこまかなところをつめていくこともできたが、
Hさんの時間的余裕もあって、
このへんかな、と思った音を聴いてもらった。

「マリーザ・モンチのイメージそのまま」ということだった。
リズムが流れてしまう、という、
ブラジル音楽好きのHさんにとって、どうしても気になっていた点も、解消できた。

その音を聴きながら、
「この音がいい音かどうかわかりませんが、いつも聴いている音です」
そういった趣旨のことをいってくれた。

ここは大事なことである。
ここで私がやったのは、
ブラジル音楽好きのHさんためのためのセッティング・チューニングであって、
私自身が、私が好む音楽を聴いて好ましい音かどうかではない。

もうひとつ大事なことは、Hさんは、
自身の中にマリーザ・モンチのディスクがこう鳴ってほしい、
というイメージをしっかり持っておられた。

Date: 7月 12th, 2017
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(ステレオゆえの難しさ・その3)

モノーラル再生(スピーカーシステムは一本)であれば、
スピーカーの真正面の音を聴く。

ステレオ再生の場合はどうかというと、二本のスピーカーから等距離の位置で聴くわけだが、
スピーカーの真正面の音とは必ずしもいえない。

二本のスピーカーと聴き手との位置関係が正三角形の場合、
スピーカーを60度の角度をつけていれば、スピーカーの真正面の音を聴いているいえる。

けれどスピーカーの振りは音に影響するわけで、
設置環境によってはほとんど振らない場合もあるし、60度以上振ることだってある。

正面の音を聴いているわけだが、真正面の音というわけではない。
それでもスピーカーの特性としては、ほとんどの場合、保証されている範囲であり、
いわゆる周波数特性的には問題となることは生じない。

けれどほとんどのスピーカーシステムには奥行きがある。
つまりエンクロージュアの奥行きがあるわけだ。

エンクロージュアの奥行き、いいかたをかえればエンクロージュアの側面である。
世の中に無共振のモノは存在していないわけだから、
エンクロージュアのあらゆる個所から音が出ている。

スピーカーユニットからの音、フレームからの音、エンクロージュアからの音、
それらすべてをふくめて、そのスピーカーシステムの音となるわけだが、
スピーカーの振りによって何が大きく変化するかといえば、
エンクロージュア側面から出てくる音と、正面からの音のまざり具合である。

スピーカーをまったく振らない状態では、
聴取位置からはスピーカーの内側の側面が見える。
60度の振りの場合は、側面はほとんど見えなくなる。
60度をこえて振れば、外側の側面が見えてくる。

Date: 7月 8th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その4)

アンプやCDプレーヤーであっても、最近は三点支持の製品が多い。
底板の形状が三角形もしくは円形であれば、三点支持はいい結果を得られるはずだ。

だが実際の製品の多くは、底板は四角形である。
これを三点で支持することに、なんの疑問も感じないのだろうか。

こんなことをいうと、四点支持よりも三点支持のほうが音がいいから、という人がいる。
三点支持と四点支持の音は、かなり違う。
それに三点支持はガタツキをなくすという点でも楽である。

三点支持を完全否定はしないけれども、
基本は四点支持と私は考えている。

喫茶茶会記のスピーカーのエンクロージュアは四角い箱である。
このスピーカーを三点支持で鳴らしたことはなかったが、
ステレオサウンドの試聴室で、ダイヤトーンの木製キューブDK5000を使って、
三点支持と四点支持の音の違いの傾向は把握している。

DK5000は、今回も使っている。
前二点、後一点の三点支持に変えてみた。

この音を聴いてもらった。
リズムの流れに関しては、三点支持のほうがよくなった、とのことだった。
これで、なんとなくではあっても、リズムが流れる、ということがどういうことなのか、
掴めた、とまではいえないけれど、少なくとも方向はわかった。

次にやったのは三点支持のこまかなところの変更を二つ試した。
これである程度「リズムが流れる」ということがどういうことなのか掴め始めてきた。

こうなってくると、次になにをやるかが自然と頭に浮かぶ。
あそこをこう変えてみて、とか、そこでの結果をふまえて、その次はどうするか。

マリーザ・モンチのディスクを、そんなふうにして十回ほどかけた。
その他にこまかなところを変えてみた。

Date: 7月 8th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その3)

Hさんが、audio wednesdayに来られたのは二回。
前回はほとんど話すことがなかった。
どういう音楽を聴かれるのかも、先月のaudio wednesdayでは何もわからなかった。

今月のaudio wednesdayで、CDを持参されたけれど、それだけですぐにわかるわけでもない。
CDが、私のよく聴くものと同じであれば、まだなんとなく想像できても、
私がほとんど聴かないブラジル音楽ともなると、
まずは音を変化させて、Hさんがどういわれるかから、
どういう音を求めてられるのかを探るしかない。

まずマリーザ・モンチの声のイメージが違う、ということで、
トーンコントロールをいじった音を聴いてもらった。
5バンド、すべての帯域を少しずつ調整した。

イメージに近くなった、といわれたので、もう少し調整した。
さらにイメージは近づいた、とのこと。
それでも、自身のシステムで聴かれているマリーザ・モンチのイメージには、
まだまだの感じのようだった。

Hさんのもうひとつ不満は、リズムが流れる──、だった。
マリーザ・モンチの声のイメージが違うというのは、
なんとなくであっても、つかめるところがあったが、
この「リズムが流れる」は、どういうことなのか、つかみかねていた。

何度も会うことがあって、音楽、オーディオの話をよくしている相手であれば、
あれこれ聴いていくことで、イメージをはっきりとさせることもできようが、
ほぼ初対面といえる相手であっては、言葉よりもまず音を聴いてもらうほうがいい。

といっても、トーンコントロールの次に、どこをいじるかは、少し悩んだ。
こまかなところをわずかずつ変化させていっても……、と思い、
音の変化量として、わりと大きくなるところ、
スピーカーのセッティングを四点支持から三点支持に変更した。

Date: 7月 6th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その2)

マッキントッシュのプリメインアンプで、MA7900とMA2275との違いのひとつは、
トーンコントロールにある、といえる。

マッキントッシュのアンプだからMA2275にもトーンコントロールはついていた。
低音・高音の2バンド。
MA7900はソリッドステートアンプということもあって、
5バンド(30、125、500、2k、10kHz)がついてる。

2バンドと5バンドの違いよりも、
トーンコントロールをオン・オフした際の音の差の大きさが、
MA2275とMA7900とでははっきりと違う。

回路的には5バンドよりも2バンドのトーンコントロールのシンプルに思う人もいるだろう。
そうなるとトーンコントロールをバイパスした音と通した音の差は、
MA2275の方が少ないのでは……、となるのかもしれないが、
実際にはMA7900の方が、トーンコントロールのバイパスした音の差は小さい。

まったくないとはいわないが、
このくらいの差ならば、積極的に5バンドのトーンコントロールを使う手もある、
というよりも使わないほうがもったいない。

MA7900トーンコントロールの五つのツマミはすへて動かした。
それほど動かしたわけではない。

とにかくまず、こんな感じかな、とあたりをつけてトーンコントロールをいじった音を、
Hさんに聴いてもらう。
その反応によって、感触を探っていこうと考えた。

Date: 7月 6th, 2017
Cate: 使いこなし

他者のためのセッティング・チューニング(その1)

毎月第一水曜日の夜、
四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっている。

ここでも書いているように昨年からできるだけ音を鳴らしていくようにしている。
昨晩のaudio wednesdayもそうだった。

昨晩は、いつも少し違っていた。
そのことで、喫茶茶会記で鳴らしている音は、
そのために行っているセッティングは、誰のためなのか、と思った。

6月のaudio wednesdayに来られたHさんが、二回目となる昨晩はCD持参で来られた。
ブラジル音楽のディスクだった。

グラシェラ・スサーナをよく聴く私は、
スサーナがアルゼンチン出身ということで、
タンゴ、フォルクローレは、よく聴くとはいえないまでも、聴いてはいるが、
ブラジル音楽は、自ら進んで聴くことはほとんどない。

マリーザ・モンチのディスク”UNIVERSO AO MEU REDOR”をかけたときに、
自宅で聴かれている音と、イメージがずいぶん違う、ということだった。

なので、このディスクに絞って、
Hさんのマリーザ・モンチのイメージ添うようにセッティングを変更することにした。

まずいわれたのは、マリーザ・モンチの音のイメージの違いだった。
喫茶茶会記は、オーディオ店でもオーディオ雑誌の試聴室でもない。
CDプレーヤーやアンプ、スピーカーを他のモノに交換できるわけではない。

ケーブルもあれこれ替えたり、さまざまなアクセサリーを試せるわけではない。
CDプレーヤーもアンプも、スピーカーも、ケーブルもいっさい替えずに、
セッティングだけを変えてチューニングとなる。

だからそこにある機能は使う。
まず使ったのはマッキントッシュMA7900についているトーンコントロールだった。

Date: 7月 2nd, 2017
Cate: 使いこなし

丁寧な使いこなし(その1)

ある時期から、JR東日本は電車を発車させる際に
「ドアを閉めさせていただきます」とアナウンスするようになっていた。

それまでの「ドア、閉まります」「ドア、閉めます」から、
「ドアを閉めさせていただきます」への変更である。

気持悪いな、とまず感じた。
しばらくして気づいたのは、
「ドアを閉めさせていただきます」になってから、
朝夕のラッシュ時に、駅員が何度もくり返していうことが増えていった。

ドアが閉まりかけようとしているのに、無理に乗ろうとする人が続くからのようだった。

駅のアナウンスは、ある種BGMのようなものかもしれないが、
駅の利用者は、意外に聞いている、というか、意識下になんらかの影響を与えているのか、
少なくとも以前のアナウンスのころは、
これほどくり返しいわれることは、ほとんどなかった。

正確に何回くり返されたのかをカウントしたわけではないが、
あきらかに「ドアを閉めさせていただきます」は、何度も何度も耳にするようななった。

それが昨年、もとの「ドアを閉めます」「ドアが閉まります」に戻った。
朝夕のラッシュ時にも、このアナウンスがくり返されることは、はっきりと減っている。

もちろんそれでも強引に乗り込もうとする人はいるけれど、
「ドアを閉めさせていただきます」のころは、そうでない人までが、
ドアを閉めさせまいとして乗っていたのではないだろうか。

「ドアを閉めさていただきます」はへりくだった言い方だ。
そのことを乗客は感じとっている。

決して丁寧な言い方ではない。
JR東日本は、ある時期、勘違いしていた、といえる。
でも、勘違いしていたことに気づいた。

Date: 2月 26th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その19)

ある人が思い切ってスピーカーを買い換えた。
かなり大型で高価なスピーカーシステムである。

買ってすぐに、彼は海外赴任が決った。
彼は、新品のそのスピーカーシステムを、友人に預けた。

ふたりともオーディオマニアで、
スピーカーを買った彼は、友人のオーディオへの取り組みに一目置いていた。
その友人のことを信頼していた。

だから新品のスピーカーの「鳴らし込み」を友人にまかせることにした。
その友人は私の知人であり、
この話を知人からも、スピーカーを買った本人からも何度か聞いている。

ふたりは友情の証しとして、ふたりの信頼関係のひとつの例として話してくれるわけだ。
それでも、私はこの話を、どこか気持悪さを感じながら聞いていた。

他の人はどうかは知らない。
いい話だな、と思いながら聞くのだろうか。

私は、この話を聞く数年前に、(その17)で引用した瀬川先生の文章を読んでいる。
もう一度、このことに関係するところを引用しておく。
     *
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
 下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
 ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
 男、これを聞き早速、わが妻を吉原(トルコ)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
 教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     *
スピーカーを買った本人であっても、
わざわざ「鳴らし込み」をしようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ、
と書かれている。

それなのに、いくら仲がよくて信頼できる友人であっても、
「鳴らし込み」をまかせてしまうというのは、下世話な例え話では、そういうことになる。

彼は海外赴任から戻ってきた。
友人による「鳴らし込み」に満足していた、と聞いている。
その友人も、自分の「鳴らし込み」に満足していた。

私には、どうしても気持悪いこととして感じられる行為に、
当人たちはうっとりしていた。

Date: 2月 8th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その18)

ステレオサウンド 60号の特集で、JBLの4345についての座談会。
ここで使いこなしについて語られている。
     
菅野 瀬川さんがかなり満足される音で4345を鳴らしておられる現状というのは、おそらくJBLの連中が数年かかってやることをやっているのじゃないかと思うんです。使いこなしなどというたいしたことじゃないと思う。もしかすると、何もやってないでしょう。
 だからこそ、それを技術的に解決して、実現しようとしたら、確実に数年かかる。ユーザーの使いこなしって、そういうものだと思うんです。
 とにかく瀬川さんは、はたから見ると何だかわからないし、活字にも書けないという、きめの細かいことをやっているわけです。
瀬川 いえいえ、ただ接いだだけですよ。レベルコントロールはちょっといじってますけれどね。
菅野 本人は特に何かしているという意識はなくて、はたから見てもその通りでも、無意識のうちにやっていることって、すごくありますよ。
──そこを多少披露していただけませんか。
瀬川 それは無理なんですよ。荻昌弘さんだったかな、うまい店があって、そこのコックに、「こういうことを聞いちゃいけないんだけど、オムレツのつくり方のコツ教えてくれ」って言ったら、「いやぁ、コツなんてものは口で教えられるものじゃねぇ。無意識に身につくものなんだから、だんな、その気があったら一年間ここへ通ってごらんなさい」と言われたっていうんだ。
 ぼくも4345の使いこなしということで、具体的に言葉ではっきり言えることは、いまのところまだ新しくてミドルハイがこなれていないから、ミドルハイのところだけ-1から1・5ぐらい下げて、スーパートゥイーターは-1にしてみたり、ゼロにしてみたり迷っているというくらいで、あとは、置き方だって半ば無意識に、いまのぼくの部屋で最善のところに置いているんでしょうね。
 しかし少なくとも、さっきも言ったように、背面を硬い壁にしているということは多少影響していると思う。いろいろな場所で──たいてい後ろにいっぱいスピーカーが置かれていたり、後ろががらんどうの状態で──ブロックで持ち上げたりするでしょう。そうすると、うちで鳴っているような音は全然出てこないですね。低音がおかしな音になってしまう。
 一般的には販売店の評価でも、4345はまだよくわからないとか、低音がズンドコズンドコいうだけだとかいわれているようです。ぼくの場合には、床にぺったり置いて、背中も壁にぴったりつけて、ただそうやって置いているだけですけど、非常にローエンドのよく伸びた音がします。
菅野 瀬川さんが初めからぺたっと置いたというのは、あなたがほかのケースで──なにしろスピーカーの置き方に関しては、ぼくの十倍くらい凝るんだから──しつこく実験した挙げ句に、ぺったり起きのよさを聴きとり、このケースはぺったりだというのが無意識に思い浮かぶんですよ。同じぺったり置きにしていても、ちょっと意味が違うんですよ。
     *
レコード芸術の「MyAngle 良い音とは何か?」の最後のところとともに、
ここをじっくり読んでほしい。
ずっと以前に読んだ、という人も、もう一度じっくり読み返してほしい。

Date: 2月 7th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その17)

レコード芸術に、瀬川先生の連載が始まったのは1981年の夏だった。
「MyAngle 良い音とは何か?」というタイトルだった。
一回だけの連載だった。
     *
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。
 ついさっき、山本直純の「ピアノふぉる亭」に女優の吉田日出子さんが出るのを知って、TVのスウィッチを入れた。彼女が「上海バンスキング」の中で唱うブルースに私はいましびれているのだ。番組の中で彼女は、最近、上海に行ってきた話をして、「上海では、日本の一年が十年ぐらいの時間でゆっくり流れているんですよ」と言っていた。なぜあの国に生れなかったんだろう、とも言った。私は正直のところ、あの国は小さい頃から何故か生理的に好きではないが、しかし文学などに表れた悠久の時間の流れは、何となく理解できるし、共感できる部分もある。
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
 あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
 下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
 ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(トルコ)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
 今月はこれでおしまい。
     *
最後のところを引用した。
ソフトウェアの達人といわれていた瀬川先生が、これを書かれている。

《何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま——たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。》

近ごろ、やっと瀬川先生の真意がわかってきたように思っている。
ひとり勝手に思っているだけにしても、
世の中、スピーカーをダメにする「鳴らし込み」は、むしろ増えているのではないだろうか。

瀬川先生のいわれる「鳴らし込み」の前提として求められるのは、セッティングである。

Date: 2月 7th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その16)

「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その19)」で、
オーディオの想像力の欠如が、セッティング、チューニングの境界をさらに曖昧にしている、
と書いた。

もっといえば、オーディオの想像力の欠如のままでは、チューニングは無理である。

鍛えられているかどうかよりも、
オーディオの想像力があるかどうかのほうが、重要だとも思っている。

オーディオ業界にいる人たちすべてがオーディオの想像力をもっているとは思っていない。
むしろ持っている人の方が少ないのではないか──、そんな気さえすることがある。
オーディオ評論家と名乗っている人たちに関しても、そうである。

オーディオの仕事をしていない人たちに、オーディオの想像力がないのかといえば、
そうではない。
むしろ、オーディオを仕事としている人たちよりも、オーディオの想像力をもつ人は多いかもしれない。

オーディオ歴の長い人ほど、オーディオの想像力をもっているかといえば、
これもそうとはいえない。

オーディオの想像力について書いていくことは難しい。
だから、別項で「オーディオの想像力の欠如を生むもの」を書いた。
オーディオの想像力そのものについて、いまのところはうまく書けなくとも、
オーディオの想像力が欠如するということについては、書ける。

くり返そう、
オーディオの想像力が欠如していては、チューニングは無理である。
けれど強調したいのは、チューニングができなくとも、いい音を出すことはできる、ということだ。

Date: 2月 7th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その15)

鍛えられていなくとも、オーディオはできるし、楽しめる。
ただ(その6)で書いた、どこをいじるか。
その個所を直感で決め、わずかな時間と手間で、そこでの不満を解消できるかどうかは、
鍛えられているからこそ、と断言できる。

鍛えられていなくとも、偶然でも、私と同じ個所をいじることはあろう。
それでも、そこをどうするかは違ってくるだろうし、
同じことをやれたとしても、別の場合には、偶然はそうそう重ならない。

偶然に頼って、というのは、鍛えられていない人のやり方である。

オーディオの再生系にはいじるところが、それこそ無数にある。
しかもそのいじり方もひとつではない。
どこをいじるのか、どういじるのか。組合せの数はさらに増える。

そこにぽんと放り出されたら……。
オーディオはどこをいじってもは音が変る。
だからこそやっかいでもある。

そのため見当違いであっても、そこに固執しがちになることがある。
とはいえ、それもまた楽しいといえる面があるのがオーディオなのだから、ややこしい。

オーディオは趣味で、本人が楽しんでいるのであれば、
第三者がとやかくいうことではないせんせんのかもしれないが、
それでもいいたいのが、それがチューニングといえるのだろうか、である。

ここでは、オーディオは趣味だから……、は通用しなくなる。
本人がチューニングと思っていじっていれば、それはチューニングではないか。
そう考える人はいるけれど、私は違う。