Archive for category ハイエンドオーディオ

Date: 3月 12th, 2025
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(Beogram 4000)

ソーシャルメディアを眺めていたら、B&OのBeogram 4000の写真が表示された。
サンローランから、Beogram 4000Cとして、10台のみ発売になる、というニュースだった。

日本語で、これを伝えているサイトでは550,000円としていたが、
サンローランのウェブサイトを見ると、5,500,000円と一桁違う。

完全な新品ではない。
これを高いと感じるのか、安いとするのか。
人それぞれの価値観によって違ってくるだろうが、
私がまず思ったのは、故障したらどうなるのかだ。

B&Oが完全に修理してくれるのか。
もともと故障しやすいモデルであるし、
カートリッジもB&Oのモノしか使えないから、
カートリッジの針交換は、どうなるのか。
そんなアフターサービスのことをまず思った。

このモデルをためらいなくポンと購入できる人は、そんなことを心配しないのか。
トロフィーオーディオとして飾っておくだけのモノならば、
それでもいいのだろうけど。

Date: 12月 27th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その17)

ではラグジュアリーオーディオは、いつごろから始まったといえるのか。
 私の考えでは、コントロールアンプがリモコン操作が可能になったのが、
ラグジュアリーオーディオの始まりだと捉えている。

普及クラスのコントロールアンプやAV用のコントロールアンプではなく、
音質を追求しながらも、操作性の良さも両立させようとしたコントロールアンプの登場という観点からすれば、
1986年に世に出たプライマーのSeries 928 preamplifierだろう。

928以前にも、そういうコントロールアンプはあったかもしれないが、
日本に輸入された製品ということでは928といえる。

Date: 12月 24th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その16)

昨晩、ハーマンインターナショナルのウェブサイトを眺めていた。
個々のブランドのウェブサイトではなく、
ハーマンインターナショナルについて、なんとなく知りたいと思ってのアクセスだった。

コンシューマーオーディオのページを見ていた。
ラグジュアリーオーディオ、とあった。

そこには、こうあった。
     *
ラグジュアリーオーディオの製品は、ピュアな音質、最高の素材、そして感動的なオーディオ体験を求める真のオーディオ愛好家のニーズに完璧に応えています。本物のオーディオ愛好家なら誰もが認めるように、Mark Levinsonの名前は、完璧さは目標ではなく出発点である純粋なオーディオと同義です。Revelでは、音響精度の基準を設定し続けています。
     *
マークレビンソンは、
いまでは、ハイエンドオーディオよりもラグジュアリーオーディオなのか、
オーディオマニアはハイエンドと思っていても、
ハーマンインターナショナルとしては、ラグジュアリーオーディオとしてのマークレビンソンである。

Date: 12月 14th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その15)

例えば直熱三極管のシングルアンプ。
一輪挿しの世界ともいえる、この種のアンプと高能率のスピーカーとの組合せ。

ディープエンドオーディオの世界といえる。

私が中高生のころ熱心に読んでいたステレオサウンド。
その頃の連載に、スーパーマニアがあった。

そこに登場している人の何人かは、まさにそういう人であった。
若い頃からオーディオに熱中して、さまざまななことを試みて、
直熱三極管のシングルアンプの世界にたどり着く。

ハイエンドオーディオからディープエンドオーディオへのシフト。
シフトしていく人もいれば、そうでない人もいる。

どちらかどうとか、いえることではない。
いえるのは、最初からディープエンドオーディオはない、ということだ。

Date: 12月 14th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その14)

ハイエンドオーディオの対義語は、いったいなんだろうか。
チープオーディオ、プアオーディオという人もけっこういるようだ。

現在、なんとなくハイエンドオーディオと呼ばれているモノは、
確かに非常に高価だったりする。

誰が買うんだろう? と思ったりもするけれど、
買う人がいるからこそ、メーカーは出してくる。

そういう状況だから、
高価の反対という意味でチープ(プア)オーディオなのだろう。

ハイ(high)の対義語は、ディープ(deep)ではないだろうか、
オーディオの場合では。

ハイ・フィデリティに対して、ディープ・フィデリティ。
こんなことも考えたりしているわけだが、
高みを目指すのもいいが、オーディオはそればかりではない。
深みを目指していく、追求していくのもオーディオである。

ハイエンドオーディオ、
ディープエンドオーディオ。

高みの行き着く先、深みの行き着く先。
どちらを目指すのか。

Date: 4月 28th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その13)

(その11)で、
オーディオの可能性の追求が、ハイエンドオーディオの定義だと書いた。

ここでいう可能性とは、そのままの意味での可能性である。
こんなことを書くのは、
一時期、「可能性のある音ですね」とか「可能性を感じさせる音ですね」、
そんな表現(褒め言葉)がよく使われたことがあったからだ。

ソーシャルメディア登場以前、
個人がウェブサイトを公開するのが流行り出したころ、
掲示板を設ける個人サイトもいくつもあった。

そのなかでは、かなり多くの読者を獲得しているところもあった。
そして、そういうところからオフ会が盛んになっていった。

そこで時々というか、わりと使われていたのが「可能性をある音ですね」だったりする。
掲示板や共通の知人をとおして、初対面の人の音を聴きに行く。

素晴らしい音が聴けることもあれば、そうでもないことも当然あるわけで、
だからといって、初対面の人に面と向かって、ひどい音ですね、とはまずいえない。

そこでよく使われていたのが「可能性のある音」、「可能性を感じさせる音」である。
本音でそう表現していた人もいるだろうが、
とある掲示板では、あからさまに含みを持たせての表現で、
こういうことを言ってきた、と書いていた人もいた。

その掲示板だって、聴かせてくれた人が見ている可能性があるのに、
匿名とはいえ、よくこんなことを書けるな、と思ったことが何度かあった。

そんな厭味めいた「可能性のある」ではない。
可能性とは、ワクワクする(させてくれる)ものだし、
それは何かを変えてくれる(くれそうな)パワー(活力)である。

私がDBシステムズのDB1+DB2もハイエンドオーディオのことを考えるときに、
その存在を思い出すのは、そういう理由からである。

Date: 4月 22nd, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その12)

《あまりにも大がかりな装置を鳴らしていると、その仕掛けの大きさに空しさを感じる瞬間があるものだ》、
瀬川先生のことばだ。

空しさを感じない人だけがハイエンドオーディオの道を進んでいけるのか。
空しさを感じるからこそ、埋めよう埋めようと、さらに突き進んでいくのか。

Date: 3月 29th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その11)

ハイエンドオーディオの定義とは、
目の前にリアルなサウンドステージを創り出すシステム──、らしい。

X(旧twitter)で、ステレオサウンド・オンラインが投稿していた、
と友人が先日教えてくれた。

ステレオサウンド・オンラインのアカウントによると、
ハイエンドオーディオという言葉をつくったのは、
アブソリュート・サウンド誌のハリー・ピアソンとなっている。

ハリー・ピアソンが言い始めたということは、私も聞いて知っていたが、
本当なのかどうかは、よくわからない。
ハイエンドオーディオという言葉を広めたのは、ハリー・ピアソンといってもいいだろうけれど。

言葉をかえれば、録音されたサウンドステージの再現ということになるわけだが、
完全なサウンドステージの再現とは、誰が判定するのだろうか。

ステレオサウンド 29号に、黒田先生の「ないものねだり」を思い出す。
     *
 思いだしたのは、こういうことだ。あるバイロイト録音のワーグナーのレコードをきいた後で、その男は、こういった、さすが最新録音だけあってバイロイトサウンドがうまくとられていますね。そういわれて、はたと困ってしまった。ミュンヘンやウィーンのオペラハウスの音なら知らぬわけではないが、残念ながら(そして恥しいことに)、バイロイトには行ったことがない。だから相槌をうつことができなかった。いかに話のなりゆきとはいえ、うそをつくことはできない。やむなく、相手の期待を裏切る申しわけなさを感じながら、いや、ぼくはバイロイトに行ったことがないんですよ、と思いきっていった。その話題をきっかけにして、自分の知らないバイロイトサウンドなるものについて、その男にはなしてもらおうと思ったからだった。さすが云々というからには、当然その男にバイロイトサウンドに対しての充分な説明が可能と思った。しかし、おどろくべきことに、その男は、あっけらかんとした表情で、いや、ぼくもバイロイトは知らないんですが、といった。思いだしたはなしというのは、ただそれだけのことなのだけれど。
     *
これに近いような気がする。
自分で録音した音源ならば──、という人もいようが、
録音された状態のサウンドステージがどうなのか、録音した本人もわかっていないはずだ。

録音の場のサウンドステージはわかっていても、
それがそのまま録音されているわけではない。

マイクロフォンの段階、テープレコーダーで記録される段階、
その他、いろいろな段階で変質していくのだから。

なのに、どうして、そういえるのだろうか。

ならば、お前はどう定義するのか、と問われれば、
オーディオの可能性の追求と答える。

Date: 3月 18th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その6とクルマの場合)

二年前の(その6)で、
タンノイのガイ・R・ファウンテン氏が自宅ではイートンで、
音楽を聴かれていたことを書いている。

今日、興味深い記事を見つけた。
3月13日に、イタリアのカー・デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が亡くなった。

クルマに詳しくない私でも、カウンタックののデザイナーだということは知っている。
そのガンディーニ氏が、二十年ほど前のことではあるが、
愛車は、スズキのワゴンRだった、という記事である。

Date: 3月 17th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その10)

DBシステムズと同時代、
DB1+DB2よりも先に登場したマークレビンソンのLNP2。

このLNP2が、いまに続くハイエンドオーディオの始まりといえる。

そのLNP2が目指していたのは、マランツのModel 7といえる。
     *
 LNP2で、新しいトランジスターの時代がひとつの完成をみたことを直観した。SG520にくらべて、はるかに歪が少なく、S/N比が格段によく、音が滑らかだった。無機的などではない。音がちゃんと生きていた。
 ただ、SG520の持っている独特の色気のようなものがなかった。その意味では、音の作り方はマランツに近い──というより、JBLとマランツの中間ぐらいのところで、それをぐんと新しくしたらレヴィンソンの音になる、そんな印象だった。
 そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。その彼は若く、当時はとても純粋だった(近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが)。
     *
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」からの引用だ。
ここでのマランツとはいうまでもなく、マランツのModel 7のこと。

ならばハイエンドオーディオの始まりは、LNP2からさらに遡ってModel 7ということになるのか。
そういえないこともないと思いながらも、
LNP2の誕生、その後の改良に影響を与えていたのは、Model 7以上に、
マランツの管球式チューナーのModel 10(B)ではないだろうか。

Date: 3月 14th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その9)

DBシステムズのDB1+DB2の音について、瀬川先生は、
ステレオサウンド別冊「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」でこう書かれている。
     *
 アメリカのソリッドステートアンプのごく新しい傾向の良さの素直に出た、とてもフレッシュで生き生きとした音。総じて音のぜい肉をおさえて繊細にどこまでも細かく分析してゆく傾向があるが、しかし細身一方のたよりない弱々しさではなく、十分に緻密に練り上げられて底力を感じさせ、それが一種凄みを感じさせることさえある。力を誇示するタイプでなく、プログラムソースの多様さにどこまでもしなやかに反応してゆくので、音楽の表情をとてもみごとに聴き手に伝える。弦の響きもとてもよく、アメリカのアンプにしてはどこかウェットな音に思えるほどだ。ハイエンドに一種キラッとした音色があって、そこが好みの分れるところかもしれない。
     *
ステレオサウンド 47号の特集ベストバイでは、
《マークレビンソンにも一脈通じる繊細な、現代の先端をいく音》とある。

いま読み返しても、この音の評価は、まさしくハイエンドオーディオに通じる。

DBシステムズはRFエンタープライゼスが輸入元だった。
このDBシステムズに惚れ込んだ人がいる。
シュリロ貿易の社員だったHさんである。

彼はDBシステムズを取り扱うためだけの(そういえる)会社を興した。

別項でトロフィーオーディオについて書いている。
トロフィーオーディオとは、いわば成功の証しであるし、羨望の的ともなる。

そういったトロフィーオーディオ、ひとつ前に書いたハイラグジュアリーオーディオ、
こういうオーディオ機器のみをハイエンドオーディオとして捉える人の目には、
DBシステムズは安物としかうつらないだろうし、
ハイエンドオーディオではない、と否定するだろう。

それに同意する人もいる。
それはそれでいい。
けれど、私はそうは思わない、というだけの話で、
Hさんのことを含めて、DBシステムズは私にとってハイエンドオーディオを考える(語る)にあたって、
絶対に外せない存在である。

Date: 3月 14th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その8)

ハイエンドオーディオについて考える時、時を遡ると思い出すのが、
DBシステムズのデビュー作であるコントロールアンプDB1+DB2のことだ。

DB1がコントロールアンプ本体、DB2は外部電源。
続けてトーンコントロールのDB5、パワーアンプのDB6が登場したが、
私のなかでいまも印象深いという以上に、
この時代のアメリカのオーディオ・シーンをふり返る時、DB1+DB2は無視できない。

DBシステムズはハイエンドオーディオといえたのか。
私は、そうだと思っている。

DB1+DB2は決して高価なアンプではなかった。
1978年、DB1+DB2h212,000円。
同価格帯のアメリカのコントロールアンプには、
AGIのModel 511(260,000円)、AEAのAnalogue 520(298,000円)などがあった。

これらの中でDBシステムズのつくりは、もっとも実質本位といえる。
いいかえれば、徹底的にコストをかけないつくりである。

DB1の外形寸法はW16.0×H8.1×D10.7cmで、重量は1.0kg。
小型というだけでなく、そっけない外観で、おそらくツマミは既製品だろうし、
リアパネルはRCAジャックをハンダ付けしたガラスエポキシ基板がそのまま使われている。

多くのアンプのようにリアパネルが金属で、そこに端子が取りつけられているわけではない。
内部を見ても、メインのプリント基板が一枚あって、
この基板にアンプ部の部品を含めて、
入力セレクターやレベルコントロールの部品もハンダ付けされていて、
内部配線材は見当たらない。

AGIのModel 511も合理化した内部だが、それでも内部配線材は少しとはいえ使われていた。
DB1+DB2のつくりは素っ気ないとかドライとか、そういえるけれど、
ある目的をもってのつくりだと理解すれば、このこともまた魅力とうつる。

Date: 3月 12th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その7)

4月3日のaudio wednesdayで、別項で触れているように、
アポジーのDuetta SignatureをクレルのKMA200で鳴らす。

時代的に揃っている組合せであり、
1980年代のハイエンドオーディオをふり返ることにもなる。

そこであらためてハイエンドオーディオについて考えてみたい。

ハイエンドオーディオが使われはじめたのが、いつなのか。
おそらく1970年代後半あたりからであろう。
一般的に広くつかわれるようになったのが約十年後、1980年代半ば過ぎからか。

とにかく四十年以上が経っている。
そのあいだにハイエンドオーディオの使われ方も、ずいぶんと変ってきた。

名器やヴィンテージオーディオと同じように、安っぽい使われ方も見受けられるようになった。
なんでもかんでも名器と呼ぶ人がいるし、
すこしばかり古い製品の大半をヴィンテージオーディオと呼ぶ人も増えてきている。

これが名器? これがヴィンテージオーディオ?
そう問いたくなることが増えているのは、ソーシャルメディアを眺めていると、
どうも日本だけではなく他の国でもその傾向はある。

ハイエンドオーディオも、その傾向があるが、
それ以前に、ハイエンドオーディオのはっきりとした定義はどこかにあるのだろうか。
使われ始めたころは、なんとなくではあっても共通の認識のようなものはあった。
少なくとも私はそう感じていた。

価格が高いモノだけがハイエンドオーディオの範疇ではなかった。
それがいつしか非常に高額なモノがそう呼ばれるようになってきた。

けれど、ここで考えたいのは、非常に高額なオーディオ機器は、
そのブランドの最高級機であるから、その意味では確かにハイエンドオーディオといえる。

でも、最近のそれはハイエンドオーディオと呼ぶよりも、
ラグジュアリーオーディオであって、そのラグジュアリーオーディオのなかには、
ハイ・ラグジュアリーオーディオ、その上のハイアー・ラグジュアリーオーディオ、
さらにその上のハイエスト・ラグジュアリーオーディオがあるような印象を持っている。

このラグジュアリーオーディオは、もうオーディオマニアのモノではない。
そんな感じすら受ける。

Date: 6月 22nd, 2022
Cate: ハイエンドオーディオ
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ハイエンドオーディオ考(その6)

その5)を書いたあとで思い出した記事がある。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
瀬川先生がタンノイのリビングストンにインタヴューされている。
リビングストンが、ガイ・R・ファウンテン氏のことを語っている。
     *
彼は家ではほんとうに音楽を愛した人で、クラシック、ライトミュージック、ライトオペラが好きだったようです。ロックにはあまり興味がなかったように思います。システムユニットとしてはイートンが二つ、ニッコーのレシーバー、それにティアックのカセットです。
     *
瀬川先生も含めて誰もが、
ファウンテン氏はオートグラフを使われていたと思っていたのではないだろうか。
私もそう思っていた。けれど違っていた。
イートンだった、25cm口径の同軸型ユニットをおさめたブックシェルフだったのだ。

リビングストンへのインタヴューは続く。
     *
これ(オートグラフではなくイートン)はファウンテン氏の人柄を示すよい例だと思うのですが、彼はステータスシンボル的なものはけっして愛さなかったんですね。そのかわり、自分が好きだと思ったものはとことん愛したわけで、そのためにある時には非常に豪華なヨットを手に入れたり、またある時はタンノイの最小のスピーカーをつかったりしました。つまり、気に入ったかどうかが問題なのであって、けっして高価なもの、上等そうにみえるものということは問題にしなかったようです。
     *
非常に豪華なヨットを手にいれるだけの財力をもち、
オートグラフをうみだした男が、自宅ではイートンで好きな音楽を聴いている。

気に入ったモノを自分のものとするだけであって、
高価だから、とか、周りに持っている人がいない、とか、そういった理由ではない。
ステイタスシンボルだからといって愛す男ではなかった。

非常に高価なハイエンドスピーカーをつくっているブランドのトップは、
やはり自社のフラッグシップモデル(いちばん高価なモデル)を使っているのか、
それとも違うのだろうか。

Date: 6月 19th, 2022
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その5)

一流レストランや料亭での食事ばかりを毎日している人だって、
世の中にはいるかもしれない。

夕食だけでなく、朝食も昼食も、豪華な食事を毎日している人は、
私が知らないだけでいないとはいいきれない。

そういう食生活が日常であれば、私が思い描く家庭料理とはまったく別世界のことなのだろう。
音もそうなのだろうか、と考える。

一流レストランや料亭で出される豪華な料理のような音で、毎日音楽を聴く。
もちろん、それはいい音である。
けれど、それは愉しいだろうが、毎日続けられること、
つまり日常となっていくことなのだろうか。

オーディオの場合は、鳴らす音楽によって、
そういう音であっても毎日聴けるものなのかもしれない。

毎日、ベートーヴェンの後期の作品ばかりを聴くわけではないし、
軽めの音楽を聴くことだってあるのだから、
家庭料理とは無縁と思える音であっても、いいのかもしれない。

それでも思うのは、卵かけご飯のような存在の音もあっていいのではないか。

ステレオサウンドは十年ほど前の特集で「いい音を身近に」をやっている。
この企画は、
十年前よりもずっとハイエンドオーディオ機器の高額化が進んでいるいま、
もう一度練り直してやれば、面白い特集になるように思っている。

「いい音を身近に」か「身近ないい音」か。

いまでは億を超えるオーディオ機器が登場してきている。
そういうオーディオ機器を持てる人であっても、
卵かけご飯のようなシステムで日常的には音楽を聴く、ということを、
求めたりしないのだろうか。