Archive for category 試聴/試聴曲/試聴ディスク

ブラインドフォールドテストとオーディオ評論(その3)

ブラインドフォールドテストで思っていることがある。
ずっと以前から、ブラインドフォールドテストをやるならば、
こういうやり方をなぜしないのか──、そう思っていることがある。

ステレオサウンド 230号の特集で、
小型スピーカーシステムのブラインドフォールドテストを行っている。

いわゆるブラインドフォールドテストのやり方である。
私が考えているのは、一歩進んだブラインドフォールドテストである。

スピーカーシステムは、鳴らし手の技倆が音になってあらわれる。
だからこそ(その2)で、
ブラインドフォールドテストでは何を聴いているのかをはっきりさせないと、
そしてそのことを読者にはっきりと伝えなければならない、と書いた。

230号でのブラインドフォールドテストでは、スピーカーシステムを設置しているのは、
編集部の誰かである。おそらく基本的には一人であろう。

セッティングのための持ち運びは他の人も手伝うだろうが、
セッティングに関しては、一人の編集者がやっていることだろう。

それはそれでいいのだけれど、一歩進めるとしたいのは、
鳴らし手を一人にしないことだ。

三人くらいいたほうがおもしろくなると考えている。
試聴スピーカーが二十機種あれば、三人がすべてのスピーカーをセッティングして鳴らす。
だからブラインドフォールドテストに参加したオーディオ評論家は、
六十機種のスピーカーの音を聴いたのと同じことになる。

こういう面倒な、そしてしんどいブラインドフォールドテストは、
どこも誰も行っていないはずだ。

ブラインドフォールドテストとオーディオ評論(その2)

明日(3月5日)発売のステレオサウンド 230号の特集は、
小型スピーカーシステムのブラインドフォールドテストである。

オーディオマニアのなかには、ブラインドフォールドテストこそが絶対で、
それ以外の試聴結果を絶対に認めない人がいる。
そういう人は、ブラインドフォールドテストをやらないオーディオ評論家も信用しない、らしい。

それはそれでかまわないけど、
ブラインドフォールドテストは、決して絶対的なものではない。

その1)ですでに書いているように、
ブラインドフォールドテストで試されているのは、鳴らし手の技倆である。

ブラインドフォールドテストは試聴を行う側のオーディオの力量・技倆が、徹底して問われる。
つまりステレオサウンドにおいては、ステレオサウンド編集部の力量が問われるわけで、
試聴者の力量と同等か、それ以上でなければ、厳密な意味でのブラインドフォールドテストは成立しない。

そのことを理解せずに、ブラインドフォールドテストを絶対視している人は、
それこそ強烈なバイアスを自分にかけていることにもなる。

ブラインドフォールドテストで聴いているのは、何か。
ここのところをはっきりと読み手に伝えなければ、
ブラインドフォールドテストは、あるところ編集部、評論家の自己満足なところがあるし、
一部の読者に媚びているともいえよう。

だからといってブランドフォールドテストを全面的に否定はしない。
正しく、厳密にやれればであるが、これが非常に難しく、
その難しさを理解していない人のほうが、ブランドフォールドテストこそが……、といっている。

そして別項「オーディオ評論家の才能と資質(その6)」で、
助手席に座っているだけで車の評論ができるわけがない、と書いた。

ブラインドフォールドテストは、それに近い性質も持っている。

Date: 4月 28th, 2022
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窓のない試聴室と窓のある試聴室(その4)

ステレオの5月号の特集は、
「メーカー試聴室から学ぶ再生メソッド」である。

まだ読んでいないのが、音楽之友社のサイトによれば、
アキュフェーズ、エソテリック、日本音響エンジニアリング、
フェーズメーション、フォステクス、マランツ、ラックスマン、
これら七社の試聴室を訪問しているようだ。

表紙はフォステクスの試聴室だろう。

おそらくなのだが、どの試聴室にも窓はないように思っている。

Date: 12月 23rd, 2021
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誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その4)

その3)は、2019年4月に書いている。
急に思い出して、続きを書いているわけだ。

今年もあとわずかで終る。
昨年に続き、今年もコロナ禍であった。
少し落ち着きを見せたかのようでいて、まだしっかりとコロナ禍である。

この一年、誰しもがいろいろなことがあったはずだ。
いろいろなことがあって、なにかが変っていく。
自分自身も変っていく。

その変化に気づくか気づかないのか。
10月の中旬以降、音楽をひとりで聴いていて、
変ってきている、と感じることがある。

ここでのテーマと関係するところでの変化である。
そのことで、(その1)を書いたときに考えていたことと少し違う切り口になっていくようだ。

Date: 11月 7th, 2021
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスクとオーディオショウ

インターナショナルオーディオショウは無事開催されたようだ。

インターナショナルオーディオショウにかぎったことではなく、
オーディオショウのすべてに、以前から思っていることがある。

各ブースそれぞれが、思い思いのディスクをかける。
それはいいことである。

でもそれだけでなく、
すべてのブースで共通してかける一枚か二枚のディスクがあっていいはずだ。

長い曲でなくていい、短い曲でいい。
同じディスクが、すべてのブースで鳴っていることを想像してみてほしい。

それも一つのオーディオショウだけで共通なのではなく、
たとえばOTOTENとインターナショナルオーディオショウの両方で共通であれば、
もっといい。

一枚か二枚か。
一日のうちに数回かけてくれればいい。
できればイベントスケジュールに、
それぞれのブースが何時ごろに鳴らすのか、記載してあればもっといい。

Date: 9月 17th, 2021
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

窓のない試聴室と窓のある試聴室(その3)

いま、ふと気づいたのだが、
窓のない試聴室とリファレンススピーカーとしてのB&Wの800シリーズ。
無関係ではないような気がする。

Date: 6月 13th, 2021
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試聴ディスクの変遷とオーディオ雑誌 (その2)

オーディオ雑誌の誌面に登場した試聴ディスクを網羅した記事は、
私の知るかぎりないけれど、ステレオサウンド 50号では、
それに近い感じの記事をやっている。

50号は、創刊50号記念特集が組まれている。

50号の記事の掲載順は、
まず五味先生の「続・五味オーディオ巡礼」がある。
これは、もう不動の位置であり、
創刊50号記念特集がどういう内容であれ、順番が変ることはない。

このあとから50号記念特集が続く。
巻頭特別座談会「オーディオの世界をふりかえる」が、まずある。
井上卓也、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、五氏の座談会があって、
岡先生と黒田先生の『「ステレオサウンド」誌に登場したクラシック名盤を語る』だ。

そして、岡先生の「オーディオ一世紀──昨日・今日・明日」、
「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」、
長島先生の「2016年オーディオの旅」と続く。

41号から読み始めた私にとって、
当時は、記事の、この順番を特に不思議とは思わなかったが、
少なくとも平成以降のステレオサウンドしか読んでいない人にとっては、
『「ステレオサウンド」誌に登場したクラシック名盤を語る』が、
前の方にあることを意外に思うのかもしれない。

この記事(対談)は、当時読んだときよりも、
数年後、さらには十年後、二十年後に読み返した方が楽しめた。

50号(1979年)当時は、それほど多くのクラシックのレコードを聴いていたわけではない。
というよりも、聴いたクラシックのレコード数は少なかった。
ある程度の知識はもっていたけれど、それでも微々たるものだったし、
岡先生、黒田先生の対談を読むのは、まず勉強という意識でもあった。

Date: 6月 12th, 2021
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試聴ディスクの変遷とオーディオ雑誌 (その1)

Amazon Music HDが追加料金なしでも利用できるようになったので、
プライム会員ということもあって、今日から利用するようにした。

TIDALで満足しているどころか、
まだまだ聴くのが追いつかないほどなのに、
Amazon Music HDでも音楽を聴こう、と思うようになったのは、
TIDALが弱い日本語の歌を集中して聴きたくなったことも関係している。

あれこれ検索していたら、沢たまきが表示された。
「ベッドで煙草を吸わないで」とともに、である。

上杉先生が、ずっと以前試聴レコードとして使われていた。
といっても、私がステレオサウンドで働いたころは、もう使われていなかった。

1966年発表の曲だから、
私がいたころ(1980年代)には試聴ディスクとして使われてなくても不思議ではなかった。

それでも、上杉先生といえば、私にとってはこの「ベッドで煙草を吸わないで」が、
まっさきに浮んでくる。

この曲がヒットしたころは、私は幼かったから、その時代のことを知っているわけではない。
テレビ番組で懐かしのメロディで聴いたぐらいの記憶しかない。

「ベッドで煙草を吸わないで」を最後まで通して聴いたのは、
今日が初めてだった。

聴いていても、上杉先生のことを思い出していた。

いまオーディオ雑誌で試聴ディスクとして登場する日本語の歌は、
「ベッドで煙草を吸わないで」のころとはずいぶん違ってきている。

50年以上経っているのだから、変ってきていて当然なのだが、
そういえば、オーディオ雑誌で使われてきた試聴ディスクをまとめた記事がないことに気づく。

ステレオサウンドも創刊50年をこえて、今年の秋で55年になる。
誌面に登場した試聴ディスクの数は、どれだけになるのか。

オーディオ雑誌はステレオサウンドだけではない。
すでに休刊(廃刊)になったオーディオ雑誌も少なくない。

それらを含めて、誌面に登場した試聴ディスク(曲)がどれだけになり、
そのうちのどれだけでTIDALやAmazon Music HDで聴けるのだろうか。

Date: 5月 12th, 2021
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総テストという試聴のこと(その5)

その4)で、書き手の高齢化は、総テストという、
ステレオサウンドの特徴の一つであった試聴のやり方をなくしていく、と書いた。

私が読者だったころのステレオサウンドの総テストは、
ほんとうに総テストだった。いつわりはなかった、といえる規模での試聴だった。

41号から読み始めた私にとって、
44号と45号、二号にわたってのスピーカーの総テストは、すごいボリュウムだと感じていた。
そればかりでなく、46ではモニタースピーカーの総テストを行なっているから、
三号続けてのスピーカーの総テストである。

しかも測定も行っていたし、
特集に割かれるページ数も、いまとは違っていた。

それに当時は、セパレートアンプの別冊も数年ごとに出していた。
こちらもそうとうなボリュウムのムックである。

いまのステレオサウンドに、こんなことを求めても無理なのだが、
仮に、奮起して、これらの特集に匹敵する内容をやった、としよう。

オーディオ業界は、高齢化している。
あらためていうまでもないことなのだが、
このことは、こういう特集記事において、作り手側だけでなく、受け手側、
つまり読み手側についてもあてはまることのはずだ。

44号、45号、46号のようなスピーカーの総テスト、
セパレートアンプのムックのような総テスト、
いまの高齢化した読者は、
そのボリュウムある記事をじっくり読む体力(気力)をもっているのだろうか。

胸焼けしそうだよ──、そんなことをいう人がいるかもしれない。

Date: 10月 31st, 2020
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その4)

別項で、「老いとオーディオ(とステレオサウンド)」を書いている。
書き手の年齢も読み手の年齢も、高くなっていくだけである。

若い書き手、若い読み手がそうとうに増えないかぎり、毎年、高齢化していくだけである。

読み手も高齢化しているのだから、書き手も高齢化していっても、特に問題はない──、
そう考えることもできる。
ステレオサウンドという雑誌自体も、高齢化しているのだから、
高齢化は受け入れるしかない。

書き手の高齢化は、総テストという、
ステレオサウンドの特徴の一つであった試聴のやり方をなくしていく。

試聴なんて、音を聴くだけだから、ラクだろう、と捉えている人が、
意外に多いのに、ステレオサウンドにいたころも、辞めてからでも、
少なくないことに驚くやら呆れるやら、といったことがある。

試聴は、体力勝負の面が強い。
以前のステレオサウンドがやっていた総テストは、
オーディオ評論家も編集者も、まだ若かったからやれた企画(特集)である。

これからのステレオサウンドの誌上で、
総テスト、総試聴という言葉が使われることはあるだろう。
でも、以前の総テスト、総試聴とは、そこに登場してくる機器の数が違う。
明らかに減っていることだろう。

若くて60前後、70代、80代の人に、昔のような数の総テストを依頼したところで、
ことわられるに決っている。
それはしかたない。

けれど、総テストをやらなくなったことで、どういうことが起るのか。
もう若い書き手は登場してこないのだから、そんなこと心配しても無意味なのかもしれないが、
総テストを経てきたことで、鍛えられるわけだ。

それがなくなってしまう。

Date: 5月 22nd, 2020
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

窓のない試聴室と窓のある試聴室(その2)

別項のショウ雑感を書いていて、
インターナショナルオーディオショウ、OTOTENの会場となる国際フォーラムも、
窓がないことに気づく。

会議室としての空間だから、窓がないほうがいいのだろうし、
窓がないからこそ遮音性が高いのはわかっている。

インターナショナルオーディオショウの前身、
輸入オーディオショウは最初のころは九段のホテルグランドパレスが会場だった。
窓があった。

窓のあるところでやれ、といいたいわけではないが、
ヘッドフォン祭は窓があるな、と気づく。

Date: 5月 19th, 2020
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

窓のない試聴室と窓のある試聴室(その1)

1976年12月にでたステレオサウンドが、私にとって最初のステレオサウンドで、
具体的には41号と別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」では、
組合せの試聴中の写真が何枚も掲載されている。
それらをみて、ステレオサウンドの試聴室の雰囲気を知った。

1982年1月に、初めてステレオサウンドの試聴室に入ることができた。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」で見て知っていた試聴室と、
少しの違いはあったけれど、ほぼ同じだった。

それからステレオサウンド編集部で働くようになって、バックナンバーをみていくと、
29号で、新試聴室完成という記事がある。
そこでの写真をみると、窓がないのに気づく。

ずいぶん雰囲気の試聴室が違う。
このとき、窓のある試聴室でよかった、と思ったことをおぼえている。

私が辞めたあと、ステレオサウンドは二回引っ越ししている。
試聴室が二回かわっているわけだ。

その後の試聴室の写真をじっくりみているわけではないが、窓はないようだ。
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌の試聴室も、窓のないところが多いようである。

メーカーの試聴室も、すべてを知っているわけではないが、
窓はないところのほうが多いはずだ。

窓は音響的には、あまりよくない。
なので試聴室という、生活とは区切られている環境では、窓はない方がいい──、
のは間違っていない理屈である。

正しい、ともいえるのかもしれない──、と思いつつも、
個人的には窓のある試聴室がいい。

Date: 9月 6th, 2019
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音の聴き方(マンガの読み方・その7)

9月4日のaudio wednesdayは、あるところをそれまでとは違うセッティングにしていた。
以前書いているように、スピーカーの位置は、ほぼ毎回少しずつ変えていっている。

1cmとか5mmぐらいの変化量だから、見て気づく人はまずいない。
今回変更したのは別のところであり、毎回来ている人で、
セッティングに注意している人ならば、わりとすぐ気づくくらいに、
今回は大きく変更していた。

今回参加した人の一人が、「○○のところ、変えました?」と訊いてきた。
その部分はまったく変更していない。
前回と同じだし、前々回とも同じである。

変えていないのだから、違う、と答えた。
それ以上、訊いてこなかったので、何もいわなかった。

でも、変更箇所は○○じゃなくて、もっと手前の箇所で、
もっと大きくてわかりやすいところなのに……、
そんなことを心でつぶやいていた。

前回とのセッティングの違いを、中心視野という捉え方で、
しかも記憶と目の前のセッティングの違いを比較して違いを見つけるのは、
このような見当違いなところを指摘することになるように、私は思っている。

周辺視野での捉え方で、
これまでのセッティングを見てきているのであれば、
スピーカーの位置のわずかな変化は気づかなくとも、
今回のはっきりとした変化には、きちんと反応できるのではないのか。

なんとなく、いつものセッティングと違う……、
まず、そう感じてほしい、と思って、私はaudio wednesdayを続けている。

どこか違っているのだろうか。
凝視するように今回のセッティングをみても、人の記憶はあやしいところもあるのだから、
わからないものだろう。

それよりも、なんとなくあのへんあたりかも……、そう感じてくれれば、それでいい。
どう変更したのかまでは気づかなくとも、
あそこが変っている、と気づいてくれれば、
どう変えたのか、なぜ変えたのかを説明する。

人は見たいようにしか、目の前のことを見ないのか、
関心のあるところにしか目が向かないのか、
ここでは周辺視野的聴き方について書いているが、
周辺視野による、目の前のセッティングの捉え方も忘れてほしくない。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その3)

一人での試聴もあれば、そうでない試聴もある。
オーディオ雑誌の試聴では、オーディオ評論家が一人で聴くこともあれば、
複数のオーディオ評論家が並んで聴くこともある。

オーディオ評論家一人の場合であっても、
試聴室には編集者が同席しているわけであって、厳密には一人での試聴なわけではない。

オーディオマニアがオーディオ店での試聴することもある。
一人での試聴の場合もそうである。
店員が同席しているから、一人で試聴するという機会は、
自宅での試聴以外にはそうそうない。

つまり自宅以外の試聴では、誰かが隣にいる。
編集者、店員であろうが、誰かが最低でも一人はいる。

名目上一人での試聴だから、好きなディスクを鳴らしても、
誰かから苦情がくるということはない。

編集者にしても店員にしても、
「へぇ〜、こんなディスク(音楽)聴くんですか」と心では思っていたとしても、
それを口に出すことはまずないし、
試聴している人にとっては、編集者、店員は黒子に近い存在と受け止めているのかもしれない。

それでも、そこでかけるディスク(音楽)を聴いているのは、自分一人ではないのは変らない事実だ。
だからこそ、どんな時であれ、試聴であるならばかけるディスクの選択に無頓着ではいられない。

同席している編集者、店員に積極的に聴かせたい、という気持があるなしに関係なく、
誰かが同時に聴いている。
このことを無視してのディスク選択はありえない。

その2)を書いたのが2017年12月。
この(その3)を書こうと思い立ったのは、
先日のaudio wednesdayで、来てくださった方たちが「青春の一枚」を持ってこられたからだった。

Date: 1月 6th, 2018
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(マンガの読み方・その6)

周辺視野、中心視野、という。
ならば音の聴き方は、周辺聴野、中心聴野か。

マンガの読み方がわからないという人は、
おそらく周辺視野でページ全体を捉えることをしていない(できない)からであろう。

中心視野、つまり部分部分を凝視するような読み方をしていては、
マンガの特性がもつおもしろさ(もっといえば醍醐味)は感じとりにくい。

音の聴き方も、マンガの読み方と基本的には同じだ。
周辺聴野と中心聴野が求められるにも関らず、
比較するということが多いオーディオの世界では、
中心聴野といえる聴き方にとらわれがちになってしまう。

このディスクの、この部分。
そこがどう鳴ってくれるのか。
そして、スピーカーやアンプを交換したとき、
もっとこまかなことではケーブルを交換したとき、
さらにはスピーカーの振りや位置を、ほんのわずかを変えたとき、
それぞれの音の違いを聴き分けようとすると、
中心聴野的聴き方になってしまう。

音は止ってくれない。
つねに変化している。

変化しているものをとらえようとする時、
人はどうしても中心視野、中心聴野となってしまう。

マンガは幸いなことに静止しているからこそ、
周辺視野と中心視野の切り替え、というか、使い分け、
もっといえば両立を、なんとなくマンガを読んできたことで身につけていたのかもしれない。

このことをオーディオマニアとなって、気づいたわけだ。