Archive for category 書く

Date: 8月 28th, 2020
Cate: 書く

毎日書くということ(親指シフトキーボードのこと)

1999年末に、audio sharingをつくろうとおもった。
それから20年。

Mac本体は変ってきた。
周辺機器もそうだ。

けれどキーボードだけは、1999年12月に購入したRboard Proを使い続けている。
キートップを外して、内部清掃もやっているが、
そろそろ寿命が近づいてきているかな……、と感じていた。

Macで親指シフトキー入力をする方法はいくつかある。
すべてではないが、評判のいいのはいくつか試した。
それでもRboard Proでの入力から離れられないままの20年間だった。

Rboard Proが壊れても修理は無理である。
どうしようもなくなったら、このブログを書くのをやめることになるかも……、と考えていた。
しかも、それはそう遠くないうちにやってくるだろうな、と思っていた。

富士通も親指シフトキーのサポートをやめてしまう。
親指シフトキーボードのいいモノが、これから先新製品として登場することは、まずない。
いま使っているRboard Proの寿命は、あと十年もつのか。
数年なのか。

次の日本語入力をどうするのか考えなければ……、と思いつつも、
40年近くつきあってきている親指シフトの快適さは、何者にも変え難い。

Rboard Proはかなり以前に製造中止になっている。
先日、ふと思いついてヤフオク!で検索してみたら、
Rboard Proが出品されていた。

写真をみる限り、未使用品のようだ。
価格は、二万円近い。
いまどきのキーボードの価格からすれば、高いということになるが、
Rboard Proは、1999年当時、五万円ほどしていた。

入札したのは私一人だった。
今回手に入れたRboard Proが、20年もってくれれば、もう十分である。

Date: 1月 8th, 2020
Cate: 書く

毎日書くということ(10,000本をこえて)

10,000本以上書いてきて思うのは、
どれだけ問う力を身につけた、高められたか、ということ。

なぜだか、ここで「自恃」ということばが浮んできた。
中原中也の「山羊の歌」が浮んできた。
     *
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない
     *
脈絡ないことを書いているのはわかっている。
それでも浮んできて頭から離れないから書いている。

Date: 12月 20th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(10000本を間近に迎えておもうこと)

2008年9月から始めた。
つまり十年以上書いている。

十年という月日は、独り暮しと家族とともに暮らしている人とでは、
けっこう違うように、最近になって感じている。

以前会った時は小学生だった子供が、大学受験を迎えている、
ハタチになった、
結婚した、
そんなことを友人、知人からきくと、
十年という月日の変化の大きさを実感することになる。

独り暮しでも、鏡をみれば白髪が増えてきたなぁ、とか、
それから坐りっ放しから立ち上ろうとすると、身体がかたくなっていることを感じたりする。

これも十年の月日における変化なのだが、
子供の成長とくらべれば、小さい変化でしかないようにも思えてくるし、
どこか取り残されているような感覚もないとはいいきれない。

Date: 11月 26th, 2019
Cate: 戻っていく感覚, 書く

毎日書くということ(戻っていく感覚・その9)

そんなどうでもいいことまで考えて、どうするの?
そう思っている人はいることだろう。
実際、「妻がそういってました」といわれたことがある。

オーディオに関心があるなしに関係なく、
その人の奥さんからみれば、どうでもいいことにこだわっている、と映っているわけだ。

ここで「神は細部に宿る」ということをいいたいわけではない。
人は考える。

オーディオのことについて考える、音について考える、聴くということについて考える、
オーディオ、音楽に関すること、できることならばすべてのことについて考えていきたい──、
そう思っている。

人それぞれ考えている。
同じ音を、同じ場所で同じ時に聴いたとしても、考えることは違うこともある。
あるオーディオの事象について考えるにしても、人が違えば考えも違ってくるところがある。

同じ世代で、同じくらいのオーディオのキャリアであっても、
聴く音楽が近くても、考えがまったく同じになることなんて、まずない。

だから考えるのは、なぜ、私はそう考えたのか、についてである。
そう考えるのは、なぜなのかを考える。

Date: 11月 1st, 2019
Cate: 書く

オーディオにおけるスケッチとは(その4)

スケッチは、描くのが上手になるため、ということの前に、
観察力を身につける、高めることが第一目的だ、と聞いている。

ならばオーディオにおけるスケッチとは、
耳の観察力を高めることが第一目的であり、
そのためにはどうすればいいのかを、まず考えなければならない。

Date: 11月 1st, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(有料か無料か)

IT技術者ロードバイク日記」というブログがある。
頻繁にアクセスしているほどではないが、
ほぼ定期的にアクセスして読んでいる。

10月30日のブログのタイトルは、
「ブログを書き始めて11年、有料化するか悩んだ結果。」となっていた。

2008年から始められている。
私も、2008年9月からブログを始めたから、11年経った。

私も有料化を考えたことはある。
少なくとも10,000本書くまでは無料で、
そこから先は有料にしようかと考えたこともある。

「IT技術者ロードバイク日記」の主宰者が、どういう結論に辿りつかれたのかは、
リンク先の記事を読んでほしいが、
主宰者が、これまで無料で公開されている理由と、
私も無料で公開している理由は、ほぼ同じといっていい。

このブログを始めるにあたって、想定した読み手は一人だけである。
オーディオに興味を持ち始めたばかりの13歳の私である。
「五味オーディオ教室」と出逢ったばかりの私こそが、想定読者だ。

だから無料にした。
なので10,001本からも、このままで行こう、と思っている。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(本音を失っているのか・その4)

(その3)で書いている本音とは、
いうまでもなくオーディオに対する本音であって、
オーディオ業界で稼ぎたい──、
というオーディオ評論家(商売屋)の本音ではない。

こんなこと書くまでもないことだと思いながらも、
ずいぶん世の中(オーディオの世界)も変ってきてしまったから、
念のため書いておく。

保身的なオーディオ評論家(商売屋)は反論するかもしれない。
オレだって、オーディオに対する本音は忘れていない、と。

でもそれはほんとうの本音なのだろうか、
いつしか偽りの本音に変り果ててしまっているのかもしれない。

誰が保身的なオーディオ評論家(商売屋)とは書かない。
それに一人とは限らない。

それに、こんな反論もある(実際にあった)。
家族がいる、家庭がある、養っていかなければならない──、と。

そういった時点で、オーディオ評論家(商売屋)と認めているということに気づいていない。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(本音を失っているのか・その3)

数人で会って話していて、
オーディオ評論家のことが話題になった。

○○さんは、保守的だよね、ということを一人が言った。
そういうふうに見られてもしかたない、と思いつつも、
○○さんは、本当に保守的なのか、とも思った。

保守的とは、使っているスピーカーやアンプなどのオーディオ機器が──、
ということではなく、書いていることについて、である。

表面的に新しいことう書いているように見せていても、
実のところは……、という意味での保守的な書き手ということである。

私の見方はちょっと違う。
○○さんは、保守的というよりも保身的である。

○○さんがそうなっていったのは、
処世のための狡智ばかりにとらわれて、
本音を失ってしまったからだろう。

現在のオーディオ業界で、
オーディオ評論家(職能家)としてではなく、
オーディオ評論家(商売屋)として、しっかりと稼いでいくには、
本音など不要、むしろ邪魔、そのくらいのほうがよいのだろう……。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(本音を失っているのか・その2)

本音こそ熱を帯びている、
そう思っている。

だから本音を失ってしまった書き手による文章を読んでも、
読み手の気持が熱くなることはない──、
そんな気がする。

だからなのか、最近のオーディオ評論といわれる文章を、
一度読めば、もう読み返すことがなくなってしまった。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(本音を失っているのか・その1)

「五味オーディオ教室」に、こう書いてあった。
     *
 これを褒めておかねばメーカーが、あるいはだれそれがうるさい、などという処世のための狡智が加わることもあろう。それもまたおもしろいし、処世の知恵のともなわぬ批評があると思うほうがどうかしている。
     *
これを13歳のときに読んでいる。
これを読んでしばらくして、ステレオサウンドというオーディオ雑誌と出逢った。

ゆえに、ステレオサウンドをドキドキしながら読んでいても、
五味先生が書かれていたことは、頭の片隅のどこかに、常にあった。

処世の知恵のともなってこその批評といえば、そうなのだろう。
そのバランス感覚にたけていてこそのオーディオ評論のはず。

けれど、いつしか処世の知恵ばかりが肥大してきているようなところもある。
それが、いまのオーディオ評論と呼ばれているものだ。
それにともない書いている人の本音が隠れつつある。

それでも、まだ本音が書いている人にあるうちによかった、といえる。
処世の知恵(というより狡智)ばかりになってしまい、
本音を書かなくなった、が、本音を書けなくなった、に変ってしまい、
ついには本音を失ってしまった、となってしまったのではないか。

毎日書いているからこそ、
オーディオ雑誌を読むと、そんなことを感じてしまう。

Date: 6月 26th, 2019
Cate: 戻っていく感覚, 書く

毎日書くということ(戻っていく感覚・その8)

あと五百本ちょっとで、目標の一万本なのだが、
ここにきて自問自答していることは、
ここに「溢れるおもい」はあるのだろうか、である。

私自身が判断することではない。
読まれている方の判断にまかせるしかないが、
私自身、10代のころ、文字で、
つまりオーディオ雑誌を読むことで、「溢れるおもい」に接してきた。

だから、ここに私自身の「溢れるおもい」はあるのだろうか、と考えてしまう。

Date: 6月 7th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(もう一つのやり方)

このブログを始めるにあたって決めたのは、毎日書いて公開すること。

毎日書いて公開するには、いまやっているように、
書いたものを即公開するやり方と、もう一つ、
あるテーマを決めて、数日から一週間ほどかけて、最後まで書き上げる。
その上でいくつかに分割して、公開していくやり方も、最初に考えた。

一本書き上げたら、次のテーマで書き始める。
こうすれば、毎日書いて、毎日公開することができる。

どちらが楽かといえば、後者のやり方である。
それでもいまのやり方で始めたのは、
一日でも早くブログを開始したかったからだ。

十年以上続けていて、
何度か、後者のやり方に変更しようかと思ったことがある。
そうすれば書くペースも、公開のペースも上げられる。

でも、そうしなかったのは、時々コメントがつくからである。
コメントでなくても、友人と会っていて、ちょっときかれることがヒントになることがある。
そういうことで、書いて行く方向を少し変えていったり、
補足を加えたり、関連するテーマを思いついたりする。

続きを書くつもりがなかったけれど、コメントを読んで、
続きを書いたことも何度かある。

これはブログならではの、毎日書いて公開する楽しみだ、と感じているから、
途中で後者のやり方に変更することなく、続けている。

Date: 5月 22nd, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(突破という感覚)

これが9385本目で、10000本まであと少し。
間違いなく、今年中に1000本目を書くことになるけれど、
ここまできても特に達成感のようなものはない。

毎日書いていて、達成感はない、ということは以前書いいるとおり。
それでも、ここに来て、達成感ではないけれど、違うものを少し感じ始めてきた。

突破できたかな、という感覚である。
この感覚は、うまく書けたから得られるものではなく、
あくまでも私一人、感じていることでしかない。

突破できたかな、とか、突破できた、と私が感じているのは、
どれなのかは書かないし、
書いたところで、えっ、これが? と思われることだろう。

うまく書けたかどうかではないから、
読まれている方には理解しにくいことのはずだ。

それでも、この突破という感覚は、
それが小さいものであっても、大事にしたい。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(仕舞っていくために)

こうやって毎日書いているわけだが、
最近になって、こうやって書くことで、
私にとって大切なことをきちんと仕舞っていこうとしているのだということに気づいた。

ここで読んでいる人のなかには、
どうでもいいこまかなことにこだわって……とか、
独断過ぎる……、とか、
そんなふうに感じている人もいようが、
案外、それが正しい受け止め方なのかもしれない。

私にとって大切なことを仕舞っていくために書いているのだから、
ほかの人にはどうでもいいことが私にとっては大切なことであったり、
ほかの人にとって大切なことが私にはさほど重要ではなかったりして、当然だろう。

それに大切なことを持っていない人もいるのかもしれない。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(続・エリカ・ケートの言葉)

イタリア語を「歌に向く言葉」、
フランス語を「愛を語る言葉」、
ドイツ語を「詩を作る言葉」、
日本語は「人を敬う言葉です」だとエリカ・ケートが浅利慶太氏に語っている。

「敬う」の対義語は「蔑む、侮る」である。
「人を敬う言葉」である日本語で、人を蔑み、侮る人が増えつつある。