Archive for 1月, 2013

Date: 1月 31st, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その15)

62号の1年後のステレオサウンドは66号になる。
66号の特集は、「2つの試聴テストで探る’83″NEW”スピーカーの魅力」と
「第1回《コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー》賞」であり、
“State of the Art”は、もう使われなくなっている。

本来ならば”State of the Art”賞の五回目となるはずだったのだが、
66号から”State of the Art”から”Components of the year”への賞の名称が変更になった。

その理由は選考委員長である岡先生が
「かくして《コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー》賞は誕生した」に書かれている。

アメリカにSOTA(State of the Artの略称)というブランドが誕生し、
日本に輸入されることになったのが、大きな理由とされている。
     *
一方が賞の名前であり、一方が製品のブランド名であるという風にわりきってなんら差し支えないという理屈は成り立つが、関係者としては何とも奇妙な気分になってしまう。仮にSOTA社の製品が選考の対象になったときに、審査委員諸氏には多かれ少なかれ心理的な影響を与えることになりはしないかということも考えなければならない。
     *
とはいえ名称変更の理由はこれだけではない。
岡先生は続けて、こう書かれている。
     *
第一回発表に際して、オーディオコンポーネントにおける”State of the Art”の意味をかなりくわしく説明したし、アメリカで使われはじめたこの言葉は、最近では欧州のオーディオ・ジャーナリズムにもしばしばつかわれるほど英語系以外の国にも浸透してきている。しかし、言語をまったく異にする日本では、まだオーディオファイルのあいだに定着したとはいえず、「あの賞の意味はどういうことですか」という質問をうけて、いろいろと説明しなければならなかったという体験をいまだに重ねている。
     *
残念なことだとおもっていた。
このとき私はステレオサウンド編集部にいた。
だから、よけいに”State of the Art”が浸透しなかったことに、意外な感じも受けた。

ステレオサウンドは第一回の49号で、かなりページを費やして”State of the Art”について語っている。
第二回の53号にも、各選考委員による「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」が載っている。
すくなくとも49号以降、続けて読んできている読者ならば、
その人なりの”State of the Art”という、なじみにくいことばについての解釈はできていようと思ったからだ。

Date: 1月 31st, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(その1)

別項で「骨格のある音」について書きながら、
関節のことを考えていたときに頭に浮んでいたのはケーブルのことだった。

オーディオの系の中でのケーブルとは、まさしく関節ということに気がついた。

人は関節があるから体を動かせる。
さまざまなポーズをとることもできる。

こじつけめくが、オーディオもケーブルという関節があるから、
いくつものコンポーネントを組み合わせることができ、
そしてそれらのコンポーネントをかなり自由に配置することができる。

ケーブルという関節がもしオーディオになかったら、オーディオの設置の自由度は極端になくなってしまう。

関節には可動範囲があるから、360度自由に手や足を動かせるわけではない。
ケーブルにも長さ、太さ、硬さなどによる「可動範囲」といえるものがある。

そんなふうに考えていたら、ケーブルのことをジョイントケーブルということもあることを思い出した。
jointは関節、継ぎ目、接合箇所である。

ケーブルは、たしかに関節である。
ならば関節としてのケーブルについて考えていくこともできるはず。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その14)

“State of the Art”はステレオサウンド 49号が第一回で、
第二回は53号、第三回は58号、第四回は62号である。

49号では49機種が選ばれている。
53号では17機種、58号では12機種、62号でも12機種となっている。

49号は第一回ということもあって、現行製品すべてが対象となっているのに対し、
第二回、第三回……と前回の”State of the Art”賞以降発売された現行製品が対象ということで、
選定機種は大きく減っているのは、むしろ当然のことといえる。

ここでもうひとつ注目したいのは、49号は12月発売の冬号、53号も同じく冬号だが、
第三回は57号ではなく1号おそい58号(春号)へと変更になっている。
62号も春号である。

49号では”State of the Art”賞の記事のみが特集だった。
53号でも第一特集は”State of the Art”賞だが、
ページ数のボリュウムでは第二特集の、前号(52号)から続くアンプテストのほうがある。

58号でも第一特集ではあるし、ページ数も多い。
けれど選ばれているのは12機種で、約半分程度のページは、第一回、第二回、
それに50号での過去の製品の”State of the Art”賞を振り返る内容である。

62号では第二特集扱いになっている。
ただこれは60号から62号まではステレオサウンド創刊15周年記念の企画として、
60号「サウンド・オブ・アメリカ」、61号「ヨーロピアン・サウンド」、
62号「日本の音」という特集があったためでもある。

それに62号には瀬川先生の特集記事も載っている。

とはいうものの62号での”State of the Art”賞は、選定機種数12ということもあってか、
49号から”State of the Art”賞に注目してきた読者にとっては、
さびしい印象を与える扱いになっていっていた。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その3・余談)

朝型の人間の黒田先生は、ナカミチの680ZXの半速の録音機能を使って、
深夜放送のオールナイトニッポンを録音され、それを聴き、書かれている。
     *
 録音されたものを、翌日になってきいて、本当に驚いた。たしかに声そのものは、中島みゆきの声だった。特徴のあるイントネーションも、そのままだった。しかし、「オールナイト・ニッポン」での中島みゆきは、「私の声が聞こえますか」のジャケットにみられる思いつめた表象の中島みゆきとも、「愛していると云ってくれ」のジャケットでの娼婦的な中島みゆきとも、それに、そう、「おかえりなさい」のじゃテットでの中島みゆきは、あたかも、外国旅行にでたオフィス・レディが、いましも服装をととのえて、寝台車から食堂車にむかおうとしているときのようで、中島みゆきの表情も、その雰囲気も、なかなかチャーミングだったが、そういう「おかえりなさい」のジャケットでの中島みゆきとも、むろん「元気ですか」の中島みゆきとも、極端にちがっていた。
「オールナイト・ニッポン」での中島みゆきは、あたかも陽気な笑い鳥といった感じだった。はじめ仰天し、やがてこっちも笑いころげた。ちなみにというのが、どうやら中島みゆきの口癖のようで、そのことについて、ちなみという名前の女の子が、私の名前を呼びすてにしないでほしいと、番組に書き送ってきたものを、中島みゆきが読んで、中島みゆき自身も大笑いした。
 その番組の中で、中島みゆきは、実によく笑う。テーブルをたたいて笑うこともある。その笑い声にいささかの屈託もない。まことに用機だ。その笑い声をきいていると、きいている方も一緒に笑いたくなる。そういう笑い声だ。笑いながら、一瞬、ふとわれに
かえって、待てよと思う。あの「元気ですか」の詩を書き、それを低い声で読んだのは、本当にこの女だったのだろうかと考えたりするからだ。
「オールナイト・ニッポン」での中島みゆきは、シンガー・ソングライターの中島みゆきなんてうそっぱちだといいたがっているかのようだ。ときに中島みゆきは、新しく録音中のレコードのことをも、笑いの種にしたりする。
 いかなる人間にも裏と表がある。いつもはとびきり陽気な人間が、ふとした機会に、暗い表情をみせることがある。ひまわりだって影をおとす。と、しても、中島みゆきの場合には、極端だ。「オールナイト・ニッポン」での明の中島みゆきと、「元気ですか」での暗の中島みゆきの、いずれが「虚」で、いずれが「実」なのか、ほとんどみさだめがたい。
     *
私も、この黒田先生の文章を読んでしばらくして、中島みゆきのしゃべりをきいた。
極端にちがっていた。
文字で読んで知ってはいたものの、それでも驚くほどちがっていた。

このころはインターネットはなかったし、当然YouTubeなんてものもない。
もし1980年にYouTubeがあったら、黒田先生のこの文章はどう変っていただろうか、ともおもう。

昨年、YouTubeで中島みゆきのしゃべり(ラジオ放送を録音したもの)を見つけた。
オールナイトニッポンよりも前のものらしい。
北海道での放送のものだった、と説明にあったように記憶している。

ここでの中島みゆきのしゃべりは、オールナイトニッポンでのしゃべりと極端にちがっていた。
女の多面性──、そんなことばで片づけられるとはおもわない。
けれど、黒田先生のことばをかりれば、
いずれが「虚」で、いずれが「実」なのか、ほとんどみさだめがたい。

「虚」「実」とわけようとするから、であって、
わけようとしてはいけない、のだとはおもってもいても、意識は中島みゆきの「虚」と「実」に向いてしまう。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その5)

カセットテープ(性格にはコンパクトカセットテープ)は、フィリップスの特許である。
けれどフィリップスは、このカセットテープの普及のため、特許を無償公開している。

この特許には、テープスピードも(おそらく)含まれているのだと思う。
ナカミチの680ZXだけで半速仕様が終ってしまったのは、
フィリップス側からのクレームだった、ときいている。

無償公開をしている特許であるから、勝手に仕様を変えるな、ということだったらしい。

フィリップスの、この言い分はもっともだと思う。
それでもカセットテープの半速がなくなってしまったのは、
個人的にはカセットテープの楽しみ方の広がりをひとつ潰したようにも感じられる。

オープンリールデッキにはテープ速度が切り替えられるから、
ユーザーの自由によりテープスピードを選べても、
カセットテープに関しては、他社製のデッキには半速モードはない。

テープとは録音した聴き手だけのものではない。
誰かに渡すこともすくなくない。
そうなると半速が混じってしまうことは、混乱を引き起こすことにもつながっていく。
そう考えれば、フィリップスがナカミチにクレームを出したのも理解できる。

680ZXは徒花的カセットデッキだった。
だから、いまも欲しい、と思っている。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その4)

ナカミチのカセットデッキが、いったいどれだけの機種数があったのか数えたことはない。
カセットデッキの専業メーカーといっていいほどのナカミチだっただけに、かなりの数があった。
にもかかわらず半速の録音・再生可能な機種は680ZXだけだった。

オープンリールデッキではテープスピードの切替えは、当然の機能としてついている。
音質優先であれば速いテープスピードで、音質よりも録音時間を優先するのであれば半分のテープスピードに。
それがカセットテープに関しては4.75cm/secの1スピードだけだった。

テープスピードが落ちれば高域の録音・再生限界周波数は、標準速に比較して低くなる。
もともと制約の多いカセットテープにおいて、テープスピードを半分にすることは、
音質的なことを考えるとデメリットが多すぎる。

ナカミチの680ZXは標準速で30kHzまでカバーする再生ヘッドを搭載、
自動アジマス調整機能などにより、半速でも15kHzまでカバーしている。
音質的なことを抜きにして考えれば、FM放送の高域限界も約15kHzであるから、
680ZXの半速の録音・再生の周波数は、これをカバーしている。

680ZXを聴くことはなかったから、はっきりしたことはいえないものの、
半速での音質も、そう悪くはなかった、と思える。

録音・再生時間が倍になっても、あまりにも標準速での録音・再生より音質が悪くなれば、
半速での録音・再生機能は意味をもたないわけだが、
このあたりは、専業メーカーらしいナカミチのカセットデッキだといえよう。

カセットデッキに半速仕様がつくことで、カセットテープの楽しみ方は増す。
その楽しみ方を、当時はあれこれ想像していた。

680ZXは238000円(1980年)していた。
けっこうな値段であるし、高校生には手の届かないカセットデッキだったから、
もうすこし普及価格帯──、
あまり安いモデルでは半速での音質的に満足できないだろうからそこそこの値段にはなるだろうけど、
そういう製品を期待していたし、他社からも出てこないだろうか、と期待もした。

けれど半速のカセットデッキは680ZXで終ってしまった。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その3)

ナカミチのカセットデッキには、そういう面があったわけだが、
中には誰にも自分で録音したテープは渡さない、
それにカセットテープを聴くのは録音したデッキのみ、という人もいる。
そういう人にとってはナカミチのカセットデッキの、そういう面はどうでもいいことになる。

すこしばかりナカミチのカセットデッキについてネガティヴなことを書いているものの、
私がいまカセットデッキをなにか一台手に入れるとしたら、ナカミチの680ZXにする。

680ZXは一般的なサイズのものとしては、ナカミチのカセットデッキのなかでも上級機種であった。
価格も、高価な部類にはいる。
フロントパネルは、カセットデッキ(テープ)が好きなマニア向けとでもいいたくなるもので、
私は、デザイン面で、このデッキを欲しいとは思わないけれど、
それでも680ZXを欲しい、と思う理由は、ほかの人にとってはどうでもいいところにある。

ステレオサウンド 54号掲載の黒田先生の連載「さらに聴きとるものとの対話を」では、
中島みゆきについて書かれている。
タイトルは「ちなみに、陽気な失恋鳥」。

このなかにナカミチの680ZXがでてくる。
     *
ふとした機会に、中島みゆきが、「オールナイト・ニッポン」という深夜放送の番組でディスク・ジョッキーをやっているのをしった。中島みゆきが出演するのは、月曜日の夜というか、つまり火曜日の午前一時から三時までの二時間だ。
 それをきいてみようと思った。ところが、困ったことに、ぼくはどちらかといえば朝型の人間で、午前三時までとても起きていられそうにない。それで、やむをえず、カセット・デッキで留守録音をすることにした。幸いなことに、ナカミチ680ZXというカセット・デッキをぼくを持っているので、それで録音することにした。ナカミチ680ZXには、半分のスピード、つまり2・4cm/秒で録音再生できる機構がついているので、C120のカセットテープをつかうと、まるまる二時間の録音ができる。
     *
これを読んだ時から、680ZXって、いいなぁ、とおもっている。
半速(2.4cm/sec)で録音・再生できる、という理由からであり、
黒田先生が、こういう使い方をされていたのを読んで、私もやってみたい、と思ったからである。
なんともミーハーな話なのだ。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その13)

“State of the Art”ということばを知ったときから30年以上が経ち、
いまこういうことを書いていても、”State of the Art”の定義を的確な日本語で表現するのは難しい。

それでも私なりに”State of the Art”にふさわしいオーディオ機器は、いくつもあげられる。
すっと頭に浮んでくるオーディオ機器がいくつもある。
だから、そうやって浮んでくるオーディオ機器に共通するものをさぐっていくことで、
“State of the Art”とはなんなのかが掴めていくのではないだろうか。

そして「世界の一流品」や名器と呼ばれるオーディオ機器とのイメージを比較していくと、
やはり”State of the Art”では技術ということが、より重要視されることになる、と考える。

その技術も、そのオーディオ機器のみで実現され終っていくのではなく、
すくなくとも技術の「種(seed)」として残していったオーディオ機器こそが、
実は”State of the Art”なのだとおもう。

その「種」がそのまま花開くこともあるだろうし、
ほかの「種」と異種交合で花を咲かせることもあるはず。
そうやってオーディオは発展していくものだろう。

そうなると難しいのは、”State of the Art”にふさわしいかどうかは、
その製品が登場した時点では正しくは判断しにくいところにある。
ある年月が経ってからでないと、はっきりとはいえない面も、またあるからだ。

技術の「種」ということを抜きにしても、
「技術、とくに新しい技術がどのように高度に実現しているか」、
そして「db」誌による”revolutionary break-through in sound technology”
(音響技術における革命的に壁を破ったもの)
といったことを厳密にとらえすぎてしまうと、
“State of the Art”と呼べるオーディオ機器は選定することが難しくなる。

“State of the Art”は個人的には魅かれることばである。
けれど、オーディオ雑誌の企画として、これを賞の名称として使う場合には、
自分の首を絞めてしまう難しさがあることに気づかされることになる。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その12)

菅野先生は、こうも書かれている。
     *
オーディオは趣味である。ステート・オブ・ジ・アートという言葉の持つ意味の主観性、あるいは曖昧さが示しているように、オーディオというものは、自分のイメージの中にある、内なる音を追求していくという、大変に主観性の強いものであるし、個性とか個人の嗜好という意味で、曖昧といえば曖昧なものである。
     *
“State of the Art”ということば、オーディオ、
どちらにも主観性と曖昧さがあることが、
よけいにオーディオにおける”State of the Art”の定義を難しくしている、ともいえよう。

だからこそ、井上先生は
「実際に選択をすることになった以上は、独断と偏見に満ちた勝手な解釈として」と書かれた、と読むこともできる。

瀬川先生は、その結果、
「本誌のレギュラーに限っても九人もの人間が集まると、同じ課題に対してこれほど多彩な答が出るのか」
という驚きを「何よりもおもしろかった」とされている。

瀬川先生は、ステレオサウンド 41号での「世界の一流品」との対比についてもふれられている。
     *
いわゆる一流品と少し異なるのは、一流品と呼ばれるには、ある程度以上の時間の経過──その中でおおぜいの批判に耐えて生き残る──が必要になるが、ステート・オブ・ジ・アートの場合には、製品が世に出た直後であっても、それが何らかの点で新しいテクノロジーをよく生かして完成している認められればよいのではないか。
     *
瀬川先生以外の、他8人の方による「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」に共通していることは、
岡先生が49号の巻頭でも書かれているように、
「技術、とくに新しい技術がどのように高度に実現しているか」ということが、
「世界の一流品」や名器と呼ばれるモノ以上に重要視されている、といえる。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その11)

“State of the Art”ということばがオーディオ機器について使われるということは、
工業製品に対して”State of the Art”が使われる、ということである。

基本的にオーディオ機器は工業製品といえる。
どんなに高価なオーディオ機器であっても、少量生産品・限定生産品であっても、工業製品である。

工業製品であるオーディオ機器だけに”State of the Art”ということばを使うことを、
どう解釈するかは、選考する人によって大きく違っている面も存在する。

ステレオサウンド 49号ではじまったState of the Art賞の選考委員は9人。
みなステレオサウンドという場で共に仕事をし、オーディオについて語ってこられているから、
そこに共通認識は、49号ではじめて登場する”State of the Art”ということばについてもあった、といえよう。

けれど、”State of the Art”は、
ステレオサウンドのもうひとつの、やや似ている面ももつ企画、Best Buyほどはっきりしたものではない。
Best Buyでも、その解釈は多少は人によって違う面はあっても、大筋では一致している。

“State of the Art”はBest Buyとはあきらかに違うもの、ということははっきりしている。
けれど、そこから先になると、もう選考者ひとりひとりの、オーディオに対する考え方のあらわれ、といえる。

“State of the Art”ということばについて考えれば考えるほど、
現実のオーディオ機器と”State of the Art”のもっている意味とのギャップに直面することになる。
これは井上先生が書かれているとおりだとおもう。

菅野先生は厳密な意味で”State of the Art”を選ぶとすれば、
ごくごく数が限られてしまい、
現実には、その厳密な意味合いを中心において拡大解釈をして選出することにならざるを得なかった、
と書かれている。

Date: 1月 28th, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続×七・Electro-Voice Ariesのこと)

スピーカーとしては、声というものの性格から、中域とか高域が金属製の音がするものは避ける。つまりJBLとかアルテックとかタンノイのように、金属の振動板を使ったスピーカーは、音色的に合わないと思うのです。ほかの例でいうと、ピアノにいいスピーカーあるいは弦にいいスピーカーということでも、やはり振動板の材質の音色が必ずかかわってくるんですね。そうすると、ここでは、高分子化合物のもの、マイラーとかフェノールとかそういうタイプの振動板を使ったスピーカーがいいだろう、ということになります。
     *
ステレオサウンド 41号とともに「コンポーネントステレオの世界 ’77」は、
はじめて買ったオーディオ雑誌でもあるから、それこそ一字一句噛みしめるように読んでいた。

しかも、まだ13歳。
ここに書かれていることに素直にのみこんでいた。

となると、しっとりとした、情感あふれる女性ヴォーカルを、
聴くもののこころにひっそりと語りかけてくるように鳴らしたいのであれば、
中高域のダイアフラムは金属よりもフェノール系がいい。

しかも井上先生は、ヴォーカルの定位感をシャープに出すためには、
場合によってはホーン型のほうがいい、ともいわれている。
キャバスのBrigantinはスコーカー、トゥイーターはドーム型ではあるものの、
スコーカーの前面にはメガホン状のホーンがとりつけられている。
しかも、いわゆるリニアフェイズ配置のスピーカーシステムである。

このことはずっと頭の中にあった。
だから41号、「コンポーネントステレオの世界 ’77」の1年後のステレオサウンド 45号で、
エレクトロボイスのPatrician800について知ったとき、
このスピーカーこそが、理想にもっとも近いスピーカーシステムである、とみえてしまった。

ダイアフラムはフェノール系で、しかも本格的なホーン型。
さらにいえば4ウェイでもある。

Patrician800のアピアランスは、中学生の若造にはさほどいいものには感じられなかったけど、
でも、その内容については、これ以上のものはない、
このPatrician800をベースにリニアフェイズにすることはできないものだろうか……、
そんなことを夢想していたことがある。

Date: 1月 28th, 2013
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(続×六・JBL SA600)

1989年に登場したS9500以降、JBLのスピーカーの極性は、
いわゆる逆相から一般的な正相型へとなっていった。
それ以前のJBLのスピーカーユニットは逆相仕様になっていた。

ならばスピーカーシステムの入力端子(もしくはパワーアンプの出力端子)のところで、
スピーカーケーブルの+と−を反対に接げばそれですむことじゃないか、と考える人もいる。
けれど実際には、ここで極性の反転を行なってしまうと、極性の反転以外の要素も変化していて、
厳密には極性の正相・逆相だけの違いを聴いているわけではなくなってしまう。

パイオニアの一部のスピーカーシステムはネットワークのバランス化を1980年代からはじめていたが、
それ以外のスピーカーシステムに関してはアンバランス構成であるから、
スピーカー端子のところで極性を反転させることは、
パワーアンプもアンバランス出力であれば、
ネットワークのアースラインがパワーアンプのアースラインに接続されず、ホット側に接続されることになる。

もちろんこの状態でも音は鳴るし、パワーアンプやスピーカーシステムが故障してしまうわけでもない。
でもこれでは極性以外の変化が生じていて、これで求める音が得られればそれでいいともいえるのだが、
厳密には極性だけを反転させたわけではないことはわかっておくべきだ。

システム全体が正相なのか逆相なのかで、
どのように音が変化するのかをおおまかに掴みたいのであれば、
スピーカー端子のところで反転させるやり方を、こんなことを書いている私でもすすめる。

ただ、それでも……、といいたいわけである。

Date: 1月 28th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(余談)

スイングジャーナルの「オーディオ真夏の夜の夢」は長島先生だけでなく、及川公生氏も書かれている。
長島先生の文章だけを読んで、ほかの方の書かれたものに関しては、今日読んだところ。

及川氏が書かれている──、
「オーディオ評論はちっとも進歩しないであい変らず試聴というのをくり返している」と。

もっとも及川氏は、この先がいまの試聴とは異っている未来を予測されている。
自宅のマイコン(この記事が載った1981年はパソコンではなくマイコンという言葉が一般的だった)の子機を使う。
いわば自宅にMacがあって、iPadを試聴室で取り出して使うようなものだ。
それでマイコンの子機に試聴するオーディオ機器の特性を入力、
さらに試聴室のアクースティック特性も入力後、その日の自分の体調も要素として加えて……、というふうに続く。

そういえば長島先生がステレオサウンド 50号に書かれた「2016年オーディオの旅」で、
未来の本についての記述はあったものの、2016年のオーディオの本がどうなっているかについては、
なにも書かれていなかった。

長島先生も、おそらくいつの時代になってもオーディオ機器の試聴は、
人が試聴室まで出向き、そこで鳴っている音を聴いて判断する、という昔からのやり方はまったく変らない、
と思われていたのだろう。

優秀なマイクロフォンが登場し、高速のデータ通信網があって、
試聴室で鳴っている音をマイクロフォンでピックアップして、
試聴する人たちのリスニングルームへ伝搬し、それぞれのシステムの特性も補正して試聴してもらう、
こんなことは技術的には決して不可能ではないけれど、
これからも先も試聴風景は変っていかない、とおもう。

変っていかないのであれば、あえて未来の予測に書くこともない。
長島先生が「2016年オーディオの旅」「オーディオ真夏の夜の夢」で、
未来のオーディオ雑誌についてふれられなかったのは、だから当然のことといえよう。

Date: 1月 27th, 2013
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(続×五・JBL SA600)

1980年代後半のラジオ技術で、OPアンプの検証記事が載っていた。
いくつかのOPアンプを非反転アンプ、反転アンプの両方で測定していた。

手もとにその号のラジオ技術がないので、詳細について書くことは出来ないが、
全体的な傾向として反転アンプでの測定結果(歪率)が、非反転アンプでの結果よりも良かったことは憶えている。

どなたの記事だったのかもはっきりと憶えていない。
別府氏か山口氏だったような気がする。

その記事でも、なぜそういう結果がなるのかについては、
OPアンプの初段は差動回路になっているものが多い。
非反転アンプでは初段の+側入力のトランジスター(FET)はNFBループの外にあることになる。
これが反転アンプ動作時よりも歪が増加する理由と結論づけられていた(はず)。

まだ電子回路のことがほとんどわからないときに直感的に感じていた疑問は、
概ね正しかったことが、そのときのラジオ技術の記事でわかった。

もちろん反転アンプのほうが歪率が低いから非反転アンプで使用するよりも音がいい──、
となるかといえば、すべての場合において、そうなるとはいえない。

反転アンプと非反転アンプとではシステム全体の極性が、逆相と正相とになる。
このことは音場感の再現、音像の立ち方に関係してくる要素であり、
左右のチャンネルの極性が揃ってさえいれば、逆相・正相、どちらでもいい、という問題ではない。

しかもスピーカーシステム内のネットワークも、
パワーアンプもコントロールアンプも多くの製品はアンバランスであり、
極性の反転をどこかで行うにしても、ほかの条件はまったく同じで行うことはまず無理といえる。

Date: 1月 27th, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続×六・Electro-Voice Ariesのこと)

ステレオサウンド 45号掲載の「クラフツマンシップの粋」で、
エレクトロボイスにかつてPatricianと呼ばれる、規模の大きなスピーカーシステムがあったことを知る。

特にPatrician800には魅かれるものがあった。
こんなスピーカーシステムを、エレクトロボイスはつくっていたのか──、
いま(1977年)のラインナップとは大きく異るPatricianシリーズは、
まだ10代なかばの若造でも、堂々とした風格を備えていることは写真から感じとれていた。

Patrician800は他のPatricianシリーズと同様に4ウェイ構成である。
まずこのことにも魅かれた。
JBLの4343が4ウェイであったということ、
すでにステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES-1」で瀬川先生の4ウェイ構想の記事も読んでいたこと、
これらのことがPatrician800に魅かれたベースにはある。

それだけではない。
エレクトロボイスがフェノール系のダイアフラムを採用していることも大きかった。

ここでも「コンポーネントステレオの世界 ’77」が関係している。
この別冊のなかで、井上先生が、女性ヴォーカルを聴くための組合せをつくられている。

ジャニス・イアン、山崎ハコの歌を
「聴くもののこころにひっそりと語りかけてくる」ように聴きたいという読者のために、
井上先生が選ばれたスピーカーシステムはフランスのキャバスのフロアー型、Brigantinだった。