Archive for 1月, 2023

Date: 1月 29th, 2023
Cate: 書く

毎日書くということ(2023年1月29日)

2008年9月3日から書き始めて、今日のこれが12,534本目。
以前から告知しているように、これで毎日の更新は終了となる。

これからは不定期更新となる。
それでも最低週一回は更新するつもりだ。
気が向けば、ほぼ毎日書くかもしれないし、週一で一本しか書かないこともあるだろう。

Date: 1月 28th, 2023
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(その13)

未完のままの「ルードウィヒ・B」の主人公はベートーヴェンなのだから、
「ルードウィヒ・B」の最終回はベートーヴェンの死が描かれたはずなのは、
「ルードウィヒ・B」を読んできた者ならば、誰でも想像できることだ。

手塚治虫が生きていて「ルードウィヒ・B」が描かれ続けられていたら──、
そんなことを想像すると、ベートーヴェンの死後以降も、描かれたようにおもってしまう。

ベートーヴェンの死後、その音楽がどう聴かれ、どう演奏されていくのか。
そこが描かれたはずだし、そこを読みたかった。

Date: 1月 28th, 2023
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス HRS130(とサウンドクリエイト・その7)

昨晩は、音楽好き、オーディオ好きな人たちが六人集まっていた。
四時間以上、あれこれ話をしていた。

スピーカーのことが話題になった。
となればジャーマン・フィジックスのことを私は話す。

私の話を聞いていた人は、ジャーマン・フィジックスに興味を持ってくれた。
なので、銀座のサウンドクリエイトで常設されているから、聴くことができる、と伝える。

ずっと以前、4343が売れていたころ、
4343というスピーカーがある、いいスピーカーだと話題になって、
聴きたいと思ったら、全国のどこのオーディオ店であっても、たいていは4343があった。

もちろん4343を置いてないオーディオ店もあっただろうが、
あの時代の4343の勢いはすごかった。
聴くのが難しい、とはいえなかったはずだ。

けれどジャーマン・フィジックスは違う。
十年以上にわたり、日本には輸入元がなかったし、
昨夏、やっと輸入が再開されたけれど、ここに行けば聴ける、とはいえなかった。

やっといえるようになったし、
そうなると、こちらも熱っぽく語ってしまう。

「でも聴けないんでしょ」という返事をきかずにすむということ。
これは、ずっとジャーマン・フィジックスのよさを伝えたいと思い続けてきた者にとって、
ほんとうに嬉しいことだ。

昨晩、ジャーマン・フィジックスに興味を持った人は、
近々サウンドクリエイトに行き、その音に触れるはず。

Date: 1月 27th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その4・続余談)

友人の倉庫で預ってもらっているゴトウユニットのSG505TTとホーン。
ユニット単体で見るのは、実は初めてのことだ。

ゴトウユニットのことは、五味先生の書かれたもので知ったし、
高城重躬氏の「音の遍歴」も読んでいるから、
いままで縁のなかったモノだけれども、まったく知らないわけではなかった。

それまでゴトウユニットでシステムを組んでいる人のお宅に伺ったことはあるから、
ゴトウユニットを見ていないわけでもない。
もちろん音も聴いている。

けれど、それはシステムとしてまとめられていて、
ユニット単体を見るという意識は、こちらにはなかった。

今回、ゴトウユニットをユニット単体で眺めて、
もしこのドライバーとホーンを自分で使うとなったら、
このホーンは、どうやって固定するのだろうか──、
そんなことをおもっていた。

カットオフ周波数150Hzのホーンは長いだけでなく、
開口部の直径も大きい。

アルミ製なので重量は想像よりも軽かった。
とはいえ、これだけのホーンとドライバーを組み合わせた状態で、どう固定(設置)するのか。
特にホーンの開口部を、どう固定するのか。

ホーンの開口部には、取りつけやすくするためのなんらかの加工はなされていない。
そのことに今回初めて気づいた。

しかも開口部は丸だから、そのままエンクロージュアの上に置くということはできない。
そんなゴトウユニットを見ていると、
スピーカーユニットというよりも、もっと素材に近いモノという気がしてきた。

そういうことは、すべて自分で工夫しなさい、ということなのか。
そういう仕様だから、ゴトウユニットに惹かれた人はよけいにのめり込むのか。

そこのところを確かめるために、自分で鳴らすのか──と、そういうことではない。

Date: 1月 26th, 2023
Cate: Jacqueline du Pré

絶対零度下の音

「絶対零度下の音」。
これが、audio sharingを思いつく前に考えていたサイトの名称である。
このことは以前も書いている。

絶対零度下では分子運動さえ止ってしまう。
つまり音は存在しない状態のはずだ。

存在しない音。音が存在しない環境のこと。
それはジャクリーヌ・デュ=プレのことをおもいながら考えていたことだ。

今日(1月26日)は、デュ=プレの誕生日。

Date: 1月 26th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来た(その6)

瀬川先生が、《国産の水準を知る最新の標準尺》として、
ヤマハのC2とB3を捉えられていたのは、その音についてであるわけなのだが、
はたして音だけのことなのか、と、
アキュフェーズの2000年ごろの製品四機種を毎日眺めていると、そう思ってしまう。

C2とB3の組合せを《国産の水準を知る最新の標準尺》と評されたのは、
ヤマハのデザインを抜きにしては語れないように、いまは思っている。

私が、二十年ほど前のアキュフェーズの製品を前にして、
《国産の水準を知る最新の標準尺》ということを考えているのは、
そのデザインを抜きにすることはできない。

はっきりいえば、いまのアキュフェーズのデザインを少しもいいとは感じていない。
音だけでいえば、いまのアキュフェーズは、私のところにやって来た二十年ほど前の製品よりも、
ずっと高性能だし、音の優秀なことに違いない。

それでも個人的に、いまのアキュフェーズを《国産の水準を知る最新の標準尺》として見ること、
そして聴くことができるのか、と自問すると、
ここでもくり返しになるが、ステレオサウンドの試聴室という空間ではそうであっても、
自身のリスニング空間においては、無理かも……、としかいえない。

Date: 1月 25th, 2023
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その43)

「スピーカーの存在感がなくなる」、
このことこそ、オーディオの理想と考える人は、
スピーカーの音が嫌いな人なのだろう、とすでに書いている。

オーディオにおける官能性、
再生音における官能性、
これらはどこにひそんでいるのだろうか──、を考えると、
スピーカーの存在がなくなってしまっては、
どこに官能性を求める、見出すのだろうか、という疑問が自然と湧いてくる──、
そう考えるのは、スピーカーの音が好きな人なのだろう。

録音された音楽にこそ官能性はあって、
十全に再生できれば、
スピーカーの存在がなくなってこそ官能性が再現される──、
これは理屈でしかないような気さえする。

Date: 1月 25th, 2023
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Design(官能性)

オーディオに関係してくるノイズのすべてを消し去ることができるようになったら、
きれいさっぱりノイズというノイズがなくなってしまったら、
その再生音には官能性が生れてこなくなるはず──、というのは私の予感だ。

Date: 1月 24th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来た(その5)

1月19日夜にアキュフェーズがやって来て、今日で五日。
毎日、そのパネルフェイスを眺めているわけだが、
このころのアキュフェーズのデザインが、個人的にはいちばん気に入っている。

木目調に仕上げなかったことはもちろんだが、フロントパネルの処理も悪くない。
フロントパネル下部を傾斜させているのは、
いまのアキュフェーズにつながる処理の仕方なのだが、
同じ手法であっても、このころのアキュフェーズは控えめだ。

いまは違う。かなり傾斜させている。
なぜ、そこまで? と個人的には感じるだけでなく、
エソテリックほどではないにしても、奇妙なデザインとしか思えない。

アキュフェーズは、どうしてウッドパネルや木目調の仕上げを復活させたのか。
おそらくユーザー側からの要求に応じてなのではないだろうか。

以前、そうした仕上げをとってきたブランドが、それをやめてしまっても、
いつのまにかまた以前のやり方に戻ってしまうのは、
それだけそのブランドの人気があること、それだけユーザーの声が強いのかもしれない。

私は何度も書いているように、基本的に木目調仕上げを好まない。
そういう仕上げやパネルはオプションで用意してほしい、と思うほうなのだが、
これまでアキュフェーズを支えてきたユーザーの声は無視できないのは、わかっている。

私なんて、これまで一台もアキュフェーズの製品を購入していない。
アキュフェーズにはなんにも貢献していないオーディオマニアでしかない。

そんな私のいうことはアキュフェーズにとって、どうでもいいことでしかない。
それでもDC330、DP100、A20Vなどの時代のアキュフェーズのデザインを好む者もいる、
そのことだけは忘れないでほしい……。

Date: 1月 23rd, 2023
Cate: コントロールアンプ像

コントロールアンプと短歌(その12)

アキュフェーズのDC300は、1996年、
DC330は1999年に登場している。

DC300とDC330の違いはいくつもあるが、
まず大きな違いとして挙げられるのは、DC330はアキュフェーズ独自のHS-Linkを搭載、
DP100と組み合わせることでSACDの再生が可能になっていることだ。

同時に、対応サンプリング周波数も、DC300は32kHz、44.1kHz、48kHzだけだったが、
DC330では、32kHz、44.1kHz、48kHz、88.2kHz、96kHz、176.4kHz、196kHz、2.824MHzと、
時代にそった拡大がはかられている。

DSDが2.824MHzだけなのは、1999年なのだからしかたない。
いまアキュフェーズがDC330の後継機を開発すれば、
DSDの対応サンプリング周波数は11.2MHzまで、となるはずだ。

同時に思うのは、機能的にDC330とどう違ってくるのだろうか、だ。
1999年当時は、TIDALはまだなかった。
ストリーミングで本格的に音楽を聴く時代ではなかった。

いまは違う。
となると、デジタル・コントロールアンプにはハブ機能が求められるのか。
この点を考えていく必要がある。

Date: 1月 23rd, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その4・補足)

(その4)で、
アキュフェーズのA級動作のパワーアンプはA50だと記憶している、と書いたけれど、
A100がその前に登場している。

なのにA50の方が記憶に強く残っているのは、
ゴトウユニットとの相性についての話を友人から聞いた時に、
A100ではなくA50だったということが関係している。

A100とA50、どちらが優れているパワーアンプなのか、ということではなく、
友人の知人で、ゴトウユニットを鳴らしている人が、A50を選択しての結果というだけのことだ。

その人が、A100とA50を比較しての選択なのかどうかも知らない。
とにかくA50とゴトウユニットは、その人にとって最良の結果の音を鳴らしている、と聞いている。

Date: 1月 22nd, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来た(その4)

《国産の水準を知る最新の標準尺》としてならば、
最新のアキュフェーズの製品を導入すべきなのではないか──、は正しいのだが、
思いがけない大金を手にしたとしても、
最新のアキュフェーズの製品が欲しいかと問われると、うーん、というしかない。

音について、うーんとなってしまうのではなく、
外観に関して、である。

別項「オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その10)」で、
ウッドケースやウッドパネルに、あまり魅力を感じない、と書いている。

十年ほど前に書いたことだが、このことに関してもいまも全く同じで、
なぜ木目調に仕上げる? といいたくなることが多い私だ。

木目調の仕上げ、ウッドケース、ウッドパネル、すべてが嫌いなわけではないし、
魅力を感じないわけではないが、
そう感じる製品は、ごくわずかである。

アキュフェーズの製品もサイドにウッドパネルがついていたり、
天板に関してもそうだったりする。

けれど、私のところにやって来たころのアキュフェーズの製品は、
サイドのウッドパネルをやめている。

このことが、小さいことだけど、私にとっては嬉しいことである。
試聴室でリファレンス機器として使う(聴く)分には、
ウッドのサイドパネルがついてたり、木目調の天板であっても、
それほど気になったりはしないが、自分の部屋にやって来るモノとなると、
音も大事なのだが、このことは軽視できることではなくなる。

Date: 1月 22nd, 2023
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオ少年とMP649・その2)

その1)で、MP649をひっぱり出して゛ふたたびかけるようにしたことを書いている。

MP649は、私が買った最初の川崎先生デザインのメガネフレームである。
1998年に買っている。

私が買ったMP649は、モノトーンといえる色調なのだが、
ヴァリエーションとして明るい色調、ポップともいえるMP649もあったのだが、
こちらはかけるのが気恥ずかしいと感じて、モノトーンといえるMP649を選んだ。

十年くらいして、両方買っておけばよかった──、と思うようになったけれど、
すでに製造されていない。

二日前の夜おそく、Googleで画像検索していたら、
MP643が表示された。
MP649とMP643は細部に違いはあるが、同じデザインといえるフレームで、
表示されたMP643は、買っておけばよかった──、と思っていた色調のモノだった。

しかも未使用なのに、そこに表示されていた価格は、当時の定価の十分の一。
もちろん即購入した。

今日、郵便ポストに届いていた。

Date: 1月 22nd, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来た(その3)

瀬川先生の文章で、
私が惹かれたのは《国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど》のところだ。

1978年は、すでにマークレビンソンのML2も登場していたし、
LNP2との組合せは、当時の私にとって、憧れ中の憧れの存在だった。

いつかはマークレビンソンの、この組合せ、と夢見ていたと同時に、
ヤマハのC2とB3の組合せも欲しい、と思わせたのは、
瀬川先生の《国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど》だった。

憧れのオーディオ機器を手に入れるだけでなく、
なんといったらいいのだろうか、当時の私は、オーディオ全体を知ろうと考えていたし、
そのために必要なオーディオ機器をすべて聴きたい、とも思っていた。

そんな私に、瀬川先生の《国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど》は、
C2とB3の音は、マークレビンソンのLNP2とML2の音のレベルには達していないものの、
聴いておくべきアンプという捉えかたをするようにさせたほどだった。

《国産の水準を知る最新の標準尺》、
その後、そういえるアンプは何があっただろうか。
そう考えた時にまず浮ぶのは、私の場合、アキュフェーズであるのは、
やはりステレオサウンド時代に、常にリファレンス機器として接していたからなのだろうか。

Date: 1月 21st, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来た(その2)

アキュフェーズの製品がやって来たことは、すでに書いている。
いずれの機種も2000年、もしくはそれ以前の機種である。
二十年ほど前に開発された機種である。

最新のアキュフェーズの音は、
インターナショナルオーディオショウで聴ける、といえば、たしかに聴けるわけだが、
試聴室でじっくりと聴いた、というレベルでは当然なくて、
あくまでも聴いた、ということでしかない。

その意味で、私にとって、二十年ほど前のアキュフェーズとはいえ、
じっくり聴けるわけだし、アキュフェーズの音だけというわけでもなく、
手持ちの他のブランドのモデルともじっくり比較できる。

そんなことを思っていたら、
アキュフェーズの製品の音は、私にとって、一つのリファレンス的といえるのか、
そういう自問が生じてきた。

私が働いていたころのステレオサウンドの試聴室で、
アキュフェーズの製品は、CDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
いずれもリファレンス機器として使われていた。

自然とこちらの意識も、リファレンス機器として見るように(聴くように)なっていた。
このことが一般的なのかどうかは、私にとってはどうでもいいことで、
私にとってはアキュフェーズの製品の音とは、そういう存在であった──、
そのことが重要なことであり、そういえば──、と思い浮べるのは、
瀬川先生の文章である。
     *
 以前B2と組み合わせて聴いたC2だが、パワーアンプが変ると総合的にはずいぶんイメージが変って聴こえるものだと思う。少なくともB3の出現によって、C2の本当に良い伴侶が誕生したという感じで、型番の上ではB2の方が本来の組合せかもしれないが、音として聴くかぎりこちらの組合せの方がいい。B2にはどこか硬さがあり、また音の曇りもとりきれない部分があったがB3になって音はすっかりこなれてきて、C2と組み合わせた音は国産の水準を知る最新の標準尺として使いたいと思わせるほど、バランスの面で全く破綻がないしそれが単に無難とかつまらなさでなく、テストソースのひとつひとつに、恰もそうあって欲しい表情と色あいを、しかしほどよく踏み止まったところでそれぞれ与えて楽しませてくれる。当り前でありながら現状ではこの水準の音は決して多いとはいえない。ともかく、どんなレコードをかけても、このアンプの鳴らす音楽の世界に安心して身をまかせておくことができる。
     *
「世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)」での、
ヤマハのC2とB3の組合せの試聴記である。