Date: 11月 12th, 2018
Cate: 楷書/草書
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楷書か草書か(その8)

オーディオにおける臨書について考えていると、
摸作か贋作か、ということを考える。

臨書で、手本そっくりに書けたとしよう。
書いた本人にしか、どちらが手本なのかがわからぬほどの出来であっても、
それは摸作である。

その摸作を、何もいわずに、あたかも本物として誰かに売ってしまえば、
その時点で贋作となる──、
そんなことを考えていた。

書いた本人ではなく、誰かがこっそり売ってしまうこともあろう。
書いた本人にとっては摸作でも、
そうやって売られてしまえば贋作となるわけだ。

いま別項「日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……)」で、
クレル、FMアコースティックス、ダールジール、QUADなどのクローンアンプのことについて書いている。

これらは摸作なのか、それとも贋作なのか。
1980年代に出回っていたクレルの偽物は、中身がスカスカで、
儲けだけを狙ったモノだけに、はっきりと贋作(しかも程度の悪い)である。

では、今回の暮れるのKSA50のクローン製品は、贋作なのか。
偽物は、本物と謳う。
けれど、今回のKSA50はそうではない。

それにオリジナルのKSA50は三十年以上も前に製造中止になっている。
そのことはオーディオマニアならば知っているわけで、
そうなると今回のKSA50は摸作のまま、商品となっているのか。

こんなことを考えていると、もう一度贋作について考えることになる。
1980年代の、誰でも偽物と見破れる程度ではなく、
オリジナルのKSA50の音を聴いたことのある人をも、
KSA50の音だ、と騙せてしまえるほどのKSA50そっくりのアンプがあったとしよう。

これは売る売らないに関係なく、贋作といえるのではないのか。

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