Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 10月 31st, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(ヘッドフォン祭にて……・その2)

瀬川先生が、ずっと以前に書かれていたことを憶いだす。
     *
 前項で、音を聴き分ける……と書いたが、現実の問題として、スピーカーから出る「音」は、多くの場合「音楽」だ。その音楽の鳴り方の変化を聴き分ける、ということは、屁理屈を言うようだが「音」そのものの鳴り方の聴き分けではなく、その音で構成されている「音楽」の鳴り方がどう変化したか、を聴き分けることだ。
 もう何年も前の話になるが、ある大きなメーカーの研究所を訪問したときの話をさせて頂く。そこの所長から、音質の判断の方法についての説明を我々は聞いていた。専門の学術用語で「官能評価法」というが、ヒアリングテストの方法として、訓練された耳を持つ何人かの音質評価のクルーを養成して、その耳で機器のテストをくり返し、音質の向上と物理データとの関連を掴もうという話であった。その中で、彼(所長)がおどろくべき発言をした。
「いま、たとえばベートーヴェンの『運命』を鳴らしているとします。曲を突然とめて、クルーの一人に、いまの曲は何か? と質問する。彼がもし曲名を答えられたらそれは失格です。なぜかといえば、音質の変化を判断している最中には、音楽そのものを聴いてはいけない。音そのものを聴き分けているあいだは、それが何の曲かなど気づかないのが本ものです。曲を突然とめて、いまの曲は? と質問されてキョトンとする、そういうクルーが本ものなんですナ」
 なるほど、と感心する人もあったが、私はあまりのショックでしばしぼう然としていた。音を判断するということは、その音楽がどういう鳴り方をするかを判断することだ。その音楽が、心にどう響き、どう訴えかけてくるかを判断することだ、と信じているわたくしにとっては、その話はまるで宇宙人の言葉のように遠く冷たく響いた。
 たしかに、ひとつの研究機関としての組織的な研究の目的によっては、人間の耳を一種の測定器のように──というより測定装置の一部のように──使うことも必要かもしれない。いま紹介した某研究所長の発言は、そういう条件での話、であるのだろう。あるいはまた、もしかするとあれはひどく強烈な逆説あるいは皮肉だったのかもしれないと今にして思うが、ともかく研究者は別として私たちアマチュアは、せめて自分の装置の音の判断ぐらいは、血の通った人間として、音楽に心を躍らせながら、胸をときめかしながら、調整してゆきたいものだ。
 そのためには、いま音質判定の対象としている音楽の内容を、よく理解していることが必要になる。少なくともテストに使っている音楽のその部分が、どういう音で、どう鳴り、どう響き、どう聴こえるか、についてひとつの確信を持っていることが必要だ。
     *
ステレオサウンド別冊High-Technic Seriesの一冊目、
マルチアンプ号からの引用だ。

こういう聴き方なのか。
瀬川先生が、《あまりのショックでしばしぼう然》された聴き方が、
音質評価としての聴き方なのか。

ULTRA DACよりも安価なD/Aコンバーターを高く評価した人の聴き方はわからない。
仮にそうだった、としよう。

《音を判断するということは、その音楽がどういう鳴り方をするかを判断することだ。その音楽が、心にどう響き、どう訴えかけてくるかを判断すること》とは無縁の耳、聴き方でしかない。
そんな耳、聴き方の人には、ULTRA DACは高いだけ、大きいだけのD/Aコンバーターなのだろう。

もっと小型でもっと安価で、音のいいD/Aコンバーターがあるのに、
価格と大きさにく惑わされているヤツラがいる──、
そんな耳、聴き方の人は、私のような耳、聴き方をする人をそう思っているかもしれない。

そして、ここでも「肉体」ということに連想がいく。

Date: 10月 31st, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(ヘッドフォン祭にて……・その1)

ヘッドフォン祭でのデジ研のブースで、ちょっと気になることを聞いた。
「ULTRA DASCは音質評価という聴き方をすると、決して高い評価を得られないかもしれないが、
音楽を聴くためのオーディオ機器としては素晴らしい」と。

概ね、そんな内容だった。
いわれた方は、ULTRA DACの良さを認めておられるようだった。
そのうえで、こういういいかたをされたのは、なぜだろう、と思って、
昨晩、Googleで「メリディアン ultra dac」で検索してみた。

個人のブログに、それはあった。
ブログを書かれている人は、他の方のtwitterを引用されていて、
ツイートされているイベントでの音を聴かれているわけではない。

簡単に見つけられるから、あえてリンクはしないが、
そこには、ULTRA DAC(250万円)の10分の1くらいのD/Aコンバーターの音のほうが、
圧倒的によかった、というツイートが紹介されている。

正直、これだけではこまかなことまでははっきりとしない。
ただ、ULTRA DACよりもずっと安価なD/Aコンバーターの音を高く評価する人がいる、
ということがわかるだけである。

音質評価という聴き方がどういうものなのかも、実のところ、はっきりとしないが、
なんとなくならば、わからないわけでもない。

それでも音質評価という聴き方は、音楽を聴く、ということと、
どれだけ違っているのだろうか。

オーディオマニアは、音楽ではなく音だけを聴いている──、
とは昔からいまも言われつづけている、いわば批判の表現だ。

これにも、あれこれいいたいことはあるけれど、
それを書いていったら、長々と書いていかねばならなくなるが、
短絡的に捉えた場合の、そういう聴き方なのか。

Date: 9月 30th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その27)

スチュアートの祖母は、コンサートピアニストだった、と86号の記事にはある。
両親も音楽好きで、クラシックに幼いころから親しんでいて、
86号のインタヴュー記事(1988年)では、
《好んで聴く音楽は、合唱音楽ということであった。特にCDになってからは、合唱音楽の再生に真価が発揮されるようになったという。自宅がケンブリッジにあるので、合唱音楽の宝庫ともいうべきケンブリッジ大学の、特にチャペルで行われるコンサートにはひんぱんに足を運んでいるとか。》
とある。

このことは当時のメリディアンのモデルの音以上に、
ULTRA DACの音を聴くと納得できる。

グラシェラ・スサーナだけでなく、声(歌)の再生は特に見事である。
人の声(歌)が好きな人ならば、ULTRA DACの音は聴かない方がいいかもしれない。
その場でULTRA DACを持って帰りたくなるほどに、よく鳴ってくれる。

人の声(歌)は、昔からいわれているように、音の違いがよくわかる。
声以外の場合、何かの楽器の再生音では時として騙されることがあっても、
人の声では、ほとんどの人が騙されることはない、とまでいわれるくらいに、
それはもっとも耳に馴染んだ音であるだけに、
よほど頭でっかちな聴き方をしないがぎり、人の声(歌)は、音がよくわかる。

瀬川先生が「聴感だけを頼りに……」(虚構世界の狩人・所収)が書かれている。
     *
「きみ、美空ひばりを聴きたまえ。難しい音楽ばかり聴いていたって音はわからないよ。美空ひばりを聴いた方が、ずっと音のよしあしがよくわかるよ」
 当時の私には、美空ひばりは鳥肌の立つほど嫌いな存在で、音楽の方はバロック以前と現代と、若さのポーズもあってひねったところばかり聴いていた時期だから歌謡曲そのものさえバカにしていて、池田圭氏の言われる真意が汲みとれなかった。池田氏は若いころ、外国の文学や音楽に深く親しんだ方である。その氏が言われる日本の歌謡曲説が、私にもどうやら、いまごろわかりかけてきたようだ。別に歌謡曲でなくたってかまわない。要は、人それぞれ、最も深く理解できる、身体で理解できる音楽を、スピーカーから鳴る音の良否の判断や音の調整の素材にしなくては、結局、本ものの良い音が出せないことを言いたいので、むろんそれがクラシックであってもロックやフォークであっても、ソウルやジャズであってもハワイアンやウエスタンであっても、一向にさしつかえないわけだ。わからない音楽を一所けんめい鳴らして耳を傾けたところで、音のよしあしなどわかりっこない。
     *
そのとおりである。
けれど今回ULTRA DACを聴いて、怖いと感じたのは、
歌手の格を顕にするところである。

Date: 9月 30th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その26)

ステレオサウンド 86号に、ボブ・スチュアートのインタヴュー記事が載っている。
当時連載されていた「プロフェッサー中矢のAudio Who’s Who」である。

そこに、こうある。
《ブースロイド氏に音楽の好みをたずねたら、案の定、楽しみで聴く音楽は九九パーセントがクラシックとの答えが返ってきた》

そうだろう、と改めて感じていた。
当時、メリディアンはブランド名で、社名はブースロイド・スチュアートであり、
工業デザイナーのアレン・ブースロイドとエンジニアのボブ・スチュアートの二人が設立。

余談になるが、二人の出逢いは、イギリスのオーディオメーカー、レクソンであり、
ブースロイド、スチュアート、この二人による最初のモデルは、
コントロールアンプのAC1、パワーアンプのAP1である。

AC1のデザインには、驚いた。
こういうデザイン、いいなぁ、と思っていた。
音はどうだったのだろうか。
聴く機会はなかった。
オーディオ雑誌でも、音のことはほとんど話題にならなかった。

それでもレクソンのデザインのことは、いまでもはっきりと思い出せるほどに強烈だった。
そのレクソンのアンプを、ブースロイドとスチュアートの二人の最初の作であることを知るのは、
M20+207の音を聴いたころだった。

そうなるとレクソンのアンプもデザインだけでなく、音のことも気になってくる。
どんな音がしていたのだろうか。

それに当時は中学生だった。
なんとなくデザイン優先のアンプのようにも受けとっていた。
デザインというものを、ほとんど理解していなかったから、そう感じたのであって、
いま改めてレクソンのアンプを見つめ直すと、パワーアンプは非常に理に適っているかたちであるし、
コントロールアンプも、また違う見方ができる(このことはいずれ書きたい)。

86号の記事はボブ・スチュアートのインタヴューだから、
スチュアートの音楽の好みについても書かれてある。

Date: 9月 30th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その25)

昔なら、イギリスのオーディオ機器、それもスピーカーシステムに関しては、
タンノイにしてもBBCモニターの流れを汲むメーカーにしても、
クラシックを好んで聴く人による設計・開発という印象を受けることが多かった。

それが変りはじめてきたのは、ハーベスのMonitor HLかもしれない。
それまでのBBCモニター系列のスピーカーシステムが、ベクストレンウーファーだったのに対し、
Monitor HLはポリプロピレンウーファーだった。

黒で、表面にダンプ剤が塗布されたベクストレンと、
乳白色で半透明のポリプロピレンとでは、見た目の印象はずいぶん違う。
見た目の明るさは正反対である。

Monitor HLは、たとえばBCII(ベクストレンウーファー)と比較すると、
あきらかに明るい音を響かせる。
瀬川先生は、ステレオサウンド 54号の特集で、
《もしかすると、設計者のハーウッドは、クラシックよりポップス愛好家なのかもしれない》
と試聴記の最後に書かれているくらいである。

そんな40年前の時代とは違い、
いまではイギリスのスピーカーメーカーも、はっきりと世代の新しいメーカーが登場している。
それらの中には、クラシック寄りと思えないモノも少なくない。
とはいっても、Monitor HLがそうであったように、
クラシックが鳴らないわけではなく、充分魅力的に聴かせながらも、
「もしかすると……」と思わせるところも、昔のイギリスのスピーカーの音に馴染んだ者にはある。

メリディアンもハーベスと同時期に登場したイギリスのメーカーであっても、
こちらははっきりとクラシックをメインに好んで聴く人による音であった。

1970年代後半、ハーベスもメリディアンも新しく登場したメーカーであっても、
そういうわずかな違いがあったように感じている。

このことはM20+207の組合せを聴けば、多くの人が納得するはずだ。

Date: 9月 17th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その24)

そういう違いのある、MCD350の音とULTRA DACの音で「Moanin’」を聴いている。
MCD350によるSACDの音を基準とすれば、
ULTRA DACによるMQAディスクの音は、やや暗いと受けとられるし、
後者の音を基準とすれば、MCD350での音は明るすぎる、ともなる。

どちらの鳴り方が「Moanin’」なのか。
「Moanin’」はmoanから来ている、とある。

moanには、 (苦痛·悲しみの)うめき(声) 、
〈不幸などを〉嘆く、悲しむ、〈死者を〉いたみ悲しむの意味がある。

そんなmoanの意味を知れば、ULTRA DACでの「Moanin’」なのかとも思う。
クラシックを主に聴いてきた私は、
「Moanin’」の鳴り方はこうでなくては、というのがまだ形成されていない。

「Moanin’」の意味を考えずに、能天気に聴いているのであれば、
MCD350の音も気に入っている。
それでも、一度「Moanin’」の意味を知ろうと思ったのであれば、
聴き方も自ずと変ってくるというものだ。

ULTRA DACでの「Moanin’」も、やはり静かだ。
静かであっても、いわゆる鉛などを使った鈍重な静けさの音が、
角を矯めて牛を殺す的に陥りがちであるのとは違う。

躍動している。
バド・パウエルの「Cleopatra’s Dream」も聴いた。
このディスクは、こうあってほしい、というイメージが私にもある。

もう少しセッティングを詰めていったら──、と感じもしていたが、
それでもベクトルは一致している。
ならば「Moanin’」も、ULTRA DACでの音こそ、となるのか。

「Moanin’」のDSDファイルをULTRA DACで鳴らした音も、
だから無性に聴きたい。

Date: 9月 17th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その23)

audio wednesdayで、D/Aコンバーターをつけ加えたことは三度ほどある。
一度はオーディオアルケミーの安価なモノ、
それからマイテックデジタルのManhattanにしたことが二回あった。

ラックスのD38uを使っていたころである。
オーディオアルケミーだと、D38uのままで聴いた方が好結果だった。
Manhattanでは、D38uに感じていた不満なところがほぼなくなる。
それでもホーン鳴きが明らかに減った、という印象はなかった。

マッキントッシュのMCD350の筐体は、お世辞にもがっしりしているわけではない。
指で叩けば、そこそこ雑共振といえる音がする。

D38uは外装のウッドケースを外すと、内部が見える構造である。
MCD350よりは雑共振も少ない。

ホーン鳴きが気になるのは、このへんのことも関係している。
どんなオーディオ機器でも、実際に自分の手で持ってみた時の感触は、
わりあいそのままと音として出てくるところがある。

雑共振のかたまりのようなつくりのオーディオ機器から、澄んだ音が聴けたためしは一度もない。

MCD350のシャーシーの共振点と811Bのホーン鳴きは、近いところにあるのかもしれない。
MCD350にしてから、特にSACDを聴いていると、ホーン鳴きを以前よりも意識することが多くなった。

SACDの情報量の多さが、
MCD350のシャーシーの共振と相俟って811Bのホーン鳴きと浮び上らせているようだ。

ULTRA DACでは、そこが違った。
Manhattanでは、そうは鳴らなかった。
けれどULTRA DACでは、ホーン鳴きが抑えられているように感じる。
情報量は多いにも関らずだ。

ULTRA DACのシャーシーは雑共振がするような造りではない。
そのことだけでホーン鳴きが耳につかないわけでもないようだ。

ULTRA DACの帯域バランスというか、
エネルギーバランスも関係してのことのようにも感じている。

とはいえ、9月5日の試聴だけでは、そこまで断言できないものの、
しっかりとしたエネルギーバランスがあってこそのホーン鳴きの少なさではないのか。

Date: 9月 17th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その22)

それから忘れてはならないのが、
アルテックのホーン鳴きが、いままでほど気にならなかったことだ。

806Aドライバーは811Bホーンに取り付けられている。
811Bはホーン自体にデッドニングを一切施していない。

ホーン鳴きに対して、喫茶茶会記の811Bに何もしていないわけではないが、
積極的にやっているわけでもない。デッドニングはしていない。

ホーン鳴きは、確かに気になる。
けれどかける音楽よっては、いい方向に作用してくれることだってある。
それは、やはり金管楽器の鳴り方には、うまく作用することがある。

今年になってよくかけているのが、アート・ブレイキーの「Moanin’」。
「Moanin’」では811Bのホーン鳴きがむしろ心地よい、というより快感でもある。
これぞブラス! といいたくなるほど、うまくはまる。

圧縮された空気が開口部から一気に放射される金管楽器ならではの鳴り方は、
単にエネルギー感がうまく再現できたり、立ち上りがはやいからといって、
それだけで満足のいく鳴り方をしてくれるとはかぎらない。

昔ながらのホーン型で聴くと、それは、いわばホーン型特有の毒とわかっていても、
その魅力は認めざるをえない。

MQAディスクにも、「Moanin’」はある。
ユニバーサルミュージックのカタログをみると、
「Moanin’」のSACDとMQAディスクのマスターは同じようである。

ULTRA DACでの「Moanin’」のMQAディスクは、
MCD350で再生したSACDとはずいぶん違う。

明るさでいえば、MCD350でのSACDである。
けれど、いつも聴いていて感じているのは、ホーン鳴きによる効果と、その悪さである。
金管楽器の金属の厚みが、少し薄いように感じなくもない。

ULTRA DACで再生したMQAディスクの「Moanin’」は、明るくはない。
けれど、楽器の金属の薄さは感じなかった。
それにホーン鳴きの悪さを、さほど感じない。

これは少々意外だった。
アンプも同じ、スピーカーも同じ。
実はホーンの置き方をわずかに変えていたけれど、
それは以前、何度か試していて、どういう音の変化なのかはわかっていた。

それを考慮しても、意外に感じるほど、ホーン鳴きに耳につきにくい。

Date: 9月 17th, 2018
Cate: Marantz, Model 7

マランツ Model 7はオープンソースなのか(その6)

四年前に、ある記事を読んだ。
それがきっかけで、マランツのModel 7はオープンソースなのか、ということを考えるようになった。

その『多くのファンを魅了しながら突然姿を消した謎の天才オーディオエンジニア「NwAvGuy」』で知ったのだが、アメリカにはNwAvGuyと名乗る匿名のエンジニアがいる。
2012年を最後に、なぜかぷっつり活動を止めてしまっているようだが、
彼が設計したヘッドフォンアンプとD/Aコンバーターは、かなり安価に製作できるにも関らず、
かなりの高音質で話題になった、とある。

NwAvGuyは、回路図をオープンソースとして公開している。
詳しいことは、上記リンク先の記事を読んでほしい。

オープンソースの規約に基づいて製品化もなされている。
いま現在も購入できる。

回路図だけでなくプリント基板のパターンも公開されている。
製品化されたモノを買わなくとも、腕に自信のある人ならば、完全なコピーを作ることも可能だ。

同じことは、無線と実験、ラジオ技術などの技術誌の自作記事でもいえる。
回路図は公開されている。
プリント基板のパターンも同じく公開されている。
シャーシーの加工図もある。
部品の指定もある。

同じといえば同じである。
けれど、それらの記事のアンプが、オープンソースを謳うことはなかった。
当り前といえば当り前のことなのだが、
オーディオ雑誌でのアンプの自作記事を数多く、それまで見てきた者にとっては、
NwAvGuyのオープンソース宣言は、そういう考え方もできるんだな、と多少の驚きがあった。

オープンソースという言葉が生れたのは1998年らしい。
もちろんコンピューターのソフトウェア関係から生れている。

それまでそういう言葉、そういう考え方は、オーディオの世界にはなかったといってもいいのだから、
雑誌記事の回路図、プリント基板のパターン、
それだけでなく、マランツやマッキントッシュQUADなど、
過去のアンプの回路図もまた公開されてきたけれど、
それらをオープンソースと呼ぶ人は誰もいなかった。

けれどいわれてみれば、オープンソースなのかもしれない、と思う。
マランツのModel 7にしても回路図、その他はさまざまなところで公開されている。
解説記事もいくつもある。

Model 7はプリント基板を使うわけではないから、自作の難度は低くはない。
それでもデッドコピーを作るのに不足している情報はない、といってもいい。

これがマッキントッシュの真空管パワーアンプだと、
回路図、コンストラクションはマネできても、出力トランスだけは無理である。

その点、Model 7はコントロールアンプだから、その厄介さはない。
だから、ここでのタイトルは、マランツのModel 7なのである。

Date: 9月 16th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その21)

度々書いているM20にも、ULTRA DACに通じる良さは感じていた。
特にCDプレーヤーの207との組合せでは、ここに源流があるのかも、とおもう。

M20+207も、沈黙したがっていた──、
私の記憶のなかでは、いまもそういう音で鳴っている。

それでもM20+207の、その音、ひっそりと鳴る音は、時としてこじんまりしがちだった。
それが、このミニマムな組合せの良さだったとはわかっていても、それだけでは満足できようがなかった。

M20+207の音から、約30年。
ULTRA DACの音は、見事だ。立派ともいえる。
こじまんりとはしていない。
もっとこうあってほしい、と思っていたところはすべてにおいて良くなっている。
むしろ堂々としている。
それでいてこれみよがしではない。

ULTRA DACの音は澄明と書いたが、それは低音域において顕著なのかもしれない。
低音が澄んでいる。
この、澄んだ低音を実現するための大きさならば、
大きすぎと感じたULTRA DACのサイズもすんなり受け入れられるようになる。

別項で書いている「JUSTICE LEAGUE」のサウンドトラック盤。
9月5日のaudio wednesdayで、最初にかけたディスクはこれだった。

ハイレス・ミュージックの鈴木秀一郎さんと私だけの時にかけている。
マッキントッシュのMCD350で鳴らしている。

その時の音と、ULTRA DACでの音は大きく違っていた。
アンプの電源を入れてさほど時間が経っていない音との比較ということもあるが、
それ以上の違いがあった。それこそ澄んだ低音とそうでない低音の違いであり、
低音における解像力の違いとしても、それははっきりとあらわれていた。

ULTRA DACを聴く以前は、そんなふうに感じていなかったが、
MCD350の低音はわずかとはいえ混濁している。
おそらくMCD350だけがそうなのではないのかもしれない。
多くのCDプレーヤー、D/Aコンバーターにも同じことはいえるのかもしれない。

混濁した低音は、マスとしての力を感じさせることだってある。
澄んだ低音は、充分な力がなければ、頼りなく感じもしよう。
ULTRA DACはそうではなかった。

「JUSTICE LEAGUE」の一曲目、“EVERYBODY KNOWS”には、聴いている皆が耳をすます。
そんな雰囲気を感じていた。
そういえば、この場合もすますも、澄ますである。

“COME TOGETHER”は、大きめの音量でかけた。
こういう音で聴きたかったんだ、という聴き応えのある音で鳴ってくれた。

MCD350だけで聴いていたら、いまどきのサウンドトラック盤というのは、
こんな音づくりなのか、と判断を誤るところだった。
「JUSTICE LEAGUE」はaudio wednesdayの当日に買っている。

Date: 9月 16th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その20)

瀬川先生は、「澄明」と書かれる。「透明」ではない。
透明な音は、いまや世の中に溢れている、といってもいい。

ULTRA DACより高価なD/Aコンバーターは、いくつもある。
ULTRA DACより透明な音のD/Aコンバーターも、直接比較試聴したわけではないが、
いくつもある、といっていい。

現状において、これ以上透明な音はない、
そういえるぐらい透明な音があっても、
だからといって《鳴る音より音の歇んだ沈黙が美しい》といえるわけではない。
《無音の清澄感》があるともいえない。

ULTRA DACの静けさは、澄明である。
だからこそ、他の、D/Aコンバーターとは違うと感じたのだろう。

《ふと音が歇んだときの静寂の深さが違う》、
《音の鳴らない静けさに気品がある》、
そういう静けさをULTRA DACは再現してくれる。

情景が浮ぶのは、そういうところと深く関係しているのかもしれない。
しかも、その静けさは、決して鈍重な静けさではない。

機械的な雑共振を抑えるために、鉛が使われることがある。
トーンアームではオイルが使われることもある。

鉛の振動を抑える効果は確かにある。
粘性の高いオイルによるダンプ効果も確かにある。

けれど、それらの手法は、往々にして鈍重な静けさへとなる。
活き活きとした表情、ヴィヴィッドな音も、雑共振とともに失われていく傾向がある。
ULTRA DACに、そういう傾向は微塵も感じられなかった。

そういう音(静けさ)ゆえに、アルテックから沈黙したがっていたのだろう。

Date: 9月 16th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その19)

「五味オーディオ教室」に、こう書いてあった。
     *
 はじめに言っておかねばならないが、再生装置のスピーカーは沈黙したがっている。音を出すより黙りたがっている。これを悟るのに私は三十年余りかかったように思う。
 むろん、音を出さぬ時の(レコードを聴かぬ日の)スピーカー・エンクロージァは、部屋の壁ぎわに置かれた不様な箱であり、私の家の場合でいえばひじょうに嵩張った物体である。お世辞にも家具とは呼べぬ。ある人のは、多少、コンソールに纏められてあるかも知れないが、そんな外観のことではなく、それを鳴らすために電気を入れるとしよう。プレーヤーのターンテーブルが、まず回り出す。それにレコードをのせる以前のたまゆらの静謐の中に、すでにスピーカーの意志的沈黙ははじまる。
 優れた再生装置におけるほど、どんな華麗な音を鳴らすよりも沈黙こそはスピーカーのもてる機能を発揮した状態だ。装置が優れているほど、そしてこの沈黙は美しい。どう説明したらいいか。レコードに針をおろすのが間延びすれば、もうそれは沈黙ではない。ただの不様な置物(木箱)の無音にとどまる。
 光をプリズムに通せば、赤や黄や青色に分かれることは誰でも知っているが、円盤にそういう色の縞を描き分け、これを早く回転させれば円盤は白色に見えることも知られている。つまり白こそあらゆる色彩を含むために無色である。この原理を応用して、無音こそ、すべての音色をふくんだ無音であると仮定し、従来とはまったく異なる録音機を発明しようとした学者がいたそうだ。
 従来のテープレコーダーは、磁気テープにマイクの捉えた音を電気信号としてプラスする、その学者の考えは、磁気テープの無音は、すでにあらゆる音を内蔵したものゆえ、マイクより伝達される音をマイナスすれば、テープには、ひじょうに鮮明な音が刻まれるだろう、簡単にいえばそういうことらしい。
 私はその方面にはシロウトで、テープヘッドにそういうマイナス音の伝達が可能かどうか、また単純に考えて無音(零)からマイクの捉えた音(正数)をマイナスするのは、数式で言えば結局プラスとなり、従来のものとどう違うのか、その辺はわからない。しかし感じとしては、この学者の考えるところはじつによくわかった。
 ネガティブな録音法とも称すべきこれを考案した学者の話は、だいぶ以前に『科学朝日』のY君から聞いたのだが、その後、いっこうに新案の録音機が発表されぬところをみると、工程のどこぞに無理があるのだろう。あるいはまったく空想に過ぎぬ録音法なのかもしれぬが、そんなことはどうでもよい。
 おそらくこの学者も私と同じレコードの聴き方をしてきた人に相違ないと思う。ひじょうに密度の濃い沈黙——スピーカーの無音は、あらゆる華麗な音を内蔵するのを知った人だ、そういう沈黙のきこえる耳をもっている人だ、と思う。
 レコードを鑑賞するのに、針をおろす以前のこうした沈黙を知らぬ人の鑑賞法など、私は信用しない。音楽が鳴り出すまでにどれほど多彩な楽想や、期待にみちびかれた演奏がきこえているか。そもそも期待を前置せぬどんな鑑賞があり得るのか。
 音楽は、自然音ではない。悲しみの余り人間は絶叫することはある。しかし絶叫した声でメロディを唄ったりはすまい。オペラにおける“悲しみのアリア”は、この意味で不自然だと私は思う。メロディをくちずさむ悲しみはあるが、甲高いソプラノの歌など悲しみの中で人は口にするものではない。歌劇における嘆きのアリアはかくて矛盾している。
 私たちがたとえば“ドン・ジョバンニ”のエルヴィーラの嘆きのアリア「私を裏切った……」(Mi tradi……)に感動するのは、またトリスタンの死後にうたうイゾルデに昂奮するのは、言うまでもなくそれが優れた音楽だからで、嘆くのが自然だからではない。厳密には理不尽な矛盾した嘆き方ゆえ感動するとも言えるだろう。
 そういうものだろう。スピーカーは沈黙を意志するから美しい。こういう沈黙の美しさがきこえる耳の所有者なら、だからステレオで二つもスピーカーが沈黙を鳴らすのは余計だというだろう。4チャンネルなど、そもそも何を聴くに必要か、と。四つもの沈黙を君は聴くに耐えるほど無神経な耳で、音楽を聴く気か、と。
 たしかに一時期、4チャンネルは、モノがステレオになったときにも比すべき“音の革命”をもたらすとメーカーは宣伝し、尻馬に乗った低級なオーディオ評論家と称する輩が「君の部屋がコンサート・ホールのひろがりをもつ」などと提灯もちをしたことがあった。本当に部屋がコンサート・ホールの感じになるなら、女房を質においても私はその装置を自分のものにしていたろう。神もって、これだけは断言できる。私はそうしなかった。これは現在の4チャンネル・テープがプログラム・ソースとしてまだ他愛のないものだということとは、別の話である。他愛がなくたって音がいいなら私は黙ってそうしている。間違いなしに、私はそういう音キチである。
 ——でも、一度は考えた。私の聴いて来た4チャンネルはすべて、わが家のエンクロージァによったものではない。ソニーの工場やビクターやサンスイ本社の研究室で、それぞれに試作・発売しているスピーカー・システムによるものだった。わが家のエンクロージァでならという一縷の望みは、だから持てるのである。幸い、拙宅にはテレフンケンS8型のスピーカーシステムがあり、ときおりタンノイ・オートグラフと聴き比べているが、これがまんざらでもない。どうかすればオートグラフよりピアノの音など艶っぽく響く。この二つを組んで、一度、聴いてみることにしたわけだ。
 ただ、前にも書いたがサンスイ式は疑似4チャンネルで、いやである。プリ・レコーデッド・テープもデッキの性能がまだよくないからいやである。となれば、ダイナコ方式(スピーカーの結合で位相差をひき出す)の疑似4チャンネルによるほかはない。完璧な4チャンネルは望むべくもないことはわかっているが、試しに鳴らしてみることにしたのだ。
 いろいろなレコードを、自家製テープやら市販テープを、私は聴いた。ずいぶん聴いた。そして大変なことを発見した。疑似でも交響曲は予想以上に音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけてきこえるオーケストラもあったが、ピアノは2チャンネルのときより一層グランド・ピアノの音色を響かせたように思う。バイロイトの録音テープなども2チャンネルの場合より明らかに聴衆のざわめきをリアルに聞かせる。でも、肝心のステージのジークフリートやミーメの声は張りを失う。
 試みに、ふたたびオートグラフだけに戻した。私は、いきをのんだ。その音声の清澄さ、輝き、音そのものが持つ気品、陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフの(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
 私は茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直して、悟ったのである。4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音が歇んだときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
 ふつう、無音から鳴り出す音の大きさの比を、SN比であらわすそうだが、言えばSN比が違うのだ。そして高級な装置ほどこのSN比は大となる。再生装置をグレード・アップすればするほど、鳴る音より音の歇んだ沈黙が美しい。この意味でも明らかに2チャンネルは、4チャンネルより高級らしい。
 私は知った。これまで音をよくするために金をかけたつもりでいたが、なんのことはない、音の歇んだ沈黙をより大事にするために、音の出る器械をせっせと買っていた、と。一千万円をかけて私が求めたのは、結局はこの沈黙のほうだった。お恥ずかしい話だが、そう悟ったとき突然、涙がこぼれた。私は間違っていないだろう。終尾楽章の顫音で次第に音が消えた跡の、優れた装置のもつ沈黙の気高さ! 沈黙は余韻を曳き、いつまでも私のまわりに残っている。レコードを鳴らさずとも、生活のまわりに残っている。そういう沈黙だけが、たとえばマーラーの『交響曲第四番』第二楽章の独奏ヴァイオリンを悪魔的に響かせる。それがきこえてくるのは楽器からではなく沈黙のほうからだ。家庭における音楽鑑賞は、そして、ここから始まるだろう。
     *
この文章には、
「鳴る音より、音の歇んだ沈黙の深さで、スピーカーのよし悪しはわかる。」とつけられていた。

《再生装置のスピーカーは沈黙したがっている。音を出すより黙りたがっている》ことを、
五味先生は30年余りかけて悟られた。

そのことをオーディオに興味を持ち始めたばかりの中学生の私に、
経験として理解することは到底できないことであり、
それでも知識として、とても重要なことなのは、わかっていた(つもりだった)。

それからさまざまなスピーカーを聴いてきた。
沈黙したがっているスピーカーは確かにある。

私がそう感じたのは、主にイギリスのスピーカーにおいてだった。
すべてのスピーカーが沈黙したがっているとは思えなかった。

特にアルテックのスピーカーは、沈黙したがっているわけではない、と思っていた。

ヴァイタヴォックスは、アルテックの英国版と説明されることがある。
確かにそういえる。
なぜ、アルテックの英国版なのか。
それはヴァイタヴォックスは、沈黙したがっていて、アルテックはそうではないからだ──、
とずっと思ってきた。

ULTRA DACを聴いて、考えを改めているところだ。
アルテックも沈黙したがっていたことに、いまごろになって気づいた。

Date: 9月 16th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その18)

瀬川先生が、SMEの3012-R Specialの音について書かれていることは、
そっくりULTRA DACの音のことでもある。

ここのとこは、もう一度引用しておこう。
     *
 えもいわれぬ良い雰囲気が漂いはじめる。テストしている、という気分は、あっという間に忘れ去ってゆく。音のひと粒ひと粒が、生きて、聴き手をグンととらえる。といっても、よくある鮮度鮮度したような、いかにも音の粒立ちがいいぞ、とこけおどかすような、あるいは、いかにも音がたくさん、そして前に出てくるぞ、式のきょうび流行りのおしつけがましい下品な音は正反対。キャラキャラと安っぽい音ではなく、しっとり落ちついて、音の支えがしっかりしていて、十分に腰の坐った、案外太い感じの、といって決して図太いのではなく音の実在感の豊かな、混然と溶け合いながら音のひとつひとつの姿が確かに、悠然と姿を現わしてくる、という印象の音がする。
     *
ほんとうに、こういう印象の音がする。
疑う人もいるとは思う。
それでもいい。
わからぬ人は、いつも時代にもいるし、
そういう人にどれだけ言葉を尽くしても、徒労に終ることはわかっている。

それでも、なんとか伝えたい、とも思う。
疑う耳(いや頭か)には、ULTRA DACの音は届かないかもしれない。
それは過剰な音では決してないからだ。

メリディアンはSMEと同じくイギリスのオーディオメーカーだということを感じていた。
ULTRA DACも、イギリスのD/Aコンバーターだとういことを強く感じていた。

ULTRA DACの音は、静かである。
ULTRA DACの静けさは、月並な表現ではあるが、
心が洗われるようでもある。

洗われるは、(あらわれる)であり、顕れるでもある、と感じる。
洗われることで、心が裸になるというか、素直になるとでもいおうか、
そうなることで、己の音楽に対する心がはっきりと顕れる。

ULTRA DACの静けさは、単なるS/N比の優秀性だけではないと思う。
そして、ここてもおもい出すのが、五味先生が書かれていたことだ。

Date: 9月 16th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その17)

想い浮かべた情景は、まだある。
瀬川先生がSMEの3012-R Specialについて、ステレオサウンド 56号に書かれていたことだ。
     *
 音が鳴った瞬間の我々一同の顔つきといったらなかった。この欄担当のS君、野次馬として覗きにきていたM君、それに私、三人が、ものをいわずにまず唖然として互いの顔を見合わせた。あまりにも良い音が鳴ってきたからである。
 えもいわれぬ良い雰囲気が漂いはじめる。テストしている、という気分は、あっという間に忘れ去ってゆく。音のひと粒ひと粒が、生きて、聴き手をグンととらえる。といっても、よくある鮮度鮮度したような、いかにも音の粒立ちがいいぞ、とこけおどかすような、あるいは、いかにも音がたくさん、そして前に出てくるぞ、式のきょうび流行りのおしつけがましい下品な音は正反対。キャラキャラと安っぽい音ではなく、しっとり落ちついて、音の支えがしっかりしていて、十分に腰の坐った、案外太い感じの、といって決して図太いのではなく音の実在感の豊かな、混然と溶け合いながら音のひとつひとつの姿が確かに、悠然と姿を現わしてくる、という印象の音がする。しかも、国産のアーム一般のイメージに対して、出てくる音が何となくバタくさいというのは、アンプやスピーカーならわからないでもないが、アームでそういう差が出るのは、どういう理由なのだろうか。むろん、ステンレスまがいの音など少しもしないし、弦楽器の木質の音が確かに聴こえる。ボウイングが手にとるように、ありありと見えてくるようだ。ヴァイオリンの音が、JBLでもこんなに良く鳴るのか、と驚かされる。ということは、JBLにそういう可能性があったということにもなる。
 S君の提案で、カートリッジを代えてみる。デンオンDL303。あの音が細くなりすぎずほどよい肉付きで鳴ってくる。それならと、こんどはオルトフォンSPUをとりつける。MC30とDL303は、オーディオクラフトのAS4PLヘッドシェルにとりつけてあった。SPUは、オリジナルのGシェルだ。我々一同は、もう十分に楽しくなって、すっかり興に乗っている。次から次と、ほとんど無差別に、誰かがレコードを探し出しては私に渡す。クラシック、ジャズ、フュージョン、録音の新旧にかかわりなく……。
 どのレコードも、実にうまいこと鳴ってくれる。嬉しくなってくる。酒の出てこないのが口惜しいくらい、テストという雰囲気ではなくなっている。ペギー・リーとジョージ・シアリングの1959年のライヴ(ビューティ・アンド・ザ・ビート)が、こんなにたっぷりと、豊かに鳴るのがふしぎに思われてくる。レコードの途中で思わず私が「おい、これがレヴィンソンのアンプの音だと思えるか!」と叫ぶ。レヴィンソンといい、JBLといい、こんなに暖かく豊かでリッチな面を持っていたことを、SMEとマイクロの組合せが教えてくれたことになる。
     *
《どのレコードも、実にうまいこと鳴ってくれる。嬉しくなってくる》とある。
まさに、そういう感じで鳴ってくる。

《ヴァイオリンの音が、JBLでもこんなに良く鳴るのか、と驚かされる。ということは、JBLにそういう可能性があったということにもなる》
とも書かれている。

これも同じようなことを感じていた。
喫茶茶会記のアルテックのドライバー806Aには、
いま中国製の互換ダイアフラムが装着されている。
一枚四千円くらいのダイアフラムである。

値段を考慮すれば、よく出来ているダイアフラムと思うけれど、
不満がまったくないわけでもない。気になるところは、やはりある。
それでも、アルテック純正のダイアフラムは、いまでは非常に高価だし、
この点に関しては、アルテックのドライバーを愛用されている方、共通の悩みだろう。

このダイアフラムを、あれにしてみたら──、と思ってはいるが、
それでもULTRA DACでの音は、このままでもいいんじゃないか、と思わせるほどだった。

瀬川先生は《レコードの途中で思わず私が「おい、これがレヴィンソンのアンプの音だと思えるか!」》
と叫ばれたそうだが、
私だって、「おい、これが四千円もしないダイアフラムの音だと思えるか!」といいたくなっていた。

Date: 9月 16th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その16)

メリディアンのULTRAD DACで聴いたグラシェラ・スサーナの歌について、
情景ということばを使った。

ULTRA DACの音は、私にとって情景と深くつながってくるようなところがある。
ULTRA DACの音を聴いていて、ふと、こんなふうだったのか、という、別の情景を思い浮べてもいた。

私にとって最初のステレオサウンドは41号と、
同時期の別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」は一冊、組合せである。
編集部が想像した読者からの手紙に、オーディオ評論家が組合せをつくっていく。

そのなかに女性ヴォーカルをしっとり、ひっそりと聴くための組合せを、という手紙があり、
井上先生が担当されていた。

スピーカーシステムには、キャバスのBrigantinだった。
もうひとつロジャースのLS3/5Aも選ばれていた。
アンプはAGIの511とQUADの405、カートリッジはAKGのP8ES。

この組合せの試聴では、読者は存在しないわけだが、
井上先生、編集者、レポーターの坂清也氏、少なくとも三人以上がいるわけだ。

井上先生のことだから、きっと深夜の試聴になっていたことだろう。
そういえば、メリディアンの輸入元のハイレス・ミュージックの鈴木秀一郎さんから、
井上先生のエピソードを一つ聞いた。

鈴木さんは、あるオーディオメーカーに、そのころ勤められていた。
そのオーディオメーカーが井上先生に試聴を依頼した。
井上先生が、その会社に到着されたのは午前0時過ぎだった。

正面玄関は閉まっている。
こんな時間は、警備員のいる入口から入ることになる。
井上先生もそこから入られたわけだが、警備員が、0時すぎということもあって、
入場者名簿に名前を書いてほしい、と井上先生に言ったそうだ。

警備員の仕事として、それは当然なのだが、
井上先生は怒って帰られた、らしい。

担当者が、警備員に、井上卓也というオーディオ評論家が夜遅くに来社するということを伝えていれば、
こんなことも起らなかっただろうし、井上先生ももう少し早く(せめて日付が変る前に)、
着いていれば、そういうことにもならなかっただろう。

そういう井上先生だから、「コンポーネントステレオの世界 ’77」での試聴も、
きっと深夜から早朝にかけてだった、と思う。

そういう時間帯にいい歳した男三人(もしくはそれ以上)が、
Brigantinから鳴ってくる女性ヴォーカルに耳をすます──、
そういう情景を、ULTRA DACの音を聴きながら、
こんなふうだったのかなぁ、と想い浮べていた。