Archive for category 楷書/草書

Date: 2月 11th, 2015
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その4)

その人の書く字と音(演奏)との関係で思い出すのは、
黒田先生の、カルロ・マリア・ジュリーニについて書かれた文章がまずある。

マガジンハウスから出ていた「音楽への礼状」に、この文章はおさめられている。
ジュリーニが、マーラーの交響曲第九番をシカゴ交響楽団と録音した1977年から五年後の1982年に、
ジュリーニはロサンゼルス・フィルハーモニーとともに来日公演を行っている。

この時黒田先生はジュリーニにインタヴューされ、マーラーの九番のスコアにサインをもらわれている。
     *
 あのとき、マーラーの第九交響曲のスコアとともに、ぼくは、一本の万年筆をたずさえていきました。書くことを仕事にしている男にとって、自分に馴染んだ万年筆は、他人にさわられたくないものです。そのような万年筆のうちの一本に、AURORAというイタリアの万年筆がありました。その万年筆は、ずいぶん前に、ミラノの、あなたもご存知でしょう、サン・バビラ広場の角にある筆記用具だけ売っている店で買ったものでした。そのAURORAは、当時、ようやく馴染みかけて使いやすくなっているところでした。でも、あなたはイタリアの方ですから、それでぼくはAURORAでサインをしていただこうと、思いました。
 おそらく、お名前と、それに、せいぜい、その日の日づけ程度を書いて下さるのであろう、と漠然と考えていました。ところが、あなたは、ぼくの名前から書きはじめ、お心のこもったことばまでそえて下さいました。しかし、それにしても、あなたは、字を、なんとゆっくりお書きになるのでしょう。ぼくはあなたが字をお書きになるときのあまりの遅さにも驚きましたが、あなたの力をこめた書きぶりにも驚かないではいられませんでした。スコアの表紙ですから、それなりに薄くはない紙であるにもかかわらず、あなたがあまり力をこめてお書きになったために、反対側からでも字が読めるほどです。
 時間をたっぷりかけ、一字一字力をこめてサインをして下さっているあなたを目のあたりにしながら、ぼくは、ああ、こういう方ならではの、あのような演奏なんだ、と思いました。
     *
ジュリーニが、ゆっくりと書くのは、さもありなんと、ジュリーニの演奏を聴いたことのある人あらば思うだろう。
黒田先生の文章で興味深いのは、力をこめた書きぶりである。

スコアの表紙の裏側からでも字が読めるほどの力のこめぐあいである。

ゆっくりと、力をこめる。
こういう音でジュリーニの演奏は聴くべきである。

Date: 8月 24th, 2011
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その3)

楷書か草書かということではないが、
オーディオ機器の聴かせる音も、文字に関することで区分け、というか、いい表すことができるところもある。

つくり手の手書き文字を思わせる音を聴かせるモノもあれば、
活字的な音(その中で、書体によってまた分れてくる)もある。

たとえばピーター・ウォーカーがいたころのQUADのアンプの音は、
ピーター・ウォーカーによる手書きの文字のようなところがあったように、いま思う。

その手書きの文字にも楷書、草書的な違いがあるし、
それだけではなく文字を書く速さの違いもあるように感じている。
達筆でサラサラサラッと流れるように書かれていく文字もあれば、
ゆっくりゆっくり確かめるように丁寧に書かれていく文字もある。
筆圧の違いもある。

パソコンが普及してネットも普及して、手書きの文字を見る機会がぐんと少なくなっているからか、
たまに手書きの文字を読むと、こんなことを思ってしまう。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その2)

楷書か草書かで言えば、カラヤンのスタジオ録音は楷書であろう。 
70年代の録音を聴くと、そう感じる。

楷書、草書のふたつだけで区分けすることの無理があるのはわかっている上で、 
5月発売になった、最後の来日公演のライヴ録音のなかのブラームスの交響曲第1番は、
楷書なのかと、自問する。考えこんでしまう。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その1)

アバドのマーラーは、私にとっては、1980年前後にシカゴ響との旧録のほうが、
そのなかでも交響曲第1番は、ひときわ印象ぶかいものとなっている。 

1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」の取材で、
アバドによる第1番をはじめて聴いたとき、
第1楽章出だしの緊張感、カッコウの鳴き声の象徴といわれているクラリネットが鳴りはじめるまでの、
ピーンと張りつめた、すこしひんやりした朝の清々しい空気の描写に、
息がつまりそうな感じに陥ったのを、はっきりとおぼえている。

ステレオサウンドにはいってまだ数ヶ月。
長時間の、しかも数日続く試聴にまだなれていなくて、
さらに、たとえば4344の試聴にしても、4343との比較、
アンプも3通りほど用意してという内容だっただけに、
試聴室の雰囲気も緊張感がみなぎっていて、そこにアバドの演奏で、ぐったりになったものだ。 

いったい、何度聴いたのだろう……。

だからというわけではないが、じつは随分長い間、アバドの1番は聴いてこなかった。
なのに去年暮、ふと聴きたくなってあらためてCDを購入した。 
82年から25年の間に、いくつかの第1番を聴いた。
バーンスタインの再録ももちろん聴いている。 

ひさしぶりのアバドの演奏を聴いて感じたのは、
「このころのアバドは楷書で、バーンスタインは草書」ということ。 

こういう区分けはあまりやらないほうがいいのはわかっていても、
楷書か草書かで、自分の好きな演奏家や音を照らし合わせてみるのはおもしろい。