Archive for category 会うこと・話すこと

Date: 6月 1st, 2024
Cate: 会うこと・話すこと

店で買うと云うこと(その4)

今月下旬に引っ越すことになった。
いくつか理由があってのことだが、とにかく部屋探しは十一年ぶり。
そのころとはこんなに違ったと感じていたのは、iPhoneでの検索だった。

なんとなく歩きながら、いい感じの建物だな、と思って、
建物の名前を検索すると、すぐに情報が得られる。
間取り、家賃、空き部屋があるのかどうかなどがすぐにわかる。

そうやって探していた。
でも、決めた部屋は、駅前の不動産屋での案内を見ての物件だった。

この物件もインターネットで検索してくると表示される。
けれど、インターネットの検索結果では空き部屋ナシとなっている。

空き部屋はあって、そこを契約してきたわけで、
インターネットだけに頼っていては、他の物件を選んでいたであろう。

もちろん、今回私が契約した物件よりも、もっといいところがある可能性はある。
それでも実際に不動産屋に行って得られる情報もある、ということだ。

インターネットの便利さ、ありがたさを感じながらも、
いまのところ、それだけでは不十分なところもある、そのことを今回も実感していた。

Date: 2月 3rd, 2024
Cate: 会うこと・話すこと

店で買うと云うこと(その3)

その1)でも書いているように、タワーレコードで買うのは気持ちがいい。

昨日購入したカザルスのSACDは、タワーレコードの渋谷店にあった。
渋谷店に行くのは、ほぼ二年ぶり。
前回行った時は、遅い時間ということもあって、店内にあまり活気を感じられなかったが、
今回は夕方ということもあって、ボップスのフロアは若い人が多く、
こんなに活気があるのか──、と己の認識不足を感じていた。

とはいえクラシックのフロアに行くと、やはり人は少ない。
私もそうなのだが、実店舗で買うよりもインターネットで注文して、ということがほとんど。

それでもこうやって店舗にいって、レジにディスクを持って購入すると、
タワーレコードの店員の方たちの感じの良さに感心する。

今回もそうだった。
若い人だった。

いまどきの若いものは……、そんなことはまったくない。
渋谷という街が、あまり好きではない、というか、
渋谷駅が嫌いなので、タワーレコードの渋谷店からは足が遠のいてしまっていたけれど、
気持ちの良い買物ができるのだから、もう少し足を運んでみよう、という気になってくる。

こういうオーディオ店はあるのか、とも思ってしまう……

Date: 10月 5th, 2023
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その33)

昨晩(10月4日)のaudio wednesdayは、初めての方が二人参加された。
お一人は岡山県から来られた。

喫茶茶会記があったころは音出しもできたけれど、
昨年から再開してのaudio wednesdayは、特定の場所での開催ではなく、
小人数で、どこかに集まって、音楽、オーディオなどについて話すだけである。

そんな集まりでも参加したい、という方がおられる。
昨晩は、私を含めて四人。
三時間半ほど、ずっと話していた。

実に楽しかった。
オーディオをながいこと続けてきたからこその楽しさでもある。

そのことを実感するとともに、
これからのオーディオという世界の行く末は──、
そのことについておもうところは共通しているとも感じていた。

Date: 3月 10th, 2023
Cate: 会うこと・話すこと

店で買うと云うこと(その2)

買物は、ほんとうに便利で手軽な時代になった。
iPhoneを操作して、翌日にはたいていモノが届く。

電子部品に関しても同じといっていい。
昔は、秋葉原に行っていた。
いまから四十年ほど前のことである。

そのころといまとでは秋葉原は大きく変ってしまっている。
電子部品を扱っている店は少なくなっている。
それに、こちらもインターネットの通信販売のほうが便利で、
取扱い品目も多かったりする。

iPhoneで検索する。
けれど、それではひっかかってこないモノがある。

今日がそうだった。
かなり前に製造中止になっていて、
しかも製造した会社はすでにない──、そんな部品がある。

数年前に、偶然売れ残っているのを見つけて、即購入した。
けれどそれ以降は、見つからず。

インターネットの検索では見つからない。
なのに、今日、時間のあいまに、しかも秋葉原から近くにいたので、
ふらっと寄ってみた。

特に何かを探して、という目的はなかった。
ただ秋葉原を歩きたかっただけだったのだが、
ある店に、探していた部品が二つ吊り下げてあった。

前回来た時にはなかったのに、なぜか今回はある。
お店の人に在庫を訊いた。
倉庫を探してみます、ということで少し待った。

結果、その部品を四つ手に入れることができた。
この店は通信販売をやっている。
インターネットで在庫をチェックできるけれど、この部品に関しては出ていない。

そこまで行かなければ気づかずに機会を逃してしまうところだった。
探しモノは、インターネットだけではまだまだである。

Date: 2月 19th, 2023
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その32)

数日前、ある人と会っていた。
共通の友人がいるけれど、いままで会う機会がなかった。

それほど長い時間ではなかったけれど、あれこれ話していて、
やっぱり、そうなのかとおもったのは、
いまのオーディオ界に対して、むなしい、といわれたことだった。

むなしいは、虚しいであり、空しいであり、
大辞林には、
(1)形だけで中身がない。形式だけで実質が伴わない。うつろである。「人が去って—・くなった家」「—・い生活」
(2)何の役にも立たない。結果が何も残らない。「時間が—・く過ぎる」「—・い努力」「善戦—・く敗れる」
(3)確実でない。頼りにならない。はかない。「—・い夢」「世の中は—・しきものと知る時し/万葉 793」
(4)根拠がない。無実である。「—・しきことにて,人の御名や穢れむ/源氏(乙女)」
(5)魂や心が抜け去って体だけになっている。命がない。「有王—・しき姿に取つき/平家 3」
とある。

ここでのむなしいは、オーディオ界に対して以上に、
オーディオ雑誌に対して、より強く向けられたものだった。

個人的にもステレオサウンドを読んで感じているのは、
この「むなしい」である。

むなしいと感じているのは、そう多くないかも──と思っていたけれど、
そうではなかった。

お前とその人、たった二人だけじゃないか、と言われそうだが、
ほんとうにそうだろうか。

Date: 12月 17th, 2022
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その31)

昨晩は、audio sharingの忘年会だった。
四谷三丁目の喫茶茶会記がなくなり、audio wednesdayをやらなくなって二年。
今年9月に再開したけれど、仮再開といった感じで、
喫茶茶会記のように、毎回決ったところに集まってという感じでは行えない。

audio wednesdayの常連だった方たちとはときおり会うことはあっても、
常連の人たちが集まってということは、二年間なかった(やらなかった)。

昨晩は私を含めて九人。
ひさしぶりに常連の人たちが、ほぼ揃った感じだった。

みな音楽好き、オーディオ好きだから、年齢に関係なく話は盛り上る。
約三時間、いろんな話題が出て、たっぷり笑っていた。

やっぱりこうやって集まるのはほんとうに楽しい。
年一回であっても、こういう集まりはやっていきたい。

Date: 12月 29th, 2021
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その30)

昨晩集まった三人は、いまのところ、皆元気である。
健康上の問題もない。

来年、再来年の忘年会も、たぶん皆元気に集まれるだろう。
けれど五年後の忘年会となると、どうだろうか……。
そんな話もした。

誰か一人、今日は体調が優れないから、という理由で参加できなくなることが、
十分考えられる。

十年後ともなると、もしかすると誰か欠けるかもしれない。
そんな話を、三人で笑いながらしていたけれど、
それが五年後か十年後か。
それとももっと早くなのか、もっと遅くなのかはなんともいえないけれど、
いつか、そういう時がくるのだけは確かである。

そして、誰かが一人だけ、となってしまう。

2008年に、菅野先生と話していたときに、
菅野先生が、つぶやくようにいわれたことがある。
「みんないなくなってしまった……」

みんなとは、菅野先生にとってのオーディオ仲間である。

Date: 12月 29th, 2021
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その29)

昨晩(12月28日)は、オーディオマニア三人集まっての忘年会だった。
Yさんは1962年、Aさんと私は1963年生れで、つまり同世代。

あれこれ話していたら、あっという間に時間が過ぎっていた感じで、楽しかった。
話にも出てきたのだが、われわれ三人は、
10代のころ、熱心にステレオサウンドを読んで過ごした。

Yさんが通っていた私立の高校の図書室にはステレオサウンドがあった、とのこと。
雑誌類は貸し出し禁止なのだが、夏休みにまとめて貸し出してくれた、と。

私が通っていた田舎の公立の高校とは大きく違うなぁ、と思いながら、
そういう私はカバンに必ず一冊はステレオサウンドを入れていた。

たまに必要な教科書を忘れることはあっても、ステレオサウンドを忘れたことはない。

三人に共通していることの一つに、
三人ともJBLのスピーカーに憧れ、いまも好きだということがある。

現在のJBLのすべてのスピーカーを認めるわけではないが、
それでも10代のころに4343を筆頭に、JBLのスピーカーは憧れだった。

4343はスーパースターのようにも私は感じていた。
そして三人とも、いまJBLのスピーカーを鳴らしている。

JBLのスピーカーをバカにする人が少なくないのは知っている。
そんな彼らがどんなスピーカーを高く評価しているのかも知っている。

でも、それはどうでもいいことだ。
1970年代後半にオーディオに興味をもち、
ステレオサウンドを熱心に読んできた者でなければ理解できない世界がある──、
それだけのことである。

Date: 11月 12th, 2021
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その28)

先週末はインターナショナルオーディオショウだった。
今週末はオーディオセッション in OSAKAの開催である。

オーディオショウを見終ったあとは、
仲間たちとの食事会・飲み会をやった(予定している)人もいよう。

久しぶりに会った人と、共通の趣味の話をする。
ここではオーディオの話なわけだ。

どこの店でそんな話をする。
話は隣の席にも漏れ聞こえる。
隣の席にいる人たちは、そんなオーディオマニア同士の会話を、
どんなふうに受け止めているのだろうか。

スイングジャーナル1972年1月号掲載の座談会「オーディオの道はすべてに通ず!」がある。
岩崎千明、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏による。

そこで菅野先生が、こう発言されている。
     *
菅野 われわれのように、いわゆる道楽者が音の話をしていると、よく他の話に取違えられるんだね。この前も、こちらは音の話をしていたのに、バーの女の子がゲラゲラ笑っているんだよ。何を笑っているのかと思ったら、始めから終りまで猥談だと思っていたというんだね。まあ、その道の話というのは必ずすべての道に通じる話になるわけで、逆にそうでなければ、核心をついた話ではないよね。
     *
隣の席の人たちは、漏れ聞こえてくる話を猥談だと思うだろうか。
それとも、なにか小難しいことを話している、と思うのだろうか。

オーディオに関心のない人に猥談に聞こえるようでは、
それはオーディオの核心をついていない──、
菅野先生とは反対の考えの人も、いまでは多いのかも知れない。

Date: 10月 12th, 2021
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その27)

その24)は、二年前の5月のこと。

2019年5月4日に起ったことを書いている。
この日、私が住んでいるところは、
こんなのが降ってくるの? というぐらいの雹の土砂降りだった。

それだけだったら止めば何の問題もないのだが、
それによる被害が生じた。
けっこう大変な状況で、こんなことが起るの? と思ってしまうほど。

(その24)に書いてるように、
この日は、写真家の野上眞宏さんから「来なよ」と誘われていた飲み会だった。

何もなければ行くつもりだった。
でも、こんなことが起ってしまって、行く気を完全になくしてしまっていた。

なのに、元号も令和にかわったことだし、という理由にもならない理由をつけて、
一時間遅れで、その会に出席した。

いまおもうと、この日、出掛けてよかった、と実感している。
この日、赤塚りえ子さんと知りあった。

大変なことにめげてでかけていなければ、赤塚さんと知りあうことはなかっただろう。

先週木曜日の集まりも、赤塚さんのところでだった。
ここでも新しい出逢いがあった。

2019年5月4日、面倒がらずに出掛けたことで、きっかけとなったのかもしれない。

Date: 10月 10th, 2021
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その26)

audio wednesdayをやっていたときは、
毎月定期的に、誰かと会っていたわけだが、
喫茶茶会記の閉店・移転にともない、それにコロナ禍もあって、
人と会って、という機会は、今年は少なかった。

それでも10月になり緊急事態宣言も解除、
ワクチンを二回接種した人も、ほとんどになってきた。

油断は禁物なのはわかっていても、7日に五人集まっての会だった。
どこかの店ではなく、個人宅で集まっての、ひたすら話す、という集まりだった。

爆笑の連続だった。
ひさしぶりに屈託なく笑った夜だった。
腹の底から笑えた。

一人で過ごすことに何も苦痛を感じない私でも、
こうやって気心の知れた人たちとの会話は、大切にしたい。

Date: 2月 26th, 2020
Cate: 会うこと・話すこと

店で買うと云うこと(その1)

本もCDも、できるだけ店に行って買うようにしたい、と思っていても、
タワーレコード、HMVのサイトを眺めていると、
結局、インターネットを使って買った方が安くなることが多いので、
ついそちらを利用してしまう。

とはいえ新宿のタワーレコードにはときどき行くようにはしている。
渋谷のタワーレコードのほうが規模は大きいのだが、
渋谷駅からタワーレコード渋谷店までが人が多すぎるように感じてしまう。

それでつい億劫に思い、新宿を利用することが私の場合、多い。

日本のCDの売上げが世界一とかいわれている。
でもタワーレコードの渋谷店、新宿店にずっと行っている人ならばわかっているはずだ。

クラシック、ジャズの売場は、どちらも狭くなっている。
どちらの店舗も、できたころと較べると、クラシックとジャズの売場はかなり狭くなっている。

ポップス/ロックの売場も、クラシック、ジャズほどではないが狭くなっている。
かわりに広くなっているのは、J-POPとK-POPの売場である。

クラシック、ジャズ売場は人が少ない。
以前はもっと人がいたのに……、と思うほどに少なく感じる。

日本のCDの売上げが世界一といっても、
クラシック、ジャズは減ってきているのではないのか。
もしかすると店舗には行かずにインターネットで買う人の割合が増えているだけのことであって、
クラシックのCDもジャズのCDも、売場の狭さほどには縮小していないことも考えられる。

でも店舗に行くと、やっぱりいいな、と思う。
タワーレコードは若い店員が多い。

髪をいろんな色に染めている人、
ピアスをいくつつけているんだろうか、とつい数えたくなる人もいる。
そうでない人もいる。

でも、みな対応がいい。
タワーレコードでイヤな思いをしたことは記憶にない。

今日も行っていた。
2フロアー、いろいろ眺めて、数枚のCDを買った。

どちらのフロアーの店員も気持いい接客である。
タワーレコードで働くのが好きだからなのか。

私が行くのは新宿店と渋谷店ぐらいだ。
ほかの店舗がどうなのかは知らないが、
タワーレコードに行くと、また来よう、といつも思う。

Date: 1月 2nd, 2020
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その6)

audio wednesdayでは、通常の喫茶茶会記のセッティングをバラして、一からやり直す。
そのこともあって、ほんとうのスタートといえるのは21時過ぎの音である。

19時開始であっても、使用機材のウォームアップはまだまだである。
使いこなしでどうにかなるところもあるし、鳴らしていくしかないところがある。
たいてい21時過ぎの音からを聴いてほしい、と思うくらい、
19時から21時にかけての変化は、けっして小さくない。

昨晩も、鳴りはじめたな、と感じる音が鳴ってくれたのは、21時をまわっていた。
ここから約二時間が、充実した時間でもある。
そして最後にかける曲。

これがうまく鳴ってくれれば、よかった、と思える。
昨晩はバーンスタインのマーラーの第九がそうだった。

人によって聴き方・受けとり方が違うのは重々承知しているが、
それでも、昨晩のバーンスタインのマーラーは、聴いていた六人の共通体験であるはずだ。
だからこそ話せることが、きっとある、と考えている。

audio wednesdayは週の真ん中に、夜おそくまでやる。
仕事の都合とかあって、なかなか行けない、という声もきいている。
それでも、都合がつけば、昨晩のように来てくれる人がいる。
そして最後まで聴いてくれる。

一方で、ほぼ毎回来てくれても、
一時間ぐらいで帰ってしまう人もいる。

人にはその人の都合があるから、そのことについてあれこれいわないが、
それでも、きちんとした音が鳴ってくる前に帰ってしまう人、
最後にかける曲を聴かずに帰ってしまう人、
つまり共通体験がそこには存在しない人とは、
音楽のこと、オーディオのこと、音のことについて話せるとは、思えない。

Date: 1月 2nd, 2020
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その5)

昨晩のaudio wednesdayは、
1月1日だし、しかもバーンスタインのマーラーの第九をかける、ともいっていたから、
常連の方、二人だけかな、と予想していた。

五人の方が来られた。
一人は新しい方、一人は常連の方で、これまで豊田市からだったのが、
年末に転勤で神戸市からの参加だった。
もう一人の方は、ULTRA DACのときに参加された方で、大阪からだった。

みな、最後まで聴いてくれていた。
バーンスタインのマーラーの第九を聴いてくれたわけだ。

バーンスタインのマーラーの第九の第一楽章が終ったのは、23時すぎだった。
あとすこし時間の余裕があれば、最後まで聴きたかった。
それが無理なら最終楽章だけでもかけたかった(聴きたかった)。

毎回そうなのだが、ほとんど音を鳴らしているから、あまり話す時間はとれない。
昨晩もそうだった。
新しい方と話す時間は、ほとんどなかった。

それでも、と思うのは、最後まで聴いてくれた、ということだ。
また来られるかもしれない、そうでないかもしれないが、
どこかで会う機会があったときに、何か話せるはずだ、と思っている。

ほかの方もそうだ。
どこかで会った時に、きっと話せるはずだ。
音楽のこと、オーディオのこと、音のことについて話せる。

それは、最後までいてくれて、最後まで聴いてくれたからだ。

Date: 11月 20th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その4)

いまではaudio wednesdayといっているが、
最初のころはaudio sharing例会といっていた。

そのころは音は鳴らさずに、話だけだった。
音を鳴らすようになってほぼ三年になる。

この三年間は、一度器材の不具合で音を鳴らせない日があったし、
喫茶茶会記のスペースが、どうしてもその日は空いていないということで、
飲み会に変更した日もあったけれど、
それ以外は、ずっと音を鳴らしてきた。

音を鳴らすと、話す時間は極端に減る。
というか、最低限のことしか話さない時も多い。

でも皆で集まって、
オーディオの話、音楽の話、時にはほとんど関係ない話をするのは楽しい。
たまには音を鳴らさない会もいいんじゃないですか、といわれたこともある。

だから、毎年忘年会やっているじゃないですか、と返事したが、
忘年会での話とaudio wednesdayで喫茶茶会記に集まってでは、
場の雰囲気も違うし、お酒が入って会話とそうでない会話と同じではない。

そういわれればそうである。
audio wednesdayに新しく来られた方たちと、あまり話すことがなかった。

会の終りまで参加されている方たちとは、片づけをしている時に話したりするけれど、
終りはたいてい23時半ごろで、喫茶茶会記を出るのは20分ぐらい後になるのだから、
皆が最後まで、というわけではない。

音を聴いてもらうことを優先していると、どうしてもそうなってしまうのだが、
どちらがいいのだろうか、と少し迷うところもある。

8月のaudio wednesdayのように、なんらかのトラブルがあったときなどは、
音を鳴らさずに話に切りかえよう、とか、そういうことではなく、
普段の会から、きちんと来られた方たちともっと話をしよう、ということを思う。