Archive for 8月, 2022

Date: 8月 31st, 2022
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その8)

別項で触れているラックスのKMQ60、
とある人が自作した50CA10のシングルアンプ、
これらのアンプは、ここでのテーマである「再会と選択」とは無関係といえば、
そうなのだが、でも一方で50CA10という真空管に目を向ければ、
それは私が初めて聴いた真空管のオーディオアンプに使われていた出力管であり、
50CA10には憧れも思い入れも特に持っていないが、
そう私が初めて聴いた真空管アンプ、ラックスのLX38には思い入れは、いまもある。

LX38を何らかの手段で購入していれば、
ようやくまた会えましたね、と心の中でつぶやく程度の再会といえなくもない。

けれど、私のところにやってきたのは、
50CA10を使っているし、SQ38FDのパワーアンプ部を独立させたといえるMQ60のキット版。
それでも、なんとなく再会という感じがしないわけではない。

とはいえ、今回KMQ60と50CA10のシングルアンプがやって来たのは、
選択した結果ではない。
偶然から、やって来たのだから、再会という選択をしているわけではない。

そんなことはわかっていても、やっぱり再会といっていいよね、とひとりごちる。

Date: 8月 31st, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その11)

真空管アンプの自作に強い関心をもつようになったのは、
無線と実験に載っていた伊藤先生のEdの固定バイアスのプッシュプルアンプである。

このアンプは、
ラジオ技術、初歩のラジオ、無線と実験などに掲載されていた真空管アンプとは、
とにかく佇まいがまるで違っていた。

伊藤先生以外の真空管アンプの記事は、
真空管、真空管アンプの勉強のために読んでいた、ともいえるが、
伊藤先生の記事だけは違って、これをそのまま作りたい、と初めて思ったほどだった。

つまり武末数馬氏の記事も、私にとっては、勉強のための記事であった。
武末アンプを作りたい、と思ったことはない。

その8)の最後に書いた、
武末数馬氏のアンプに憧れたことは一度もなかった──、
とはこういう意味を含めてである。

それでも武末数馬氏の記事は割と熱心に読んでいた。
ECC81のパワーアンプは、いまでも追試してみたいと思っている。

ECC81を複数本並列接続しての出力5W+5Wのパワーアンプは、
どんな音がするのか、なかなか想像がつかない面もある。

こういっていいのなら、私は武末数馬氏のアンプの音には関心がなかった。
勉強にはなる記事とは思っていたけれど、
だからといって、そのアンプが私の求める音、満足する音を聴かせてくれるようには、
なんとなくではあったけれど感じられなかった。

別に武末数馬氏のアンプだけではない、
ほとんどの自作アンプの記事が、私にはそうだった。

それでもここで武末数馬氏の名をあげているのは、
勉強になったからである。

Date: 8月 30th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その10)

50XA10の単段シングルアンプをつくるにあたって、
こういう音を目指す、というようなことは何ひとつない。

ただただ単純に、50CA10の単段シングルアンプを作る材料が、
主にトランス類が揃っているということ、
それに50CA10の音を、自分の手で確認しておきたい──、
そのくらいの動機である。

真空管も最初から50CA10だし、
トランス類もすべて決っている。

私が選択するのは抵抗とコンデンサーぐらいであるが、
それだって、単段シングルアンプだけに使用する部品数は極端に少ない。

あれこれいじって音作りをしようという目的には、あまりそぐわない。
だからといって、とりあえず音が出ればいいや、という気持で取り組むわけではない。

作る以上は、自分で使う気になるモノでなければならない。
音が求めるクォリティに達していなければ、すべて無駄とはいわないものの、
六十を目前の男が作る意味はない。

十代のオーディオに興味を持ったばかり、
真空管アンプの音に興味があって、自分で作ってみたい──、
もうそういうこととはなにもかもが違う。

Date: 8月 30th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その6)

9月1日に、ステレオサウンド 224号が発売になる。
ステレオサウンドのサイトでは、224号の内容について告知されていないが、
電子書籍を配信しているフジサンのサイトでは、告知されている。

それによると特集は、「一斉試聴で探る最新スピーカー40モデルの魅力」。
そして第二特集が、「[オーディオの殿堂]入りモデル愛用者訪問」。

その他にいくつかの記事が続いて、連載記事である。
224号から、和田博巳氏が復活のようである。

ちなみに表紙はエソテリックのアナログプレーヤーである。

少なくともフジサンのサイトで公開されている224号の内容をみるかぎり、
モービル・フィデリティの記事は、ない。

予想通りというしかない。

Date: 8月 29th, 2022
Cate: 基本, 音楽の理解

それぞれのインテリジェンス(その7)

ここ数週間、シューベルトを聴くことが増えている。
主に交響曲を聴いている。

九番を、主に聴いている。
一楽章から聴きはじめると、四楽章まで聴くことが多い。
長いから、途中で、と思うこともあるのだが、
聴きはじめると最後まで聴いている。

そのあいまに、シューベルトの他の曲を聴く。
聴きながら、というか、聴き終ってひとつ思い出すことがあった。

その前に、五味先生の文章を読んでほしい。
      *
 もともとシューベルトという人は、細ぶちの眼鏡をかけ、羽ペンを把った肖像画などから大へん風采のすぐれた青年のごとき印象を私たちに与えてくれるが、ほんとうは、短身で、ねこ背で、ひどい近視で、そのうえ顔色のさえぬ見すぼらしい人物だった。加えるに、会話がへたで、自分の思っていることも満足に表現できず、いつも、オロオロしていたそうだ。
 気心の知れた友人や、したしい者にはうちとけて話をしたが、初対面の相手には非常に臆病で、そわそわし、とくに女性に対してはこの傾向がいちじるしかったという。女性の前に出ると口もきけぬ、小心でちびで、貧乏なそんな男が女性にモテるわけがない。映画なんかでは、大へんロマンティックな恋をする音楽青年が登場して、伝記風にその生涯が描かれてゆくが、本当は、一度のロマンスにもめぐまれなかったシューベルトは青年なのである。彼の音楽が湛えているロマンティックな香気、抒情性は、あくまで彼の魂の内だけのもので、その才能が生み出したものであり、現実はみじめで暗い青春だった。
 私は、そんな実在のシューベルトが好きだ。女性に一度も愛されたことがなく、性病をわずらって(おそらくタチのわるい娼婦にかかったのだろう)その性病に苦しみぬいて死んだ青年が、あれだけ珠玉の作品をうみ出していることに泣けてくる。いつの場合にも、芸術はそういうものだし悲惨な生活で紡むぎ出された美の世界とはわかっているが、でも、ベートーヴェンやブラームス——あのマーラーに比してさえ——シューベルトの実人生は痛ましすぎる。
 そんなシューベルトの暗い影と、天分のあざやかなコントラストが手にとるようにわかるのが、作品一五九のこの『幻想曲』だ。曲としては、彼のヴァイオリン・ソナタの第四曲目にあたるが、ソナタ形式の伝統からかなり逸脱していて、全曲は途切れることなく(楽章別の長い休止をおかずに)演奏される。曲趣もボヘミア的、スラブ的な色彩がつよいので、ソナタの名称を用いず『幻想曲』風にまとめられた。
 まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、一度この曲を聴いてほしい。こんな旋律の美しい、哀しい、日本のわれわれにもわかりやすい、いい意味での甘さ、感傷に満ちた作品は、そうざらにはない。しかも優婉で、高雅である。どうしてこれほど天分ゆたかな青年芸術家を、周囲の女性——おもに良家の令嬢——はわかろうとしなかったんだろう、愛せなかったのであろう……そんな余計なことまで考えたことが、私にはあった。——もっともこれが初演されたとき、幻想曲としては長大すぎるので演奏の途中で、帰ってしまった批評家がいたそうだ。「常識以上の長さ」と冷評した専門家がいたともいう。大方の音楽家でさえ当時はそんな無理解でしか、シューベルトに接しなかったのだから、令嬢たちが無知だったとは、いちがいに言えないが、しかし、聴けば分ることである。
 一体、どこに退屈する余地があろう、全篇、いきをのむ美しさではないかと、私なんかは当時の批評家とやらのバカさ加減にあきれたものだが、まあ、そんなこともどうでもいい。とにかくお聴きになってほしい。
(「ベートーヴェンと蓄音機」より)
     *
シューベルトも天才である。
モーツァルトもベートーヴェンも、そうである。

いまから三十年ほど前のこと。
平成になって二年ぐらい経ったころだった、
新宿の紀伊國書店で本を探していた時、ある女性が店員に訊ねていた。

「モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトについての子育て、
教育法についての本はありませんか」と。

Date: 8月 29th, 2022
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その6)

HDtracksが数日前からMQAを取り扱うようになった。

TIDALでのMQAのタイトル数と比較すると始まったばかりということもあって、
かなり少ないけれど、HDtracksはダウンロード購入ができる。

TIDALは、というと、昨夏はソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルが、
MQAに積極的に取り組むようになって、相当な数のアルバムが、
いまではMQA Studioで聴けるようになったことは、すでに書いてきた。

いま私が注目しているのは、ワーナー・クラシックスである。
こちらも夏あたりからMQAに力を入れてきている。

ソニーはアナログ録音や最新録音だけでなく、
44.1kHz、16ビットのデジタル録音もMQAにしている。

ワーナー・クラシックスも同じ方針でいっているようである。
デジタル初期の録音がMQAで聴けるようになりつつある。
旧EMIの録音が、MQAで、いままで以上に聴けるようになりつつある。

アンネ=ゾフィ・ムターと
アレクシス・ワイセンベルクによるブラームスのヴァイオリン・ソナタ、
廉価盤のジャケットではあるが、MQA(44.1kHz)であるのを昨晩見つけた時は、
かなり嬉しかったし、このアルバムがMQAになっているということは──、
と思い、いくつかのアルバムを検索してみると、いつのまにかMQAで配信されている。

昨夏のソニーの勢いほどではないが、なかなか積極的なようだ。
この分で行くと、来夏はユニバーサル・ミュージックの番か。

MQAに否定的な人は相変わらずだが、MQAは確実に拡充していっている。
なのに日本は……、といいたくなる。

Date: 8月 28th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その5)

食品擬装。
今回のモービル・フィデリティの件を知って、
このことも思っていた。

私と同じように、食品擬装のことを思い出した人も少なくないだろう。
根っこは同じなのかもしれない。
そんな気もする。

私が東京に来た頃(ほぼ四十年前)は、食に関する情報はそれほど多くなかった。
美味しい店を取り扱った書籍も少なかった。

それが1980年代半ばごろから増えていったように感じている。
そしてインターネットの普及によって、四十年前とは比較にならないほど、
食に関する情報、美味しい店に関する情報は増えすぎてしまった。

そしていつのころからいわれるようになったのは、
日本人は、情報を食べている、である。

誰が言い始めたのは知らないが、そういわれてもしかたない面もある。
そしてオーディオマニアも情報を聴いている──、
そんなふうにもいわれるようになった。

でも、昭和の時代から、井上先生は「頭で聴くな」といわれていた。
昔から、情報を聴いていたのだろう。

情報を食べている、聴いている。
同時に幻想も食べている(聴いている)のではないだろうか。

この店が美味しい、これが美味しい。
こういった情報は、同じ情報源を見ているのであれば共通している。
その情報をどう捉えるかは人によって違ってこようが、
情報そのものは変らない。

けれど幻想は、人によって違う。

Date: 8月 28th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その4)

モービル・フィデリティがやらかしてしまったことをあげつらうつもりはない。
やってしまったな、
というよりもやらかしてしまったなぁ、という感じで受け止めているだけだ。

私が興味があるのは、問題のモービル・フィデリティのアナログディスクの音である。

レコーディング事情に詳しい人の話によると、
海外の録音エンジニアは、デジタル録音しても、
マスタリングの過程で一度アナログに変換しなおして、アナログ処理。
そして再びデジタルに変換して、ということが特殊な事例ではなく、
当り前のこととして行われている、ということだった。

デジタルだからデジタルですべて完結しなければならない。
アナログだからアナログですべて完結しなければならない。

オーディオマニア側からすれば、そうしてくれたほうが変換作業が少なくなるわけだから、
音質の劣化は少ないと捉えがちだし、より純度が高いアプローチだとも思いがちだ。

純度を最優先すれば、確かにそうである。
けれど音の良さというのは、純度だけで決定されるわけではない。
ここでのタイトルでもある熟度も、また重要なことだ。

結局、純度と熟度の兼合い、バランスではないだろうか。
今回のモービル・フィデリティの件は、
音源制作過程における純度と熟度について考える一つのきっかけではあるはずだ。

Date: 8月 27th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その3)

その1)へのコメントがfacebookであった。

それによるとモビール・フィデリティが疑われたことの発端は、
マイケル・ジャクソンの「スリラー」のアナログディスクを、
四万枚プレスするという発表である、とのこと。

モービル・フィデリティは、その方のコメントにもあるように、
アナログ録音のマスターテープをレコード会社から借りてきて、限定で復刻、
しかも高品質を保つために少量生産が特徴だったのに、
「スリラー」に関しては、発売枚数の桁が違う。

アナログディスクの場合、
いうまでもなくラッカー盤をカッティングすることから始まる。

モービル・フィデリティは、
このカッティング時にマスターテープを使用することが売りだったはず。

一回ラッカー盤をカッティングすれば、何万枚でもプレスできるのであれば、
今回のようなことは起らなかった。

実際はそうではない。
ラッカー盤をもとにスタンパーを作り、アナログディスクはプレスされていく。
このスタンパーが無限に同品質でプレスができれば、カッティングは一回で済む。

けれどプレスの度にスタンパーの形状もわずかずつではあるが変化していく。

つまり、何万枚とプレスするのであれば、カッティングも一回で済むわけがない。
モービル・フィデリティが「スリラー」の四万枚のために、
何回カッティングを行ったかはわからないが、
カッティングの回数の分だけマスターテープを再生するということを、
そのマスターテープの所有者であるレコード会社が許可するのか。

このあたり、レコード会社とモービル・フィデリティのあいだでどういう契約になっているのか。
部外者には知りようもないことだが、
何度でも再生してもいいよ、とレコード会社がいうとはとうてい思えない。

ならば、ということで、マスターテープのコピーをモービル・フィデリティは、
DSDに変換したのか。
それともレコード会社がDSDに変換したものを使用したのか。

Date: 8月 26th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その9)

ある時期まで、日本で最も多くオーディオマニアに聴かれた真空管(出力管)といえば、
50CA10だったのかもしれない。

ラックスのSQ38シリーズでの採用、
MQ60、そのキット版のKMQ60でも使われている。

以前のステレオサウンドのベストバイでは、
読者の現在使用中の装置というアンケート結果が載っていた。

プリメインアンプでは、SQ38シリーズが一位だったことが続いていた。
そのころはパワーアンプでも、MQ60、KMQ60もけっこう高いところにランクされていた。

私がステレオサウンドにいたころ、井上先生は、
日本における真空管アンプの音の印象というのは、
ラックスのSQ38シリーズによって作られた、といってもいい──、
そんなことを何度かいわれていた。

あたたかくやわらかい音。
すべての真空管アンプに共通する音ではない。

真空管アンプでも、硬い音のアンプもあったし、あたたかくはない音もあった。
にも関わらず、日本では真空管アンプはあたたかくやわらかい音というのは、
やはりSQ38シリーズの影響がそうとうに大きい、といっていいだろう。

いうまでもなくSQ38シリーズ、MQ60に使われていたのが、50CA10である。

SQ38シリーズが製造中止になって、後継機種のLX38も製造中止になっても、
それまでにはかなりの数の、これらのアンプは売れていたのだから、
すぐに誰も使わなくなるということはなかったはずだ。

長い期間、これらのアンプの音は、日本の真空管アンプの音として現役だった。

いまでこそ50CA10を使ったアンプは聴いたことがない、という人が多いだろうが、
昭和の時代はそうではなかった。

だからといって、50CA10の単段シングルアンプを自作して、
そういう音を再現したいわけでもない。

Date: 8月 25th, 2022
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その5)

耳の記憶の集積こそが、オーディオである──、
その1)で書いている。

そのまま、もう一度書いておく。
この大事なことを抜きにして、オーディオについて語り合うことはできない。

Date: 8月 25th, 2022
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(取り残されてきているのか・その5)

昨年、HiByのTiny USB DACのFC3を、
中国のサイトから購入したことを書いた。

日本に輸入元があるにも関わらず、中国の通販を利用したのは、
その時点で輸入元が取り扱っていなかったどころか、なんの発表もしていなかったからだ。

安価な製品だし、特にサポートを必要とするモノでもなし、
それに早く聴いてみたい、と気持が強くて、そうやって購入したわけだが、
輸入元があれば、そこから購入したい。

HiByは中国のメーカーだけに、立て続けに新製品を出してくる。
FC3の上級機FC5が出た。そしてFC4が発表、発売になった。

このFC4が、HiByのTiny USB DACとして初めてのMQAフルデコード対応である。
FC5もFC3もMQAのレンダラーでしかない。

型番からわかるようにFC5がFC4よりも上級機である。
にもかかわらずFC4はFC5を差し置いてMQAフルデコードである。

FC4は6月に発表になっていた。
どうせ、今回も半年ほど経っての発表・発売なのかな──、ぐらいに思っていた。
けれど、昨日、輸入元の飯田ピアノがFC4のリリースを出している。

9月から発売である。
今回は早い。
しかも価格も、中国のサイトから購入するのとたいして変らない。

前回は、輸入元にたいして苦言めいたことを書いた。
今回は、そんなことを書かずに済んだ。

Date: 8月 25th, 2022
Cate: audio wednesday

第一回audio wednesday (next decade)

9月7日のaudio wednesday (next decade)の一回目は、
すでに告知しているように、名曲喫茶、ジャズ喫茶めぐりを行う。

以前、audio sharing例会といっていた頃、
番外のようなかたちで、名曲喫茶、ジャズ喫茶めぐりを土曜日に行ったことがある。
2014年12月に、数人集まっての名曲喫茶、ジャズ喫茶めぐりであった。

今回も同じことをやる予定である。
夜からのスタートだと、二軒ほどしか廻れないので、
明るいうちからスタートする。

どこからスタートするからは、まだ決めていない。
それでも最後は新宿・歌舞伎町のナルシスに決めている。
ここは、前回と同じである。

途中参加あり、途中で抜けてもらってもかまわない。
前回は途中で抜けて、また合流した人もいた。

いまはfacebookがあるから、どこにいるのかを知らせることができる。
前回もそうやっている。

Date: 8月 25th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その2)

(その1)の続きとして考えていたことの前に、ちょっとだけ。
今回のモービル・フィデリティの件を、オーディオ雑誌は記事にするのだろうか。

9月になればステレオサウンド 224号が出る。
モービル・フィデリティの件は7月には明らかになっている。
オーディオ雑誌の編集者が知りませんでした──では通用しない。

編集部は一人ではないのだし、
オーディオ関係者から情報が流れてきたことだろう。

モービル・フィデリティに特に関心を持っていない私でも、
7月には、この件を知っていた。

記事にする時間の余裕は十分にあった。
時間がなかった、といういいわけは通用しない。

記事にするのかしないのか。
していたとして、どういう内容になっているのか。

ステレオサウンドが、これまでモービル・フィデリティを取り上げていないのであれば、
今回の件を記事にしないのもありかな、とは思うが、
そうではない。

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その4)」で、
リーダーが絶対にやってはいけないこと。
だんまり、黙殺、無視だと私は思っている。
と書いた。

224号に、モービル・フィデリティの記事はあるのだろうか。

Date: 8月 24th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その8)

今回のアンプで流用する電源トランスには、
6.3Vのヒーター用巻線がついている。

電流容量も十分なので、6.3Vヒーターの出力管ならば、たいていのモノが使える。
EL34も使える。

50CA10よりもEL34のほうが、圧倒的には入手しやすい。
いまでもいくつかのメーカーがEL34を製造している。
古い時代のEL34も、少し高くなるけれど入手困難というほどではない。

ならば50CA10ではなく、
他の出力管(EL34など)で単段アンプを作った方が、楽になるところがある。

それでもヒーターが50Vという50CA10にこだわるのは、
最初に聴いた真空管アンプが、ラックスのLX38だということ、
そのLX38の音をいい音と感じてしまったことが、やはり大きい。

それに50CA10を採用したアンプで聴いているのは、ラックスのアンプしかない。
50CA10の音のイメージは、
私にとってはラックスの真空管アンプの音のイメージである。

それはそのままでもいいとは思っているけれど、
せっかく、こうやって私のところに50CA10のアンプが二台やって来たのだから、
自作アンプで、50CA10の音を自分なりに確認したいという気持が起ってきた。

それに武末数馬氏は、50CA10という出力管を高く評価されていたと記憶している。
でせ、だからといって、武末数馬氏のアンプに憧れたことは一度もなかった。