Archive for category 瀬川冬樹

Date: 9月 27th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

あえて無題

 ラックスのオーディオ・サルーンという催しが、一部の愛好家のあいだで知られている。毎土曜日の午後と、それに毎月一回夜間に開催されるこのサルーンのメーカー色が全然無く、ラックスの悪口を平気で言え、またその悪口を平気で聞き入れてもらえる気安さがあるのでわたくしも楽しくつきあっているが、ここ二年あまり、ほとんど毎月一回ずつ担当している集まりで、いままで、自分のほんとうに気に入った音を鳴らした記憶が無い。催しのほとんどはアルテックのA5で鳴らすのだが、そしてわたくしの担当のときはスピーカーのバランスをいじり配置を変えトーンコントロールを大幅に調整して、係のT氏に言わせればふだんのA5とは似ても似つかない音に変えてしまうのだそうだが、そこまで調整してみても所詮アルテックはアルテック、わたしの出したい音とは別の音でしか、鳴ってくれない。しかもここで鳴らすことのできる音は、ほかの多くの、おもに地方で開催されるオーディオの集いで聴いて頂くことのできる音よりは、それでもまだ別格といいたいくらい良い方、なのである。しかし本質的に自分の鳴らしたい音とは違う音を、せっかく集まってくださる愛好家に聴いて頂くというのは、なんともつらく、もどかしく、歯がゆいものなのだ。
 で、ついに意を決して、9月のある夜の集いに、自宅のJBL375と、パワーアンプ二台(SE400S、460)と、特注マルチアンプ用チャンネル・フィルターを持ち出して、オールJBLによるマルチ・ドライブを試みることにした。ちょうどその日、ラックスの試聴室に、知友I氏のJBL520と460、それにオリムパスがあったためでもある。つまりオリムパスのウーファーだけ流用して、その上に375(537-500ホーン)と075を乗せ、JBLの三台のパワーアンプで3チャンネルのマルチ・アンプを構成しようという意図だ。自宅でもこれに似た試みはほぼ一年前からやっているものの、トゥイーターだけはほかのアンプだから、オールJBLというのはこれが最初で、また、ふだんの自宅でのクロスオーバーやレベルセットに対して、広いリスニングルームではどう対処したらよいか、それを実験したいし、音はどういうふうに変るのか、それを知りたいという興味もあった。
(中略)
 そこで白状すれば、わが家の375(537-500ホーン)は、ほぼ一年あまり前から、マルチ・アンプ・ドライブでのヒアリングの結果からクロスオーバーを700Hzに上げて、いちおう満足していた。500Hzではどうしてもホーン臭さを除ききれず、しかし700Hzより上げたのではウーファーの方が追従しきれないという、まあ妥協の結果ではあったが。
 ところでラックスのサルーンでの話に戻る。ふだん鳴らしている8畳にくらべると、広い試聴室だけにパワーも大きく入る。すると375が700Hz(12dBオクターブ)ではまだ苦しいことがわかり、クロスオーバーを1kHzまで上げた。しかしこうすると、ウーファー(LE15A)の中音域がどうしても物足りない。といってクロスオーバーを下げてホーン臭い音を少しでも感じるよりはまあましだ。075とのクロスオーバーは8kHz。これでどうやら、ホーン臭さの無い、耳を圧迫しない、やわらかくさわやかで繊細な、しかし底力のある迫力で鳴らすことに、一応は成功したと思う。まあ70点ぐらいは行ったつもりである。
 むろんこれは自宅で鳴っている音ともまた違う。けれど、わたくしがJBLの鳴らし方と指定とした音には近い鳴り方だし、言うまでもなくこれまでアルテックA5をなだめすかして鳴らした音とはバランスのとりかたから全然ちがう。ここ2年あまりのこの集まりの中で、いちばん楽しい夜だった。
 と、ここからやっと、ほんとうに言いたいことに話題を移すことができそうだ。
 このサルーンは人数も制限していて、ほとんどが常連。まあ気ごころしれた仲間うちのような人たちばかりが集まってきて、「例のあれ」で話が通じるような雰囲気ができ上っている。そうした人たちと二年顔を合わせていれば、わたくしの好みの音も、意図している音も、話の上で理解して頂いているつもりで、少なくともそう信じていた。ところが当夜JBLを鳴らした後で、常連のひとりの愛好家に、なるほどこの音を聴いてはじめてあなたの言いたいこと、出したい音がほんとうにわかった、と言われて、そこで改めて、その音を鳴らさないかぎり、いくら言葉を費やしても、結局話は通じないのだという事実に内心愕然としたのである。説明するときの言葉の足りなさ、口下手はこの際言ってもはじまらない。たとえばトゥイーター・レベルの3dBの変化、それにともなうトーン・コントロールの微調整、そして音量の設定、それらを、そのときのレコード、その場の雰囲気に合わせて微細に調整してゆくプロセスは、結局、その場で自分がコントロールし、その結果を聴いて頂けないかぎり、絶対に理解されない性質のものなのではないかという疑問が、それからあと、ずっと尾を引いて、しかもその後全国の各地で、その場で用意された装置で持参したレコードを鳴らしてみたときの、自分の解説と実際にその場で鳴る音との違和感との差は、ますます大きく感じられるのである。自分の部屋のいつも坐る場所でさえ、まだ理想の半分の音も出ていないのに、公開の場で鳴る音では、毎日自宅で聴くその音に似た音さえ出せないといういら立たしさ、いったいどうしたらいいのだろうか。音は結局聴かなくてはわからないし、しかしまた、どんな音でも聴かないよりはましなどとはとうてい思えない。むしろ鳴らない方がましだと思う音の方が多すぎる。
     *
瀬川先生が、ステレオサウンド 25号に書かれた「良い音とは、良いスピーカーとは?」からの引用だ。
今回、タイトルをあえてつけなかったのは、
この瀬川先生の文章は、「音を表現するということ(間違っている音)」に関係してくるだけでなく、
「ショウ雑感」にも私のなかではむすびついていく。
それにaudio wednesdayで、音を鳴らすようになったから、私自身にも関係してくるからだ。

Date: 9月 26th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

文行一致(その3)

(その1)と(その2)でいいたいことは書いた。
これ以上書くのは蛇足だと、私は思っている。

けれど、(その1)と(その2)だけでは、
説明不足なのかはわかっている。

わかっているけれど、
あれだけでわかってくれる人もいるはずだ、と思っている。

それでも(その3)、(その4)と書いていかなければならないのが、
現在(いま)の世の中なのも、わかっているつもりだ。

Date: 9月 25th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

375+537-500

375+537-500、
こんなふうに書いておくと、
若い人は、何のことだろう……、と首をかしげるかもしれない。

小学生の算数の問題ではない。
JBLのコンプレッションドライバーとホーンの組合せの型番である。

537-500は、のちのHL88である。
日本では蜂の巣とも呼ばれているホーンである。

HL88、蜂の巣ホーンといったほうがとおりがいいのは分っている。
それでも、この数式のような型番(375+537-500)が、
このドライバーとホーンの組合せにしっくりくると感じるのは、憧れからだろうか。

私がオーディオに興味をもちはじめたころには、
537-500という型番は消えていた。HL88である。
Hはホーン(horn)、Lはレンズ(lens)をあらわしている。

無線と実験の1966年12月臨時増刊に、瀬川先生が書かれている。
     *
 中心をなすものはJ.B.Lansingの375ドライバー・ユニットに537-500ホーンに組み合わせたスコーカーで、中音に関しては目下のところ非常に満足している。375ユニットは、ボイスコイル径が4インチ(約10cm)、磁束密度20000ガウス以上という、漬物石の如き超大型のユニットで、ホーンをつけると一人では持ち上げるのに骨がおれる。
 JBLのスピーカーについては、鋭いとか、パンチがきいたとか、鮮明とか、およそ柔らかさ繊細さとは縁の無いような形容詞が定評で、そのJBLの最大級のユニットを、6畳の和室に持ちこんだ例を他に知らないから、友人たちの意見を聞いたりもしてずいぶんためらったのだが、これより少し先に購入したLE175DLHの良さを信じて思い切って大枚を投じてみた。サンスイにオーダーしてからも暑いさ中を家に運んで鳴らすまでのいきさつはここではふれないが、ともかく小生にとって最大の買い物であり、失敗したら元も子もありはしない。音が出るまでの気持といったらなかった。
 荒い音になりはしないか、どぎつく、鋭い音だったらどうしようなどという心配も杞憂に過ぎて、豊麗で繊細で、しかも強靭な底力を感じさせて、音の形がえもいわれず見事である。弦がどうの声がどうのというような点はもはや全く問題でないが、一例をあげるなら、ピアノの激しい打鍵音でいくら音量を上げても、くっきりと何の雑音もともなわずに再現する。内外を通じて、いままでにこれほど満足したスピーカーは他に無い。……まあ惚れた人間のほうことだから話半分に聞いて頂きたいが、今日まで当家でお聴き頂いた友人知人諸氏がみな、JBLがこんなに柔らかで繊細に鳴るのをはじめて聴いたと、口を揃えて言われるところをみると、あながち小生のひとりよがりでもなさそうに思う。
     *
1966年8月に、瀬川先生の六畳間のリスニングルームに、
375+537-500はおさまっている。

山水電気扱いで、日本で最初に375+537-500を購入されたのは、瀬川先生である。
六畳間に、このホーンとドライバーを置くと、2441+2397とは違う存在感がある。
実際に、いま目の前に375+537-500がある

私のモノではなく、預かりものなのだが、
ハークネスの上に置いて眺めている。

375+537-500の下には、175DLHがある。
375+537-500の横には、馬蹄型の金具がついた075がある(これも預かりもの)。
それからスロートアダプターの2329ものっけている。
LE85のダイアフラムが木箱に入っているのもある。
Ampex-Lansingの800Hzのネットワークも、
エレクトロボイスの1828Cも置いている。

ハークネスの手前には、2441+2397がある。

瀬川先生が1966年ごろ、毎日眺められていた光景に近くなってきた。

Date: 9月 25th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

文行一致(その2)

ステレオサウンドは62号、63号で、
「音を描く詩人の死」を掲載している。

そのなかで、ずっとひっかかっていたことがある。
     *
 その先輩の一人、金井稔氏が追悼文のなかでいみじくも書かれたように
〝彼は自分の感性に当惑していたのであろう。〟
     *
金井稔氏による追悼文とは、おそらくラジオ技術に掲載されたものだろう。

《彼は自分の感性に当惑していたのであろう》
どこか大きな図書館に行けば、その追悼文全文が読めるのだが、
なぜかしていない。

前後にどういうことが書かれていたのか、はっきりしない。
はっきりしないから、よけいに《彼は自分の感性に当惑していたのであろう》が、
私の心に残り続けている。

ほんとうに瀬川先生は《自分の感性に当惑していた》のだろうか。
金井稔氏と瀬川先生のつきあいは長い。
瀬川先生が高校生だったころからのつきあいである。

だから、そうなのだろう……、と思いつつも、
一方で常にそうなのだろうか……、とも思っていた。

そこに、貝山知弘氏の「文行一致」があった。
貝山知弘氏の書かれたものを、あらためて読んで、
文行一致と《彼は自分の感性に当惑していたのであろう》が結びついた。

そうだったのか、とおもう。
いまになって、やっとそうおもう。

Date: 9月 24th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

文行一致(その1)

サプリーム 144号を、また読んでいる。
何回目だろうか。

最初に読んだのは、ステレオサウンドにいるときだった。
1982年春のことだ。

35年という月日は短くはない。
当時の読み方の浅かったことを、いま感じている。

文行一致、
貝山知弘氏が、そう表現されている。
     *
 氏は、「ステレオサウンド」26号〝いわば偏執狂的なステレオ・コンポーネント論〟のなかで、次のように書いている。
〝ものを創るでも選ぶでも、味わうでもいい。文学でも美術でも、何でもいい。人間の生み育てた文化どれひとつとりあげてみても、ひとつの物事をつきつめて考えたり味わったり選び分けたり創造したりしていくプロセスに真剣であれば、必ず、ある種の狂気に似た感情を経験するので、またそういうところを通り抜けた人にだけ、物は、ほんとうの姿を見せてくれる。長い年月の積重ねと暗中模索と失敗のくりかえしが、それを教えてくれる。本ものを創り、選び、使いこなすのは、そういう体験を経た人に限られると言っても言いすぎではないだろう。しかしそれはいかに努力の要ることか……〟
 これは、オーディオの名器と呼ばれ、趣味、洗練の極みとして生まれた製品についての記述てのだが、注目に価するのは、この一文のなかで、氏は、同時に、自己を語っていることだ。こうした氏の〈物〉に対する根本的な思想──優れた器は人間の精神の所産であるといする思想は、氏が技術誌に投稿していた頃と、全く変わってはいない。
 昭和36年4、5月に、「ラジオ技術」に連載した一文のなかで、氏は、同じテーマを語っている。しかし、その表現は、きわめて簡潔だ。
〝再生装置には、その製作者の思想があらわれてくるものである〟
 このアフォリズムは、その簡潔さ、その明快さ故に力があるが、まだ、氏の人生の影は投影されてはいない。前述の引用文からは、自らを語り、自らの人生を表現と一致させようという強い指向を感じとることができる。
 言行一致という言葉がある。この言葉を借りるなら、氏の指向した世界は、文行一致であると、ぼくは思う。自ら表現した美意識の世界に、自らを一致させようとする指向。それは、文字どおり、狭き道であり、克己心の要る作業である。美意識を生むのもひとつの欲望であるとするならば、それは同時に、自らの現実の欲望をいっぽうで絶たねばならぬという皮相な結果も招きやすい。氏の現実の欲望がなんであったか、うかがい知ることはなかったが、ぼくの仮定が正しいとするなら、美意識の界化と現実のギャップとの間にある氏の相克は、想像を絶するものがあったに相違ない。
     *
貝山氏は、この追悼文を書くにあたって、髭を剃った、と書かれている。
無意識のうちに、である。

畏敬の念がそうさせた、とも。

Date: 9月 20th, 2017
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その9)

空洞ができてしまった。
しかも埋まっていない。

いまだ空洞のままであっても、
空洞があることを意識している人もいる、
空洞があることを、すでに感じなくなっている人もいる。

そういうものかとおもい、
コワイナ、ともおもう。

Date: 9月 18th, 2017
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その8)

ぽっかりと大きな空洞ができた。
1977年3月(岩崎千明)、
1980年4月(五味康祐)、
1981年11月(瀬川冬樹)、
空洞は大きくなるばかりだった。

1981年、18だった私は、その空洞がいつの日か埋まるのか……、とおもった。
その日から40年ちかく経った。
いまでは空洞は空洞のまま残っていていい、とおもうようになっている。

いつからそうおもうようになったのかは、おぼえていない。
その空洞を、どうでもいいことでいっぱいにしたところで、何になるのか、とおもう。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その7)

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代を、
少しでも知っている・体験している者と、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代しか知らない者との違いは、空洞である。

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代からオーディオをやってきている者は、
心のなかに埋めようのない空洞ができてしまったことを感じた。

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代からオーディオをやってきた者すべてが、
そうであるとはいわない。

古くからのオーディオマニアであっても、
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代の方がいまや長いのだから、
あの時空洞ができたことう感じても、いまではそうでないのかもしれない。

それだけの月日が経っている。

空洞をいまだ感じている者もいればそうでない者もいる。
ほんとうにそれだけの月日が経っているのだ。

空洞はできたのだろうか、
それともうまれたのだろうか、ともおもう。

Date: 9月 5th, 2017
Cate: 世代, 瀬川冬樹

とんかつと昭和とオーディオ(瀬川冬樹氏のこと)

とんかつのことを書いている。
そういえば、おもい出す。
そういえば瀬川先生も、とんかつ、お好きだったのか、と。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。
     *
実際にとんかつ屋の看板があったのだろう。
そこに電話番号も書いてあったのだろう。
だから、ただ単に双眼鏡で見えたこと、思ったこと、考えたことを書かれただけかもしれない。

それでも、ここにもとんかつがでてきた、とおもい出す。
《出前をしてくれるのだろうか、と考える》くらいなのだから、
嫌いではなかったはずだ。

Date: 9月 4th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(MUSIC DIARY 1981)

ついさきほど、ある人の住所を教えてほしい、という連絡があった。
教えてほしい、と連絡してこられた方も、私も、
その方の家は知っているし、何度も行っている。

けれど正確な住所を知っているわけではなかった。
私も何丁目までは憶えていても、番地、号となると、
iPhoneの住所録にも登録していなかった。

そうだ、あれがあった、と思い出した。
音楽之友社のMUSIC DIARYである。

いまも出しているのかは知らない。
MUSIC DIARYは、
作曲家、演奏家、評論家、研究家の人たちの住所と電話番号が載っているポケットサイズの本だ。

オーディオ評論家の方の住所も載っている。
私の手元にあるMUSIC DIARY 1981は、瀬川先生の遺品だ。

住所のいくつかに印がつけられている。
この人につけてあるのか、と思ってみていた。

MUSIC DIARY 1981の前半分は、予定表になっている。
なにひとつ書きこまれてなかった。

真っ白の予定表をみていて、あれこれ思い出してしまった。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 瀬川冬樹

たおやか(あらためてそうおもう)

2008年9月から、このブログを書き始めた。
書き始めのころ「たおやか」というタイトルで書いている。

そこから約九年、
七千本ちょっと書いてきて、やはり「たおやか」だとおもっている。
私がイメージする瀬川先生の音を、簡潔な言葉でいいあらわすとなると、
いまも「たおやか」である。

Date: 7月 16th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その15)

我にかえる、という。
瀬川先生にとって、AXIOM 80をもう一度は、我にかえる行為だったのか。

この場合の「我にかえる」は、
不明瞭だった意識がはっきりした状態になることではなく、
一時的な自失状態から回復することであるのは、いうまでもない。

オーディオマニアの場合、一時的な自失状態の「一時的」とは、
意外にも長いこともある。

大型のマルチウェイスピーカーを、マルチアンプでドライヴしてきた人が、
あるとき、フルレンジの音を聴いて、我にかえる、ということがある。

やはり大がかりなシステムで聴いていた人が、
B&Oのシステム、ピーター・ウォーカーが健在だったころのQUADのシステム、
そういったシステムに触れて、我にかえることだってある。

ある種極端な情熱をオーディオに注いできた人たちに、
ふっと我にかえる瞬間をもたらすオーディオ(音)がある。

我にかえる、は、我に返る、と書く。
かえるは、返るの他に、帰る、還るがあり、孵るも「我にかえる」である。

Date: 7月 10th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その14)

瀬川先生は、もう一度AXIOM 80を鳴らされそうとされていた、ときいている。
45のシングルアンプを、もう一度組み立てられるつもりだったのか。
そんな気はする。

コントロールアンプはどうされるつもりだったのか。
これが気になっている。
音質だけでなく、機能、デザインにおいても満足するコントロールアンプを自作するとなると、
瀬川先生の場合だけにかぎらず、そうとうに時間も手間もかかることになる。

おそらくパワーアンプだけは自作で、
コントロールアンプは既製品を使われた、とおもう。

何を使われたのだろうか。
以前、AXIOM 80をステレオで鳴らされたときは、たしQUADの22だった。
1980年代にQUADの22を、瀬川先生が使われるとは考えにくい。

かといってマランツのModel 7でもないような気がする。
結局、マークレビンソンをもってこられたのではないだろうか。

シルバーパネルのML6という選択もじゅうぶんある、
と思いながらも、ML6のボリュウム操作性の悪さから、やっぱりLNP2に落ちつかれるのではないか。

LNP2よりも音の良さを誇るコントロールアンプは、
その後、いくつか登場している。
それでもLNP2を選ばれる、としかおもえないのだ。

Date: 5月 11th, 2017
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド編集後記より)

ステレオサウンド 8号の編集後記。
椋元さんという方が書かれている。
     *
実は今号の追い込み時期に、原稿締め切り日を大幅に遅れたS氏宅へ悲壮な決心で乗り込みました。S氏と向い合っている時までは確実に緊張していた自分を自覚していたのですが、壁に並んだJBL、タンノイ、アルテックのスピーカー、JBLのSG520、SE400S、その他のアンプ、それに販売店よりも数多く並んだカートリッジ、これらに目が向いた時には、すでにこの失敗はスタート。音が鳴りはじめた時には何んの目的で自分がここに居るのかということなどすっかり忘れ、気がついた時は訪問後八時間も過ぎたという次第。そればかりか、もう社へ電話する機会も失ない、言い訳けすら考えるゆとりのない私は、S氏の思いやりのある親切なお言葉をお受けし、真夜中の二時に帰宅する結果を招いてしまいました。帰国だしばらくして、事の重大さに気がつく始末。
     *
8号は1968年秋号。
S氏とはいうまでもなく瀬川先生のこと。

椋元さん、という編集者は、他の号の編集後記を読むと、
オーディオマニアではないよう気がする。

でも、そういう人が原稿取りに行ったにも関わらず、
しかも締切日を大幅に過ぎているにも関わらず、
瀬川先生の音を八時間聴いていた、ということ。

Date: 3月 12th, 2017
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹という変奏曲(その6)

ステレオサウンド 62号と63号の「音を描く詩人の死 故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」。
そこに、ある。
     *
 二カ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下ろしたのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖さの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、思わぬ発見がある。あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何かを発見をして、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いている人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうかな、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それ全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を展望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかしたら私個人の特性のひとつであるかもしれない。〟
 昨年の春、こういう書きだしではじまる先生のお原稿をいただいてきた。これはその6月に発刊された特別増刊号の巻頭にお願いしたものであった。実は、正直のところ、私たちは当惑した。編集部の意図は、最新の世界のセパレートアンプについての展望を書いていただこうというものであった。このことをよくご承知の先生が、あえて、ちがうトーンで、ご自身のオーディオ遍歴と、そのおりふしに出会われた感動について描かれたのだった。
 その夏のさかり、先生が入院され、その病状についてうかがった。そのころから、すこしずつ、この先生の文章が気になりはじめてきたのだった。
 担当編集者のMによる、先生は私たちのこの主題のために3本の原稿をほとんど書きあげられていて、そのうちの1本をMに度したあと、あとの2本はひきだしにしまってしまわれたという。
 先生はたしかに『ステレオサウンド』の読者をことさらに大切にしておられた。しかし先生のような、ながいキャリアのある筆者がひとつの依頼された主題のために3本のながい原稿を書かれるというのは異例のことである。
 先生は事実としてはご自分の病気についてはご存じではなかった、という。しかしなんらかの予感はあったのではないだろうか?
 そう考えなければ、この文章のなかにただよっている、ふしぎな諦感と焦燥、熱気と静寂、明快なものと曖昧なもの、その向う側から瀬川先生が、私たちに語り遺そうとしているもののおびただしさの謎をときぼくしいくことはできないだろう。
 思えばあれは先生の遺書だったのだ。
 それはあからさまにそういうかたちで書かれているものではないから、私たちは「謎」を解かなければならない。
 その謎は解くことができるかどうか? わからない。しかし努力してみよう。いや、そうしなければならないのではないだろうか?
     *
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の「いま、いい音のアンプがほしい」は、
約一万四千字の長さだ。
ひきだしにしまわれたのこり二本も、同じくらいの長さだったのか。

おそらくそのうちの一本は、
編集部からの依頼「最新の世界のセパレートアンプについての展望」を書かれたのだろう。
それは「コンポーネントステレオの世界」の’79年度販、’80年度販の巻頭の記事、
これに近いものだったはずだ。

しまわれてしまった、もう一本の内容は、わからない。