Archive for category 歌

Date: 9月 10th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その24)

瀬川先生の「オーディオの系譜」に、こう書いてある。
     *
 日本のオーディオ界と欧米オーディオ界との交流が少しずつ密になるにつれて、私自身も海外のオーディオ専門家と直接合って、彼らの意見を聞き議論する機会が増えはじめた。そして驚いたことは、アメリカやイギリスやその他の欧州諸国のオーディオの専門家たちが、「日本のスピーカーの音は非常に個性的だ」と、まるで口をそろえたようにいうことだった。
 どんなふうに個性的かを、とても具体的に語ってくれたのは、例えばアメリカの業界誌『ハイファイ・トレイドニューズ』の編集長、ネルソンだった。彼はこういった。
「はじめて日本製のスピーカーの音を聴いたとき、私の耳にはそれはひどくカン高く、とても不思議な音色に聴こえた。ところがその後日本を訪問して、日本の伝統音楽(例えばカブキ)や日本のポップミュージック(演歌など)を耳にしたとき、歌い手たちの発声が日本のスピーカーの音ととてもよく似ていることに気づいて、それで、日本のスピーカーがあんなふうに独特の音に作られている理由がわかったように思った。だが、日本のスピーカーが欧米に進出しようとするなら、欧米の音楽が自然な音で鳴るように改良しなければならないと思う」
 全く同じ意味のことを、イギリス・タンノイの重役で、日本にも毎年のように来ているリヴィングストンもいう。「日本のスピーカーは、日本の伝統音楽や日本のポップミュージックを再生するために作られているように私には思える。だが、もしも西欧の音楽(クラシックでもポップスでも)を、われわれ(西欧の人間)が納得するような音で再生するためには、日本のスピーカーエンジニアたちは、西欧のナマの音楽を、できるだけ多く聴かなくてはならないと思う」
 同じくイギリスのスピーカーメーカー、KEFのエンジニアであり社長であるクックは、もっと簡単に「日本のスピーカーの音はとてもアグレッシブ(攻撃的)だ」とひとことで片づける。
 これらの話は、もうあちこちで何度も紹介したのだが、しかし、彼らのほかにも、私が会えた限りの欧米のオーディオの専門家の中に、日本のスピーカーの音を「自然」だという人はひとりもいなかった。
     *
また、こうも書かれている。
     *
 もう何年か前、まだ4チャンネルの話題が騒々しかったころ、イギリスの有名なオーディオメーカー数社の人たちが、研究のため、日本のあるレコード会社を訪れて、4チャンネルの録音を聴かされた。そのときのあまりの音量の大きさに、中のひとりが、「(オレたちがオーディオの専門家と知っていて、あえてこの音量で聴かせるというのは)きっとジョークに違いない」といったという、それこそイギリス人一流のジョークが伝わっているほどだ。日常、非常に穏やかな音量でレコードを鑑賞するという点で、イギリス人は世界でも一、二を争う国民かもしれない。
 そうしてもうひとつ、彼らは、生の音、むき出しの音、品のない音、攻撃的にきつい音をひどく嫌う。日本のスピーカーの音を「攻撃的(アグレッシブ)だ」と指摘したKEFの社長レイモンド・クックの話は、既に書いたが、彼らイギリス人の耳には、JBLのモニターの音も、アグレッシブとまではゆかないにしても、やや耳ざわり(ハーシュ)に聴こえる、という。
     *
1980年ごろに書かれたもののであり、1970年代の日本のスピーカーはアグレッシヴと、
海外のオーディオ関係者の耳には聴こえていたことがわかる。

JBLの音がやや耳ざわりで、日本のスピーカーがアグレッシヴということは、
そうとうに個性的な音を鳴らしていた。
もっとも、この傾向は、瀬川先生が亡くなられた1981年以降もしばらく続いている。

確かにそういう音を、あの時代の日本のスピーカーは出していた。
けれど、それ以前はどうだったのか。

アメリカやイギリス、ドイツなどの古い時代のスピーカーを聴く機会はあっても、
日本のスピーカーの、その時代のモノを聴く機会は私にはほとんどなかった。

なので、はっきりとしたことはいえないのだが、
輪島祐介氏の『創られた「日本の心」神話』を読んでいて結びついていったのは、
現在「演歌」と呼ばれる歌が登場し、流行りだした時代とオーディオブームの到来、
そしてアグレッシヴといわれる音のスピーカーの登場は無関係ではないような気がしてきた。

Date: 8月 30th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・番外)

“voice of…”につづくのは、
オーディオマニアならば、ほとんどの人がアルテックのA5、A7の代名詞ともいえる
“The Voice of the Theatre”を思い出す。

A5、A7は改めて説明するまでもない大型のスピーカーシステム。
このふたつとは対極的なスピーカーユニットの銘板に、
“the voice of high fidelity”と書かれている。

イギリスのジョーダン・ワッツのモジュールユニット背面の銘板に、
そう書いてある。

ここでのvoiceは、soundと同じ意味の音声かもと思いながらも、
ならば”the sound of high fidelity”とするのではないだろうか。

voiceとなっているのだから、素直に「声」という意味で受け取っていいと思う。
だとすれば、モジュールユニットの”voice”は、家庭用のVoiceであり、
これはこれでなかなか興味深い、とあたらめて思っているところ。

Date: 8月 25th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その23)

私が物心ついたときには、流行歌・歌謡曲は、
テレビから流れてくるもの、テレビで聴く音楽、という印象がすでにあった。

私が生れた熊本では、小学低学年までは民放局は一局だけだった。
上京するまでは二局だった。
新聞のテレビ欄に載る隣の福岡県の民放局の多さをうらやましく思っていたころでもある。

それでも当時は歌番組がつねに流れていた、という印象がある。
夏には懐かしのメロディをやっていたと記憶しているし、
大晦日には、とんでもない視聴率を誇っていた紅白歌合戦、
その他にもNHKでも民放でも、歌番組は人気盤組であった。

ベストテン、スター誕生など、歌番組もバラエティがあった。
そんな時代だったから、流行歌・歌謡曲は、
まずテレビで知り、テレビで歌詞とメロディを憶えた。

その前の時代となると、テレビではなくラジオ、
その前が、(その22)で書いたように映画館だったのだろう。

映画館からラジオにうつり、
映画館まで出掛ける必要がなくなった。
ラジオを買うためのお金は必要でも、
買ってしまえば、番組は無料で聴くことができる。

ラジオが一台あれば、映画館で聴く流行歌・歌謡曲よりも、
ずっと多くの曲が聴けて、しかもくり返し放送されるものは何度も聴ける。

テレビが各家庭に普及して、音だけの世界に歌手が歌っている姿が映し出される。
映画館で聴いていた流行歌・歌謡曲の時代とは違ってきている。

映画館で流行歌・歌謡曲を聴こう、という人はとっくにいなくなっていた。
私には、そんな感覚はすでになかった。

映画館で聴く流行歌・歌謡曲を、
テレビはずっと身近にしたといえる。

けれど、こと音に関してはどうだろうか。
ウェスターン・エレクトリックのトーキーシステムで聴く流行歌・歌謡曲と、
テレビ(ラジオ)についている小さいなフルレンジスピーカーで聴く流行歌・歌謡曲とでは、
流行歌・歌謡曲に親しむ、という表現のもつ意味も違ってくるはずだ。

Date: 8月 18th, 2017
Cate:
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日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その22)

この項を書くにあたって、
輪島祐介氏の『創られた「日本の心」神話』を読んでいる。

昭和初期について、こんなことが書いてある。
     *
 流通・消費について言えば、この時期は蓄音機やレコードは高級品であり、流行のレコードを頻繁に買って自宅で聴くような聴き方は一般的ではありませんでした。
 この時期のレコード歌謡の流行において、何より重要だったのは映画というメディアです。レコード歌謡と映画の内在的な結びつきは、国産ヒット第一号《君恋し》の直後にヒットした《東京行進曲》の例から明らかです。
(中略)
 その後、多くのヒット曲が映画から生まれ、また、大ヒット曲はほとんど例外なく映画化されることになります。多くの人々にとって、流行歌・歌謡曲とは、映画の中で歌われ、あるいは映画館の幕間に流される音楽として聞かれていたと想像されます。
 当時の新メディアということでいえば、ラジオとレコード歌謡の相性は必ずしも良好ではありませんでした。
     *
輪島祐介氏の、この想像がそのとおりならば、
昭和初期の人びとは、映画館で流行歌・歌謡曲を聴いていたわけで、
それはウェスターン・エレクトリックのシステムで聴いていた、ということになる。

流行歌・歌謡曲といった日本語の歌を、
昭和初期の人たちは、映画館でウェスターン・エレクトリックの音で聴いていた。
この事実は、いまアルテックで日本語の歌を聴いていること、
それから井上先生がJBLで島倉千代子の歌に、
瀬川先生がアルテックで美空ひばりの歌に圧倒されたということとも関係してこよう。

Date: 7月 31st, 2017
Cate:

おもいだした文章

7月22日の川崎先生のブログ「知人、友人、親友、いや話相手としての別感覚の友」、
読んでいてふと思い出した文章がある。

黒田先生が1970年の終りに書かれたもの、
レコード藝術別冊「ステレオのすべて──1971」に載っている文章を、
読んでいて思い出していた。
     *
 悲しいのは誰だって同じだ。肝心なのはその悲しみをうたえるかどうかではないのか。ビリー・ストレイホーンがデューク・エリントンにとっていかにかけがえのない男だったかは、少しでもエリントンの仕事ぶりを見てきた人なら判るはずだ。協力者などという安っぽい、計算のかった間柄ではなかった。デューク・エリントンはビリー・ストレイホーンによってデューク・エリントンたりえていた部分があった。誰にもましてエリントンが、それを知っていたにちがいない。ストレイホーンにめぐりあえた幸せと、彼を失った悲しみを、エリントンが、このアルバムでうたっている。
 かけがえのない人を失うというのは、きっと誰にでもあることだろう。すくなくともひとりきりで生きられる強い人をのぞいては。ぼくにもあった。なにをはなしあったというのではない。なにか人にできないようなことをしたというものでもない。でも、ある時、なんの前ぶれもなくこの世の人間でなくなってしまったぼくの友人は、いなくなるということで、ぼくの中での彼の存在の大きさをぼくに教えた。
 A面の六曲、B面の5極がビッグ・バンドで演奏された後、人びとのざわめきをバックに、エリントンがピアノをひきはじめる。ストレイホーンの作品「蓮の花」だ。ざわめきはしずまり、エリントンのピアノがつづく。これは、エリントンだけにうたえた、ストレイホーンへの告別の歌ではないのか。
 悲しみをうたえることへのねたましさを、その時ほど感じたことはなかった。ぼくは、ぼくをおきざりにした友人に、なにがうたえたというのだ。心の中にできた空洞をもてあましているときにきいた、エリントンの、ストレイホーンへの告別の歌は、その切実さによって、たえがたかった。
 少しもしめっていない。あるとすればそれは、青い空のさびしさだ。男から男にだけ通じる抒情。しかしエリントンはその伝達の手段をもっていた。彼は音楽家だった。ピアノでうたうことができた。おそらくこの「蓮の花」、レコードにおさめることを意識して演奏されたのではないだろう。つまり、エリントンのつぶやき。つぶやきが歌になり、その歌には、なつかしい人を見やるやさしい目が感じられる。
     *
どのレコードなのかは、書く必要はないだろう。

Date: 7月 21st, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その21)

こうやってオーディオのことを毎日書いていると、いろいろなことを思い出す。
直接関係のあること、直接の関係はないけれど、間接的に関係していること、
それにまったく無関係に思えることまでも思い出す。

この項を書いていて思い出したのは、井上先生が、
1993年のステレオサウンド別冊「JBLのすべて」に書かれていたことだった。
     *
 奇しくもJBLのC34を聴いたのは、飛行館スタジオにちかい当時のコロムビア・大蔵スタジオのモニタールームであった。作曲家の古賀先生を拝見したのも記憶に新しいが、そのときの録音は、もっとも嫌いな歌謡曲、それも島倉千代子であった。しかしマイクを通しJBLから聴かれた音は、得も言われぬ見事なもので、嫌いな歌手の声が天の声にも増して素晴らしかったことに驚歎したのである。
     *
美空ひばりは《鳥肌の立つほど嫌いな存在》、
《若さのポーズもあって》、バロックと現代音楽ばかりを聴いていた時期の若い瀬川先生は、
《歌謡曲そのものさえバカにして》いた。

ステレオサウンド 60号で、アルテックのA4について語られる瀬川先生は、
美空ひばりの体験をあげられている。
     *
 たまたま中2階の売場に、輸入クラシック・レコードを買いにいってたところですから、ギョッとしたわけですが、しかし、ギョッとしながらも、いまだに耳のなかにあのとき店内いっぱいにひびきわたった、このA4の音というのは、忘れがたく、焼きついているんですよ。
 ぼくの耳のなかでは、やっぱり、突如、鳴った美空ひばりの声が、印象的にのこっているわけですよ。時とともに非常に美化されてのこっている。あれだけリッチな朗々とした、なんとも言えないひびきのいい音というのは、ぼくはあとにも先にも聴いたことがなかった。
     *
井上先生にとっての島倉千代子とJBL、
瀬川先生にとっての美空ひばりとアルテック、
おそらく時期もそう離れていないはずだ。

毛嫌いしているといえる歌謡曲と歌手の歌を、
JBLとアルテックは、驚歎するほどの音で聴かせてくれている。

井上先生は、続けてこう書かれている。
     *
 しかし自らのJBLへの道は夜空の星よりもはるかに遠く、かなりの歳月を経て、175DLH、130A、N1200、国産C36で音を出したのが、私にとって最初のJBLであった。しかし、かつてのあの感激は再現せず、音そのものが一期一会であることを思い知らされたものである。
     *
瀬川先生も《あとにも先にも聴いたことがなかった》といわれている。

Date: 6月 18th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その20)

グラシェラ・スサーナの日本語の歌と出逢ったのは1976年秋だった。
「五味オーディオ教室」とほぼ同じころに出逢っている。

そのころも歌のうまい歌手はいた。
テレビから流れてくる日本人の歌手の歌唱を聴いて、うまいと思ったことはある。
いい歌だ、と思ったこともある。

でもグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いたとき、
これが歌なのか、とまいってしまった。
たった一枚のシングル盤を、その日を何度も何度も聴いた。

それから夢中になって聴いてきた。
聴けば聴くほど、不思議に思うことがあった。

グラシェラ・スサーナは1953年生れで、
1971年に初来日している。つまり18最で日本に来ている。
翌’72年に最初のアルバム「愛の音」が出ている。

よく知られる「アドロ・サバの女王」は’73年のアルバムだ。
グラシェラ・スサーナが18、19のころの録音である。

1970年代の終りごろ、テレビにもグラシェラ・スサーナは出ていた。
初来日から八年くらい経っていたはずなのに、日本語はたどたどしかった。

「愛の音」「アドロ・サバの女王」のころのスサーナは、
日本語はまったく話せなかったはずである。
なのに、グラシェラ・スサーナの日本語の歌に、
他のどんな歌手による日本語の歌よりも、私は感動した。

感動しながらも、なぜ? と疑問があった。
日本語が話せないのに……、という疑問である。

スサーナは、日本語の歌の「色」を感じとっていたのだろう。
最初に聴いてから40年が経っての結論である。

同時にアルテックでの日本語の歌が素晴らしかったのは、
アルテックのスピーカーが、”The Voice of the Theatre System”だから、
といってしまうと、あまりにも当り前すぎるが、
”The Voice of the Theatre System”の優れているのは、
声の明瞭度だけでなく、言葉の「色」の再現にあるのだろう。

Date: 6月 16th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その19)

日本語を全く解さぬ者、と書いた。

日本語の歌を録音するには日本人でなければならない、という意味ではない。
日本で生まれ、日本で育ってきた日本人でなければ、
日本語の歌を録音することはできない、などとは思っていない。

日本語が話せなくとも、見事な日本語の歌を録れる人はいるはずだ。
一方で、どんなに日本語を流暢に話せる日本人であっても、
日本語の歌を見事に録れるとはかぎらない。

ここでも、内田光子の、言葉と「色」は深く結びついている、と語っていたことが頭に浮ぶ。
言葉と「心」も切り離せない、ともいっていたことも浮ぶ。

結局、そこなのだ、と思う。
日本語の「色」を録れる人とそうでない人とがいる。
それは、日本語の「色」を感じとれない人には、日本語の「色」は録れない、ということだ。
その意味での、日本語を全く解せぬ者、である。

「音楽 オーディオ 人々」という本がある。
トリオ(現ケンウッド)の創業者である中野英男氏の著書である。
この本に「日本人の作るレコード」という章がある。
そこにアンドレ・シャルランのことが書かれてある。
     *
シャルランから筆が逸れたが、彼と最も強烈な出会いを経験した人として若林駿介さんを挙げないわけにはいかない。十数年前だったと思うが、若林さんが岩城宏之——N響のコンビで〝第五・未完成〟のレコードを作られたことがあった。戦後初めての試みで、日本のオーケストラの到達したひとつの水準を見事に録音した素晴しいレコードであった。若くて美しい奥様と渡欧の計画を練っておられた氏は、シャルラン訪問をそのスケジュールに加え、私の紹介状を携えてパリのシャンゼリゼ劇場のうしろにあるシャルランのスタジオを訪れたのである。両氏の話題は当然のことながら録音、特に若林さんのお持ちになったレコードに集中した。シャルランは、東の国から来た若いミキサーがひどく気に入ったらしく、半日がかりでこのレコードのミキシング技術の批評と指導を試みたという。当時シャルラン六十歳、若林さんはまだ三十四、五歳だったと思う。SP時代より数えて、制作レコードでディスク大賞に輝くもの一〇〇を超える西欧の老巨匠と東洋の新鋭エンジニアのパリでの語らいは、正に一幅の画を思わせる風景であったと想像される。
 事件はその後に起こった。語らいを終えて礼を言う若林さんに、シャルランは「それはそうと、あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」と尋ねたのである。録音の技術上の問題は別として、シャルランはあのレコードの存在価値を全く認めていなかったのである。若林さんが受けた衝撃は大きかった。それを伝え聞いた私の衝撃もまた大きかった。
     *
ここに出てくる
「あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」
というアンドレ・シャルランの言葉は、日本語の歌にもいえることのはずだ。

Date: 6月 15th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その18)

6月のaudio wednesdayで聴いた八代亜紀のCD「VOICE」は、
グラシェラ・スサーナ、藤圭子、美空ひばりの日本語の歌とは、はっきりと異質だった。

八代亜紀も昔の録音のCDならば、そんなことはなかったはずである。
今回聴いた八代亜紀のCDに関してのみなのか、それとも最近の録音がそうなのか。
そのへんははっきりとしないが、ふたつのスピーカーの中央から聴こえてくる八代亜紀の声には、
いわゆる肉体がなかった。

グラシェラ・スサーナ、藤圭子、美空ひばりにおいて、
十全な肉体の再現ができていた、とはいわないが、
少なくとも肉体を感じたし、その気配ははっきりとあった。

そこにグラシェラ・スサーナなり、藤圭子なり、美空ひばりがいるという、
ある種のリアリティがあった鳴り方だった。

ところがグラシェラ・スサーナ、藤圭子、美空ひばりよりも新しい録音の八代亜紀では、
リアリティが感じられなかった。
左右のスピーカーの中央から八代亜紀の声がしている、ただそれだけである。
しかもその日本語が不鮮明である。

音として不鮮明なのではない。
日本語ということばとしての不鮮明さがあった。

日本語を全く解さぬ者による、
しかも人の声も楽器の音も、明確な区別のないままの録音──、
そんなこと想像してしまうほど、日本語の歌を聴きたいと思っている者をがっかりさせる。

今回、八代亜紀のCDに感じたことは、J-POPと呼ばれる曲でも、
ここ最近何度か感じていた。
でも、それは、初めて聴く歌手の歌ということもあって、
そういう歌い方なのかもしれない……、と思っていた。

でも八代亜紀は、ずっと以前はテレビから流れる歌を聴いていたし、
「舟歌」はあるところでじっくり聴く機会もあった。

八代亜紀は、そういう歌い方をする歌い手ではない。
それとも八代亜紀の歌い方が変ってしまったのか……。
私はそうとは思えず、原因は録音側にあるよう気がしている。

Date: 6月 11th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その17)

5月のOTOTENでのCSポートのブースての美空ひばりのことについては、
別項『30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その5)』でも触れている。

音量は大きかった。
大きかったこと自体は、それはそれでいいと思っている。

あの音量で美空ひばりを聴いていて、
何かで見た美空ひばりの東京ドームでのコンサートの模様を思い出していた。

何も東京ドームでなくてもいい、地方のホールでもいいわけだが、
美空ひばりの熱心な聴き手の多くは、オーディオを介して、ではなく、
美空ひばりのコンサートに足を運んで、という人が多いのかもしれない──、
ああっ、これはコンサートホールで聴く美空ひばりの音量に近いのではないか、
そんなことを思っていた。

CSポートのブースでの美空ひばりの「川の流れのように」に感じた不満は、
音量の大きさではなく、別のところにある。

全体に明るいのだ。
音量の大きさから明るさもあったと思うが、
それ以上に、ここで美空ひばりの歌を鳴らしているシステム全体の傾向が、
美空ひばりの歌には少しばかり明るすぎるように、私の耳には聴こえた。

アナログプレーヤーとパワーアンプはCSポートの製品だったが、
他はTADの製品でかためられていた。

そのへんも関係してのことかもしれない。
美空ひばりが堂々と目の前で歌っていても、どこか他人事のようにしか感じられなかった。

2015年のインターナショナルオーディオショウでのヤマハNS5000の試作機で、
同じ音量で、同じアンプとプレーヤーで美空ひばりを聴いたら、
ニュアンスの違いはあっても、同じようにしか感じられなかったかもしれない。

6月のaudio wednesdayで、八代亜紀のCDを聴いた。
割りと新しい録音のようだった。
このCDでの八代亜紀の日本語には、首を傾げざるをえなかった。
最初、耳が急に悪くなったのか、と思ったほど、歌詞がうまく聴きとれない。

八代亜紀のCDの前に、グラシェラ・スサーナ、
藤圭子、美空ひばりの歌においては、なんの問題もなく日本語の歌詞が聴きとれるのに、
これらのCDの中では、新しい録音のCDにも関わらず八代亜紀の歌が聴き取りにくい。

この後にグラシェラ・スサーナの「仕方ないわ」をかけたのは、
そのことを確認する意味もあった。
これはもう、そういう録音だと思わざるをえない。

なんだろう、この日本語の歌の扱いのぞんざいさは……、とおもうことが、
この八代亜紀のCDだけでなく、いくつか感じてしまうことが続いている。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その16)

喫茶茶会記のアルテックでグラシェラ・スサーナを、
特に聴きたいと思わなかったのは、それまで鳴らしてきた女性ヴォーカル、
それらの日本語の歌に聴き惚れることがなかったためでもある。

宇多田ヒカルはまるで鳴らない、と感じている。
宇多田ヒカルのディスクをもっていないから、自分のシステムで聴くことはない。
あくまでも喫茶茶会記で鳴っている音でしか判断できないのだが、
そこでの日本語に何ら魅力を感じない、というから、感じられないのである。

グラシェラ・スサーナによる日本語の歌を聴くのとは違う態度で、
宇多田ヒカルの音楽に接するのであれば、魅力を感じないわけではないが、
日本語の歌とのひとつとして聴こうとすると、私はダメである。

5月のaudio wednesdayでは竹内まりやも、よく鳴らなかった。
松田聖子は、というと、ほぼ毎回聴いているけれど、魅力を感じているわけでもない。

何が違うのだろうか、とやはり思う。
どれも日本語の歌にも関わらず、
日本語の歌としては、多少キズのあるといえるグラシェラ・スサーナの歌が、
いちばん私の心に響くのはなぜなのか。

おそらく美空ひばりをかけたら、聴き惚れるであろう。
そう思えるのは、そこでの声(歌)が、陰翳を求めているのか、
必要としていないのかの違いからかもしれない。

グラシェラ・スサーナも美空ひばりも、その声(歌)は陰翳を求めている。
宇多田ヒカルがそうとは思えない。
松田聖子にしても、そうであろう。

ここで、そうだ、と思い出すのは5月のOTOTENでの、
あるブースで鳴っていた美空ひばりの声(歌)である。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その15)

(その13)で引用しているように、
H氏はCH191にリボン型トゥイーターを加えることを考えられていた。

このリボン型トゥイーターはパイオニアのPT-R7ではなく、
おそらくピラミッドのT1のはずだ。
CN191は100dBをこえる能率のスピーカーだから、T1も、より高能率のT1Hであろう。

T1ならば、CN191とうまくつながるかもしれない、と当時読みながらそう思っていた。
T1の音もCN191の音も聴いてはいなかった。
それでも、そんなふうに思っていた。

56号で瀬川先生が挙げられていたのは、アルテックのA7ではなくA7Xである。
A7XとはA7にホーン型トゥイーターを加えたモノで、
アルテックからトゥイーターといえば3000Hくらいしかなかったころで、
A7Xのトゥイーターも、ほぼ間違いなく日本製のはすだ。

604-8Hを中心とした4ウェイの6041のトゥイーターはコーラル製だった。
ということは、A7Xのそれもコーラル製の可能性は高い。

A7Xの音はどうだったのだろうか。
聴く機会はなかった。
喫茶茶会記のアルテックも、グッドマンのドーム型トゥイーターが加えられている。
これは、渋谷にあったジャズ喫茶・音楽館のシステムを譲り受けてだからである。

このグッドマンのトゥイーター、お世辞にも優れているとはいえない。
それでもあるとなしの音を聴くと、3ウェイにしたことのメリットは感じられる。
ただいかせんトゥイーターの質があまりよくないから、
あのトゥイーターだったら……、と考えたりもする。

つまりはBiton Majorにトゥイーターを加えるなら……、
ということを考えているわけだが、
その一方で、日本語の歌すべてが喫茶茶会記のアルテックでうまく鳴っていたわけではない、
そのことについても考えている。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その14)

Biton Majorのオリジナルを聴く機会は、ほとんどないだろう。
そんな気がしている。

ヴァイタヴォックスは復活している。
そのことは別項に書いている。
とはいえ、価格は相当なものである。
CN191はあるが、Biton Majorはない。

そうだろうな、とは思える。
Biton Majorは、やはりあまり売れなかった(人気もなかった)のだろう。

Biton Majorを手に入れた人にとっては、そんなことはどうでもいい。
ヴァイタヴォックスでなければ聴けぬ陰翳ある音色に惚れ込んでいれば、
手離すこともないのだろう。

ヴァイタヴォックスの音は、ますます貴重となっていくのではないか。
往年のアルテックの音もそうだ。

そういう音が、いま私の心をとらえている。
しかも日本語の歌を聴きたいがために、である。

復刻されたヴァイタヴォックスは高価だが、
ユニットも単体で販売されているし、スペアパーツの提供もなされている。
ウーファーのコーン紙、ドライバーのダイアフラムも新品が入手できる。
ならば……、とあれこれ妄想してしまう。

Date: 6月 4th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その13)

ステレオサウンド 51号の「オーディオ巡礼」の最後には、こうある。
     *
 大事なことなので言っておきたいが、H邸のクリプッシュホーンも拙宅のオートグラフも、オリジナル・エンクロージァなので、そうでなければ断じて出ないソノリティというものがある。ハーモニィの陰翳とでも言うほかないこの音のニュアンスは、かなり使いこまねば出てこない。金にあかせ、名器の評判の大型スピーカーやアンプを揃えたところで、それだけでは音楽でなく、特性のいい音しか聴こえないだろう。特性のいい音は、たとえば弦のユニゾンがシンセサイザーの音に化す。周波数レンジがのびるほどシンセサイザー的にきこえる。だが弦のユニゾンはあの飴色をしたヴァイオリンを馬の尻尾で鳴らした音の総合なので、断じてシンセサイザーの響かせる音ではない。その辺のちがいのわからぬ手合いが、大金を投じて馬鹿でかいアンプやスピーカーを購入して足れりとしたり、物理特性がよければそれで音がいいと思っている。そういう人には多分、クリプッシュホーンはレンジのせまい音としか聴こえないだろう。だが何という調和のとれた、私には美しい音だったろう。
 H氏は、じつはまだ音が不満で、何故なら古い録音のレコードなら良いのだが、多チャンネルで収録した最新録音盤では、高域の輝きに欠けるし、測定データをとってみてもクリプッシュホーンは340ヘルツあたりで10デシベルちかく落ちこんでいる。このためチェロが玲瓏たる音をきかせてくれないので、高域にはリボン・トゥイーターを加え、340ヘルツあたりも何とか工夫したいと言う。このオーディオの道ばかりは際限のない、どうかするとドロ沼におち込む世界だ、それは私も知っているが、特性を追いすぎるとシンセサイザーになるのを危惧して、夫人に「いじらせないように」と言ったわけである。もっとも、私を送ってくれる車中で彼はこう言った。「どれほど優秀なシステムでも、今は、オリジナルにどこかユーザーが手を加えねば、マルチ・チャンネル方式で録音される現在のオーディオサウンドを十全には再生できない。どこにどう手を加えるかがリスナーの勝負どころだろうと思うんです。オリジナルをいじるというのは邪道かもしれないし、本当はたいへんむつかしいことでしょう、しかしうまくそれがなし得たとき、はじめて、その装置は自分のものになったといえるんじゃないですか」そうかも知れない、私もそれは感じていることだが、まあそういうものが完成したら又きかせてもらいましょう、と言った。内心では、家庭で音楽を鑑賞するためのオーディオなら、今の音で十分ではないか、とやっぱり思っていた。
     *
五味先生が訪問されたH氏(ステレオサウンドの原田勲氏)は、
このときヴァイタヴォックスのCN191 Corner Hornを鳴らされていた。

いまもそうだが当時も輸入元は今井商事で、
CN191もそうだがBiton Majorも国産エンクロージュアのモデルも併売していた。

CN191は796,000円だったが、国産エンクロージュア仕様だと606,000円、
Biton Majorは536,000円が、国産エンクロージュア仕様だと400,000円になる。
その他にも、インペリアルからBiton Majorのエンクロージュアが125,000円、
CN191のエンクロージュアが350,000円で発売されていた。

ヴァイタヴォックスのオリジナル・エンクロージュアも単体で販売されていた。
CN191が540,000円、Biton Majorが144,000円である(価格はいずれも一本)。

CN191の中古を何度かみかけたことがある。
国産エンクロージュアだったことが二度あった。
Biton Majorはみかけたことがない。

CN191の陰にかくれて人気がなかったのだろうか。
記憶に間違いなければ、三井啓氏がBiton Majorだったはずだ。

Date: 6月 2nd, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その12)

ヴァイタヴォックスのスピーカーシステムといえば、
わが国ではCN191 Corner Hornがもっとも知られる存在である。

CN191の上にBass Binというモデルもあったが、こちらは完全な劇場用であり、
家庭でこのモデルを鳴らしている人は、ほとんどいないと思われる。

CN191の他に、もうひとつBiton Majorがあった。
CN191の陰にかくれがちなこのスピーカーは、
アルテックのMagnificentと同じ構成である。

Magnificentには、もうひとつ型番があってA7-500W-1ともいう。
A7がついていることからもわかるように、基本的には劇場用のA7をベースに、
家庭用に仕上げ直したモデルである。

エンクロージュアの基本は、828である。
フロントショートホーン付きのエンクロージュアを、A7の使用方法とは上下逆に使う。
フロントショートホーンが下部にくる。
エンクロージュアの上部に乗っていたホーンとドライバーを、開口部に持ってくる。
仕上げも素っ気ないA7とは対照的にウォールナット仕上げで、格子グリルを備える。

Biton Majorもそうである。
こちらには格子グリルはつかないが、エンクロージュアの構成、使い方もMagnificentと同じである。

ステレオサウンド 43号で、このスピーカーの存在を知った。
     *
ヴァイタヴォックスの音をひと口でいえば、アルテックの英国版。要するにアルテックの朗々と響きの豊かで暖かい、しかしアメリカ流にやや身振りの大きな音を、イギリス風に渋く地味に包み込んだという感じ。A7−500−8のレンジをもう少し広げて、繊細感と渋味の加わった音がバイトーン・メイジャー。
     *
でも、このころはCN191のほうに目が行ってしまっていた。