Archive for category 書く

Date: 6月 26th, 2019
Cate: 戻っていく感覚, 書く

毎日書くということ(戻っていく感覚・その8)

あと五百本ちょっとで、目標の一万本なのだが、
ここにきて自問自答していることは、
ここに「溢れるおもい」はあるのだろうか、である。

私自身が判断することではない。
読まれている方の判断にまかせるしかないが、
私自身、10代のころ、文字で、
つまりオーディオ雑誌を読むことで、「溢れるおもい」に接してきた。

だから、ここに私自身の「溢れるおもい」はあるのだろうか、と考えてしまう。

Date: 6月 7th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(もう一つのやり方)

このブログを始めるにあたって決めたのは、毎日書いて公開すること。

毎日書いて公開するには、いまやっているように、
書いたものを即公開するやり方と、もう一つ、
あるテーマを決めて、数日から一週間ほどかけて、最後まで書き上げる。
その上でいくつかに分割して、公開していくやり方も、最初に考えた。

一本書き上げたら、次のテーマで書き始める。
こうすれば、毎日書いて、毎日公開することができる。

どちらが楽かといえば、後者のやり方である。
それでもいまのやり方で始めたのは、
一日でも早くブログを開始したかったからだ。

十年以上続けていて、
何度か、後者のやり方に変更しようかと思ったことがある。
そうすれば書くペースも、公開のペースも上げられる。

でも、そうしなかったのは、時々コメントがつくからである。
コメントでなくても、友人と会っていて、ちょっときかれることがヒントになることがある。
そういうことで、書いて行く方向を少し変えていったり、
補足を加えたり、関連するテーマを思いついたりする。

続きを書くつもりがなかったけれど、コメントを読んで、
続きを書いたことも何度かある。

これはブログならではの、毎日書いて公開する楽しみだ、と感じているから、
途中で後者のやり方に変更することなく、続けている。

Date: 5月 22nd, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(突破という感覚)

これが9385本目で、10000本まであと少し。
間違いなく、今年中に1000本目を書くことになるけれど、
ここまできても特に達成感のようなものはない。

毎日書いていて、達成感はない、ということは以前書いいるとおり。
それでも、ここに来て、達成感ではないけれど、違うものを少し感じ始めてきた。

突破できたかな、という感覚である。
この感覚は、うまく書けたから得られるものではなく、
あくまでも私一人、感じていることでしかない。

突破できたかな、とか、突破できた、と私が感じているのは、
どれなのかは書かないし、
書いたところで、えっ、これが? と思われることだろう。

うまく書けたかどうかではないから、
読まれている方には理解しにくいことのはずだ。

それでも、この突破という感覚は、
それが小さいものであっても、大事にしたい。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(仕舞っていくために)

こうやって毎日書いているわけだが、
最近になって、こうやって書くことで、
私にとって大切なことをきちんと仕舞っていこうとしているのだということに気づいた。

ここで読んでいる人のなかには、
どうでもいいこまかなことにこだわって……とか、
独断過ぎる……、とか、
そんなふうに感じている人もいようが、
案外、それが正しい受け止め方なのかもしれない。

私にとって大切なことを仕舞っていくために書いているのだから、
ほかの人にはどうでもいいことが私にとっては大切なことであったり、
ほかの人にとって大切なことが私にはさほど重要ではなかったりして、当然だろう。

それに大切なことを持っていない人もいるのかもしれない。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(続・エリカ・ケートの言葉)

イタリア語を「歌に向く言葉」、
フランス語を「愛を語る言葉」、
ドイツ語を「詩を作る言葉」、
日本語は「人を敬う言葉です」だとエリカ・ケートが浅利慶太氏に語っている。

「敬う」の対義語は「蔑む、侮る」である。
「人を敬う言葉」である日本語で、人を蔑み、侮る人が増えつつある。

Date: 12月 11th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(9000本をこえて感じていることとステレオサウンド 209号)

約一年後、10000本書いたから、このブログは休もうと考えていたけれど、
今日、ステレオサウンド 209号を見て、
10001本目を一年後に書くことになるんだろうなぁ、と思っている。

Date: 12月 8th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(9000本をこえて感じていること)

8900本をこえたあたりから書くペースが落ちた。
年内には余裕で9000本目が書ける、という安心感から、そうなった。

予定では11月中に9000本目を書き終っているはずだったのに、
今日やっと9000本目(ひとつ前がそう)を書き終えた。

これが9001本目だから、あと999本で目標の10000本である。
約一年後には、書き終えている(はず)。

やっと目標が視界に入ってきた、と感じている。
2019年の5月には、audio wednesdayも100回になる。

ひとつ区切りがつくのだろうか。

Date: 11月 2nd, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その5)

(その1)で、
1万本に近づいたときに、究極の答え、最終的な答えにたどりつけるのか。
そのためには究極の問いを見つけることになる、と書いた。

いまこれが8919本目である。
どうにか一万本に近づいてきた、といえる本数になって、
しかも十年、毎日書いてきて、最終的な問いが見えてきた。

別項で書いていることである。
正直なのか、という問いこそが、最終的な問いとなってくる予感がある。

Date: 10月 16th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(続・モチベーションの維持)

毎日書く、と自分で決めた。
書かなかったからといって、誰かに怒られたりするわけではない。
罰金を払うわけでもない。

一年ほど前に、毎日書くのにモチベーションは必要ない、と書いた。
そのとおりであって、書くのを億劫に感じることはあっても、
モチベーションを必要としているわけではない。

それでも、こういう日も書くのか、と思ったことがある。
2011年3月11日と2018年10月15日の二回である。

まったく関係のないことを書くくらいならば(その方が楽であっても)、
書かない方がいい、とおもっている。

つらいから、悲しいから、とか、そんなことを自分への言い訳として、
何も書かない、という選択をする者もいるだろうが、
そんな情けない選択をするくらいならば、もう書かない方がいい。

というより、もう書くのをやめるべきだ(と私はおもう)。

菅野先生の訃報をきいて、菅野先生からいわれたことを思い出していた。
「宮﨑、頼むぞ、オーディオ界を良くしてくれ」、
そういわれて十年ほどが経つ。

そのことで何ひとつ報告できることはなかった。

Date: 8月 3rd, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(文字だけというわがまま)

以前(といっても九年前)に書いているけれど、
先日も「どうして写真や図をいれないのか」と訊かれたので、もう一度書いておこう。

ブログを始めるあたって決めていたのは、毎日書くことと、
一万本、書くということ。

毎日書くというのは、たとえ一本であっても、日によっては大変だったりする。
いまでこそiPhoneがあるから、外出先からでもブログを書ける。
電車の中で書いたことも何度かあるし、
そんなところで書いていたの? といわれそうな場所でもある。

そういうときは、写真や図をいれるようにしておけば、
もう少し楽になるかも……、とそんなふうに思うことだってある。

でも一万本は、文字だけで行こう、と決めたことだから、それを守っているだけ。
内容によっては写真や図があれば、どんなに楽だろう、と思ったことは何度もある。

写真、図があれば、読む側にとってわかりやすくなるというのはわかっている。
それでも、文字だけにこだわりたいのは、私のわがままである。

Date: 4月 7th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その4)

デザイン(design)は、そのまま日本語に訳されることなくとけ込んで使われている。
無理に訳す必要はないのではないか、と藤崎圭一郎氏はいわれた。
私もそう思う。

けれど、デザイナー(designer)を、どう日本語に訳すのか。
これは考えていかなければならないと思うし、
デザイナーをどう訳すのかを考えることが、
なんらかの答につながっていくように感じている。

Date: 3月 31st, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その3)

3月30日のKK適塾で、
最後に司会者の方が川崎先生と藤崎圭一郎氏に質問された。

司会者が質問してもいい。
けれど、その質問に対する川崎先生の発言に対するリアクションには、
えっ!? と思ってしまった。

デザイン(design)は日本語に訳されることなく、そのまま使われている。
そのことについての質問だった。
中国では、こう訳されている、と川崎先生がいわれた。

川崎先生のブログを読んでいる人ならば、そのことは知っていて当然のことだ。
なのに初めて聞いた(知った)といったリアクションでもあった。

この司会者は、川崎先生の書かれたものを、あまり読んでいない人なんだな、と感じた。
もちろんすべてを読んでいたとしても、すべてを記憶しているわけではない。
けれど、自らが質問することに関することは、しっかりと憶えているものだろう。

問いは怖い、とあらためて実感した。
問いは自らをさらけ出す。

Date: 2月 23rd, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その2)

六年前に「毎日書くということ(答えではなく……)」を書いた。

究極の問い、最終的な問いを求めて、こうやって毎日書いているのかもしれない、ということを書いた。

この問いこそが、表現の源なのだろう。

Date: 1月 2nd, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(そのあいまに)

菅野先生が50代のころにきいた話がある。
原稿書きに、どうにもいき詰ったときは、洗車する、と。
一心不乱に、洗車に専念して、愛車がピカピカに仕上がると、
不思議と原稿書きが、さきほどのいき詰りがウソのようにはかどる、ということだった。

大晦日と今日は、JBLの075を磨いていた。
預かりものの075だから、一度バラして、というわけにはいかない。
馬蹄型のフランジのついた古い075だから、
ホーンを外すには赤く封印されているのを取り除く必要がある。

中央の砲弾状のイコライザーも、075の背面の銘板を剥さなければ、
取付ボルトが露出しない。

自分の075だったら、ためらわず封印も取り去って、銘板も剥して、
徹底的にやるけれど、預かりものだけに、そこまではできない。

それでも磨ける範囲を磨いていると、菅野先生の洗車の話を思い出していた。

おそらく一度も磨かれていないであろう075だけに、
完全に磨きあげた、というところには到っていない。
暇をみて、ちょいちょいと磨いていこうと思っている。

そういえば、磨くのが趣味というオーディオマニアがいる。
彼が鳴らしているスピーカーは、いわゆる往年の名器と呼ばれているモノ。
おそろしくコンディションのよいモノと、見た人はそう思うだろう。

でも入手した時は、そうでもなかったそうだ。
彼は磨いた。

どのくらいの期間かかったのはきかなかったが、
おそらくいまでも磨いているのだと思う。
その輝きがある。

Date: 12月 31st, 2017
Cate: 書く

毎日書くということ(自覚してきたこと)

毎日書くことによって、自分の中ではっきりとしてきることがいくつもある。
そのひとつが、物分りのいい人ぶっているオーディオマニアが、
大嫌いだということだ。

そういう人にかぎって、いい音はないんだよ、とかいう。
好きな音、嫌いな音があるだけだ、と、わかりきったようなことをいう。

そういう人は正しい音、間違っている音もない、という。

そういう人にとって、オーディオも音楽も嗜好品なのだ、と気づく。
嗜好品として楽しんでいるのであれば、好き嫌いだけの世界に留まっていればいい。