ヨッフムのマタイ受難曲(その7)
少し前に、クレンペラーによるバッハのロ短調ミサ曲が、
2023年リマスターでTIDALで、MQAで聴けるようになっていた。
なので、そろそろクレンペラーによるマタイ受難曲も2023年リマスターで聴けるようになるはず。
あと少しだ、と首を長くして待っていた。
ようやく昨日の午後からTIDALで配信されるようになった。
これまでもクレンペラーによるマタイ受難曲はMQAで聴けていた。
44.1kHzでMQAだった。
今回の2023年リマスターは、192kHz、24ビットでMQA Studioである。
昨晩、インターナショナルオーディオショウから遅くに帰宅してその後入浴。
日付がかわる少し前に、マタイ受難曲を見つけた。
最初だけを少し──、そんなふうにして聴き始めたら、
第一部を聴き終っていた。
途中で止めることはできるのに、聴いていた。
第二部も聴きたかったけど、寝不足になってしまうのであきらめた。
五味先生は、クレンペラーのマタイ受難曲について書かれている。
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バッハの『マタイ』は、ペテロをワルター・ベリイにうたわせるクレンペラー盤と、同じペリイがイエスで登場するオイゲン・ヨッフム盤があり、マザー(注:晃華学園校長マザー・メリ・ローラ)はそのどちらも拙宅で聴いた。レコードとしては、いつもながらテンポののろい、体質的に私などにはその勿体ぶった重厚さの我慢ならないクレンペラー盤が、この『マタイ』に限っては、かえって崇高感の横溢した〝偉大なバッハ〟を聴かせてくれる。ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』と共に《勿体ぶり屋クレンペラー》の数尠ない名指揮の一に挙げられるだろう。それでも、ヨッフム盤を一度でも聴いてしまえば現代感覚では、クレンペラーはもう過去形でしか語れない。まるまるレコード一枚分、クレンペラーの方がテンポがのろく、しかもバッハ音楽の神性の流露でヨッフムに劣る。マザーもこれに同意見である。ただ、前のペテロの登場に限っては、ヨッフムのペテロはクレンペラーのそれよりもさらに弱々しい。醇朴だが気の荒い漁師ではなく、まるでインテリの声だ。ことわるまでもないが、ナザレの大工の息子を支持したのはインテリでなかった。知識階級には、蔑みの眼で見られた人たちだった。いつの時代にも神の子はインテリに嘲られ、付和雷同する民衆には石もて追われ、最底辺の極貧の人々にのみ慕われる。ペテロをインテリにしたのでは当時のイエズス・キリストの悲劇は分らない。この点、ペンデレツキは正しかった。
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勿体ぶり屋クレンペラー、たしかにそう感じることはある。
クレンペラーを、だからそれほど多く聴いてはこなかった。
それでもマタイ受難曲は早いうちに買って聴いていた。