Archive for category 老い

Date: 1月 8th, 2026
Cate: アナログディスク再生, 老い
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アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その18)

(その17)へのコメントがFacebookであった。
詳細は書かなかったから、高齢の方の取り扱いだと思われたようだが、実際は40代の方。

私よりも二世代若いとなると、音楽を聴き始めた頃はCDだっただろうし、
周りにアナログディスクの取り扱いの手本となる人もいなかった可能性もある。

コメントは、だから雑になってしまったのではないか──、ということだったが、
ショート動画を見るかぎり、扱いは丁寧なのだ。
だがセンタースピンドルの先端目指してすーっとレコードを置くことをやっていない。

音溝が刻まれているところだけには気を使っているのだろう。
つまりレコードのヒゲについて何も知らないからの、あの扱いなのだろう。

いま40代の人が読んできたであろうオーディオ雑誌には、レコードのヒゲについて書かれた記事はなかったように思う。
けれど、私が読んできたオーディオ雑誌にも、ヒゲについての記事はなかった。

私は「五味オーディオ教室」からスタートしているから、絶対にレコードにヒゲをつけてはならない──、
そのことが意識として常にあるけれど、他の人はどうだろうか。

ヒゲに関することは、あまり世代は関係ないように捉えているから、
丁寧に扱いながらもヒゲがつくことには無頓着な人がいることは、
オーディオの世界がいろんな意味で活発ならば、どこかで手本となる人と出会えただろうし、
注意してくれる人もいただろう。

オーディオショウでも、ヒゲについて言う人はいない。

そういうところに、オーディオの世界が老いてきているのかと、思ってしまう。

Date: 12月 31st, 2025
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その17)

X(Twitter)に投稿されていたショート動画を見たばかり。
私が知らないだけで、ある程度有名なレコードコレクターの方が、レコードをかける動画だった。

無雑作にセンタースピンドルの先端で、レコードの中心孔周辺を擦っている。
いわゆるヒゲをつけまくるレコードのかけ方だ。

レーベルにヒゲがつこうが、音が刻まれている盤面には関係ない──、そういう感覚、認識なのだろう。

そんな人がレコードコレクターとして、そこそこ知られている。
人が、というよりもオーディオ界そのものが老いてきているような気さえする。

Date: 12月 27th, 2025
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その29)

オーディオマニアとして齢を実感するのは、私の場合、人それぞれだ、と思うことが増えてきたことによってだ。

昔は、若かった頃は、ムキになって説明することもあった。
どうして、このことがわかってくれないのか、どうすれば理解してくれるのか──、
そこにエネルギーを費やすことがあった。

でも、ほぼ過去形になっている。
最初から諦めているわけではないが、何度か言葉を交わしていれば、わかってくる。

この人には、どれだけ言葉を尽くしても……、ということがだ。

人それぞれだから、この人には……、となる。
そういう時に、齢をとったのかなぁ、と思うわけだが、いや待てよ、と思うところもある。

相手にオーディオのことをもっと理解したいという熱があるのならば、それに応えようという気持は、まだある。

そうではなくて、要領よくやろうとしている人、横着な人、
オーディオの体系化された知識ではなく、ウワサ話的なことに興味がある人、
目の前のオーディオマニアが、そんな人たちなのかどうかが、昔よりも判別つくように、こちら側がなったということも関係していよう。

Date: 12月 14th, 2025
Cate: 老い

老いとオーディオ(なにに呼ばれているのか・その6)

この項で以前書いていることのくり返しになるのは自覚しているが、
それでも「五味オーディオ教室」で出逢ってから、あと一年足らずで五十年となると、
「なにに呼ばれてきた」と、そのことを考えことが多くなってきた。

考えたところで、何にもわからない。
それでもなにかに呼ばれて、ここまで来たという感覚は少しずつではあるが、強くなってきている。

なにに呼ばれていたのか、
そのことがはっきりする日が来るとは思っていない。

それでも呼ばれているところには向かっているような気はしている。

Date: 10月 6th, 2025
Cate: 老い

老いとオーディオ(2026年)

今年も三ヵ月足らずで終る。
来年は2026年。

私が「五味オーディオ教室」と出逢ったのは1976年秋だったから、来年で五十年になる。
そしてステレオサウンドは1966年創刊だから、来年は創刊60周年となる。

ステレオサウンドは創刊60周年記念特集をやるだろうが、私は五十年経ったからといって、
何か特別なことやったり、起ったりもないように思う。

それでもほぼ一年前となった、この秋、あれこれおもうことはある。

Date: 8月 16th, 2025
Cate: 老い

二十五年

audio sharingは、2000年8月16日に公開した。
今日で二十五年。

あのころは37歳だったのが、いまは62。
四半世紀経ったのだから、当然なのは頭でわかっていても、
いろいろあったなぁ、と振り返ると、
あと二十五年は、たぶん無理だろうな、と思う。

五年前は、誰かあとを引き継いでくれる人はいないだろうか、と、思っていたけれど、
いまはそういう人はいない(現れないだろう)のだから、
私がくたばったあとは、いつの間にか消滅しているはず。

それでいいと思うようになった。

音も音楽も所有できない。
私が出している音も、鳴った次の瞬間、消えてしまうのだから、それがいい。

Date: 7月 18th, 2025
Cate: 「本」, 老い

オーディオの「本」(ラジオ技術のこと・その5)

ラジオ技術が、これからも年一冊のペースであっても発売されるのかは、わからない。
通巻989号の目次を見ていると、去年発行されるはずだった内容だとわかる。

一年遅れて発売になったわけで、
今年の春まで更新されていた組版担当の方のX(旧twitter)を読んでいた者からすると、
990号に関しては、あまり期待できない(それでも少しは期待している)。

ラジオ技術は、新しい号を出していくのもいいけれど、
過去の記事を全て電子書籍化してほしい。

オーディオ、音楽とは関係ないジャンルだが、月刊住職という月刊誌がある。
1974年に創刊されている。

この月刊住職は、五枚組のDVD-ROMがある。
創刊号から2019年の12月号までの全ページをPDFにしたものを収録している。

同じことをラジオ技術もできるはずだし、ぜひやってほしい。

Date: 7月 16th, 2025
Cate: 「本」, 老い

オーディオの「本」(ラジオ技術のこと・その4)

ラジオ技術の最新号が発売になっている。
通巻989号であり、一年以上経っての発売。

秋葉原の万世書房で購入できるが、ラジオ技術のウェブサイトには、まだ告知されていない。

来年、990号が出るのか。
毎年一冊ずつ出て、2036年に通巻に1000号となるのか。

Date: 3月 7th, 2025
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その24)

ステレオサウンド 234号の313ページの字詰めのひどさは、紙の本でも同じとのこと。
ステレオサウンドも、いまではDTPで制作されているはず。

今回の字詰めは、いわゆる誤植とは違う。
どんなに校正しても、なぜだか誰も気づかずに、本になってしまう誤植というものはある。

でも今回の字詰めは、どんな人が見ても、すぐにわかることだ。
これにどれも気づかないというのが、不思議でならない。

今の時代の校正は、私がいた頃とは違っているのだろうが、
それでも何回かはチェックの目が入るはずである。
一回、誰か一人が見て終りではないはずだ。

少なくとも数人、数回見ているはずと思う。
なのに、編集経験者、校正経験者でなくともすぐに見つけられる字詰めのひどさ。

だらけきっているのだろうか。

Date: 3月 6th, 2025
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その23)

ステレオサウンド 234号をKindle Unlimitedで読んでいるところなのだが、
一点、すごく気になるところがある。

313ページ、本文上段の後ろから七行目、字詰めがひどすぎる。
これは編集者じゃなくともすぐに気がつく酷さである。
なぜ、これがそのままになってしまっているのか。
それとも、この字詰めの酷さは、Kindle Unlimitedだけのだろうか。

紙のステレオサウンドは、まともな字詰めなのか。

Date: 11月 14th, 2024
Cate: 1年の終りに……, 老い

2024年をふりかえって(その5)

以前、別項で二回引用した孔子の論語が頭に浮ぶ一年でもあった。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」、
このことを思い出しながら、
なぜ、そうなれない人がいるのか、
それどころか大きく矩を踰えてしまった音を出す人がいる。

齢を重ねなければ出せない音があるのは確かだが、
どう齢をとっていったかによって、矩を踰えるかどうかが決まっていくのか。

どこでそうなっていったのか、
そういうポイントは一つでなく、幾つもあったように思うし、
その度にずれていってしまうのか。

修正することは、もう無理だったのか。
その意味で、齢を重ねてしまったがゆえに、
出せない音が生まれてしまった──、ともいえよう。

そんなことを考えさせられた一年だった。

Date: 11月 3rd, 2024
Cate: 「本」, 老い

オーディオの「本」(ラジオ技術のこと・その3)

ラジオ技術が、いよいよ終りを迎えそうである。
私の中では、終りを迎えている──、
そんな受け止め方をすでにしているが、
どうみても、復活することはないように感じている。

それもきちんとした終りではなく、振り返って、
あれが終りだったのか……、そんな感じにもなりそうである。

個人的には復活してほしい、と思っている。

まだ休刊しているわけではないから、
復活というのはおかしいだろうと指摘があるだろうが、
やはり「復活」である。

Date: 9月 20th, 2024
Cate: 「本」, 老い

オーディオの「本」(ラジオ技術のこと・その2)

ラジオ技術が出ない。
月刊誌から隔月刊誌になったものの、まともに出版されなくなった。
いまの感じだと年刊誌である。

ラジオ技術は、個人的に楽しい雑誌だけれど、
そろそろ終りが近づいているのか。

ラジオ技術のライバル誌は、無線と実験なのだが、
こちらは月刊誌から季刊誌になっている。
年12冊から4冊になったのだから、
一冊の読み応えは増すものだ、と期待していたけれど、
残念なことにそうではない。

月刊誌の内容のまま、季刊誌にになってしまったとしか思えなくて、
このまま続けていくのか──、それとも──、
そんなことを思わなくもない。

こんなことを書いているけれど、
ラジオ技術も無線と実験も休刊(廃刊)になってしまったら──、
その時のことを想像してみてほしい。

そうなった時、残ったオーディオ雑誌が、
ラジオ技術、無線と実験が担ってきた役割を引き継ぐのか。

Date: 8月 5th, 2024
Cate: 老い

老いとオーディオ(なにに呼ばれているのか・その5)

あと二年で五味先生の「五味オーディオ教室」と出逢って五十年になる。
長いと思うだけでなく、
出逢った日のことを鮮明におもい出せるから、
あっという間だったとも感じているところもある。

なにに呼ばれてここまで来たのか、そしてどこまで行くのか。

そんなことを考えるようになってきたのは、齢をとってきたからなのか。

そうなのだろうか。
私と同じくらい、もっと長くオーディオをやってきた人は、多くいる。
その人たちは、なにに呼ばれてきたのか──、
考えてもいないし、感じてもいないのかもしれない。

いまの私の感覚では、そんなふうに感じも考えもしないことは、オーディオにおける老いではなく、
老いによる劣化なのではないだろうか。

これから、そういう劣化していく人を見ていくことになるのか。

Date: 4月 24th, 2024
Cate: 老い

老いとオーディオ(音がわかるということ・その7)

その1)を書いたのは2015年だから、九年前。

音の違いがわかる、ということと、音がわかる、ということは決して同じではない、
と九年前はそう思っていた。

いまになって、もう一度考えてみると、同じことだともいえる──、
そうおもうようになってきている。

音の違いがわかる、といっても、それは深い意味での音の違いではなく、
音の差にすぎないからだ。
だから前に聴いた音や聴く順番によって、音の違いがかわってしまう。

そのことをわからずに、音の違いがわかると豪語している人もいる。
つまりは音がわからなければ、本当の意味での音の違いはわからないということだ。