Archive for category 使いこなし

Date: 11月 30th, 2024
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その30)

以前から、オーディオには三つのingがあり、
セッティング(setting)、チューニング(tuning)、エージング(aging)であり、
この三つのingをごっちゃにすることなく、
常にその境界を意識していくことが、いつかは訪れる──、
何度も書いていている。

この項の(その27)では、
セッティングに深く関係してくるのは精度、
チューニングに深く関係してくるのは練度、と書いた。

エージングに深く関係してくるのは、熟度だろう。

精度、練度、熟度。
こんなことを考えなくても、意識しなくても、
オーディオはやれる──。

そういう声があり、むしろそういう声の方が多いのかもしれないと思いながらも、
私はそういう態度でいようとは思っていない。

Date: 8月 29th, 2024
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その29)

セッティングと精度について考えていたら、五味先生のことを想い出していた。

「想い出の作家たち」のなかで、五味千鶴子氏が語られている。
     *
亡くなる前にベッドに寝ていても、毛布をシュッとかけなおして、「折り目正しくなってるか」とたずねるのです。
「ええ、きちんとなってますよ」と言うと安心しました。何かお見舞いの品をいただいても「真心こもってるか」と言います。「とても真心のこもったものをいただきましたよ」と言うと、「そうか、人間は折り目正しく、真心こめていかなきゃいけないよ」と言っていたのをよく覚えております。
     *
「折り目正しく、真心こめて」が、
五味先生がオーディオ愛好家の五条件のひとつにあげられている、
「ヒゲのこわさを知ること」につながっているのは明らかだろう。

それだけでなく、セッティングにおける精度も、「折り目正しく、真心こめて」なのだ、とおもうわけだ。

Date: 8月 28th, 2024
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その28)

別項「一年に一度のスピーカーシステム」、
そこで言いたいことが、セッティング(精度)である。

オーディオ歴の長さに比例して、セッティングの精度は高くなっていくのであれば、
なんの問題もないが、現実は違う。

本人も気づかぬうちに少しずつ少しずつ精度は微妙にズレていく。
そのままにしているとズレは大きくなるばかり。

しかも、その精度のズレをどう見極めるのか。
スポーツ選手であれば、自身の動きを録画して以前の状態と見比べることもできるし、
コーチからの指摘も得られるだろう。

オーディオは、その点、どうなのか。
自分で判断するしかない。

そのために何が必要なのか。
それが「一年に一度のスピーカーシステム」のテーマになっている。

Date: 8月 27th, 2024
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その27)

セッティングとチューニング。
この二つの境界は曖昧なところはあるが、
だからといって一緒くたにしていいわけではない。

セッティングに深く関係してくるのは精度、
チューニングに深く関係してくるのは練度。

精度と練度。
これだけで違いを説明できるわけではないが、
大きく外してはいないと思っている。

Date: 8月 14th, 2024
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(なぜ迷うのか・その3)

(その2)で書いたことを読んで、
オーディオは趣味なのに、なんて窮屈な……、と思う人もいるだろうし、
趣味なのだから自由にやらせろ、という意見があるのはわかっている。

でも、その自由とは、本当に自由なのか。
好き勝手と自由は違う。
どちらを選ぶかは、その人次第。

自由にやると自由にあやつるとでも、自由の捉え方は違ってくる。
さらに自由自在とした場合──。

仏教学者の鈴木大拙氏は、「自由」の英訳を、
辞書に載っているfreedomやlibertyではなく、
self relianceとした、ときいている。

Date: 8月 14th, 2024
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(なぜ迷うのか・その2)

基本を理解してないと基礎は築けないし、基準を持つこともできない。
基準が持てないのだから迷う。

Date: 5月 9th, 2024
Cate: 使いこなし

スピーカー・セッティングの定石(その6)

三十分ほど前に、KEFのModel 105 SeriesIIを鳴らしている友人から連絡があった。
スピーカーのセッティングについてだった。

そういえば──、と思い出したのは、105 SeriesIIのエンクロージュアの角度についてだった。
この項の(その1)を書き始める十年前くらいから、
ウーファーに関しては聴き手に向って角度をつけるよりも、
正面を向ける、つまり後の壁と平行になるように置く。

これがいい結果を生むのではないか。そう思うようになっていた。
もちろん中高域に関しては、聴き手に向って振るように置く。

こういうセッティングが可能になるのは、主に自作スピーカーで、
低音用のエンクロージュアの上に、
中高域のユニットが独立して置かれている場合では容易だが、
既製品のスピーカーシステムでは、ほとんどが無理である。

KEFのModel 105はこういうセッティングを可能にした。
105以前に、そういうスピーカーシステムがあったのかどうかは寡聞にして知らない。

友人は最初のころは、
105のエンクロージュアも聴き手に向けて角度をつけたセッティングだったが、
最近になってエンクロージュアは角度をつけずに、
上部の中高域ユニットのみ聴取ポイントに向けて角度をつけるセッティングに変更。

そのことによって、バランスがとりやすくなった、とあった。

そうだろうな、と思いながら読んでいた。

ただし自作スピーカーでも、それぞれのユニットが独立していて、
それぞれ角度を自由につけられる場合でも、
ウーファーの受持帯域が広い場合、
つまりウーファーのカットオフ周波数が高い場合には、
必ずしもいい結果が得られるとは限らない、と私は感じている。

500Hz以下くらいの低いカットオフ周波数が好ましいようである。

Date: 5月 11th, 2023
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(ステレオゆえの難しさ・その5)

八年前に書いたことを、そのまままるごと公開しておく。
別項「モニタースピーカー論(APM8とAPM6・その12)」で書いていることだ。

山中先生が《ぼくは実はこうした音楽が一番好きなのです》と語られているドビュッシー。
ステレオサウンド 88号の特集「最新コンポーネントにおけるサウンドデザイン24」、
この中に「山中敬三のサウンドデザイン論 そのバックグラウンドをさぐる」がある。
そこで語られていることを思い出していた。
     *
──好きな音楽は?
 わりと広いほうです。若いときから、その時期ごとに、一つのものに傾倒して、それがシフトしていって、結果的にかなり広いジャンルを聴くようになった。
 自分自身でレコードを買うようになったのはジャズ……スイングの後半からモダン・ジャズまでです。ベニー・グッドマンにはじまり、コルトレーンでストップ。
 兄がクレデンザの一番いいやつを持ってて、それでジャズを聴いてしょちゅう怒られました。でもあの音は素晴らしかった。
 クラシックで最初に好きになったのは、フォーレとかドビュッシーとかのフランス音楽だったんです……。
──S/Nをとるのがむずかしい……!
 苦労しましたね。低音を出そうと思ってもS/Nがとれない。フォーレのレクイエムを聴くために壁バッフル作ったり……。
 フランス音楽のあの積み重なりが好きになったんでしょう。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’82」でのESL63の組合せでは、
《こういったドビュッシーなんかの曲で一番難しいのは、
音が空間に漂うように再生するということだろうと思います》といわれている。

フランス音楽の積み重なり、これが漂うように再生されるかどうか。
「漂い」に関しては、88号の特集で菅野先生も語られている。
     *
──鳴らし方のコツのコツは……?
 オーディオマニアは「漂い」という言葉を使わない。「定位」という言葉がガンと存在しているからだ。「漂い」の美しさは生のコンサートで得られるもの……。それを、もうちょっとオーディオマニアにも知ってほしい。これこそ、一番オーディオ機器に欠けている部分ですね。
 最新の機械を「漂い」の方向で鳴らすと、極端にいうと、みんなよく鳴るように思います。最新の機械で「定位」という方向にいくと「漂い」がなくなって、オーディオサウンドになります。
     *
山中先生が自宅のシステムとしてAPM6ではなくESL63を選ばれた大きな理由のひとつが、
この「漂い」だと思う。

読み返してみて、そのとおりだと頷く。
モノーラルからステレオ再生になったからそ可能になったといえる漂いの再現。

茫洋とした音が漂いではない。

Date: 3月 2nd, 2023
Cate: 使いこなし

丁寧な使いこなし(その7)

丁寧な使いこなしの反対を、雑な使いこなしとすれば、
雑な使いこなしとは、どういうことなのだろうか。

使いこなしといわれることは、
つまりオーディオマニアが使いこなしと思ってやっていることは、
人によってそう大きくは違わなかったりする。

ケーブルをかえてみたり、スピーカーの置き場所をかえてみたり、
その他にもいくつもあるけれど、それらのことを言葉にしてみれば、同じといっていい。

それでも丁寧な使いこなしと雑な使いこなしはあるし、
本人は丁寧な使いこなしをしているつもりであっても、
他の人からみれば、なんと雑な使いこなしと見られていることだってある。

雑な使いこなしとは、無駄にしてしまう使いこなしだと考えている。

そんなこと無駄だよ、とか、無駄になってしまった、とか、
無駄ということを口にしてしまう。
けれど考えてみればわかることなのだが、無駄にしているのは、
そのことを口にした本人である。

このことは菅野先生からいわれたことであり、
歳を重ねるごとに、深く実感できることだ。

すべて結びつけていける人は、なにひとつ無駄にしない。
結びつけていけない人こそが、無駄と口にする。

Date: 6月 28th, 2021
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その26)

使いこなしとは、
目の前にオーディオ・コンポーネントから、
少なくとも、その時は最上の音だ、と思えるくらいの音を抽き出すことであって、
ここで書いているようなことを考える必要はない──、
それでもいいと思いながらも、
私自身は、これまで書いてきているように、
オーディオには三つのingがあり、
セッティング(setting)、チューニング(tuning)、エージング(aging)であり、
この三つのingをごっちゃにすることなく、
常にその境界を意識していくことが、いつかは訪れる。

そう考えている。

さらにこの三つのing、
統合点(combining)と分岐点(dividing)、それに濾過(filtering)、
もうひとつの三つのingが、通奏低音のように、そこに加わる。

Date: 6月 4th, 2021
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その25)

この項を書いていると、以前書いたことをまた書きたくなってくる。

いまから十年ほど前のステレオサウンドに、短期連載で、
ファインチューニングとつけられた記事が載っていた。

その記事の内容そのもののことではなく、
あくまでもタイトルのことである。

チューニングとついている。
けれど、記事の内容は、どこまでもセッティングである。
ファインセッティングというタイトルだったら、わかる。

けれどファインチューニングである。
誰がつけたタイトルなのだろうか。

担当編集者なのか。
一般的にはそうである。

だとしたら、この記事の担当編集者は、
セッティングとチューニングの違いがわかっていない、というよりも、
違いがあるとも思っていないのだろう。

この担当編集者は、井上先生の試聴に立ち合ったことがないのだろうか。
ないのであれば、しかたないかも……、と思わなくもないが、
それでも十年ほど前に、ステレオサウンドに井上先生の試聴に立ち合った人は、
もういなかったのか。
一人ぐらいはいたように思うのだが。

いたとしても、その人も結局はセッティングとチューニングの違いなんて、
考えたことがなかったのだろう。

考えていたとして、ファインチューニングのタイトルに、何の疑問を抱かなかったとしたら、
井上先生の試聴から何も学んでいなかった。

Date: 6月 2nd, 2021
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その24)

先週に引き続き、今日もまた赤塚りえ子さんのところに行っていた。

このブログの最初のころから、
使いこなしとは、セッティング、チューニング、エージングからなっていて、
これらを混同しないようにすべきだ、と書いている。

オーディオには三つのingがあり、くり返しなるが、
セッティング(setting)、チューニング(tuning)、エージング(aging)の三つであり、
この三つのingの割合は、その時によって違ってくる。

いま赤塚さんのところでやっているのは、セッティングである。
チューニングといえることは、あえてやっていない。

先週、ほんのわずかだけチューニングといえることをやったが、
それは私自身の確認のためにやったことであって、ほぼすべてセッティングをやっている。

エージングに関しては、私がタッチすることではない。
赤塚さんのシステムなのだから、
赤塚さんが聴きたい音楽を、聴きたい時間に、聴きたい音量で聴く。
これだけである。

この領域を、他の人にまかせてしまっては、
もう、そのシステムは、その人のものではなくなる、といってもいいだろう。

私にできるのは、セッティングとチューニングであり、
チューニングは、セッティングとエージングがあるレベルまで進んでからとなる。

Date: 12月 24th, 2020
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(余談)

映画「ワンダーウーマン」の主演女優のガル・ガドットは、
映画のなかで、眉間に皺をよせている。
かなり頻繁によせている。

監督が同じでも、皺の似合わない女優がワンダーウーマンを演じていたら、
こんなに夢中になっただろうか。

Date: 12月 24th, 2020
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その23)

その22)を書いたのは3月だった。
そのころは三ヵ月後にコーネッタを手に入れることになろうとは、まったく思っていなかった。

でも、皺のことを書いていた。
皺が似合うスピーカーとそうでないスピーカーがあるような気がする、
と書いている。

このとき、私の頭になかにあったのは、間違いなくタンノイも含まれていたはずだ。
特定のスピーカーを思い浮べていたわけではなかったけれど、
私のなかでは、ヴァイタヴォックスとともにタンノイも、皺の似合うスピーカーである。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
井上先生が菅野先生との対談で、こんなことを語られている。
     *
井上 ただ、いまのHPDはだいぶ柔和になりましたけれども、それだけに妥協を許さないラティチュードの狭さがありますから、安直に使ってすぐに鳴るようなものではない。現実に今日鳴らす場合でも、JBLとかアルテックなどとは全然逆のアプローチをしています。つまり、JBLとかアルテックの場合、いかに増幅段数を減らしクリアーにひずみのないものを出していくかという方向で、不要なものはできるだけカットしてゆく方向です。ところが、今日の試聴ではLNP2Lのトーンコントロールを付け加えましたからね。いろいろなものをどんどん付けて、それである音に近づけていく。
     *
コーネッタを鳴らしていて、そういったところがあるのを感じていた。
なぜそうなるのか、その理由を特定しようとは思っていないけれど、
皺の似合うスピーカーだからなのだろう、と思うところもある。

もちろん、だからといって、タンノイのスピーカーを鳴らしていくうえで、
井上先生が語られている方向だけが絶対というわけではない。

いままで皺の似合わないスピーカーばかりを鳴らしてきた人が、
皺の似合うスピーカーを鳴らすことになったら、これも手の一つである、ということだ。

Date: 9月 16th, 2020
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(四季を通じて・その6)

夕刻、友人のAさんから短いメールがあった。
Aさんがスピーカーを買い替えていたのは、会って話すことが多いので知っていた。

一年(春夏秋冬)を通して、
さまざまな音楽を聴いてきた、と書いてあった。

そして、ようやくスピーカーのセッティングを少し変更したところ、
いい感じに鳴ってくれるようになった、ともあった。

スピーカーに限らずだが、特にスピーカーを買い替えた場合には、
オーディオの仲間に聴かせたくなるものだろう。

それに、その人の周りのオーディオマニアも、
早く聴かせてくれ、とせっつくことだろう。

「五味オーディオ教室」に書いてある。
     *
 H氏は、私のオーディオ仲間の一人で、たがいに気心の知れている、にくまれ口のひとつも言い合える仲であり、時にはワイフの知らぬ彼の情事を知っていて、ワイフの前では呆けねばならぬ仲でもあるが、そのH氏が英ヴァイタボックスのクリプッシ・ホーンを購入したときのことだ。
 かねてから私も試聴したいと思っていたものなので、さっそく、聴かせろと言ったがH氏はうんと言わない。まだ調子が出ないからと言う。
 車でいえば新車で、馴らし運転が必要だと言う。
 でも感じはどうかと訊いたら、「ちょっとホーン鳴きが気になるが、まずは期待にそむかぬえェ音じゃ」と言う。ホーン鳴きは、部屋の共振による場合が多いので、馴らし運転には関係あるまい、早く聴かせろと催促したら、それからしばらくしてようやく、聴きに来てもよいと言う。それで訪ねたが期待したほどの音ではなかった。
 ところが、半年ほどして、また聴きに来いと言う。執拗に言う。そこで行って愕いたのである。まったく別物のように響いていた。
     *
ここに書かれて或ることを、どう解釈するかは、人によって微妙なところで違いがあるだろう。
私のなかでも、中学二年のころ読んだときと、
それからくり返しくり返し読むたびに、変化するところもあった。

ここには、四季を通じて鳴らすことの意味も含まれている、と解釈する。