臨書について、
(その5)、(その6)、(その7)、(その8)で触れている。
書に詳しくない者は、
つい書くために手本となる書を見る、と受け止めがちなのだが、
実際のところは、見るために書くのが、臨書のもつ意味ということ。
手本となる書そのままに書くためには、確かに手本の書を見なければならない。
細部を拡大するように見ることも必要だろうが、同時に、
手本となる書全体を捉えるように見ることも大事なはずだ。
宮本武蔵の「五輪書」には、
「観の目」と「見の目」がある。
「観の目」と「見の目」、
どちらか片方だけでは満足のいく臨書は書けない、と思う。