Archive for 11月, 2024

Date: 11月 21st, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その7)

今年はホーン型スピーカーを聴く機会が、例年よりも多かった。
audio wednesdayでも鳴らしているし、
野口晴哉記念音楽室のスピーカー、
シーメンスのオイロダインとウェスターン・エレクトリックの594Aのシステム、これらの音も聴いている(鳴らしている)。

ホーン型なんて古い! と切り捨てる人がいる。
そういう人は両手をホーン状にして、口にあてて喋っては、
ほら、ホーン型はこんな音になるんです、という。

この程度の認識でホーン型をバカにする。

ホーン型すべてがいいわけではない。
いいホーン型もあれば、そうでもないホーン型もある。
このことはホーン型ではない、他の動作方式のスピーカーにも当てはまる。

こんな人のことは、もうどうでもいい。
今年は、いくつかのホーン型の音が聴けた(鳴らせた)。楽しかった。そのことを言いたいだけだ。

Date: 11月 21st, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十一夜(BOSEとマッキントッシュ)

12月のaudio wednesdsyでは、
BOSEの901 Series VをマッキントッシュのMC275で鳴らすわけだが、
その理由は何度か書いているのでここでは省略するが、
昨日の、BOSEがマッキントッシュ・グループを買収したことには、
少々びっくりした。

オーディオ・ブランド(会社)も、買収されることはわりとある。
今回のようにニュースとして報道されることもあれば、
ひっそりと買収した(された)ことも少なくない。

だから、あのブランドとこのブランド、同じ系列だったのか──、
そんなふうに驚く人もいるだろう。

今回の買収そのものについては語らないが、
12月の会で組み合わせようとしていたBOSEとマッキントッシュが、
このタイミングで同じ会社になるとは、まったく予想していなかったし、
世の中、いろいろなことが起こるものだ、と思っているところでもある。

Date: 11月 20th, 2024
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その36)

10月の終りに、ようやく日本でもQobuzのサービスが開始になった。
オーディオ雑誌の編集者ならば、ストリーミングを取り上げる。

先日発売になったステレオの12月号の特集は、やっぱりストリーミングである。
他の企画を予定していたとしても、差し替えよう。

ステレオはタイミングよく特集できたが、
ステレオサウンド、オーディオアクセサリーは、どうだろうか。

両誌とも特集は、賞である。毎年恒例の賞の発表だ。
この賞に多くのページがさかれる。

Qobuzが始まったからといって、第二特集として扱うことはないように思う。
ページ数が取れないからだ。

Qobuzが始まりました──、
紹介レベルの記事はやれても特集としては難しいはずだ。

ならば次号(3月発売)でじっくりやればいいのだけれど、
新鮮味はどうしても薄れる。
それを補うほどの充実した内容を期待したいところだが、
どうなるのか。

3月までにTIDALのサービスが開始ということになったら、
それはそれでいいタイミングということになる。

どちらにしてもステレオサウンドが、その執筆者たちが、
ストリーミングをどう扱うのか、どういう切り口で記事とするのか。
関心がある。

Date: 11月 19th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十一夜(BOSE 901の復活)

BOSEの901が、限定で復活する。
BOSEのInstagramには、”limited to 12 custom”とある。
ある日本語のサイトでは、限定12台と伝えているけれど、
それだと限定6ペアとなってしまうから、限定12ペアではないかと思うのだが、
どちらにしてもわずかな数の復刻モデルとなる。

なので実物を見ることも聴くこともないだろう。

そんなごく限られた復活であっても嬉しく思う反面、
発表された写真を見ると、なんなんなんだろうな……、と思ってしまう。

なので12月のaudio wednesdayで鳴らす901 Series Vが、
よけいにカッコよく見えてしまう。

Date: 11月 18th, 2024
Cate: 五味康祐

続「神を視ている。」(その4)

(その1)でも引用しているけれど、いい文章は何度でも引用したくなる。
     *
われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる──神を異にする──民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い──それこそ至高の──音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。 (「マタイ受難曲」より)
     *
五味先生の「神を視ている」。
これをどう解釈するのか。

《自分自身の神性の創造》というのが、私の解釈だ。

Date: 11月 17th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その6)

むかしから、詩、俳句、短歌が苦手だった。
作るのだけでなく、読むのも苦手意識がつきまとう。

それでも十年くらいに一度くらい、
ものすごい──、そんなふうに胸を抉られるような作品と出会うことがある。

今年は、それがあった。

河野裕子氏の歌だ。
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」

いまごろ知ったのか、と呆れられてもいい。
とにかく、今年は、この歌に出会えた。
それだけでいい、と思っている。

Date: 11月 16th, 2024
Cate: 「かたち」

音の姿勢、音の姿静(その6)

別項で書いている動的平衡。
音の姿勢と音の姿静のバランスも、また動的平衡なのだろう。

Date: 11月 15th, 2024
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その47)

11月6日のaudio wednesdayでの4343を音を聴きながら、
これは、私にとって「つきあいの長い音」なんだろうな、と思っていた。

熊本のオーディオ店で、瀬川先生が鳴らされる4343の音は、
何度か聴いている。
最後に聴くことができた音、
トーレンスのリファレンスとSUMOのThe Goldでの、
コリン・デイヴィスの「火の鳥」は、
いまもしっかりと私の裡で鳴り続けている、といえるほどだった。

ステレオサウンドで働くようになった頃は、
4344が登場したばかりで、試聴室には、まだ4343があった。

自分で鳴らした4343の音は、ステレオサウンドの試聴室が初めてだった。
しばらくして4343は4344へと交替した。
ステレオサウンドのリファレンススピーカーが、
4343から4344へと交替した時がきた。

それから4343を個人のリスニングルームで聴くことは、
数えるほどだったが、あった。

そういう機会もなくなり、しばらく4343を聴くことはなかった。
次に聴いたのは、2005年ごろだった。

Date: 11月 14th, 2024
Cate: 1年の終りに……, 老い

2024年をふりかえって(その5)

以前、別項で二回引用した孔子の論語が頭に浮ぶ一年でもあった。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」、
このことを思い出しながら、
なぜ、そうなれない人がいるのか、
それどころか大きく矩を踰えてしまった音を出す人がいる。

齢を重ねなければ出せない音があるのは確かだが、
どう齢をとっていったかによって、矩を踰えるかどうかが決まっていくのか。

どこでそうなっていったのか、
そういうポイントは一つでなく、幾つもあったように思うし、
その度にずれていってしまうのか。

修正することは、もう無理だったのか。
その意味で、齢を重ねてしまったがゆえに、
出せない音が生まれてしまった──、ともいえよう。

そんなことを考えさせられた一年だった。

Date: 11月 13th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その4)

別項で「オーディオのプロフェッショナルの条件」を書いている。

オーディオのプロフェッショナルとは、どういうことなのか。
今年は、そのことについて、いつも以上に考えさせられることが、
いくつか重なった。

結局、オーディオ業界にいて、お金を稼いでいれば、
その人はオーディオのプロフェッショナルということになる──。

もちろん、そういうレベルの低い人ばかりではないことはわかっている。
それでも、オーディオのプロフェッショナルを自称している人の中には、
そういうレベルの人が、決して少なくないことを、
今年は目の当たりにすることが何回かあった。

おそらく、ではなく、きっと来年も、そういう人を目の当たりにするであろう。

Date: 11月 12th, 2024
Cate: 4343, audio wednesday, JBL

audio wednesday (next decade) –第十夜(43年目の4343・余談)

11月6日のaudio wednesdayで鳴らしたJBLの4343は、
宇都宮から運んでくる必要があった。
当初は、私がクルマと運転手を手配して、という手筈だったのが、
頼んでいた人が、ストレスで短期間ではあったけれど引きこもりになってしまった。
いまは元気になっているけれど、
前もって運搬・搬入しようとしていた時は、
頼めそうな感じではなかった。

もう一人、声をかけていた人もいたが、
この人は心筋梗塞で入院してしまった。

4343のオーナーのHさんは、クルマへの積み込みと移動は、
レンタカーを手配して、一人で大丈夫という方だったので、お願いすることになった。

これで安心と思っていたら、
11月2日に、彼が予約していたレンタカーが事故にあって、
借りれなくなった、代車が用意されるようだ──、
という連絡があった。

3日の夜になってもレンタカー会社からの連絡がないので、
最悪運べないかもしれない可能性も出てきた。

4日に連絡があって、代車が用意された、とのこと。

これでほんとうに安心できる、と思った。

4343は無事届いた。
けれど、すでに書いているように、予想しない不具合が発生。
4343に原因があるのではなく、
他のところによる不具合なのだが、どこなのかがなかなかはっきりとせず、
けっこうな時間を費やしながら、
少しだけ、何かに邪魔されているのか……、そんなことも思ったりした。

しかもトラブルはもう一つあって、
前日夜にHさんが4343をチェックしたところ、2405が鳴らなかったそうだ。
深夜まで時間をかけて、鳴るようになった、という話を、
準備している時に聞いていたものだから、
いったいなんなんだろう──、と思うしかなかった。

そんなことがあったけれど、4343はよく鳴ってくれた。

Date: 11月 11th, 2024
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その21)

(その20)で聞いたことを試してみる機会はなかったけれど、
12月のaudio wednesdayではやれる。

D/Aコンバーターにはメリディアンの218を使うから、
デジタル処理で極性を反転できる。

通常の接続時の音と、(その20)で書いた接続では、
どのような音の変化があるのだろうか。

意外と大きいのか、逆に小さいのか。
まったく(ほとんど)同じとはならないと思っている。

このことを含めて、12月のaudio wednesdayを、
私は楽しみにしている。

Date: 11月 10th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その3)

audio wednesdayで音を鳴らすようになったこともあって、
今年はメリディアン のUltra DACを三回聴くことができた。
3月、6月、11月の三回だ。

このことも今年をふりかえって、嬉しかったことのひとつとして挙げたい。

Date: 11月 9th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その2)

2020年12月、喫茶茶会記の閉店・移転に伴い、
audio wednesdayもいったん終了した。

2022年9月から再開したaudio wednesdayだけれど、
くり返し書いてきているように、どこか特定の場所を確保して、というわけではなかった。
とりあえず継続させていこう──、そこにとどまっていた。

なので以前のように音を出すことはできないでいた。
それが今年から大きく変った。

また音を鳴らせる。
聴いてもらえる。
このことの楽しさ、喜びはやってみればわかる。

確かに面倒なことは、常にある。
特にスピーカーをどうするかは、悩むところだった。
それでも毎回終ると、やってよかった、と思える。

喫茶茶会記からの常連の人たちも来てくれるし、
新しく常連となられた方たちもおられる。

これまでオーディオに関心のなかった人が、関心を持ってくれるようになったのは、
本当に嬉しいことだ。

今年はあと一回ある。
すでにスピーカーは搬入済みだから、気が楽だ。

12月に鳴る音も、個人的に楽しみにしている。

とにかく音を鳴らせるaudio wednesdayが、始められた。
そういう一年だった。

来年も続いていく。

Date: 11月 8th, 2024
Cate: 4343, audio wednesday, JBL

audio wednesday (next decade) –第十夜(43年目の4343・その5)

2012年12月に、別項にこう書いた。

ステレオサウンド 61号の編集後記に、こうある。
     *
今にして想えば、逝去された日の明け方近く、ちょうど取材中だったJBL4345の組合せからえもいわれぬ音が流れ出した。この音が先生を彷彿とさせ、話題の中心となったのは自然な成り行きだろう。この取材が図らずもレクイエムになってしまったことは、偶然とはいえあまりにも不思議な符号であった。
     *
この取材とは、ステレオサウンド 61号とほぼ同時期に発刊された「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
井上先生による4345の組合せのことである。
この組合せが、この本の最初に出てくる記事にもなっている。

ここで井上先生は、アンプを2組選ばれている。
ひとつはマランツのSc1000とSm700のペア、もうひとつはクレルのPAM2とKSA100のペアである。

えもいわれぬ音が流れ出したのは、クレルのペアが4345に接がれたときだった、ときいている。

このときの音については、編集後記を書かれたSさんにも話をきいた。
そして井上先生にも直接きいている。
「ほんとうにいい音だったよ。」とどこかうれしそうな表情で語ってくれた。

もしかすると私の記憶違いの可能性もなきにしもあらずだが、
井上先生は、こうつけ加えられた。
「瀬川さんがいたのかもな」とも。

このことがあったから、今回、パワーアンプはクレルのKSA100にした。

Hさんは、クレルのパワーアンプを他にも持っている。
KMA200とKMA100である。
その中でKSA100を持ってきてもらったのは、上記の引用が理由だ。

しかも井上先生の4345の組合せの試聴は1981年の11月6日。
このころの井上先生のことだから、試聴がはじまったのは、
早くても夕方から、大抵は夜になってからで、
4345からえも《いわれぬ音》が鳴ってきたのは、
翌7日の朝早い時間のはず。

今回のaudio wednesdayも11月6日。
無理なこととはわかっていても、できれば朝方まで鳴らしたかった。