Archive for category ハイエンドオーディオ

Date: 10月 16th, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その 22)

マッキントッシュのゴードン・ガウの言葉がある。

「quality product, quality sales and quality customer」。
どれかひとつ欠けても、オーディオの世界はダメになってしまう──、
とゴードン・ガウは言っていた。

これまで、別項で何度も引用してきている。
この項でも、このゴードン・ガウの言葉を思い出す。

非常に高価なオーディオ機器を一式ポンと買っていく富裕層が、いまのハイエンドオーディオブランドの客だという話がある。

そうかも、と思う。
金額の桁が一つどころか二つほど違うオーディオ機器を、ポンと買える人たちを相手にした方が、商売の効率はいい。

そういう層の人たちがいるのはいい。
そういう層の人たちがいるから、ものすごいモノにメーカーも取り組めるという一面があるからだ。

でも、前回書いたことのくり返しになるが、そういう層の人たちは、
ゴードン・ガウのいうところのquality customerだろうか。

ゴードン・ガウがマッキントッシュからいなくなってずいぶん経つ。
マッキントッシュというブランドもずいぶん変った。

ゴードン・ガウがいた頃のマッキントッシュにとってのquality customerと、
不在の、いまのマッキントッシュにとってのquality customerは同じとは思えない。

このことはマッキントッシュだけに限ったことではない。
そしてゴードン・ガウのいうところのquality customerも、最初からquality customerだったわけではないはず。

だからこそ“quality product, quality sales and quality customer”なのだろう。

Date: 10月 12th, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その21)

その19)で触れている、ソナス・ファベールのソナス・ファベールのStradivari Homageを見て、
音を聴くこともなく、買っていった女の人は、その後どうなんだろうかとおもう。

当時、ペアで五百万円ほどのStradivari Homageを買う。
この女の人は、Stradivari Homageに見合うアンプその他をすでに所有していたのか、
それともStradivari Homageと一緒にまとめて購入したのか。

なんとなく後者のような気がするするが、仮にそうだとして、
この女の人は、その後、オーディオにお金をかけるのだろうかと思う。

Stradivari Homageをポンと買っていく人だから、かなり裕福な方だろう。
アンプその他も買って行ったとしたら一千万円を超える買い物となる。
オーディオ店にとって、いいお客のはずだ。
ただ、その後もいいお客と言えるのか。

Stradivari Homageの購入をきっかけにオーディオに強い関心を持ってくれるかもしれないが、
高価な音の出る家具としての購入とも考えられる。

そうだとしたら、グレードアップといったことには関心がないだろう。
つまり一回限りのお客の可能性もある(高い)。

それでも一回で大金を払ってくれるのだから、十分すぎるいいお客と、オーディオ店の店員からすれば、そうだろう。

こういうお客が来てくれれば、オーディオ店は潤う。けれど長いつきあいとなるお客かどうかは、なんとも言えない。

オーディオ機器はいつか故障する。
その時は新しい機器を、またポンと買ってくれるかもしれないから、なんとも言えないけれども、
オーディオ界を支えているのは、そういう層の人たちだろうか。

Date: 9月 28th, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その20)

(その14)、(その15)でディープエンドオーディオという言葉を使った。

ふと思い出すのが、ステレオサウンド 59号での、瀬川先生のJBLのパラゴンについて書かれていたことだ。
     *
 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。
     *
この頃の瀬川先生は、ワイドレンジ指向だったし、新しい音に積極的でもあった。新しい音への敏感であった。

JBLの4343から4345へと鳴らされるスピーカーが変ったのとそう変らない時期に、
パラゴンを「欲しいなあ」と書かれている。

どういう心境からだったのか。
深みをめざしての「欲しいなあ」だったのか。

Date: 7月 1st, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その19)

二十年以上前に、聞いた話がある。
都内のとあるオーディオ店に、女の人が入ってきた。常連の客ではなく、初めての客だったそうで、
その女の人は展示してあるソナス・ファベールのStradivari Homageを見て、
音を聴くこともなく、買っていったそうだ。

Stradivari Homageは2003年に登場している。当時、ペアで五百万円ほどしていた。
そのスピーカーを、ポンと買っていく人がいる。

話では、30から40代くらいの女の人ということ。話をしてくれた人はオーディオ業界の人なので、
まるっきりの作り話ではないだろうし、彼も聞いた話ということで、
その女の人がStradivari Homageの他に、アンプなどをどうしたのかははっきりとしない。

この話を聞いて、こういう買い方まであるんだな、と思ったし、
オーディオ機器はオーディオマニアのためだけのモノでもないということだ。

富裕層にとってStradivari Homageの価格は、それほど高額でもなかったのだろうか。
これは日本での一例である。
世界には、もっと凄い富裕層の人たちがいて、そういう人にとってはもっと高額なオーディオ機器であっても、
この女の人のように、ポンと買っていってしまうだろう。

オーディオマニアは、当時のStradivari Homageも、
いま非常に高額になっているオーディオ機器も、
ハイエンドオーディオ機器として捉えがちだが、
こんなふうに買っていく人たちにとってはハイエンドオーディオというよりも、
ラグジュアリーオーディオとして目に映っているのだろう。

Date: 5月 12th, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その18)

 今の世の中、全てはビジネスが支配的である。音楽の現場も、それを包含する文化のあらゆるアクティヴィティは商業主義に支配されざるを得ないといってよい状況だ。ましてや、一つ一つが、利益追求の企業が生産する商品であるものを使わなければならないオーディオについては、その中で文化的、芸術的息吹を呼吸することは困難なことであろう。今のオーディオが物中心に流されるのも、むべなるかな……である。僕の願いは、この環境の中で、無理は承知で、あえてメーカー各位に、この点の反省を、そして、ユーザー諸兄には物をこえた心の世界の認識を求め、自ら、ハングリー精神を養っていただきたい……ことにある。人間らしさを保ち、幸せの価値観をもつための、そして、文化を守り築くための、現代社会からのサバイバルである。
     *
この文章を読まれて、どう思われるか。
菅野先生の「オーディオ羅針盤」のあとがきからの引用だ。

「オーディオ羅針盤」は1985年に出版されている。四十年前だ。

Date: 3月 12th, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(Beogram 4000)

ソーシャルメディアを眺めていたら、B&OのBeogram 4000の写真が表示された。
サンローランから、Beogram 4000Cとして、10台のみ発売になる、というニュースだった。

日本語で、これを伝えているサイトでは550,000円としていたが、
サンローランのウェブサイトを見ると、5,500,000円と一桁違う。

完全な新品ではない。
これを高いと感じるのか、安いとするのか。
人それぞれの価値観によって違ってくるだろうが、
私がまず思ったのは、故障したらどうなるのかだ。

B&Oが完全に修理してくれるのか。
もともと故障しやすいモデルであるし、
カートリッジもB&Oのモノしか使えないから、
カートリッジの針交換は、どうなるのか。
そんなアフターサービスのことをまず思った。

このモデルをためらいなくポンと購入できる人は、そんなことを心配しないのか。
トロフィーオーディオとして飾っておくだけのモノならば、
それでもいいのだろうけど。

Date: 12月 27th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その17)

ではラグジュアリーオーディオは、いつごろから始まったといえるのか。
私の考えでは、コントロールアンプがリモコン操作が可能になったのが、
ラグジュアリーオーディオの始まりだと捉えている。

普及クラスのコントロールアンプやAV用のコントロールアンプではなく、
音質を追求しながらも、操作性の良さも両立させようとしたコントロールアンプの登場という観点からすれば、
1986年に世に出たプライマーのSeries 928 preamplifierだろう。

928以前にも、そういうコントロールアンプはあったかもしれないが、
日本に輸入された製品ということでは928といえる。

Date: 12月 24th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その16)

昨晩、ハーマンインターナショナルのウェブサイトを眺めていた。
個々のブランドのウェブサイトではなく、
ハーマンインターナショナルについて、なんとなく知りたいと思ってのアクセスだった。

コンシューマーオーディオのページを見ていた。
ラグジュアリーオーディオ、とあった。

そこには、こうあった。
     *
ラグジュアリーオーディオの製品は、ピュアな音質、最高の素材、そして感動的なオーディオ体験を求める真のオーディオ愛好家のニーズに完璧に応えています。本物のオーディオ愛好家なら誰もが認めるように、Mark Levinsonの名前は、完璧さは目標ではなく出発点である純粋なオーディオと同義です。Revelでは、音響精度の基準を設定し続けています。
     *
マークレビンソンは、
いまでは、ハイエンドオーディオよりもラグジュアリーオーディオなのか、
オーディオマニアはハイエンドと思っていても、
ハーマンインターナショナルとしては、ラグジュアリーオーディオとしてのマークレビンソンである。

Date: 12月 14th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その15)

例えば直熱三極管のシングルアンプ。
一輪挿しの世界ともいえる、この種のアンプと高能率のスピーカーとの組合せ。

ディープエンドオーディオの世界といえる。

私が中高生のころ熱心に読んでいたステレオサウンド。
その頃の連載に、スーパーマニアがあった。

そこに登場している人の何人かは、まさにそういう人であった。
若い頃からオーディオに熱中して、さまざまななことを試みて、
直熱三極管のシングルアンプの世界にたどり着く。

ハイエンドオーディオからディープエンドオーディオへのシフト。
シフトしていく人もいれば、そうでない人もいる。

どちらかどうとか、いえることではない。
いえるのは、最初からディープエンドオーディオはない、ということだ。

Date: 12月 14th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その14)

ハイエンドオーディオの対義語は、いったいなんだろうか。
チープオーディオ、プアオーディオという人もけっこういるようだ。

現在、なんとなくハイエンドオーディオと呼ばれているモノは、
確かに非常に高価だったりする。

誰が買うんだろう? と思ったりもするけれど、
買う人がいるからこそ、メーカーは出してくる。

そういう状況だから、
高価の反対という意味でチープ(プア)オーディオなのだろう。

ハイ(high)の対義語は、ディープ(deep)ではないだろうか、
オーディオの場合では。

ハイ・フィデリティに対して、ディープ・フィデリティ。
こんなことも考えたりしているわけだが、
高みを目指すのもいいが、オーディオはそればかりではない。
深みを目指していく、追求していくのもオーディオである。

ハイエンドオーディオ、
ディープエンドオーディオ。

高みの行き着く先、深みの行き着く先。
どちらを目指すのか。

Date: 4月 28th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その13)

(その11)で、
オーディオの可能性の追求が、ハイエンドオーディオの定義だと書いた。

ここでいう可能性とは、そのままの意味での可能性である。
こんなことを書くのは、
一時期、「可能性のある音ですね」とか「可能性を感じさせる音ですね」、
そんな表現(褒め言葉)がよく使われたことがあったからだ。

ソーシャルメディア登場以前、
個人がウェブサイトを公開するのが流行り出したころ、
掲示板を設ける個人サイトもいくつもあった。

そのなかでは、かなり多くの読者を獲得しているところもあった。
そして、そういうところからオフ会が盛んになっていった。

そこで時々というか、わりと使われていたのが「可能性をある音ですね」だったりする。
掲示板や共通の知人をとおして、初対面の人の音を聴きに行く。

素晴らしい音が聴けることもあれば、そうでもないことも当然あるわけで、
だからといって、初対面の人に面と向かって、ひどい音ですね、とはまずいえない。

そこでよく使われていたのが「可能性のある音」、「可能性を感じさせる音」である。
本音でそう表現していた人もいるだろうが、
とある掲示板では、あからさまに含みを持たせての表現で、
こういうことを言ってきた、と書いていた人もいた。

その掲示板だって、聴かせてくれた人が見ている可能性があるのに、
匿名とはいえ、よくこんなことを書けるな、と思ったことが何度かあった。

そんな厭味めいた「可能性のある」ではない。
可能性とは、ワクワクする(させてくれる)ものだし、
それは何かを変えてくれる(くれそうな)パワー(活力)である。

私がDBシステムズのDB1+DB2もハイエンドオーディオのことを考えるときに、
その存在を思い出すのは、そういう理由からである。

Date: 4月 22nd, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その12)

《あまりにも大がかりな装置を鳴らしていると、その仕掛けの大きさに空しさを感じる瞬間があるものだ》、
瀬川先生のことばだ。

空しさを感じない人だけがハイエンドオーディオの道を進んでいけるのか。
空しさを感じるからこそ、埋めよう埋めようと、さらに突き進んでいくのか。

Date: 3月 29th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その11)

ハイエンドオーディオの定義とは、
目の前にリアルなサウンドステージを創り出すシステム──、らしい。

X(旧twitter)で、ステレオサウンド・オンラインが投稿していた、
と友人が先日教えてくれた。

ステレオサウンド・オンラインのアカウントによると、
ハイエンドオーディオという言葉をつくったのは、
アブソリュート・サウンド誌のハリー・ピアソンとなっている。

ハリー・ピアソンが言い始めたということは、私も聞いて知っていたが、
本当なのかどうかは、よくわからない。
ハイエンドオーディオという言葉を広めたのは、ハリー・ピアソンといってもいいだろうけれど。

言葉をかえれば、録音されたサウンドステージの再現ということになるわけだが、
完全なサウンドステージの再現とは、誰が判定するのだろうか。

ステレオサウンド 29号に、黒田先生の「ないものねだり」を思い出す。
     *
 思いだしたのは、こういうことだ。あるバイロイト録音のワーグナーのレコードをきいた後で、その男は、こういった、さすが最新録音だけあってバイロイトサウンドがうまくとられていますね。そういわれて、はたと困ってしまった。ミュンヘンやウィーンのオペラハウスの音なら知らぬわけではないが、残念ながら(そして恥しいことに)、バイロイトには行ったことがない。だから相槌をうつことができなかった。いかに話のなりゆきとはいえ、うそをつくことはできない。やむなく、相手の期待を裏切る申しわけなさを感じながら、いや、ぼくはバイロイトに行ったことがないんですよ、と思いきっていった。その話題をきっかけにして、自分の知らないバイロイトサウンドなるものについて、その男にはなしてもらおうと思ったからだった。さすが云々というからには、当然その男にバイロイトサウンドに対しての充分な説明が可能と思った。しかし、おどろくべきことに、その男は、あっけらかんとした表情で、いや、ぼくもバイロイトは知らないんですが、といった。思いだしたはなしというのは、ただそれだけのことなのだけれど。
     *
これに近いような気がする。
自分で録音した音源ならば──、という人もいようが、
録音された状態のサウンドステージがどうなのか、録音した本人もわかっていないはずだ。

録音の場のサウンドステージはわかっていても、
それがそのまま録音されているわけではない。

マイクロフォンの段階、テープレコーダーで記録される段階、
その他、いろいろな段階で変質していくのだから。

なのに、どうして、そういえるのだろうか。

ならば、お前はどう定義するのか、と問われれば、
オーディオの可能性の追求と答える。

Date: 3月 18th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その6とクルマの場合)

二年前の(その6)で、
タンノイのガイ・R・ファウンテン氏が自宅ではイートンで、
音楽を聴かれていたことを書いている。

今日、興味深い記事を見つけた。
3月13日に、イタリアのカー・デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が亡くなった。

クルマに詳しくない私でも、カウンタックのデザイナーだということは知っている。
そのガンディーニ氏が、二十年ほど前のことではあるが、
愛車は、スズキのワゴンRだった、という記事である。

Date: 3月 17th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その10)

DBシステムズと同時代、
DB1+DB2よりも先に登場したマークレビンソンのLNP2。

このLNP2が、いまに続くハイエンドオーディオの始まりといえる。

そのLNP2が目指していたのは、マランツのModel 7といえる。
     *
 LNP2で、新しいトランジスターの時代がひとつの完成をみたことを直観した。SG520にくらべて、はるかに歪が少なく、S/N比が格段によく、音が滑らかだった。無機的などではない。音がちゃんと生きていた。
 ただ、SG520の持っている独特の色気のようなものがなかった。その意味では、音の作り方はマランツに近い──というより、JBLとマランツの中間ぐらいのところで、それをぐんと新しくしたらレヴィンソンの音になる、そんな印象だった。
 そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。その彼は若く、当時はとても純粋だった(近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが)。
     *
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」からの引用だ。
ここでのマランツとはいうまでもなく、マランツのModel 7のこと。

ならばハイエンドオーディオの始まりは、LNP2からさらに遡ってModel 7ということになるのか。
そういえないこともないと思いながらも、
LNP2の誕生、その後の改良に影響を与えていたのは、Model 7以上に、
マランツの管球式チューナーのModel 10(B)ではないだろうか。