オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、という聖域)
手塚治虫はいじめられっ子だったことは知られている。
手塚治虫が子供のころには、戦争もあった。
手塚治虫記念館に行けば、小さいころからマンガを描いていたことを、
しっかりと見せつけられる。
そういうことは、一通りは文字情報だけで知ってはいた。
知ってはいた、と、そのころの手塚治虫が描いたものを目にするのとでは、
受けることは大きく違ってくるし、そうしないと気づかないことがあることもわかる。
手塚治虫にとってマンガとは、手塚治虫自身の居場所だったんだ、と気づく。
その居場所は、手塚治虫にとって聖域であったのかもしれない、とおもう。
そして正直の純度を高めていくことだ、と実感できた。