Archive for category 広告

Date: 3月 3rd, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その3)

バブルのころのステレオサウンドで試したことがある。
広告ページをすべて取りのぞいた状態のステレオサウンドにしたことがある。

広告が──、という人もふくめて、これは一度やってみたらいい。
広告が、その雑誌を華やかにしてくれていることを実感するであろうから。

もちろん、そうでない広告も多い。
そういう広告を省くことですっきりする、ということもわかる。

雑誌を華やかにしてくれる広告だけを残して、
ごちゃごちゃした印象の広告をすべて省けたら──、
そう思わないこともないが、どちらもあっての雑誌とも思っている。

日本で、広告が載っている雑誌なんて──、という風潮があるのは、
暮しの手帖の影響もあってのことだろう。

暮しの手帖のオーディオ版を、
広告が──、という人たちは望んでいることだろう。

暮しの手帖のオーディオ版は可能なのだろうか。
「広告一切なし」と掲げている「オーディオ大全2021」は、
暮しの手帖のオーディオ版といえるのだろうか。

「オーディオ大全2021」には広告は載っていないが、
だからといって、メーカー、輸入元の協力がなかったわけではない。

暮しの手帖と同じやり方をオーディオ雑誌で貫くならば、
誌上に登場するオーディオ機器をすべて購入することから始めなくてはならない。

意外にも、このことを、広告が──、とすぐに口にする人たちは忘れているのか、
試聴をするには何が必要なのかを、まったく考えていないのか、と問いたくなる。

「オーディオ大全2021」が、
誌面に登場しているオーディオ機器をすべて購入しての記事づくりであったならば、
表紙の「広告一切なし」が光り輝くことだろう。

けれど現実には、断言してもいいが、購入しての記事ではない。

Date: 3月 3rd, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その2)

(その1)へのfacebookでのコメントにあったし、
私もそう思っているのは、広告がある、ないだけで判断するのであれば、
テレビだとNHK以外はすべて信用できない、ということになるし、
NHKだけは信用できる、ということでもある。

新聞は、というと、広告が載っているから信用できない、となる。

広告が載っている雑誌に書いてあることなんて、
まったく信用できない──、と一刀両断する人は、NHKの報道のみを信じて、
ほかのテレビ、ラジオ、新聞の報道はまったく信用していないのか。

おそらくそうではないだろう。
なぜ、雑誌のみ、広告が──、となるのだろうか。

オーディオ雑誌で広告なしは無理なのか、ときかれることがある。
無理ではない。
けれどステレオサウンドから広告ページを省いて、
残りの編集ページがどれだけあるのか。

それをいまのステレオサウンドと同じカラーページの割合、
紙質などを維持したままで出版したとしたら、
一冊あたりいくらになるだろうか、と考えてみてほしい。

広告の分、ページが減るとはいえ、いまの価格と同じとはいかなくなる。
書籍は広告なしだろう、という人がいるが、
書籍と雑誌のつくりを比較してみてほしい。

ここでいうつくりとは、本そのものつくりだけでなく、
そこに携わっている人の多さも含めて、である。

広告があるから、いまの価格で出せる、ということを忘れないでほしい。
そういうと、いくら高くなっても、広告なしの雑誌ならば買う、と、
広告が──、という人は、そういう。

いうのは簡単だ。
誰にでもできる。
ほんとうにステレオサウンドが広告なしで出版されて、
価格がそうとうに高くなったら、今度は高い、というのではないだろうか。
そして広告の分ページ数は減るのだから、
こんなに薄くなったのだから、なぜ値上げするのか、というかもしれない。

Date: 3月 2nd, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その1)

書店をのぞいたら、「オーディオ大全2021」というムックがあった。
手に取るつもりはなかったけれど、
表紙のひとことが目に入った。

「広告一切なし」とあった。
こんなふうにあると、つい手に取った。

表紙から予想される内容だったので、そこには触れない。
それでもこうやって取り上げているのは、やはり「広告一切なし」が気になっているからだ。

帰宅して、「オーディオ大全」の以前の号の表紙をチェックしたところ、
「広告一切なし」の文言はなかった。
2021年度版からのようだ。

確かに広告は載ってなかった。

世の中には、広告が載っている雑誌に書いてあることなんて、
まったく信用できない──、と一刀両断する人がけっこういる。

こういう人は、オーディオ雑誌を読まない人なのだろうか。
信頼できない、と文句をいいつも毎号読む人なのだろうか。

こういう人は、「オーディオ大全2021」を信用できる、というのか。

「オーディオ大全2021」の表紙には、
「一生楽しめる本格オーディオ入門」ともある。
つまり入門書である。

広告が一切ないオーディオの入門書である(謳い文句通りならば)。

Date: 5月 10th, 2020
Cate: 広告

響きに谺けよ

「響きに谺けよ」は、四十年ほど前のヤマハのスピーカーシステム、
NS690IIIの広告のキャッチコピーだ。

谺けと書いて、ひびけ、と読ませていた。
谺けは、ふつうは「ひびけ」とは読まない。
谺はこだまだから、ある種の響きであることは確かだ。

「響きに谺けよ」は高校生だった私に、
こんな漢字があるのか、ということで記憶に残っている。

でも、いまこうして憶いだしてみると、「響きに谺けよ」は考えさせてくれる。

Date: 1月 31st, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(番外)

音元出版のPHILE WEBが、
ハイファイオーディオ 総合ランキングを毎月公開していたのは知っていた。

知っているだけで、パッと見るだけに終っていた。
でも今回、2019年12月のランキングに、見出しを見て最後まで読んだ。

そこには、『アキュフェーズ創立50周年記念超弩級機「E-800」が堂々首位 』とあったからだ。
これまで眺めていただけであったが、それでもなんとなくの傾向は掴んでいた。
だからこそアキュフェーズのE800が、
セパレートアンプ、プリメインアンプの部門で首位というのは意外だった。

E800は980,000円で、税込みだと1,000,000円をこえる。
ランキングに入ってくる機種のほとんどは中級機クラスが多い。
そこにポツンとE800が、初登場で首位である。

売れている、という話はまだきいてなかったけれど、
かなり注目されている、とはきいていた。

別項でE800のプロポーションに関しては、ボロクソに書いている私でも、
E800の音は、かなりの実力だ、と、
じっくり聴いたわけではないが、感じている。

E800の首位を見て、そういえば──、と思い出して、過去のランキングを見てみた。
探していたのは、
デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONである。

垂れ流し状態のタイアップ記事の、この二機種はどうなのか。
入っていなかった。

E800が首位になっても、デノンはそうではなかった。

音元出版のハイファイオーディオ 総合ランキングは、
全国すべてのオーディオ店の集計ではないし、
《各商品ジャンルにおける台数別の売れ筋ランキングのデータを、1位5ポイント、2位4ポイント、以下、5位1ポイントの要領で得点化》したものでもある。

これだけですべてを語れるわけではないにしても、参考にはなる。

私はデノンの、この二機種は聴いていない。
どの程度の実力なのかは、まったく知らない。
それに、タイアップ記事垂れ流しの音を聴きたいとも思っていない。

デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONは、780,000円(税抜き)である。
E800よりも少し安い価格だが、プリメインアンプのなかでは、同クラスといえる。

E800の購入を考えている(いた)人は、デノンとの比較も行っているような気がする。

売れているほうが音がいい──、
そう単純なことではないのだが、E800は首位であり、
PMA-SX1 LIMITED EDITIONは五位までに入っていないことだけは事実であり。
この事実をどう受け止めるかは人それぞれのところもあるだろうが、そうでないところもある。

Date: 1月 27th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その12)

別項「オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)」で書いたことをもう一度くり返す。

十数年前にインターナショナルオーディオショウの会場で聞いたことだ。

人を待っていたので、国際フォーラムのB1Fにある喫茶店にいた。
近くのテーブルから、はっきりと聞き取れる声で、
ショウに出展していたオーディオ関係者の会話が聞こえてきた。

誰なのかは、どこのブースの人なのかは書かない。
この二人は、インターネットはクズだね、ということを話していた。
オーディオ雑誌には志があるけれど、インターネットのオーディオ関係のサイトには志がない、
そんな趣旨の会話だった。

ここでのインターネットのオーディオ関係のサイトとは、
個人サイトのことを指している。

オーディオ雑誌社のウェブサイトは、少なかった時代であり、
ステレオサウンドも、まだウェブサイトを持っていなかった時代である。

確かにインターネットの世界には、クズだとしか思えない部分がある。
このことはいまも昔も変っていない、といえる。

だからといってインターネット全体を十把一絡げに捉えてしまうのには、異を唱えたくなる。

それにオーディオ雑誌に志があった、という過去形の表現ならまだ同意できるけど、
志がある、にも異を唱えたくなる。

過去に戻れるのならば、いまのオーディオ雑誌のウェブサイトを見てご覧なさい、と、
この時の二人にいいたくなる。

デノンのタイアップ記事が、オーディオ雑誌だけでなく、
ウェブサイトにおいて垂れ流し状態になっているのを、
この時の二人は、なんというだろうか。

オーディオ雑誌には志がある、と、まだいうのだろうか。

Date: 1月 17th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その11)

(その8)へのfacebookへのコメントには、後日、補足があった。
崩壊についての補足だった。

そのコメントについてはこれからふれる予定だが、
読んでいて、これまで思っていたことをふりかえって浮んできたのは、
「陽だまりの樹」である。

「陽だまりの樹」については、
別項「オーディオにおけるジャーナリズム」の(その25)と(その26)で書いている。

「陽だまりの樹」とは手塚治虫自身のルーツをさぐる作品のタイトルであり、
徳川幕府のことを比喩する言葉でもある。

「陽だまりの樹」は、陽だまりという、恵まれた環境でぬくぬくと大きく茂っていくうちに、
幹は白蟻によって蝕まれ、堂々とした見た目とは対照的に、中は、すでにぼろぼろの木のことである。

オーディオの世界において、なにが「陽だまりの樹」なのか、
その幹を蝕んだ白蟻とはなんなのか。

Date: 1月 14th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その10)

facebookへのコメントには続きがある。

デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONの例のようなタイアップ記事は、
「崩壊」のさらに次の段階(崩壊を前提としたマーケティング)のような気がする、とある。

こんなふうには考えたことがなかった。
全面的には、いまのところは賛同できないものの、
デノンのようなあからさまなタイアップ記事を、
何本も、あちこちで展開するやり方は、
タイアップ記事をつくっている側の人間は、
オーディオ評論、オーディオ・ジャーナリズムなんてものをはなからないものとしている、
そうなのかもしれないどころか、そうなのだろう。

だとするとタイアップ記事に加担しているオーディオ評論家(商売屋)たちも、
オーディオ評論家となっていても、
オーディオ評論、オーディオ・ジャーナリズムなんて……、という人たちなのか。

崩壊を前提としたマーケティングが生れてこようとしている(すでに生れている?)のであれば、
崩壊を前提とした雑誌づくりを、各出版社は目指しているのか。

Date: 1月 14th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その9)

(その8)にfacebookにコメントがあった。

オーディオ評論、オーディオ・ジャーナリズムをいま信じている人はいるのでしょうか、
とあった。

私自身、菅野先生が亡くなられて、
オーディオ評論家(職能家)はいなくなった、と以前書いている。
オーディオ評論家(商売屋)ばかりになってしまった、と思っている。

私の周りの人たちも、そう思っている(感じている)人ばかり、ともいえる。
それでも、信じている人たちがいるのも知っている。

東京および近郊の人たちという限定された範囲ではあっても、
そういう人たちはいる。

これも私が知っている範囲のことでしかないが、
信じている人たちのほとんどは、いまオーディオ評論家を名乗っている人たちと、
SNSでつながっていたり、その人のリスニングルームに訪問したり、
なんらかのつながりがある人だ。

だからなのか、○○さんは違う、と彼らはいうことがある。
その○○さんのことは私だって直接知っていたりする。

○○さんは違う、という人たちが知らなくてもいいことを知っていたりする。

信じている、とは、だまされている、ということでもある。
だまされている、とは、あえて見ないようにしている、ということでもある。

私は、というと、信じていない側にいる、といえる。
それでもずっと昔に、ステレオサウンドを熱く読んでいた者として、
ひとかけらぐらいは残っていてほしい、とおもいを捨てきれずにいる。

Date: 1月 12th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その8)

デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONに関する記事を、
純粋な記事だと信じて読んでいる読者は、どれだけいるのか。

タイアップ記事をやる側が思っているほど多くはないのではないか。
少なくない人たちが、とっくに気づいている、と私は感じている。

気づいている人たちの多くが、口に出していわないだけだったりするのではないか。
そのことに気づかずに、タイアップ記事をやる。

一回くらいなら、「やっているな」で受け流すことはあっても、
デノンのタイアップ記事のように、ここまでやられるとうんざりする人も出でこよう。

うんざりするだけなら、まだいい。
うんざりの先には、誰もオーディオ評論と、かつていわれたものを誰も信じなくなる日がくる。

デノンは、自社の製品が売れれば、そのためにはなんでもやる──、
そんなふうに見える。

売れなければ……、それまでである。
とはいえ、自分のところだけよければ、それでいいのか、
いまさえよければ、それでいいのか。

タイアップ記事のやりすぎ、氾濫は、
オーディオ・ジャーナリズムの崩壊そのものである。

Date: 1月 11th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その7)

デノンは、これほどまでにタイアップ記事に熱心なのか。
ここまであからさますぎるタイアップ記事は、もう逆効果としか私には思えないのだが、
そうではない、と本気で思っているのだろうか。

デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONが、ほんとうに自信作であり、
優れた音を聴かせてくれる製品であれば、ここまでやる必要はないのではないか。

いや優れた製品だからこそ、
いろんな人(オーディオ評論家)に聴いてもらい、
その試聴記を多くの人に読んでもらいたい──、という考えなのか。

ステレオサウンドを熱心に読んでいた遠い昔、
この製品の試聴記を、この人が書いてくれたらなぁ、と思うことは数えきれないほどあった。
誌面という部へ釣的な制約があるかぎり、
すべてのオーディオ評論家に聴いてもらい、書いてもらうということはまず無理である。

そんなことはわかっていても、
やはり、この人(私の場合は瀬川先生だった)の試聴記が読みたい──、
そう思い続けてきた。

インターネットには、誌面という制約はない。
だから、一つの機種を多くの人に聴いてもらい、
多くの試聴記を公開することが容易である。

デノンの意図は、そういうところにあるのかもしれない、と一定の理解を示しながらも、
結局のところに、誰に聴いてもらい、誰に書いてもらうか、ということは、とても重要なことである。

人選をあやまってしまうと、やりすぎたタイアップ記事という印象を、
幾重にも重ねてしまうことになってしまう。
もうすでにそうなっている。

タイアップ記事をやりたがる会社、
その依頼をほいほいと受けてしまう書き手、
本人たちは、そんなことはない、と口を揃えていうのかもしれないが、
これではオーディオ評論家(商売屋)といわれてもしかたないのではないか。

Date: 1月 11th, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その6)

昨年末の(その5)で、
デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONのタイアップ記事は、
年が明けても続くのか──、と書いた。

まだ続いている。
音元出版のサイト、ステレオサウンドのサイトで、
交互に登場するようにしているのか、と思うほどに、いまもやっている。

facebookでオーディオ協会をフォローしている。
すると、デノンを取り上げた記事が表示され、
それによって一つ一つそれぞれのサイトにアクセスすることなく知ることができる。

こんなあからさまなタイアップ記事を次々に見せられると、
ステレオサウンドも音元出版となんら変わりない──、
そうとしかいえなくなる。

ステレオサウンドのサイト、ステレオサウンド・オンラインの編集部と、
季刊誌ステレオサウンドの編集部とは、どうも別なようである。

それでも、どちらにもステレオサウンドとついている。
会社名がステレオサウンドだから、ということなのだろうが、
この点に関しては、音元出版のほうがよく考えているのではないか。

音元出版は、音元WEBとか、オーディオアクセサリー・オンラインといった名称にはしていない。
新たな名称をつけている。

ステレオサウンドは、どちらにもステレオサウンドとつけている。
季刊誌ステレオサウンドとステレオサウンド・オンライン、
どちらも見ている人のどれだけが、それぞれ別の編集部だということをわかっているのだろうか。

そう思わせるように、あかてしているのだろうか。
だとしたら、ステレオサウンド・オンラインでのデノンのあからさまなタイアップ記事は、
季刊誌ステレオサウンドも、そうなんだろうなぁ……、と読者に思わせてしまう──、
そんなふうに編集部は考えたことがないのか。

Date: 1月 2nd, 2020
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(あわせて読んでほしい記事)

別の件で検索していて見つけた記事。
タイトルは『21世紀に音楽を評論・批評する ~「主観偏重」と「提灯持ち」から脱するために』。
小室敬幸氏の記事である。

この記事だけでなく、ほかの記事も興味深い。
検索のきっかけは、
【ネタバレ解説】レイ出生の秘密は、エピソードⅦの時点で「レイのテーマ」に隠されていた!』。

こういう見方(聴き方)があったのか、と思わずにいられない。

Date: 12月 29th, 2019
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その5)

ケンウッドのK’sシリーズの時も、
デノンの山内慎一氏が登場されているのと同じで、
E氏が各誌に登場されていた。

どれだけの雑誌に登場されたのかまでは数えていないが、
ここにもあそこにも、と感じていた。

ただなんとなくではあるが、これだけ雑誌に短期間に登場されると、
誌面には、結局同じことが載っているだけ、というふうにもなっていく。

おそらくだが、ケンウッドのE氏の頭のなかでは、
もう完全に話すことができあがっていたのではなかろうか。

最初のころはそうでもなかったのだろうが、
二回目、三回目……と取材が続いていけば、
前回の反省点を修正していく、それに練習もしていけば、
インタヴュアーがどんな人であっても、いいたいことをきちんと話していける。

それも無駄を極力省いて、
それこそ話したことがそのまま記事になってしまうことを目指すこともできる。
そんなふうにして、一回目よりも二回目、
二回目よりも三回目、三回目よりも……、と取材をこなしていくことで、
自分自身のしゃべりにうっとりしてしまうということも出てくるのではないだろうか。

ケンウッドのE氏、デノンの山内氏がそうだ、と決めつけるわけではないが、
そうならないともいえない、と感じている。

それにしてもデノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONのタイアップ記事は、
まだ続いている。
どの記事が、ということは、ここではリンクしないが、
このまま年が明けても続くのか。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その4)

デノンのプリメインアンプのPMA-SX1 LIMITED EDITIONと、
SACDプレーヤーのDCD-SX1 LIMITED EDITIONのタイアップ記事には、
必ずといっていいほど、デノンの山内慎一氏が登場している。

開発に携わった人が誌面、ウェブサイトに登場するのは、
昔からよくあることだし、開発者ならではの話は興味深いこともある(そうでないこともある)。

それにしても、よく登場されるな、と思いながら見ていた。
今月発売のステレオの表紙にも登場されている。

デノンが、PMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONにかける意気込みが、
よくわかるといえばそうだけど、もう聴く前からお腹いっぱい、そんな感じがしてくる。

インターナショナルオーディオショウのデノンのブースでは、
この二機種が鳴っていたはずである。

私はデノンのブースには寄らなかった。
もうお腹いっぱい、という感じだったからだ。

ここまでくると逆効果と感じる人も出てきているのではないだろうか。

「音は人なり」とずっと以前からいわれてきているし、
私自身も、ここでしつこいぐらいち書いてきている。

なので開発者という「人」が誌面に登場するのはいいことだと思っているが、
ここまでくると、どうだろうか、と何かいいたくなる。

同じようなことが二十年くらい前にもあった。
ケンウッドからミニコンポの高級版といえるK’sシリーズが出た。

この時も、オーディオ各誌に、開発を主導した人がよく登場していた。
たしかEさんだった、と記憶している。