オプティマムレンジ考(その10)
オプティマムレンジはなにも周波数レンジのことだけではない。
ダイナミックレンジに関しても、オプティマムレンジはあるのではないだろうか。
ハイレゾリューションはサンプリング周波数を上げ、ビット数も増やしていく。
周波数特性はのび、ダイナミックレンジも広くなる。
何も問題が発生しなければけっこうなことなのだろうか。
カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」が出た時のことを思い出す。
LPで買った。
このレコードは、やややっかいともいえた。
弱音で音量を設定すると、フォルティシモではかなりの音量となる。
いわゆるダイナミックレンジの広い録音ということになるわけだが、
そのことを手放しで喜べるかというと、そうとは思えなかった。
家庭でレコードで音楽を聴くことは、
いい音を求める(出す)ための技術の進歩と比例して喜びが増していくものだろうか。
クライバーの「トリスタンとイゾルデ」には、その疑問を持っていた。
そのことを黒田先生に話したことがある。
黒田先生も同意見だった。
黒田先生のリスニングルームは、当時の私のリスニングルームよりもずっとめぐまれた環境だった。
音量だって周囲を気にすることなく出せたであろう。
それでも黒田先生も同じように感じられていた。
この問題はクライバーの「トリスタンとイゾルデ」以前からあった。
朝日新聞社がオーディオブームだったころに、
LPジャケットサイズのムック「世界のステレオ」を出していた。
そのNo.3に「カラヤンが振ったベートーヴェンの音と音楽」という対談がある。
黒田先生と瀬川先生が、レコードのダイナミックレンジについて語られている。
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黒田 今度の『ベートーヴェン全集』に限って言うと、これは当然楽器編成そのものが古典派の楽器編成になっているわけで、ダイナミックスも「第9」になればすごく大きくなることは大きくなるわけですが、まだあそこまでは何とか部屋の中で聴けるのではないかという気がするんですがね。
瀬川 ええ、聴けます。
黒田 いま瀬川さんがおっしゃっている真意というのは、アバドのシカゴのマーラーですね。あれの終楽章で大太鼓が遠くのほうでゴロゴロいっていて、あとになってオルガンが入る、ソリストが入る、コーラスが入るという、ものすごいクライマックスにいきますでしょ。
ぼくの家でやってみたんですけれど、あの大太鼓のドロドロいうのが入っているから聴きたいわけです。マーラーが書き残した音でレコードに入っている以上は聴き手としては聴くべきであると思って、そこまでアッテネーターを上げてきく。すると、最後のところになるととても聴けないんです。窓ガラスはビリビリいうし、茶わんはビリビリ、ものすごい音が出ちゃう。
そこまでレコードに音が入るようになった。これはたいへんけっこうなことです。しかしその結果、家庭のワク、少なくとも日本家屋のワクをはるかに越えちゃった音が飛び出してくるということですね。
そうすると、録音技術、再生技術、それに関するいろいろな器材の開発というのは、もしかするとわれわれはバベルの塔を築いていたことになるのか、バベルの塔を築くことをわれわれは憧れ、望んでいたのだろうかという気はぼくはするんですよ。
瀬川 ぼくが言いたかったのは実はそこでしてね。オーディオサイドから、レコードの録音の限界を拡大しろ、周波数レンジが狭い、ノイズが多い、歪みが大きい、とくにダイナミック・レンジが狭いとさんざん言い続けてきた。ということはつまりその裏返しが欲しかった。欲しかったけれども、ダイナミック・レンジをああ拡大されてみて、俟てよ、家庭で再生するような場合に、ダイナミック・レンジというのはここまで拡大していいのかしらというひとつ恐れが、ぼくには今、あるんです。
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この対談は1977年に行われている。
ハイレゾというバベルの塔は、このころのバベルの塔よりもずっとずっと高いものになろうとしている。