自己表現と仏像(その9)
二年前の(その8)で、
そして、オーディオマニアは一人ひとり、それぞれの「仏」の姿を再生音であらわしている、
と書いた。
誰も仏をみたことがないのに、仏像が世の中には存在している。
私にとって、終のスピーカーとは、仏像を彫っていくことに近い、
そのためのスピーカーなのかもしれない、とここにきて思うようになってきている。
二年前の(その8)で、
そして、オーディオマニアは一人ひとり、それぞれの「仏」の姿を再生音であらわしている、
と書いた。
誰も仏をみたことがないのに、仏像が世の中には存在している。
私にとって、終のスピーカーとは、仏像を彫っていくことに近い、
そのためのスピーカーなのかもしれない、とここにきて思うようになってきている。
私がステレオサウンド働きはじめた1982年1月、
そのころのリファレンススピーカーは、まだ、というか、
ぎりぎりとでもいおうか、JBLの4343だった。
ちょうど4344が出た頃でもあった。
だからといって、すぐにリファレンススピーカーが4343から4344に切り替ったわけでもなかった。
なので、ステレオサウンドの試聴室でも、4343を聴いた時間はたっぷりあった。
4343の後継機といわれる4344は、当然だけど、もっと長い時間、
さまざまなアンプやCDプレーヤー、アナログプレーヤー(カートリッジ)などで聴いている。
まぁ、でも4344は、別項で書いているように、
4343の改良モデル(後継機)というよりも、
18インチ・ウーファーの4345の15インチ版といえる。
私は4343の後継機は、JBLのラインナップにはない、と思っているし、
それでも一つ挙げるとしたら、4348なのだが、これは音的にはそうであっても、
デザイン的にはそうとはいえない(それでも4344よりはいいと思っている)。
そんなことがあったから、4343を終のスピーカーとして意識したことがなかったのか、
というと、そういうことではない。
何度も書いているように、コンディションのよい4343があったら欲しい。
そういう4343を、もし手に入れることができたら、手離すことなく、ずっと鳴らしていくことだろう。
ならば、4343も終のスピーカーとなるのではないか。
そうなのだが、自分でもうまく説明できないのだが、
それでも4343を、終のスピーカーとはいえない私がいる。
ステレオサウンドしか読んでいない人にとっては、
ジャーマン・フィジックス、Troubadour 40(80)といえば、
菅野先生ということになるだろうが、
ラジオ技術では、高橋和正氏もかなり積極的に取り組まれていた。
2005年の測定記事もその一つで、
Troubadour 40で必要となるウーファーに関しても、いくつかを製作されていた。
MFBをかけたウーファーもあったと記憶している。
時間があれば大きな図書館に行き、このころのラジオ技術を読み返したい。
少し話はそれるが、ラジオ技術に以前、Troubadour 40の測定データが載ったことがある。
ビクターの無響室での測定だった、と記憶している。
高橋和正氏の記事だったはずだ。
いつの号だったのか、そこまで正確には記憶していないが、
2005年発売のラジオ技術のはずである。
Troubadour 40のネットワークを通した状態とパスした状態、
それぞれの周波数特性、インピーダンス特性、群遅延特性が測定されていた(はずだ)。
手元に、そのラジオ技術がないので、記憶に頼っての記述になるが、
ネットワークを介さなかった場合のTroubadour 40の群遅延特性は見事というしかない。
インピーダンス特性は、150Hzあたりに大きなピークがあり、
6kHzあたりに小さなピークがある。
この6kHzでのピークはチタン振動板の定在波によるもの。
付属のネットワークは、このあたりの周波数特性のピークを補整している。
そのためインピーダンス特性は、ネットワークを介さない時とくらべると、
全体的にうねった感じになっている。
記憶違いが少しあるかもしれないが、そう大きくは違っていないはずだ。
昨晩の(その7)に、facebookでコメントがあった。
そこには、近年のスロバキア、ロシア、中国製のKT88は、
寿命も短く、すぐにパチパチといったノイズが出たり、振動、衝撃にも弱い、とあった。
やっぱりそうなんだ、が、コメントを読んでの私の感想だ。
おそらくこのことは電圧増幅管のほうが、より深刻なのかもしれない。
大量に電圧増幅管を集めて、測定してローノイズ管を選別したとする。
けれど、そのローノイズがどれだけの期間、維持できるのか。
意外と短いのではないだろうか。
いまでこそマッキントッシュは真空管アンプを積極的に製品化している。
けれどゴードン・ガウが健在だった時代は、
マッキントッシュは真空管アンプを復活させなかった。
日本から、そのリクエストはあった、ときいている。
けれど、ゴードン・ガウは真空管の品質の問題を理由に、
頑として首を縦にふることはなかった、そうだ。
ゴードン・ガウは真空管の全盛時代を知っている。
その時代にアンプ開発を行ってきているからこそ、
もうすでにそのころの真空管の品質には満足できなかっただけでなく、
信用もしていなかったのではないだろうか。
最初は、いい音、いい性能が得られても、それを持続できなければ、
マッキントッシュのアンプとして製品化はできない。
そういう確固たるポリシーが、ゴードン・ガウにあった、と思っている。
「ミセス・パリス、パリへ行く」という映画を日比谷で観ていた。
20時25分に映画を観終った。
東京駅で電車に乗ったら、人身事故の発生でずっと東京駅に停車したまま。
そのため、帰宅が大幅に遅くなって、いまごろ書いている次第。
「ミセス・パリス、パリへ行く」という映画の舞台は、1950年代。
戦争で夫を亡くした主人公が、働き先でクリスチャン・ディオールのドレスと出逢う。
彼女はお金を何とか工面して、ロンドンからパリのクリスチャン・ディオールに行く。
そこでいろいなことが起るわけだが、
家政婦の彼女にとって、クリスチャン・ディオールのオートクチュールは、
分不相応なドレスである。
買ったところで、どこに着て行くのか──。
物語は進んでいく。
いい映画だった。
こういう映画を、いまの時代に観られてよかった、とも思う。
同時に、別項『モノと「モノ」(世代の違い・その6)』で書いたこともおもう。
モノを買う、という体験は、実は能動的な体験なはずだ。
趣味に関係するモノ、感性と絡んでくるモノは、絶対的にそうである、と書いた。
ほんとうにそうなのだ。
300Bという出力管がある。
本家のウェスターン・エレクトリックから復刻されているだけでなく、
各国各社からのさまざまな300Bがある。
これらの300Bの試聴記事を、管球王国ではたびたび行っている。
試聴結果に対しては、とやかくいわないが、
これは現行の300Bに関しては、新品の球での試聴なのだろう。
それで、けっこういい音がする300Bがあったりする。
値段も、本家のウェスターン・エレクトリック製よりも安価である。
そういう300Bを購入する。
たしかに、試聴記事にあったような音がする。
いい買物をした、ということになる。
けれど、ここで私が懐疑的になるのは、その音がどれだけの期間維持できるのかだ。
フィラメントが切れるまで、ほとんど新品のときと変らぬ音を出してくれるのか、
それとも割と早い時期から音に変化があらわれてくるのか。
そのへんのことは管球王国の試聴記事からは読みとることは無理である。
音についての記事も読みたいのだけれど、
経年変化にともなう音の変化についても知りたい。
そう思っているのは私だけだろうか。
(その6)で書いている「寿命」とは、このことである。
真空管そのものの寿命ではなく、その真空管の音の寿命である。
このことは出力管よりも、電圧増幅管のほうがシビアなような気がしている。
真空管アンプにとって、真空管はこういっていいならば消耗品である。
ヒーターが切れてしまえば、交換するしかない。
真空管全盛時代ならば、切れたら新品を買ってきて交換。
五味先生のように、MC275用のKT88を何本も買ってきて選別する人もいた。
*
もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管──KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために──スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
だが違う。
倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差異を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
以来、そのとき替えた茄子はそのままで鳴っているが、真空管の寿命がおよそどれぐらいか、正確には知らないし、現在使用中のテープデッキやカートリッジが変わればまた、納屋でホコリをかぶっている真空管が必要になるかもしれない。これはわからない。だが、いずれにせよ真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わぬだろう。
*
「五味オーディオ教室」に、そう書いてあった。
MC275はプッシュプルアンプだから、特性の揃っているKT88を四本選ぶわけだが、
ここでの特性の揃っている、は、単に測定器での数値が揃っている、という意味ではないはずだ。
《より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために──スペアの茄子を十六本》、
五味先生の時代、十六本の中から四本を選ぶことができたといえるのだが、
いまの時代はどうなのだろうか。
十六本よりももっと少ない数のなかから満足できる四本を選べるのか、
それとももっと多くの本数でなければ満足できる四本が選べないのか。
そしてもうひとつ思うのは、そうやって選んだ四本の寿命である。
ここでの「寿命」はヒーターが切れるまでの寿命のことではない。
「終のスピーカーがやって来る」を書き始めた頃、
これを読まれた方のなかには、終のスピーカーは何なのだろうか、
と予想された人も何人かいる。
JBLの4343ではないだろうか、と予想された人もいる。
4343については、これまでもかなりの数書いてきている。
4343は1976年に登場している。
4343の登場と同じくして、私はオーディオの世界に興味をもった。
私にとっての初めてのステレオサウンドは、41号。
4343が表紙の号だ。
当時、熊本の片田舎に住んでいた私でも、4343を聴く機会には比較的恵まれていた。
それだけ4343は売れていた。
当時としてはかなり高価なスピーカーシステムなのに、
それが聴ける、ということは、すごいことだ。
当時、熱心に読んでいたステレオサウンドにも、ほぼ毎号4343は登場していた、といえる。
4343が完璧なスピーカーではないことはわかっていても、それでも輝いて見えたし、
4343はスターであった、といまでもおもう。
4343が製造中止になってけっこうな時が経っても、4343を聴く機会はけっこうあった。
私と同じ1963年生れの友人のAさんとは、2006年に、二人の年齢を合せると4343だ、
そんなことをいっていたくらいである。
いまでも4343のコンディションのいいモノがあれば、欲しい。
置き場所がないけれど、それでも欲しい、とおもっている。
それでも、4343は私にとって終のスピーカーとなるだろうか(なっただろうか)、
そんなことをおもう。
(その3)で、
2018年のインターナショナルオーディオショウで見たアナログプレーヤーのことを書いている。
聴いた、としないのは、聴く以前の製品であったからだ。
(その3)でも触れているが、このアナログプレーヤーで再生すると、
ウーファーが見たことのないくらい前後にフラフラする。
CD全盛時代になってからは、こういうことは基本的になくなったが、
アナログディスク全盛時代では、ウーファーのフラつきはあった。
アナログプレーヤーの低域共振によって発生する現象なのだが、
それにしても2018年に見たウーファーのフラつきぶりはひどかった。
このフラつきの発生原因であるアナログプレーヤーの製品名は書かなかった。
オーディオ雑誌でも、新製品紹介記事に登場してからは、
私の知る限りではほとんど登場していない。
今年のインターナショナルオーディオショウでは展示されていなかった。
なので、もう輸入されていないものだと思ってしまったところに、
この製品の値上げの情報が発表になった。
まだ輸入されていたのか? まずそう思った。
型番はそのままなのだから、大きな改良は施されていないと思われる。
とすれば、ウーファーのフラつきは、あのままのはずだ。
世の中には、ウーファーのひどいフラつきを見て、
低音がすごく出ている、と勘違いする人もいるようだ。
そういう人にとっては、このアナログプレーヤーは低音がよく出るということになるのか。
このアナログプレーヤー、MAG-LEV AudioのML1、
いまもウーファーはフラつくのだろうか。
いまも変らずだとしたら、輸入元の人たちは、そのことをどう思っているのか。
なんとも思っていないのだとしたら、製品以上に、そのことのほうが問題である。
日本製の非常に高価なリボン型トゥイーターといえば、
オーディオマニアの方ならば、あそこね、とすぐに思い浮ぶだろう。
なのに、あえて、このブランド名を書かないのは、
あることを、あるオーディオ評論家から聞いたからである。
それがどんなことかもぼかすしかないが、
この時代、いまだそんなことをやるオーディオメーカーがあるのか、
しかもこんな高価なモデルを出しているところが──と、
呆れもしたし、怒りもおぼえた。
ここのリボン型トゥイーターは聴いている。
その実力の高さは感じている。
だから、そんな姑息なことをしなければいいのに──、と思ったりするのだが、
そういうことをやってしまうところに、このリボン型トゥイーターに携わっている人たちの、
性根の腐ったようなところ、さもしさを感じてしまい、
それ以上、関心をもつことはなくなった。
ピラミッドのT1を超えるリボン型トゥイーターは、もう世に出ないのか。
そんなところに登場したのが、エラックの4PIだった。
単に優れたリボン型トゥイーターというだけでなく、
水平方向に無指向性のリボン型トゥイーターである。
少なくとも、私の知る限りエラックのリボン型と同じ構造のモノはなかったはずだ。
エラックのリボン型トゥイーターは、菅野先生のリスニングルーム以外でも聴いている。
決して安いトゥイーターではないけれど、非常に高価なわけでもない。
いい製品だと、素直に褒めたくなる。
タンノイのコーネッタのレンジに特に不満はないけれど、
それでもワイドレンジを目指したい、という気持がつねにある私にとって、
コーネッタの高域をあと少しのばすのであれば、エラックだな、と思っていた。
コーネッタの上に、ということだけでなく、
まだ鳴らさずにいるアルテックの604-8Gに関してもそうだ。
6041のような604-8Gを中心とした4ウェイを構築するのであれば、
トゥイーターはやはりエラックである。
エラックのリボン型トゥイーターは、
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを手に入れるかどうかには関係なく、
手に入れたい、と考えていた。
五年前、別項「続・再生音とは……(英訳を考える)」で、
再生音の英訳として、artificial wavesがあってもいいのではないか、と書いた。
終のスピーカー(Troubadour 40と4PI PLUS.2)がやって来て、
またartificial wavesについて考え始めている。
ジャーマン・フィジックスのDDD型スピーカーが、
なぜ私にとっての終のスピーカーなのかは、ここでのテーマとも深く関わっている。
ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40とともに、
エラックのリボン型トゥイーター 4PI PLUS.2もやって来た。
リボン型トゥイーターといえば、私のくらいの世代では、
まずパイオニアのPT-R7が浮ぶ。まっさきに浮ぶ。
リボン型トゥイーターの音の一般的な印象は、
このPT-R7によってつくられた、といってもけっして大袈裟ではない。
繊細、柔らかい、しなやかといった印象は、まさしくPT-R7の音そのもの。
けれど一方で、どこかはかない音、実体感の薄さ、実像ではなく虚像。
そういう音の印象も、また残している。
そこに登場したのが、アメリカ生れのリボン型トゥイーターのピラミッド T1だった。
当時、PT-R7が83,600円(ペア)だったのに対し、T1は399,000円(ペア)だった。
T1の高能率版T1Hは435,000円(ペア)だった。
T1の登場は衝撃だった。
リボン型の印象ががらりと変った。
とはいえ、T1を聴く機会はなかった。
だからこそ、T1に関する記事は何度も読み返しては、その音を想像していた。
いつかはT1、と夢見ていた。
ピラミッドの製品は、それほど長くは輸入されなかった。
T1もいつごろ製造中止になったのかは、正確には知らない。
PT-R7は上級機PT-R9が登場したものの、T1に迫った、という印象はなかった。
価格が大きく違うのだからないものねだりをしていることは承知しているが、
パイオニア自身、
PT-R7でつくりだしたリボン型の音の印象から脱することができなかったのではないのか。
そんな音の印象を払拭した製品が、日本から登場した。
非常に高価なリボン型トゥイーターで話題になった製品だ。
T1並の物量を投じて、T1よりもずっと精度の高さを誇る。
そういうリボン型トゥイーターなのだが、T1に感じていたワクワク感は、
この製品には感じなかったのは、どうしてなのだろうか。
(その20)に、
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、
菅野先生にとっての21世紀の375+537-500にあたり、
瀬川先生にとっての21世紀のAXIOM 80といえる。そう確信している、
と書いた。
これは絶対の確信なのだが、同時に考えていることがひとつある。
岩崎先生にとっては、どうなのだろうか、だ。
岩崎先生もAXIOM 80を鳴らされていた一人だ。
岩崎先生は、AXIOM 80からJBLのD130へ、の人だ。
岩崎先生にとっての21世紀のD130といえるのか。
DDD型ユニットはスタックしていける。
Troubadour 40を上下にスタックしたかっこうのTroubadour 80があった。
Troubadour 80ならば、
岩崎先生にとっての21世紀のD130といえるのか──、
そんなことを考えている。