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Mark Levinsonというブランドの特異性(その56)

このブログは、2023年1月29日で終りなのだが、
いまのペースで書いていると、この項に関しても結論を書かずになってしまうそうである。

ちょっとペースをあげないと──、と思っていたところに、
今日未明に、Fさんという方からのメールが届いていた。

以前、何度かやりとりをしたことがある人で、
マークレビンソン、Celloの製品を愛用されてきた人である。

今回のメールには、Fさんのコントロールアンプ遍歴が綴られていた。
そこには、CelloのAudio Suiteこそが、
マーク・レヴィンソンの究極なのだろうと感じた、とある。

この一点こそが、この項でのいわば結論である。
私もAudio Suiteこそが、
マーク・レヴィンソンという男の、全き個性の完成形と感じている。

FさんはマークレビンソンのLNP2、ML6、
CelloのEncore 1MΩという遍歴の末のAudio Suiteである。

だからこそ、わかるなぁ、とひとりごちた。

Fさんのメールを読みながら、Audio Suiteを初めて聴いた日のことを思い出していた。
ステレオサウンドの試聴室で聴いている。

Audio Suiteの、コントロールアンプとしての完成度に関しては、
いくつか注文をつけたくなることがある。

でも、そんなことは音を聴いてしまうと、一瞬のうちに霧散してしまう。
魅力的ではなく、魅惑的に響く。
音楽が魅惑的に鳴り響くのである。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その55)

マークレビンソンというオーディオ・ブランドは東海岸なのだが、
このブランドの創立者であるマーク・レヴィンソンは、
カリフォルニア州オークランド生れ、とステレオサウンド 52号に書いてある。

安原顕氏の「わがジャズ・レコード評」の冒頭にある。
     *
 周知の通り、マーク・レヴィンソン(1946年12月11日、カリフォルニア州オークランド生れ)といえば、われわれオーディオ・ファンにとって垂涎の的であるプリアンプ等の製作者だが、彼は一方ではバークリー音楽院出身のジャズ・ベース奏者でもあり、その演奏は例えばポール・ブレイの《ランブリン》(BYG 66年7月ローマで録音)などで聴くことが出来る。
     *
1946年12月11日生れなのは確認できている。
けれど検索してみても、どこで生れたのかはわからなかった。

カリフォルニア州オークランド生れならば、いつコネチカットに住むようになったのだろうか。

そんなことはどうでもいいことのように思われるかもしれないが、
LNP2、JC2、ML2、ML6に憧れてきた、当時10代の私には、
マーク・レヴィンソンは、いわば目標でもあった。

それだから気になる、というよりも、
LNP2、JC2、ML2、ML6に共通する音と、
ML3、ML7以降の音、
それからマークレビンソンを離れてからのCelloの音、
そして忘れてはならないのがHQDシステムの存在と、
Cello時代のスピーカーシステムの関係性である。

これらの音を俯瞰すると、
マーク・レヴィンソンにとっての西海岸、東海岸の音、
アンプの回路設計者のジェン・カールとトム・コランジェロ、
これらの要素を、少なくとも私は無視できない。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その54)

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版、
「私の推奨するセパレートアンプ」での特選三機種は、
マークレビンソンのLNP2とSAEのMark 2500の組合せ、
それとQUADの405である。

LNP2+Mark 2500について、こう書かれている。
     *
 マーク・レビンソンはコネチカット、SAEはカリフォルニア、東海岸と西海岸の互いに全く関係のないメーカーなのに、LNP2とMARK2500に関するかぎり、互いがその音を生かし合うすばらしく相性のいい組合せだと思う。LNP2の音はおそろしくデリケートで、かつてJBL SG520が聴かせた音を現代の最高水準に磨きあげたようだ。一聴すると細い音なのに、よく聴くと中〜低域がしっかりと全体を支えてバランスが素晴らしく、繊細でしかもダイナミックな音を聴かせる。JC2はもっと解像力が良いが、音楽的な表現力ではLNPの方が一段上だ。そしてこの音が、SAE♯2500の音をよく生かす。あるいは♯2500がLNPの音をよく生かす。
 SAE♯2500は、非常に深みのある音質で、第一印象はLNP2と逆に音像が太いように感じられるが聴き込んでゆくにつれて、幅広く奥行きの深い豊かな音の中に実にキメの細やかな音を再現することに驚かされる。
     *
いまでは、あまり国による音の違いは、語られなくなってきている。
でも、LNP2、Mark 2500のころ(1970年代後半)は違っていた。

もちろんメーカー(ブランド)による音の違いがあるものの、
俯瞰してみれば(聴けば)、お国柄といえる共通する音が色濃くあったものだ。

こういうことを書くと、私よりも上の世代のオーディオマニアから、
そんなことはなかった──、と十年ほど前にいわれたことがある。

オーディオマニアが販売店や、個人のリスニングルームで聴いている範囲では、
そういう印象なのかもしれないが、オーディオ雑誌での、いわゆる総テストで、
スピーカーやらアンプを、集中して数十機種聴くという経験をしていれば、
イギリスにはイギリスの音、ドイツにはドイツの音、
アメリカにはアメリカの音(それも西海岸と東海岸の音)があることが感じられる。

瀬川先生の文章を読んでいると、
SAEが東海岸、マークレビンソンが西海岸のブランドのように思えてくる。

《かつてJBL SG520が聴かせた音を現代の最高水準に磨きあげたようだ》と、
瀬川先生も書かれている。
いうまでもなくJBLは西海岸のブランド(メーカー)である。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その53)

私は精神科の専門家でもないし、精神科に関する知識はほとんど持っていない。
精神科の権威のオーディオマニアが「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」、
と口にされたころの、つまり若いころのマーク・レヴィンソンには会ったことはない。

そんな私だから、間違っている可能性の方が高いだろうけど、
それでも思うのは、LNP2、JC2を世に送り出したばかりのレヴィンソンが、
周りの人にそういうふうに映ってしまったのは、ジョン・カールと出あったからなのではないか、
つまりジョン・カールと出あわずにいたら、おそらく発狂し自殺しかねないとは思われなかったのではないか。

もともとマーク・レヴィンソンはそういう男ではなかった。
LNP2の最初のモデルはよく知られているようにバウエン製のモジュールである。
レヴィンソンがバウエン製のモジュールをずっと使い続けていたら、
精神科の権威のオーディオマニアも、
「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」とは思わなかったよう気がしてならない。

この項ですでに書いたように、
JC1、JC2、LNP2、ML2までのマークレビンソンのアンプの音と、
ML3、ML7以降のアンプの音には共通性も感じながらも、決定的に違う性質があるように感じている。

その違いは、結局は回路の設計者の違いのような気がする。
つまりはジョン・カールとトム・コランジェロの違いである。

どちらがアンプの設計者として優秀かということではなく、
ふたりの気質の違いのようなものが、たとえマーク・レヴィンソンがプロデュースしていたとはいえ、
音の本質的な部分として現れていて、
その音に、誰よりも長い時間接していたマーク・レヴィンソンだからこそ、
あの時期、会った人に発狂しかねないという印象を与えた──、としか思えない。

ジョン・カールとトム・コランジェロ、それぞれが設計したマークレビンソン時代のアンプ、
その後のアンプ、
ジョン・カールはディネッセンのJC80、トム・コランジェロはチェロの一連のアンプ、
これらのアンプを聴いてきて、私はそう思う、
マーク・レヴィンソンはもともと狂うタイプの男ではなかった、と。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その52)

五味先生がサンフランシスコを旅行された折、
オーディオ専門店に行かれた時のことを「いい音いい音楽」(読売新聞社刊)の中で書かれている。
     *
 なるほどこちらの食指の動くようなものはぜんぜん置いてない。それはいいとして、心外だったのはマークレビンソンのアンプや、デバイダー(ネットワーク)を置いてないどころか、買いたいが取り寄せてもらえるか、といったら、日本人旅行者には売れない、と店主の答えたことである。なんでも、マークレビンソン社から通達があって、アンプの需要が日本で圧倒的に多いので、製品が間に合わない。米国内の需要にすら応じかねる有様だから、小売店から注文があってもいつ発送できるか、予定がたたぬくらいなので、国内(アメリカ人)の需要を優先させる意味からも日本人旅行者には売らないようにしてくれ、そういってきている、というのである。旅行者に安く買われたのではたまらない、そんな意図もあるのかと思うが、聞いて腹が立ってきた。いやらしい商売をするものだ。マークレビンソンという男、もう少し純粋なオーディオ技術者かと考えていたが、右の店主の言葉が本当なら、オーディオ道も地に墜ちたといわねばならない。少なくとも以後、二度とマークレビンソンのアンプを褒めることを私はしないつもりだ。
     *
この文章を読んだ時、マーク・レヴィンソンには、やはりそういう面があるのかと思っていた。
この項の(その50)で引用した瀬川先生の文章にも
「近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが」とある。

経営者としての才がなければ、どんなにいいアンプをつくり出せたとしても成功はしないだろう。
経営者としてのマーク・レヴィンソンがいたからこそ、
マークレビンソンというブランドは成功したともいえる。

けれど、岡先生の文章を読んだ後で、
五味先生の文章を思い出し、
さらに瀬川先生の文章を思い出すと、
それだけでなくステレオサウンドで働くようになって耳にするようになったレヴィンソンに関する、
いくつかのハナシから思うに、
どうもマーク・レヴィンソンは、後から経営者ふうになってきたというよりも、
最初からそうであったようにしか思えないのである。

それでも優れた(まともな)経営者ならば、
シュリロ貿易にサンプル機を送った直後に、
RFエンタープライゼスと契約するようなことはしない。

会社を興したばかりで焦りはあった、と思う。
けれど、商いの理に反するようなことを平気でやってしまう、
その感覚に、そして五味先生の書かれていることが事実だとすれば、
経営者としてよりも、商売人としての「顔」を、私は強く感じてしまう。

マーク・レヴィンソンが狂わなかったのは、
そういう男だったから、というのが、大きな理由のひとつである。

では、なぜ、日本にデビュー直後のマーク・レヴィンソンと会って、
精神科の権威のオーディオマニアの人が、
「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」と口にされたのか。

むしろ、こちらの「なぜ?」を考えてみるべきである。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その51)

1992年、中央公論社から別冊 暮しの設計 20号として「オーディオ〜ヴィジュアルへの誘い」が出た。
岡先生と菅野先生が監修されている本だ。

この本に岡先生が書かれている。
     *
 1974年に、とてつもない体験をすることになった。
 1973年暮れにとどいたアメリカのオーディオ専門誌に、従来の常識を破るような新しいデヴァイスを使った斬新な設計と見事なコンストラクションのプリ・アンプについてのテスト・リポートが載っていた。測定データも立派なものだったが、一番びっくりしたのは、値段だった。当時の最高級のプリ・アンプが600〜700ドルぐらいだったのが、これは何と1750ドルである。メーカーは初めて聞く名前。どこかでサンプル入荷したらぜひ聴いてみたいと思っていたら、知り合いのインポーターが、あまり高価なので、サンプルを1台注文。それを聴いたうえで正式契約をしたいとのことで、そのときはまっさきに聴かせてほしいとたのんだ。1974年3月末に、そのサンプル機がついた。音は今まで聴いたことのないようなキャラクターで少々戸惑ったけれど、S/Nがべらぼうによく(つまり静かだということ)、操作性が抜群によいことが印象に残った。ところが、このサンプル機が到着したころ、別なインポーターがメーカーと正式な輸入契約を結んでしまっていたので、サンプルを取った会社は商品として店に出すわけにいかなくなってしまった。
     *
この後も岡先生の文章は続き、
このアンプがどのメーカーの、どのアンプなのかについて書かれている。
あえて書くまでもないのだが、このサンプル機はマークレビンソンのLNP2である。

最初にサンプルを取り寄せたインポーターはシュリロ貿易だった。

岡先生がバウエン・モジュール搭載の、このサンプル機のLNP2を自家用として導入されたことについては、
これまでも何度か書かれていたから知ってはいたけれど、
このときの事情を、ここまで書かれたことはなかった。

この岡先生の文章を読んで、まず感じたのは、
マーク・レヴィンソンの商売人として「顔」である。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その50)

「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」
 2年前、最初に日本を訪れたマーク・レヴィンソンに会った後の、N先生の感想がこれだった。N氏は精神科の権威で、オーディオの愛好家でもある。
 じっさい、初めて来日したころのレヴィンソンは、細ぶちの眼鏡の奥のいかにも神経質そうな瞳で、こちらの何気ない質問にも一言一言注意深く言葉を探しながら少しどもって答える態度が、どこかおどおどした感じを与える、アメリカ人にしては小柄のやせた男だった。
     *
ステレオ誌の別冊「あなたのステレオ設計 ’77」に掲載された、
瀬川先生の「アンプの名器はイニシャルMで始まる」は、この書出しからはじまっている。

1981年、ステレオサウンドの別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」に巻頭に載っている、
「いま、いい音のアンプがほしい」のなかでも、このことについて書かれている。
     *
そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。その彼は若く、当時はとても純粋だった(近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが)。レヴィンソンが、初めて来日した折に彼に会ったM氏という精神科の医師が、このままで行くと彼は発狂しかねない人間だ、と私に語ったことが印象に残っている。たしかにその当時のレヴィンソンは、音に狂い、アンプ作りに狂い、そうした狂気に近い鋭敏な感覚のみが嗅ぎ分け、聴き分け、そして仕上げたという感じが、LNP2からも聴きとれた。そういう感じがまた私には魅力として聴こえたのにちがいない。
     *
精神科の医師が、N氏なのかM氏なのか、
どちらかが誤植なのだろうが、マーク・レヴィンソンは発狂しなかったし、
だから自殺もしなかった。

仮にそうなっていたら、彼は「伝説」になっていたかもしれない。
マーク・レヴィンソン、その人について語るときに、
「伝説の」とつける人が、いる。
「伝説」の定義が、ずいぶん人によって違うんだなぁ、と思う……。

とにかくマーク・レヴィンソンは、いまも健在である。
それは発狂しなかった、からであろう。

なぜ、レヴィンソンは発狂しなかったのか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その49)

マーク・レヴィンソンがトム・コランジェロと肩をくんでいる写真がある。
レヴィンソンがチェロを興したときの写真であり、
ステレオサウンド 74号のレヴィンソンのインタヴュー記事の中でも使われている。

この写真が、マーク・レヴィンソンとトム・コランジェロの関係をよく表していて、
その関係性があっての、ML3、ML7以降のマークレビンソンのアンプの音である、と私は思っている。

こういうふうに肩をくめる相手との協同作業によって生れてくるアンプが出す音と、
絶対にそういう関係にはならないであろうふたりによって生み出されたアンプが出す音とは、
はっきりと違うものになってくるはずである。

ジョン・カールにインタヴューしたときの、
彼の話しぶりからすると、マーク・レヴィンソンに対する彼の感情は、
コランジェロのように、レヴィンソンと親しく肩をくめる関係にはないことは伝わってきた。

MC型カートリッジのヘッドアンプJC1以外、
マークレビンソンのアンプの型番から”JC”を消してしまったレヴィンソンもまた、
ジョン・カールに対しては、コランジェロに対する感情とはそうとうに違っているように思える。

そういうふたりの関係が、初期のマークレビンソンのアンプの音に息づいている。
だからこそ、私は、この時代のマークレビンソンのアンプの音に、いま惹かれる。

アンプそのものの性能(物理特性だけでなく音質を含めての意味)では、
初期のマークレビンソンのアンプが、当時どれだけ高性能であったとしても、
いまではもう高性能とは呼べない面も見えてしまっている。

それでも、なおこの時代のマークレビンソンの音に魅了されているのは私だけではなく、
世の中には少なくない人たちが魅了されている。

この時代のマークレビンソンのアンプとは、
マーク・レヴィンソンとジョン・カールという、決して混じわることのない血から生れてきた、
と、いまの私はそう捉えている。

つまり、ふたつ(ふたり)の”strange blood”が互いを挑発し合った結果ゆえの音、
もっといえばマーク・レヴィンソンの才能がジョン・カールという才能に挑発されて生れてきた音、
だからこそ、過剰さ・過敏さ・過激さ、といったものを感じることができる。

私は、いまそう解釈している。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その48)

マークレビンソンのアンプについては、3つに分けられると考えている。
ひとつめは、ジョン・カールとマーク・レヴィンソンによる時代。
その前にバウエン製モジュールを搭載したLNP2の存在があるけれど、
その時期は非常に短いし、バウエン製モジュールのLNP2の数は少ない。
なので、ここでは除外することにする。
アンプの型番でいえば、JC1、JC2、LNP2、それにML2などが、これにあたる。

ふたつめはトム・コランジェロとマーク・レヴィンソンによる時代。
アンプでいえばパワーアンプのML3、ML7、ML6A(B)などがそうだ。

それからマーク・レヴィンソンが離れたあとのマーク・グレイジャー体制になってからの時代。
アンプの型番からマーク・レヴィンソンのイニシャルであった”ML”が消え、No.シリーズになってから。
もっともこの時代も、また分けることはできるのだが、
この項では”Mark Levinson”というブランドは、
マーク・レヴィンソンという男がいたブランドとして会社についてのものであるから、
No.シリーズになってからのことについては、ここではとりあげない。

今後、No.シリーズについて書くことがあったとしても、
この項ではなく、新たな項で、ということになると思う。

どの時代のマークレビンソンのアンプの音が印象に深く残っているかは、
世代によっても違うし、同世代でも人が違えば違ってくる。
私にとってのマークレビンソン・ブランドのアンプといえば、
私がこれまで書いてきたものをお読みいただいた方はもうおわかりのように、
ジョン・カールと組んでいた時代のマークレビンソン・ブランドのアンプこそが、
私にとっての”Mark Levinson”である。

なぜ、私にとって、この時代のアンプが、
最初に音を聴いた時から30年以上が経っているにも関わらず、
いまでも、その魅力から完全に抜け出せないのか──、
その理由を考えてきている。

私は一時期、もうMark Levinsonのアンプはいいや、という時期があったにも関わらず、
再びMark Levinsonに惹かれ、離れることができずにいるのは、
“strange blood”を感じとっているからなのかもしれない。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その47)

LNP2のブロックダイアグラムを見ればすぐにわかることだが、REC OUTをパワーアンプの入力に接続しても、
VUメーターの両脇にあるINPUT LEVELのツマミによってボリュウム操作はできる。
こうすることによって3バンドのトーンコントロール機能をもつ最終段のモジュールをパスできる。
モジュールだけでなくOUTPUT LEVELのポテンショメーターや接点もパスできる。

中学生のころ、こうした使い方のほうが、
ボリュウム操作のため左右チャンネルで独立しているINPUT LEVELを動かす面倒はあるものの、
音の透明感ということでいえば、この使い方がいいはず、と短絡的にもそう思ったことがある。

短絡的、とあえて書いたのは、こういう使い方、そしてこういう使い方をされている方を否定するためではない。
あくまでも私にとってのLNP2というコントロールアンプの存在、
つまり、それは瀬川先生の存在と決して切り離すことのできないモノである、
ということを忘れてしまっていた己に対しての、短絡的という意味である。

まあ、それでも、したり顔で「LNP2はこうやって使った方が音が圧倒的にいい」などと面と向っていわれると、
「あなたにLNP2の魅力の何がわかっているのか」と、口にこそ出さないものの、そう思ってしまう。
そんなことをいう人と私が感じているLNP2の良さとは、実はまったく違うのかしれない。

こんなことを書いても、信号経路は単純化した方が絶対いい、と主張する人にとって、
LNP2にバッファーアンプを搭載することは、わざわざ余分なお金を費やして音を悪くしてしまうことでしかない。

理屈は、確かにそうだ。でも理屈はあくまでも理屈である。
音の世界において、理屈は時として実際に出てくる音の前では意味をなさなくなることもある。
それに理由付けなんて、後からいくらでもできるものだ。

理屈は、あくまでも、いま現在判明していることを説明しているにすぎない。
まだまだオーディオには判明していないことが無数にある。

だから、短絡的、と私は言う。
それに、そういう使い方をするのであれば、LNP2でなくて、他のアンプにした方がいい。

LNP2にあえてバッファーアンプを搭載することは、どうことなのだろうか。
過剰さ・過敏さ・過激さを研ぎ澄ますことであり、
そして、この3つの要素こそ、ジョン・カールと組んでいたマーク・レヴィンソンの「音」だと思う。

Mark Levinsonというブランドの特異性(40周年のこと)

マークレビンソンが設立されたのは1972年。
ただし、まだLNP2は世の中に顕れていない。
LNP2の前身となるLNP1の登場が1973年。
このLNP1のパネル高を約半分に抑え、コントロールアンプとして手直しが為されたものがLNP2である。

このときのLNP2に搭載されていたのはバウエン製モジュール、
翌74年からマークレビンソン自社製のモジュールへと変更され、
日本ではバウエン製モジュールLNP2をサンプル輸入したシュリロ貿易から、
輸入元がRFエンタープライゼスに変り、本格的な日本での発売が開始になった。

だから日本ではマークレビンソンの登場は1974年ともいえるわけではあっても、
やはり今年はマークレビンソン創立40周年。
マークレビンソンからは40周年記念モデルが発表されている。

こういう40周年記念モデルについては何も語らないけれど、
40周年記念ということで、ひとつ、もしかすると、と期待していたことがあった。
LNP2の復活、もしくはモジュールの新規開発である。

LNP2は最後の生産されたものでも約30年が経過している。
モジュールの内部は固められていて修理は難しい。
故障していなくても劣化は生じる。
代替モジュールがあるのは知っているけれど、心情的にはやはりマークレビンソンから出して欲しい。
昔のモジュールそのままでは使用パーツが現在では入手出来ないものもあるだろうし、
いま40年前のアンプ・モジュールを復刻することに、
マークレビンソンという会社のポリシーとしては抵抗があるはず。

ならばこそ新規にLNP2用のモジュールを開発・製造してほしい、と思う。
モジュールを最新設計のものにしたからといって、LNP2が最新のコントロールアンプになるわけではないけれど、
それでもLNP2という特異なコントロールアンプを、現代に甦らせたい気持がある。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その46・さらに補足)

もともと人間という動物は、最少限度の、自分の考えに共鳴してくれる仲間を求め、集団を作る。それはいわば相手の中に自己の類型を発見する、つまり自己の存在を確認するひとつの手段なので、こうした手段の得られない完全な孤立の状態には耐えることができない。この状態は、もっと複雑な社会の中では、特に、過渡期といわれる時期に目だってあらわれる。物ごとのゆれ動いている過渡期の状態では、人は方向を見失う、すなわち孤立するという怖れにつきまとわれる。それは何か確定したひとつの形式を求める気持、あるいは画一性の必要悪となって現われる。その形式に従っているかぎり自分は方向を見失わないのだ、という安心感。周囲のどこを見回しても、他人が自分と同じ形式に従って行動しているという安定感。つまり類型の発見が、自己の存在を確認するための確かな安心感となってあらわれるので、これは日常のことばづかい、行動、服装の流行などに端的にあらわれている。
いまこれと逆に、周囲の誰もが自分と違った形で行動している、というようなことが起きると、彼はひどく不安になり、孤立感が彼を苦しめる。孤立の怖れの強い人ほどそれを打消したいという意識も当然強く、孤立感の裏がえしの行動としての自己拡大欲、征服意識が強く、それが他人への積極的なはたらきかけ、あるいは命令となってあらわれる。自己と他との間に存在するギャップを埋めようとする意識のあらわれである。つまり〈弱い犬ほどよく吠える〉ということである。
     *
上記の文章は、11月7日に公開した瀬川先生の「本」のなかにもおさめたからお読みになった方もおられるだろう。
ラジオ技術、1961年1月号に掲載された「私のリスニングルーム」のなかで書かれている。
瀬川先生、25歳の時の文章。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その46・補足)

瀬川先生は趣味をどういうふうに捉えられていたのか。

スイングジャーナルの1972年1月号の座談会のなかで語られている。
     *
人との関係なくして生きられないけれども、しかしまた、同時に常に他人と一緒では生きられない。ここに趣味の世界が位置しているんだ。逃避ではない自分をみつめるための時間。趣味を逃避にするのは一番堕落させる悪い方向だと思う。
     *
こんなことを語られている。
     *
仲間達と聴く。そのときはいい音に聴こえる。しかし、それは趣味そのものではなくて、趣味の周辺だと思うのです。趣味の世界は常に孤独なのです。
     *
1972年の1月号ということは前年の12月に出ているわけだから、この座談会は、亡くなられる10年前になる。
だから、それからさきに、この考えを改められたのか、ずっと変らずだったのか。どちらだったのだろうか。
私のなかでは、答は出ている。

瀬川先生の書かれたものを読んで、ひとりひとりが自分の答を出していくものだろう。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その46)

レコードの音は、徹底的に嘘であるところが好きだ。虚構だから好きだ。日常的でないから好きだ。そしてそれを鳴らすメカニズムには、レコードの虚構性、非日常性をさらに助ける雰囲気があるから好きだ。
一人の人間を幸せにする嘘は、人を不幸にする真実よりも尊い。「百の真実にまさるたったひとつの美しい嘘」というのは私の好きな言葉で、これを私は、レコードの演奏やそれを鳴らすメカニズムやそこから出てくる音にあてはめてみる。レコードの音は、ほんらい生とは違う。どこまで行ってもこの事実は変わらない。オーディオの技術がこの先どこまで進んだとしても、そしていまよりもっと生々しい音がスピーカーから出せるようになったとしても、ナマとレコードは別ものというこの事実は変わらない。
だからナマと同じ音など求めるのはバカげている、という考え方がある。どこまでナマに近づけるかという追及などナンセンスじゃないか、という意見がある。一面もっともだが、私は違う。たとえば小説が虚構の中で現実以上の真実をみせてくれるように、映画が虚構の中で実生活以上の現実感を味わわせてくれるように、私は、スピーカーが鳴らす虚構の音にナマ以上の現実感を求める。生の音と同じ、ではない、いわば生以上の生、を求めるのである。虚構の世界のこれは最も重要な機能である。虚構は日常性を断ち切ることによって、虚構にいよいよ徹することによって、真実を語ることができる。(「人世音盤模様」より)
     *
瀬川先生が、なぜLNP2の音に惹かれたのか、が、この文章につながっていっていると思う。
そして、もうひとつのなぜ──ここまで虚構世界に追い求められるのはなぜなのか。
その答はここにあるのではなかろうか。
     *
なぜ、趣味が人を純粋にさせるのか。それは、趣味というものは実生活のあらゆる束縛から解き放たれた虚構の世界のものであるからだ。虚構の世界では、人は完全に自由である。実生活上の利害とも無縁だ。これを買ったらトクかソンかなんていう概念は、趣味の世界にありえないコトバなのだ。外から強制されるものではなく、自らが自らのルールを(虚構の中で)定め、虚構世界の束縛の中に、束縛による緊張の世界に、自発的に参加する。そこに無限の飛躍と喜びがある。これはある意味で子供たちの遊びの世界に似ている。子供たちは遊びの世界で——というより遊びこそが子供たちの全宇宙と言うべきなのだが——、石ころや木の葉をさえすばらしい宝ものに変えてしまう。子供たちは魔法つかいだ。(「続・虚構世界の狩人」より)
     *
私がなぜ、そう感じたのか、その理由については、まだ書きたくないし、書くべきでもないよう気がする。
だからあえて舌足らずのままにしておくことをお許し願いたいが、それでもひとつだけ書いておく。
「子供」──、このことばこそ、ここでは、とても大事な意味を持っているはずだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その45)

この項(その32)に、瀬川先生のKEFの105の試聴記を引用している。
そこに「組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のようにツヤや味つけをしてやらないと、
おもしろみに欠ける傾向がある。」と書かれている。
このことは、瀬川先生がマークレビンソンのアンプ(このときはML7はまだ登場していない)の音を、
どう感じておられたかがわかる。

もしこのとき、LNP2やJC2(ML1)、ML2などがとっくに製造中止になっていて、ML7とML3だけになっていたら、
こんなことは書かれなかったと思う。
ステレオサウンドの1981年夏の別冊の巻頭原稿「いま,いい音のアンプがほしい」に、どう書かれているか。
     *
その当時のレヴィンソンは、音に狂い、アンプ作りに狂い、そうした狂気に近い鋭敏な感覚のみが嗅ぎ分け、聴き分け、そして仕上げたという感じが、LNP2からも聴きとれた。そういう感じがまた私には魅力として聴こえたのにちがいない。
そうであっても、若い鋭敏な聴感の作り出す音には、人生の深みや豊かさがもう一歩欠けている。その後のレヴィンソンのアンプの足跡を聴けばわかることだが、彼は結局発狂せずに、むしろ歳を重ねてやや練達の経営者の才能をあらわしはじめたようで、その意味でレヴィンソンのアンプの音には、狂気すれすれのきわどい音が影をひそめ、代って、ML7Lに代表されるような、欠落感のない、いわば物理特性完璧型の音に近づきはじめた。かつてのマランツの音を今日的に再現しはじめたのがレヴィンソンの意図の一端であってみれば、それは当然の帰結なのかもしれないが、しかし一方、私のように、どこか一歩踏み外しかけた微妙なバランスポイントに魅力を感じとるタイプの人間にとってみれば、全き完成に近づくことは、聴き手として安心できる反面、ゾクゾク、ワクワクするような魅力の薄れることが、何となくものたりない。いや、ゾクゾク、ワクワクは、録音の側の、ひいては音楽の演奏の側の問題で、それを、可及的に忠実に録音・再生できさえすれば、ワクワクは蘇る筈だ──という理屈はたしかにある。そうである筈だ、と自分に言い聞かせてみてもなお、しかし私はアンプに限らず、オーディオ機器の鳴らす音のどこか一ヵ所に、その製品でなくては聴けない魅力ないしは昂奮を、感じとりたいのだ。
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「その当時のレヴィンソン」とは、ジョン・カールと組んでいた頃のマーク・レヴィンソンだ。