Archive for category 広告

Date: 2月 5th, 2023
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その5)

ステレオサウンドの読者は、
オーディオアクセサリーなんて、といって読まないのだろうか。
オーディオアクセサリーの読者も同じように、
ステレオサウンドなんて、といって読まないのだろうか。

二誌とも読む人のほうが多いように思っているけれど、実際のところはどうなのか。
こんなことを、いまさら書いたのは、
オーディオアクセサリーとステレオサウンドでのパラダイムのスピーカーの取り上げ方に、
かなりの温度差を感じたからである。

この項で書いているように、オーディオアクセサリー(いうよりも音元出版)は、
パラダイムのスピーカーを積極的に取り上げている。

パラダイムのスピーカーシステムを聴いていないので、
その音、実力については何も語れないのだが、
聴いた友人は、優秀なスピーカーだよ、といっていた。

そうなのだろう、とは思っている。
優秀なスピーカーなのだろうが、ステレオサウンド 225号を眺めていると、
ベストバイで写真つきで掲載されているのは、Persona Bだけである。
それも、小野寺弘滋、傅 信幸、三浦孝仁の三氏が星一つで、計星三つだけ。

他のモデルも星を獲得しているが、星の数が少なくて、
写真もコメントもなしの扱い。

オーディオアクセサリー、ステレオサウンド、
それぞれの編集方針の違いから、こういう違いが生じるのか──。

素晴らしいスピーカーシステムであれば、ここまでの違いは生じないのではないか。

オーディオアクセサリーの、というだけでなく、
輸入元のPDNの、ということも含めてあからさまなやり方が目立つだけではないのか。

あと二週間足らずで、オーディオアクセサリーの春号が発売になる。
そこでもパラダイムのスピーカーは、かなりのページを割いて取り上げられているのか。

Date: 1月 2nd, 2023
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その4)

パラダイム、マーティン・ローガンの輸入元であるPDNのウェブサイト
そこの会社概要には、こうある。
     *
社名である PDN は、”Premium Distribution Networks” に由来しています。
メンバーは長年に亘りオーディオ業界に携わってきた、業界に精通するプロフェッショナル集団であり、その豊富な知識や感性、ノウハウ、ネットワークを活かし製品を選定しています。マーティン・ローガン、パラダイムをはじめとして、世界中から真に価値のある一流の最先端オーディオ製品を厳選し、高品位な再生音楽芸術と文化を皆様にお届けしてまいります。
     *
PDNのスタッフがどういう人なのか、名前も経歴も私はまったく知らないが、
《メンバーは長年に亘りオーディオ業界に携わってきた、業界に精通するプロフェッショナル集団》、
このとおりならば、かなりキャリアを積んだ人たちなのだろう。

でも、そのキャリアとはいったいなんなのだろうか。
もちろん《豊富な知識や感性、ノウハウ》なのだろうが、
《ネットワーク》ともある。

素直に受け止めればすむことなのだが、
オーディオアクセサリーでのPDN製品の記事での取扱い方をみていると、
悪い意味で、この《ネットワーク》を捉えたくなるし、
《業界に精通するプロフェッショナル集団》とは、
それぞれのオーディオ雑誌のやり方を熟知しているということなのかしら、とも思ったりする。

ソーシャルメディアで目にしたことであり、確認しようがないのだが、
PDNはD&Mホールディングスと関係がある、とのことだ。

これが事実だとしたら、
ここ数年のデノンのタイアップ記事のあからさまなやり方と、
PDNのやり方は似ている、というか、同じように感じてしまう。

PDNとD&Mホールディングスとは無関係だとしても、
《長年に亘りオーディオ業界に携わってきた》PDNのメンバーの何割かは、
デノンで勤務していた人たちなのかもしれない。

そんなふうに勘ぐってしまうほど、
PDNとデノンのやり方はそっくりとしか思えない。

Date: 1月 1st, 2023
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その3)

オーディオアクセサリーの187号は、186号を読んだ時から、
ある意味楽しみにしていた。

パラダイムのスピーカーシステムを、次はどう扱う(どう記事にするのか)、
それが楽しみだった。

187号は少し前からKindle Unlimitedで読める。
187号も、オーディオアクセサリー的に見事だな、と変な意味で感心した。

「パラダイムのハイブリッドスピーカーを聴こう」という記事が載っている。
パート1とパート2の二本立て。
二本あわせて8ページの記事。

続いてマーティン・ローガンの記事が4ページ続く。
ここが、オーディオアクセサリー的といえる。

パラダイムとマーティン・ローガンの輸入元はPDNである。
PDN取扱いブランドの記事が12ページ続いているわけだ。

186号からのこういう展開が、いかにもオーディオアクセサリー的だと感じる。
ここから脱することができるのか──、
と書きたいわけではない。

これこそがオーディオアクセサリーなのであって、
編集者たちも脱しようとはまったく考えてないだろうし、
そこに乗っかってくるクライアントもいる。

Date: 9月 28th, 2022
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その2)

オーディオアクセサリーの186号の特集「“ペルソナ”を愛する評論家たち」、
この記事の担当者だったら──、そんなことをつい想像してみた。

私だったら、こんな記事は作らない、というのは無しで、想像してみたわけだ。
そのうえで、昨晩、私が書いたことを誰かに問われたとしよう。
なんと答えるか。

「ステレオサウンドとは違います」とまず言う。
「B&Wの800シリーズをあれだけ高く評価しながらも、
ステレオサウンドの評論家は誰も買わないじゃないですか。
うち(オーディオアクセサリー)の評論家は買っていますから」と。

評論家だから(業界の人たちだから)、安く買っているのだろう、と勘ぐることもできる。
実際に、多少は安く買っているはずだ。
定価で購入ということはまず考えられない。

それでも、彼ら六人は導入(購入)しているわけだ。
どんなに記事中で、素晴らしいスピーカーだ、いい音だ、と絶賛しても、
誰一人購入しないのと、六人が購入しているのとでは違ってあたりまえ。

六人のうち数人はメインスピーカーとしての導入ではないようだが、
それでも導入したという事実は、なかなかの説得力をもつことになる。

私のように勘ぐる人にはそれほどの説得力とならないだろうが、
それでも、そんな私でも、こういうことを今書いているわけだ。

私は「“ペルソナ”を愛する評論家たち」はタイアップ記事と受け止めている。
では、ステレオサウンドでのB&Wの800シリーズの記事はなんなのか。
800シリーズを誰も購入しないから、タイアップ記事ではない、ということになるのか。

こんなふうに想像してみると、
「“ペルソナ”を愛する評論家たち」の担当編集者は、
叛骨精神を少しは持っているのではないだろうか。

実際のところなんともいえないのだが、
ステレオサウンドにおけるB&Wの800シリーズと、
オーディオアクセサリーにおけるパラダイムのPERSONAシリーズは、
もしかすると、これから面白い展開になっていくのではないだろうか。

Date: 9月 27th, 2022
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(パラダイムのスピーカーについて・その1)

オーディオアクセサリーの186号を、いまKindle Unlimitedで読んでいるところ。
特集は「“ペルソナ”を愛する評論家たち」である。

ペルソナ(PERSONA)とは、パラダイムのスピーカーシステムの名称。
「“ペルソナ”を愛する評論家たち」には、
PERSONAを導入した六人が誌面に登場している。

PERSONA B導入が五人、PERSONA 3Fが一人である。

読んでいて、すごいなぁ〜、と変な感心をしてしまった。
パラダイムのPERSONAシリーズは、どの機種も聴いていないので、
どのくらいの実力なのかは知らないが、
聴いたことのある友人によると、けっこういいスピーカーだよ、といっていた。

いいスピーカーシステムなのだろう。
それにしても……、と私はやはり思ってしまう。

オーディオアクセサリーの186号の表紙は、PERSONA Bである。
そして特集が「“ペルソナ”を愛する評論家たち」で、
オーディオアクセサリーの執筆者六人の導入記。

この特集記事を、素直に読む(受け止める)人の割合はどのくらいなのだろうか。
私は、すごい(あからさまな)タイアップ記事だなぁ〜、と感心した。

ここまで堂々とやられたら、すごいなぁ〜、と感心するしかない。

もちろん、六人とも、タイアップうんぬんとはまったく無関係で、
PERSONAシリーズを導入したのかもしれない。
その可能性を完全に否定はできない。

けれど、やり方というものがあるだろう。
たとえそうであったとしても、これではタイアップ記事とは思われかねない。

Date: 6月 29th, 2022
Cate: 広告

広告の変遷(ヤマハの広告)

私が熱心に読んでいたころのステレオサウンドに載っていたヤマハの広告は、
そうとうに力の入ったものだった。
ある意味とんがっていたところもあった。

それだけに毎号、ヤマハの広告をじっくり見る(読む)のも楽しみの一つだった。
45号(1977年12月発売)にも、もちろんヤマハの広告はある。
プリメインアンプA1の広告が、カラーの見開き2ページであった。
その次のページも、ヤマハである。

ただしメインのカットはアナログプレーヤーのYP-D10なのだが、
広告の説明文はA1とペアとなるチューナーのT1のものなのだ。

キャッチコピーもT1のそれである。
内部写真も載っているが、これもT1である。

つまりもともとT1の広告なのに、なぜかメインカットだけがYP-D10に差し替っている。
当時、A1は注目していたプリメインアンプだけに、
この広告のことはいまもはっきりと憶えている。

誤植や写真の裏焼きなど、本ができ上がってから気づくミスは、実のところある。
あれほど校正をしたのに……、と思ってもすり抜けてしまうミスは、
なぜだか生れてきてしまう。

45号のヤマハの広告もそうなのだろうが、
この広告の制作担当者は、45号が手元に届いてから、そうとうに青ざめたことだろう。

Date: 6月 18th, 2022
Cate: 広告

響きに谺けよ(その2)

「響きに谺けよ」は、(その1)で書いているように、
四十年ほど前のヤマハのスピーカーシステム、NS690IIIの広告のキャッチコピーだ。

さきほどふと、
“L’art est le plus beau des mensonges”
ドビュッシーのことばを思い出した。

「芸術とは最も美しい嘘のことである」という訳で、
いろんなところで引用されている。

「音楽のために ドビュッシー評論集」(白水社刊)では、
「芸術というものは、うそのうちで最も美しいうそです。」として載っている。

「響きに谺けよ」と“L’art est le plus beau des mensonges”。
どこかで結びついているような感じがしている。

Date: 5月 18th, 2022
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その9)

(その8)へのfacebookへのコメントで、
今年の1月に創刊された「写真」という雑誌のことが書かれてあった。

年二回発行で、広告はなし。
作品と評論に集中した内容の雑誌とのこと。

まだ手にとっていないので、どんな本なのかについては書けないが、
「写真」が広告なしでやっていけるのだとしたら、
それはカメラ雑誌ではなく、写真雑誌だからこそだろう。

オーディオ雑誌は、カメラ雑誌と同じ分類となる。
写真雑誌と同じところに立ってほしい、と私は思っているけれど、
それをいまのオーディオ雑誌に求めるのは酷なことなのはわかっている。

それでも写真雑誌的性格の濃いオーディオ雑誌を読みたい。
私が別項で、月刊ステレオサウンドについて書いているのは、そういうことである。

Date: 5月 18th, 2022
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その8)

HiViがKindle Unlimitedで読めることは知っていても、
これまで読んでこなかったけれど、
月刊誌から季刊誌になるということで、最新号(6月号)を読んでみた。

ベストバイが特集であるにもかかわらず、
広告が少なすぎて驚いてしまった。

季刊誌になるぐらいだから広告が減ってきているのだろうなぁ、
と思っていたけれど、ここまで少なくなってきているのに、
しかもベストバイが特集の号で、これだけしか広告が集まらないのか──、
その現実に、いったいいつからこんなふうになっていったのか、
あれこれ思ってしまった。

HiViを読んでこなかった私は、
HiViが月刊誌ではなくなるのは、まだ先のことのように思っていたが、
毎号読んできた人ならば、月刊での発行は厳しいと感じていたことだろう。

ホームシアター・メーカーが雑誌に広告を出す余裕がなくなったのか。
そんなふうには思えない。

けれど現実に、広告は少ない。
季刊誌になったからといって急に増えるのだろうか。

Date: 10月 24th, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その7)

Kindle Unlimitedで、レコード芸術が読める。
しかも最新号がすぐに読める。

最新号が書店に並んでしばらくしないと、
Kindle Unlimitedでは読むことができない、ということはない。

これはレコード芸術(紙のヴァージョン)の売行きに関係してくるだろう。
レコード芸術を20代のころまでは毎月買って読んでいた。

それが徐々に買わなくなり、読めなくなった。
書店で手に取ることすらしなくなっていた。

それでもKindle Unlimitedで読めるとなると、目を通している。

レコード芸術を買っていたころもそうだんたけれど、
私はレコード評をそれほど熱心に読んでいなかった。

オーディオ雑誌の新製品紹介のページよりも、
レコード芸術の新譜紹介のページはボリュウムがある。
それでもさっと目を通すぐらいだった。

それはKindle Unlimitedになっても変らない。
レコード芸術に掲載されている新譜は、TIDALがあればかなり聴けるからでもある。

新譜紹介の記事が出る前に、興味がある新譜はTIDALで聴いてたりすることが、
新譜紹介の記事を読まなくなったことにつながっているが、
このことはレコード会社の広告に関しても、同じことがいえる。

レコード芸術を買っていたころは、新譜紹介の記事よりも、
レコード会社の広告を熱心に見ていた。
このことは、Kindle Unlimitedでも変らない。

以前ほど熱心に広告を見るわけではないが、
新譜紹介の記事よりはきちんと目を通している。

それで気づいたことがある。

私がレコード会社の人間ならば、
一人でも多くのクラシック好きの人に広告を見てもらいたい、と考える。
それもできるだけ早く見てもらいたいわけだ。

レコード芸術のKindle Unlimited版の配信が早い(同時な)のは、このためだろう。

Date: 8月 5th, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その6)

昨日、クイック・ジャパンの8月発売の号の発売を中止する、というニュースがあった。
編集体制の見直しのため、というのが次号休止の理由として発表されている。

この理由だけなのだろうか、と変に勘ぐってしまう。
これだけの騒動になってしまったため、広告が取りやめになってしまったのかもしれない。
すべてではなくても、ほとんどの広告が入る見込みがなくなってしまうと、
次号は休刊せざるをえない──、
これが現実的な理由のような気がしてならない。

編集体制の見直しだけが理由である可能性はある。
それでも広告に、今回の騒動がなんら影響を及ぼしていないとは考えにくい。

Date: 3月 7th, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その5)

広告も一切なし、
試聴機器もすべて購入してのオーディオ雑誌は、資金が潤沢であれば無理ではない。

総テストのような特集はやらずに、注目の機種を徹底的に取り上げるという内容であれば、
毎号あたりの機器の購入費用も、ある程度は抑えられよう。

そうやって工夫しながら、広告なし、すべて購入のオーディオ雑誌ができあがったとする。
一冊いくらになるのか。

きちんと計算したことはないが、一万円は軽くこえるであろう。
もっと高くなるとも思っている。

それでも、そういうオーディオ雑誌ならば読みたい、という人はきっといる。
そういう人だけを相手にして出版するのであれば、持続可能になるかもしれない。

でも、そんなオーディオ雑誌が実現したとして、
私が真っ先に思うのは、中学生、高校生の私は買えない、ということだ。

小遣いをやりくりして、レコードを買ったり、
ステレオサウンドを始めとするオーディオ雑誌を、あのころは買っていた。

それはまだステレオサウンドが一冊1,600円、
ほかのオーディオ雑誌が、500〜700円程度だったからである。

それでも毎号、すべてのオーディオ雑誌、聴きたいレコードが買えたわけではない。
ほんとうの意味での広告なしのオーディオ雑誌、
それは広告の入っているオーディオ雑誌なんて──、という人にとっては、
理想の、理想に近いオーディオ雑誌といえるかもしれないが、
オーディオに関心・興味を持ち始めばかりの若い人にとって、
そういえるだろうか。

一見、理想におもえるオーディオ雑誌があったとして、
オーディオの世界は発展していくだろうか。

Date: 3月 7th, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その4)

暮しの手帖のオーディオ版をやりたい、と考えた人はこれまでにもいる。
私も知っている。

そういうのをやりたいから一緒にやりましょう、と誘われたことがある。
けれど話をきいてみると、都合のいい話だった。

メーカーや輸入元から製品を借りて、暮しの手帖のオーディオ版をやる、というものだった。

暮しの手帖のオーディオ版をやりたいのであれば、
試聴器材はすべて購入する、ということである。

それがどれだけ大変なことは、すぐにわかる。
掃除機や洗濯機を購入してテストするのとでは予算の桁が違ってくる。
ステレオサウンドの最新号でも古い号でもいい。

その号の誌面に登場するオーディオ機器の定価をすべて足してみる。
アンプやスピーカーの総テストともなると、その額はさらに大きくなる。

それに購入したオーディオ機器を保管するためには、それだけのスペースが必要になる。

しかも暮しの手帖のオーディオ版では広告なしなのだから、
これらの経費はすべて本の売上げでまかなうことになるし、
本の価格にも直接に関係してくる。

それこそ特集の内容次第で、定価が変ることだろう。
総テストの号は高くなって、試聴を必要としない特集の号は安くなる、というようにだ。

「オーディオ大全2021」は広告一切なしを謳っているが、
「オーディオ大全2021」の価格で、
誌面に登場しているオーディオ機器を購入しているとは考えられない。

メーカーや輸入元から試聴記を借りているはずである。
このことは間接的な広告といえる。

「オーディオ大全2021」は、いわば入門書である。
だから、「オーディオ大全2021」を買おうかな、と考える人は、
オーディオに興味を持ち始めたばかりの人なのだから、
「広告一切なし」という謳い文句に騙されるかもしれない。

広告は「オーディオ大全2021」にはない。
けれど、目に見える広告がないだけであって、目に見えない「広告」がないわけではない。

Date: 3月 3rd, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その3)

バブルのころのステレオサウンドで試したことがある。
広告ページをすべて取りのぞいた状態のステレオサウンドにしたことがある。

広告が──、という人もふくめて、これは一度やってみたらいい。
広告が、その雑誌を華やかにしてくれていることを実感するであろうから。

もちろん、そうでない広告も多い。
そういう広告を省くことですっきりする、ということもわかる。

雑誌を華やかにしてくれる広告だけを残して、
ごちゃごちゃした印象の広告をすべて省けたら──、
そう思わないこともないが、どちらもあっての雑誌とも思っている。

日本で、広告が載っている雑誌なんて──、という風潮があるのは、
暮しの手帖の影響もあってのことだろう。

暮しの手帖のオーディオ版を、
広告が──、という人たちは望んでいることだろう。

暮しの手帖のオーディオ版は可能なのだろうか。
「広告一切なし」と掲げている「オーディオ大全2021」は、
暮しの手帖のオーディオ版といえるのだろうか。

「オーディオ大全2021」には広告は載っていないが、
だからといって、メーカー、輸入元の協力がなかったわけではない。

暮しの手帖と同じやり方をオーディオ雑誌で貫くならば、
誌上に登場するオーディオ機器をすべて購入することから始めなくてはならない。

意外にも、このことを、広告が──、とすぐに口にする人たちは忘れているのか、
試聴をするには何が必要なのかを、まったく考えていないのか、と問いたくなる。

「オーディオ大全2021」が、
誌面に登場しているオーディオ機器をすべて購入しての記事づくりであったならば、
表紙の「広告一切なし」が光り輝くことだろう。

けれど現実には、断言してもいいが、購入しての記事ではない。

Date: 3月 3rd, 2021
Cate: 広告

オーディオ雑誌と広告(その2)

(その1)へのfacebookでのコメントにあったし、
私もそう思っているのは、広告がある、ないだけで判断するのであれば、
テレビだとNHK以外はすべて信用できない、ということになるし、
NHKだけは信用できる、ということでもある。

新聞は、というと、広告が載っているから信用できない、となる。

広告が載っている雑誌に書いてあることなんて、
まったく信用できない──、と一刀両断する人は、NHKの報道のみを信じて、
ほかのテレビ、ラジオ、新聞の報道はまったく信用していないのか。

おそらくそうではないだろう。
なぜ、雑誌のみ、広告が──、となるのだろうか。

オーディオ雑誌で広告なしは無理なのか、ときかれることがある。
無理ではない。
けれどステレオサウンドから広告ページを省いて、
残りの編集ページがどれだけあるのか。

それをいまのステレオサウンドと同じカラーページの割合、
紙質などを維持したままで出版したとしたら、
一冊あたりいくらになるだろうか、と考えてみてほしい。

広告の分、ページが減るとはいえ、いまの価格と同じとはいかなくなる。
書籍は広告なしだろう、という人がいるが、
書籍と雑誌のつくりを比較してみてほしい。

ここでいうつくりとは、本そのものつくりだけでなく、
そこに携わっている人の多さも含めて、である。

広告があるから、いまの価格で出せる、ということを忘れないでほしい。
そういうと、いくら高くなっても、広告なしの雑誌ならば買う、と、
広告が──、という人は、そういう。

いうのは簡単だ。
誰にでもできる。
ほんとうにステレオサウンドが広告なしで出版されて、
価格がそうとうに高くなったら、今度は高い、というのではないだろうか。
そして広告の分ページ数は減るのだから、
こんなに薄くなったのだから、なぜ値上げするのか、というかもしれない。