老いとオーディオ(2027年と2028年)
今は2026年3月。
あと一年と少しで、岩崎先生が亡くなられて五十年になる。
さらに一年と九ヵ月足らずで、岩崎先生の百回目の誕生日を迎える。
没後五十年と生誕百年が、やってくる。
今は2026年3月。
あと一年と少しで、岩崎先生が亡くなられて五十年になる。
さらに一年と九ヵ月足らずで、岩崎先生の百回目の誕生日を迎える。
没後五十年と生誕百年が、やってくる。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」のなかで、
岩崎先生は、こんなことを語られている。
*
じつは、ほんとうはL400にしたかったのです。ところがL400はまだ出てきていない。JBLでは出すといってますけれど。これは、新しいスタジオ・モニターの4343、このスピーカーのコンシュマー版ですね。
*
マイルス・デイヴィスのエレクトリック・サウンドを聴くための組合せで、
岩崎先生はJBLのL300を選択されている。
L300は4333のコンシューマー版である。
《ほんとうはL400にしたかったのです》は、
(その1)で引用している岩崎先生のスタックスの文章を読んでいれば、
素直に納得できる。
L400の登場がまだならば、L300ではなく4343を選択した組合せにしなかったのは、なぜ?
そう思われる読者もいようが、
ここでの組合せの相談者(架空の読者)は、29歳と想定されている。
そのためもあってか、L300の組合せだけでなく、
パイオニアのCS616の組合せもつくられている。
L300の組合せのトータル価格は、2,156,800円、
CS616の組合せは、491,000円と四分の一に抑えられている。
L300が4343になるとトータル価格は四十万円ほどアップすることになる。
そのへんも考慮されてだろうが、岩崎先生はこう語られている。
*
スペクトラムバランスが違いますから、4343よりもはるかに低音が厚くなるはずで、その意味でもマイルスのレコードによく合うんです。
*
ここでの組合せは、あくまでも読者の聴きたいレコード(音楽)がはっきりしてのことで、
組合せの予算に制約がなかったとしても、L300だったはずだし、
登場していたらL400のはずである。
瀬川先生は、どうなのだろうか。
別のところで、瀬川先生は4333よりもL300、
そのL300よりも4333Aといわれていた。
そうなると4343のコンシューマー版のL400が登場していたら、
4333とL300の評価のように、L400だったのだろうか。
(その15)は、もう五年前。
その冒頭に、
グッドマンAXIOM 80からJBLへ。
岩崎先生も瀬川先生も、この途をたどられている、と書いた。
岩崎先生とAXIOM 80が結びつかない──、という人はいてもおかしくない。
でも、岩崎先生はJBLのパラゴンを鳴らされていた同時期に、
QUADのESLも鳴らされていた。
そのことを知っていれば、それほど意外なことではないはずだ。
とにかく瀬川先生もAXIOM 80だった。
そしてJBLへの途である。
岩崎先生も瀬川先生も、
最初のころは、JBLのユニットを使っての自作スピーカーである。
瀬川先生は、JBLの完成品スピーカーシステムとして4341を選択されている。
岩崎先生はパラゴンである。
その前にハークネスがあるが、これはエンクロージュアの購入である。
そしてパラゴンのあとにハーツフィールドも手に入れられている。
ハーツフィールドは、瀬川先生にとって、憧れのスピーカーである。
そしてパラゴンに対しては、ステレオサウンド 59号で、
《まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。》とまで書かれている。
岩崎先生は、(その1)で引用したスイングジャーナルでの4341の試聴記である。
正しくは4341の試聴記ではなく、スタックスのパワーアンプの試聴記なのだが、
その冒頭を読んでいると、4341の試聴記なのかと思ってしまう。
4341の音を、
《いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ》
とまで高く評価されている。
それだけではない、岩崎先生の4341の音の表現は、
瀬川先生の音の表現に通ずるものが、はっきりと感じられる。
スピーカーシステム、
この場合のスピーカーシステムとはマルチウェイのことである。
そのスピーカーシステムを、どういう構成とするのか。
さまざまな考え方があるのは、市場に登場したスピーカーシステムからもうかがえるし、
スピーカーを自作してみようと考えてみれば、
考え方の数の多さを楽しむこともできる。
40万の法則をベースにして考えるならば、
3ウェイの場合、100Hzから4kHzまで一本のユニットでカバーして、
100Hz以下、4kHz以上を、それぞれウーファー、トゥイーターで、という構成が考えられる。
つまりJBLのD130をスコーカーとして、ウーファーとトゥイーターを追加する3ウェイであり、
D130が15インチ口径で、しかも高能率ということを考えると、
そうとうに大型なシステムになる。
けれど、それは非現実的なシステムなのだろうか。
40万の法則に則った3ウェイのスピーカーシステムを、
池田 圭氏は構築されていた。
中心となる100Hzから4kHzを受け持つのは、
ウェスターン・エレクトリックの555Wドライバーに15Aホーンである。
555W+15Aのコンビは、D130以上の規模である。
15Aホーンの開口部は、56 3/6インチ×57インチである。
一辺が1.4mほどある巨大なホーンである。
折り曲げホーンとはいえ、奥行きは53 1/8インチで、
そうとうに広い空間でなければ、ステレオ用に二本設置することは、まず無理である。
これだけの大きさのモノに、池田 圭氏は100Hzから4kHzを受け持たせていた。
これと比較すれば、D130に、同じ帯域を受け持たせるのはかわいいものだし、
はるかに現実的でもある。
都内の大きな書店に行くと、
いまでもオーディオコーナーの書棚に「良い音とは 良いスピーカーとは?」が並んでいる。
たしか2013年に出ているから、それでも売れているわけなのだろう。
けっこうなことだと思う。
思うとともに、「続・良い音とは 良いスピーカーとは?」は出ないのか、と思う。
「良い音とは 良いスピーカーとは?」には、
「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談が載っている。
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏で、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」というテーマで語られたものだ。
この鼎談について、岡先生がステレオサウンド 61号に書かれている。
*
白状すると、瀬川さんとぼくとは音楽の好みも音の好みも全くちがっている。お互いにそれを承知しながら相手を理解しあっていたといえる。だから、あえて、挑発的な発言をすると、瀬川さんはにやりと笑って、「お言葉をかえすようですが……」と反論をはじめる。それで、ひと頃、〝お言葉をかえす〟が大はやりしたことがあった。
瀬川さんとそういう議論をはじめると、平行線をたどって、いつまでたってもケリがつかない。しかし、喧嘩と論争はちがうということを読みとっていただけない読者の方には、二人はまったく仲が悪い、と思われてしまうようだ。
とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
*
この鼎談がいまも読めるわけだから、これもけっこうなことだと思っている。
けれど、この鼎談を読んだ上で、読んでほしいと思う記事は、ステレオサウンドにはいくつもある。
たとえばステレオサウンド 44号と45号のスピーカーシステムの総テスト。
この試聴は、単独試聴であり、一人一人が試聴記を書かれている。
それぞれの試聴記を比較しながら読んでいく、という行為。
私は44号、45号の試聴記を読んで数年後に、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」を読んでいる。
順序が逆になってしまったけれど、ここでもう一度試聴記を読み返す面白さがあった。
それからHIGH-TECHNIC SERIES-3のトゥイーターの総試聴。
ここでは井上、黒田、瀬川の三氏による合同試聴で、
書き原稿による試聴記ではなく鼎談による試聴記になっている。
これが、まためっぽうおもしろい。
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」を読んでいれば、
ここでも、そのおもしろさは増してくる。
それだけではない、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」のおもしろさも増す。
「続・良い音とは 良いスピーカーとは?」は出ないのか。
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、終りはやってこない。
これから先、どれだけ趣味としてのオーディオが、
それからオーディオ評論というものが続いていくのかはわからないが、
その最後まで、岩崎千明と瀬川冬樹のいない時代は続くわけだ。
長島先生が、サプリームNo.144(瀬川先生の追悼号)に書かれたこと。
*
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
*
私もそう思っている。
そうだとすれば、オーディオ評論はステレオサウンドの創刊とともに始まった、ともいえる。
それ以前からあった、といえば確かにあった。
けれど、長島先生がいわれるところの「オーディオ評論」は、
その場が生じてはじめて可能になるわけで、そういう意味でも、
私は1966年、ステレオサウンドの創刊からと捉えている。
1966年から2020年。
もう五十年以上が経っている。
岩崎先生は1977年、
瀬川先生は1981年だから、
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代のほうが、はるかにながい。
この「ながい」は、
いまオーディオ評論家としてなにかを書いている人たちもキャリアもいえることだ。
それだけでなく、オーディオを趣味としてきている人たちも、
オーディオのキャリアは、岩崎先生、瀬川先生よりもながい人が少なくない。
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、われわれはオーディオをやっている。
そのことを意識しなければならない──、
そういいたいわけではない。
意識していなくて当然であろうし、それが多数であろうし、
意識していない人に意識しよう、という気もない。
けれど私は、どうしても「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」ということを、
強く意識してしまうときがある。
100Hzから4kHzまでの帯域をほぼフラットに再生する、ということ。
ステレオサウンド 70号に、
岡先生の「わが家のJBLスーパーウーファー騒動顛末記」が載っている。
70号は1984年。
このころJBLからは18インチ口径のウーファー搭載のB460、
15インチ口径ウーファー搭載のB380といったスーパーウーファーが登場していた。
当時の岡先生のシステムは、かなり大がかりであった。
詳しいことを知りたい方は、70号をお読みいただきたい。
ここで70号の岡先生の記事を取り上げているのは、
岡先生がシステムのフラットを目指した結果、
100Hzから4kHzまでフラットに仕上げられているからだ。
そこのところを引用しておく。
*
わが家の場合は100Hz以下は仮に記録紙ではフラットにちかい状態にしても、聴感との折りあいがつかない。同様に、リスニングポジションで5kHz以上を完全にフラットにすると、再生された音楽は極端なハイあがりになってきかれたものではないということは、オーディオをかじっているひとならば常識といえるだろう。高域のロールオフをどのくらいのカーヴにするかはいろいろな説があるが、ぼく自身は経験上4k〜8kHzのオクターヴ間をほぼ3〜6dB、その上は2〜3dBの偏差にはいっているのがいいように考えている。
一応こういう目標をたてて、マイクの位置と高さをいろいろと試したあげくに、最終的なポイントをきめて、L・Rのバランスも含めて、100Hzから4kHzを1dB以内、100Hzから8kHzのLRのレベルバランスを0・5dBにおさえこむまでに、ものすごく時間がかかってしまった。おかげさまで、歌人から、毎日、ピーピーとんへな音ばかり出しているという苦情が出たほどである。
*
ここでも、100Hzから4kHzという、40万の法則が出てくる。
当時は、そのことに気づかなかった。
いまごろになって、100Hzから4kHzという帯域がフラットであること、
そこでの40万の法則との関係性について考えることになった。
1978年の終り近くに「オーディオ彷徨」が出た。
ステレオサウンド 49号に黒田先生による書評が載っている。
そこに、こう書いてある。
*
目次の前に、「愛聴盤リスト」がのっています。これは、この本を編集を担当した細谷信二さんに個人的にたのんで、のせてもらったものです。岩崎さんの書き残されたものを読みたいと思うんなら、岩崎さんがどんなレコードを日頃おききになっていたのかを知りたいにちがいないと考えたからです。かくいうぼく自身が、それを知りたいと思いました。ですから、まずそれを、じっくりながめました。
*
五年前に「良い音とは 良いスピーカーとは?」が出た。
いまも書店に並んでいたりする。
一年ほど前に手にとって奥付をみたら、三刷とあった。
売れているのだろう。
けれど、「良い音とは 良いスピーカーとは?」には瀬川先生の「愛聴盤リスト」は載ってない。
昔は、メーカーのショールームがあたりまえのように存在していた。
自社製品の試聴だけでなく、
積極的にオーディオに関するイベント・試聴会を行っているメーカーも少なくなった。
オーディオ評論家による試聴会も、ほぼ月一回行われていて(しかも複数のオーディオ評論家)、
当時熊本に住んでいた私は、
東京で暮らしているオーディオマニアをどれだけ羨ましく思ったことか。
ラックスも積極的だったことがある。
その時の話を、友人のKさんから聞いている。
あるときラックスのショールームに来ている人から、
JBLのホーンについての質問があった、とのこと。
蜂の巣、スラントプレートの音響レンズ付き、ラジアルホーン、ディフラクションホーン、
JBLのホーンはアルテックも種類が多かった。
それぞれのホーンの違いは、どういうものか、という質問だった。
岩崎先生の答は「見た目の通りの音がする」ということ。
見た目には形状だけでなく、大きさも含まれている。
材質、色、質感もふくめての見た目であり、
確かに見た目のままが音として現れている、といえよう。
質問した人は、もう少し具体的な答が欲しかったのかもしれないが、
ホーンの見た目が、そのホーンの音であるは、何もJBLのホーンについてだけいえることではなく、
すべてのホーンについていえることでもある。
537-500といえば、
1970年代当時、オリンパスの上に乗っているホーンというイメージが強い。
Olympus S8Rは、ウーファーLE15AにパッシヴラジエーターPR15、
スコーカーは375とスラントプレートの音響レンズのHL93、
トゥイーターは075という3ウェイ・システム。
375をエンクロージュアから取り出し、
ホーンをHL93から537-500にしている人は、当時どのくらいいたのだろうか。
オリンパスの組格子のグリルと537-500のパンチングメタル。
材質は木と金属、色も違う。
孔の形状も違う。
そのコントラストが、うまくいっていたように感じる。
写真をみても、そう思うのだから、
実際にその姿を見て、しかもオリンパスを鳴らしている人だったら、
いつかはオレも537-500……、と決意するのではないのか。
これは誰がやりはじめたことなのだろうか。
おそらく375の強烈なエネルギーが、家庭用としては、
そして鳴らしはじめのころは、中高域のどぎつさ、刺々しさとして聴こえてしまうことを、
やわらげるためなのだろう。
JBLにホーンはいくつもあった。
プロフェッショナル用も含めると、けっこうな数になるが、
オリンパスの上に2397をもってきたら、音はともかくとして見た目はまったく似合わない。
ゴールドウィングの537-509にしても、
ハーツフィールドに収まっている状態では、見事に決っているけれど、
それでは、と……、オリンパスの上にのせてしまったら、どうなるか。
オリンパスの上にのせて似合う(様になる)ホーンは、結局537-500だけかもしれない。
ステレオサウンド 35号の特集は、ベストバイ。
この35号がいまも続いているベストバイの第一回である。
35号のベストバイの選者は、
井上卓也、岩崎千明、上杉佳郎、大塚晋二、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、
三井啓、山中敬三の九氏(大塚、三井の両氏はテープデッキのみ)。
選者もがらっと変ってしまったが、
ベストバイ・コンポーネントのジャンルにも変更がある。
35号ではスピーカーユニットのベストバイも選ばれている。
第二回の43号では、スピーカーユニットはなくなっているから、
35号だけのベストバイ・コンポーネントであった。
スピーカーユニットは、
フルレンジ、ウーファー、スコーカー、ドライバー、ホーン、トゥイーターは細分化されている。
スピーカーユニットのベストバイは、43号でもやってほしかった、と思う。
いまの時代、スピーカーユニットのベストバイはやれていことはないだろうが、
無理が出てくるであろう。
スピーカーユニットのベストバイは、
スピーカーシステムのベストバイと併せて読むことで、おもしろさは増す。
35号は1975年に出ている。
このころ、537-500はJBLのホーンのラインナップからなくなっていた時期のはずだ。
HL88の登場は、少し後になるため、
537-500(HL88)は35号には登場していない。
ホーンのところでは、1217-1290と2305が、
スコーカーのところではLE175DLHが選ばれている。
1217-1290といっても、いまではどんなホーンなの? という人の方が多い。
1217-1290はLE175DLHのホーン/レンズのことである。
2305は1217-1290のプロフェッショナル版で、ホーン長が2.6cmほど長くなっている。
当時の価格は、1217-1290が19,300円、2305が24,300円(いずれも一本の価格)。
1217-1290は井上卓也、岩崎千明、上杉佳郎の三氏、
2305は岩崎千明、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏、
LE175DLHは井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、山中敬三の四氏によって選ばれている。
このことからわかるのは、蜂の巣と呼ばれる音響レンズを、
岩崎先生は認めてられている、ということであり、
実際175DLHはD130と組み合わせて、Harknessにおさめられていたのだから。
ステレオサウンド 38号の95ページの写真にも、1217-1290が写っている。
ステレオサウンド 38号「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」、
何度も見て読んでいるにもかかわらず、
またひっぱりだしてきたのは確認したいことがあったから。
JBLのホーン537-500といえば、
菅野先生が長年愛用されていることはよく知られているし、
菅野先生よりも早く瀬川先生が導入されていたことも知られている。
けれど岩崎先生は?
あれだけ多くのオーディオ機器があった岩崎先生のリスニングルームに、
537-500はなかったのか──、それを確かめるために38号を開いている。
少なくとも38号に掲載されているカラー写真、モノクロ写真のどこにも写っていない。
「岩崎氏の再生装置」というリストにも、537-500、もしくはHL88の型番はない。
37号もひっぱりだしてきた。
「ベストサウンドを求めて」という記事で、
岩崎先生はJBLのユニット群によるマルチアンプシステムを実験されている。
プロローグとして、JBLのホーンについて書かれている。
そこには537-500(HL88)のことは出てくる。
*
そりゃあ、そうだろう。蜂の巣にしたって黄金の翼にしたって、JBLファンなら一度は手にして、そばに置きたい魅力のかたまりだ。HL88として復活したが、前の型番537−500といってもぴんとこないファンがいたとしても175DLHのホーンの兄貴分といえば判るだろう。つまり蜂の巣音響レンズをホーン開口部にそなえた強力無比な中音用ホーンなのだ。鉄製の強固なる丸形(コニカル)ホーンは、デッドニングなどはしていないが、どう叩いても、とうていホーン鳴りなどしそうにない。パンチングメタルを17枚重ねた音響レンズは、単なる拡散器というより、ホーン開口部につけた音響的バッファーの作用もして家庭用として適切なるエネルギーにするため、積極的な音響損失をも、もたせてあるといえる。
*
けれど本文といえるユニット組合せの試聴には、
2350、2355、2397、HL89、HL900、HL92は登場するが、
537-500(HL88)は、そこにはいない。
《JBLファンなら一度は手にして、そばに置きたい魅力のかたまり》と書かれているのに、
岩崎先生のリスニングルームに、537-500があった写真をみたことがない。
写真に写っていないから、ない、とは断言できないが、
あれだけの大きさと存在感をもつ537-500を、どこかにしまわれていたとは考えにくい。
空洞ができてしまった。
しかも埋まっていない。
いまだ空洞のままであっても、
空洞があることを意識している人もいる、
空洞があることを、すでに感じなくなっている人もいる。
そういうものかとおもい、
コワイナ、ともおもう。
ぽっかりと大きな空洞ができた。
1977年3月(岩崎千明)、
1980年4月(五味康祐)、
1981年11月(瀬川冬樹)、
空洞は大きくなるばかりだった。
1981年、18だった私は、その空洞がいつの日か埋まるのか……、とおもった。
その日から40年ちかく経った。
いまでは空洞は空洞のまま残っていていい、とおもうようになっている。
いつからそうおもうようになったのかは、おぼえていない。
その空洞を、どうでもいいことでいっぱいにしたところで、何になるのか、とおもう。
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代を、
少しでも知っている・体験している者と、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代しか知らない者との違いは、空洞である。
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代からオーディオをやってきている者は、
心のなかに埋めようのない空洞ができてしまったことを感じた。
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代からオーディオをやってきた者すべてが、
そうであるとはいわない。
古くからのオーディオマニアであっても、
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代の方がいまや長いのだから、
あの時空洞ができたことう感じても、いまではそうでないのかもしれない。
それだけの月日が経っている。
空洞をいまだ感じている者もいればそうでない者もいる。
ほんとうにそれだけの月日が経っているのだ。
空洞はできたのだろうか、
それともうまれたのだろうか、ともおもう。