Archive for category 1年の終りに……

Date: 12月 30th, 2023
Cate: 1年の終りに……

2023年をふりかえって(その6)

オーディオアクセサリー 191号、ステレオサウンド 229号、
どちらも特集は賞で、オーラのプリメインアンプVA40 rebirthが選ばれている。

オーディオアクセサリーでは表紙を飾っている。
いい製品なのだろう。

オリジナルのVA40が登場した時、私はすでにステレオサウンドを離れていた。
VA40を聴いたのは、早瀬文雄(舘一男)氏の部屋だった。

そのころの彼は自宅を建て直して、そうとうに広いリスニングルームを持っていた。
そこで聴いたわけではない。
自宅近くに、アパートを借りていた。
結婚して子供が生れて、一人で静かに原稿書きに集中したいためだ、と言っていた。

一度だけそこに行ったことがある。
スピーカーはJBLの4312だった。
現行製品の4312とは違い、このころまでの4312は4310、4311の流れをくんで、
ウーファーにはネットワークが介在しない構成だ。

この方式のよさもあれば悪さもあるから、
現行の4312よりも、この時代の4312の方がいい──、とは言い難いものの、
ネットワークの介在しない4312を鳴らしていたのが、VA40だった。
CDプレーヤーははっきりと憶えていないが、ビクターのXL-Z505だった。

そんなに長い時間聴いていたわけではないが、この時の音は印象に残っている。
木造のアパートだから、音量は控えめだ。

そういう音量だからこそ、4312の構成とVA40が互いにうまく相手のよさを抽き出していたのだろう。
舘さんの音は、いくつも聴いてきている。
そのなかで、印象に残っているのはダリのSkyline 2000の音と、4312とVA40の音である。

Date: 12月 19th, 2023
Cate: 1年の終りに……

2023年をふりかえって(その5)

ステレオサウンド 229号が、先週からKindle Unlimitedで読めるようになっている。
以前は一ヵ月、もしくはそれ以上待つこともあったけれど、
ここ数号、発売されてからけっこう早くにKindle Unlimitedで読める。

今春、原本薫子氏が亡くなったことは、
夏発売の227号の編集後記で触れられていた。

早瀬文雄(舘一男)氏のことは、たぶんないだろうな、とは思っていた。
追悼記事が載ることはない。
それはそうだろう。

それでも編集後記で誰かが、触れるのか。

早瀬文雄氏はステレオサウンドに連載を持っていた。
ステレオサウンドに書かなくなってからけっこうな時間が経つ。

若い読者は早瀬文雄の名前をきいても、誰なのかわからなかったりするだろう。
それでも以前からの読者ならば、知っている人は少なくないはずだ。

229号は一言もなかった。
それが、いまのステレオサウンドなのだろう……。

Date: 12月 11th, 2023
Cate: 1年の終りに……

2023年をふりかえって(その4)

二人の死は訃報で伝わってきたからはっきりとしている。
けれど、もう一人、友人でありオーディオ仲間のAさんが亡くなったようである。

はっきりとそうだとわかっているのではない。
けれど亡くなったとしか思えないことがいくつもある。

Aさんと出逢ったのは、2005年の秋だった。
インターナショナルオーディオショウのあとに、共通の友人のYさんが、Aさんを紹介してくれた。
きっと二人は相性がいいだろう、という予感があったそうだ。

二年前ぐらいから、体調がすぐれないとは本人からきいていた。
検査入院もしたけれど、特に悪いところは見つからなかった、ときいていたから、
いずれ体調も快復してくれるだろう──、そんなふうに思っていた。

けれど今年5月に、もう一度、検査入院をすると連絡があった。
彼が入院しているときにショートメールで少しやりとりしただけで、
退院してきたら、以前のように会えるだろう、と思いながら、
いつぐらいに退院なのかというメールを送信したところ、戻ってきてしまった。

えっ、と思い、電話してみると通じなくなっている。
自宅の固定電話も同じだった。

Yさんに確認してもらったけれど、同じだった。
彼のところにも5月の終りごろに短いメールが届いていた、とのこと。

このこと以外にもいくつかのはっきりした事実からいえるのは、亡くなったのだろう、だ。

Date: 12月 11th, 2023
Cate: 1年の終りに……

2023年をふりかえって(その3)

原本薫子氏とは、ステレオサウンドを辞めてからは、
二度ほど電話で短い時間話したきりで、それからは共通の知人からウワサをきくぐらいだった。

早瀬文雄氏(舘一男氏)は、けっこうながいつきあいだった。
舘さんが、ステレオサウンドに登場したころは、医学部を卒業して国家試験の浪人中だった。
なので自由にできる時間はたっぷりあったためか、かなり頻繁に会っていたし、
ステレオサウンド編集部にも遊びに来られていた。

それに当時、舘さんは久我山、私は西荻窪と、わりと近いところに住んでいた。
舘さんの、東京でのスピーカー遍歴はすべて知っているし、
彼がセレッションのSL600を鳴らしていた音以外はすべて聴いている。

北海道と京都にも聴きに行っている。
北海道ではエラックのCL330、京都ではJBLのDD66000だった。

東京から北海道、それから東京に戻ってきて京都へ。
また東京に戻ってきて、もう一度京都、そして沖縄への引っ越し。

東京だけでも、何箇所で音を聴いただろうか。
そんなつきあいも、舘さんが二度目の京都に行ってからは会うこともなくなっていった。

2020年、コロナ禍のころ、電話があった。ひさしぶりの電話だった。
その後、数回電話で話したり、ショートメールのやりとりをしたくらいで、
互いの近況について話すことはなくなっていた。

そんな感じなので、原本薫子氏と舘さんとでは、
オーディオを通してのつきあいが大きく違う。

だから二人が、別の年に亡くなっていたら、あれこれおもうことはなかっただろう。
けれど、二人とも2023年に亡くなっているから、ついついおもうことがある。

Date: 11月 23rd, 2023
Cate: 1年の終りに……

2023年をふりかえって(その2)

今年の1月29日から毎日更新しなくなっている。
昨秋の時点では、書くことをやめるつもりだったけれど、
別項で書いているように、終のスピーカーがやって来たことで、
毎日ではないものの続けている。

続けていることで、今年会えた人が数人いる。
書いてきてよかった、と思っている。

そして出会えた人もいれば、もう会えなくなってしまった人もいる。
検索してみると、日本では三十数秒に一人、亡くなっているらしい。

こうやって書いているあいだにも、どこかで誰かが亡くなっている。
そのなかにオーディオ関係者が含まれていることだってある。

今春、原本薫子氏、
今秋、早瀬文雄氏(舘一男氏)が亡くなっている。

原本薫子氏と舘一男氏とは、ステレオサウンドの試聴室で出会っている。
井上先生の使いこなしの記事、
76号に掲載されている「読者参加による人気実力派スピーカーの使いこなしテスト」である。

二人が読者代表として参加されている。
その二人が、二人とも今年亡くなっている。

単なる偶然なのだろう──、そう思いながらも、ほんとうに偶然なのだろうかとも思ってしまう。

二人を知らない人からすれば、偶然だよ、それ以外の何がある、ということになるが、
そう思えないのは、あることがひっかかっているからだ。

そのことについては、二人のプライヴェートについて触れることになるから、
誰にも話すことはしない。

一度だけ、菅野先生に話したことはあるが、それが最初で最後だ。

Date: 11月 13th, 2023
Cate: 1年の終りに……

2023年をふりかえって(その1)

2020年は11月8日から、
2021年は11月1日から、
2022年は11月10日から、それぞれこの項を書き始めている。

今年は毎日書くことをやめているので、
例年と同じころに書き始めないと、
書き終らないうちに2023年が終ってしまうかもしれない。

まだ二ヵ月近くあるけれど、
それでも今年は長かった、と感じている。

今年をふりかえって、
オーディオをずっとやってきたから出会えた人たちがいることを、
まず挙げたい。
例年よりも多くの人と出会えた。

こうやって新しい人と出会えるのは、
オーディオの大きな楽しみのひとつといえる。

年齢、仕事など、そういったことを抜きにしての関係が、そこにはある。

なぜオーディオはおもしろいのか、これほどながく続けられるのか──、
その問いへの答の一つが、このことのはずだ。

Date: 12月 31st, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年の最後に

別項で「好きという感情の表現」を書いている。
「好きという感情の表現」を書き始めたときには、さほど意識していなかったけれど、
今年一年、あれこれあっておもうようになったのは、
好きは感情であって、好きと愛は違う、ということだ。

オーディオ愛、音楽愛、
これらだけでなく、他にも○○愛という表記は、よく目にするし耳にもする。

けれど音楽愛にしてもオーディオ愛にしても、
実のところ、好きという感情だけでなく、
感情すべてを削ぎ落としていった先にあるのではないのか──、
そんなことを考えるようになった一年だった。

誰かを好きになる。
それは、その人を愛しているのか。
そのことに疑問を抱くようになった。

誰かを好きになって、
その人に会いたい、とか、いろいろなことをおもったりする。

好きという感情、会いたいという感情、
その他、いろいろな感情を根こそぎ削り落としていけるのか。

削ぎ落としていって、何もなかったとしたら、
そこには愛はなかったのではないか──。

そんなことを考えるようになったから、
ひとつ前の「オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その15)」である。

Date: 12月 30th, 2022
Cate: 1年の終りに……, 映画

2022年をふりかえって(その16)

今年劇場で観た映画は三十本弱。
20代のころは百数十本観ていたのだから、ずいぶん減っている。

もっと劇場で映画を、と思いながらも、
NetflixやPrime Videoをけっこうみているから、
つい、もう少し待てば──、そんなことを思ってしまう。

三十本弱という、多くない映画のなかで、
今年いちばん印象に残っているのは、「ミセス・パリス、パリへ行く」だ。

東京では、TOHOシネマズシャンテで、まだ上映している。
もう一度観たい、と思っているところ。

Date: 12月 27th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その15)

今年は、オーディオ機器がやって来た一年ともいえる。

春にヤフオク!でGASのTHAEDRAを手に入れた。
今年は、ここから始まったといえる。

いくつかはここでも書いたが、書いていないモノもいくつかある。
ひさしぶりに真空管アンプもやって来た。
三十数年ぶりか。

そして終のスピーカーもやって来た。
終のスピーカーといっしょにやって来たモノがいくつかある。

CDトランスポート、コントロールアンプ、パワーアンプ、
それにグラフィックイコライザーとデヴァイダーである。

すべてを使う予定はないので、コントロールアンプとグラフィックイコライザーは、
友人のところに、残りは私のところに、となった。

ここに書いていない、けっこう大型のモノもある。
これは友人に預ってもらっている。
置く場所もないし、使う予定もない。

とにかく、いろんなオーディオ機器がやって来た。
こんなに多くのオーディオ機器がやって来た年は、初めてである。

そんなふうにして今年は終ってゆくし、
これらをきちんとセッティングすることから来年は始まる。

Date: 12月 26th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その14)

別項で「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」を書いている。
そう、いまは、これからはずっと「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」が続いている。

その「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」に、
私はジャーマン・フィジックスのTroubadour 40で音楽を聴いていく。

そのことを意識した2022年12月だ。

Date: 12月 25th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その13)

オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為。

前者をめざしていたはずなのに、気づいたら後者であった──。
それが朝沼予史宏氏が、Components of the yearの選考委員ではなくなった理由だ。

具体的ないくつかのことは、
菅野先生からではなく、他のオーディオ業界の人らから聞いている。

オーディオ業界にいない私の耳に、そのことは伝わってきたくらいなのだから、
業界の人たちは、もっと具体的なことをもっと多く知っていたであろう。
どんなことなのかもいくつか知っている。
けれど、その具体的なことは書かない。

菅野先生が、あの日「朝沼くんは、やりすぎたんだよ」といわれた。
朝沼予史宏さんを慮ってのことばである。

菅野先生が朝沼予史宏氏を追い出したと思い込んでいる人たちは、
そうは思えないだろうが、慮って、である。

菅野先生はComponents of the yearの選考委員長として、
朝沼予史宏氏を選考委員から外されたのは、
苦渋の決断である。

菅野先生は、こう続けられた。
「朝沼くんならば、きっとやり直せる、はい上がってくるはずだ」と。

そのころの朝沼予史宏氏の行為は、オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為だ。
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事ではなかった。

逸脱した行為を続けていては、朝沼予史宏という一人のオーディオ評論家をつぶしてしまうことになる、
朝沼予史宏という才能を殺してしまうことになる。

そんなことになる前に──、なんとかするために──。
菅野先生は選考委員から朝沼予史宏氏を外された。
そのことによる影響の大きさは、菅野先生がいちばんわかっておられたはずだ。

そのことによってしんどい時期があっても、
朝沼予史宏氏ならば、はい上がってくれる、と信じておられた。

時間はかかるだろうが、
腐らずにオーディオ評論という仕事を全うしていけば、
再びComponents of the yearの選考委員になれたのである。

なのに朝沼予史宏氏が、突然逝ってしまわれた。
こんなことになろうとは、菅野先生もまったく予想されていなかった。

だから、あの日の菅野先生は落ち込まれていた。

昨晩、今晩と続けて書いてきたことは、
以前、別項で書いていることのくり返しでもある。

いまも菅野先生が朝沼予史宏氏を追い出した、と信じている人がいる。
だから、また書くことにした。

Date: 12月 24th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その12)

今年は2022年。
2002年12月から二十年が経った。

2002年12月8日の午前中、私は菅野先生のお宅に伺っていた。
ドアのチャイムを押すと、菅野先生がドアを開けてくださったのだが、
その時の菅野先生の顔は、いつも違っていた。

体調を崩されたのか、と最初思ったし、日を改めた方がいいかも──、
そんなことを思いもしたけれど、そんな感じではなかった。
沈痛な面持ちとは、このときの菅野先生の表情をいうのだと、思った。
そういう表情だった。

そして「朝沼くんを知っているか」ときかれた。
朝沼予史宏氏のことだ。
もちろん知っていた。

朝沼予史宏氏はペンネームである。

「沼田さん(本名)は知っています」と答えた。
「そうか……」とぼそりといわれた、と記憶している。

そして「朝沼くんが亡くなったんだよ」と続けられた。

このころ、朝沼予史宏氏は、
Stereo Sound Grand Prixの前のComponents of the yearの選考委員の一人だった。
けれど降ろされていた。

そのこともあって、一部のオーディオマニアは、
菅野先生が朝沼予史宏氏の才能をつぶそうとして、
選考委員から外した──、そんなことをいっている人がいたし、
インターネットの掲示板に匿名で書きこむ人もいた。

そんなことを聞いた人、読んだ人は、どう思ったのか。
それを事実だとおもってしまったのかもしれない。

そんなことは絶対にない。
あの日の、菅野先生の表情を、私ははっきりと思い出せるし、
菅野先生から、この件について聞いてもいるから、そう断言できる。

Date: 12月 22nd, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その11)

今年は、例年以上にステレオサウンドにがっかりした一年だった。
今年もステレオサウンドは面白かったよ、という人が少なからずいるだろうが、
私にとっては──、というと、
年四冊のうち、二冊がオーディオの殿堂、ステレオサウンド・グランプリ、ベストバイ。
残り二冊の特集の企画に期待したいところだったが、それもかなわなかった。

そもそも期待していたわけでもなかったので、がっかりしているわけでもない。
ただそれにしても──、と例年以上に思うだけだ。

ステレオサウンドはそんなぐあいだった。
オーディオアクセサリーも同じ感じなのだが、
同じ音元出版のanalogは、別項でも触れているように期待がもてるところを、
少しは感じることができる。

だからといって、これから先ますます期待に応えてくれるようになっていくのか、
それとも反対方向へと進んでいくのか。
そのへんはまだなんともいえないが、期待できないオーディオ雑誌ばかりでは、
やはりつまらない。

期待したいのだ、本音は。
オーディオ雑誌を楽しみにしたいのだ。

ステレオも期待できるかな、と思わせながらも、
別項でリンクしている動画をみるかぎりは、大丈夫だろうか、と心配になってくる。

馬脚をあらわすのか、それともよくなっていくのか。
2023年の十二冊が楽しみだ。

Date: 12月 10th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その10)

今年は、オーディオ機器の値上りがいくつもあった。
値上りしているのはいうまでもなくオーディオ機器だけではなく、
おそらく来年も値上げが発表されるであろう。

特に海外製品は為替相場も関係してくる。
定価をつけることが難しくなってきたから、
オープン価格にせざるをえない──、といっているところもあるときいている。

来週には、ステレオサウンド 225号が出る。
特集は、いうまでもなくステレオサウンド・グランプリとベストバイ。

ステレオサウンドの定番企画でベストバイは35号が一回目で、
つづく43号、47号の三回は価格帯を設けずの選定だった。

四回目の51号から価格帯を分けての選択となっていった。
そして、それがずっと続いている。
どこで価格帯を分けるのかは、時代によって違ってきているが、
果たして価格帯を設けることの意味はあるのか、とずっと思っている。

225号はまだ見ていないが、価格帯を分けてのベストバイであろう。
どの価格で線引きするのか。
線引きした価格近辺の製品は、来年には値上りして上の価格帯に、ということだって、
今の状況なら十分ありうる。

ベストバイという定義によっては、
価格帯を分けるのはおかしいということだっていえる。
私は、価格帯を分けるべきではないと考える。

ステレオサウンド編集部は、それぞれの製品ジャンルのどこで価格帯を分けたのか。

Date: 12月 10th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その9)

メリディアンの210だけでなく、
MQAのコアデコードに対応しているストリーマーには、SPDIFのデジタル入力はない。

MQAのコアデコードに関係なく、ストリーマーと呼ばれる製品には、
SPDIFのデジタル入力は必要ないと考えるのだが、
実際のところ、つまり日本の現在ということに関しては、
SPDIFのデジタル入力があってほしい、とおもってしまう。

TIDALやe-onkyoを活用している人にとっては、特に必要ないといえるが、
パッケージメディア、つまりCDだけという人にとっては、
MQA-CDを買っても、D/Aコンバーターが対応していない、
けれどMQAのコアデコード対応のストリーマーを買ってきても、
SPDIFのデジタル入力がないから接続できない──、
そんな状況になってしまうからだ。

もうこれは日本だけの特殊事情といえる。