Archive for category オーディオの「美」

Date: 10月 1st, 2018
Cate: オーディオの「美」

オーディオの「美」(その5)

オーディオは、基本コンポーネントである。
プレーヤー(アナログでもデジタルでも)、
アンプ、スピーカーシステムが最低でも必要になる。

もっともミニマムなオーディオとしてヘッドフォンがあるにしても、
ここでも携帯プレーヤーとヘッドフォン(イヤフォン)の二つは、最低限必要となる。

たった一つで音を出してくれるわけではない。
アンプは完成品として売られていても、
それだけで音が聴けるわけではない。

スピーカーに関しても同じ、プレーヤーもそうだ。
オーディオはコンポーネントである。

ここでのタイトルは、オーディオの「美」としているが、
オーディオこそ「美」とも捉えている。

オーディオは「美」である──、
ここにはコンポーネントということが大前提としてあるし、
そのコンポーネントから鳴ってくる音こそが、ということがある。

ここを読まれている方で、オーディオコンポーネントを持っていないという人はいないはず。
何らかのシステムを持っていて、すでに音を出している人である。

そういう人がオーディオ店に行き、グレードアップのために何かを購入する。
アンプであったり、CDプレーヤーなのかもしれないし、ケーブルということだってあろう。

アンプを買った、としよう。
憧れのアンプを手に入れることができた。
それは「美」を手に入れた、といえるのか。
「美」を買った、といえるのか。

オーディオ店のスタッフは、客に「美」を売った、と思っているのか。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その9)

マッキントッシュのアンプは、寝起きが悪いと感じたことはない。
毎月鳴らしていて、むしろ寝起きが早い方かな、と感じていた。

アンプの寝起き(ウォームアップによる音の変化)が問題になったころ、
SAEのMark 2500やトリオのL07シリーズは、電源を入れているだけではだめで、
三時間以上鳴らしていないと本領発揮とならない、
ようするに寝起きの悪い(悪すぎる)アンプとして知られていた。

どんなアンプで寝起きに時間は必要となる。
しかも寝起きが一回とは限らない。
十分鳴らしていても、あきらかに音が変ることは意外に多い。
それも承知していても、昨晩の音の変化ははっきりとしていた。

おそらく昨晩の音の変化はアンプだけが理由ではなく、
ネットワークにしても二ヵ月鳴らしていなかったわけで、
スピーカーも私が鳴らすのは二ヵ月ぶりだから、
それらが重なっての音の変化なのはわかっている。

わかっていて、こんなことを書いているのは、
20時ごろに帰った人がいたからだ。
人それぞれ事情があるのはわかっているし、彼は毎回早く帰る。

無理に引きとめたりはしない。
けれど、「トリスタンとイゾルデ」以降の音を聴かずに帰ってしまうのは、
もったいない、と思った。
毎回思うわけだが、特に昨晩はよけいそう思った。

こればかりは時間の短縮は無理である。
正味鳴らしている時間が、ある一定以上必要なのだから。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その8)

19時スタートで、あれこれディスクをかけていった。
21時をすぎたあたりに、カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」をかける。
エソテリックから出たSACDだ。

前奏曲が終り、しばらく聴いたらフェードアウトしようと思っていた。
いい感じで鳴っているのが、途中からあきらかによく歌うような感じへと変っていった。

私だけかな、と思っていたが、そうではなかった。
結局一枚目の終りまで聴いていた。
時間があれば、全曲を聴き通したいくらいだった。

クライバーの「トリスタンとイゾルデ」のあとに、
ほぼ毎回かけているグラシェラ・スサーナの「仕方ないわ」をかける。
声の表情が、いままでにないほど濃やかになっている。

そのあとにアート・ブレイキーの「Moanin’」をかける。
実は19時前に鳴らしている。
これもあきらかに、一回目と違う鳴り方で、
何がはっきりと違っているかというと、音の伸びやかさである。

一回目の「Moanin’」も伸びやかに鳴っていた、と感じていたが、
二回目の「Moanin’」を聴くと、まだ何かによってわずかとはいえ押さえつけられていたのか、と感じる。

次に「THE DIALOGUE」だ。
これも一回目の「Moanin’」のあとにかけている。
音量設定は一回目と同じ。

出だしの音からして、音量が違ってきこえる。
あきらかに音の伸びがいいから、最初の音は、このくらいの音で鳴ってくる、と予想していても、
鳴った瞬間に驚くほど、予想を超えていた。

昨晩は、ほんとうに何もしていない。
ただただ鳴らしていただけである。
18時30分くらいからアンプの電源をいれて、ずっと治していた。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その7)

5月のaudio wednesdayに続き、昨日(8月1日)も、
二ヵ月ぶりにアルテックのスピーカーを鳴らすことになった。
5月は最初は喫茶茶会記で常時使っているコイズミ無線製のネットワークで鳴らした。

今月は最初から私自作の直列型6dB/oct.のネットワークである。
このネットワークの5月の会の途中から使いはじめ、
6月も使い、この時、少し手を加えている。
そして二ヵ月ぶりの今月。

5月のときのような音が最初は鳴ってくるかも……、と半分予想していたが、
すんなり鳴ってくれた。

CDプレーヤーを設置した時点で、CDプレーヤーにはディスクを入れ再生状態にする。
それからアンプの設置、スピーカーの設置、ネットワークの結線、
ここまで終った時点でアンプの電源を入れる。

昨日は18時30分ごろがそうだった。
音を鳴らしながら、ドライバーとトゥイーターをきちんと設置する。
つまりドライバーとトゥイーターを適当に置いた状態での最初の音が、
5月の時とはまるで違っていた。

今回のテーマは、猛暑ということで、涼しげな音を出すで、
使用機器はなんら変更ないが、セッティングは少し変更している。

パッと見て、すぐに変更しているなとわかる箇所が、一箇所、
ちょっと注意深い人ならば、気づくところが三個所、
毎回、駒かなところまでチェックしてすべて記憶している人ならば気づくところが、四箇所、
セッティングをバラさなけれは気づかないところを一箇所、変更していた。

ひとつひとつは些細なことで、特別なことは何もない。
それで素姓のいい音が鳴ってきたので、昨日は音を出してからは、どこもいじっていない。
いつもなら、どこかを調整するけれど、昨日は何もしなかった。

何もしなかったけれど、音は変化していく。

Date: 5月 7th, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その6)

だからといって、23時すぎまでの約四時間、
そういう音をずっと鳴らしているわけでは、もちろんない。

しばらく鳴らしていて、どうにかスピーカーが目覚めてきたかな、と感じてから、
チューニングを開始する。
それまで鳴らしているときにも、まったくいじらないわけではない。
でも、それは私にとってはセッティングであって、チューニングという意識はない。

とことん調整したいと思うのであれば、ある一曲を何度も何度もくり返し鳴らす(聴く)。
私一人ならば、二時間でも三時間でも、同じ曲だけをひたすら聴いて調整していく。

でも、こんなことをやると、多くの人は飽きてしまったり、しんどい、と感じるようだ。
でも、一度、そういうこともやってみたい、とは考えている。

常連の人のなかには、宮﨑マジックという人もいれば、
tweakだ、といってくれる人もいる。

最初に鳴ってきた音がどんなであれ、時間内にまとめていく。
そうでなければ、常連の人たちが毎回来てくれるわけがない。

なんらかの発見が、それぞれの人にきっとあるわけで、
だからこそ毎回来てくれている、と私は勝手に思っている。

ただし、その発見は最後までいてくれて(聴いてくれて)の結果である。
途中で帰られるのは、その人の自由であり、
そのことについて何もいわない。
けれど短い時間で帰ってしまえば、何の発見もなしになることだけは、はっきりといえる。

audio wednesdayの音出しは、オーディオ店の試聴とも、
オーディオショウでの各ブースでの試聴とも、その点では違う。

このことの理解なしにaudio wednesdayに来られても、つまらないだけかもしれない。

Date: 5月 6th, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その5)

そういう状況での音出しだから、耳障りなだけの音、
ひとことで表現するならばそんな音がしてくることがある。

そんなときどうするか。
適当にごまかす方向に逃げるのか。
もろもろのアラが気にならないように、音量もグンと下げて、
アンプやCDプレーヤー、さらにはケーブルも交換して──、というやり方もある。

けれど喫茶茶会記はオーディオ店でもオーディオ雑誌の試聴室でもないから、
アンプやCDプレーヤー(最近はCDプレーヤーは選べるようになった)、
ケーブルの選択肢はほとんどない。

それに音量を、耳障りにならないくらいまで下げて鳴らしていては、
いつまで経っても、その状態から抜け出した音を出せない。

耳障りな音がどんなにしようと、音量を上げる。
音量を上げても耳障りにならないようなソースをかけるのではなく、
あえて、反対の傾向にある音楽を鳴らす。

そうやってスピーカーを、すこしでも短い時間で目覚めさせたいからである。
そんな鳴らし方をしていると、長島先生と同じことをやっている、
と自分でも思っている。

──そんな言い訳めいたことは書くくらいなら、
前日からきちんとセッティングしろ、とか、もっと早い時間からやれば、といわれても、
それがやれれば私としても助かるわけだが、現実にはスケジュールの都合で無理。

今回も前回も、16時ごろまで何かのリハーサルが入っていて、
早くに着いたからといって、即セッティングにかかれるわけではない。

なので書いておく。
audio wednesdayは19時開始だが、場合によっては耳障りな音を、
大音量で鳴らしている。
最初から、整った、耳障りな音がまったくしない、そんな音を聴きたい方、
いわば音の美食家には、聴くに耐えぬ音を聴かせることになる。

けれど、そんな音を23時すぎまで聴かせているわけではない。

Date: 5月 6th, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その4)

スピーカーを原状復帰させる。
何も、私と同じレベルのセッティングを期待しているわけではない。
ただ、もう少し丁寧に扱ってほしい、とは毎回思っている。

でもオーディオにまったく関心のない人にとっては、
私のセッティングも、彼らによる原状復帰も同じレベルにとらえているのだろう。

それでもいいじゃないか、と思うようにはしているが、
毎回とまではいわないが、細かなモノが紛失していっている。
フェルトなど、オーディオに関心のない人にとっては、ゴミくらいにしか思えないのだろうが、
フェルトが一枚あるのとないのとでは、音ははっきりと違う。

それから何度か書いているCR方法。
ウーファー、ドライバー、トゥイーター、それぞれのユニットに取り付けている。
ウーファーはエンクロージュアに取り付けているから問題ないが、
ドライバーとトゥイーターはエンクロージュアの上に置かれているだけだから、
CR方法のコンデンサーと抵抗は露出している。

これが毎回なぜか力が加えられている跡がある。
なぜ、コンデンサーと抵抗を動かす必要があるんだろうか、と思いながら、
その度に、どちらかに偏っているリード線を直していた。

年内にはリード線が切れるかな、と思っていたが、
意外に早く、今回片チャンネルのドライバーに接続している分が切れていた。

喫茶茶会記が秋葉原にあれば、すぐに代りの部品を買いに行けるけれど、
そんな時間はない。片チャンネルだけ、というわけにもいかないから、
今回はドライバーのCR方法は外した。
それにフェルトも数枚なくなっていた。

つまり二ヵ月前と同じセッティングは、無理な状況に置かれていた。
そうやって鳴ってきた最初の音は、予想した通りの冴えない感じの音だった。

Date: 5月 6th, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その3)

二ヵ月ぶりの音出しは、昨年末にも一度あった。
2017年11月のaudio wednesdayは、音出しができず、飲み会になった。
12月は、だから二ヵ月ぶりの音出しだった。

このときも感じたのは、二ヵ月という期間は、はっきりとブランクということだった。
今回もそうだった。

それに加えて今回は、スピーカーの状態があまりいいとはいえなかった。
喫茶茶会記では、通常はキャスター付きの台車の上に置かれている。
音出しのスペースは、オーディオのためだけにあるのではなく、
演劇や、その他のライヴにも使われるスペースであるため、
スピーカーは邪魔モノとしてあつかわれることもある。

比較的きちんと元に近い状態に戻されているときもあれば、
ひどいなぁ……、と思う戻し方も場合も、意外とある。
原状復帰とは言い難く、そういうときはゼロからのセッティングというよりも、
マイナスからのセッティングに感じてしまう。

今回もそうだった。
ホーンは斜めを向いていたし、
全体的な雰囲気もひどく扱われたんだろうなぁ、と感じていた。

これは愚痴ではなく、むしろ、そういう状況であればこそ、
得られるものが、私にはあるわけだ。
それでも、やはり時間は必要となってくる。

二ヵ月のブランクと、ひどい原状復帰が重なってのスタートゆえに、
いつもよりも、その時間はより必要となってくる。

こういうことは、個人のシステムではまずないことだ。
多目的に使われているスペースでの音出しだからこそ、
毎月一回経験できることであって、面倒だなと思うことはあるにはあるが、
腕は磨かれていく。

Date: 5月 3rd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その2)

昨晩のaudio wednesdayに二人組の方が来られた。
一時間ほどで帰られたから、昨晩の音にあまりいい印象をもたれたわけではない。

音量が大きすぎ、
左右が逆じゃないか、
モノーラル的、
ひどい音、といった感想をもたれたようである。

左右は逆ではないし、ステレオで鳴っている。
音量は大きい。

喫茶茶会記がジャズ喫茶だから、ということも音の大きさに関係してくるけれど、
すべてのディスクで音が大きいわけではない。

ただ最初の一時間ほどは、意図的に大きな音で鳴らすようにはしている。
audio wednesdayは、毎月第一水曜日だから、月一回だけ、
だいたい23時ごろまでやっているから、音を出している時間は四〜五時間ほど。

一ヵ月のあいだ、これだけの時間しか鳴らしていないわけだ。
もちろん、通常は喫茶茶会記のスピーカーとして音を鳴らしているわけだが、
それは店主・福地さんの音(鳴らし方)であり、私の鳴らし方ではない。

毎月第一水曜日の夕方に喫茶茶会記に着いて、
スピーカー、アンプ、CDプレーヤーをセッティングしていく。
最初の音が出るのは、たいてい18時すぎであり、
ほぼ毎回、一ヵ月という時間を感じてもいる。

福地さんの鳴らし方を否定するわけではないが、
やはり私の鳴らし方とは違う、と、最初の音を聴いて感じるわけだ。

一ヵ月ぶりだね、私の鳴らし方に慣れてくれよ、
もっと早く戻ってこいよ、という気持がある。

しかも今回は、前回(4月の会)がアンプのトラブルで音を出せなかったから、
丸二ヵ月の、私にとっての空白がある。

Date: 12月 12th, 2017
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その5)

長島先生は「ステレオへの分離」と書かれている。

モノーラル録音されたものをステレオにするということは、
分離でいいのだろうか、と考える。

長島先生が書かれているやり方では、
調査に音楽学者、歴史学者、が各社、エンジニア、レコーディング・ディレクター、
その他大勢の有能な人びとがあたることになる。

そうとうな時間と手間が必要となる調査である。
「2016年オーディオの旅」では、
述べ数百人の人たちが二年間かけて、
フルトヴェングラーのベートーヴェンの五番の修復が行われた、とある。

そのくらいかかるものかもしれないし、もっと人も少なく、時間も短くなるかもしれないし、
その逆だって考えられる。

まだ誰もやっていないのだから、なんともいえない。
ただそう簡単にはいかないことだけは、確かだろう。

だから思う。
人工知能が行ったら……、と。

画像処理技術の進歩を見ていると、
音を音として扱うよりも、画像として扱ったらいいのでは……、
まったくの素人は思うことがある。

コンピューター(人工知能)にとっては、
元が音であろうと画像であろうと、デジタル信号であることは同じである。

ならば人工知能の深層学習、独自学習によって、
モノーラルの音源をステレオへと分離するのではなく、
モノーラル音源を元に、新たにステレオ音源を創成することができるのではないのか。

Date: 12月 12th, 2017
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その4)

ステレオサウンド 50号(1979年春)、
長島先生の「2016年オーディオの旅」の中に、
フルトヴェングラーのベートーヴェンの第五が、ステレオで再生される話が出てくる。

フルトヴェングラーの録音は、いまのところすべてモノーラルばかりである。
ステレオ録音だ、といわれていたスカラ座とのワーグナーも、
結局はモノーラルだった。
他にもウェーバーの「魔弾の射手」はステレオといわれていたが、
CDを聴くかぎり、そうといえない。

フルトヴェングラーのステレオ録音は残されているのかもしれないし、
まったく存在しないのかもしれない。

ただ市販されているディスクは、疑似ステレオをのぞけば、すべてモノーラルである。
そのフルトヴェングラーの録音が、ステレオだけでなく、最新録音のように聴こえてくる。

「2016年オーディオの旅」は創作だ。
ここに登場する主人公に、フルトヴェングラーのステレオを聴かせてKが説明する。

どのような状況で録音が行なわれたかの調査、
使用された楽器、楽器の配置、ホールの構造、材質などが綿密に調べられ、
録音器材に関しても同じことが行われる。

その調査結果を元にして、録音された信号の変化を割り出す。
そして残されているマスター(モノーラル)から、ステレオの分離が行われる──、
というものだった。

ほんとうにそんな時代が来てほしい、と、読んだ人なら、
クラシック好きの人ならみなそう思ったはずだ。

フルトヴェングラーのベートーヴェンやワーグナー、ブラームスなどが、
ステレオで聴けたなら……。

フルトヴェングラーだけではない、他にも聴きたい演奏家は大勢いる。

現実には2016年は過ぎ去っている。
そんな技術は、いまのところない。

けれど最近の人工知能(AI)による画像処理技術のニュースを見ていると、
もしかして……、と思うことがある。

Date: 6月 14th, 2017
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その3)

別項「会って話すと云うこと(その3)」で、
アナログプレーヤーの調整に六時間かけた人に対する印象の違いについて書いた。

この話をしてくれた人は、
調整に六時間もかけて、すごい人だ、オーディオのプロだなぁ、と感心した、ということだった。

私は反対だった。
熱心なオーディオのアマチュアの方だな、と感じていた。

はっきりと記憶していないが、
六時間の調整は、フローティング型プレーヤーのサスペンションの調整だったはず。

四年ほど前に書いたことも、ここでもう一度取り上げているのは、
この項の(その2)で、リンクしている羽生善治氏のインタヴュー記事を読んだからである。

ある意味、サスペンションの調整に六時間かけるということは、
人工知能的といえるような気がした。

コンピューターの処理能力の驚異的な向上により、
わずかな時間でも膨大なシミュレーションが可能になっている。
考えられるかぎりのシミュレーションを行うことは、人間の脳では無理なことであり、
だからこそ、羽生善治氏が述べられているように、
《人間の思考の一番の特長は、読みの省略》があるわけだ。

フローティング型プレーヤーのサスペンションの調整と、
将棋における読みを完全に同一視できないのはわかったうえで、
それでも読みの省略なしに、ただただ順列組合せ的にすべてを試してみるということは、
プロフェッショナルとアマチュアとの根本的な違いそのもの、とも思える。

羽生善治氏のインタヴュー記事を読んでから考えているのは、
省略の美、ということだ。

Date: 4月 4th, 2017
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その2)

iPhoneにインストールしているGoogleアプリが、
「3月のライオンに興味のある方に」とカードを提示する。

すべてをクリックするわけではないが、いくつかはクリックする。
クリックした先で、また別のリンク先をクリックする。

そうやって今日、興味深い記事を見つけた。
二年前の記事だ。
タイトルは『羽生善治「コンピュータ将棋により人間が培った美意識変わる」』。
ぜひ読んでほしい。

オーディオのことはもちろん出てこないが、
オーディオの将来と聴き手の美意識について示唆的であり、考えさせられる。

後半のところだけ引用しておく。
     *
──より将棋を深められると。いいことばかりですか。
 
「いや、どうしても相容れられない部分もあると思います。人間の思考の一番の特長は、読みの省略です。無駄と思われる膨大な手を感覚的に捨てることで、短時間に最善手を見出していく。その中で死角や盲点が生まれるのは、人間が培ってきた美的センスに合わないからですが、コンピュータ的思考を取り入れていくと、その美意識が崩れていくことになる。それが本当にいいことなのかどうか。全く間違った方向に導かれてしまう危険性も孕んでいます」
 
──長い年月をかけて醸成されてきた日本人の美意識が問われている。
 
「変わっていくと思います。今まではこの形が綺麗だとか歪だと思われていた感覚が、変わっていく……」
     *
同じことはオーディオにもいえよう。

それから《人間の思考の一番の特長は、読みの省略》、
これはそのままオーディオのチューニングにおいてもそうである。

Date: 4月 2nd, 2017
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その1)

音の美食家だ、と自身のことをおもっている人は、けっこういそうである。
けれど、音の悪食だ、とおもっている人は、どのくらいいるのだろうか。

かくいう私も、音の美食家とはおもっていないが、
だからといって音の悪食ともおもっていなかった。

けれど、いまごろになって、どうだったのだろうか、とふり返っている。
音の悪食といえる聴き方をしてきだろうか、とおもっている。

Date: 8月 25th, 2016
Cate: オーディオの「美」

美事であること(50年・その2)

見事ではなく美事とすれば、
ステレオサウンドが50年を迎えることは、
オーディオ雑誌として季刊誌としては、見事とはいえようが、
いまの(というかここしばらくの)ステレオサウンドは美事といえるだろうか。

私は美事であってほしいと願っている。
願っているのだから、美事ではないと思っているわけだ。

これを書いている私も、あと10年すれば、
オーディオマニアとして50年を迎えることになる。