ハイエンドオーディオ考(その13)
(その11)で、
オーディオの可能性の追求が、ハイエンドオーディオの定義だと書いた。
ここでいう可能性とは、そのままの意味での可能性である。
こんなことを書くのは、
一時期、「可能性のある音ですね」とか「可能性を感じさせる音ですね」、
そんな表現(褒め言葉)がよく使われたことがあったからだ。
ソーシャルメディア登場以前、
個人がウェブサイトを公開するのが流行り出したころ、
掲示板を設ける個人サイトもいくつもあった。
そのなかでは、かなり多くの読者を獲得しているところもあった。
そして、そういうところからオフ会が盛んになっていった。
そこで時々というか、わりと使われていたのが「可能性をある音ですね」だったりする。
掲示板や共通の知人をとおして、初対面の人の音を聴きに行く。
素晴らしい音が聴けることもあれば、そうでもないことも当然あるわけで、
だからといって、初対面の人に面と向かって、ひどい音ですね、とはまずいえない。
そこでよく使われていたのが「可能性のある音」、「可能性を感じさせる音」である。
本音でそう表現していた人もいるだろうが、
とある掲示板では、あからさまに含みを持たせての表現で、
こういうことを言ってきた、と書いていた人もいた。
その掲示板だって、聴かせてくれた人が見ている可能性があるのに、
匿名とはいえ、よくこんなことを書けるな、と思ったことが何度かあった。
そんな厭味めいた「可能性のある」ではない。
可能性とは、ワクワクする(させてくれる)ものだし、
それは何かを変えてくれる(くれそうな)パワー(活力)である。
私がDBシステムズのDB1+DB2もハイエンドオーディオのことを考えるときに、
その存在を思い出すのは、そういう理由からである。