「聴こえるものの彼方へ」(黒田恭一氏のこと・余談)
CDプレーヤーが登場して間もないころ。
何の試聴だったのかもう忘れてしまったが、黒田先生とふたりだけのことがあった。
試聴が終って、雑談していたときに、これも何がきっかけだったのか忘れてしまったが、
CDプレーヤーの使いこなし、というよりも、その置き方を試してみることになった。
実は黒田先生の試聴のすこし前に私なりにいろいろやって、当時としては、
そしてステレオサウンドの試聴において、という条件はつくものの、うまくいったことがあった。
それを、黒田先生に聴いてもらう、と思ったわけだ。
うまくいったときと同じに、少なくとも同じようにセッティングしたつもりだった。
ただ、このときはまた使いこなしも、いまのレベルとは違い、けっこう未熟だったため、
同じ音を再現できなかった。
何をしなかったときと較べるといいけれども、すこし前に聴いたときの変化とは、その変化量が違っていた。
いまだったら、その理由はわかるものの、そのときはどうしてもわからず、
さらにあれこれやって多少は、そのときの音に近づいたものの、私としては満足できず、
自信満々で、黒田先生に聴いてもらおうと思っていた手前、気恥ずかしくもあった。
それでも黒田先生はしっかり聴いてくださっていた。
このとき、いいわけがましく、いいわけめいたことをいった。
前回、うまくいったときには、こんな感じで鳴ったと話したことを、
すごくわかりやすい表現だといってくださった。
それからまたしばらくして、FMfanの臨時増刊として「カートリッジとレコードとプレーヤーの本」が出た。
これに、NECのCD803について、黒田先生が書かれている文章を読んで苦笑いした。
こう書かれていた。
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今はNECのCD−803というCDプレーヤーをつかっている。恥をさらすようであるが、そのCD−803をいかなるセッティングでつかっているかというと、なにかのご参考になればと思い、書いておこう。ぼくの部屋に訪ねてきた友人たちは、そのCDプレーヤーのセッティングのし方をみて誰もが、いわくいいがたい表情をして笑う。もう笑われるのにはなれたが、それでもやはり恥ずかしいことにかわりない。
ではどうなっているか。ちょっとぐらい押した程度ではびくともしない頑丈な台の上にブックシェルフ型スピーカー用のインシュレーターであるラスクをおき、その上にダイヤトーンのアクースティックキューブをおき、その上にCDプレーヤーをのせている。しかも、である。ああ、恥ずかしい。まだ、先が。
CDプレーヤーの上に放熱のさまたげにならない場所に、ラスクのさらに小型のものを縦におき、さらにその上に鉛の板をのせている。
*
私が、あのときやったのも、これに近い。
ラックの上にダイヤトーンのアクースティックキューブDK5000を置いて、その上にCDプレーヤー、
たしかソニーのCDP701ESをそこにのせた。
さらにCDP701ESのうえに、またスピーカーの置き台に使っていた角材をのせた。
CDP701ESはCD803と違い放熱の心配はないから、角材の乗せ方に制約はなかった。
黒田先生の部屋を訪ねられた友人の方たちが、いわくいいがたい表情をされるのは、よくわかる。
自分で、そのセッティングをしながら、オーディオに関心のない人からすれば、
頭のおかしい人と思われてもしかたのないようなことをやっているんだ、と思っていた。
DK5000の上にCDP701ES、さらにその上に角材だから、
ラックの上に、なにかができ上がっているような感じで、これでいい音にならなかったら、
ただただ恥ずかしいかぎりの置き方だ。
黒田先生のときには、成功とはいえなかったけれど、
それでも、あの時の音の変化、音楽の表情の変化を聴いていてくださっていたのだとわかり、
苦笑いしながらも、嬉しくなっていた。