Archive for category 1年の終りに……

Date: 12月 31st, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年の最後に

今年は、十数年ぶりに引越しをした。
それから27歳の時に骨折した左膝を、2月に痛めた。
かなり良くなってきたと思っていたら、9月ごろからひどくなってきて、
10月、11月は、けっこう難儀した。
まだ万全とは言えないけど、収まってきている。
後遺症とは、こういうことなのか、と思った。

12月になったら、今度は声が出なくなった。
声がひどくかすれてしまって、人と話すのが辛かった。

最近の飲食店ではタブレットで注文するところが増えてきている。
声がほとんど出ない状態だと、こういう店がありがたいと感じる。
声もようやく出るようになってきたが、それでもまだかすれている。

11月に父が九十になった。その二日後に倒れて入院。病院で年を越す。

そんなふうにばたばたしていたけれど、
今年はaudio wednesdayで音を鳴らせるようになった。
新しい人との出会いもあった。
いい一年だった。

Date: 12月 31st, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その17)

別項「2024年ショウ雑感(その13)」で、土方久明氏をオーディオ評論家(仕事人)と書いた。

いまもそう思っている。
それゆえに土方久明氏の書かれたものを、楽しく読んだとか、
面白かったと感じたことはなかった。

いま書店に並んでいるアナログ vol.86で、
フェーズメーションのCM1500が取り上げられている。
土方久明氏が担当だ。

CM1500のことは、信頼できる耳の持ち主から聞いていた。
かなりいい、と聞いているものの、私はCM1500の音は聴いていない。

ステレオサウンド 233号の新製品紹介記事でも取り上げられている。
こちらの担当は小野寺弘滋氏。モノクロで1ページでの紹介。
その文章は、あっさりしたものだ。

一方、アナログでの土方久明氏の文章からは、熱っぽさが伝わってくる。
おそらくだが、土方久明氏は本音で、このCM1500に惚れ込んでいるのだろう。
そのことが伝わってくる。
聴いてみたい、とも思う。

小野寺弘滋氏の文章では、そんな気持は湧いてこなかった。

ステレオサウンドと、音元出版のオーディオアクセサリーとアナログ。
どちらがどうとかは言わない。それでも時々ではあるが、
ジャーマン・フィジックスのHRS1300の記事でも同じことを感じていた。

ステレオサウンドでは山之内正氏、
オーディオアクセサリーは石原俊氏。
別項で、このことは触れているように、
山之内正氏の文章は、CM1500の小野寺弘滋氏の文章と同じだった。

あっさりしたものでしかなかった。
聴いた人が、そこでの音に何か感じるものがなかったのだろうから、
それ以上のことを、その文章に求めたところで肩すかしを喰らうだけだ。

それでもHRS1300の石原俊氏の文章、
CM1500の土方久明氏の文章が、一方にある。

ウエスギのU·BROS333OTLとともに、
今年の新製品で聴いてみたいと思ったCM1500である。

Date: 12月 29th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その16)

オーディオの才能について、考えるきっかけがいくつかあった一年。
このオーディオの才能と関係してくることで、「音は人なり」を実感するとともに、
以前から書いてきている「人は音なり」もまた実感していた。

Date: 12月 25th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その15)

「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子があるインタヴューでそう語っていた、
この言葉を思い出す一年でもあった。

オーディオの才能とともに、思い出してもいた。

「人は歳をとればとるほど自由になる」、
そうであろう、と思いながらも、まったく反対になっていく人も少なからずいる。
オーディオマニアに限っても、そういう人はいる。

「人は歳をとればとるほど自由になる」が、いい意味での老化だとすれば、
反対の人のは、老化ではなく劣化なのか──、
そんなふうにも思える。

人は知らず知らずのうちに、緩やかな坂を下っていたりする。
下っていることに気づかない。
だから気づくまで下っていくだけである。

気づける人は、まだいい。どこまで下っても気づかない人もいる。
これが劣化だと思う。

そんなことがいくつかあった一年だった。

Date: 12月 21st, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その14)

(その12)で、オーディオの才能のことについて、少しだけ触れた。
オーディオを趣味として楽しむ上で、オーディオの才能が必要なのかは、
必ずしもそうではないといえるところもある。

私がいいたいのは、オーディオの才能がない人は、
オーディオを辞めた方がいい──、ということではなく、
オーディオの才能がないのに、自分にはあると思い込んでいる人に、
本当にそうですか、と問いたいだけだ。

ただそれでも、オーディオの才能がないのに、
自分にはあると思い込んでいる人に、
そうなってしまった原因の全てがあるとは思っていない。

オーディオの世界ではなく、オーディオの業界に、
多くの原因があると思う。
オーディオ評論家、オーディオ雑誌が、読み手にそう思い込ませてきた面がない、と断言できる人がいるだろうか。

そう思い込ませることで、モノが売れていく側面はある。
そう思い込まされてきたことで、ずっとオーディオを趣味としてきたものの、
ある日、自分のオーディオの才能に疑問を抱くことが訪れる。

そんな時に、どういう態度をとれるのかも、またオーディオの才能に関係してこよう。

Date: 12月 19th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その13)

今秋、衝動買いしそうになったオーディオ機器が、一つある。
アダムオーディオのD3Vという、パワーアンプ内蔵のスピーカーシステムだ。

アダムオーディオのスピーカーだから、トゥイーターはAMT型。
ペアで四万数千円という価格帯のスピーカーであっても、AMT型を採用している。
これだけで、ちょっと欲しくなった。

外観は価格相応であっても、その内容は、この価格で買えるのか、と思うところもあったりする。

もう少し垢抜けた仕上がりだったら、間違いなく衝動買いしていたところ。

こんなことを書きながらも、輸入元のウェブサイトを眺めていると、
買ってみてもいいかなぁ、ぐらいに思ったりもする。

これ以上スピーカーを増やさない、と一応決めているので、
手を出すことはないだろうけど、
どこかで聴いてしまったら──、ということもあるかもしれない。

気になっているスピーカーである。

Date: 12月 16th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その12)

オーディオの才能がある、とか、ない、とか。
オーディオの才能に恵まれている、とか、いない、とか。

そんなことが話題になることもあるだろうし、
一人、そのことで悩んだりすることもあるかもしれない。

その人に、オーディオの才能があるのか。
それを誰が判断するのか。

今年は、この「オーディオの才能」に関して、
いくつか考えることがあった。
具体的にどういうことなのかは触れないが、
ひとつ言えることは、オーディオの才能があるのかどうか、
それを考えたり悩んだりする前に、
オーディオの才能とは、いったい何なのか──、
そのことをしっかり考えることなく、あれこれ言ってどうなるものではない。

なんとなくだけど、自虐的なのか、
自分にはオーディオの才能がないですから──、
そんなことを言ってしまう人は、
オーディオの才能について深く考えたことがないはずだ。

Date: 12月 12th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その11)

今日はステレオサウンドの発売日。
体調を少し崩して、一日、静養していた。
いま住んでいる近所に書店はないけれど、
Kindle Unlimitedで、発売日に一歩も出かけるとかなく読める。
便利な時代になったことを、こういう時に実感する。
最新号の特集は、恒例の企画。

今号を読んでいて、非常に気になったのが、
ウエスギ・アンプのU·BROS333OTLだ。

管球式のOTLアンプは理想的なアンプとは思っていないが、
どこか特別なアンプであり、管球式OTLと聞けば、
どんな音だろう、と興味がわいてくる。

ステレオサウンドにいたころ、カウンターポイントのSA4、
フッターマンのシリーズが現行機種だった。

フッターマンもカウンターポイント、どちらもじっくり聴いている。
SA4は、試聴室常備に近かったので、聴く機会は多かった。

カウンターポイント、フッターマンともに出力管は6LF6。
いまもフッターマンのOTL4は欲しい、というか、
もう一度、その音を聴いてみたいのだが、
いざ聴いて気に入って手に入れたとして、6LF6をどうするのか。

カウンターポイントもフッターマンも、多数並列接続で使用している。
マッチングペアで、多数の6LF6をストックすることの大変さを思うと、
うーん……、という気持にもなる。

U·BROS333OTLは6C33Bを使っている。
この球だって、マッチングペアのことを考えると……、とはならないのは、
ウエスギ・アンプだからだ。

そうなると、俄然聴いてみたいと思う。
それもジャーマン・フィジックスのスピーカーを鳴らした音を聴いてみたい。

とても良く合う予感がしてならない。

Date: 12月 5th, 2024
Cate: 1年の終りに……, audio wednesday

2024年をふりかえって(audio wednesday)

1月10日の序夜から始まったaudio wednesday。
序夜での一曲目は、
ピーター・ガブリエルの
“Biko [Live At Blossom Music Centre, Cleveland]”。

12月4日、audio wednesday 十一夜での最後の曲は、
グラシェラ・スサーナの「人生よ ありがとう」。

“Biko [Live At Blossom Music Centre, Cleveland]”で始めて、
「人生よ ありがとう」で終えられて、
私は、これでよかった、と思っている。

Date: 11月 26th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その10)

11月22日夜、思い出したように「グラシェラ・スサーナ 」で検索した。
一年に一度くらい検索している。
新しいCDが出ていないのか、それを知りたいためなのだが、
四日前の検索は、違っていた。

検索結果のトップは、読売新聞の記事だった。
グラシェラ・スサーナが亡くなったことを伝える記事だった。

人はいつか死ぬ。
遅いか早いかはあっても、死なない人は一人もいない。

グラシェラ・スサーナだって、いつかは死ぬわけで、
とても悲しいという気持はわいてこなかった。

グラシェラ・スサーナに限らない。
好きな演奏家が亡くなっても、もう新録音は聴けないのか……、
そうは思うが、それ以上の感情を持つことは、久しくない。

それは録音が残っているからだ、と私は思っている。
誰かの死を嘆き悲しんだりはしない。
けれど録音を残してくれていることには感謝している、
ありがとう、という気持も忘れたりはしない。

13歳の秋に、グラシェラ・スサーナの歌に出逢った。
衝撃だった。
それからずっと聴いている。
いまも聴いている。

グラシェラ・スサーナが、どういう人生を送っていたのかは、
断片的に知っているくらいだ。

1990年ごろに東芝EMIからソニーミュージックに移籍した時のゴシップ的な記事も読んでいる。
その後のことも少しは知っていたけれど、
今回改めて検索して、スペイン語の記事を見つけた。

DeepLでの翻訳で読んだ。
知らなかったことが多かった。

YouTubeで、ここ数年のグラシェラ・スサーナの姿を捉えた動画もいくつか見た。

だからといって、聴き方が変るということはない。
これからも聴いていくだけだ。

Date: 11月 25th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その9)

目の前に「コンポーネントステレオの世界」がある。
私が最初に手にして「コンポーネントステレオの世界」は、
1976年末に出た’77年度版だ。

「コンポーネントステレオの世界」は1981年末に出た号が最後だった。

このころ年末になると、各オーディオ雑誌が別冊を出していた。
ステレオサウンドが「コンポーネントステレオの世界」、
ステレオが「ステレオのすべて」、
ラジオ技術が「コンポグランプリ」、
オーディオ雑誌社ではないが、朝日新聞からは「世界のステレオ」が出ていた。

当時学生だった私にとって、冬休みにじっくり読める、これらの別冊の発売は、本当に楽しみだった。

中学生、高校生だったから、すべてを買えたわけではない。
楽しみにしていたのは、「コンポーネントステレオの世界」だった。

その「コンポーネントステレオの世界」が出なくなって、四十年以上経つ。
年末に別冊が出なくなって、かなり経つ。
出ないのが当たり前になってしまっている。

学生だったころ、この時期、
「コンポーネントステレオの世界」の発売を楽しみにしていたことを、
ふと思い出した次第。

Date: 11月 24th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その8)

今年はなんといってもアリス・アデールが来日してくれてこと、
これが私にとっては、最も嬉しかったことだ。

二回のリサイタルを聴いた。
「フーガの技法」も聴くことができた。

アリス・アデールはフランスに戻ってから、録音の予定がある、ということだった。
10月に、”Chimères”が出ている。

96kHz、24ビットで配信されている。
TIDAL、Qobuz、Apple Musicで聴ける。

Date: 11月 21st, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その7)

今年はホーン型スピーカーを聴く機会が、例年よりも多かった。
audio wednesdayでも鳴らしているし、
野口晴哉記念音楽室のスピーカー、
シーメンスのオイロダインとウェスターン・エレクトリックの594Aのシステム、これらの音も聴いている(鳴らしている)。

ホーン型なんて古い! と切り捨てる人がいる。
そういう人は両手をホーン状にして、口にあてて喋っては、
ほら、ホーン型はこんな音になるんです、という。

この程度の認識でホーン型をバカにする。

ホーン型すべてがいいわけではない。
いいホーン型もあれば、そうでもないホーン型もある。
このことはホーン型ではない、他の動作方式のスピーカーにも当てはまる。

こんな人のことは、もうどうでもいい。
今年は、いくつかのホーン型の音が聴けた(鳴らせた)。楽しかった。そのことを言いたいだけだ。

Date: 11月 17th, 2024
Cate: 1年の終りに……

2024年をふりかえって(その6)

むかしから、詩、俳句、短歌が苦手だった。
作るのだけでなく、読むのも苦手意識がつきまとう。

それでも十年くらいに一度くらい、
ものすごい──、そんなふうに胸を抉られるような作品と出会うことがある。

今年は、それがあった。

河野裕子氏の歌だ。
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」

いまごろ知ったのか、と呆れられてもいい。
とにかく、今年は、この歌に出会えた。
それだけでいい、と思っている。

Date: 11月 14th, 2024
Cate: 1年の終りに……, 老い

2024年をふりかえって(その5)

以前、別項で二回引用した孔子の論語が頭に浮ぶ一年でもあった。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」、
このことを思い出しながら、
なぜ、そうなれない人がいるのか、
それどころか大きく矩を踰えてしまった音を出す人がいる。

齢を重ねなければ出せない音があるのは確かだが、
どう齢をとっていったかによって、矩を踰えるかどうかが決まっていくのか。

どこでそうなっていったのか、
そういうポイントは一つでなく、幾つもあったように思うし、
その度にずれていってしまうのか。

修正することは、もう無理だったのか。
その意味で、齢を重ねてしまったがゆえに、
出せない音が生まれてしまった──、ともいえよう。

そんなことを考えさせられた一年だった。