Archive for category 「スピーカー」論

Date: 2月 11th, 2024
Cate: 「スピーカー」論

サウンドラボ 735のこと(その2)

コンデンサー型スピーカーの動作原理を知ると、
この方式こそが、理想のスピーカーのありかたでもあるし、実現なのだ、という気がしてくる。

薄い振動膜は同容積の空気よりも軽かったりする。
その振動膜全面に駆動力が加わり、ピストニックモーションをしているわけだから、
一枚の振動膜で、ほぼ全帯域の再生が可能になる。

ウーファー、スコーカー、トゥイーターとユニットを帯域ごとに分割する必要性がない。
これまで素晴らしい変換方式は、他にないのではないか。

コンデンサー型スピーカーを知ったばかりのころ、そう受けとめていた。
それにマーク・レヴィンソンがHQDシステムの中核に、
QUADのESLをダブルスタックで採用したことも、このことに大きく影響を与えている。

やはりコンデンサー型スピーカーなのか──。
とはいえQUADのESLは3ウェイだった。
そこにハートレーのウーファーとデッカのトゥイーターを足しているのだから、
全体としては5ウェイという、そうとうに大がかりなシステムでもあった。

コンデンサー型スピーカーならばフルレンジ。
そんなふうにも考えていたところに、アクースタットのモデルが登場した。

ステレオサウンド 43号にAcoustat X、49号にMonitorが、
新製品紹介記事に登場している。

どちらも駆動アンプ搭載(管球式のOTL方式)で、
Acoustat Xは振動パネルが三枚、Monitorは四枚のモデルだった。

どちらもモデルも聴いてみたかったけれど、聴く機会はなかった。
アクースタットのコンデンサー型スピーカーを聴いたのは、
別項で何度も書いているように、
ステレオサウンド別冊「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」で取材だった。
1982年の初夏だった。

43号から五年経っていた。

Date: 2月 8th, 2024
Cate: 「スピーカー」論

サウンドラボ 735のこと(その1)

昨夜のaudio wednesday (next decade) – 第一夜は、
サウンドラボのコンデンサー型スピーカーシステム、735を、
クレルのパワーアンプ、KMA200、
アキュフェーズのSACDプレーヤー、DP100 + DC330で鳴らした三時間だった。

サウンドラボのスピーカーは、ステレオサウンドにいたころに聴いている。

A1、A3時代のサウンドラボである。
現在のラインナップでは、745がA1、645がA3の後継機に位置づけられているようだ。

今回、聴いたのは735である。
最初、745か645になる予定ときかされていたが、735になった。

サウンドラボのウェブサイトをみても、735というモデルはない。
735は、745をスリムにしたプロポーションで、ひと目見て、
アクースタットのModel 3のことを思い浮べていた。

アクースタットのModel 3よりも背は高い。
だからよけいにスリムに見える。
いい感じだな、と思いながら眺めていた。

17時をこえたあたりから、おもいつくままCDをかけていた。
すでに書いているように、一曲目は決めていた。
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDである。

開始時間は19時。
ディスクをかけかえながら、早く始まらないか、と待ち遠しかった。
自分ひとりのためにかけてもよかったのだが、
一曲目と決めていたから、やはりそこまでとっておきたかった。

Date: 12月 30th, 2022
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(ピストニックモーションにまつわる幻想・その5)

なぜ、アルテックのリボン状のリード線は断線しやすいのか。
おそらく、その理由は(その3)に書いていることと深く関係してはずだ。

604-8Gのダイアフラムも、タンジェンシャルエッジである。
タンジェンシャルエッジはダイアフラムの前後運動にともない、
右に左に(時計回り、反時計回りに)回転運動を起こしている。

エッジの形状からして、このことは推測できるし、
実際に測定もされている。

回転運動といっても、それはわずかな角度だ。
とはいえ、リボン状のリード線にとっては、
ダイアフラムのピストニックモーションのたびに右に左に捻られているわけだ。
これでは使っているうちに、いつかは断線してしまう。

Date: 12月 30th, 2022
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(ピストニックモーションにまつわる幻想・その4)

古いアルテックのコンプレッションドライバーを持っている人は、
当時のアルテックのダイアフラムのリード線が断線しやすいことを知っている(体験している)。

あのリボン状のリード線は、見るからに断線しやすい形状だ。
実をいうと、私が持っている604-8Gのダイアフラムもこのタイプで、
片側+と−で二箇所、両チャンネルで四箇所、きっちりと断線している。

ダイアフラムを交換すれば済むことなのだが、
アルテックは実質的に存在しない。
いわゆる純正のダイアフラムは入手困難だし、
出てきたとしてもけっこうな値段がついている。

どうしてもオリジナルでなければならない、という強いこだわりを持っている人ならば、
かなり高額でもオリジナルのダイアフラムを買うことだろう。

でも、そうやってオリジナルのダイアフラムを買ったとしよう。
私の場合は、リボン状のリード線のダイアフラムとなる。
当然、断線しやすいのはそのままだ。

私は、オリジナルにこだわる気持とこだわらない気持との両方を持つ。
604-8Gの場合、オリジナルのダイアフラムをさがそうとはまったく考えていない。

そんな私が第一候補としているのが、アメリカのRADIANのダイアフラムである。
日本では、コージースタジオが輸入元になっている。

RADIANのダイアフラムをアルテックに取りつけると、
アルテックの良さが失われる、という意見が日本にはある。
何をアルテックの良さと捉えているかによって、このあたりの評価はわかれる。

Date: 1月 6th, 2019
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(ピストニックモーションにまつわる幻想・その3)

1976年にサンスイのスピーカーシステムSP-G300が登場した。
スラントプレートの音響レンズをもつ2ウェイであった。

当時の山水電気はJBLの輸入元であった。
SP-G300はJBLのスピーカーの影響を受けた製品ともいえた。

SP-G300は国産スピーカーとしては異例の長期的計画によって誕生したモノであった。
SP-G300の開発に関する詳しいことは、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のサンスイ号に載っている。

SP-G300のコンプレッションドライバーのダイアフラムは、
当初はタンジェンシャルエッジだった。

けれどテストと測定の結果、
タンジェンシャルエッジはダイアフラムの前後運動にともない回転運動を起こしていることを確認。
最終的にSP-G300はロールエッジに変更されて世に出ている。

タンジェンシャルエッジがもつ、形状からくる回転運動の発生については、
JBLも気づいていたのかもしれないし、
もしくは山水電気からの指摘があったのかもしれない。

JBLは1980年にダイアモンドエッジを発表した。
タンジェンシャルエッジの2420は2421になり、
ロールエッジの2440は2441になった。

ダイアモンドエッジは、日本の折り紙からヒントを得た、といわれていた。
そうかもしれない。
タンジェンシャルエッジを、アルテックのエッジの向きとJBLのエッジの向き、
このふたつを合体させたものがダイアモンドエッジのようにも、当時は見えた。

ダイアモンドエッジは高域特性の改善がまず謳われたが、
むしろタンジェンシャルエッジにつきもののダイアフラムの回転運動が発生しないことのほうが、
より大きな改善点である。

Date: 1月 1st, 2019
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(ピストニックモーションにまつわる幻想・その2)

ホーン型の場合、
コンプレッションドライバーのピストニックモーション領域は2オクターヴくらいといわれている。

2オクターヴということは、オールホーン型でシステムを組み、
すべてのユニットをピストニックモーション領域で使うことを前提とするならば、
必然的に5ウェイとなる。

しかも遮断特性の低次であれば、ピストニックモーション領域から外れてくるわけで、
急峻な遮断特性のフィルターでカットオフしなければならなくなる。

デジタル信号処理であれば、96dB/oct.とか、それ以上の遮断特性を得られる。
そうやって5ウェイ、
さらには万全を期して6ウェイ、7ウェイという非常に大がかりなシステムを組んだとしよう。

そうすることで、一般的にいわれているホーン型のピストニックモーション領域の追求は、
ほんとうにピストニックモーションの実現となるのだろうか。

コンプレッションドライバーのエッジは、大きくはタンジェンシャルエッジである。
ウェスターン・エレクトリックの時代から、
タンジェンシャルエッジは、特定のレゾナンスを抑えるためにも有効である。

けれどタンジェンシャルエッジは放射状に折られている。
アルテックとJBLとでは、その方向が逆でもある。

方向がどちらであっても、タンジェンシャルエッジを見ていると、
これでダイアフラムが前後にピストニックモーションをできるのか、と、
オーディオに興味を持ち始めたばかりの中学生のころ疑問に思った。

どうみてもダイアフラムが前後に動く際に、僅かとはいえ回転しそうに感じたからだ。
実際にどういう動作をしているのかというと、ダイアフラムの前後運動にともない回転運動が起きている。

ダイアフラムの振幅が大きくなれば、回転運動も無視できないほど大きくなる。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: audio wednesday, 「スピーカー」論, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その4)

ハイルドライバーのオリジネーターといえるESSは、
1980年にフラッグシップモデルTransar Iを出した。

ステレオサウンド 57号の新製品紹介に登場している。
岡先生が記事を書かれている。
60号の特集にも登場している、この大型システムは3ウェイ+サブウーファーをとる。

サブウーファーは30cm口径のコーン型で、90Hz以下を受け持っている。
90Hz以上の帯域はすべてハイルドライバー(AMT)が受け持つ。

Transar I登場以前のESSのスピーカーシステムのクロスオーバー周波数は、
850Hzがもっとも低かった。
ハイルドライバーのサイズの小さなシステムでは、1.2kHz、1.5kHz、2.4kHzとなっている。

つまりTransar Iは、従来のハイルドライバーの受持帯域を3オクターヴ以上、低域側に拡大している。
1kHz以上、7kHz以上を受け持つハイルドライバーは従来の構造のままだが、
90Hzから1kHzを受け持つハイルドライバーの構造は、言葉だけでは説明しにくい。

57号の岡先生の記事によれば、中低域用ハイルドライバーの高さは実測で86cmとなっている。
かなり大型で、記事では5連ハイルドライバーとなっている。
詳細を知りたい方はステレオサウンド 57号か、インターネットで検索してほしい。

ハイルドライバーを使ったスピーカーシステムをあれこれ考えていた私は、
いったいどこまでハイルドライバー(AMT)に受け持たせられるのか、
インターネットで各社のAMTの資料をダウンロードしては特性を比較していた。

現在、大型のAMTを単売しているのは、ドイツのムンドルフである。
高さ12インチの製品までラインナップされている。
ここまで大きければ、かなり下までカバーしていると期待したものの、
実測データを見ると、がっかりしてしまう。

ESSのハイルドライバーがあのサイズで850Hzまで使えるのに……、と思ってしまうほどに、
ムンドルフのAMTはサイズの割には……、といいたくなる。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: audio wednesday, 「スピーカー」論, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その3)

無線と実験が創刊されたのは、1924年(大正13年)である。
無線と実験と誌名からわかるように、創刊時はオーディオの雑誌ではなかった。

私が読みはじめたのは1976年か’77年ごろからで、
そのころはすっかりオーディオの技術系、自作系の雑誌であった。

無線と実験と同じ類の誌名をもつものにラジオ技術がある。
こちらは1947年(昭和22年)の創刊である。
ラジオ技術も私が読みはじめたころはオーディオの技術系、自作系の雑誌だった。

無線と実験とラジオ技術は、オーディオ雑誌の、この分野のライバル誌でもあった。
ラジオ技術は1980年代にはいり、オーディオ・ヴィジュアルの方に力を入れるようになって、
面白い記事がなくなったわけではないが、全体的には無線と実験の方をおもしろく感じていた時期もある。

無線と実験はいまも書店で買えるが、
ラジオ技術は書店売りをやめてしまった。
ラジオ技術という会社名もなくなってしまった。
通信販売のみであり、ラジオ技術は廃刊してしまったと思っている人もいないわけではない。

いまは無線と実験よりもラジオ技術の方が面白い。
ラジオ技術の内容を禄に読みもしないで、馬鹿にする人も知っているが、
どうしてどうして、面白い記事が載っているものである。

もちろんすべての記事がそうだとはいわないけれど、
ラジオ技術は応援したくなる良さを見せてくれることがある。

無線と実験はラジオ技術とは違い、安定路線とでもいおうか、
ラジオ技術を読みもしないで馬鹿にするような人でも、
無線と実験に対してはそうでなかったりする記事づくりである。

ムラは少ない、ともいえる。
けれど、その分、面白いと感じることが少なくなってもいたところに、
2015年1月号から始まったハイルドライバーの自作記事は、
ひさびさに、いい意味で無線と実験らしい記事だと思わせた。

Date: 8月 4th, 2016
Cate: audio wednesday, 「スピーカー」論, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その2)

ハイルドライバーの動作原理は、40年前のスピーカーの技術書に記述があった。
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 3でも、
トゥイーターの基礎知識として、ハイルドライバーについての記述があった。

ピストニックモーションではないハイルドライバーの動作原理は、
すぐに理解できていたかといえば、そうでもなかった。
それに当時ハイルドライバーのユニットを搭載していたシステムは、
ESS一社のみだった。しかもこの会社、JBL、アルテック、タンノイなどの著名ブランドと違い、
地方のオーディオ店に置いてなかった。

だから存在はしていたし知ってはいるけど……、というところにずっと留まっていた。
ESSもいつのころからか輸入されなくなってもいた。
ハイルドライバーについて語ることがあっても、昔話のように語っていた。

結局、私が聴くことができたハイルドライバー搭載のシステムは、
エラックのCL310が最初である。1990年代も終りに近いころだった。

知人宅で聴いた。
鳴った瞬間、驚いた。
この瞬間から、ハイルドライバーは昔話ではなくなった。

ハイルドライバーは固有名詞のようで、
エラックのトゥイーターはAMT(Air Motion Transformer)と呼ばれている。
ESSの時代から、Air Motion Transformerであり、ESSの型番はamtから始まっていた。
ただ日本ではハイルドライバーと呼ばれていたわけだ。

同じAMTでも、ESSのハイルドライバー、
つまり1970年代に技術書に載っていた構造と、エラックのAMTの構造は違うところもある。

現在AMTのユニットを採用するメーカーは増えてきている。
そうだろうな、と思う。
AMTのもつポテンシャルは高い。まだまだ良くなっていくと思うし、
現状のAMTにはやや気になる点がないわけではない。

AMTのユニット使ってスピーカーシステムを自作するならば……、
どのユニットを使おうかと、情報収集していた時期もあるし。
マッキントッシュのXRT20のトゥイーターコラムをAMTで構成したら……、
そんなことも夢想したりもした。

2015年、無線と実験を手に取って、驚いた記事があった。
ハイルドライバーの自作記事だった。
それもハイルドライバーを入手してのスピーカーの自作記事ではなく、
ハイルドライバーそのものの自作記事だった。

Date: 8月 4th, 2016
Cate: audio wednesday, 「スピーカー」論, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その1)

40年前、私がオーディオに興味を持ち始めたころ、
スピーカーの振動板といえば、まず紙だった。
コーン型ユニットのほぼすべては紙の振動板だった。

ドーム型はソフトドームとハードドームがあったが、
硬い振動板(つまり金属)は、大半がアルミニウムだった。
ヤマハのNS1000Mがすでに登場して、ベリリウムもあったけれど、
金属振動板=アルミニウムだった。

コンプレッションドライバーの振動板も、チタンが登場するのはもう少し後。
こちらもエレクトロボイスやJBLの一部のドライバーに採用されていたフェノール系以外は、
アルミニウムが圧倒的に占めていた。

その数年後、平面振動板が国内各社から登場したころから、
振動板の材質はヴァラエティ豊かな時代へと突入していく。

ソニーの平面振動板のスピーカーシステムが、APMと型番につけていたことからもうかがえるように、
各社ピストニックモーションの追求ということでは一致していた。
APMとはaccurate pistonic motionの略である。

そのため振動板に求められるのは高剛性であること、内部音速の速さがまずあり、
物質固有音を出しにくいということで適度な内部損失も諸条件としてあった。

いわばこれらは剛の追求といえる。
さまざまな材質が振動板に採用され、処理方法も工夫され、振動板の構造も変っていった。
40年前の紙とアルミニウムが大半を占めていた時代からすれば、
剛の追求は、かなりの成果を収めているといえる。

ピストニックモーションの追求が間違っている、とまではいわないが、
ドイツからマンガー、ジャーマンフィジックスのベンディングウェーヴのスピーカーユニットの登場、
これらのユニットが聴かせる音の素晴らしさを体験してから、
剛の追求ばかりでなく柔の追求も、スピーカーの開発にあってしかるべきだと考えるようになった。

柔の追求ということで、各種のスピーカーユニットの原理をもう一度みることで、
ハイルドライバーの存在に気づく。

Date: 3月 27th, 2016
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その16)

その15)で、「フロリダ」というダンスホールのことを書いた。
時代が違うとはいえ、すごいことだと思いながらも、
これはウェスターン・エレクトリックだからできたことなのか、とも考える。

トーキー用システムとしてアメリカにウェスターン・エレクトリックがあり、
ドイツにはシーメンス(クラングフィルム)があった時代だ。

「フロリダ」の経営者は、なぜウェスターン・エレクトリックの装置を選んだのだろうか。
前回引用した会話からわかるように、ウェスターン・エレクトリックのレンタル代金は高価だ。

昭和四年ごろでは、ウェスターン・エレクトリックしか選択肢がなかったのか。
シーメンスのトーキーはどうだったのだろうか。

仮にシーメンスのトーキーが日本にあったとして、
「フロリダ」の経営者はどちらを選んだのだろうか。

どちらのトーキーがいい音なのか、優れたシステムなのかではなく、
シーメンスのトーキーだったら、ダンスホールに大勢の人を呼べただろうか。

15銭の入場料で、毎月3000円のレンタル料をウェスターン・エレクトリックに払う。
それだけの人が「フロリダ」に集まって来ていたわけだ。
あくまでも想像でしかないのだが、シーメンスのトーキーだったら、
そこまでの人は集まらなかったようにも思う。

どちらも同じ目的で開発されたスピーカーであり、システムである。
スピーカーの構成も大きくは違わない。
けれど、出てくる音は、はっきりと違い、
その違いはトーキーとして映画館で鳴らされるよりも、
それ以外の場所、ダンスホールで鳴らされる時に、よりはっきりと出てくるのではないのか。

Date: 2月 3rd, 2016
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(トーキー映画以前)

トーキー映画の前は、サイレント映画である。
日本ではサイレント映画には活動弁士がいた。

同じ映画でも、上映する映画館によって活動弁士は違うことになる。
徳川夢声という人気弁士がいたというから、
弁士によって、同じ映画であっても印象が違ってきたはずだ。

うまい弁士もいればへたな弁士もいたはず。
よく話す弁士もいればそうでない弁士も、
それに弁士ひとりひとり声が違う。

徳川夢声の声は「カリガリ博士」にぴったり合っていた、とのこと。

東京においても、山の手の劇場と浅草の劇場とでは違っていたらしい。
山の手調と浅草調とがあったとのことで、浅草の劇場では弁士が歌うこともあり、
歌がうまいと観客も喜び掛け声をかけたりしていたそうだ。

けれど山の手の劇場、山の手調の弁士はぜんぜん違っていたらしい。
東京ですらこれだけ違うのだから、東京と関西とでは違う。
関西の弁士は東京の弁士よりも、よくしゃべる傾向にあった。

人気弁士は、地方の劇場を巡業していたから、
そういう弁士ならば、東京と関西でも同じになるかというと、そうでもないらしい。

徳川夢声はたいへんな飲んべえで、大阪に着くまでにえんえんと飲んでいて、
肝心なときに寝てしまっていた、というエピソードもある。

一本のサイレント映画を、どこで観るのか、どの弁士で観るのか。
そういう楽しみが、当時はあったわけだ。

それがトーキーになりスピーカーがスクリーン裏に設置され、音がついた。
音がついたことで映画の表現力は増し、そこでのトータルのクォリティは管理されることになる。
映画館の違い(弁士の違い)は、もうないわけだ。

サイレント映画における弁士の存在は、
オーディオとまったく関係ないこととは思えない。
なにかひっかかってくるところを感じている。

Date: 1月 29th, 2016
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(いま読み返している)

ヤマハのNS5000のことを書くにあたって、
ダイヤトーンのDS10000のことを比較対象としている。

そのためステレオサウンド 77号、
ステレオサウンド創刊20周年記念別冊「魅力のオーディオブランド101」を読み返している。

77号には特集Components of The yearの、
JBLのDD55000とマッキントッシュXRT18のところも併せて読んでいる。

この年、ゴールデンサウンド賞として三機種のスピーカーシステムが選ばれている。
ひとつは大型ホーンを使ったフロアー型、そして高能率のスピーカーシステム、
ふたつめはソフトドーム型トゥイーターを複数使用したトゥイーターアレイが特徴であり、
能率は低めの、やや小さめのフロアー型。
みっつめは国産オーディオメーカー独自の3ウェイ・ブックシェルフという形態を、
最大限まで磨き上げたモノである。

まさに三者三様のスピーカーシステムが、
1985年のComponents of The yearのゴールデンサウンド賞になっている。
だからこそ、そこでの座談会がおもしろい。

77号にはダイヤトーンのDS10000の記事が9ページ載っている。
菅野先生が書かれている。

「魅力のオーディオブランド101」で、これらの記事と併せて読んでほしいのは、
ダイヤトーンのところである。

菅野先生と井上先生が郡山のダイヤトーンの試聴室を訪ねて、
2S305とDS10000を聴かれての座談会が載っている。

「魅力のオーディオブランド101」では、オーディオ評論家三氏が、
国内オーディオメーカーの試聴室を訪ねたものを中心に構成されている。

ただダイヤトーンでは、柳沢功力氏が都合が悪く参加できなかった、とある。
このことが、ダイヤトーンの記事をより面白くしていると感じている。

聞き手としての柳沢氏がいい。
柳沢氏が参加されていたら、違うまとめになっていたはずだし、
もちろんその方がよりおもしろくなるかもしれないが、
少なくともダイヤトーンの訪問記は、読み手が知りたいと思っていることを、
柳沢氏が、菅野先生、井上先生にストレートにきかれている。

いまステレオサウンドでは、過去のバックナンバーから記事を集めたムックを出している。
私は、ステレオサウンド 77号のComponents of The yearの座談会、
菅野先生のDS10000の記事、
「魅力のオーディオブランド101」のダイヤトーンの記事。
この三つの記事をひとつにまとめてほしいと思う。

スピーカーというモノをどう捉えるのか。
そのためのヒントが、これら三つの記事をまとめて読むことで得られるからだ。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(スピーカーの変換効率とは)

今月のaudio sharing例会のテーマは、スピーカーの変換効率についてだった。
世の中には高能率スピーカーと呼ばれるモノがある。

私が高能率スピーカーとして思い浮べるのは、ここで書いているトーキー用スピーカーのことである。
具体的にいえばウェスターン・エレクトリックのスピーカー、シーメンスのスピーカーであり、
これに続いてアルテックやジェンセン、ヴァイタヴォックスなどを思い浮べるわけだ。

なので、つい多くの人もそういうものだと思ってしまっていたことに気づかされた。
高能率スピーカーときいてPA用、楽器用のスピーカーを思い浮べる人もいる。

どちらが多いのかは知らないが、
世代によって、どちらを思い浮べるかは違ってきても不思議はない。
同じ世代であってもトーキー用スピーカーに関心をもつ人とそうでない人とでも違ってくる。
そのことに気づかされた。

それでも私にとって高能率スピーカーとは、やはりトーキー用スピーカーであり、
トーキー用スピーカーを源流とするスピーカーのことである。

優れたトーキー用スピーカーに共通する良さとして挙げられるのは、
音が静かなことだ。

意外に感じられる方もいよう。
このことについては、この項でこれから書いていく。

Date: 12月 5th, 2015
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その15)

ステレオサウンド 1977年の別冊「世界のオーディオ」のALTEC号に、
アルテック昔話という、池田圭、伊藤喜多男、住吉舛一の三氏による座談会が載っている。
その中に、当時のウェスターン・エレクトリックがどういうレンタルをやっていたのかが話題になっている。

昭和四年頃の話のようだ。
     *
池田 その頃のウェスタンとの契約が15万円ですよ。貸してやるから15万円出せというわけで、いまのお金にしたら幾らになるんただろう。
伊藤 しかも映画館のサービスが毎月4千円から1万円ですよ。
住吉 だから、ちょっとした所では使えなかった……。
池田 その頃、「フロリダ」というダンスホールがあって、そこでは15Aホーンと555のユニット、それにアーム、プレーヤー、アンプ一式をウェスタンから借りて、毎月3千円はらっていた。あの「フロリダ」はわれわれの情熱をかきたてたね、3千円の電気蓄音機代というものをはらってね。
住吉 3千円あると、ちゃんとした家が建ちましたからね。最初にうんと取られて、その上3千円でしょう。それを15銭で躍らせて経営が成り立ったんだから……。
伊藤 とにかく、555をはじめとするウェスタンのシステムに、みんなおどろき、ほしがった時代ですよ。
     *
現代とは貨幣価値が大きく違った時代のことだからすぐにはピンとこないが、
毎月のサービスにかかる金額でちゃんとした家が建つということは、そうとうな金額である。

いまダンスホールの入場料がいくらなのか知らないが、15銭の時代の毎月三千円のサービスにかかる金額、
レンタル時に必要な十五万円は、とほうもない金額ということになる。

それでも、それだけの金額を払っても経営が成り立つということは、
音の価値が、いまとは違っていたということでもある。

それも貨幣価値のように物価が推移してきたから……、というようなものではなく、
なにか根本的に音の価値が、当時とそれ以降とでは違っているように感じる。