Archive for category High Resolution

Date: 11月 27th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その5)

アルゲリッチの“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を、MQAで聴きたい、と、
(その1)で書いた。

MQA-CDは出ていない。e-onkyoでも配信されていない。
半ば諦めていたら、TIDALにある。

44.1kHzではあるが、MQAである。
やっぱりMQAはいいな、と思う。

音の粒立ちがいい。
CDと比較試聴するまでもなく、TIDALのMQAのほうがみずみずしい。

(その2)で、音がよくて、1965年の録音とは思えなかった、と書いてしまったが、
MQAだと、その感はさらに強くなる。

このアルゲリッチのショパンを聴いていると、
audio wednesdayで、コーネッタで少し大きめの音量で鳴らしてみたい、と思うようになってきている。
私の部屋では、ちょっと無理な音量で、喫茶茶会記で鳴らしたいし、
その音、その演奏を、ぜひ聴いてほしい、と思うのだが、
その機会が訪れるのかどうかは、いまのところなんともいえない。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その5)

カルロ・マリア・ジュリーニとシカゴ交響楽団によるマーラーの第九。
e-onkyoには、flacの192kHz、24ビットが以前からあった。

ドイツグラモフォンからは、MQAの配信がけっこうある。
いつかはジュリーニのマーラーもMQAの192kHzでの配信が始まるのだろう、と待っていた。

今年10月になって、ジュリーニのマーラーが新たに配信になった。
MQAか、と期待したけれど、DSF 2.8MHzが加わっただけだった。

これも嬉しいことと思っているが、なぜMQAにしないのか。
早く出してほしい、と思う気持は強くなるだけ。

それがTIDALにはある。
192kHz、24ビットのMQAで配信されている。
もうこれだけでTIDALに入ってよかった、と満足できるくらいにうれしい。

マーラーの九番でいえば、ワルター/ウィーンフィルハーモニーの、
あの古いライヴ録音もMQA(44.1kHz)である。

それにジャクリーヌ・デュ=プレに関しても、
e-onkyoでは未配信のタイトルだけでなく、MQAのアルバムがいくつもある。

個人的にかなり意外だったのは、
テレサ・ストラータスの「The Unknown Kurt Weill」がMQAであったことだ。
ノンサッチの初期のデジタル録音だから、期待薄だった。

44.1kHzであっても、MQAの音質的メリットはきちんとある。
MQAは決してハイサンプリングのためだけの技術ではない。
時間軸のボケをなくす技術だと捉えている私は、
44.1kHzのデジタル録音でも、できるだけMQAにしてほしい、と思っている。

だからこそストラータスのワイルのMQAは、ひじょうに嬉しい。

クラシックだけにかぎっても、他にもある。
まだまだすべてを眺めた、とはいえない段階で、けっこうあるな、と感じているところだ。

もちろん反対にTIDALにMQAはないけれど、e-onkyoにはある。
どちらかだけでいいわけではない。
TIDALとe-onkyo、両方あって、MQAでの好きな音楽が聴ける範囲が拡がりつつある。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その4)

待たされることでいえば、映画に関しては、
話題作はほとんど待たされることはなくなっている。
日米同時公開は、もう当り前になっている。

それでもひさしぶりに待たされたな、と感じたのが、
「ワンダーウーマン1984」である。

昨年12月公開予定が、11月に繰り上げになった。
喜んでいたら、延期になった。
コロナ禍のために、その後も延期になり、
10月公開が決定されたかのように思われたし、
映画雑誌もそれにあわせて「ワンダーウーマン1984」の特集を組んだり、
表紙にするなどしていた。

けれどそれらの映画雑誌が発売になるころに、12月に延期の発表。
その12月の公開すら、来年に延期になるのでは、というウワサが流れ始めていた。

今日やっと正式に年内に公開されることが決定。
しかもアメリカよりも日本やいくつかの国のほうが一週間早くの公開である。
12月18日である。

ひさびさに「待った」という感じを味わった。
ほんとうに昔は、よく待っていた。

クラシックの録音のニュースがレコード雑誌に載っても、
発売されるまではけっこうな時間がかかることが多かった。

クラシックでは、ニューイヤーコンサートが録音されてから、もっとも早くの発売だったが、
それでも以前は数ヵ月は待っていた。
いまや、そんなに待たない。
というか、昔の感覚だと待ったという気すらしないほどに早く発売になる。

待つことが当り前の時代をおくってきた者には、
待たないですむということが、ありがたいことでもあるし、うれしくもある。

けれど、そんな待たない時代が最初から当り前の世代には、
それが当り前のことでしかないのだろうか。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その3)

アナログディスク、CDといったパッケージメディア以外で、
音楽を聴くオーディオマニアを蔑視するオーディオマニアがいる。

多いのか少ないのかはわからないけれど、確実にいることは知っている。
そんな人とは、もう接することがなくなっているから、
いまさら確かめる気もないのだが、
そんな人だって、最初に音楽を聴き始めたのは、ラジオだった、という人がいるはずだ。

これは少なくないはずだ。
私と同世代、上の世代となると、ラジオが最初の音楽体験だった、という人はけっこういる。
そういう人でも、なぜかオーディオ歴がながくなると、
アナログディスク、CDといったパッケージメディア以外で音楽を聴く人を蔑視する。

アナログディスク、CDで聴くのが好きというのなら、いい。
けれど、配信で音楽を聴く人を、なぜ蔑視するのだろうか。

TIDALにアクセスすると、ものすごい数のアルバムが表示される。
検索機能があるから、好きな演奏家、音楽をさがすのは、そう大変なことではないが、
検索せずに表示されるアルバムを眺めていると、
中高生のころ、FM誌の番組欄をマーカーをもって丹念にみていたことを思い出した。

といっても、そのころ住んでいた熊本ではFMはNHKしかなかった。
なので、それほど大変なことでもなかったのだが、
番組欄は、文字だけの情報しかない。

TIDALやe-onkyoなどではジャケット写真が、まず表示される。
もちろんカラーである。そのためずっとラクに感じる。

しかも、オッと感じた音楽を、すぐに聴ける。
放送日をじっと待つことはない。

若いころは待つのも楽しかったといえば、そうである。
あのころは映画に関しても、洋画の公開はけっこうまたされたものだった。

TIDALで聴いていると、そんなことも思い出す。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その2)

TIDALのアカウントは問題なく作れた。
それでもiPhoneにTIDALのアプリをインストールすることは、
日本からだとできないわけではないようだが、手間がかかる。

やろうかな、と思ってみたけれど、
iPhone 12 ProにAmarra Playというアプリをインストールしていたことを思い出した。
iPhone単体でMQA再生を行うに、いまのところ、このアプリぐらいである。

Amarra Playは無料で使えるが、MQA再生には課金(860円)が必要になる。
iPhone単体でのMQA再生、
iPhoneにイヤフォンを挿してMQA再生をしようとは、これまで思っていなかった。

なのでこれまで課金することなく、数回試用(他のアプリとの比較)しただけだった。
TIDALのアカウントを作ってから思い出した。
課金することで、MQA再生が可能になるだけでなく、
TIDAL、Qobuzのサービスも利用できるようになる。

なのでさっそく課金した。
Amarra PlayのMQAは、96kHzまでのコアデコードである。
それでも聴いてみれば、MQAの良さが伝わってくる。

MQA対応のポータブルD/Aコンバーターは、すでにある。
オーディオクエストのDragonflyがある。

興味がないわけではないが、それでもDragonflyを使うには、
Lightning-USBカメラアダプタが必要になる。
Lightning-USBカメラアダプタは持っているけれど、
これとDragonflyをもって外出するかといえば、私はしない。

イヤフォンだけ、つまりiPhone単体でMQA再生できるのであれば、それでいい。
Amarra Playはぴったりのアプリといえる。
しかもTIDALのサービスも使えるようになった。

iPhoneのイヤフォンの組合せで音を追求するのであれば、
オーディオクエストのDragonflyということになるだろうが、
私はいまのところiPhoneとイヤフォンだけの組合せで、いい。

聴いていると、じんわりとすごい時代になった、と実感できる。

Date: 11月 17th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その1)

MQAのエヴァンジェリストを名乗るのであれば、TIDALを無視できない。
TIDALについては、オーディオマニアならばどこかできいたりみたりしているだろうし、
すでに始めている人もいる。検索すれば、いくつもの記事が表示される。
説明はばっさり省く。

TIDALのサービスは、日本では始まっていない。
いつ始まるのかのアナウンスすらない。

「TIDAL 日本」で検索すれば、日本からでもサービスを利用する方法がわかる。
けれど、Windowsでのやり方のみである。

Macの場合、Apple IDとの関係で難しい、とある。
TIDALを使いたい、けれどWindowsは持っていない。

どうするか。
MacのBootCamp機能を使ってWindowsで起動するか。
それにはWindows OSを入手しなければならない。
もしくは格安のWindows機を購入してやるか。

あとはWindowsを使っている友人に頼むか。

けれど、Macだけでやれそうな気がした。
さっき試したら、すんなりできた。
あっけなかった。

もちろん、そのままだったTIDALに拒否される。
VPNを使うこと、それからSafariでユーザエージェント機能を使うことである。

どちらも無料でできる。
手間もかからない。拍子抜けするほどだった。

Date: 11月 3rd, 2020
Cate: High Resolution

廃盤ならぬ廃配信

ハイレゾリューション音源は、
私の場合、もっぱらe-onkyoでの購入が主である。

一ヵ月ほど前から気になっていたことがある。
配信においては、いわゆる廃盤はないものだ、と思っていた。

ところが、どうもそうではない。
ジャズで、いくつかのアルバムを購入しようと思って検索してみたら、ヒットしない。
記憶では、確かにあった。

なのに、いまは存在しない。
私の記憶違いなのか……、と思ったが、
今日、クラシックでも、それがあるのに気づいた。

しかも、それは私が昨年購入したアルバムだから、確かにあった。
なのに、いまはどんなに検索してもヒットしない。

グレン・グールドの「インヴェンションとシンフォニア」である。
flacで、176.4kHz、24ビットでの配信だった。
それが、e-onkyoのラインナップからは消えている。

moraは、どうなのか、と思ってみたら、
「インヴェンションとシンフォニア」はある。
けれど、44.1kHz、24ビットのみだった。

moraにも、以前は176.4kHz、24ビットであった。

とにかく配信には、廃配信がある、ということだ。

Date: 10月 28th, 2020
Cate: High Resolution

High Resolution to Higher Resolution(複雑化?・その2)

1982年10月に、CDとCDプレーヤーが登場した。
新しいプログラムソースの登場であった。

CDに興味を持った人もいれば、そうでなかった人もいる。
興味をもった人は、CDプレーヤーを買ってくれば、
それまでのシステムに導入できた。

デジタルだから、といって、小難しい設定に取り組む必要はなかった。
CDプレーヤーのライン出力を、
コントロールアンプ、プリメインアンプのライン入力に接続するだけで、
とにかくCDの音を聴くことができた。

その世代は、デジタルの導入の簡単さを実感したはずだ。
もちろんCDから、望む音を再生できるようになるには、
それだけですむわけがないのだが、それでも導入ということに関しては、
何も難しいことはなかった。

SACDが1999年に登場したときも、そのことに関しては同じだった。
SACD対応プレーヤーを買ってくれば、導入に関しては簡単だった。

いまハイレゾリューションがあたりまえのようになってきつつある。
そのための再生手段として、PCオーディオ、ネットワークオーディオなどについて、
オーディオ雑誌で記事が組まれている。

ハイレゾリューション再生も、いうまでもなくデジタルである。
けれど、CD、SACD登場のときのように、導入が簡単か、というと、
そうではないようだ、と感じている人はいる。

デジタルなのに……、というおもいがあるように感じている。
導入は簡単ですよ、という人もいるだろうが、
けっこう高いハードルと感じている人もいる。

それに選択肢が、いろいろありすぎる、と感じている人もいるはず。

私がMQAを高く評価し、MQAのエヴァンジェリストを自認するようになった理由は、
導入の簡単さが、まずあるからだ。

別項でメリディアンのULTRA DACを初めて聴いた時のことを書いている。
こんなに簡単に再生できるのか、と拍子抜けするほどであった。

Date: 9月 25th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その5)

MQA対応のアクティヴ型スピーカーは、クリプトンがいちはやくKS9 Multi+を出してきた。

このあとに、ほかのメーカーも続くだろう、と勝手に期待していたけれど、
なかなかMQA対応を謳ったアクティヴ型スピーカーは登場しなかった。
私が単に見落していただけなのかもしれないが。

なので、なぜ出てこないのか、と書く予定でいたところに、
KEFからLS50 Wireless IIが登場した。

パッシヴ型のLS50ととともに、II型になった大きな特徴は、
Metamaterial Absorption Technology(MAT)という消音技術の導入であって、゛
私はLS50 IIのほうにまず興味を持った。

聴いてみたい、と思った。
MATへの興味が強かったため、LS50 Wireless IIへの関心は薄かった。

KEFのサイトで、LS50IIのページは見たものの、
LS50 Wireless IIのページはさらっと流しただけだった。

翌日になって、LS50IIについて何か書こうかな、と思い、
再度KEFのサイトにアクセスして、LS50 WirelessがII型になって、
MATの導入だけでなく、MQA対応になったことを知った。

ようやく次が登場した。
メリディアンのULTRA DACを聴いたのが二年前の9月。
MQA対応のアクティヴ型スピーカーへの関心がわいてきたのは、昨年の秋ぐらいからだった。

なのでそれほど待っていたわけではないのだが、
期待しているモノだけに、ずいぶん待ったという感じがしている。

またしばらく待つことになるのか、
それとも意外に早く次が出てくるのか。

Date: 9月 1st, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その4)

聴きたい(買いたい)録音がすべて買えるほどの経済力を持っていない。
だから購入を迷うディスクと、ためらわないディスクがある

購入を迷うディスクだと、その時の懐事情に左右されもする。
厳しい時はガマンしよう、ということになる。
ほかにも聴きたい録音があるのだから、そちらを優先することになる。

それでも迷うディスクというのは、
私の場合はたいてい、あまりなじみのない音楽のことが多い。

気になっているんだけれども……、
最近は、そういう場合でも、MQAで出ていると、買おう、になってしまう。

つい最近も、それで買ってしまった。
シェールの「Dancing Queen」を、e-onkyoからMQAで買ってしまった。

「Dancing Queen」のアルバムタイトルからすぐにわかるように、
シェールがABBAの曲をカバーしている。

MQAといっても、44.1kHz、24ビットである。
スペック的には魅力は感じない。

MQAでなかったら、あとで買おう、といって、ずっとずっとそのままにしていたはずだ。
私にとって、MQAであることが、ポンと背中をおすような存在になっている。

そうやっていくことで、聴く音楽の領域が少しではあっても拡がっていく。
これはいいことなのだが、同時にオーディオ的には、もっと普及してほしい、と思うところがある。

それは、たとえばアクティヴ型スピーカーだったりする。
デジタル信号技術の進歩によって、
それ以前のアクティヴ型スピーカーと、現在のアクティヴ型スピーカーの性能は、
驚くほど向上している。

聴いてみたい、と思う製品も少なくない。
そのことはけっこうなことなのだが、
これらのアクティヴ型スピーカーにも、ほとんどの機種でデジタル入力がついている。

アクティヴ型スピーカーが、MQA対応にならないのか、ということだ。

Date: 8月 5th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴ける「A DAY IN THE LIFE」

「A DAY IN THE LIFE」。
ジャズ好きの人ならば、当然持っている一枚なのだろうが、
クラシックばかりを聴いてきた私は、「A DAY IN THE LIFE」のことは知ってはいても、
ついクラシックを優先しているうちに、ついつい後回しにしてしまっていた。

結局、「A DAY IN THE LIFE」のCDを買ったのは、2017年の春だった。

「A DAY IN THE LIFE」のことを知ったのは、
ステレオサウンド 16号にディレクター論の二回目、
菅野先生と岩崎先生による「クリード・テイラーを語る」である。

この中に「A DAY IN THE LIFE」のことが出てくる。
     *
岩崎 ちょっと恥ずかしいんですが、ぼくは少し前までは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴かないと一日が終わったという気がしなかったものです。それくらいこの人のレコードは好きなんですね。あのレコードを毎日毎日聴いていた。まるで麻薬、音楽の麻薬みたいなものですよ。あの企画は、時代の感覚を鮮明に盛りこんだ音というのは、まちがいなくクリード・テイラーの音だと思うのです。
     *
岩崎先生は、とうぜんのことだが、LPで聴かれていたわけだ。
私はCDである。

「A DAY IN THE LIFE」も、9月2日にMQA-CDで出る。

CDでしか聴いてこなかった。
一ヵ月後には、MQA-CDで聴ける。

岩崎先生が感じられていた「音楽の麻薬みたいなもの」を、
MQA-CDで聴くことで、私のなかでどう変っていくのかが楽しみである。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるコンドラシンの「シェエラザード」

9月2日に、ユニバーサルミュージックからクラシックが20タイトル、
MQA-CDで出る。これまでどおりUQHCDである。

この20タイトルのなかに、
キリル・コンドラシンとコンセルトヘボウ管弦楽団による「シェエラザード」が含まれている。

コンドラシンの「シェエラザード」は、
アルゲリッチとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲とのカップリングで、
SACDでも出ていて持っている。

そこにMQA-CDが登場することになる。
ユニバーサルミュージックのことだから、
DSDマスターを352.8kHz、24ビットに変換してのMQA-CDである。

コンドラシンの「シェエラザード」は、
瀬川先生が熊本のオーディオ店での定期的な試聴会に持ってこられたことがある。
その時の話しぶりは、とても気に入っておられたことが伝わってきた。

MQAで聴きたい録音はいくつもある。
すべての聴きたい録音がMQAで出てくるとは思っていない。

コンドラシンの「シェエラザード」もMQAで聴きたい、と思っていたけれど、
期待はほとんどしていなかっただけに、今回のMQA-CD化は嬉しい。

しかも9月2日は、9月のaudio wednesdayでもある。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その4)

別項「スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ」のテーマであり、
その17)で引用している中野英男氏の文章。

リンクをはってはいても、クリックして読んでくれる人はほんのわずかしかいないから、
またか、といわれても、もう一度引用しておく。
     *
 アルヘリッチのリサイタルは、今回の旅の収穫のひとつであった。しかし、彼女の音楽の個々なるものに、私はこれ以上立ち入ろうとは思わない。素人の演奏評など、彼女にとって、或いは読者にとって、どれだけの意味があろう。
 私が書きたいことはふたつある。その一は、彼女の演奏する「音楽」そのものに対する疑問、第二は、その音楽を再現するオーディオ機器に関しての感想である。私はアルヘリッチの演奏に驚倒はしたが感動はしなかった。バルトーク、ラヴェル、ショパン、シューマン、モーツァルト──全ての演奏に共通して欠落している高貴さ──。かつて、五味康祐氏が『芸術新潮』誌上に於て、彼女の演奏に気品が欠けている点を指摘されたことがあった。レコードで聴く限り、私は五味先生の意見に一〇〇%賛成ではなかったし、今でも、彼女のショパン・コンクール優勝記念演奏会に於けるライヴ・レコーディング──ショパンの〝ピアノ協奏曲第一番〟の演奏などは例外と称して差支えないのではないか、と思っている。だが、彼女の実演は残念ながら一刀斎先生の鋭い魂の感度を証明する結果に終った。あれだけのブームの中で、冷静に彼女の本質を見据え、臆すことなく正論を吐かれた五味先生の心眼の確かさに兜を脱がざるをえない心境である。
 問題はレコードと、再生装置にもある。私の経験する限り、彼女の演奏、特にそのショパンほど装置の如何によって異なる音楽を聴かせるレコードも少ない。
 一例をあげよう。プレリュード作品二十八の第一六曲、この変ロ短調プレスト・コン・フォコ、僅か五十九秒の音楽を彼女は狂気の如く、おそらくは誰よりも速く弾き去る。この部分に関する限り、私はアルヘリッチの演奏を誰よりも、コルトーよりも、ポリーニのそれよりも、好む。
 私は「狂気の如く」と書いた。だが、彼女の狂気を表現するスピーカーは、私の知る限りにおいて、スペンドールのBCIII以外にない。このスピーカーを、EMT、KA−7300Dの組合せで駆動したときにだけアルヘリッチの「狂気」は再現される。BCIIでも、KEFでも、セレッションでも、全く違う。甘さを帯びた、角のとれた音楽になってしまうのである。このレコード(ドイツ・グラモフォン輸入盤)を手にして以来、私は永い間、いずれが真実のアルヘリッチであろうか、と迷い続けて来た。BCIIIの彼女に問題ありとすれば、その演奏にやや高貴の色彩が加わりすぎる、という点であろう。しかし、放心のうちに人生を送り、白い鍵盤に指を触れた瞬間だけ我に返るという若い女性の心を痛切なまでに表現できないままで、再生装置の品質を云々することは愚かである。
     *
アルゲリッチは好きなピアニストだから、すべての録音とまではいかないけれど、
かなりの数聴いているし、自分のシステムだけでなく、ほかのところでもわりとよく聴いていた。

それでもショパンに関しては、すでに書いているように、
どうにも苦手意識がついてまわっていたので、アルゲリッチのショパンは、自分で買ったことはない。

なので中野氏があげられている「プレリュード作品二十八の第一六曲」を自分のシステムで鳴らしたことはない。
おそらく鳴らしたところで、「狂気の如く」鳴ったとは思えない。

中野氏も、スペンドールのBCIII、トリオのKA7300D、EMTの927Dstの組合せでのみ、
アルゲリッチの狂気が再現される、と書かれているくらいだから、
それはある種、レコード再生の妙が,つくりだした「狂気」なのかもしれない。

それでも“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”のアルゲリッチのショパンを聴いて、
もしかすると……、と思い始めてもいる。

そうもしかすると、“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、限られた条件内では、
そんなふうに鳴り響いてくれるのかもしれない──、という予感がしている。

それもCDよりもMQAで鳴らしたら、と思ってしまう。
CDよりもSACDなのかもしれないが、不思議とそうは感じなかった。

アルゲリッチのショパン、ドイツ・グラモフォンから出ている前奏曲集は、
すでにMQAで配信されている(192kHz、24ビット)。

中野氏が感じられたアルゲリッチの狂気とはどういうものなのかは、
ほんとうのところは第三者にははっきりとはつかめないのかもしれない。

だから、私は私だけの、アルゲリッチの狂気を感じとりたい、という気持が強い。
そのためにも、MQAで聴いてみたいのだ。

Date: 8月 3rd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その3)

絶対的な才能と相対的な才能の違い。
一流と二流の違いは、そうなのではないだろうか。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を聴いていると、なおさらそう思ってしまう。
1965年のショパン・コンクールで、アルゲリッチが優秀したというのは、
この年の出場者のなかで、アルゲリッチがもっとも優れていた(相対的な才能)というよりも、
圧倒的(絶対的才能)だった、ということなのだろう。

ショパン・コンクールから三ヵ月の録音である“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”。
55年後のいま聴いても、輝きをまったく失っていないばかりか、
輝きをましているかのようにも感じてしまうのは、
相対的な才能の優秀なピアニストが増えてきたからなのだろうか。

7月は、“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”をよく聴いた。
ショパンの音楽をあれだけ遠ざけていた私とは思えないほどに、くり返し聴いていた。

聴くたびに、音のよさにもやはり驚く。
驚くからこそ、そしてアルゲリッチの絶対的な才能をあますところなく聴きたい、とも思う。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はSACDも出ていた。
いまごろ“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を買っているくらいだから、SACDではなくCDだ。

SACDでも聴いてみたいと思う。
でもそれ以上にMQAで聴いてみたい。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はワーナー・クラシックスから出ている。
ワーナー・クラシックスはMQAにも積極的である。
いまのところe-onkyoに“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はない。

でも、これからさき出てくる可能性は、決してゼロではない。
そう思ってしまうのは、トリオの創業者の中野英男氏の「音楽、オーディオ、人びと」、
このなかにアルゲリッチについてかかれた文章がある。
『「狂気」の音楽とその再現』を読んでいるからなのだろう。

Date: 8月 2nd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その2)

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、ピアノ・ソナタの3番から始まる。
クラシックをほとんど聴かない人であっても、
ショパンのピアノ・ソナタ3番の冒頭は、どこかできいたことがあるはずだ。

その冒頭が、誇張なしに目が覚めるように鳴ってきた。
演奏がすごいだけでなく、音もいい。
1965年の録音とは思えなかった。

アルゲリッチの演奏テクニックはすごいのだけれども、
聴いていて芸達者というふうにはまったく感じない。

別項で一流と二流について書いているところだけれど、
ここでもそのことをひしひしと感じることになる。

プロのピアニストとして十分なテクニックをもっていて、練習を怠らない人、
音楽の理解も十分にあっても、それだけでは到達できない領域があることを、
“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、はっきりと見せつける。

ピアノを弾けない私が聴いてもそう感じる。
ピアニストならば、どう感じるのだろうか。

ピアノを弾けない私とプロのピアニストのあいだには隔絶した壁があるわけだが、
大半のプロのピアニストとアルゲリッチとのあいだにある壁は、
それよりもずっとずっと隔絶しているのではないだろうか。

優れた指導者の元で、演奏を磨いていく。
ピアノ教育の現場がどうなのかは知らないが、
アルゲリッチがピアノを習っていた時代と現在とでは、そうとうに違っているのではないか。

トレーニング法はずっと進歩している、と思う。
だからこそ、トレーニングだけでは絶対にこえられない壁があることを、
プロのピアニストならば実感しているのではないのか。