オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、になる聖域)
「オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、という聖域)」、
「オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、でいる聖域)」を、2018年11月に書いた。
書いた時から、あと一本、同様のタイトルで書こう、と考えていた。
一年半ほどかけて、このタイトルにした。
タイトルを決めてから、内容を考えているところでもある。
無理矢理という感も拭えないかも……、と自分でも思いながらも書いているのは、なぜだろう。
わがまま、になる聖域とは、どこなのか、なんなのか。
オーディオマニアなのだから、即座に己のリスニングルームという答が浮ぶ。
続けて、私にとっては、この場(ブログ)もそうだ、と思う。
不特定多数の人に向けての場をわざわざつくって、そこで書くということには、
覚悟が必要だ。
なんと大袈裟なと思う人もいるだろう。
ブログなんて日記のようなものだから、気軽に好きなことを書いていけばいいんだから、と。
そういう捉え方もあっていいけれど、私の捉え方は違う。
周りの目を気にしながら、
相手の機嫌を伺うようにして書いていくつもりはさらさらないわけで、
人によっては、好き勝手なことばかり書きやがって、と思うかもしれない。
好き勝手なことを書いて、誰かに嫌われる。
そのことに傷つき嘆く──、
そんな人は「ぼく(私)、ナイーヴですから」といっていればいい。
それも、どこか自慢気にいっていればいい。
覚悟なしに書いているのだから。
そんな人はこれから先もずっと自分のヘソだけを見つめていればいい。