Archive for category 黒田恭一

Date: 11月 29th, 2016
Cate: 黒田恭一

「MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間」

12月23日公開の映画「MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間」は、
邦題が示しているように1970年代後半の五年間を描いている、とのこと。

ステレオサウンド 59号の黒田先生の連載「さらに聴きとるものとの対話を」は、
マイルス・デイヴィスのことだった。
「プレスティッジのマイルス・デイヴィスのプレスティジ」だった。
     *
 みんながいまのマイルス・デイヴィスをききたがっていることを、マイルス・デイヴィス自身が誰にもまして認識しているのかもしれない。にもかかわらず、いまなお、マイルス・デイヴィスは、新作を発表できないでいる。そして、その過去を整理するかのように、プレスティッジでのレコードがアルバムにまとめられ、さらにCBSでのレコードも似たようなかたちでまとめられた。マイルス・デイヴィスは、一九二六年生れであるから、一九八一年のいま五十五才である。過去を整理してはやすぎるとは思えない。
 それにしても、なにゆえに、マイルス・デイヴィスは、新作が発表できないでいるのであろうか。さしずめこのところしばらくのマイルス・デイヴィスは、ウタヲワスレタカナリヤである。ウタヲワスレタわけではないかもしれぬが、なぜかウタヲうたえないようである。マイルス・デイヴィスは、きっとつらいにちがいない。そのつらさが、漠然とではあるが、わかるような気がする。
     *
と書かれ、マイルスとの対比でデイジィ・ガレスピーについて触れられている。
マイルスのことを考えると暗示的に思い出されるひとりとしてのガレスピーである。

マイルスとガレスピーの音を、テノールにたとえられてもいる。
     *
 ガレスピーの音は、いつだって、とびきりいい音である。ああ、トランペットっていいな、とききてに思わせずにおかない音である。そこでのガレスピーの音もそうである。そういうガレスピーの音に較べれば、マイルス・デイヴィスの音は、きわだった魅力に欠ける。ガレスピーの音をイタリアのテノールの声にたとえれば、マイルス・デイヴィスの音は、さしずめドイツのテノールの声である。マイルス・デイヴィスの音は、「オ・ソレ・ミオ」をうたうためのものというより、「マタイ受難曲」のエヴァンゲリストのためのものといえるのではないか。ひとことでいえば、暗く、感覚的なよろこびに不足している。
     *
そのあとにもっとストレートな対比をされている。
1981年当時のマイルス・デイヴィスは《直立しない男根》、
《おのれの単婚が直立していることを意識さえしていないかのような》ガレスピー、と。

そして、マイルスは《不直立男根は不直立男根なりに意味をもってしまう不幸》を背負っているようであり、
マイルスはいまつらいのであろう、
《それゆえにまた、マイルス・デイヴィスの新作をききたいのである》と。

映画は、この時期のマイルスを描いているはずだ。
「プレスティッジのマイルス・デイヴィスのプレスティジ」を書かれた黒田先生は、
「MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間」をど鑑賞され、何を書かれるだろうか、
かなわぬこととはいえ、読み手はそれを読みたい、と思ってしまう。

Date: 12月 31st, 2012
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「音楽への礼状」)

2012年、音楽の書籍、オーディオの書籍はどれだけ出版されたのか、
正確な数は知らない。すべてに目を通すこともできない。
出版されていることに気がつかずに、いい本との出合いを逃しているのかもしれない。

6月に黒田先生の著書「音楽への礼状」が復刊された。
マガジンハウスから出ていて「音楽への礼状」はながいこと絶版だった。
今回の復刊は小学館文庫として、である。

黒田先生の本の中で「音楽への礼状」が、私はいちばん好きである。
今回の復刊は、音楽の本、オーディオの本に関することで、私にとってはいちばんのうれしい出来事だった。

未読の方に、ぜひ! と押しつけがましいと思われようがつよく推めたい。
以前読んでいる方にも、もう一度手もとにある「音楽の礼状」を読み返してほしい、とも思う。

Date: 10月 15th, 2012
Cate: 録音, 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その13)

不思議なもので、人は映像のズームに関しては不自然さを感じない。
映画、テレビにおけるズームを不自然と感じる人は、現代においていない、と思っていいだろう。

なのに音の世界となると、人は音のズームを不自然と感じてしまう。
菅野先生が山中先生との対談で例としてあげられている
カラヤン/ベルリンフィルハーモニーのチャイコフスキーの交響曲第四番。

スコア・フィデリティをコンサート・フィデリティよりも重視した結果、
オーケストラが手前に張り出してきたり、奥にひっこんだりするのを、
左右のふたつのスピーカーを前にした聴き手は、不自然と感じる。

なぜなのだろうか。

考えるに、映像は平面の世界である。
映画のスクリーンにしてもテレビの画面にしても、そこに奥行きはない。
スクリーンという平面上の上での表現だから、人は映像のズームには不自然さを感じないのかもしれない。

ところが音、
それもモノーラル再生(ここでのモノーラル再生はスピーカー1本での再生)ではなくステレオ再生となると、
音像定位が前後に移動することになる。

奥行き再現に関しては、スピーカーシステムによっても、
スピーカーのセッティング、アンプやその他の要因によっても変化してくるため、
ひどく平面的な、左右の拡がりだけのステレオ再生もあれば、
奥行きのあるステレオ再生もあるわけだが、奥行き感を聴き手は感じているわけだから、
ある音がズームされることによって、その音を発している音源(音像)の定位が移動することになる。

こう考えていったときに、(その9)に書いたカラヤンの録音に存在する枠とは、
映画におけるスクリーンという枠と同じ存在ではないか、という結論に行き着く。

こういう「枠」はバーンスタインのベートーヴェンには、ない。

Date: 10月 10th, 2012
Cate: 録音, 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その12)

グレン・グールドの、シベリウスのソナチネの録音における試みは、
グールドが自身がのちに語っているように、けっして成功とはいえないものである。

アナログディスクで聴いても、1986年にCD化されたものをで聴いても、
グールド贔屓の聴き手が聴いても、やはり成功とは思えないものではあった。

それでもグールドがシベリウスの録音でやろう、としていたことは興味深いものであるし、
1976年からそうとうに変化・進歩している録音技術・テクニックを用いれば、
また違う成果が得られるような気もする。

グールドが狙っていたのは、音のズームである。
そのためにグールドは、4組のマイクロフォンを用意して、
4つのポジションにそれぞれのマイクロフォンを設置している。
ひとつはピアノにもっとも近い、いわばオンマイクといえる位置、
それよりもやや離れた位置、さらに離れた位置、そしてかなり離れた位置、というふうにである。

これら4組のマイクロフォンが拾う音と響きをそれぞれ録音し、
マスタリングの段階で曲の旋律によって、オンマイクに近い位置の録音を使ったり、
やや離れた位置の録音であったり、さらにもっとも離れた位置の録音にしたりしている。

ピアノの音量自体はマスタリング時に調整されているため、
マイクロフォンの位置による音量の違いは生じないけれど、
ピアノにもっとも近いマイクロフォンが拾う直接音と響き、
離れていくマイクロフォンが拾う直接音と響きは違ってくるし、その比率も違ってくる。

だからピアノにもっとも近い位置のマイクロフォンが捉えた音でスピーカーから鳴ってくるピアノの印象と、
もっとも遠くの位置のマイクロフォンが捉えた音で鳴るピアノの印象は異ってくる。

同じ音大きさで鳴るように調整してあっても、
響きの比率が多くなる、ピアノのマイクロフォンの距離が開くほどに、
ピアノは遠くで鳴っている、という印象につながっていく──、
これをグールドは、音のズームと言っていた。

Date: 10月 9th, 2012
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その11)

菅野先生が例としてあげられているカラヤン/ベルリンフィルハーモニーのチャイコフスキーのレコードは、
実をいうと聴いたことがない。
CDを買ってきて聴いてみようか、とも考えたが、
いま購入できるCDで、チャイコフスキーの第四番がおさめられているのは、
五番、六番との2枚組であり、1997年に発売されたものである。

もしかすると、リマスターによって、菅野先生が指摘されているところは
多少補整されている可能性もないわけではない。
なので、結局CDは購入しなかった(チャイコフスキーをあまり熱心に聴かないのも理由のひとつ)。

このカラヤン/ベルリンフィルハーモニーにチャイコフスキーの四番の録音が、
どう問題なのか、は、71号の菅野先生の発言を引用しておく。
     *
カラヤンとベルリン・フィルによる、チャイコフスキーの『交響曲四番』を、たまたま聴いていたら突如としてオーケストラが、ステージごとせり出して来ちゃって、びっくりしたわけね。
おそらくあれはね、オフ・セッティングでオーケストラのバランスのとれる一組のマイクロフォン、もっとオンでマルチにした一組のマイクロフォンがあり、それぞれにサブ・マスターがありまして、それがマスターへ入ってくる。
そして、その音楽のパッセージによって、そのオフ・セッティングを生かしあるいはオンも生かすというようなかっこうでいっているんだろうと、思うんです。
僕の記憶によると、ピアニッシモで、わりあいに歌うパッセージではオフが生きるんですな。そして、フォルテになってきますとオンのほうが生きてくる。
たしかに、それは明瞭度の問題からいっても、わからなくはない。
しかし、オーケストラのフォルテッシモは、大きく広がった豊かなフォルテッシモになってほしいのが、オンになってきますと、むしろその豊かさじゃなくて、強さ、刺戟ということで迫ってくる。
セッティングがそういうオン・マイクロフォンですから、それにすーっとクロスしていくと、オーケストラがぐわーっと出てくるんですね。
たぶん録音している人は十分わかっていると思うんですよ。ところが、カラヤンさんは恐らくそれを要求している。
そのとき、カラヤンさんに、
「いや、これはレコードにしちゃまずいですよ、オーケストラが向こうへいったり、こっちにきたりしますよ」
ということをたとえば言ったとしても、カラヤンさんは、
「いや、ここではこの音色が欲しいんだ。近い、遠い、そんなことはどうでもいい」
と言ったかどうかはわからないけれども、そして、
「ちょっと聴かせてくれ」
と、ミキサーに言う。ミキサーは
(じゃ、オフマイクの音のことを言っているのかな)
と勘を働かせて聴かせますね。
「これだ! これはこれでいい。じゃ、この部分はこの音で録ってくれ、ここの部分はこの音で録ってくれ……」
それでミキサーはそれに忠実に従って録ったと思う。
カラヤンさんはそれを聴いて、おそらく音楽的にきわめて満足をしたでしょう。
ところがわれわれが聴くと、これはほんとうに……近くなったり、遠くなったり、定位が悪くなったり……。
     *
これはあくまでも菅野先生の推測による発言ではあるものの、
かなり確度の高い発言だと思える。

このカラヤンのチャイコフスキーは1976年12月にベルリンで録音されている。
単なる偶然なのだろうか、1976年12月のトロントでも、同じようなコンセプトによる録音が行われている。
グレン・グールドによるシベリウスのソナチネである。

Date: 10月 8th, 2012
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その10)

ここでとりあげているバーンスタインのベートーヴェン全集は1980年に、
カラヤンのベートーヴェン全集は1977年に、
どちらもドイツ・グラモフォンから発売されている。

録音された時期は両者で2、3年の違いが存在しており、
その数年のあいだにも技術は進歩しているし、録音テクニックも変化していっている。

けれど、この両者のベートーヴェン全集のレコードの違いは、
そういう技術、テクニックの、時間の推移による違いから来ているものというよりも、
録音のコンセプト自体の違いが、それ以前にはっきりとした違いとしてあるように考えられる。

それはバーンスタインのベートーヴェンが、いわゆるライヴ録音であるということ、
カラヤンのベートーヴェンが、綿密なスタジオ録音であるということとも関係してくることとして、
録音のフィデリティの追求として、
バーンスタインにおいては、コンサート・フィデリティ、
カラヤンにおいてはスコア・フィデリティ、ということが他方よりも重視されている、といえよう。

このコンサート・フィデリティとスコア・フィデリティについては、
ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)の、菅野先生と山中先生の巻頭対談の中に、
菅野先生の発言として出てきた言葉である。

ステレオサウンド 71号の菅野先生の発番を引用しておく。
     *
録音というものの基本的なコンセプトには二つあると思うんです。
一つは、コンサートの雰囲気を、そのまま録音しようという、コンサート・フィデリティ型、もう一つ、これはクラシックの場合に限られるけれども、スコアに対するフィデリティ型です。
スコアに対してのフィデリティを追求した録音は、生のコンサートの雰囲気をスピーカーから聴きたいという人には「顕微鏡拡大的である」とか「聴こえるべき音じゃないものが聴こえる」として嫌われます。
再生の側から言えば、いつもコンサート・フィデリティ派が主流になっています。
ところが、困ったことに、そういうコンサート・フィデリティ的なプレゼンス、あるいはオーケストラ・ホールに行ったかのごとき疑似現実体験、距離感が遠いとか近いとか、定位が悪いとか、音像が小っちゃいとか大きいとか、そんなことは音楽を表現する側にとっては、まったくナンセンスなんだ。
     *
この対談で、菅野先生はコンサート・フィデリティの録音として、
発売になったばかりのアバド指揮シカゴ交響楽団によるベルリオーズの「幻想交響曲」を、
スコア・フィデリティの録音して、
カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーによるチャイコフスキーの第四交響曲をあげられている。

Date: 1月 1st, 2012
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと

黒田恭一(1938年1月1日 – 2009年5月29日)

Date: 10月 21st, 2011
Cate: 欲する, 黒田恭一

何を欲しているのか(その19)

ステレオサウンド 85号の、「ぼくのディスク日記」のなかで、
黒田先生はグルダの3組のディスクについて書かれている、そのなかにこうある。
     *
グルダのディスクをきく喜びは、きいていて、非常にしばしば、ああ、グルダ! と思える瞬間があることである。演奏がうまいとか、そういうたぐいのことではない。自作をひいた場合のみならず、大作曲家のすでにさまざまなピアニストの演奏できいている作品をひいた場合でも、ぼくはグルダの素顔というか、独白というか、つまりグルダそのものにふれたように感じ、どきりとすることがある。そのような思いをさせてくれる音楽家は、すくなくともぼくにとっては、グルダだけである。
     *
黒田先生がこの文章を書かれた1987年の私は、黒田先生のようにはグルダを聴くことができなかった。
グルダによって演奏された音楽を聴いて、「ああ、グルダ!」と思えたことはあった。
でも、それは、たとえばグールドによって演奏された音楽を聴いて、「あ、グールド!」と思えたのと、
そう変らなかった。

黒田先生の「ああ、グルダ!」と私の「ああ、グルダ!」とのあいだには、開きがあった。
いまも、黒田先生の「ああ、グルダ!」と同じに聴けている、という確証はどこにもない。
それでも30代後半あたりから、「ああ、グルダ!」と思える瞬間がはっきりと増えてきた。
いま40代後半になって、「ああ、グルダ!」と思えたとき、口元がほころぶときもある。
黒田先生が「そのような思いをさせてくれる音楽家は、すくなくともぼくにとっては、グルダだけである。」、
そう書かれた心境がわかるようになってきた、ということか。

あれだけ多くの音楽を聴いてこられた黒田先生が、「グルダだけである」と書かれたことに、
「ほんとうにそうですね!」と返したい気持が、
いまの私にはあるし、これから先もっと強くなっていくようにも思う。

黒田先生はマガジンハウスから出された「音楽への礼状」では、こうも書かれている。
     *
音楽は、徹底的に抽象的ですから、非常にしばしば、未消化の四角いことばに凌辱されがちです。この日本でも例外ではありません。音楽をきくというおこないに求められる謙虚さを忘れたあげく、ことばを玩ぶだけにとどまった音楽談義がさかんです。
     *
これは、フリードリヒ・グルダへの礼状として書かれたものだ。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その3・補足)

黒田先生が、モーストリークラシックの2009年7月号に書かれことについては、ここで触れている。

その23年前に、その原形ともいえることをすでに書かれている。
引用しておく。
     *
さまざまな情報を満載した雑誌の山をみていると、情報の洪水などという言葉が、途端に現実感をもってくる。洪水に押し流されたあげく、興味あるニュースをみのがしてしまう。えっ、あのコンサートは、もう終わってしまったのかとか、へぇ、そんなレコードが出ていたのか、気がつかなかったなとか、情報の消化不良をおこして、いらいらすることもしばしばである。どう贔屓めにみても、これは健康なこととはいいかねる。焦れば、おのずと、夜道の酔っぱらいよろしく足がもつれもする。
情報の洪水が日常茶飯事になったときに威力を発揮するのは、あのレコード、ちょっと気になっているんだけれど……といったような、友人の耳うちである。活字、ないしは電波によった、したがってオーソリティーのものではありえない、友人の、いわばナマの情報は、その背後に商業主義がてぐすをひいているはずもないから、説得力がある。
     *
1986年3月に発行されたステレオサウンド 78号の「ぼくのディスク日記」で書かれたものだ。
この「ディスク日記」の中に出てくる「活字、ないしは電波によった」情報を、
つまり背後に商業主義がてぐすをひいている情報を、
黒田先生は2009年に、情報擬き、と表現されている。
そして「情報」とは商業主義とは無縁の、友人の耳うちによるナマの情報、であると。

Date: 6月 1st, 2011
Cate: 黒田恭一

「聴こえるものの彼方へ」(続 黒田恭一氏のこと)

「さらに聴きとるものとの対話を」の最終回(ステレオサウンド 64号)に、こう書かれている──、

テーマについて白紙委任されたのをいいことに、オーディオにかかわりはじめた音楽好きの気持を、正直に、そしてできることなら未知なる友人に手紙を書くような気分で、書いてみようと思った。これが出発点であった。

59号の「ML7についてのM君への手紙」からはじまった、
ときおりステレオサウンドに掲載された、黒田先生のオーディオ機器の導入記・顚末記のほぼすべては、
59号のタイトルが示すように、M君(のちにM1になっている)への手紙、というかたちで書かれている。
131号の「ようこそ、イゾルデ姫!」だけが、そうではない。

黒田先生の著書のなかで、私が好きなのは、「音楽への礼状」。
これも礼状という言葉が示しているように、手紙である。

「さらに聴きとるものとの対話を」の最終回には
「さらに聴きとるものとの対話をつづけるために」とつけられている。

対話をしていくために、対話をつづけていくための「手紙」だということに気づく。

「さらにききとるものとの対話をつづけていくために」の最後のほうに、こう書かれている──、

もし音楽をきくという作業がヒューマニスティックなおこないだといえるとしたら、オーディオもまた、ヒューマニズムに立脚せざるをえないであろう。人間を忘れてものにつきすぎたところで考えられたオーディオは、音楽から離れ、限りなく骨董屋やデパートの特選売場に近づく。

だから「対話」なのだと思う。

[追補]
5月29日に公開した「聴こえるものの彼方へ」は、さきほど校正をやりなおしたものを再度アップしました。
できれば、再度ダウンロードお願いいたします。

Date: 5月 29th, 2011
Cate: 黒田恭一

「聴こえるものの彼方へ」(黒田恭一氏のこと・余談)

CDプレーヤーが登場して間もないころ。
何の試聴だったのかもう忘れてしまったが、黒田先生とふたりだけのことがあった。
試聴が終って、雑談していたときに、これも何がきっかけだったのか忘れてしまったが、
CDプレーヤーの使いこなし、というよりも、その置き方を試してみることになった。

実は黒田先生の試聴のすこし前に私なりにいろいろやって、当時としては、
そしてステレオサウンドの試聴において、という条件はつくものの、うまくいったことがあった。

それを、黒田先生に聴いてもらう、と思ったわけだ。
うまくいったときと同じに、少なくとも同じようにセッティングしたつもりだった。
ただ、このときはまた使いこなしも、いまのレベルとは違い、けっこう未熟だったため、
同じ音を再現できなかった。

何をしなかったときと較べるといいけれども、すこし前に聴いたときの変化とは、その変化量が違っていた。
いまだったら、その理由はわかるものの、そのときはどうしてもわからず、
さらにあれこれやって多少は、そのときの音に近づいたものの、私としては満足できず、
自信満々で、黒田先生に聴いてもらおうと思っていた手前、気恥ずかしくもあった。

それでも黒田先生はしっかり聴いてくださっていた。

このとき、いいわけがましく、いいわけめいたことをいった。
前回、うまくいったときには、こんな感じで鳴ったと話したことを、
すごくわかりやすい表現だといってくださった。

それからまたしばらくして、FMfanの臨時増刊として「カートリッジとレコードとプレーヤーの本」が出た。
これに、NECのCD803について、黒田先生が書かれている文章を読んで苦笑いした。

こう書かれていた。
     *
今はNECのCD−803というCDプレーヤーをつかっている。恥をさらすようであるが、そのCD−803をいかなるセッティングでつかっているかというと、なにかのご参考にてればと思い、書いておこう。ぼくの部屋に訪ねてきた友人たちは、そのCDプレーヤーのセッティングのし方をみて誰もが、いわくいいがたい表情をして笑う。もう笑われるのにはなれたが、それでもやはり恥ずかしいことにかわりない。
ではどうなっているか。ちょっとぐらい押した程度ではびくともしない頑丈な台の上にブックシェルフ型スピーカー用のインシュレーターであるラスクをおき、その上にダイヤトーンのアクースティックキューブをおき、その上にCDプレーヤーをのせている。しかも、である。ああ、恥ずかしい。まだ、先が。
CDプレーヤーの上に放熱のさまたげにならない場所に、ラスクのさらに小型のものを縦におき、さらにその上に鉛の板をのせている。
     *
私が、あのときやったのも、これに近い。
ラックの上にダイヤトーンのアクースティックキューブDK5000を置いて、その上にCDプレーヤー、
たしかソニーのCDP701ESをそこにのせた。
さらにCDP701ESのうえに、またスピーカーの置き台に使っていた角材をのせた。
CDP701ESはCD803と違い放熱の心配はないから、角材の乗せ方に制約はなかった。

黒田先生の部屋を訪ねられた友人の方たちが、いわくいいがたい表情をされるのは、よくわかる。
自分で、そのセッティングをしながら、オーディオに関心のない人からすれば、
頭のおかしい人と思われてもしかたのないようなことをやっているんだ、と思っていた。

DK5000の上にCDP701ES、さらにその上に角材だから、
ラックの上に、なにかができ上がっているような感じで、これでいい音にならなかったら、
ただただ恥ずかしいかぎりの置き方だ。

黒田先生のときには、成功とはいえなかったけれど、
それでも、あの時の音の変化、音楽の表情の変化を聴いていてくださっていたのだとわかり、
苦笑いしながらも、嬉しくなっていた。

Date: 5月 29th, 2011
Cate: 黒田恭一

「聴こえるものの彼方へ」(黒田恭一氏のこと)

黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のEPUBを公開した。

「さらに聴きとるものとの対話を」と題名を変え、
ステレオサウンド 43号から64号まで連載されたものすべてのほかに、
47号、59号、62号、63号、69号、78号、87号、92号、96号、100号、110号、118号、131号、
これらに書かれた、アクースタットのスピーカーのこと、アポジーのこと、CDプレーヤーのこと、
チェロのパフォーマンスについてのこと、そしてリンのCD12のことなどについての文章も含まれている。

昨年の11月7日と今年の1月10日に瀬川先生の「」を、
3月24日には岩崎先生の「オーディオ彷徨」を公開した。

作業としては、ひたすらキーボードで入力して、Sigilというアプリケーションで、
電子書籍(ePUB)にして、余分なタグを削除したり、校正して、ということでは、
3冊の「本」ともまったく変わりない。

それでも、黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」の作業をしているときの心境、とでもいおうか、
そういうものが、瀬川先生、岩崎先生のときとは微妙に違っていた。

瀬川先生とは、熊本のオーディオ店でお会いすることが何度かあり、こちらのことも憶えてくださっていた。
でも、私がステレオサウンドで働くようになったときには、もうおられなかった。
岩崎先生もそうだ。岩崎先生にはお会いすることもできなかった。
瀬川先生、岩崎先生と、仕事をする機会はなかった。

黒田先生とはステレオサウンドで仕事ができた。
リスニングルームで音を聴くことでもできた。
だから作業しながら、想いだすことがいくつもあった、ということが、違っていた。

Date: 5月 19th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「遠い音」補足)

1938年が、黒田先生にとってどういう意味をもつのかと気づいたうえで、
「遠い音」に書かれてあることをふりかえってみると、ここのところが私の中で浮んでくる。
     *
次第に緊迫の度をましていく「ウォー・オブ・ザ・ワールズ/宇宙戦争」に耳をかたむけながら、ラジオからきこえる空襲警報を告げるアナウンサーの、抑揚のない声をきいて子供心にも恐怖におびえた幼い日のころの気分になっていた。そこできいているのが、遠い日にアメリカでなされた放送の録音であるとわかっていてもなお、古ぼけた音の伝えることを信じはじめていた。人の出入りのまったくない喫茶店が、じっとりと湿った空気の、土の臭いが気になる、戦争中の防空壕に思えてきた。
     *
終戦の年、黒田先生は7歳。
防空壕の土の臭いは、黒田先生の実体験ということになる。

Date: 5月 19th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「遠い音」)

ステレオサウンド 57号に「遠い音(上)」が、58号に「遠い音(下)」を、黒田先生は書かれている。
23号からはじまった「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」、43号からの「さらに聴きとるものとの対話を」、
これらの一連の連載の中で、この「遠い音」だけが2回にわたっている。

ほかの回と、これだけ雰囲気が異なっているのは、ステレオサウンドに掲載されているときに読んで気がついた。
登場人物は黒田先生自身だということは、すぐにわかる。

ある喫茶店がある。ここでのことを「遠い音」では書かれている。
読んでいけば、黒田先生の創作によるものだとわかってくる。

「遠い音(下)」を読めば、ここに登場してくる、「13」と印字されただけのマッチの意味あいがはっきりとなる。
それで読み手は納得できる。
だから納得したつもりになっていた。

さきほど「遠い音」を入力し終えて、ひとつ気づいた。
「遠い音」の中のふるぼけた喫茶店でかけられていた3組のレコードは、
どれも1938年に録音されたものばかりであることは、「遠い音」の中に書かれている。
1938年が、どういう年なのかも、当然書かれている。

だから、「遠い音」を読んだ30年前、納得したつもりになれた。
「なれた」だけで、「できた」わけでなかったことに、今日気づいた。

1938年には、もうひとつの意味がある。
黒田先生は、1938年1月1日の生れである、からだ。

そのことに気づくと、じつは、このとについてさり気なく書かれていることにも気づく。
「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
と書かれている。

「遠い音」を最初に読んだときは、黒田先生の年齢を知らなかった。
写真で見る黒田先生は、実際の年齢よりも若く見えていたから、そう思いこんでしまっていた。
だから、1938年生れとは思っていなかったから、

「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
を、そういう意味にはとることができずに、いわば読み流していた。

1938年からある古びた喫茶店は、1963年生れの私にとっても「自分が生れたときから」ある店であり、
そう受けとってしまっていた。
そう受けとってしまったから、1938年のことをそれ以上考えることをやめてしまっていた。

最初に読んだときから30年たち、やっと気づいた。
まだ気づいただけだが、思いだしたことがある。
ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルハーモニーを指揮したマーラーの交響曲第九番。
これも1938年にライヴ録音されたものということ。

このワルターのマーラーの第九番を
「時代の証言として、いまもなお、重い」と黒田先生は書かれている。

「遠い音」を書かれたことについての、私なりの答はまだみつかっていない。

Date: 5月 3rd, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「聴こえるものの彼方へ」のこと)

今月の29日に公開できるように、いま黒田先生の文章の入力にとりかかっている。
すでにaudio sharingで公開している「聴こえるものの彼方へ」をEPUBにするのだが、
そのままEPUBにするよりも、未収録の文章もできるかぎり載せたい、と思い立ったからだ。

「聴こえるものの彼方へ」は、
ステレオサウンドに連載されていた「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」が基本になっている。
「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」はいったん42号で終了し、
43号から「さらに聴きとるものとの対話を」と題名が変り、始まっている。

「聴こえるものの彼方へ」には、「さらに聴きとるものとの対話を」は収められていない。

いま入力しながら、読み返していると、あらためて、
これらの黒田先生の文章を最初に読んだときの気持を思い返すことができることに気づく。
もちろん、ほぼ30年以上前に、どう感じていたかをすべて思い出しているわけではないが、
あのとき、黒田先生の文章から、なにを大事なものとして読んでいたのかは、そのまま思い出せる。

黒田先生は、「オーディオはぼくにとって趣味じゃない。命を賭けている」と言われたことがある。
1988年、ゴールデンウィーク明けの、黒田先生のリスニングルームにおいて、はっきり聞いた。

これがどういうことなのかも、「さらに聴きとるものとの対話を」のなかに書かれていたことに、
いま気づき、音楽を「きく」ということとは
(黒田先生は、聴く、とも、聞く、とも書かれずに、つねに「きく」とされていた)、
いったいどういうことなのか──、
あのときとなにが変ってきて、なにが変ってきていないのかを含めて、
ひとりでも多くの人に読んでもらいたいと思っている。