Archive for category 変化・進化・純化

Date: 5月 22nd, 2015
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その5)

考え込むことになることはある。
けれど「立ちどまるな」という声が聞こえてくる──、そんな気がする。

蚕が死に行くまで糸を吐き続けるのだから。

Date: 5月 1st, 2015
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その4)

瀬川先生が書かれていることをおもっている。
     *
「天の聲」になると、この人のオーディオ観はもはや一種の諦観の調子を帯びてくる。おそらく五味氏は、オーディオの行きつく渕を覗き込んでしまったに違いない。前半にほぼそのことは述べ尽されているが、さらに後半に読み進むにつれて、オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる。しかもこの音楽は何と思いつめた表情で鳴るのだろう。
     *
ステレオサウンド 39号に掲載された「天の聲」の書評である。

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる。》
これが(これも)純化なのだろう……。

《オーディオの行きつく渕を覗き込んでしまった》から鳴りはじめる音楽なのか。

私はオーディオの行きつく渕を覗き込めるのか。
その渕までたどり着けるのか。

瀬川先生が最後に書かれている。
《「天の聲」の後半にも、行間のところどころに一瞬息のつまるような表現があって、私は何度も立ちどまり、考え込まされた。》と。

Date: 4月 27th, 2015
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その3)

「変化・進化・純化」というタイトルをつけている。
はたして、何についての「変化・進化・純化」なのか。
自分でタイトルを考えておきながら、そんなことを考えている。

音の「変化・進化・純化」なのか、
オーディオの「変化・進化・純化」なのか、
それともオーディオ評論の「変化・進化・純化」なのだろうか。

どこかに人の、つまりは自分自身の「変化・進化・純化」なのかもしれないと思いつつも、
まだよくわからずに書いている。

Date: 1月 12th, 2015
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その2)

蚕が透明な体になって糸を吐きながら死に行く──、
これが純化なのだろうか。

はっきりとはわからない。まだわからない。

Date: 6月 29th, 2014
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その1)

変化・進化・純化、と以前書いた。
書いたことを思い出した。
同時に思いだしたことがある。

五味先生の文章だった。
     *
 弦楽四重奏曲ヘ長調K五九〇からレクィエムには、一すじの橋が懸かっている。つれつれと空ぞ見らるる思う人あま降りこむ物ならなくに。そんな天空の橋だ。日本語ではほかに言いようを知らない。かくばかり恋いつつあらずは高やまの岩根し枕て死なましものを──モーツァルトはそんな心懐で、その橋を紡いでいったと私は想像する。蚕が透明な体になって糸を吐きながら死に行くあの勤勉さを君はモーツァルトに想像しないか? K五九〇の弦楽四重奏曲は、その寡作は、透明なカラダになる時期だったと言えないか。
     *
これから先をどう展開していくのか、自分でもまったくわからない。
でもほとんど発作的に、これを書いておかねば、とそう思ったからだ。