オーディオにおける神通力(その1)
「終のスピーカー」のところで、神通力ということばを使った。
そんなものオーディオにはない、関係ない、という人もいよう。
神通力、説明できるのか、という人もいよう。
私もまだ神通力の正体がすべてわかっているわけではない。
それでも、あると確信できる体験をいくつもしてきている。
そのことから、いまはっきりといえることは、
神通力のひとつとしてあげられるのは、フォーカスする力、フォーカスしていくことである。
そのために絶対に必要なことは、審美眼であるはずだ。
私は、いまオーディオ評論家と名乗っている人たちの書くものをほとんど信用していない。
ステレオサウンドはもう買ってはいないし、これから先も買うことはないけれど、
手もとには揃っているし、読んではいる。
どうして、この人なのか? と思うことはある。よくある。
この記事(この機種)について、またこの人なのか? となることが多い。
別のひとだったら、もう少し音が伝わってくるかもしれないのに……、と思ってしまう。
なぜかといえば、その人が何にフォーカスしていこうとしているのかが、書いているものから感じとりにくい、
もしくはまったくといっていいほど感じられないからである。
フォーカスしていくのと正反対のところで、
オーディオをしているようにも見受けられる人が少なくないように感じるようになってきた。
以前も、もしかするとそうだったのかもしれない。
昔はインターネットがなかった。
いまはインターネットがこれだけ普及しているから、目につくようになっただけ、かもしれない。
でも、それだけではなさそうである。