Archive for 3月, 2012

Date: 3月 31st, 2012
Cate: モノ

モノと「モノ」(その10)

この項の(その3)に、
レコードの値段を「音楽の値段」とイコールにできない、と書いた。

稀少盤と呼ばれているディスクには、関心のない人にとっては驚くような値段がついてるものがある。
稀少盤といっても、その値段の幅はじつに大きい。
新品で出た時にはほとんど同一価格であったレコードが、10年、20年経っていくと、
中古盤となったときの値段には大きな開きが生じてくる。

このことは、中古盤の値段イコール「音楽の値段」ということになる、といえるのだろうか。

同じ音楽をおさめたレコードでも、
オリジナル盤と呼ばれるものは高い値段がつき、再発盤にはそれほどの値段はつかなかったりするし、
国内盤となると、もっと値がつきにくかったりするわけだが、
あくまでもこれらのレコードに収められている音楽は──そこにクォリティの差はあるとはいえ──同じものである。

ということは、中古盤となったときのレコードの値段は、「音楽の値段」といえるのだろうか。
結局のところ、レコードの値段はどこまでいっても「音楽の器の値段」でしかない、と思う。

Date: 3月 30th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その19)

プリメインアンプ、コントロールアンプ側にテープ再生のイコライザーがあった時代には、
このテープデッキ(再生ヘッド)には、このコントロールアンプ(もしくはプリメインアンプ)を組み合わせる、
ということが行われていたと思う。

アナログディスク再生のカートリッジとフォノイコライザーアンプとの相性のように、
再生ヘッドとテープ再生用アンプとの相性があって、
そのことがオーディオ雑誌の記事にもなり、マニアのあいだでの話題にもなったであろう。

けれどテープ再生用アンプは、コントロールアンプ(プリメインアンプ)側から、
テープデッキ側に統合されていった。

いまでは想像しにくいことだが、
ずっと昔は秋葉原のパーツ店でヘッドが売られていた、ときいたことがある。
モトローラのヘッドが評判が良かったそうだ。

もし再生用アンプがずっとコントロールアンプ(プリメインアンプ)側にあったままだとしたら、
そしてテープ用のヘッド単体がパーツ店やオーディオ店で、カートリッジのように売られていたとしたら、
テープ関連のアクセサリーの数も、すこしは増えたのかもしれない。
でも、そうはならなかったのは、テープデッキは解体(細分化)の方向ではなく、統合へと向ったからである。

アナログプレーヤーとテープデッキは、こういうふうに違う道に分かれてしまった。
これはテープデッキが再生だけの器械ではなく、録音・再生機器という性質が大きく関係してのことだが、
同時にテープデッキの世界では、
他のオーディオ機器よりもプロフェッショナル用のモノが比率として多く存在する。
このことも、テープデッキが解体(細分化)に向わなかった大きな理由ではないだろうか。

たとえばアナログプレーヤーでも、プロフェッショナル機器としてEMTが日本では有名な存在である。
EMTのアナログプレーヤーは、930stも927Dstも928も、
ダイレクトドライヴ式になってからの950や948など、すべてイコライザーアンプを搭載しており、
ラインレベル出力となっていることは、改めて言うまでもないだろう。

Date: 3月 29th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その28)

「五味オーディオ教室」の冒頭の文章は、
ステレオサウンド 16号に掲載された文章とほぼ同じである。

ステレオサウンド 16号にはオーディオ巡礼が載っている。
オーディオ巡礼は15号から始まった企画で、
15号には野口晴哉氏、岡鹿之介氏が登場されている。このオーディオ巡礼には「ふるさとの音」となっている。

16号は「オーディオ評論家の音」であり、山中先生、菅野先生、瀬川先生の音を聴かれている。
「五味オーディオ教室」の冒頭の文章は、
菅野先生の音を聴かれて書かれたものである。

その文章については、別項「ハイ・フィデリティ再考」の(その3)でも一部引用している。
そして、「ハイ・フィデリティ再考」の(その3)でも書いているように、
この文章に関しては、きっちり全文を読んだとしても、解釈がむずかしい面をもっている。
だから、ふたたび(今度はさらに長くなるが)引用しておく。
     *
あなたは「音」を聴きたいのか、「音楽」を聴きたいのか
「オーディオすなわち〝音〟であり、〝音〟をよくすることによって、よりよい〝音楽〟がえられる」——この一見自明である理が、はたしてほんとうに自明のことであるのかどうか、まずその疑問から話を始めたい。
 以前、評論家の菅野沖彦氏を訪れ、その装置を聴いたときのことである。そこで鳴っているのはモニターの鋭敏な聴覚がたえず検討しつづける音であって、音楽ではない。音楽の情緒をむしろ拒否した、楽器の明確な響き、バランス、調和といったものだけを微視的に聴き分ける、そういう態度に適合する音であった。むろん、各楽器が明確な音色で、バランスよく、ハーモニーを醸すなら当然、そこに音楽的情緒とよぶべきものはうまれるはず、と人は言うだろう。
 だが理屈はそうでも、聴いている私の耳には、各楽器はそのエッセンスだけを鳴らして、音楽を響かせようとはしていない、そんなふうにきこえる。たとえて言えば、ステージがないのである。演奏会へ行ったとき、われわれはステージに並ぶ各楽器の響かせる音を聴くので、その音は当然、会場のムードの中できこえてくる。いい演奏者ほど、音そのもののほかに独特のムードを聴かせる。それが演奏である。
 ところがモニターは、楽器が鳴れば当然演奏者のキャラクターはその音ににじんでいるという、まことに理論的に正しい立場で音を捉えるばかりだ。——結果、演奏者の肉体、フィーリングともいうべきものは消え、楽器そのものが勝手に音を出すような面妖な印象をぼくらに与えかねない。つまりメロディはきこえてくるのにステージがない。
 電気で音をとらえ、ふたたび電気を音にして鳴らすなら、厳密には肉体の介在する余地はない。ステージが消えて当然である。しかしそういう電気エネルギーを、スピーカーの紙の振動で音にして聴き馴れたわれわれは、音に肉体の復活を錯覚できる。少なくともステージ上の演奏者を虚像としてではなく、実像として想像できる。これがレコードで音楽を聴くという行為だろう。かんたんにいうなら、そして会場の雰囲気を音そのものと同時に再現しやすい装置ほど、それは、いい再生装置ということになる。
 レコード音楽を家庭で聴くとき、音の歪ない再生を追及するあまり、しばしば無機的な音しかきこえないのは、この肉体のフィーリングを忘れるからなので、少なくとも私は、そういうステージを持たぬ音をいいとは思わない。そしておもしろいことに、肉体が消えてゆくほど装置そのものはハイ・ファイ的に、つまりいい装置のように思えてくる。

音を聴き分けられないシロウトでも、音楽の違いはわかる
 この危険な倒錯を、どこでくい止めるかで、音楽愛好家と音キチの区別はつくと私は思ってきた。オーディオの世界に足を踏み入れたものなら一度は持ってみたいと思うスピーカー、ジム・ランシング(JBL)のトーン・クォリティを、以前から、私がしりぞけてきたのはこの理由からである。ジムランが肉体を聴かせてくれたためしはない。むろん、人それぞれに好みがあり、なまじ肉体の臭みのない、純粋な音だけを聴きたいと望む人がいて不思議はない。そしてそういう、純粋に音だけと取組まねばならぬ職業の一人が録音家だ。この意味で菅野さんがジムランを聴くのは当然で、むしろ賢明だと思う。
 しかしあくまでわれわれシロウトは、無機的な音ではなく、音楽を聴くことを望むし、挫折感の慰藉であれ、愛の喪失もしくはその謳歌であれ、憎悪であれ、神への志向であれ、とにかく、人生にかかわるところで音楽を聴く人に、無機的ジムランを私は推称しない。むろんこれは私個人の見解である。
     *
ステレオサウンド 16号に掲載されている文章も、これとほとんど同じである。僅かな違いはあるけれど、
その違いについてふれる必要はない。

実は、菅野先生に、このことについていちど訊いたことがある。

Date: 3月 29th, 2012
Cate: 4343, JBL

4343とB310(その20)

ステレオサウンド 124号の座談会の中から井上先生の発言を抜き書きしてみる。
     *
そもそもスピーカーというものは物理特性が非常に悪いものなんです。ところが上手に鳴らすと巧いこと鳴ってしまう。その意味で、僕は20cmクラスのフルレンジが一番面白いのではないかと思っています。
僕がスピーカーの開発に携わってから30年。レコードを聴きはじめてからは、もう60年。最初好きだったのはローラとかジェンセンの25cmのユニット。英国のフェランティというスピーカーもありましたね。そういったものが家に転がっていたものだから、子供の頃からそれで遊んでいた。もともとシングルコーン派なんですね。
(中略)
要するに、僕はホーンやマルチウェイをイヤというほどやってきたんですね。しかしマルチウェイのクロスオーバーを突き詰めて考えると色々な問題が生じてくる。減衰が18dB/オクターヴでも、24dBでも、12dBでもおかしい。これらの場合は、3ウェイでも2ウェイでも、現実にはユニット同士の位相がすべてバラバラなんです。振幅特性よりも位相特性を考えると、クロスオーバーの減衰は6dBしかないというのが僕の意見。もちろんこれは何を重視するかによって変りますよ。
それでフルレンジをベースとして、ある程度はレンジを広げたい、ということでいま使っているのがボザークのB310。これのネットワークの減衰特性は6dBです。低域は30cmウーファーか4発。中高域は、16cmスコーカーが2発と、二個一組のトゥイーターが4発で、すべてコーン型ユニットで構成され、中域以上はメタルコーンにゴムでダンピングをした振動板を使っている。僕の持論ですが、低音楽器の再生を考えると、本来ならウーファーは30cmなら4発、38cmなら2発必要なんです。そんな理由からボザークを選んで使って30年近くが経ちました。
     *
ステレオサウンド 124号の座談会は出席者が9人と多かったせいもあってか、
それとおそらくは座談会のまとめの段階で誌面のページ数の制約によって、
実際はもっともっといろいろと語られているであろうことが削られているようにも思える。
それは編集上仕方のないことであって、文句を言うことでもない。
だから、井上先生が、フルレンジの良さについて具体的に語られているのは、
124号ではなく、ステレオサウンド別冊の「いまだからフルレンジ 1939-1997」を参照する。

この別冊は、1997年当時の現行フルレンジユニット15機種、
往年の名器と呼ばれるフルレンジユニット12機種の紹介と、
巻頭に「フルレンジの魅力」という井上先生が文章がある。

「いまだからフルレンジ 1939-1997」は井上先生監修の別冊である。

Date: 3月 28th, 2012
Cate: 公開対談/例会

第15回 audio sharing 例会のお知らせ

次回のaudio sharing例会は、4月4日(水曜日)です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 28th, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その26)

より正確なピストニックモーションを追求し、
完璧なピストニックモーションを実現するためには、振動板の剛性は高い方がいい。
それが全面駆動型のスピーカーであっても、
振動板の剛性は(ピストニックモーションということだけにとらわれるのであれば)、高い方がいい。

ソニーがエスプリ・ブランドで、振動板にハニカム構造の平面振動板を採用し、
その駆動方法もウーファーにおいてはボイスコイル、磁気回路を4つ設けての節駆動を行っている。
しかもボイスコイルボビンはハニカム振動板の裏側のアルミスキンではなく、
内部のハニカムを貫通させて表面のアルミスキンをふくめて接着する、という念の入れようである。

当時のソニーの広告には、そのことについて触れている。
特性上ではボイスコイルボビンをハニカム振動板の裏側に接着しても、
ハニカム構造を貫通させての接着であろうとほとんど同じなのに、
音を聴くとそこには大きな違いがあった、ということだ。
つまり特性上では裏側に接着した段階で充分な特性が得られたものの、
音の上では満足の行くものにはならなかったため、さらなる検討を加えた結果がボイスコイルボビンの貫通である。

APM8は1979年当時でペアで200万円していた。
海外製のスピーカーシステムでも、APM8より高額なモノはほとんどなかった。
高価なスピーカーシステムではあったが、その内容をみていくと、高くはない、といえる。

そして、この時代のソニーのスピーカーシステムは、
このAPM8もそうだし、その前に発売されたSS-G9、SS-G7など、どれも堂々としていた。

すぐれたデザインとは思わないけれど、
技術者の自信が表に現れていて、だからこそ堂々とした感じに仕上がっているのだと思う。

これらのソニーのスピーカーシステムに較べると、この10年ほどのソニーのスピーカーシステムはどうだろう……。
音は聴いていないから、そこについては語らないけれど、どこかしら弱々しい印象を見たときに感じてしまう。

このことについて書いていくと、長々と脱線してしまう。
話をピストニックモーションにもどそう。

Date: 3月 28th, 2012
Cate: 4343, JBL

4343とB310(その19)

ステレオサウンド 124号の特集は、オーディオの流儀──自分だけの「道」を探そう、と題されて、
第一部が「独断的オーディオの流儀を語る」で、
朝沼予史宏、井上卓也、上杉佳郎、小林貢、菅野沖彦、長島達夫、傅信幸、三浦孝仁、柳沢功力、
以上9氏による座談会。
第二部は「流儀別システムプラン28選」という組合せの紹介、という二部構成になっている。

座談会のページは、各氏の紹介囲み的に各ページにあり、そこには各人がそれぞれの流儀について書かれている。
井上先生は、こう書かれている。
     *
録音・再生系を基本としたオーディオでは、再生音を楽しむための基本条件として、原音再生は不可能であるということがある。録音サイドの問題にタッチせず、再生側のみのコントロールで、各種のプログラムを材料として再生音を楽しむこと、の2点が必要だ。再生系ではスピーカーシステムが重要だが、電気系とくらべ性能は非常に悪い。しかし、ルーム・アコースティック・設置条件、駆動アンプ等の調整次第でかなり原音的なイリュージョンが聴きとれるのは不思議なことだ。
スピーカーは20cm級全域型が基本と考えており、簡潔で親しみやすい魅力がある。プログラムソースの情報量が増えれば、マルチウェイ化の必要に迫られるが、クロスオーバーの存在は振幅的・位相的に変化をし、予想以上の情報欠落を生じるため、遮断特性は6dB型しかないであろう。
ステレオ再生では、音場再生が大切で、非常に要素が多く、各種各様な流儀が生じるかもしれない。
     *
そして、井上先生はシンボル・スピーカーとして、
パイオニアExclusive 2404とアクースティックラボStella Elegansを挙げられている。

Stella Elegansは、ドイツのマンガーのBWTを中心としたシステム。
NWTは、Bending Wave Transducerの頭文字をとったもので、
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットと同じベンディングウェーヴ型(非ピストニックモーション)で、
口径は20cmで、振動板はジャーマン・フィジックスと同じで柔らかい。
Stella Elegansは、BWTに22cm口径のコーン型ウーファーをダブルで追加している。

井上先生は、座談会のなかでも20cm口径のフルレンジについて語られている。

Date: 3月 27th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その27)

音像の確かさと音像の見事さは、同じように受けとめられる人もおられるかもしれないが、
私はこのふたつのことは同じことをいっているようにみえて、本質的な違いがあると感じている。

岩崎先生にもう確認することはできないから、あくまでも私の想像でしかないけれど、
岩崎先生は音像の見事な音では、対決はすることはやられないのではないだろうか。

もちろん見事な音像に、音像の確かさが含まれているのであれば、なにもいうことはない。
けれど、現時点では音像の確かさと音像の見事さは、必ずしも同じことを語る表現ではない、と感じている。

音像の確かさと音像の見事さを、いまの時点であえて使い分けようと私がしているのは、
このふたつのことの違いこそが、
私がオーディオにのめり込むことになった大きなきっかけである「五味オーディオ教室」の最初に書かれていること、
そして、それがずっと私にとっての、テーマのひとつであり、
そのことをはっきりと捉えることが課題にもなっていた。

「五味オーディオ教室」を熱心に読んだことのある方ならば、そのことがなんなのかはすぐに理解されるはず。

最初に「五味オーディオ教室」を読んだ時、
「音を知り、音を創り、音を聴くための必要最少限の心得四十箇条」として、
その最初の「音を知る」という大きな括りの最初(一箇条)に
「音」と「音楽」の違いをわきまえよ。とつけられて、語られていることが、
音像の見事さと音像の確かさとの違いでもある。

音像の確かさにあって、音像の見事さに存在しないものは、肉体である。
肉体のない音と対決できるだろうか。

Date: 3月 26th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その26)

ステレオサウンド 39号はカートリッジの特集号である。
岩崎先生も試聴メンバーとして参加されている。
岩崎先生の「テストの方法」には、次のことが書かれている。
     *
もうひとつのスピーカーシステムを、このラインナップに加えている。これは、ごく小さなブックシェルフ型の自作のシステムで、アルテックの12cmフルレンジ・405Aをたったひとつ収めたものだ。これは、至近距離1mほどにおいて、ステレオ音像のチェックに用いたものだ。いうなればヘッドフォン的使用方法だ。シングルコーンの405Aも、コアキシャル604−8Gもともに音源としてワンスポットなのでこの点からいえば大差ないはずともいえなくもないのだが、実際は好ましかるべきマルチセラーの高音輻射より405Aの方が音像をずっとはっきり判断できるのは、多分、単一振動板だからだろう。単純なものは必ず純粋に「良い」のをここで知らされる。それにも拘らず604をメインとしたのは、音質判断上もっとも問題とされてしまう音色バランスの判断のためである。
     *
このとき岩崎先生はカートリッジ123機種を、自宅で試聴されている。
だから試聴用スピーカーとして、メインに使われたのは上の文章からもわかるようにアルテックの620Aである。
この他に、405Aを使った自作のブックシェルフ型に、さらにJBLのハーツフィールドでも試聴されている。
10機種ぐらいの数であれば、3組のスピーカーシステムでの試聴もそう大変なことではない。
けれどステレオサウンド 39号では123機種という数である。

405Aとハーツフィールドはサブ的な試聴のためのものだったのかもしれないが、
それでも大変な手間をかけて試聴されている。
ちなみにアルテック620AとJBLハーツフィールドは別々の部屋に置かれているので、
アルテック620Aが置いてある部屋(パラゴンの置かれている部屋でもある)で、
620Aと405Aで試聴した後に、部屋を移動してハーツフィールドで聴かれていることになる。

ここで書きたいのは、そのことではなく、同軸型の604-8Gを搭載した620Aをメインとしながらも、
音像のより確かな判断をするために405Aを使われている、ということである。

この、音像の確かさは、岩崎先生によって、重要な要素であることは、
書かれたものをまとめて読んでいくと誰しもが気づくこと。
パラゴンを買われた理由のひとつにも、音像の確かさが大きく関係している。

そして、この音像の確かさを求められるのは、「対決」するためなのだと私は思う。そうとしか思えない。

Date: 3月 25th, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その25)

アポジーのスピーカーシステムは、外観的にはどれも共通している。
縦長の台形状の、広い面積のアルミリボンのウーファーがあり、
縦長の細いスリットがスコーカー・トゥイーター用のリボンなのだが、
アポジーのスピーカーシステムが鳴っているのを見ていると、
スコーカー・トゥイーター用のリボンがゆらゆらと動いているのが目で確認できる。

目で確認できる程度の揺れは、非常に低い周波数なのであって、
スコーカー・トゥイーターからそういう低い音は本来放射されるものではない。
LCネットワークのローカットフィルターで低域はカットされているわけだから、
このスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れは、入力信号によるもではないことははっきりしている。

リボン型にしてもコンデンサー型にしても、
理論通りに振動箔・膜の全面に対して均一の駆動力が作用していれば、
おそらくは振動箔・膜に使われている素材に起因する固有音はなくなってしまうはずである。
けれど、現実にはそういうことはなく、コンデンサー型にしろリボン型にしろ素材の音を消し去ることはできない。

つまりは、微視的には全面駆動とはなっていない、
完全なピストニックモーションはリボン型でもコンデンサー型でも実現できていない──、
そういえるのではないだろうか。
この疑問は、コンデンサー型スピーカーの原理を、スピーカーの技術書を読んだ時からの疑問だった。
とはいえ、それを確かめることはできなかったのだが、
アポジーのスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れを見ていると、
完全なピストニックモーションではない、と確信できる。

だからリボン型もコンデンサー型もダメだという短絡なことをいうために、こんなことを書いているのではない。
私自身、コンデンサー型のQUADのESLを愛用してきたし、
アポジーのカリパー・シグネチュアは本気で導入を考えたこともある。
ここで書いていくことは、そんなことではない。

スピーカーの設計思想における、剛と柔について、である。

Date: 3月 25th, 2012
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その20)

オーディオの「現場(げんじょう)」は、どこなのか。

映画館をホームシアターの「現場」として捉えるのであれば、
まず思いつくのは、オーディオの場合はオーディオ販売店の試聴室がある。

販売店の店主のポリシーによって、試聴室に並べられているオーディオ機器は、さまざまである。
すでに製造中止になっている、名器と呼ばれるものを中心に取り揃えたところもあれば、
最新のオーディオ機器、それもひじょうに高価なモノばかりをあつめたところもあるし、
このふたつの両極の間に、いくつものポリシーがあって、
それらの試聴室で聴ける音もひとつとして同じところはない。

たいていのオーディオ販売店では、CDなりLPを持参すれば、そのディスクを鳴らしてくれる。

ホームシアターでは映画館でも自宅でも、同じプログラムソース(同じ作品)を鑑賞できる。
その意味では同じプログラムソースを聴くことができるわけだから、
オーディオ販売店の試聴室は、オーディオの「現場」と呼べなくはないところがあるのは否定できない。

こんな書き方をしたくなるのは、オーディオ販売店の試聴室が、
ほんとうにオーディオの「現場」たり得るのか、と思っているからだ。

かりにオーディオ販売店の試聴室がオーディオの「現場」だとしても、
それは「げんば」であって、「げんじょう」ではない──、
こういう気持がどこかにひっかかっている。

Date: 3月 24th, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その24)

平面振動板のスピーカーと一口に言っても、大きく分けると、ふたつの行き方がある。
1980年頃から日本のメーカーが積極的に開発してきたのは振動板の剛性をきわめて高くすることによるもので、
いわば従来のコーン型ユニットの振動板が平面になったともいえるもので、
磁気回路のなかにボイスコイルがあり、ボイスコイルの動きをボイスコイルボビンが振動板に伝えるのは同じである。

もうひとつの平面振動板のスピーカーは、振動板そのものにはそれほどの剛性をもつ素材は使われずに、
その平面振動板を全面駆動とする、リボン型やコンデンサー型などがある。

ピストニックモーションの精確さに関しては、どちらの方法が有利かといえば、
振動板全体に駆動力のかかる後者(リボン型やコンデンサー型)のようにも思えるが、
果して、実際の動作はそういえるものだろうか。

リボン型、コンデンサー型の振動板は、板というよりも箔や膜である。
理論通りに、振動箔、振動膜全面に均一に駆動力がかかっていれば、振動箔・膜に剛性は必要としない。
だがそう理論通りに駆動力が均一である、とは思えない。
たとえ均一に駆動力が作用していたとしても、実際のスピーカーシステムが置かれ鳴らされる部屋は残響がある。

無響室ではスピーカーから出た音は、原則としてスピーカーには戻ってこない。
広い平地でスピーカーを鳴らすのであれば無響室に近い状態になるけれど、
実際の部屋は狭ければ数メートルでスピーカーから出た音が壁に反射してスピーカー側に戻ってくる。
それも1次反射だけではなく2次、3次……何度も壁に反射する音がある。

これらの反射音が、スピーカーの振動板に対してどう影響しているのか。
これは無響室で測定している限りは掴めない現象である。

1980年代にアポジーからオール・リボン型スピーカーシステムが登場した。
ウーファーまでリボン型ということは、ひとつの理想形態だと、当時は考えていた。
それをアポジーが実現してくれた。
インピーダンスの低さ、能率の低さなどによってパワーアンプへの負担は、
従来のスピーカー以上に大きなものになったとはいえ、
こういう挑戦によって生れてくるオーディオ機器には、輝いている魅力がある。

アポジーの登場時にはステレオサウンドにいたころだから、聴く機会はすぐにあった。
そのとき聴いたのはシンティラだった。
そのシンティラが鳴っているのを、見ていてた。

Date: 3月 23rd, 2012
Cate: 言葉

ふたたび「目的地」について

オーディオ(audio)ということばが好きで、
サイトの名前はaudio sharingにした。
サウンド(sound)、ステレオ(stereo)よりも、audioを、
何かの名前を考えるときには使いたい、と思っているから、このブログも当然audioにした。

audio identityだと、検索してみると2008年の時点ですでにいくつかのサイトやブログで使われていた。
だからaudio identityのあとに括弧でくくって、designingをつけ、
audio identity (designing)と、すこし長い名前とした。

audio identityをどう日本語に訳すのかは、人によって多少違ってくるだろうし、
私自身は、audio identityにいくつかの意味をこめて使っている。

そのaudio identityにあえてdesigningをつけた──、designedではなくて。

designingをつけると決めた当初は、そのことについてそれほど深く考えていたわけではなかった。
でも、audio identity (designing)というタイトルのもとに毎日書いていくことで、
はっきりしてきたことがある。

audio identity (designing)は、2008年9月3日に始めた。
翌4日に「目的地」というタイトルで書いている。

そこに書いたことのくり返しになるが、だから(designed)となることは、ないといえる。

Date: 3月 22nd, 2012
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その8)

1989年12月25日に、ベルリンの壁崩壊を記念して、
バーンスタインがベートーヴェンを「第九」を指揮していることは、よく知られている。

このニュースをきいたとき、このとき存命中の指揮者で、
この「第九」にふさわしく思えたのは、やはりバーンスタインだった。
ジュリーニも素晴らしい指揮者で、私にとって大事な指揮者のひとりではあっても、
こういう場の「第九」だと、バーンスタイン以外に、誰か適任がいるだろうか、と思える。

ベルリンの壁がどういう存在であったのかは、文字、映画などで知っているだけである。
いつかは無くなる日が来るはず、とは思っていても、それがいつの日なのかはまったく見当がつかなかったし、
漠然とではあったが、それはずっとずっと遠い日のような気がしていたから、
ベルリンの壁崩壊のニュースを聞いたとき、信じられない、という思いが強かった。

もし日本が東西に壁によって分離されていたら……、そしてその壁がやっと崩壊したとしたら、
そのとき日本では、何が演奏されるだろうか、と考えたりもした。
自国の作曲家の作品でなにかあるだろうか。
やはり、ベートーヴェンの「第九」が演奏されるだろう、としか思えなかった。

ベルリンの壁の存在がどれほどの存在であったのかを実感している人間でないから、
こんなことを言えるのかもしれないが、
ベートーヴェンの「第九」をもつドイツ人は、倖せかもしれない、と。

ベルリンの壁はカラヤンが生きているときに建築され、
カラヤンが生きているあいだは存在していた。壁崩壊の4ヵ月前にカラヤンは亡くなっている。

別項の「プロフェッショナルの姿におもう」を書いているせいだろうが、
カラヤンがもしあと数ヶ月ながく生きていたら、もしかすると壁崩壊を記念しての「第九」を、
カラヤンもまた振ったことだろう。
ウィーン・フィルハーモニーとではなく、やはりベルリン・フィルハーモニーを指揮しての「第九」だったはず。

フルトヴェングラーは壁が建設される前にこの世を去っている。
カラヤンは壁があった時代に、クラシック界の頂点に昇りつめた。

ベルリンの壁はカラヤンの演奏に、なんらかの影響を与えていたのだろうか……。
カラヤンの最晩年の演奏は、壁の崩壊を予感していたのだろうか……。

こんなことは私の勝手な妄想にすぎないけれど、
なにかどこかカラヤンの演奏の変化はベルリンの壁の存在とリンクしているところがあるような気もする。
でも、これは私のこじつけでしかないはず。

それでも、カラヤンがもし生きていたら、
そのときの「第九」は永く語り継がれるものになっていた──、と、
なぜかそう信じられる。

Date: 3月 21st, 2012
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その23)

ステレオサウンド 54号のスピーカー特集の記事の特徴といえるのが、
平面振動板のスピーカーシステムがいくつか登場しており、
ちょうどこのあたりの時期から国内メーカーでは平面振動板がブームといえるようになっていた。

51号に登場する平面振動板のスピーカーシステムはいちばん安いものではペアで64000円のテクニクスのSB3、
その上級機のSB7(120000円)、Lo-DのHS90F(320000円)、ソニー・エスプリのAPM8(2000000円)と、
価格のダイナミックレンジも広く、高級スピーカーだけの技術ではなくてなっている。
これら4機種はウーファーまですべて平面振動板だが、
スコーカー、トゥイーターのみ平面振動板のスピーカーシステムとなると数は倍以上になる。

ステレオサウンド 54号は1980年3月の発行で、
国内メーカーからはこの後、平面振動板のスピーカーシステムの数は増えていった。

私も、このころ、平面振動板のスピーカーこそ理想的なものだと思っていた。
ソニー・エスプリのAPM8の型番(accurate pistonic motion)が表すように、
スピーカーの振動板は前後にピストニックモーションするのみで、
分割振動がまったく起きないのが理想だと考えていたからだ。
それに平面振動板には、従来のコーン型ユニットの形状的な問題である凹み効果も当然のことだが発生しない。

その他にも平面振動板の技術的メリットを、カタログやメーカーの広告などで読んでいくと、
スピーカーの理想を追求することは平面振動板の理想を実現することかもしれない、とも思えてくる。
確かに振動板を前後に正確にピストニックモーションさせるだけならば、平面振動板が有利なのだろう。

けれど、ここにスピーカーの理想について考える際の陥し穴(というほどのものでもないけれど)であって、
振動板がピストニックモーションをすることが即、入力信号に忠実な空気の疎密波をつくりだせるわけではない、
ということに1980年ごろの私は気がついていなかった。

音は空気の振動であって、
振動板のピストニックモーションを直接耳が感知して音として認識しているわけではない。