Archive for category きく

Date: 5月 2nd, 2019
Cate: きく

新製品を聴くことについて考えた(その1)

別項「第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)」で、
オーディオ店やオーディオショウで新製品を聴くことについて、少しだけ触れた。

わずかな例外はあるものの、
新製品を聴くどきどき、わくわくという感情が伴わない。

以前はそうではなかった。
まだ熊本に住んでいたころ、
瀬川先生がオーディオ店の招きで定期的に来られていたころ、
瀬川先生が鳴らされる新製品を聴くのは、ほんとうに楽しみで楽しかった。

新製品を聴くどきどき、わくわくという感情が常にあった。
ここでの新製品とは出たばかりのオーディオ機器だけでなく、
定番の製品であっても、投資の私にとって初めて聴くモノは新製品といえた。

ステレオサウンドの試聴室でも、新製品を聴いてきた。
これも楽しかった。
中には例外的な製品もなかったわけではないが、
新製品を聴くどきどき、わくわくという感情がきちんと持っていた。

それがいつのまにかなくなっていることに気づいた。
こちらが歳をとったからなのか、
出てくる新製品に原因があるのか、
どこに理由があるのだろうか……、と思う日がずっと続いていた。

2011年2月から、
喫茶茶会記でaudio wednesday(当時はaudio sharing例会だった)をやるようになった。
2016年から音を鳴らすようになった。
2018年9月、audio wednesdayで、新製品を鳴らすようになった。

そうやってやっと気づいた。
新製品を聴くということは、
私にとって新製品のプレゼンテーションであり、
それは自分の手で鳴らす、ということにつながる、と。

Date: 4月 9th, 2019
Cate: きく

似ていると思う感覚の相違(その2)

ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」が、昨年秋に出た。

書店で、この本を見た時、
ティム・クック? と最初に思った。

ティム・クックはAppleのCEOであって、
そのティム・クックの写真が、音楽関係の書籍の表紙に使われることはないのはわかっていても、
ブロムシュテットの自伝の表紙の写真をみると、まずティム・クックを思い出す。

今日もそうだった。
ブロムシュテットの自伝をみて、やっぱりティム・クックだ、と思っていた。

このことを昨秋に書こうと思っていたけれど、書かずにいたのは、
ティム・クックとヘルベルト・ブロムシュテットが似ているということに、
誰かの同意が得られるとは思っていなかったのと、
なぜ似ていると、ブロムシュテットの自伝の写真を見る度に思うのか、
その理由が掴めずにいたからである。

今日ここで書いているからといって、似ている理由が掴めたわけではない。
私と同じに感じる人はどのくらいいるのだろうか。
それを知りたいわけではない。

ブロムシュテットとクックを、私と同じように似ていると感じる人は、
音の聴き方において、私に近いところがあるのか──、
そんなことを考えるようになったからである。

初めて聴くスピーカーがあったとしよう。
そのスピーカーの音を、誰かに伝える。
その誰かが親しい人で、音についてよく語り合っている人ならば、
そのスピーカーが、
例えば過去のスピーカーのどれかに似ているところがあると感じたのならば、
あのスピーカーに似ていて、ここがこんなふうに違う、といった伝え方ができる。

それでなんとなく伝わるところが、オーディオにはある。
でも、それはあくまでもなんとなくなのだろう。

Date: 3月 22nd, 2019
Cate: きく

ひとりで聴くという行為(その2)

映画「アリータ: バトル・エンジェル」を観終って、
友人のAさんにすぐにショートメールを送った。

IMAX 3Dで、ぜひ観てほしい、と。
Aさんも「アリータ: バトル・エンジェル」には興味を持つだろうと思って、だった。
Aさんからの返事は、ちょっと意外だった。

音楽ライヴ、落語、遊園地などは平気でも、
なぜか映画館は苦手というか苦痛に感じる、とのこと。

この返事を受けとったのは先月末。
いまになって、「ひとりで聴くという行為(その1)」をそのままにしていたことを思い出した。

これも続きを書こうと思っていたのに、
ついつい他のテーマを書き始めて忘れてしまっていた。

(その1)では、ある記事を紹介している。
映画のシーンによって、人は異なる化学物質を放出している:研究結果」という記事である。

タイトルが、かなり内容を伝えている。
この研究が事実なら、Aさんは人が放出する化学物質に対して、かなり過敏なのではないのだろうか。

おそらく落語や音楽でも、人はなんらかの化学物質を放出しているのだろうが、
落語で、たとえばきわめて残酷なシーンとか悲しいシーンとかはないだろう。
非現実的なシーンもないといえる。

ところが映画はそうではなかったりする。
一本の映画のなかに、さまざまなシーンがある。
一本の映画のシーンがかわるごとに、観客は異なる化学物質を放出する。

それに最新のCGを使った映画は、どこまでが現実に撮影したことなのか、
その判断がほとんどつかない、といえるレベルに達してる。

もうつくれないシーンはない、ともいえる。
そういう映画では、人が放出する化学物質も強くなるのだろうか。

人気のある映画、つまり大勢の観客がいる映画では、
放出される化学物質の量も増えるわけで、
そういった化学物質に過敏症の人がいるとしたら、
映画館での映画鑑賞は苦痛になるであろう。

Date: 11月 3rd, 2018
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その6)

正直ということは、ここで書いていることとも結びついてくる。
その1)で書いているグルジェフのことば、
その目覚めるとは、正直ということなのかもしれない。

ならば、私は目覚めている、という人もいようが、
ほんとうに正直だといえるのか。

知らず知らずのうちに、己を騙している──、
そうでないと言い切れるのか、と。

Date: 8月 11th, 2018
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その5)

いま一冊の本(マンガ)を借りている。
北北西に曇と往け」というマンガである。

北アイルランドを舞台としている。
第一巻の最後のほうに、主人公・御山慧にリリヤという音楽をやっている女性が話しかける。

 あの子が話すと
 汚れた音がして
 気持悪い

 日本語だから何 話してるかわからないけど
 嘘ついている

 聞かないほうがいい

そういうセリフがある。
嘘を言っている日本語は、意味はわからなくとも気持が悪い。

あからさまな嘘ならば、すぐに見抜けることがある。
けれどわかっているつもりで、結果として嘘をいってしまう人がいる。
わかったつもりなのだから、嘘を言っている本人にしてみれば、嘘ではない。

わかったつもりは思い込みや刷り込みによるものだったりする。

いろんな嘘がある。
すぐには見抜けない嘘もある。

けれど嘘は常に汚れた音なのかもしれない。
怒りもなければ、愛もないのが嘘なのか。

Date: 7月 29th, 2018
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その4)

キカイダーでは服従回路にはルビがふられていた。
イエッサー(Yes, Sir)である。

軍隊で上官の命令に対する返答である。
この服従回路から良心回路(こちらはジェミニィ、ピノキオのコオロギの名前)をみれば、
良心回路とは命令の拒否ということにもなる。

命令にイエッサーといい服従するのか、時には拒否するのか。
ここでの命令とは何なのかについて考えなければ、答はいつまでたっても出てこない。

キカイダーは、最後に服従回路を埋めこまれる。
良心回路も残されたままであり、それによってキカイダーは嘘をつけるようになる。

キカイダーより先に造られたキカイダー01には、
良心回路はないため服従回路を埋めこまれた後は、
命令に絶対服従するようになる。

キカイダーは単なるロボットではなく、人造人間という扱いなのだが、
服従回路により命令に支配されたキカイダー01は、ロボットとどこが違うのか、となる。

ピノキオには、良心回路も服従回路もなかった。
だから良心回路的な存在のコオロギ(ジェミニィ)が共に行動し、
嘘をつくと鼻が伸びていく。

キカイダーがつく嘘とピノキオがつく嘘は、同じとは考えにくい。
時代も国も、作者も違う、まったく別の二つの物語を一緒に考えていく無理があるのは、
承知しているつもりだが、このふたつの嘘を無視して、
レコード(録音物)とオーディオを介しての音楽を聴くという行為を考えていくのは、
それこそ無理があるのではないのか。

Date: 3月 11th, 2018
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その3)

昭和30年代生れの私には、手塚治虫とともに、石森章太郎の存在もまた大きい。
石ノ森と書くべきなのはわかっているが、
仮面ライダー、キカイダー、サイボーグ009などを読んだ時は、まだ石森だった。
だから、ここでは石森章太郎としておく。

キカイダーの造形は、当時小学生だった私には、衝撃だった。
左右非対称、しかも内部が透けて見える正義のヒーローは、
異形のヒーローを描く石森章太郎の作品の中でも、ひときわ印象に残っている。

そんな小学生だった私は、キカイダーの似顔絵を何度も描いていた。
キカイダーは人造人間という設定で、
ピノキオの話から、キカイダーの物語は始まる。

キカイダーには良心回路(未完成で不完全)が組み込まれている。
物語の最後で、良心回路は完成するのかと思っていたら、
敵によって服従回路を埋めこまれてしまう。

良心回路と服従回路のふたつをもつことで、
人間と同じく善悪の心をもつことになる。

原作のマンガを読んでいた当時は、あまり深く考えなかったが、
良心回路の対極にあるのは悪心回路ではなく、服従回路である。

なぜ石森章太郎は悪心回路にしなかったのか。
その理由は、どこかで語られているのだろうか。

服従回路は、(その1)で書いているグルジェフの言葉を知った後では、
意味深長とでもいおうか、いまごろになって考えさせられる。

別項「続・再生音とは……(続その12に対して……)」で、
AIとは、artificial intelligenceだけではなく、
auto intelligenceなのかもしれない、と書いたのも、服従回路のことを思い出していたからだ。

Date: 2月 28th, 2018
Cate: きく

感覚の逸脱のブレーキ(その7)

菅野先生が、「パイプ」に書かれていることを引用しておく。
     *
 私はいままでにずいぶんと、期間を区切って禁煙している。たとえば一日禁煙したり、長いときには半年とか一年ということもあるが、これはタバコをやめようと思って禁煙するのではない。白紙に帰して、あの初心のおいしさを味わおうということで禁煙するわけだ。音楽でも同じだが、常に飽和状態にしておくことはよくない。やはり飢餓状態にしておくことが必要だ。朝から晩まで音楽を聴いていては感受性がにぶってしまう。食物でもしかりだ。だからタバコがマンネリになったと思ったらやめて、それもできるだけ長くやめる。何についても自己規制は必要であり、自分の感受性のゼロバランスを戻す努力をすべきだと思う。
(「音の素描」より)
     *
ステレオサウンド 86号に、岡先生による「音の素描」の書評が載っている。
岡先生も、「パイプ」の一節について書かれている。

上に引用したところについて、こんなふうに表現されている。
《そのあとのしめくくりの短文が菅野さんならではのものである》と。

私もそう思う。
《自分の感受性のゼロバランス》、
《感覚の逸脱のブレーキ》とともに忘れてはならない。

Date: 9月 26th, 2017
Cate: きく

感覚の逸脱のブレーキ(その6)

逸脱気味,逸脱しているといえるヘッドフォン・イヤフォンが増えている──、
そう仮定したとして、その理由にはどんなことが考えられるか。

それはひとつだ、と思う。
スピーカーで音楽を聴く人が減ってきて、
ヘッドフォン・イヤフォンのみで音楽を聴く人が増えてきたからではないのか。

昔もヘッドフォンのみ、という人はいた。
オーディオ雑誌に執筆されていた人でも、名前ははっきりと思い出せないが、
ひとりおられた。
たしかフォンテックリサーチのコンデンサー型ヘッドフォンを愛用されていた。

オーディオマニアのなかにも、ヘッドフォンでしか音楽を聴かない、という人はいたと思う。
けれど、割合としては、いまよりはずっと少なかったはずだ。

だからこそスピーカーにはスピーカーの役割、
ヘッドフォンにはヘッドフォンとしての役割が、
共通認識として、ひとつあった、と思っている。

けれど、いまはスピーカーを持たない人がいる。
増えているようだ。
そうなってくると、
ヘッドフォンのヘッドフォンとしての役割にも変化が生じてきて当然である。

Date: 9月 26th, 2017
Cate: きく

感覚の逸脱のブレーキ(その5)

たしかにいまはヘッドフォン・イヤフォンはブームである。
定着している、とさえ思うほどに、
ヘッドフォン・イヤフォンのムックは出版されるし、専門店もある。

ブランドの数もかなり増えている。
製品数も増えたし、価格のレンジも広がっている。

まさに百花繚乱、といいたいけれど、そこはためらう。
ためらうとともに、
優れたヘッドフォンは、感覚の逸脱のブレーキ、と表現されたのは菅野先生。

そのとおりだと思っているから、この項を書いているわけだが、
どうも最近のヘッドフォン・イヤフォンのなかには、
逸脱気味の製品が増えはじめているのではないか、と思えてきた。

過去にもそういう製品はあったであろうが、
最近のほうが目立ってきているように感じることがある。

具体的にどの製品が、とは書かない。
ヘッドフォン・イヤフォンを同条件で比較試聴しているわけではないし、
私が聴いてるのは全体の製品数の一部にすぎない。

私が思っている以上に、
逸脱気味、さらには逸脱しているヘッドフォン・イヤフォンがある可能性も考えられる。
だから、いまのところ私が逸脱気味、逸脱していると感じている製品について、
具体的なことは書かないが、そういう製品であっても、
意外に(そう感じるのは私だけなのか)高評価であったりする。

そういう製品を全否定はしないけれど、
この項を書き続けるにあたっては、優れた製品、
つまり感覚の逸脱のブレーキ役にもなってくれるヘッドフォン、イヤフォンを、
自分の耳で探していかなければならないし、
そういう製品に関しては具体的に書いていく必要も出てきた。

それにしても、製品数のなんと多いことか。

Date: 9月 3rd, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その2)

錬金術とは、卑金属を貴金属に変える。

ゲオルギー・グルジェフがいっていた「人間は眠っている人形のようなものだ」こそ、
卑金属なのかもしれない。

つまり目覚めている人間が貴金属である、とすれば、
眠っている状態から目覚めようとすることが錬金術ともいえよう。

オーディオで音楽をきくことは、
聴き手の意識次第では、錬金術に連なっていくような気さえする。

Date: 8月 13th, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その1)

ゲオルギー・グルジェフがいっていた。

人間は眠っている人形のようなものだ、と。
正確な引用ではないが、意味としてはこういうことだ。

人間の通常の意識の状態は睡眠のようなもので、
人間としてのほとんどの活動はすべて機械的なものである、と。

眠っている人形から、目覚めている人間になるには、
それこそ山のような意志力が必要になり用いなければならない、と。

グルジェフは作曲家でもある。
ECMからグルジェフ作曲のCDが出ている。
思想家でもある。舞踏作家でも、神秘主義者ととらえる人もいる。

グルジェフには賛否両論がある。
信じるも信じないも、その人の自由である。

1990年に「ベルゼバブの孫への話」の日本語訳が出た。
ほんとうに分厚い本だった。安くはなかった。

仕事をしていない時期だったから買うのを見合わせた。
買っても読破するのに、そうとうてこずりそうだった。

「ベルゼバブの孫への話」も読んでいない私も、
グルジェフがいうところの、眠っている人形のような存在かもしれない。

だからといっていいのか、音楽を、その意味で聴くことの難しさは感じている。

睡眠から目覚めるために聴いているのか、
目覚めた状態で聴いているのか、
それとも眠った状態で機械的に聴いているだけなのか。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: きく

試聴と視聴と……

試聴と視聴。
どちらも(しちょう)である。

オーディオ機器を聴くことを試聴する、という。
けれど最近、オーディオ機器にも視聴する、視聴した、というのが目立つようになってきた。

パソコン、スマートフォンの変換候補として、
試聴よりも視聴のほうが先に出てくるためであろう。

視聴とは、見ることときくこと、と辞書にはある。
オーディオ機器を聴く場合も、
ブラインドフォールドテストでなければ、
目の前にオーディオ機器があるわけで、たしかに見てきいている、といえる。
その意味では、視聴でもおかしくないといえばそうかもしれない、と思いつつも、
やはり違和感が、視聴にはあるし、私は試聴を使っている。

試聴とは、文字通り、ためしにきくこと、である。
試飲、試食と同じことといえるが、
ここでまた考えてしまう。

なにかそこには真剣味が足りない、もしくは欠けている感じがしないでもない。
試し聴きという試聴には、どこかちょい聴き的なニュアンスがないわけではないからだ。

試聴、試飲、試食以外に、試から始まるのに試合がある。
試合は仕合と書く場合もある。

ならば仕聴(しちょう)も……、と思うわけだが、
よくよく辞書をひいてみると、試合にしても仕合、どちらも当て字とある。
本来は為合(しあい)の意、とあった。

そうなると試聴は、為聴なのか。

Date: 2月 22nd, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(体調不良になって・その6)

これも十年前だったか、菅野先生が
「自分が惚けてしまったら、どういう音を出すのか、それを聴いてみたい」といわれたことがあった。

認知症と「音は人なり」。
その時、オーディオマニアはどういう音を鳴らすのか。

もちろん認知症になってしまっているのだから、
冷静にその時の音を聴くことはできないわけだが、
それでも知的好奇心として、その音を聴いてみたいといわれる菅野先生、
いわれてみれば聴けるのであれば、私も自分が惚けてしまった音を聴いてみたい、と思った。

バイアスを取り除いて聴く、ということを考えていて、
このことを思い出した。
バイアスを完全に取り除くとは、惚けてしまった状態なのかもしれない。

バイアスを取り除いて聴く。
身も蓋もない話だが、無理なことなのかもしれない。

オーディオでいくつもの体験をしていく。
それらが経験値として、その人の中でバイアスを形成していく、ともいえる。

オーディオに関する知識を身につける。
これもまたバイアスといえよう。

オーディオマニア、人それぞれ使いこなしのノウハウ的なことを持っているだろう。
それもまたバイアスではないだろうか。

オーディオのシステムは複雑で多岐にわたる。
だからこそバイアスもさまざまな種類がたまっていくのではないか。

オーディオ歴が長いほど、バイアスは溜っていくのだとしたら、
惚けてしまわない限り、バイアスを完全に取り除くことは無理なのかもしれない。

Date: 2月 20th, 2017
Cate: きく

音を聴くということ(体調不良になって・その5)

バイアスを取り除いて聴く、ということは、
虚心坦懐に聴く、ということでもあろう。

ではどうすればバイアスを取り除けるのか。
「頭で聴くな、耳で聴け」はたやすいことではない。

わかりやすそうに思えても、そうでもない。
すぐにそういう聴き方ができる人もいるだろうが、
「頭で聴くな、耳で聴け」を間違った解釈で受けとめたとしか思えない人を知っている。

その結果の音も知っている(聴いている)。