美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない、を考える(その1)
美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。
別項「正しい音とはなにか?」の(その8)でもとりあげた。
小林秀雄の有名すぎる一節であり、これまでにいろいろな解釈がなされている。
私はオーディオマニアだから、まず「花」を「音」に置き換えて考えてみる。
それでもわかったようなわからないような……。
だが「花」を別のものに置き換えてみたら、どうだろうか。
「月」である。
美しい「月」がある、「月」の美しさといふ様なものはない。
こうなるわけだが、月そのものは、ほんとうに美しいのか、と思う。
夜空に浮ぶ月は、美しいな、と思うことはある。
けれどわれわれは実際の月を写真で見て知っている。
月の表面がどうなっているのかを知っている。
私は月そのものを美しいとは思えない。
けれど遠く離れたここ(地球)にいて、夜空の月を眺めれば美しい、と思う。
となると、美しい「月」がある、「月」の美しさといふ様なものはない、といえるのか。