Archive for 4月, 2016

Date: 4月 30th, 2016
Cate: オプティマムレンジ

オプティマムレンジ考(その10)

オプティマムレンジはなにも周波数レンジのことだけではない。
ダイナミックレンジに関しても、オプティマムレンジはあるのではないだろうか。

ハイレゾリューションはサンプリング周波数を上げ、ビット数も増やしていく。
周波数特性はのび、ダイナミックレンジも広くなる。
何も問題が発生しなければけっこうなことなのだろうか。

カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」が出た時のことを思い出す。
LPで買った。
このレコードは、やややっかいともいえた。
弱音で音量を設定すると、フォルティシモではかなりの音量となる。
いわゆるダイナミックレンジの広い録音ということになるわけだが、
そのことを手放しで喜べるかというと、そうとは思えなかった。

家庭でレコードで音楽を聴くことは、
いい音を求める(出す)ための技術の進歩と比例して喜びが増していくものだろうか。

クライバーの「トリスタンとイゾルデ」には、その疑問を持っていた。
そのことを黒田先生に話したことがある。
黒田先生も同意見だった。

黒田先生のリスニングルームは、当時の私のリスニングルームよりもずっとめぐまれた環境だった。
音量だって周囲を気にすることなく出せたであろう。
それでも黒田先生も同じように感じられていた。

この問題はクライバーの「トリスタンとイゾルデ」以前からあった。
朝日新聞社がオーディオブームだったころに、
LPジャケットサイズのムック「世界のステレオ」を出していた。

そのNo.3に「カラヤンが振ったベートーヴェンの音と音楽」という対談がある。
黒田先生と瀬川先生が、レコードのダイナミックレンジについて語られている。
     *
黒田 今度の『ベートーヴェン全集』に限って言うと、これは当然楽器編成そのものが古典派の楽器編成になっているわけで、ダイナミックスも「第9」になればすごく大きくなることは大きくなるわけですが、まだあそこまでは何とか部屋の中で聴けるのではないかという気がするんですがね。
瀬川 ええ、聴けます。
黒田 いま瀬川さんがおっしゃっている真意というのは、アバドのシカゴのマーラーですね。あれの終楽章で大太鼓が遠くのほうでゴロゴロいっていて、あとになってオルガンが入る、ソリストが入る、コーラスが入るという、ものすごいクライマックスにいきますでしょ。
 ぼくの家でやってみたんですけれど、あの大太鼓のドロドロいうのが入っているから聴きたいわけです。マーラーが書き残した音でレコードに入っている以上は聴き手としては聴くべきであると思って、そこまでアッテネーターを上げてきく。すると、最後のところになるととても聴けないんです。窓ガラスはビリビリいうし、茶わんはビリビリ、ものすごい音が出ちゃう。
 そこまでレコードに音が入るようになった。これはたいへんけっこうなことです。しかしその結果、家庭のワク、少なくとも日本家屋のワクをはるかに越えちゃった音が飛び出してくるということですね。
 そうすると、録音技術、再生技術、それに関するいろいろな器材の開発というのは、もしかするとわれわれはバベルの塔を築いていたことになるのか、バベルの塔を築くことをわれわれは憧れ、望んでいたのだろうかという気はぼくはするんですよ。
瀬川 ぼくが言いたかったのは実はそこでしてね。オーディオサイドから、レコードの録音の限界を拡大しろ、周波数レンジが狭い、ノイズが多い、歪みが大きい、とくにダイナミック・レンジが狭いとさんざん言い続けてきた。ということはつまりその裏返しが欲しかった。欲しかったけれども、ダイナミック・レンジをああ拡大されてみて、俟てよ、家庭で再生するような場合に、ダイナミック・レンジというのはここまで拡大していいのかしらというひとつ恐れが、ぼくには今、あるんです。
     *
この対談は1977年に行われている。
ハイレゾというバベルの塔は、このころのバベルの塔よりもずっとずっと高いものになろうとしている。

Date: 4月 29th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(余談・その1)

実際に同じ部品、同じ定数で、並列型と直列型ネットワークの音を聴き、
こうやってそのことについて書いていると、
あのスピーカーのネットワークを直列型にしたら……、となんてことを夢想している。

なにもすべてのユニット構成において直列型ネットワークが、
いい結果を得られるとは考えていない。
そのうえで、あのスピーカーだったら、どのように直列型にしていくのか。
そういった細かなことも夢想している。

たとえばJBLの4311。
このスピーカーはよく知られるように、
ネットワークの部品点数をこれ以上減らせないところまで省略している。

ウーファーはネットワーク・スルー、
スコーカーはコンデンサーだけのローカット、ハイカットは省略している。
トゥイーターもスコーカー同様、コンデンサーだけのローカット。

ネットワークの部品点数はコンデンサー二つとレベルコントロールだけである。

この4311のネットワークを並列型ではなく直列型にしたら、
どういう音がしてくるのか。

こんなことを夢想しているとけっこう楽しいものであるし、
4311は特に楽しい。

Date: 4月 29th, 2016
Cate: アクセサリー

アクセサリーは何に作用しているのか

オーディオ・アクセサリーには、いろいろな種類がある。
オーディオ・アクセサリーときいて、多くの人が思い浮べるケーブル類は、
信号がとおる経路だけに、直接的に音に影響を与えるアクセサリーである。

カートリッジをとりつけるヘッドシェル、スタビライザー、
インシュレーター、ラックなどの類は、信号系に直接関係してくるものではないが、
音は確かに変る。その意味では間接的に音に影響を与えるアクセサリーといえる。

それから音響パネルとよばれるアクセサリーがある。
上記のアクセサリーはオーディオ機器に関係していたモノに対し、
このアクセサリーはスピーカーから発せられた音に対して作用するアクセサリーである。

これら以外にもうひとつある、といえる。
具体的にあげれば超低周波発生機だ。

このアクセサリーに関しては、まったく効果がないという人と、
意外に効果的であるという人とがいる。

ケーブルでも音は変らないと唱える人は、
超低周波発生機などで音が変るわけがない、と一蹴するはずだ。

ケーブルだけでなくラックなどのアクセサリーで音は変るという認めている人でも、
この超低周波発生機に対しては懐疑的な人もいる。

実際に音は変化するのか。
試したことがないので、どうなのかはわからない。
ただ変るという人と変らないという人がいるということに着目すれば、
この種のアクセサリーは、人に作用するモノといえるのではないだろうか。

超低周波発生機は信号経路に挿入するわけではないし、
オーディオ機器と接しているアクセサリーでもない。
このアクセサリーを導入したからといって、部屋の音響特性が変化するわけでもない。

けれど音の受け手である人に対して作用するアクセサリーだと仮定したら、
人により変る変らないと意見が分かれることも説明がつく。

Date: 4月 28th, 2016
Cate: 基本

「基本」(スタートレック・スポックのセリフより)

2009年にJ.J.エイブラムス監督によるスタートレックが公開された。
それまでの10作制作された映画「スタートレック」の直接的続編ではなく、
いわゆるリブート版であるが、
カーク、スポックなどおなじみの人物が登場する(もちろん役者は違う)。

この2009年版スタートレックの終りの方で、
スポックがスポックに語るシーンがある。

なぜスポックがスポックに……、と思われるだろうが、
ネタバレになるので書かないでおく。

スポックがスポックにいう。
「論理を捨て正しいと感じることをしろ」と。

なるほどと感心させられるとともに、
この言葉に省略されているところがある、と思った。

スポックは地球人の母とバルカン人の父をもつ。
地球人とバルカン人のハーフである。
そしてスポックはバルカン星のアカデミーをトップの成績で卒業している。

バルカン人は感情をもたずにきわめて論理的である、という設定なのは、
スタートレックのファンならば誰しもが知っていること。

そういうスポックがスポックに言っている。
徹底的に論理を学んできたスポックに、徹底的に論理を学んできたスポックが言っているわけだ。

同じようなシーンを、日本の番組でも見ている。
NHKの連続ドラマの「あまちゃん」でも、そういうシーンがあった。

主人公の天野アキが映画の主役に選ばれる。
映画のクランクインまで、あらゆることを勉強させられる。
そしてクランクイン当日の朝、
共演者である大女優の鈴鹿ひろ美にいわれる。
「いままで勉強してきたこと、すべて忘れてしまいなさい」と。

論理を捨てろ、勉強してきたことを捨てろ、といわれたからといって、
何ひとつ学ばなくてもいい、ということではない。

徹底的に学んだうえで捨てろ、ということで、
スタートレックのスポックのセリフと「あまちゃん」の鈴鹿ひろ美のセリフは共通しているところがある。

Date: 4月 27th, 2016
Cate: オーディオマニア

どちらなのか(その3)

極道は獄道とも書く。
伊藤先生のステレオサウンドの連載は「獄道物語」だった。
「極道物語」ではなかった。

Date: 4月 27th, 2016
Cate: background...

background…(その8)

安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉は、
《ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう》と独白している。

音楽のよき利用者。
われわれオーディオマニアは、
オーディオ機器の試聴のためのディスクのことを試聴用ディスクと呼ぶ。

好んで聴くレコード(録音物)はすべて試聴用ディスクでもある、とはいえることだが、
それでも試聴用ディスクに向いているといえるディスクがあることは事実である。

ここで考えたいのは、試聴用ディスクの選び方のうまい人がいる。
このうまい人というのは、音楽のよき利用者なのかということだ。

「他人の顔」の主人公〈ぼく〉と同じ意味での「音楽のよき利用者」とはいえないところもあるが、
よき利用者であることに違いはない。

「他人の顔」の主人公〈ぼく〉は、「音楽のよき鑑賞者ではない」が、
試聴用ディスクを選ぶのがうまい人は、
「音楽のよき利用者」であるとともに「音楽のよき鑑賞者」でもあるといえるのだろうか。

Date: 4月 27th, 2016
Cate: よもやま

「兼子」という映画

兼子」という映画が、YouTubeで公開されている。

柳兼子。
この名前を知ったのは、いまから40年ほど前のステレオサウンドに載っていた広告だった。
オーディオラボの広告に、柳兼子の名前と写真を初めて見た。

オーディオラボのレコードはほとんどがジャズだった。
一部クラシックもあったけれど、それでも柳兼子氏のレコードは、少し異色に思えた。

機会があれば聴いてみたい、とは思っていたけれど、
それ以上積極的に聴こうとは思わず、ずっとそのままだった。

柳兼子氏がどういう人なのかを知ったのは、ずっと後だった。

「兼子」はレコードがかかっているシーンで始まる。
ここで映っているアナログプレーヤーは、すぐにどのモデルなのかわかるし、
柳兼子氏のレコードがオーディオラボから出ていたということは、
録音を手がけられたのは菅野先生であり、
最初に登場してくるアナログプレーヤーは、菅野先生所有のモノだとわかる。

「兼子」はドキュメンタリー映画である。
多くの人が登場する。

心ある人に観てもらいたい映画である。

Date: 4月 26th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その1)

SNS(Social Networking Service)は、
SES(Social Experiment System)のような気がしてきている。

SNS = SESだとすれば、
そこに参加する者は、実験する側でもあり、実験される側でもある。
意識していようがそうでなくても、だ。

だからSNSはこわい、とはいわない。
むしろ逆だ。

Date: 4月 26th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その8)

直列型ネットワークは、文字通りスピーカーユニットを直列に接続する。
つまり2ウェイのスピーカーの場合、
ウーファーとトゥイーターのどちらを上側にするのか、ということになる。

上側(アンプ出力のプラス側)にウーファー、下側にトゥイーターとするのか、
上側にトゥイーター、下側にウーファーとするのか。

もちろん、これもバイワイヤリングと同じように最終的には音を聴いた上で判断する。
でも、ここでもその音を聴くためにはまず音を出さなければ、何も始まらないわけで、
ウーファーかトゥイーターのどちらかを上にしなければならない。

何を優先するのかが問われる、ともいえる。
同時に、バイワイヤリング対応のシングルワイヤリングにおいて、
片側(プラス側)をウーファー、反対側(マイナス側)をトゥイーターといった、
たすき掛けのような接続方法をとる人、
いいかえれば何かを優先するということができない人にとっては、
直列型ネットワークは眼中にない回路となるであろう。

Date: 4月 26th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その9)

ステレオサウンド 72号掲載「エキサイティング・コンポーネントを徹底的に掘り下げる」を読まれた方、
記憶されている方は、GS1がどんなふうに開発されていったのかが写真からわかる。

GS1はオールホーン型という,1980年代では希少ともいえる構成を採用している。
そのため基本的にはエンクロージュアというものを必要としない。
ここが一般的なスピーカーの開発と大きく異っている点のひとつであり、
このことがGS1に最後まで残っている点でもある。

ステレオサウンド 72号で菅野先生が書かれているし、
73号でもそのことは座談会で指摘されている。
     *
柳沢 その実力という点で、ゴールデンサウンド賞には異論はないんですけれども、あえて言うならば、メーカーであのスピーカーを聴かせていただくときに、必ずサランネットをはずして聴かせるんですよね。
「ネットをつけて聴かせてくれ」って言ったら、「嫌です」と言うわけです。「なぜ」と言ったら、「ネットをつけると極端に特性が落ちるんで、お聴かせしたくない」と。
 それは、あのスピーカー全体でやろうとしている考え方に二面性みたいなものがあって、特性的、音質的によりピュアなものを追求したいということと、それから妙にウッドを使って、インテリア風デザインも美しくしたいという、その変に矛盾があって、それはぼくは製品としては、もう一つ完成しきれてないところではないかと思うんです。
 少なくとも あの低音ホーンの恰好でむき出しにして使うというのは、相当、異様なスピーカーと受けとれるんですよね。その辺はもう一歩まとまりを良くして欲しいところなんです。
     *
この柳沢氏の指摘を、井上先生が表現をかえて発言されている。
それも引用しておく。
     *
井上 柳沢さんの言ったことの裏返しなんですが、もともと、ホーンだけの裸の恰好が最初のスタートで、それにジャケットをはめて製品化しようとしたプロセスに問題があるのだと思う。だから、商品にするのは、もともと難しいものなんですよ。シンプルな恰好から始めたわけですから。そこのつらさだと思います。
     *
GS1はウーファー用とトゥイーター用のふたつのブロックからなる。
トゥイーター用ブロックの上にはガラス板がある。
エンクロージュアの天板にあたるところがガラス板というわけだ。

このガラス板は簡単に取り外せる。
このガラスがなくなるとトゥイーターホーンの外側が見えるわけで、
見た目の印象はあまりよくない。
けれど音を出してみると、たったガラス板一枚を取り除いただけなのに……、といいたくなるほどの変化がある。
もちろんいい方向への変化であり、
この音の変化は井上先生の発言を裏付けている、ともいえる。

Date: 4月 25th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その8)

オンキョーはGS1を鳴らすためのパワーアンプとして、GrandIntegra M510を開発した、といっていい。
ただGrandIntegra M510とペアとなるコントロールアンプは出なかった。

オンキョーの型番のつけ方からすると、GrandIntegra P310がそうなる。
GrandIntegra P310を出さなかったからといって、
オンキョーという会社がGS1というスピーカーの扱いを冷遇していたとはいえない。

広告に関しても、あれだけの予算を割いている。
開発費に関してもそうだといえる。

ステレオサウンド創刊20周年別冊「魅力のオーディオブランド101」で、
オンキョーの取締役社長である五代武氏が語られている。
     *
柳沢 GS1をつくられましたけど、あれはオンキョーが燃えたのか、五代さんが燃えたのか。
五代 あれは、私が、断固継続させたのです。GS1研究には経費がかかりましたし、社内ではいろいろ言っていたようです。私は断固、GS1の研究開発予算は削るな、ということを言いました。私はGS1で、全体のレベルをもう一段あげようと考えていたんです。あれは、私のわがまま。創業者だからできたんでしょう。
     *
「魅力のオーディオブランド101」では、菅野先生と柳沢氏がオンキョーの試聴室に出向かれている。
オンキョーの試聴室は二つ。

ひとつはGS1のための部屋であり、つまりは由井啓之氏の研究室である。
もうひとつはオンキョーの商品開発部の試聴室で、
こちらでは開発中のプロトタイプのScepter 5001を聴かれている。

このふたつの試聴機器のリストも載っていて、興味深い。
GS1の方は、アナログプレーヤーがマイクロのSZ1TVS+SZ1M、トーンアームが SMEの3012R Pro、
カートリッジはIkeda 9、コントロールアンプはアキュフェーズのC280、
パワーアンプはGrandIntegra M510、CDプレーヤーもオンキョーのIntegra C700。

Scepter 5001の方はすべてオンキョーの製品で揃えられている。
Integra C700、Integra P308、integra M508である。

試聴ディスクはGS1の方は試聴機器からもわかるようにアナログディスク中心であり、
Septer 5001はCDのみである。

同じ会社内のことであっても、ずいぶんと違う。
そういう違いを、当時のオンキョーは、許していたということになる。
《社内ではいろいろ言っていたようです》も、なんとなく伝わってくる。

オンキョーは、少なくとも外からみるかぎり、GS1の開発に力を抜くことなくやっていた、と感じた。
ステレオサウンドでの評価も高かったし、
ステレオサウンドの扱いも多かった。それは他のメーカーが羨ましく思うほど誌面に登場していた。

けれどGS1は、さほど売れなかった。
売れなかった理由は、日本での評価が低かったわけでもないし、
オンキョーのサポートが積極的でなかったわけでもない。

結局のところ、売れなかった理由はGS1そのものにあったし、
その聴かせ方にもあった、といえる。

だから、この項を書いているのだ。

Date: 4月 24th, 2016
Cate: オーディオマニア

どちらなのか(その2)

オーディオという趣味は、音楽に導かれている、といえる。
音楽の後につづいての行為と考えれば、
その行為が、極道なのか修道なのかが見えてくるのではないだろうか。

Date: 4月 23rd, 2016
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(性能の重複だったのか)

1980年代の中頃からの、598と呼ばれる国産スピーカーシステムは、
性能の重複化であったように捉えることができる。

Date: 4月 23rd, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その4)

アナログディスク全盛時代、カートリッジを複数個もつ人は特に珍しいことではなく、
オーディオマニアであればそれが当然のことでもあった。

私がオーディオにこれほどのめり込むきっかけとなった「五味オーディオ教室」には、こう書いてあった。
     *
 ある程度のメーカー品であれば、カートリッジひとつ替えてみたところでレコード鑑賞にさほど違いがあるわけはない、とウソぶく者が時おりいる。
 レコード音楽を鑑賞するのは本当はナマやさしいことではないので、名曲を自宅でたっぷり鑑賞しようとなんらかの再生装置を家庭に持ち込んだが最後、ハイ・フィデリティなる名のドロ沼に嵌まり込むのを一応、覚悟せねばならぬ。
 一朝一夕にこのドロ沼から這い出せるものでないし、ドロ沼に沈むのもまた奇妙に快感が伴うのだからまさに地獄だ。スピーカーを替えアンプを替え、しかも一度よいものと替えた限り、旧来のは無用の長物と化し、他人に遣るか物置にでもぶち込むより能がない。
 ある楽器の一つの音階がよりよくきこえるというだけで、吾人は狂喜し、満悦し、有頂天となってきた。そういう体験を経ずにレコードを語れる者は幸いなるかなだ。
 そもそも女房がおれば外に女を囲う必要はない、そういう不経済は性に合わぬと申せるご仁なら知らず、女房の有無にかかわりなく美女を見初めれば食指の動くのが男心である。十ヘルツから三万ヘルツまでゆがみなく鳴るカートリッジが発売されたと聞けば、少々、無理をしてでも、やっぱり一度は使ってみたい。オーディオの専門書でみると、ピアノのもっとも高い音で四千ヘルツ、これに倍音が伴うが、それでも一万五千ヘルツぐらいまでだろう。楽器でもっとも高音を出すのはピッコロやヴァイオリンではなく、じつはこのピアノなので、ピッコロやオーボエ、ヴァイオリンの場合はただ倍音が二万四千ヘルツくらいまでのびる。
 一番高い鍵を敲かねばならぬピアノ曲が果たして幾つあるだろう。そこばかり敲いている曲でも一万五千ヘルツのレンジがあれば鑑賞するには十分なわけで、かつ、人間の耳というのがせいぜい一万四、五千ヘルツ程度の音しか聴きとれないとなれば、三万ヘルツまでフラットに鳴る部分品がどうして必要か——と、したり顔に反駁した男がいたが、なにごとも理論的に割切れると思い込む一人である。
 世の中には男と女しかいない、その男と女が寝室でやることはしょせんきまっているのだから、汝は相手が女でさえあれば誰でもよいのか? そう私は言ってやった。女も畢竟楽器の一つという譬え通り、扱い方によってさまざまなネ色を出す。その微妙なネ色の違いを引き出したくてつぎつぎと別な女性を男は求める。同じことだ。たしかに四千ヘルツのピアノの音がAのカートリッジとBのとでは違うのだから、どうしようもない。
     *
この文章についていた見出しは「よい部品を求めるのは、女体遍歴に通ず」だった。
「なにごとも理論的に割切れると思い込む」人は、
カートリッジを複数個もつことは、無駄なことでしかなかったはず。
いまならカートリッジはヘッドフォン、イヤフォンに置き換えることができる。

カートリッジにしても、ヘッドフォン、イヤフォンも場所はそれほどとらない。
これがアンプ、さらにはスピーカーシステムとなると、場所もとる。
それでもアンプもスピーカーも複数所有している人はいるし、
所有したいと思っている人はもっと多いだろう。

オーディオに関心のない人からすれば、いいモノをひとつ選んで他は処分すればいいのに……、となる。
確かにアンプにしてもスピーカーにしても複数所有することは機能の重複である。
そんなことはオーディオマニアはわかっている。

それでも複数所有するのは、性能の重複ではないからだ。
重複するのは何なのか。
ここのところを、はっきりと家族に理解してもらうのは大事なことだ。

Date: 4月 22nd, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その7)

バイワイヤリング対応のスピーカーシステムを一組のスピーカーケーブルで鳴らす場合、
どう結線するか。

下側のスピーカー端子(ウーファー用)にケーブルを接ぎ、
上の帯域の端子へはジャンパー線を介すか、
スピーカーケーブルの末端を通常よりも長く剥き、
ジャンパー線の代りも果すようにすることもできる。

これとは反対にスピーカーケーブルを上の帯域側の端子に接ぎ、
ウーファーへはジャンパーという方法がある。

おおまかにはこのふたつだが、
変則的なやり方として、
スピーカーケーブルのプラス側を上の帯域に、
マイナス側をウーファー側に(もしくはその反対)という接続もある。

音を聴いた上で、どの方法がいいのかは判断するわけだが、
その音を出すにはまず接続しなければならない。

上の四つのどれかの方法でスピーカーケーブルを接がないことには、
肝心の音がスピーカーから鳴ってこないのだから。

ここでどれで接ぐのか。
すこし大げさにいえば、その人の音の聴き方の一面がうかがえる。
トゥイーター側(上の帯域側)に接ぐ人もいれば、
片方をトゥイーター、もう片方をウーファーという、
私にいわせればどっちつかずのやり方の人もいるし、
ためらうことなくウーファー側に接ぐ人もいる。

何を優先しての結線なのか。
同じことは、実は直列型のネットワークでも問われる。