Archive for 4月, 2014

Date: 4月 30th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その9)

「音に淫してしまうような」のところを読んで、
あの当時、アクースタットの世界にまいってしまった者のひとりとして思い出すことがある。

ある試聴のとき、アクースタットのことが話題になった。
よく出来ているコンデンサー型スピーカーとして認めるけれども……、とある人がいわれた。
これは記事にはなっていないし、誰の発言なのかにはふれない。

そう、こんなことをいわれた。
「女だと思って服を脱がしてみたら男だった。そういうところがアクースタットの音にはある」

このとき他の方も同席されていて、「たしかにそういうところがある」と同意されていた。

そのころの私はアクースタットにまいっていたものの、
もうひとつ買う決心がつかないままでいた。
そこに、この発言だった。

これに対して、半分は反論したかった気持と、それが決心を鈍らせていたのかも、と思った。

何もスピーカーは擬人化で女性である必要はない。
男性的であるスピーカーもあるし、いい音であるならば男性的なスピーカーにだって惚れる。

けれどアクースタットのように性別が不明、とでもいおうか、
そういう性格の音に対しての敏感さは、当時の私にはまだなかった。

「音に淫してしまうような」アクースタットの音は、そういうところなのかもしれない。

念のため書いておくが、だからといってアクースタットの音を否定したいのではない。
いまふり返ってみて、アクースタットの登場は、
あきらかにそれまでのアメリカのスピーカーということにとどまらず、
ヨーロッパのスピーカー、日本のスピーカーにもなかった性格を持っていた、ということがはっきりとしてくる。

Date: 4月 30th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その8)

ステレオサウンド 100号には、こう書かれている。
     *
 しばらくして『ステレオサウンド』の試聴室でアクースタットに出会う。声を聴いたときの独特の生々しさ、ある色っぽさにほろっとまいってしまった。すこし潤んだような目で見つめられたような感じであった……きつめの女につき合ってきて、すこし疲れていたのかもしれないし、僕のほうもエネルギーが落ちていたのかもしれない。
 だが、これは「暗い」というか、「うつむきかげん」というか……聴くものも完全にそっちへ振られてしまった。あの時代、聴いていたのは圧倒的に歌と弦、ジャズはあまり聴かなかった。ポップスを聴いても女性ヴォーカル、なにか音に淫してしまうようなところがあった。
     *
黒田先生がアクースタットと出会われたのは1982年だから、
1938年1月生れの黒田先生は44歳。
40代の後半をアクースタットという「うつむきかげん」のスピーカーで、
歌と弦を圧倒的に聴かれていたことになる。

このとき、黒田先生にとっての「怒る勇気を思い出し、怒るという感情の輝きを再確認」する音楽である、
チャールス・ミンガスは聴かれていたのだろうか……。
「音楽への礼状」で、
「ぼくは、怒ることを忘れるほどに疲れたとき、これからもずっと、あなたの音楽をききつづけます。」
とまで書かれている。

アクースタットでは、ジャズはあまり聴かなかった、とある。
ここでのジャズにミンガスは、きっと含まれている。

Date: 4月 29th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その7)

アクースタットのコンデンサー型スピーカーは、
同じコンデンサー型であってもイギリスのQUADのESLとは違うところがある。

以前、瀬川先生がステレオサウンド 52号で、
マッキントッシュのアンプとQUADのアンプの違いについて書かれていることが、ここでもあてはまる。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万五を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
 けれどこんにちのマッキントッシュは、決して大河小説のアンプではなくなっている。その点ではいまならむしろ、マーク・レビンソンであり、GASのゴジラであろう。そうした物量投入型のアンプにくらべると、マッキントッシュC29+MC2205は、これほどの機能と出力を持ったアンプとしては、なんとコンパクトに、凝縮したまとまりをみせていることだろう。決してマッキントッシュ自体が変ったのではなく、周囲の状況のほうがむしろ変化したのには違いないにしても、C29+MC2205は、その音もデザインも寸法その他も含めて、むしろQUADの作る簡潔、かつ完結した世界に近くなっているのではないか。というよりも、QUADをもしもアメリカ人が企画すれば、ちょうどイギリスという国の広さをそのまま、アメリカの広さにスケールを拡大したような形で、マッキントッシュのサイズと機能になってしまうのではないだろうか。
     *
アメリカという国とイギリスという国の広さの違いが、
アクースタットのコンデンサー型とQUADのコンデンサー型との違いといえる。

アクースタットのModel3でもQUADのESLよりも振動板の総面積は確保している。
さらに黒田先生はModel3の次に倍のサイズのModel6を入れられている。

Model6までくると、そのままアメリカとイギリスの国の広さの違いにより近くなってくる。
そういうコンデンサー型スピーカーだから、音のエネルギーはQUADよりも出してくる。

けれど、アクースタットの音は本質的にうつむきがちであり、決して背筋のぴんとした印象ではない。
黒田先生もそのことは、アクースタットと出合ったSound Connoisseurでも語られているし、
ステレオサウンド 100号でも、また語られている。

Date: 4月 28th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その6)

ステレオサウンド 100号を読めば、その理由の一端がわかる。
     *
(4320は)しかし、いくら眼がぱっちりといっても、細やかさがすこさし足りないように思えた。次に買った4343はそれをうまく補ってくれたが、4320のあのパーンと音の出る、響きのある開放感は抑え込まれてしまった。
     *
4320は黒田先生が書かれているように、ピアニストのポリーニが出てきたころに登場している。
「かれのあのピーンと張った音と4320が合った」ことで手に入れられたわけである。

ステレオサウンド 100号では、
「究極」とは可変のXと可変のYを掛け合せているようなもの、と書かれている。
「可変のYの部分が、機器そのものによって変化させられてしまう」し、
「音楽とハードが持ちつ持たれつ変っていく」わけだ。

黒田先生は「幾つになってもXとYを可変の状態においていたい」から、
黒田先生のスピーカー遍歴はある。

「なよなよしたスピーカーはきらい」で、
「背筋がぴんとしていて目がきっとしている……そんなスピーカーにいつも惹かれてきた」黒田先生が、
4343のあとに入れられたのはアクースタットのModel3だった。

スピーカーから出てくる音の感じとり方は人によって違うのはわかっている。
アクースタットのコンデンサー型スピーカーの音を、どう受けとめるかも人によって違うのを知っている。

そのうえで書けば、アクースタットは「なよなよした」ところをもち、
「背筋がぴんとして」いるとは言い難い面をもつスピーカーである。
そういうスピーカーを、黒田先生は4343の次に迎え入れられている。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その10)

ホセ・カレーラスは”AROUND THE WORLD”に収録されている各国の歌を、その国の言葉で歌っている。
「川の流れのように」も英語やスペイン語に置き換えることなく歌っている。

ただホセ・カレーラスにとって日本語は難しかったのか、
一番の歌詞のみを歌っていて、あとはいわゆるサビの部分をくり返している。
その意味では、他の収録曲からすればやや不完全な、ともいえなくもないが、
それでもホセ・カレーラスの歌う「川の流れのように」を聴いての感動をいささかも損なうわけではない。

美空ひばりの歌唱ではそんなことはないのだから、
なにもホセ・カレーラスを聴かずとも……、ということになるから、
「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」ということにつながるのかもしれない。

それとも歌も、あくでもオリジナルで、ということなのかもしれない。

ホセ・カレーラスの日本語は完璧とはいえない。
それはグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いていても、ある。
日本語を母国語としていない人だから、ともいえるし、
そういう人が歌う日本語の歌に、日本人が歌う日本語の歌よりも感動している私がいる。

歌がうまいから、ホセ・カレーラス、グラシェラ・スサーナの日本語の歌に感動しているか。
グラシェラ・スサーナによる日本語の歌に夢中になったときから、このことは問いつづけてきていた。

Date: 4月 27th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その9)

グラシェラ・スサーナはアルゼンチン生れ。
そのグラシェラ・スサーナが歌う日本語の歌を聴いて、夢中になった。

「黒い瞳はお好き?」も日本語の歌だった。
日本語の歌ならば日本の歌手で聴くのがいいのではないか、というのはわかる。

ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”は、
私にとってホセ・カレーラスのベストアルバムである。これから先もずっとそうであるだろう。

ここでのホセ・カレーラスは、クラシックの歌を歌っているわけではない。
各国の、いわゆるポピュラーな曲を歌っている。
日本語の歌も一曲ある。

「川の流れのように」を歌っている。

“AROUND THE WORLD”というアルバムについて、
そして「川の流れのように」について語ると、
きまって「なぜ、美空ひばりの歌で聴かないのか」といわれる。
もっともな意見だと思う。

美空ひばりに対してアレルギーのようなものを持っている人がいるのは知っている。
私には、そういうアレルギーのようなものはない。
美空ひばりの歌う「川の流れのように」も、もちろん聴いたことがある。

そのうえでホセ・カレーラスの「川の流れのように」は素晴らしい、と思う。
美空ひばりの「川の流れのように」とホセ・カレーラスの「川の流れのように」、
どちらが上とか、そういう話ではない。

Date: 4月 26th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その8)

「ゆれる、まなざし」に対抗してカネボウは「黒い瞳はお好き?」だった。

「ゆれる、まなざし」は憶えていても「黒い瞳はお好き?」はどんなコマーシャルだっけ? という人は多いだろう。
YouTubeでも「黒い瞳はお好き?」のコマーシャルは見ることができない。
誰もアップロードしていないからだ。

コマーシャルについて語られるとき「ゆれる、まなざし」は話題になることがこれからもきっとあるだろうが、
「黒い瞳はお好き?」が話題になることは、ほとんどないだろう。

それでも私にとっては「黒い瞳はお好き?」ははっきりと憶えているコマーシャルである。
このコマーシャルで、グラシェラ・スサーナという歌手を知ることができたからだ。

コマーシャルのどこかにグラシェラ・スサーナの名前が出ていたのかどうかは憶えていない。
近所のレコード店に「黒い瞳はお好き?」のシングル盤を買いにいった時も、
グラシェラ・スサーナの「黒い瞳はお好き?」としてではなく、
カネボウのコマーシャル・ソングの「黒い瞳はお好き1」を買いにいった。

コマーシャルではサビの部分しか流れてこない。
シングル盤で初めて頭から最後まで聴いた。

一度聴いて、すぐさままた聴いた。
立て続けてに四回ほど聴いたことをいまでも憶えている。
それからは毎日必ず聴いていた。

Date: 4月 26th, 2014
Cate: 香・薫・馨

便利であっても(その7)

1976年秋、資生堂のコマーシャル。
テレビをみていて、これほどどきっとしたことは、初めてだった。

それまではテレビ・コマーシャルはどちらかといえばジャマなものだと感じていた。
たまには面白く感じるものもあったけれど、できればなければないほうがいい、などと思っていたのに、
1976年秋の資生堂のコマーシャルは、また見たい、と思い、チャンネルを切り替えていた。

1976年秋の資生堂のコマーシャルは、もうこれだけでどのコマーシャルなのか、
すぐに思い出せる人はいる。私だけではないはず。

コマーシャルに登場していたのは真行寺君枝、
バックに流れていた歌は小椋佳の「揺れるまなざし」、
広告のキャッチコピーは「ゆれる、まなざし」だった。

YouTubeで検索すればすぐに見つかる。
真行寺君枝のバックにスピーカーがうつっている。
JBLの4325と思われるスピーカーである。

1976年当時は家庭用ビデオレコーダーはまだまだ普及していなかった。
だから録画してくり返し見ることはできない。
とにかくテレビで流れるのを見るしかなかった。

「ゆれる、まなざし」のコマーシャルが最高のコマーシャルかどうかは私には判断できないけれど、
いまでも印象に残っていることは確かである。

Date: 4月 25th, 2014
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その12)

一般的にセパレートアンプはプリメインアンプの上位に位置づけされる。
あるメーカーのプリメインアンプのトップ機種とセパレートアンプのトップ機種とでは、まず価格が違う。
当然も音も違うわけで、信用できるメーカーのモノであれば、セパレートアンプの方が、いい音といえる。

それでもセパレートアンプはプリメインアンプよりも、すべての面で音がいい、といえるのだろうか。

瀬川先生がこんなことを書かれている。
JBLのプリメインアンプSA600を初めて聴かれたときのことについて、である。
     *
結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
(ステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」巻頭の「いま、いい音のアンプがほしい」より)
     *
これはそうだと思う。
SG520+SE400Sのペアと、SA600を直接比較試聴したことはないけれど、
優れたプリメインアンプであればあるほど、セパレートアンプでは感じとりにくい音の良さがあるものだ。

もっとも瀬川先生がSA600を聴かれた時代はアナログディスクがメインのプログラムソースの時代であった。
CDはまだ登場していない。
つまりフォノイコライザーを必要とするシステムにおいて、の話である。

いまはCDしか聴かないのであれば、コントロールアンプを使わないということも選択できる。
コントロールアンプが不要なのか、それとも必要なのかは、ここで触れると大きく脱線してしまう。
だが、この時代はフォノイコライザーが絶対に必要不可欠であり、
コントロールアンプもまたそうであった時代の話である。

Date: 4月 24th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その5)

「なよなよしたスピーカーはきらい」で、
「背筋がぴんとしていて目がきっとしている……そんなスピーカーにいつも惹かれてきた」黒田先生。

ステレオサウンド 100号の「究極のオーディオを語る」によれば、
ワーフェデールが最初のスピーカーで、次に岡先生から譲られたアコースティックリサーチのAR3。
この次がJBLの4320。

4320の次は同じJBLの4343。
その後、アクースタット、アポジーとつづく。

4320と4343。
同じJBLの、それも同じスタジオモニターとして開発されたスピーカーシステムなのだから、
例えばAR3と4320、4343とアクースタットの違い、アクースタットとアポジーDivaとの違い、
これらの違いにくらべれば、近い音のするスピーカーといえなくもない。

けれどそんな4320から4343へのスピーカー遍歴において、
黒田先生は4320を手元に残されている。

4343からアクースタットModel3へのとき、4343は手離されている。
アクースタットModel6からアポジーDivaへのときも、Model6は手離されている。
その黒田先生が、4320だけは、松島の家で鳴らされているわけである。

ここに4320のというスピーカーシステムの魅力があられわている。

Date: 4月 23rd, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その4)

4320の系譜といえるJBLの2ウェイのスタジオモニターには、4325、4331がある。
4320を含めて中高域には2420コンプレッションドライバーと音響レンズつきの2307-2308ホーンを採用している。
エンクロージュアも共通といえる。

この3モデルの違いは主にウーファーにある。
4320は2215B、4325は2216、4331は2231Aであり、
クロスオーバー周波数は4320と4331が800Hz、4325は1.2kHzとなっている。

いずれも15インチ口径で、コルゲーションがはいったコーン型である。
f0は2215が20Hz、2216が24Hz、2231Aが16Hz。
再生周波数帯域は2215と2216が35~1200Hz、2231Aが25~2000Hz。
出力音圧レベルは2215が94dB/W/m、2216が96dB/W/m、2231Aが93dB/W/m。
磁束密度は2215と2216は11000gauss、2231Aは12000gauss。

参考までに1977年の時点で、2231Aが68000円、2215が82500円、2216が87800円となっている。

こんなスペックを書いたところで、それぞれのウーファーの音の違い、
さらにはこれらのウーファーを搭載した4320、4325、4331の音の違いがはっりきとしてくるわけではない。

それでも4320と4325のクロスオーバー周波数の違いはウーファーの違いに密接に関係していることで、
4320と4325の音の違いでもある。

4325は4320の改良モデルと受けとめている人もいるが、
4320と4325は実際には併売されていた事実からすると、
4325は4320のヴァリエーションのひとつという見方もできる。

4325の音について、井上先生がステレオサウンド 62号に書かれている。
     *
聴感上では、クロオーバー周波数が上がっているため、中域のエネルギーが増加して、いわゆる明快な音になったのが、4325の特長である。しかし、ウーファーを高い周波数まで使っているために、エネルギー的には中域が厚くなっているものの、質的にはやや伴わない面があり、4320ほどの高い評価は受けなかったのが実状である。
     *
もし黒田先生が4320ではなく4325を鳴らされていたら、
4343の導入時に手離されたのではないだろうか。
4331でもおそらくそうだった、と思う。
4320だから、譲るのをやめられたのであり、4320と4331の違いがはっきりとある。

Date: 4月 22nd, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その3)

タンノイ・オートグラフは五味先生、JBL・4343は瀬川先生、マッキントッシュ・XRT20は菅野先生、
ボザーク・B310なら井上先生、エレクトロボイス・パトリシアン600は山中先生、JBL・パラゴンはやはり岩崎先生、
というように(他にもいくつもあげられる)、
私の中ではいくつかのスピーカーは、特定の人と分ち難く結びついている。

JBL・4320はというと、私の中では黒田先生ということになる。
ステレオサウンド 38号をみれば、菅野先生も4320を使われていたことがわかる。
JBLの375+537-500を中心とした3ウェイ・システムの他に、
ブラウン・L710、JBL・L26(4チャンネル用システム)と一緒に4320(2405を追加されている)がある。

菅野先生のリスニングルームは、その後60号に登場している。
このときには4320もL26もL710もなくなっていた。
その後わかったことだが、菅野先生の4320は井上先生のところにいっている。

菅野先生も使われていた4320なのだが、それでも私の中では4320といえば黒田先生がまず浮ぶ。
黒田先生といえば、人によっては同じJBLのスタジオモニターの4343、
4343の後にいれられたコンデンサー型のアクースタット、
さらにその後のアポジーDivaを思い浮べる人の方が多いように思う。

私も、黒田先生といえば、ということになると、4320よりもDivaやアクースタットを思い浮べる。
けれど、ここでは逆である。
JBL・4320といえば……、であるからだ。

ステレオサウンド 100号での黒田先生の文章が強く私の中で残っている。
     *
4343が運び込まれたとき、4320はある友人に譲る約束がしてあって、トラックの手配までしてあったが、なぜか別れ難かった。女房が「こんなにお世話になったのに悪いんじゃないの」と言ってくれたのを渡りに船と、「そうか」と譲るのをやめた。いまも松島の家で鳴っている。
     *
「究極のオーディオを語る」の中での一節だ。

Date: 4月 21st, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL Studio Monitor (4300series)

このところJBLの1970年代のスタジオモニターのことを立て続けに書いている。
4301、4311、4315、4320のことを書き始めた。

4301のことは昨年のいまごろ、「世代とオーディオ」というテーマで書いている。
(その6)まで書いている。実はこれで4301については終りだった。
それをまたひっぱり出して続きを書き出したのは、ちょうど4301本目だったからである。

2008年9月から書き始めた、このブログも4300本以上になった。
4300という数字は、特に切りの良い数字ではないけれど、
1970年代後半からオーディオに夢中になった者にとって、4300という数字は特別である。
もちろんまったくそんなことは感じないという人も少なくないのはわかっている。
それでも瀬川先生の文章を読み、JBLの4343に夢を抱いてきた私にとっては、
4300台の数字は無視して通りすぎることはできない。

だから4301本目に4301のことを、
4311本目に4311のこと、4315本目に4315のこと、4320本目に4320のことを書き始めた。
4350本目に4350を書き始めるまでは、これが続く。

Date: 4月 21st, 2014
Cate: アナログディスク再生, 型番

型番について(その30)

空気の力でターンテーブルプラッターを一定速度で回転させるには難しい面があるのは容易に想像できる。
それに空気の力でスムーズに回転させられるようになったとしても、
起動時の問題が残るはずだ。

軽量のターンテーブルプラッターであれば少ない力でも静止状態から動き出すけれど、
テクダスのAir Force 1や、これまで音が良いとされてきたプレーヤーのターンテーブルプラッターは、
たいていが重量級である。

重量級のターンテーブルプラッターを静止状態から動かすには、けっこう大きな力を必要とする。
おそらく空気の力でそれを実現するのはさらに困難なことだろうと想像がつく。

でもいいじゃないか、とも思う。
いまアナログディスク再生に、これだけのプレーヤーを手に入れようとする人ならば、
これまでどのプレーヤーでも鳴らすことができなかった音の領域を提示してくれるのであれば、
起動時に使い手が手動で勢いをつければ、問題は簡単に解決する。

この一手間を面倒だと感じる人は、そもそも今の時代にアナログディスク再生にこれほどの情熱をかけたりはしない。
もっと普及価格帯のプレーヤーであれば、
どんな人が使っても常に一定性能が発揮できることが重要になるけれど、
数百万円もするアナログプレーヤーは、そういうことを無視しようと思えばできる位置に、いまはある。

Air Force 1という型番は、それほどいい型番とは思えない。
それでもどういうプレーヤーであるのかを表しているから不足のない型番とはいえる。
型番を変えたほうがいい、とはいわない。

いいたいのは、製品の内容から型番がつけられる。
今度はその型番の意味をもう一度考え直すことで、
その型番がつけられた製品の目指す方向が見えてくるのではないか、ということ。

Date: 4月 20th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4320(その2)

JBL・4320は、いまのところ聴く機会がない。
4331、4333は何度かあったけれど、4320は見かけるだけで終ってしまっている。

ユニット構成、エンクロージュアから安直に判断すれば4320は、4331を聴けば十分だろう、ということになる。
けれどほんとうにそうのだろうか。

ステレオサウンド 62号には、井上先生による「JBLスタジオモニター研究」が載っている。
4320について書かれている。
     *
 余談ではあるが、当時、4320のハイエンドが不足気味であることを改善するために、2405スーパートゥイーターを追加する試みが、相当数おこなわれた。あらかじめ、バッフルボードに設けられている、スーパートゥイーター用のマウント孔と、バックボードのネットワーク取付用孔を利用して、2405ユニットと3105ネットワークを簡単に追加することができたからだ。しかし、結果としてハイエンドはたしかに伸びるが、バランス的に中域が弱まり、総合的には改悪となるという結果が多かったことからも、4320の帯域バランスの絶妙さがうかがえる。
 ちなみに、筆者の知るかぎり、2405を追加して成功した方法は例外なく、小容量のコンデンサーをユニットに直列につなぎ、わずかに2405を効かせる使い方だった。
     *
このことが、62号を読んだ時にひっかかった。
4320と4331が同じような音(性格)のスピーカーだとしたら、
2405の追加はJBL純正のネットワークでうまくいくはず。
なのに、井上先生は
「例外なく、小容量のコンデンサーをユニットに直列につなぎ、わずかに2405を効かせる使い方」とされている。

4331に2405を追加した4333のネットワークは、そういう仕様にはなっていない。
けれどうまくいっている。
ということは4320と4331は、見た目こそよく似ているけれど、ずいぶんと性格に違いがあるのではないか。

井上先生の記事を読んで、そう思うようになった。